ながいざかじょう

長井坂城

群馬県渋川市


旧国名 : 上野

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中央を縦断する堀切
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しんしんちゃん

山城で撮った写真って後で見ても、良くわからない時がある。 (2023/04/30 訪問)

長井坂城は東(北)の永井川、西の利根川に挟まれた断崖上に築かれた城で
北側に向かって窄まる、やや三角形に近い形状をしています。
南北260m、東西180mの城域を持ち、中央を大堀切が南北に縦断して城域を
左右を分断しています。西の城域は北から馬出し、本丸、三の丸が配されています。
東の城域は二の丸を囲うように三の丸が配され、三の丸の北側が駐車場に
なっていたはずなのですが、ひょっとして、この畑がそうでしょうか。
城址碑のあるあたりの空間は畑になって、ワイヤーが張られていますよ。

本丸、二の丸の周囲には土塁が残っていて、本丸の虎口は南東側に
二の丸の虎口は北東側についているようです。
なかなか迫力のある遺構が残っている良い城跡だと思います。
ただ写真を見てもどの遺構の部分か微妙に記憶が定かではありません。
おおよその見当は付きますが、もう一度機会があったら
じっくり散策してみたいと思います。まだ三カ月しかたっていないのですが‥

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赤い城

関越道のトンネルの上 (2022/06/22 訪問)

県道255号線から少し入ったところに案内板があるもののここからが分かりにくい。
畑の中の細い道を迷いながらやっと到達しました。
ちょうど関越道の長井坂トンネルの上にあります。
畑の脇に車を置き、城跡に入っていくと曲輪があります。
さらに進むと追手口の標柱がありました。
そこから長い堀底道が続いていて左手に本丸。
本丸は土類に囲まれています。
本丸から堀切を挟んでさらに先には馬出。
その先、畑となっている三の丸に説明板が立っていました。
二の丸も畑ですが土塁は残っていました。
築城は不明ですが上杉謙信が関東出兵の際に着陣したとされています。
その後は真田氏、北条氏によって改修されています。
関越道を見下ろす眺望も含め、苦労が報われる城でした。

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カズサン

道に迷いながら念願の初登城 (2021/10/09 訪問)

 コロナウイルス5波解除明けの群馬未踏の城、チョイ寄り城廻り、念願の小川城、チョイ寄りの名胡桃城、沼田城を終えて古城盛衰記さんの案内ガイドでナビに近くを指示し走行、案内の県道255号線を行くものと思いきや沼田から農免道路を通って台地の上昭和村の開墾農地内を走るガイドに従い裏から入るルート、ナビ精度が悪く手前を曲がり関越道の上を越え異変に築き走ってると長井坂城3kmの指示看板を見つけそれに従い関越の上を越えて走り途方に困りレタスの収穫をしてる農家の若い方に聞き確認、結局曲がった元の所に戻り元の進行方向から500m程の所に長井坂城指示看板が有り細い砂利道小型車ギリギリの幅を通り本丸跡入口(36°35'9"N 139°3’59”E)に到着、不安に成り歩いて登ると駐車場が在り車を駐車場(36°35’10”N 139°35'10"E )を利用三の丸の前に在り3、4台は可能。

 三の丸は畑、二の丸も畑で三丸より数メートル高く案内看板と城名標柱が建ってる畑には害獣駆除電線が張って有り入れない、堀虎口を入り三角形下馬出左右に堀、一つは沼田街道の標柱、崖下から馬出、本丸、二の丸間の堀底道を街道が通っていたのか?、馬出堀から本丸に登る細長く広い杉林が乱立、本丸の東は土塁が高く南北に伸びている、土塁上中央に本丸の標柱、西は利根川に落ち込み崖に成ってる、本丸と二の丸間は街道?幅広の堀に成って南北に、二の丸と三の丸の間は埋められ畑に、南に廻ってところが堀として残ってる、全部は回り切れましんでしたが余呉図コレクションさんの俯瞰図が探訪に役立ちました。
 誰もいない一人っきり利根川に落ち込む崖は足がすくみゾッとします、堀、土塁、虎口、本丸が良く残って呉れたと感謝です、謙信公も使い北条氏真田氏の攻防の地、現在関越道の真上です。

 登城を終えて来た道を戻らず崖下の九十九折れの道を降りると古城盛衰記さんガイドの県道255号線に辿り着けます、合流点に長井坂城の指示板が2か所あり。
 県道255号線は崖下利根川沿いの細い厳しい道です、利根川を渡って国道17号線に出るとホッとします。

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あきおこ

山上の断崖に築かれた横堀を多用した城 (2018/08/13 訪問)

関越自動車道を見下ろす断崖上に城があります。周囲は農道となっておりやや道が狭いですが車で訪れる事ができます。駐車場は無いので農家の人の邪魔にならない様空き地に停めさせていただきましょう。主郭は西側が断崖となり三方を土塁と横堀で囲んでいます。土塁と横堀の高低差はあまり無く防御性は低い感じです。主郭には桝形状虎口が確認できます。主郭の横堀外側には三角形の馬出がありますが、開墾された為か土塁は無く馬出として機能していません。主郭東に二の郭と三の郭が連郭式に設けられ現在は畑地になります。二の郭の土塁と横堀はよく残り東南に横矢を掛ける張出があります。二の郭の横堀は藪がひどくて深さを確認出来ませんでしたが、土塁からの高低差は主郭より高く防御性は高いと感じました。二の郭南に横堀を隔ててほぼ自然形状の小山がありますが物見に使われたと言われます。上杉によりこの城が築城されたといいますが、防御性の低い主郭は上杉、防御性の高い二の丸などの外郭が北条による築造、なんて思ったりもしました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 上杉謙信
築城年 永禄年間(1558〜1570)
主な城主 上杉氏、猪俣邦憲
廃城年 天正18年(1590)
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
指定文化財 県史跡(長井坂城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 群馬県渋川市赤城町棚下綾戸582他/利根郡昭和村
問い合わせ先 渋川市教育部文化財保護課
問い合わせ先電話番号 0279-52-2102