遺構がこれほどしっかり残る山城は稀有。整備もやり過ぎず、丁度いいバランス。駐車場は隣接する中学校に用意され、トイレも借りられる。解説展示が町役場にあるが、これがシャビーなのが残念。
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2019/06/27 13:21
土の城の傑作 (2019/01/04 訪問)
遺構がこれほどしっかり残る山城は稀有。整備もやり過ぎず、丁度いいバランス。駐車場は隣接する中学校に用意され、トイレも借りられる。解説展示が町役場にあるが、これがシャビーなのが残念。
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2019/06/27 13:15
規模の大きい館跡 (2019/01/04 訪問)
国道沿いに大きなサインがあり、とても分かりやすい。中世の武家の館だが、堀・土塁など大規模で、良く残っている。資料館が併設されているが、肝心の菅谷館の情報が少ない。
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2019/06/27 13:09
それなりに整備された山城 (2018/12/17 訪問)
県の史跡。茶畑で覆われた山の上にあり、城址公園として整備されており、土塁・空堀など遺構もしっかり残る。無料駐車場が山裾にあるのに、舗装された道は山上まであり、車で上がれるのに上がれない。茶畑農家のトラクターにこれみよがしに抜かれると、わざわざ歩かされてる感満載で、イラッとした。
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2019/06/27 10:23
2019/06/27 10:19
2019/06/27 10:14
2019/06/27 10:11
2019/06/27 00:40
2019/06/27 00:17
2019/06/26 23:46
城下町も素敵です (2015/11/28 訪問)
岩村歴史資料館に駐車して登城しました。資料館からでも本丸との比高は130m程あるので、足に不安のある方は本丸近くの出丸の駐車場(無料)まで行った方がよいかもしれません。ただ、道が狭いので運転に注意が必要のようです。道中、挨拶した年配の方々の中には「膝が痛い」と言う方が何名かいました。
本丸含め石垣は多いですが、標高の割に眺望はあまり印象に残りませんでした。
城はもちろん、城下町も趣があって素晴らしいです。日本酒の「女城主」を販売している「岩村醸造」さんの店の奥に、天正4年(1576)に川尻鎮吉(河尻秀隆)が岩村城下に整備した「天正疎水」があり、説明もありました。
岩村城と言えば(私の中で)、遠山景任・おつやの方・秋山信友となるのですが、もう一人気になる武将が城主を務めています。伊勢国田丸城主だった田丸直昌です。後に蒲生氏郷の与力大名として須賀川城、三春城、守山城の城主を務めますが、関ヶ原の合戦時に岩村城主となっていました。小山評定で大名達が徳川家康に取り入る逸話はよく伝わっていますが、この田丸直昌はただ一人西軍につくことを表明したとの逸話が伝わっています。実際、小山評定に参加したのかも不明のようですが、そのような噂が後世に残る男がどのような武将だったのか個人的に気になります。
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2019/06/26 23:17
小倉山城
安芸吉川氏の本拠として凡そ150年の歴史を刻む北広島町新庄エリアは、小倉山城を軸とする中世的景観を色濃く残す貴重な場所。お城自体、この地域のモデルケースと呼んでもよいだろう。見学もしやすい貴重な城だ。
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2019/06/26 22:28
日帰りで行く所ではなかった・・・ (2019/06/22 訪問)
公共交通機関で日帰りできる未訪問の元祖・続100名城がほぼ無くなっている中、ここなら行けるか?と言う事で土曜日に行ってきました新高山城。
三原城はスタンプ欲しかったのでタイアップで寄りましたが、できれば高山城も行きたかった。。。
流石に東京から広島は遠かった・・・新幹線とはいえ片道の移動だけで1山城攻略したくらい疲れまして・・・
更に涼しいと予想されていた天気(曇り予報)・気温(最高27℃)にも裏切られ(晴れ+30℃超え)・・・
季節が季節なら道幅も広く、とても登りやすいだろうと思われる新高山城でしたが、この時期暑さもそうですが、なにより虫(藪蝦等)が顔の周りにまとわりついて来て、ものすごく不快な登り下りとなりまして。
そして傾斜自体はそれ程では無いものの、とにかく長いんです・・・息つく間が無く、地味に登りがきつかった。。。
更に登城口のかなり手前から自動販売機等飲料水を入手する場所が無く、準備出来ずに脱水症状寸前になってしまいました。。。危ない危ない(汗)
運動不足・準備不足等重なって、当初駅からお城攻略して高山城回って3時間半程度(新高山城2時間、高山城1時間半)予定していたものの
新高山城だけで予定時間で半分程度しか見れませんでした。
しかも蓄積疲労と暑さで高山城攻略は断念・・・新高山城の詰郭でほぼ同じ標高の高山城見て心が折れましたorz
とにかく登りの辛いイメージが強く残った新高山城ですが、主郭から大手を経て2段程下にあった井戸曲輪は特に圧巻でした。
(井戸が多く、更に家臣団の居館礎の石垣・石積みが満載)
最低限ここを見れたので、とりあえず今回は満足してます。
涼しくなって何かの機会で近くに行けたら、高山城と新高山城の未攻略遺構を見に是非再訪したいものです。
でも次来るなら絶対に泊まりで(東京から広島日帰りは無茶でしたorz)
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2019/06/26 21:17
2019/06/26 20:08
2019/06/26 20:04
コウモリ台場。 (2019/05/11 訪問)
北条 早雲さんが活躍した時代の「権現山城」の後に「神奈川台場」に行きました。
幕末、江戸城無血開城に一役買った勝 海舟さんが設計しました。
時代背景が「権現山城」「神奈川台場」かなり違いますので、悪しからず。
横浜のタワーマンションが見える「台場公園」でした。ちっちゃく「神奈川」も書いてあります。
お台場と間違えないようにの配慮でしょうか?
「神奈川台場」は羽をひろげたコウモリに似ているので「コウモリ台場」とも言われたそうです。
どうも、軍事目的よりも外国人使節団が来た時の礼砲や天皇誕生日の祝砲に使われたらしく平和的です。
現在、神奈川台場地域活性推進協会の方々が保全活動をしてくれているそうです。
ありがとうございます。
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2019/06/26 20:01
又兵衛桜(宇陀松山城近く) (2019/04/06 訪問)
【又兵衛桜】
<駐車場他>桜時期は500円および入場料一人100円
<交通手段>車
<感想>続百名城の多気北畠氏館跡に行く途中に、1月に行った宇陀松山城道の駅宇陀で買った農産物とお米がとても美味しかったので、ちょっと寄り道して購入として又兵衛桜に気付いた。前回はこの宇陀が後藤又兵衛終焉の伝説がある土地とは知らずに又兵衛桜の看板を見てその後調べてそのことを知り、今回は偶然桜の季節に宇陀に立寄ったので「これ幸運、一見しておこう」と思い見た。
駐車場代はちょっと高いが、樹齢300年の桜は見応え十分です。また後藤又兵衛の屋敷跡と伝わる石垣にあるのもすごくいいです。木蓮や桃?もちょうど満開なので楽しめました。
宇陀松山城未登城の方は時期を合わせて行かれるといいと思います。
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2019/06/26 18:34
狭山藩北条氏 (2019/06/16 訪問)
豊臣秀吉の小田原攻めにより関東を追われた北条氏ですが、1万石あまりの小藩ながら氏政の同母弟・氏規の子孫が明治に至るまで狭山の地を治めました。
陣屋跡は宅地化されていますが、上屋敷藩主御殿跡付近の府道198号線沿いの小さな公園に石碑と説明版が建てられているほか、上屋敷跡の西側には水堀代わりの下池が残り、堺市の本願寺堺別院には大手門が移築されています。また、下屋敷跡には昭和13年にさやま遊園が造られましたが、平成12年に閉園した後は住宅地と公園になっています。
狭山陣屋は、日本最古のダム式ため池である狭山池の東畔に築かれましたが、狭山池の北側にある大阪府立狭山池博物館に併設の大阪狭山市立郷土資料館には狭山藩北条氏関連の展示があるようなので、ついでに行ってみました。郷土資料館はあまり大きくなく、狭山藩関連の常設展示もそれなりでしたが、狭山池博物館のほうは、狭山池北堤の断面の移設展示(底幅62m、高さ15.4m!)などなかなか見応えがあり、安藤忠雄設計の建物自体も、通路脇を水が滝状に流れ落ちていたり、迷宮のように何度も曲がったり上り下りさせられるなど、いろいろと趣向が凝らされていて、入館までの道のりも楽しませてもらいました。…急いでいたり疲れていたりすると、イラっとさせられるかも知れませんが(笑)
それにしても、子供の頃、夏はリバープール(流水プール)、冬は屋内スケートリンクとよく訪れていたさやま遊園が狭山陣屋の下屋敷跡であり、人々のために有効利用してほしいと北条氏から寄贈されたことによるものだったとは…。これまであまり馴染みがなかった(好きでも嫌いでもなかった)北条氏に一気に親しみを感じるようになりました。楽しい思い出をありがとう、北条さん!
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2019/06/26 13:00
置塩登山口 (2019/06/22 訪問)
置塩城は標高約370mにある山城。後期赤松氏の本城でした。
文永元年(1469年)に赤松政則よって築城されたと伝えられています。
その後五代目城主則房が羽柴秀吉に服して開城するまで、約110年間城郭が存在した。
(以上 置塩城跡 ガイドブックより)
英賀城の西側を流れる夢前川の上流にある山城 置塩城に初めて行きました。
今回は登山せず、山麓を探索して終わりました。
まずは登山口の北側にある櫃蔵神社(置宮981)へ、大きな銀杏の木がありました。
そして隣の大きな看板から城山を眺めて、登山口の西にある駐車スペースに駐車。
登山口入り口には獣害防護柵が設置されています。
また道沿いの立て看板横には竹の杖があり、それなりの装備が必要かと思います。
入り口にガイドブックが置いてありましたので貰って来ました。
近くには姫路の奥座敷で有名な塩田温泉があります。
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2019/06/26 07:40
英賀本丸、英賀神社、大木之濠跡 (2019/06/22 訪問)
東は水尾川、西は夢前川、南は播磨灘に囲まれた地に築いた平城。
英賀の戦い天正5年(1577年)の地。
黒田官兵衛が率いる500の軍勢で、毛利5000の水軍を撃ち破った。
まずは英賀本丸跡(中浜町2丁目42)は、石碑の前に車を駐車して撮影する。
次に英賀神社(英賀宮町2丁目70)へ、神社入り口の路上に駐車して探索開始した。
此処は何度かきているので、まずは東側に回った。
本殿は工事中で柵の外から撮影する。
西側に回って行くと何とか工事柵内に入ることでき、土塁跡を撮影した。
工事が休みで良かった。次に英賀神社の外へ出る。
外から撮影し、隣の公園にある模擬石垣を写し、車に戻る。
最後は英賀五差路の大木之濠跡に向かう。
北側にあるカメラのキタムラに留めて濠跡へ行く。
石碑と北側を流れる水路(濠跡)を撮影した。
次回機会があれば、水路を巡って見たい。
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