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Mizuki

苗木城 (2013/08/11 訪問)

病院見学したついでの登城。
見事な石造りの城。
続百名城に指定されたので再訪しなくては!

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あきおこ

よく整備された障子堀が残る城 (2017/09/08 訪問)

山北駅がある北側に登城口と駐車スペースがあったので車はそこに停めました。

当日は雨が降っていましたが、近くのシルバーセンターの方が草刈りをしており
我々が整備された遺構を見ることができるのは、このような方々のご苦労のお陰だと
しみじみ感じました。

登城口を少し登るとすぐに尾根を断ち切った大堀切が目前に迫ります。
大堀切の底部に、この城の一番の見どころとも言える障子堀があります。
山中城ほど大規模ではありませんが、畝の高さは結構あり迫力がありました。
大堀切右手の茶臼郭に登ると深い堀底に横たわる障子堀を一望することが出来ます。

主郭と茶臼郭の間に削り残しの郭があり大堀切と合わせ二重堀切となっています。
主郭側の堀切も大堀切より幅は狭いですが障子堀になっています。

主郭は広場になっており南尾根と西尾根の郭に繋がってします。
南側尾根筋に繋がる郭群には遊歩道もあり小規模な堀切も見られますが藪化していました。

西側尾根筋は蔵郭、近藤郭、大庭郭と続きます。
蔵郭の堀切には雰囲気充分な木橋が架けられ、蔵郭と近藤郭間には畝を伴う大堀切があります。
ただ残念ですが大堀切南側は車を通す為か、コンクリートの土橋がかけられています。
北条氏の大堀切の多くは郭間を木橋で連絡しているので土橋は無かったんでしょうね。

近藤郭と大庭郭は開墾の為、堀が埋められ繋がってしまってますが兵の駐屯地に最適な
広い郭面となっていました。

各所で発掘調査が行われ、調査成果が説明板で展示されているので遺構の状況が分かり易いです。








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Mizuki

熊本城 (2014/06/08 訪問)

学会に参加したついでに(登城のついでに学会参加?)、熊本城に登城。
宇土櫓半端ない。
でも、時間の関係で昭和(大天守)と平成(本丸御殿)の建造物には入らず。

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やまびこ

彦根城 (2019/02/03 訪問)

迫力に圧倒。

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やまびこ

二条城 (2019/01/27 訪問)

1月27日に二条城に行ってきました。

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まっつん

【冬とお城】雪の広島城 (2017/01/15 訪問)

これは2年前の写真ですが、この日の朝、カーテンを開けると雪景色。
それを見て「行こう!」という衝動で車を走らせ広島城へ行きました。
ちょうどお休みの日で、ちょうど雪が積もっているタイミングで…っていうのは狙ってできないので、良いものが見れたなと嬉しかったです!

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todo94

続日本100名城のスタンプラリー95城目 (2019/02/10 訪問)

本丸方面は台風被害による土砂崩落で立入禁止が続いています。鶴松館が建つあたりは二の丸なので登城したことにはなるかと思います。2008年に本丸の天守台は確認してあるので悔いはありません。日本最南端の天守を持っていた城というのが続日本100名城の選定に大きなアドバンテージになったのだと思いますが、今でも、私が推薦した都於郡城の方が遺構の素晴らしさの点でも、日向国主の伊東氏の居城であったという歴史的な重要度の点でも続日本100名城にふさわしいと思い続けています。

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柳川三年肥後三月、肥前、筑前朝飯前 (2019/02/15 訪問)

平城ながら難攻不落と歌われた城です。建物などは残っていませんが、掘割が当時を偲ばせてくれます。水門は興味深い遺構です。万一の時はこの水門を閉めて上流の矢部川の堤防を切り崩して周辺部を水没させるようにできていたようです。具体的にどのような状況になるのでしょうか。どこかに周囲が水没した想像図などありませんか。

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べあれん

雪×冬の特別公開 姫路城 小天守群 (2019/02/11 訪問)

2019年2月11日の朝、雪が降る中、姫路城に行ってきた。
目的は特別公開の小天守群であったが、雪化粧の姫路城を見られる貴重な機会となった。
特に東小天守の3階は初公開らしく、そこからの雪景色は非常に貴重だと思われる。
一眼レフを持っていくべきだったと少し後悔。ただ、それでも良い写真をたくさん撮れた。

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TESTU89

山城の楽しみを味わえる山城 (2017/05/02 訪問)

搦め手の山の上まで自動車で上がれます。
そこからは模擬櫓門をくぐって、城の主要部まで何本も切られる深い堀切や竪堀、切岸、目隠しの土塁など、山城の防御施設が体験できます。ここの堀切は深い!!
主要部に入ると、横矢のかかる曲がりや桝形虎口、石垣などの近世城郭の遺構も見られます。
そして何よりここからの北アルプスの眺望がすばらしい。

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TESTU89

小笠原貞慶と上杉景勝が奪い合った城 (2017/05/02 訪問)

筑摩軍と更級郡の境に近く、深志城の小笠原貞慶と北信濃に進出した上杉景勝との間で何度も争った城です。
城跡は比較的よく残っていますが、何より境目の城としての眺望の良さが特長です。

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TESTU89

上杉政虎が陣を敷いた城 (2017/04/21 訪問)

まさに善光寺の横にある山城。
しかし、遺構は少ない。地名や地形から推測するしかないようだ。

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TESTU89

依田信蕃最後の地 (2018/01/13 訪問)

岩尾城は真田昌幸とともに活躍した信濃国衆、依田信蕃最後の地です。
依田信蕃は武田家滅亡後、佐久郡でほぼ唯一徳川家康に与して戦っていた武将です。一時は春日城を追われて滅亡の危機にまで追いやられましたが、真田昌幸との連携により逆転、ほぼ佐久郡を平定するところまで来ていました。数少ない反徳川の拠点であったここ岩尾城を落とすため、陣頭指揮に立っていた依田信蕃・信行兄弟ですが、鉄砲の一斉射撃により討ち死にしてしまいました。その地は丸馬出郭とも三の郭とも言われています。
今も三の郭前の空堀には依田兄弟の供養塔があり、恨めしく三の郭の切岸を見上げています。

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TESTU89

奇跡的に残った不思議な空間 (2018/10/23 訪問)

ほぼ松本駅の真裏という一等地なのに、なぜかここだけぽっかりと田んぼが広がる不思議な空間。だけど、それだけ。それだけしか残っていない。

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かりのんと

烏城 (2019/02/16 訪問)

宇喜多、小早川、池田といろんな時代の石垣が見られる烏城。
金色瓦、多角形天主も見所でした。

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TESTU89

伴野城は野沢城の本郭部分 (2018/04/22 訪問)

現在は中世居館部分としての伴野氏居館のみが土塁と水堀に囲まれた四角い城跡として残っていますが、室町後期には周辺に曲輪を持つ城郭としての野沢城として存在していました。
周辺にある金台寺境内などがその郭の跡とされています。

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カルビン

地味にキツイ坂道でした (2014/05/19 訪問)

三浦半島のお城巡り、最初にやって来たのが衣笠城でした。
JR横須賀線衣笠駅からの攻略でしたが、地味~に駅から遠い&意外と道中(お城に近くなってから)の坂道がキツかったです(汗)
※衣笠駅から衣笠城って真っ直ぐ行けなくて、遠回りが必要・更に駐車場も無かったと記憶してますので注意です。

大善寺に解説があり、その更に上にある城域には城碑があります。。。が、遺構は存在していないと言う事です。

当時は良く解っていなかった事もあり、あちこちが遺構にしか見えなかったですw
(少なくとも地形はお城っぽかったのは間違いありませんので)


三浦半島には衣笠城含めお城多いですが、遺構のしっかりした場所は少ないので、遠くから訪問されるにはちょっとリスクが高い気がします。
電車の本数は京急線・JR線共に結構本数あるので、例えば鎌倉旅行の際に時間が余った時に訪問・・・等がオススメです。

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あじふらい

曲線美 (2018/01/20 訪問)

独特な石垣でした。

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todo94

伊東氏四十八城 (2019/02/10 訪問)

たどり着けるかどうかかなり心配だった城です。おそらく主郭にはたどり着けたのではないかと思います。椎茸栽培の原木がおいてある郭までは、きっちりと登城路が確保されていましたが、そのすぐ上の主郭はほとんど手入れがされていないように見受けられました。

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小城小次郎

岸和田城

三層の模擬天守がすっかり板についてしまった感があるが、もともとは五層の壮大な天守が建っていて、紀州和歌山を睨みつけていた。

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