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中川藤兵衛尉

和田岬台場 (2019/10/13 訪問)

現・三菱重工。見学会があるそうですね

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中川藤兵衛尉

箕谷城 (2019/10/13 訪問)

詳細は不明です。今は公園となっているのですが、地形が完全に城です

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中川藤兵衛尉

三木城 (2019/10/13 訪問)

台風の爪痕らしきものはありませんでした。安心

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tsuchinari

日本人の魂 (2019/10/05 訪問)

備中高松城を語るうえで、清水宗治の存在は欠かせない。

西暦1582年。時は戦国。
のちの天下人・羽柴秀吉は西国の大大名毛利氏を討つべく中国地方に侵攻。備中高松城の城主清水宗治と対峙した。
 備中高松城は周囲を沼地に囲まれていて、非常に攻めづらい。そこで秀吉の軍師黒田官兵衛は「水攻め」を決断する。足守川を決壊させる一方で、3㎞以上に及ぶ堤防を築いた。そして降雨により、瞬く間にお城は湖に浮かぶ孤島となってしまった。
 結局この戦は宗治の切腹をもって決着。毛利氏は織田の軍門に降り、秀吉は「本能寺の変」で討たれた主君信長の敵を討つため、即座にこの地をたった。

 宗治は秀吉から、寝返りなど命を保証する話を持ちかけられていたが、これをすべて固辞。毛利氏への忠義を尽くすため、そして領民の命を守るために自らの命を散らした。
 私はここに日本人が古くから育んできた「武士道」の精神を感じる。戦国時代は武士同士が時には農民や僧侶なども巻き込んで覇権を争った時代。その争いの多くは己自身ではなく、他の誰かのためであったのではないかと思う。だからこそ強くなれたのだと。
 そしてこの精神は、単なる歴史の1ページで終わるものではなく、現代の日本人に脈々と受け継がれている。
 時は流れ20世紀。日本による真珠湾攻撃を目の当たりにしたアメリカ兵は、決して民間人を巻き込まぬように、軍事施設のみを攻撃した日本軍の技術の高さとその心に驚き、敵であるにも関わらず今も「リスペクト」している。
その証に、当時真珠湾で亡くなった日本兵の亡骸を、アメリカ人と同様に海に手厚く葬っている。
人が人を想う心に国も時代も関係ないのだ。

 備中高松城は今では城址公園となっているが、清水宗治を祀る場所は4つある。
 舞を舞い切腹したとされる自刃の地、秀吉が陣を敷いていた石井山に残る供養塔跡、その供養塔を本丸跡に移築した首塚、そして家臣が宗治の遺体を埋めたとされる胴塚。

 備中高松城には天守はなく、石垣もない。しかしそこには日本人の魂が静かに眠っている。

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じゅんじん

10年ぶり (2019/10/07 訪問)

天下の名城です。こんな山奥に石垣の要塞があるなんて。消防隊員さんが石垣の除草作業を行っていました。整備ありがとう。お城からの眺めに仕事ですさんだ心が癒されました。ありがとう。

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じゅんじん

城びとの看板 (2019/10/07 訪問)

城びと看板にびっくり。お城は天守台や櫓が3基、城門など。市内が見渡せます。

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チェブ

頑張れ、被災地! (2019/09/22 訪問)

みなさん台風被害、大丈夫でしょうか?
私の住む東京の端っこは多摩川が流れてます。川近くに住んでいる方は避難したそうです。

先月、訪れた長野県佐久市「大井城」は湯川の断崖にあります。
とても心配です。

石並城(いせならび)、王城、黒岩城の3城で大井城と言うそうです。
ナビは王城公園を目指します。駐車場はありません。
やはり、断崖。公園に続く坂道か急階段を上ります。
入口近くに説明板があります。
遺構は分かりません。
公園奥に「王城のケヤキ」がありました。大井氏の歴史を見てきたのでしょう。

説明板を見ると、この3城、堀切で区切られているようです。
と、言う事は 通って来た道が「王城」と「黒岩城」の堀切跡なんでしょうね。
王城公園の道を挟んで向かい側も高くなっていました。

長野県に限らず、今回の台風で訪れたお城跡の近くが大変な被害になっています。
考えてもみれば、お城は川近く小高い場所に多くありますからね。とても、ショックです。

とにもかくにも 早く、復興しますように!早く、みなさんが安心できますように!

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トーダイ

本丸跡に八幡神社があります (2017/01/29 訪問)

相羽城は、鎌倉時代に土岐二郎光俊によって築かれた城です。一時廃城でしたが、
美濃国守護・土岐頼芸の家臣、長屋景興が修築、居城としています。天文16年
(1547年)斎藤道三に攻められ、大桑城とともに落城、その後は鷹司氏が城主と
なりましたが、天文18年(1549)織田信秀に攻められ、廃城となっています。

本丸跡に八幡神社があり、本殿前に城阯碑、ほんの少し高台のような気がします。

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赤い城

信玄に滅ぼされた勝沼氏の居館 (2019/10/05 訪問)

勝沼ぶどう郷駅から徒歩で20分。
武田信虎の弟、勝沼信友の居館。
ワインセンター誘致の際に発掘調査のうえで復元されたそうです。
日川北岸の河岸段丘に位置し、相模や武蔵方面への備えとされていたようです。
北側から東側にかけて堀と土塁が復元されています。
この辺りはぶどうの産地、この日は近くでぶどう祭りが開催されていました。
1000円のグラス購入でワイン飲み放題、お土産にぶどうの詰め合わせを購入。
城攻め以外が目的となってしまいました。

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ぴーかる

長野氏城跡「中の城」 (2019/09/28 訪問)

【中の城】
<駐車場他>東の城の投稿にて記載。

<見所>堀切・土塁・曲輪

<感想>日帰り伊賀街道攻城の旅4城目。麓から直接行く登城口は<34.742307, 136.364111>から登ることができ、ハイキングコースの看板がありますが、現在は全然ハイキングレベルではない荒れ方で道らしい道がなく、崖がきついので東の城入城口から入った方が良いです。
 私は同城跡内の東の城から途中まで来た道を戻り、山あいの谷間を更に登っていく。ここからは更に道っぽい感じはなくなり、登れそうな所を見つけつつ登るがハイキングのきついレベルで登れる。城跡入口が私が登って来た道と麓からの道と西の城に行く道と城跡に行く方とで4つの分岐になっている。分岐に1㍍四方程の石積み跡があり、祠か何かあった跡が目を引く。
 城跡は連郭式で主郭の北側に大堀切・主郭内の北側の土塁が特に高い。主郭から南に階段状の曲輪があり、Ⅲ郭までは間伐しており明確にわかるが、Ⅳ、Ⅴくらいありそうで、樹木で埋まっているが帯・小さい腰曲輪もありそうな感じだった。規模的にもここがメインとなる城だったと思われた。ここも蜘蛛の巣と戦いながらなんとか攻略し、西の城へ。

<満足度>◆◆◆

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ジョンソン

姫路城 (2019/09/26 訪問)

行ってきましたー!!青空で城が栄えました^_^

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チェブ

雨の急坂。 (2019/09/21 訪問)

少し前に投稿した「高島城」の後「花岡城」に行きました。

諏訪氏の一族、花岡氏の居城です。

「高島城」から諏訪湖を右手に見て半周ドライブすると湖から天竜川に流れ出す水門があります。
「花岡城」に近づいてきましたよ。
目指すは花岡公園です。
ずっと運転しやすい湖沿いの道路から「花岡城」方面に左折してからは民家と狭い急坂です。
公園とあったので、行きやすいかと思っていました。
駐車場の案内はありませんでしたが、広いスペースがあるので駐車可能です。
また、そこから急坂か急階段のどちらか選べます。
雨の日だったので傘を持ちながらの城攻。
写真も少なく、分かりにくいかもしれませんが郭の周りに土塁があります。
諏訪湖も見えるようです。
「花岡城」は天竜川、諏訪湖と小高い山。素晴らしい立地条件です。

「花岡城」近くの諏訪市は平成18年に豪雨災害がありました。
今回の台風で大きな被害が、どの地域にもない事を祈ります!!

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じゅんじん

城門と景観 (2019/10/07 訪問)

城門が現存しています。武家屋敷も景観が保存されています。山上の城は時間の関係であきらめました。くやしい!

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ヒロケン

妻木城士屋敷行き忘れ(>_<) (2019/09/28 訪問)

妻木城は妻木川左岸の丘陵先端標高407mに位置する山城で、山頂に位置する主郭・二の丸と大手筋の小郭群また、尾根に普請された郭群からなります。山頂には石垣で補強され、段差で区画された主郭・二の郭が配置されており、主郭と尾根を遮断した堀切は横堀状に主格をカバーするなど、戦国末期の高度な技術が利用された城跡です。

現在、主郭・二の郭には小さな神社が置かれていて、登城口には駐車するスペースがあり、石垣や曲輪・土塁、井戸跡なども確認できます。妻木城への登城ルートは、山麓北側にある妻木城士屋敷の右脇から登るルートと、名岐国際ゴルフ場の妻木口を入ってすぐ、右へと伸びる林道を1~2km進んだ先にある広場から登るルートと2つあります。

自分は、主郭・二の郭に近い林道を車で行くルートを選択(広場から主郭まで約10分)、妻木城士屋敷は後回しにして先に主郭から攻めようと思ったのが間違いの元でした。先に主郭・二の郭の周りにある、巨石群及び郭群を確認し、蔵跡・土塁・井戸跡・矢穴の残る残念石などを確認。最後に主郭・二の郭に残る石垣を確認し腹一杯ヾ(❀╹◡╹)ノ゙❀~~~ 思い残すことなく!帰路に着いたのですが、しまったぁ~~~<(ToT)>妻木城士屋敷攻めてなかったぁ~~<(ToT)>気付いたのが遅かったぁ~~。戻ろうか!?どうするか!?迷いましたが、夕暮れも迫り、家に着く方が距離的に近かった為、諦め再訪を誓い帰路につきました。

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じゅんじん

ここは石垣 (2019/10/07 訪問)

見どころは高い石垣です。立派です。始め裏から回ったので石垣を探しちゃいました。

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じゅんじん

平日閉館 (2019/10/07 訪問)

御殿は土日のみ開館です。主郭への道も台風の影響のため通行止めです。集めていませんが続100名城スタンプは道路向かいのお店にあります。

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粘板岩珪岩互層の急峻な山体 (2019/10/11 訪問)

泥と砂が交互に海底に堆積し、岩となった粘板岩珪岩互層が、麓から山頂まで続く。山頂及び尾根に展開する曲輪は平削時に岩を掘り残して土塁(石塁)とする。虎口も岩を掘り切る。南西の谷に崖となって露頭している所が、天然記念物 屏風岩。
この互層は大きく傾いているが、鈴鹿山脈西麓にもかかわらず、鈴鹿造山運動による褶曲作用を受けてないのが珍しいのだと。また、山体の両側を谷川が削り、急峻な独立峰になっている。
山麓に土塁と堀で守られた山屋敷があり、その背後から幅2m程の伝大手道を登った。100m弱行くと道はなくなる(明治時代の豪雨で崩落したと)ので、痩せ尾根に取りつき直登。下りは、急峻な痩せ尾根を行くのは危なそうだったので、北東側に降りることにした。地層の傾きから北東は古い(下側)と思われるが、谷川に露出する岩は、互層でなくて、真っ黒な粘板岩のみ。
日野と言えば、蒲生氏郷。鎌掛城も蒲生氏所縁。鎌掛城のあと、日野市市街と中野(日野)城に行った。

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todo94

秋のお城まつり (2019/09/15 訪問)

宿毛から高知に戻ってきたときには既に19時を回っていましたが、ちょうど「秋のお城まつり」が開催されていて、天守に登る事が出来ました。現存12天守カードもゲットできて満足です。天守から見た高知の夜景はちょっとしょぼいなと感じてしまったのですが。

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にのまる

一年越しの。 (2019/09/25 訪問)

【1】昨年8月、滋賀から岡山へ移動の中継地として京都に泊まったのですが、せっかく京都に寄ったのにどこにも行かないのはもったいないからと、夕闇せまる中、伏見桃山城をターゲットにして、目指してしまいました。
結果、暗闇の住宅街を彷徨うことになり、やっとの思いでたどり着いたものの、真っ暗な中にぼわーっと浮かび上がる正門のシルエットがそれはそれはおっそろしくて(((;゚Д゚))))
…閉門時間もとっくに過ぎていました。

これで行ったことにはしたくない…というより寧ろ、門までも行かなかったことにしたかった(^^;;

【2】そういうわけで、このたびは明るいうちに出かけました。
豊かな緑の高台に色鮮やかな城門、大天守、小天守が聳えています。
伏見桃山城キャッスルランド時代、ピーク時は年間100万人が訪れたそうです。(←wiki情報)
現在は公園として整備され、広域避難場所にもなっていますが、建物内には入れません。耐震基準を満たしていないのだそうで。
模擬天守ですが、ここで遊んだ思い出がある人にとっては、たまに来て眺めたくなる懐かしい場所なのかもしれません。

ちょっと(どころではなく)怖かった暗闇の記憶を青空の下の爽やかな景色に上書き更新できてホッとしました。


みなさま、本日は不要不急のお城訪問はされませんように。。。

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近江鉄道が縦貫 (2019/10/11 訪問)

近江鉄道朝日大塚駅のすぐそば。水田脇に堀と土塁が残る。北側土塁の外側と内側に堀がある。草木が繁り、石碑は埋もれてしまいそう。堀におたまじゃくしがわさわさ。おたまじゃくしで越冬する蛙なんでしょうね。ツチガエル?

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