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ホリタカ

猫城主 (2019/12/01 訪問)

猫が城主なんですね

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ヒロケン

越中三大山城の一つ (2019/10/20 訪問)

増山城跡は、富山県西部の砺波平野東縁、標高120mの丘陵に立地し平野全域をほぼ眼下におさめる大規模な中世山城です。この地は交通の要衝にあり、砺波・射水・婦負の三郡の境にあり、戦国期から織豊期にかけて、多くの武将の攻防の舞台となりました。戦国期には越中守護畠山氏の守護代神保氏が勢力をのばしたが、一向一揆・越後長尾氏との狭間にあり、長尾景虎の相次ぐ侵攻を受け増山城は落城しました。その後、城主は入れ替わり前田利家の重臣中川光重が入り、慶長年間くらいまで存続したと考えられています。

増山城は、松倉城・守山城と並び越中三大山城の一つで、広大な城域を持ち、郭、櫓台、土塁、堀切、竪堀、井戸、堀等が良好に残り国の史跡に指定されています。
増山陣屋に車を駐車し、常備されている縄張り図入りのパンフレットを頂き、戦国の山城にGO~(^O^)/ 冠木門を抜け大手門跡へ、大手門跡のすぐ横の竪堀を見つつ通過、馬の背ゴと呼ばれる郭に良好に残る土塁。一の丸、二の丸、三の丸を順に攻略しつつ、二の丸横の横堀、南櫓台を攻略。亀山城方面に行きつつ、御所山屋敷・足軽屋敷・神保婦人入水井戸まで攻略し、時間切れにより引き返す。

今回二泊三日で越前・加賀・越中で攻略した城13城その中でも特に素晴らしく、文句なくお勧めの城です。


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イオ

コンパクトに凝縮 (2019/10/27 訪問)

戦国後期に地元の土豪である小池家継が築いたと伝わりますが、元亀元(1570)年、美濃金山城の城主になった森長可に退去を強いられて小池氏は帰農、戦国末期の技巧的な縄張が見られることから、その後、森氏によって美濃金山城の支城として改修されたものと考えられています。

比高15mほどの台地に築かれた小さな詰城ながら、本丸は三方を土塁で囲われ、曲輪間は堀切と土橋で接続し、虎口は喰違いだったり枡形だったり、切岸も急峻で……と山城の要素がコンパクトに凝縮されていて、15分もあればひと巡りして堪能できると思います。よく整備され、遺構の状態もよく、気軽に何度でも訪れたくなるお城でした。

…ということで、この日は行き会う人はほとんどいませんでしたが、2週間後、山城サミット2日目にも立ち寄ってみると、今公民館の駐車場から人がいっぱいでびっくり。軽くひと巡りして帰る途中、今城址を整備する会のテントで芋煮をいただき、早朝から(今城を含めて)3城をめぐった後だったので、ことさら心身に染みました。ご馳走さまでした。

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山科中央公園 (2019/11/30 訪問)

 京都地下鉄東西線に乗り「東野」駅にて下車して山科中央公園の土塁を見て来ました。少年野球の練習をしていました。他にも遺構があるという情報でしたが時間の関係で行っていません。

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長坂口 (2019/11/30 訪問)

 長坂口の御土居へ行って来ました。船岡山から歩いたら15分くらいかかりました。

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健軍神社より (2019/11/30 訪問)

 北大路駅よりバスにて登城しました。
空堀が少し残っています。健軍神社境内にはもう少し遺構があるとの情報がありましたが、入ることができず確認していません。

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織田晃司

模擬天守で見落としがちですが… (2019/11/30 訪問)

うかん常山公園の石の風車と模擬天守。

模擬天守の裏に常山城跡があり、曲輪や土塁、竪堀、堀切が遺構として残ってます。

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城好きのメガネ

「深見城」 (2019/11/30 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
深見城は山田伊賀守経光が築いたとされる。北から東は急な崖になっており境川からとの比高は15m前後あり、天然の要害となっている。また、西側は天竺坂の大規模な空堀、土塁などの遺構が残されている。

<アクセス>
小田急線鶴間駅 徒歩20分

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城好きのメガネ

「海老名氏の本拠地 海老名城」 (2019/11/30 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
海老名城は村上源氏の流れをくむ武蔵横山党の一派の海老名氏の本拠地であったとされる。特に、海老名季貞は保元の乱で活躍した名将として名高い。海老名氏の菩提寺である宝樹寺は廃寺となっており、現在跡地には霊堂及び五輪塔が安置されている。城址としての遺構は消滅している。


<アクセス>
小田急線厚木駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「中世城郭 大庭城」 (2019/11/30 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
大庭城は平安時代末期、大庭荘を本拠とした関東平氏の雄、大庭氏の拠点であったと伝えられる。室町時代中頃には扇谷上杉定正の執事・太田道灌が本格的な築城を行ったとされる。その後、大庭城は上杉朝良のときに、伊勢宗瑞によって攻略され、以後、小田原北条氏の支配下に置かれた。小田原征伐の際に大庭城は廃城となった。現在は城址公園として整備され、空堀、堀切、土塁がのこる。


<アクセス>
JR東海道線辻堂駅 舟地蔵行下車 徒歩5分

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はたけ

小倉城 (2019/11/29 訪問)

堀の水に写っていい感じ

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いんげん丸虫

谷山城 群馬県桐生市 (2019/11/17 訪問)

仁田山城の支城。単郭に帯曲輪という砦ですね。祠には手書きの小さな説明板があって和みました。

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退会済み
ユーザー

夕暮れ (2019/11/30 訪問)

またまた夕暮れ時にやって来ました。

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小城小次郎

東条城

東条吉良氏は忠臣蔵のイメージからか「ひ弱」なイメージがあるが、少なくとも永禄年間には松平元康(徳川家康)軍を何度も撃退するだけの力はあったのだ。

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響ちゃん

晴れ (2019/11/30 訪問)

川の水綺麗ぽい

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響ちゃん

晴れ (2019/11/30 訪問)

チクチク君いっぱい生えてるぽい

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響ちゃん

晴れ (2019/11/30 訪問)

遊歩道ぽい

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ぴーかる

山崎山城 (2019/11/15 訪問)

【山崎山城】
<駐車場他>山崎山北東の道路沿いに城跡公園無料Pあり。P横に登城口あり。
<交通手段>車

<見所>石垣
<感想>平日日帰り彦根市の城攻めの旅3城目。この城跡は荒神山城跡のある荒神山南東麓の山崎山の比高50mほどの所にあり、現在は山頂の削平地の主郭部分しか見れない。10分程で登れ、道も城跡も整備されていて良いです。登城途中には遺構は全然見られなかった。山頂部の曲輪はなまこ型の楕円形で周りを石垣で囲っていたようで現在は上部が崩れ、下も土で埋まっているようで当時はそこそこの石垣だったと思われる。一部残されている部分だけでも見応えある。石垣外側は帯曲輪で囲んでいる。主郭西部は桝形の虎口になっていたようだが現在はよく分からない。北西隅は盛土になっていて石垣が崩れたようになっていた(櫓台跡だと思われる)。西側横の貯水塔がある山との間には堀切があり、竪掘も見られたが、樹木がひどく向こう側には行けなかった。先に行った佐和山城跡からも天神山系が見えて、こちら側からも伊吹山・彦根城も眺望できた。

<満足度>◆◆◇

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小城小次郎

岡崎城

「神君生誕の城」なので何かしら遠慮があったのか中心部の近世化(石垣化)が十分ではなく、結果として「石の城」と「土の城」を両方楽しめる稀有な城でもある(東海地方にはこういうお城が案外多いのだけれども)

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カルビン

城下町ですな (2014/07/26 訪問)

残念な息子として有名になってしまっている織田信長の息子・信雄。
映画「清須会議」ではバカ殿丸出し役を妻夫木氏に演じられましたね・・・直江兼続役とのギャップが(笑)

そんな残念とされる信雄も、小幡藩初代藩主として陣屋に楽山園を造る等地域貢献した良い藩主だったそうですね。
武将としては能力不足でも今川氏真と同じく別の才能が花開いたという所でしょうか。。。

そんな小幡陣屋ですが、実際訪問するとお城ではなく城下町として残っている感じです。

現在名勝登録されている楽山園(有料)内に土塁・堀・石垣・門・長屋・庭園等が復元されており、ここに入らないと小幡陣屋に行った意味が無いいと言っても良いでしょう。
他にも武家屋敷(食い違い石垣もあったりする)等、お城というよりは全てをひっくるめて城下町を散策したような感覚でした。


比高の高い山城に疲れた時等に訪問オススメの小幡陣屋で御座います。

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