桜の高遠、高遠の桜。高遠と言えば、ですが桜が丁度散った後で、GWにも関わらず空いておりました。ここの桜は明治8年に旧藩士らの手によって植えられたタカトオコヒガンザクラ🌸という固有種で長野県の天然記念物だそうな。
城内にあまりにも多くの桜の木があることから曲輪の見通しが悪いですが、それでも深い空堀跡がよく分かりました。
正直、スタンプのリベンジで訪れましたが、若かりし頃は見向きもしなかった空堀や曲輪の配置などに目が向き、自分自身の成長(老化?)を感じました。
さてさて、大手門石垣跡から駐車場となっている勘助曲輪に車を停め攻城開始です。
二ノ丸門跡横の高遠閣でスタンプゲット。
天下第一の碑を見て二ノ丸から桜雲橋で内堀を渡り本丸へ。太鼓櫓辺りから冠雪した山々が望めました。
本丸から南曲輪、法幢院曲輪へと進み、折り返して竪堀の深さを確認しました。
駐車場におられた案内の叔父さんから織田方と壮絶な戦いを繰り広げた仁科五郎盛信について熱く語っていただきました。
伊那谷に侵攻した信長は天然の要害から攻めあぐね、三峰川上流から二万の大軍で折り返し攻城したとのこと。
高遠城を落とした織田信長が丁度3カ月後に光秀に討たれたらしく、人生の悲哀と因果について話されておりました。
江戸期の名君 保科正之所縁の地でもあり、地元での顕彰ぶりは熱いものがあります。
桜の時期でなくとも素晴らしいお城でした。
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