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かずぼ

建設中 (2019/01/19 訪問)

ガイド館建設中でした。

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にのまる

古戦場 (2019/01/20 訪問)

「戦国時代、当時の関東の支配者上杉氏の家臣上田蔵人は、北条早雲に味方して謀反を起こし、この山上に砦を築いてたてこもった。合戦は上杉方の勝利に終わったが、その後、上杉氏の力が弱まり北条氏による関東支配が始まった。」

以上、現地説明板丸写しです。
上田蔵人の寝返り籠城に対し、反目しあっていた山内・扇谷上杉が結託して向かってきたため、早雲が権現山城に援軍を出すも敗れてしまったとのことです。
遺構は…この小山全体です。今は線路で分断されていますが、当時は青木城と尾根続きだったようです。

その後の上田蔵人ですが、戦死したかもしれないし、逃げのびたかもしれないということです。

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べあれん

津城公園 (2019/01/26 訪問)

藤堂高虎の城。
最寄駅から徒歩10分程度、国道23号の少し北側にある。

周りには内堀。
東側の堀は比較的広く見えたが、これでもかなり埋め立てているよう。
堀が全て残っていれば藤堂高虎らしい曲輪を満喫できそうではあるが、さすがに都市開発には邪魔になったようで。

東側には櫓が…しかしながら見るからにコンクリート模擬櫓。
位置も元々東鉄門があった場所のようで。
場所の選定は国道23号から見やすい位置ということらしい。
しかしながら下の石垣は立派だった。算木積みの横幅がすごい。

丑寅櫓があった側の石垣はさすがに立派。藤堂高虎を味わえる。
一方で天守台の石垣は見るからに古い。味のある石垣であった。
一部江戸の修復を感じさせる部分もあったがどうなのだろうか。

個人的に残念だったところは東・西鉄門の桝形が取り払われてるところと堀の大部分が埋まっているところかな。
あと石垣に囲まれており、市民に愛されている公園になっているが、文化財保護的観点で見ればあまり良い状態ではない気がした。
それでも良いものはたくさん残ってるし、ガイドの方もいて、城を大切にしようという気持ちは伝わってきたので、このまま良い状態を保ってほしい。

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まーやん

能勢氏の居城 (2019/02/03 訪問)

国道477号の旧道沿い豊能警察署向かい側あたりに地黄城址はある。
能勢氏の歴史は古いが戦国期に混乱があり当地を追われ離散。関ヶ原の戦いの戦功により能勢頼次が旧領を回復した。
頼次は丸山城を廃し陣屋を築城した。枡形や石垣、濠などの遺構が残っている。
なお、石垣は丹波の印南村の石工が、牛蒡積みの一種である「印南積み」と言われる特殊な積み方をしているとのこと。

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まーやん

摂丹街道の要衝 (2019/02/03 訪問)

摂丹街道を北上し能勢町で田にベロのように突き出している山が丸山城だ。
古くは源頼光の子頼国がこの地に城を築き能勢氏を名乗ったのが始まりとか。
コンパクトな土地に色々な遺構があり、天王丸方向から見上げても竪堀がよく分かる。
比高は約50mらしいが、また晴れの日に登ってみたいf(^_^;)

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カルビン

志村後ろ! (2014/04/11 訪問)

お城巡りを始めて半年くらい、丁度本格的に巡り始めた頃に訪問。
当時やっと堀とか土塁とか、ちょっとした遺構の区別が付いてきた時期だったので、今思うとどうか?と思う場所もありますがw

一応熊野神社の鳥居から本殿に向かって左にあった林道が、凄く浅くなって区別つかないくらいになっていた堀底道だったのは間違いないかと。

あと同じく堀底道に沿った場所にあった土盛が土塁かどうか。。。ってところでしょうか、志村城の遺構としては。

北にある志村城址公園も怪しいんですが・・・コチラには遺構は見られなかったです。
雰囲気はそれっぽかったんですけど。


最初城碑と解説を完全に見逃していて、鳥居から外に出て帰ろうとしてました。
恐らく熊野神社の神様に「志村後ろ!」って言われて気付いたに違いないwww


駅(都営三田線・志村三丁目)から近いので、お城の規模も考えて、電東京都心の遺構の無いに等しいお城巡りの際にでも電車で訪れるのが宜しいかと。

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朝田 辰兵衛

【冬とお城】長岡城の散策ポイントは3ヶ所。時間があれば河合継之助記念館も…。 (2019/02/02 訪問)

JR長岡駅が長岡城本丸の位置した場所です。本丸跡碑があります。そして,アオーレ長岡が二の丸の位置した場所です。二の丸跡碑と長岡城址碑があります。そして,JR長岡駅建設工事中に発掘された長岡城の礎石が,悠久山公園内にあるモギテン(郷土資料館)に転用されています。雪が深くて礎石転用部分には近づけませんでしたが,モギテン全景画像は撮影しました。
なお,時間があれば河合継之助記念館に行くのもワクワクすると思います。長岡藩旗やガトリング砲の複製が展示されてます。

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赤い城

長命寺 (2019/02/03 訪問)

ときわ台駅もしくは中板橋駅から徒歩で10分。
長命寺周辺にあったと推定されています。
豊島氏の分家である板橋氏の居館とされます。
遺構はありません。

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井伊谷の祐

「続100名城」になりました (2019/02/03 訪問)

小さな城址の割に空堀が凄いですね。少し竹が多すぎで、空堀が埋まりそうです…小田原城の応援に行って、小田原城の落城後、廃城になったんですね。本丸から出て、右方面への道が出城へ続いていますが、高速道路が分断しているので驚きます。出城は何も有りませんが、富士仙元…の石碑がありました。

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Zackt

万喜城 (2019/02/02 訪問)

同じ様な作りの櫓が館山にもあったなぁ
こっちの方が立派だけど

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小城小次郎

新府城

武田勝頼の評価は年々見直されつつあるが、新府城が未完成のまま破却され、武田氏最後のお城になったという事実は動かしようがない。

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丹羽長重

水堀が素敵☆ (2016/05/04 訪問)

山形旅行の最終日に行ってきました。
新庄駅から20分ほど歩き、お城へ向かいます。すると立派な水堀が見えてきます。
僕が行った時はなんかのお祭りだったようで結構人がいました。なので僕も屋台で食べ物を買いお城観光を楽しみました(笑)
まず僕がおすすめするところは水堀です。広い水堀は新庄城の最大の防御の要だったことでしょう。次に見るべきところは表御門の石垣です。新庄城で残っている石垣はここだけで、切り込み接ぎが美しかったです。さらに本丸をぐるっと囲む土塁は整備がされていて上に登ることができます。
新庄城には天守閣のかわりに三重櫓があったそうですが1636年に火災で焼け、それ以降は再建されなかったそうです。現在は三重櫓があった場所に「新庄城天守台跡」と書いてある看板が刺さっています。
また、新庄城は243年間ずっと戸沢氏が治めてきましたが戊辰戦争の際に庄内勢に攻められ、城下もろとも消失してしまったそうです。
新庄に来たときは立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

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本丸南面石垣 (2018/03/25 訪問)

桜開花時期の公開で入場。吹上御所から本丸の石垣。桜を見ずに石垣をずっと見ている女子あり。

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わたらせ渓谷鉄道の旅 (2018/05/27 訪問)

渡瀬渓谷鉄道車内販売、駅販売のお弁当やグッズを楽しんでください。足尾銅山とセットで行きました。花輪駅にレンタサイクルがありました。花輪駅の名所説明看板に最近のお城ブームでか急ごしらえの表示追加(^^;

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課長

滝川氏所縁の城 (2018/06/03 訪問)

甲賀によく見られる高土塁に囲われた城です。城内はまぁまぁな藪でした…(^^;

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課長

城の痕跡 (2018/05/19 訪問)

向島城は近代以降の開発で遺構は失われています。最近になり説明板が整備されたようです。

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まーやん

天空の城 (2018/10/01 訪問)

続日本100名城に選ばれたのでスタンプのためにリベンジ行軍を敢行した。
福井市から永平寺大野道路を通り大野ICで降りて城址に向かった。昔は北陸道から田舎道を走って行ったけど近くなったもんだ。

大野城址下の駐車場から階段を登って登城したがなかなかきつかった(;´д`)
大野城は一向一揆を鎮圧し大野を領した金森長近が築城。その後色々と城主を変え、1682年~明治までの間、土井氏が治めた。
史実に基づいた再建ではなくコンクリート造だが、天守からの眺めは最高❗向かいの戊山城址からは雲海に浮かぶ大野城を見ることができる。
石垣は美しい野面積み、が見所か。
12~3月は閉館しているので、畦畔に芝桜が咲き誇る美しい春に一乗谷とセットで来られるのがベストかと。

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ミッピのパパ

残念な建物(城) (2019/02/02 訪問)

言わずと知れた藤吉郎(秀吉)出世の足掛かりとなった、戦国の砦(城)。墨俣砦の歴史に関係する展示は充実しており、それなりに楽しめるものの、当初より史実にそぐわない建物(城)なので、歴史ロマンに思いをはせるには、とても残念です。

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ミッピのパパ

地域の公園 (2019/02/02 訪問)

ファミリーやシニアのための地域の公園として親しまれていた。唯一 土塁と石垣が残っていて、往時をしのばせていた。

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ミッピのパパ

登山はくれぐれも気を付けて (2019/02/02 訪問)

標高329m。登るほど急峻な山。登りは初心者・ファミリー向け「七曲登山道」を利用し、下りはタイトルにつられて「瞑想の小径」。でも、とても瞑想できるような小径ではありません。下りだったので自然の岩肌を確認しながら、転落に気を付けゆっくりと下山。
道三・信長の城としてあまりにも有名で、観光地化しているせいか、城の縄張りがよくわからなかった。

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