お堀も凍る冬の諏訪
+ 続きを読む
検索結果・・・「」を含む投稿
2019/02/05 11:04
冬とお城 (2019/01/28 訪問)
お堀も凍る冬の諏訪
+ 続きを読む
♥ いいね
7人が「いいね」しています。
2019/02/05 11:01
迫力あるなぁ (2018/10/12 訪問)
☆城近くの資料館は面白い☆
+ 続きを読む
♥ いいね
4人が「いいね」しています。
2019/02/05 10:59
初日の出
気温は低く、厚手の手袋をはめて、東の空が明るみを増し、太陽が顔をもたげるのを、待ち続けた。
1枚目は、大田原城本丸の土塁から撮影
2枚目は、城北東を流れる蛇尾川の橋の上から
太陽の陽光が一直線に私に幸あれと言わんばかりに、希望の光となり差し込んだ。
+ 続きを読む
♥ いいね
4人が「いいね」しています。
2019/02/05 06:34
【冬とお城】年始恒例の新春の宴 (2019/01/02 訪問)
沖縄だから全く寒くはないのですが、首里城の正月儀式「朝拝御規式」の模様を改めて投稿させていただきます。
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
2019/02/05 01:21
【冬とお城】久松山、荒涼の景 (2019/01/26 訪問)
以前投稿させていただいたものを僭越ながらもう一度。
鳥取城山上ノ丸の本丸跡です。
厳しい風雪に耐えて残る石垣を前に、ただただ立ち尽くすばかりでした。
この日は霰と強風が凄かったのですが、そんなことも忘れて夢中でシャッターを切りまくってました。
そんな時に撮った一枚。
…翌日、見事に体調を崩した挙げ句インフルエンザになりました(笑)。
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
2019/02/05 01:04
住宅街に残る土塁跡と空堀跡 (2019/01/09 訪問)
城址は公園になってます。
公園内には土塁と空堀の跡を見ることができました。
世田谷の住宅地によくぞここまで遺構が残ってくれたと思いました。
また、隣の豪徳寺にも少々の空堀跡と土塁が残っていました。
ここ世田谷城址は、住宅地の中の憩いの場である公園でもあり、我々城好きには土塁などが残る特別な異空間になっておりました。
この隣にある豪徳寺は井伊家の菩提寺です。
都内に井伊家の菩提寺?!なんて驚いてしまいました。
井伊家といえば彦根城や岩村城などが浮かび、そこら辺の印象でした。
そういえば徳川家は関東に移封してましたよね。
このお寺には歴代の井伊家のお墓もあり、その中に桜田門外の変で有名な井伊直弼の墓もありました。(写真の10枚目)
世田谷城址に来た際は、公園だけではなく豪徳寺もご覧になられてはいかがでしょうか。
+ 続きを読む
♥ いいね
21人が「いいね」しています。
2019/02/05 00:17
2019/02/05 00:15
「お」がつかない台場 (2019/01/20 訪問)
全国に約800基造られた台場のうちのひとつです。
埋め立てによってほぼ地中ですが、民家の裏に露出している石垣を見ることができました。
船溜りだった台場公園には丁寧な解説板があり、その中の明治30年代の写真が、埋め立てが始まってはいるものの扇型の台場も船溜りの様子もわかりやすいものでした。
台場公園からぐるっとまわって行った星野町公園にも露出石垣がありました。
3年ほど前、旧東海道を品川宿から川崎宿までウォーキングした際、勝島運河の近くに浜川砲台がありました。ペリーの再来航に備え土佐藩が設置した砲台で、復元された大砲が公園にあります。土佐藩下屋敷が近くにあったそうで、龍馬像もあり、幕末維新期を感じられるところでした。
ちなみに私の旧東海道を歩き通す夢は緒戦の品川宿〜川崎宿で挫折しました。(そもそも日本橋から行っていないけど。)
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2019/02/04 22:08
2019/02/04 21:50
2019/02/04 21:22
水攻めで有名な城 (2019/02/02 訪問)
秀吉の水攻めといえばこの城です。でも城址にはあまり遺構はのこっておらず残念。周辺には築堤の跡や清水宗治公自刃の地などがあります。少し山を登りますが石井山の秀吉本陣跡や太閤岩も訪れてみてはどうでしょう。城址の資料館には水害であのあたりが浸水した時の写真があり、水攻めがで実際どのようになるかがよくわかります。
+ 続きを読む
♥ いいね
9人が「いいね」しています。
2019/02/04 20:43
せめて中には入りたかった・・・ (2015/03/20 訪問)
千早城と高取城を見る為に車で東京から遠征してきた時、1日目最後に立ち寄ったのが水口城。
到着した時は既に18時に近かった為、もちろん門は閉じておりましたorz
実はこの前にすぐ近くにある水口岡山城を先に見学しようとしていたのですが、車を停める場所が見つけられず、暗くなる前に水口城に移動してきたんです。
そのロスタイムで日没を迎えてしまい、見学出来たのは正味15分程度orz
写真ではまだ明るそうにみえますが、ここから日の落ちるの早い事w
なんとか虎口門とそこにかかる橋、外周の水堀と石垣だけはきっちり見学できました。
水口城のサイズは城主だった長束正家と同じく、そんなに大きくは無かった(少なくとものぼうの城で演じられた長束正家は小さい人物だったw)ので、手軽に見学できると思います。
外観だけでも無理やり立ち寄っただけの価値もありましたので。
4月以降にこちらの方面に行く予定があるので、うまくいけば水口城と水口岡山城のリベンジに向かいたいですなぁ(願)
+ 続きを読む
♥ いいね
17人が「いいね」しています。
2019/02/04 20:20
2019/02/04 20:19
いやでござんす(1853)ペリーさん。 (2019/02/03 訪問)
ペリーさんが浦賀に現れたのが1853年。
黒船が江戸に近づく事を恐れて11基の台場を設置しようとしました。
翌年5基、完成したそうです。
は、早い!
幕府も慌てたんでしょうね。残りは資金不足で完成しなかったり、着工しなかったそうです。
台場公園になっている「第三台場」に行きました。
火薬庫やかまどの跡がリアルに残っています。
この火薬庫等が台場の回りを土塁(と言う表現かは??)で囲み低い場所にあります。
船のペリーさんからは台場の内部は分からないでしょうね。
入口に案内板があり、よく見てから下ると良いと思います。
この日、東京は暖かったです。
たくさんの方がノンビリしました。
+ 続きを読む
♥ いいね
18人が「いいね」しています。
2019/02/04 10:45
木造復元された三重櫓と石垣は圧巻 (2019/02/02 訪問)
東北の玄関口・白河にあるお城。丹羽長重が現在の形に整備し、歴代藩主には寛政の改革で有名な松平定信などがいます。
当時の建物はすべて戊辰戦争(白河口の戦い)で焼失してしまいましたが、平成になって日本ではじめての天守相当建築物の木造復元がされました。また、東日本大震災では石垣が崩落しましたが修理が進み、今は震災前に近い形で見学が可能です。
戊辰戦争、木造復元、震災からの復興など色々な側面から見ることができるお城で特に好きなお城の一つです。
+ 続きを読む
♥ いいね
11人が「いいね」しています。
2019/02/04 08:10
広大な平山城 (2019/02/02 訪問)
埼玉県比企郡嵐山町の杉山城跡❗️平山城です。
先日の忍城について、続100名城のガイドブックを見てましたら、次のページに有りました。
山城好きなので、攻城しました。
この城跡、土塁、空堀が好きな人にはたまらない城ですね😀
城主は山内上杉氏で扇谷上杉氏に対抗して築城したとの事。国指定の史跡です。
そして、この比企郡には多くの城跡が有り、これから攻め方を考えなくてはと思うと、うれしい悲鳴ですかね(笑)
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2019/02/04 06:21
山城サミット加盟 (2019/01/20 訪問)
新規の山城サミット加盟城郭を攻略するのは何年ぶりになるでしょうか。麓の成田山不動尊から尾根伝いに曲輪が連なっていますが、途中、大きくえぐり取られてしまっている部分があります。森将軍塚古墳の整備に際しての破壊だったようです。土取された部分の先にも曲輪が連なり、堀切から竪堀が尾根の両側に落ち込んでいるという典型的な戦国山城の佇まい。城主の屋代氏は荒砥城に移っていき後世の改変を受けていない貴重な山城遺構であるとのこと。主郭には土留めの石積みも見られます。
+ 続きを読む
♥ いいね
10人が「いいね」しています。
2019/02/04 02:25
水堀 (2018/08/21 訪問)
周囲を囲む水堀と櫓門、土塀が良い雰囲気を醸していると思います(^^)
+ 続きを読む
♥ いいね
3人が「いいね」しています。
2019/02/04 02:14
街中の城跡 (2018/01/05 訪問)
交野郵便局周辺の南から東側にかけて遺構が点在しています。開発されず残っているのが奇跡的(^^)
+ 続きを読む
♥ いいね
4人が「いいね」しています。
2019/02/04 00:03
武士の内職 (2019/01/22 訪問)
房総丘陵の標高145m 尾根上に構築された本丸と西方に約150m離れた二の丸を中心に四方に広がった尾根に設けられた空堀と主な郭によって構成されている連郭式山城です。別名:雨城。
戦国時代から続いたこの城も1679年に土屋氏が改易後に廃城になります。1742年に上州沼田から3万石で譜代の黒田氏が移封され、幕府から5千両を拝領し、3年の歳月をかけ修復、再建しました。現在の遺構のほとんどがこの時の普請のものだそうです。
駐車場から、二の丸跡の資料館や本丸跡の模擬天守に向かう途中に自由に借りれる、野趣あふれる天然木の登城用の杖が非常に役立ちます。こういった心遣いが嬉しいです。
この久留里の地は、付近の山に自生する黒文字の木を材料に江戸時代から、藩士たちの内職として爪楊枝が作られていたそうです。廃藩後も俸禄を失った士族が収入を得る為に製造が続けられ、明治末期から大正期に細工楊枝とした工芸品的要素が強まり、一躍有名になります。
現在、雨城楊枝として千葉県伝統工芸品に指定されています。久留里にお越しの際には、登城の記念にお土産に如何ですか!
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
✕
人が「いいね」しています。