トイレまでこだわる松本城。
美意識の高さが伝わってきます。
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2018/12/22 14:28
2018/12/22 11:27
大和大納言百万石の巨城! (2018/12/16 訪問)
斑鳩の里散策からのー筒井城探索からのー…で、近鉄筒井駅まで戻ってきた時点ですでに時刻は15:40を過ぎておりまして、季節柄ちと時間的にヤバめかなと考えつつ。「…いや、筒井順慶つながりでもあるし、ここまで来たら行かぬテはないだろう」と思い直して、急ぎ目ではありますが念願の大和郡山城を訪れました。
大和郡山城は、筒井順慶が筒井城から本拠を移し、後に豊臣秀長が大和・紀伊・和泉百万石の太守として入城すると、城下町を整備したり、今に残る石垣を築いて付櫓を付随させた五層の天守を造ったりと大改修を加えました。
大和大納言家が断絶すると増田長盛が入り、総構えを築いて城下町をスッポリ囲んじゃいます。
後に天守が徳川家康の命により二条城に移築され(後に徳川家光の命により二条城は大改修、それに伴い慶長度の天守は淀城に移築されます)、以降天守は築かれることはありませんでした。
江戸時代に入ると水野勝成が入るもすぐに福山に移封、その後は本多、松平、また本多、また松平と目まぐるしく代わり、享保になって柳澤吉里(かの徳川綱吉の側用人として仕えた柳澤吉保の嫡男。綱吉の御落胤説もあるとか…)が入ると代々続いて明治を迎えました。
16:00過ぎ、郡山に到着。
すでに薄暗くなりつつあったので永澤寺(柳澤家の菩提寺だそうです)に移築された城門と城下町、総構えの遺構は泣く泣く諦めました。次回の楽しみとしましょう…(泣)。
さて、市役所近くに石垣が残る柳御門跡→鉄御門跡を経由して入城。この付近にも水堀が残り、お堀端を近鉄がビュンビュン通っています。
鉄御門跡を通ると目の前に壮大な毘沙門郭跡の石垣と内堀が見えます。鉄御門跡より内は二の丸跡と陣甫郭跡。かつて御殿が建ち並んでいた二の丸跡は現在郡山高校が建っています。
陣甫郭跡を内堀沿いに進むと木造で復元された追手門と東隅櫓が堂々と建っています。櫓門形式で多聞櫓と二重櫓でコの字に囲んで枡形を形成して、かなり威圧的な構えです。
追手門をくぐると左に折れ曲がり、かつては石段を登り切った先にも門があって内枡形となっていまして、追手門はさながら二重枡形。かなり堅固な構えです。
そしてその門跡をくぐれば巨大な本丸と天守台の石垣が目の前に!
ここから本丸に向かうには左に行くなら只今復元工事真っ最中(厳密には石垣修理の真っ最中)の極楽橋が架かっていた白沢門を通るか、右に通ればグルッと回り込んで竹林門を通らねばなりません。どちらにしてもこちらの動きは本丸から完全に丸見えで、ずっと本丸からの攻撃にさらされ続けるワケです。本丸に近づくにつれて威圧感が増しますね。
そして竹林門跡を通ればいよいよ本丸跡、そして天守台!デカい!興奮度Maxです。
本日のお目当てである天守台ですが、最近の調査で現在の石段を登るルートと異なり付櫓から地階を通り侵入するルートだったことが判明しております。
それにしても…転用石、多いですねぇ。天守台に特に多く使われてるような気が…。有名な『さかさ地蔵』もそうですが、普通に福知山城みたいに組み込まれた墓石、平城京の羅城門(伝)を使った隅石、石段に使われたどっかのお寺の礎石、そして露出展示の礎石にはナチュラルに梵字が…。
大納言、相当石集めに苦労したようですが、過去の大和の権力の現れともいえる宮跡や寺社の礎石を下敷きにして、その上に五層の天守…これにより徹底的に豊臣政権の権威を誇示しようとした、というのは考えすぎでしょうか。
そうそう、もちろん眺めも抜群でしたよ!遠く奈良市内、若草山も望めます。
ということは、天守が建っていたならば、奈良市内からも城がしっかり見えたということでしょう。威風堂々、カッコいい…!
余談になりますが、来たる平成31年元旦早朝に、天守台から初日の出を拝むイベントを行うそうです。甘酒も無料で振る舞われるそうです。機会のある方、如何でしょうか?
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2018/12/22 10:56
ワンコにも優しい明石城 (2018/11/24 訪問)
絶好の攻城日和。
青空に白い2つの櫓がとっても映える!
残念ながら補修中のため壁が覆われていましたが。。
城跡は明石公園として整備されているのですが、本当に広くて緑が溢れていました。
武蔵の庭園があり、そこではピクニックをしたり、絵を描いたりたくさんの人がくつろいでいたり。
また、あちこちでワンちゃんを見かけました。武蔵の庭園はもちろん、公園内はワンコokのようです。
「ワンちゃんは悪くありません。飼い主のマナーの問題です」という看板がたくさんあり、明石市素晴らしい!と、感動。
うちも連れてくればよかったなー。愛犬家の方は是非連れて行ってあげてください☆
この日は坤櫓の内部を公開していました。
立派な天守台がありますが、天守は築かれることなく、この坤櫓が天守代わりだった模様。
巽櫓と坤櫓は月毎交互に内部公開しているようです。
日本に12基しか現存していない貴重な三重櫓。事前に要チェックですね。
明石城前の広場では流鏑馬のデモンストレーションも行われており、目の前で大迫力の流鏑馬を見ることができました!
かっこよかったー☆本番は2019/5/11とのことです。行けたら行きます!
そして明石城に来たら絶対外せない「明石焼き」!こちらでは玉子焼きというようですが、これがまたほんっとうに美味しい。みじん切りの三つ葉をたっぷり入れた出汁がたまらない!
明石城攻めと玉子焼きはセットでどうぞ♪
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2018/12/22 06:07
忍城に行く前に
忍城に行く前に立ち寄ってみました。遺構はほぼ消滅しているようですが、城址碑があるだけでもうれしいものです。
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2018/12/22 00:17
遥かなる上州 (2013/07/20 訪問)
御館(おたて)の乱の舞台となった御館ですが、個人的には関東管領上杉憲政公が上野国平井城を追われて、ここで過ごしていたのかという印象が強いです。憲政公が越後に落ちのびたことにより、上杉謙信が誕生することになるわけですが・・・結局、憲政公は旧領復帰は果たせず、ここ越後で亡くなってしまいます。その最後も、御館の乱で上杉景虎公の和睦の使者として上杉景勝公の元へ向かう途中で、景勝派の者により殺されてしまうという元関東管領としては悲しすぎる最期でした。
そんな憲政公がいた御館も、現在は御館公園になっています。
現地の説明では二重の堀があり、東京ドーム1.6倍の大きさがあったそうですが、主郭跡の公園は南北50m×東西50m程の広さです。館跡の南側は線路になっているのですが、そこから春日山城を見ることができます。
春日山城から徒歩で訪れたのですが、5kmで1時間くらいでした。春日山城から越後府中への道、きっと、謙信公も通っていたのだと思うと幸せ過ぎて、この日は合計4万歩を越えたのですが、疲れたなんて思い出全くなく、上杉ーズハイに覚醒していたようです。
憲政公、平井城に帰りたかったのかな?それとも海が近くでここが気に入っていたのかな?なんて想像していましたが、でも、やっぱり憲政公は平井城に戻して、関東の地で眠らせてあげたかったです。
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2018/12/21 23:41
湖南、湖北の境目の城のひとつ (2018/12/15 訪問)
鎌刃城から米原まで戻る途中で寄りました。
米原高校のあたりから井伊直政が整備した深坂道を通りましたが、なかなかよい雰囲気で、女子が好きそうな古民家カフェもありました。
湯谷神社の登城口から入城。最初のうちはなだらかで心地よい散策路だったのですが、だんだん道が狭くなって、傾斜も出てきて、崖際すれすれになってきて、落ち葉もすごくて…、写真③の感じです。こんな道でも「遊歩道」と言ってしまう滋賀県、さすが山城の宝庫…。
何とか北城の堀切に到着。ここからがほんとのスタートのようですが、もう限界だーっ!と思ったので、ここをゴールにしてしまいました。
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2018/12/21 22:35
唐津城
前回全力で駆け上った本丸にはエレベーターで行けることを知って愕然(笑)。名護屋城図屏風を模した天守は存在すら怪しいが威風堂々としてるしまあよしとしよう。しかし「唐ワンくん」はこれでいいのかw
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2018/12/21 20:10
信長の褒美 (2015/03/20 訪問)
以前家を深夜0時に出て車で滋賀県を目指した時、途中で休憩がてら立ち寄ったのが沓掛城。
以前から各サイトで見てて一度行きたかった場所です。
愛知県の中地区にして遺構が残っていたので是非来たかったものの、公共交通機関での訪問が難しかった為、車で遠征したこの日やっと来る事が出来たって寸法ですw
近年漫画「いくさの子」を読んで存在を知った梁田政綱に、桶狭間合戦にて今川軍の侵攻をいち早く信長に告げた事を一番手柄としてここ沓掛城を賜ったとされたみたいですね。
沓掛城は現在公園となっていて、土塁・堀等のシンプルな遺構が見られます。
沓掛城近辺はお城の多い愛知県には珍しく、周囲4kmの近場にお城が無く(自分の調べた限りでですが)、一番近くの史跡が桶狭間古戦場関連になるみたいなので、複数の史跡を合わせて見学するにはちょっと中途半端な位置になるのが難点でしょうか・・・
沓掛城址公園には無料駐車場もあるので、車での訪問が無難でしょう。
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2018/12/21 19:52
膝が大爆笑。 (2018/12/09 訪問)
今まで運動をしてこなかった私には、小田急線の「向ヶ丘遊園駅」から「枡形城」のある生田緑地までの坂道がきつかったです。
いやいや、生田緑地の入口に着いたとき、目の前の長い山階段で、膝と相談。膝がOKだと言うので登りました。
そこからも、しんどかったです。
膝が笑うどころではなく大爆笑でした。
立河原の戦いで北条 宗瑞、今川 氏親が「枡形城」に入城してから立河に向かってます。
先人たちの体力、頭が下がります。
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2018/12/21 14:22
彦根城 (2018/08/19 訪問)
ひこにゃんと石垣など
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2018/12/21 12:18
天下人の証 (2018/12/16 訪問)
なんだかんだ言いながらも、今の模擬天守の堂々たる姿も好きなんですが、大阪城といえばやはり、幅広く深い堀と幾重にも屈曲した石垣、そして桁外れの巨石たち! 普通の規模のお城を巡ってから大阪城に来ると、改めて壮大なスケール感に圧倒させられます。
豊臣期には天下人の絶対的な権力の象徴として、徳川期には豊臣の時代が終わり徳川の天下となったことを誇示するため、比類の無い城として築かれた、まさに天下人の証としての城といえるでしょうか。
…などと考えていたら、昨日、徳川期の大坂城は将軍の居城とすることを想定して築かれたとする書状発見のニュースが! つくづく天下人のための城なんですね。
この日は、大手口から桜門を経て天守に登り、極楽橋を渡って京橋口に抜けるというルートで、所要約2時間半。西の丸庭園(乾櫓、焔硝蔵)や一番櫓、玉造口なども巡れば計4時間はかかるはず。やはり大変な巨城ですね。
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2018/12/21 06:15
続日本100名城スタンプ79個目 (2018/12/15 訪問)
スタンプ置き場所の嵐山町役場はとてもきれいでした。立派なパンフレットも手に入ります。これが三度目の杉山城ですが、細かく折れている空堀や土塁には、いつも見とれてしまいます。南郭から入り、北郭に抜けて本丸に戻り東三の郭まで脚を伸ばしました。
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2018/12/20 21:26
麓の飼い猫だったそうで (2018/12/16 訪問)
土日遠征の最大の目的地・ついに備中松山城登城致しました。
前日黒井城から駅へ戻る途中で事前に高梁市観光案内所へ連絡し、翌日備中高梁駅から乗り合いタクシーにて8号目・ふいご峠まで(片道500円)運んで頂きました。
帰りのタクシー送迎時間まで80分くらいだった為、そこから寒い中急いで700mの登りを休みなしで進んだおかげで、大手門跡の絶景の所では息切れ・喉痛で失速orz
大手門で撮影しながら休みつつ本丸までの石垣祭りを進み、本丸の有料区間へ。
中では何やら人だかりが出来ていましたが、どうやら猫城主・さんじゅーろーをTV局が撮影に来ていたみたいで、一般の方々にかわるがわるさんじゅーろーが抱っこされていました。
・・・心なしか嫌そうに見えたのは気のせいでは無かったと思うww
さんじゅーろーは麓で飼われていたのが、天災(台風か何か)で驚いて山上に登ってしまったところを保護されたんだそうな。
飼い主に返してあげなかったのかな?とちょっと疑問w
天守はざっと見学し、その後裏手に回って二重櫓、後曲輪周辺、搦手門等を見学。
時間あれば更に奥の大松山城まで行きたかったですが、流石に時間足らず。。。
よくこんな険しく高い山上に石垣だけでなく天守まで築いたもんですよ。
間違いなく一見する価値はあります。
・・・しかし、高い所苦手な方には結構厳しいかもしれません(正直二度登るのは躊躇します(冷汗))
が、城下町見る時間なかったので、再訪した際には城下町メインで行きたいですね~
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2018/12/20 19:57
ふわふわのお城跡。 (2018/12/15 訪問)
「謙信一夜城」の後に「古屋城」に行きました。
一夜城が住宅街の公園でした。古屋城の近くに行くと建設中のお宅や区画整理されている地域だったので心配しました。
後で調べて分かったのですが、少しの間、発掘調査や公園整備の為、立ち入り禁止になっていたそうです。
入口には新しい看板がありました。
入城すると地面がふわふわ。これは落ち葉のせいか公園の配慮か、不明です。
「雲の上を歩いているみたい」なんて乙女な事を言いたいのですが、私「よたよた」しているようにしか見えないでしょう。
新しいお宅に若い家族が引っ越して来た時の為に 、「児童公園」を作ってください!
「古屋城」のふわふわ、子供たちは大好評だと思いますから!
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2018/12/20 19:49
2018/12/20 16:46
呪いの木
とある木を写真でとろうとしたら友達も私も二人とも携帯を落としました。
という話を友達から聞きました(笑)
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2018/12/20 12:12
堀や小口や土塁など、見所のある城跡です (2018/11/27 訪問)
小高い山の上にある腰越城です。
竪堀、横堀も見ることができ、珍しい囮小口も確認できました。
皆様の投稿にもあるように車は城跡の入り口の近くにあるセンターパトリエの広い駐車場に停めることができました。
入り口の看板を目印に登城を開始です。
山に入るとすぐに雰囲気のある柵のある入り口です。
そこからまっすぐ進む本格的に山の上へと続く階段がありますが、この階段にはなかなか息が切れました。
登り切っていよいよ城跡ですが、案内板や階段なども整備されていて見学しやすいようになっていました。
わかりやすい竪堀や横堀はもちろんのこと、囮小口などの所々のポイントも見過ごすことなく押さえることができました。
本郭やニノ郭などの構図や、それぞれの郭までの堀、それを仕切る竪堀など見所が満載です。
また、食い違い小口など、城跡の欲するポイントもありますが、その中でもなんといっても囮小口がいい!
一見普通の小口のように登るといやいや、罠です。
囮小口には騙されてしまいました。
なるほど、これは面白い。
当時は面白いでは済まされないでしょうけど。
わずかですが、石垣も見れてかなり満足な城跡でした。
中世城郭を確認する上では理解しやすい素晴らしい城跡ではないかと思います。
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2018/12/20 06:52
続日本100名城スタンプ78個目 (2018/12/15 訪問)
スタンプ置き場所の嵐山史跡の博物館に嘗ては、国史跡・比企城館跡群の菅谷館、杉山城、小倉城、武蔵松山城のリーフレットが置いてありましたが、なくなっていました。小倉城の城内にはそのリーフレットがありましたが、菅谷館、杉山城のものはありません。もっと立派なパンフレットを作ったからなのでしょうね。博物館の企画展・越山~上杉謙信侵攻と関東の城、興味深く拝見させて頂きました。
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2018/12/20 00:16
二本松の松は二股と聞く。今度確かめに参る! (2018/06/16 訪問)
名作大河「独眼竜政宗」で政宗(渡辺謙)が二本松畠山氏の当主義継の面前でそのコウモリ外交を揶揄したセリフです。当主を継いだ直後でイキっていた居丈高な態度が悲劇を生むわけですが…。そんな二本松城、戊辰戦争では二本松少年隊の悲話が残るなど、歴史の表舞台にたつものの悲劇の城というイメージです。登城口に向かうと、まずは二本松少年隊の迫力ある銅像がお出迎え。そこから正面を眺めると左右に広がる高石垣の上に、二層隅櫓、櫓門、多聞櫓、土塀などが復元されており、このお城の「宣材写真」で使われる構図が広がっています。箕輪門をくぐって三の丸へ進むと二股どころではない立派な枝ぶりの松が何本もありました。山頂の本丸は徒歩でも行けますが、時間の都合で一旦戻り車で移動、対向車きたらアウトの狭い道を上ると駐車場に到着、歩くとすぐに展望が開けて迫力の本丸石垣が現れました。平成に入っての復元とのことで、最初は巨大な天守台のように見えましたが、石垣の上全体が本丸で天守台はその中にさらに積まれており、ほか複数の櫓台跡で構成されています。スゴイので必ず寄ってください。
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2018/12/20 00:11
祈恋 (2013/07/20 訪問)
春日山駅から徒歩で訪問しました。駅から大手口入口まで徒歩25分くらい。大手口から南三ノ丸屋敷跡、柿崎和泉守屋敷跡、景勝屋敷跡、井戸曲輪、実城(本丸)跡まで、写真とりまくっていたので1時間くらいかかったのですが、普通に歩けば25~30分程の道のりだと思います。多数の方は春日山神社の方から登城すると思うのであまり役に立たない情報かもしれませんが・・・
春日山城の麓にある林泉寺も上杉(長尾)氏以外にも、堀氏や榊原氏の墓等があるので、堀氏や榊原氏が好きな方なら訪れてよいと思います。私が訪れた時も堀氏の墓の前で熱心に手を合わせている一人の女性の方がいて、非常に印象に残っています。堀氏の墓は堀秀政・秀重・秀治のものは確認できました。
また、林泉寺にあった大槻磐渓(おおつきばんけい)翁の春日山懐古の漢詩も胸を打ちました。
江戸時代に既に謙信公を慕って春日山城へ来て往時を懐古する人がおり、自分も磐渓翁に遅れること100年以上経って、同じように春日山城と公を懐古している。なんとも不思議な感情になりました。
最後の写真は大正初期の春日山城の絵葉書です。昔、ヤフーオークションで落札しました。手持ちの中で一番古い春日山城の写真です。今見ることができる春日山城よりは公の時代には近いですが、本音は天正時代の春日山城を見てみたいです。タイムマシーンがあれば私が真っ先に見に行く城、それがここ春日山城です。
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