鶴丸城の御楼門の復元が2020年3月完成予定で進められていますが、御楼門建設のために岐阜県産のケヤキが提供されています。何故、岐阜県が提供するのかは、以前の三重県の桑名城の投稿でも触れさせてもらいましたが、薩摩藩士が多くの命を落とした「宝暦治水」が関係しています。
以下、鹿児島県のHPより
贈呈された岐阜県産ケヤキは,樹齢約300年以上,幹周り4メートル・長さ8メートルもある立派なものであり,所有者の御先祖が宝暦治水工事の幕府方水奉行の関係者であったことから,鶴丸城御楼門復元の事業主旨に賛同され,提供していただいたものです。
以下、岐阜県のHPより
江戸時代中期の1755年(宝暦5年)、薩摩藩は岐阜県南部を流れる木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)流域の治水工事を完成させました。宝暦治水といわれるこの工事は、徳川幕府が薩摩藩に命じた堤防を作る工事で、非常に困難なものであったため、薩摩藩は多額の借金を抱え多くの犠牲者を出しました。
流域に住む人々は、洪水に苦しむことが少なくなったことを喜び、工事に従事した薩摩藩士を「薩摩義士」と敬い、その偉業をたたえました。
その精神的な絆をもとに、岐阜県と鹿児島県は、昭和46年7月27日に姉妹県盟約を結びました。
姉妹県は他に聞いたことがないので、岐阜県が鹿児島県に恩義を感じているのが分かるような気がします。
北御門跡から城山である上山城への登城途中に薩摩義士の碑がありました。碑の下に木曽三川の水がペットボトルに入れられて供えられており、胸が熱くなりました。
岐阜県との絆の形でもある御楼門の復元。本当に楽しみです。
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