標柱はとても見つけやすいのですが、どこから登城して良いのかよくわかりませんでした。沢を渡って直登し尾根にとりつきましたが、沢を渡るときに石を踏み外して靴がずぶ濡れになってしまいました。主郭下に大きな堀切があり、主郭の一辺には土塁も認められました。飛騨の山の紅葉は黄色がきれいでとても見栄えが良いです。長野県だと茶色が勝ってしまっているので。
+ 続きを読む
検索結果・・・「」を含む投稿
2019/11/22 06:29
2019/11/22 00:17
中津川まで来たら苗木城に寄らなくちゃ (2019/11/21 訪問)
中津川市阿木の美濃阿木城探訪後苗木城に寄らなくちゃと地道山道を中津川中心街へ木曽川にそそり立つ苗木城へ久しぶりの登城、大勢の人で賑わって居ました、資料館も資料館前駐車場、第一駐車場も満車状態、資料館前の駐車場にギリギリ入れ、登城へ。
山城サミット可児で苗木城の方より樹木を伐採し景観見える化したとの情報も有り、期待感満杯、紅葉の中風吹門より天守展望台まで苗木城を満喫、恵那山、木曽川、望下の山々紅葉と眺望絶景です、山城日本一と大看板に記され沢山来られるのだと実感、昔の静かさが嘘の様。
+ 続きを読む
♥ いいね
18人が「いいね」しています。
2019/11/21 23:40
山城サミット㏌可児で紹介初登城 (2019/11/21 訪問)
岩村城をチョイ寄りの後、今回本命の阿木城を初探訪、八幡神社を目指し少し東、道沿いに阿木城の矢印看板が有りそれに従い村中道を登り登城口手前に数台の駐車場有り。
登城口から約200m、約5~10分で円形の本丸、虎口、土塁、切岸、堀切、竪堀が見られる、杉を伐採し見える化してますがまだまだ杉林が過密で見通しがいまいち、こじんまりとして下草が刈って有り保存会の方々の骨折りが素晴らしく感じられます、大感謝です。
+ 続きを読む
♥ いいね
19人が「いいね」しています。
2019/11/21 23:14
2019/11/21 23:05
吉田城
市役所の横にある近世城郭なのに、「土の城」の竪堀が楽しめることに気がついた。
+ 続きを読む
♥ いいね
8人が「いいね」しています。
2019/11/21 22:28
白巣城 (2019/11/09 訪問)
【白巣城】
<駐車場他>城跡入口前に専用10数台分あり。駐車場にトイレあり。駐車場へは麓から案内、「白巣城⇒」の案内板が要所要所にあるので分かりやすいです。白巣山入口に黄色いゲートがあるので手動で開閉して入ります。(添付写真10枚目)
<交通手段>車
<見所>曲輪・堀切・土塁
<感想>日帰り淡路島攻城の旅4城目。投稿の先陣を切らせていただきます。間違っていたらごめんなさい。
この城は淡路島のちょうど中央に位置した山城で、淡路水軍で有名な安宅氏のもつ淡路島各所にある城の内の一つ。安宅冬秀という武将が城主だったのが最も有力な説です。三好氏衰退後秀吉の淡路島攻めの時にはこの白巣城は最後まで抵抗して、城主安宅冬秀は城に竹の皮を敷いて最後まで戦ったと伝えられている。
城跡は自然の地形を利用した曲輪の配置で、曲輪を仕切る堀切はよく残っている。見れる曲輪は本丸・西の丸・馬繋場・米倉跡・東の丸で、添付写真の縄張り図の西の丸の西側の曲輪や馬責場は樹木・笹で行けず、また竪掘りも樹木・笹で見えずでした。馬繋場の土塁は見応えある。東の丸から大阪湾と反対側の瀬戸内海と両方が眺望できる。見れる曲輪はきれいに草刈がされているのにそれ以外は放置状態だったので、遺構が隠れて勿体なかった。
この城跡で今回の旅終了、一日走行距離256㎞無事走破。
<満足度>◆◆◆
+ 続きを読む
♥ いいね
19人が「いいね」しています。
2019/11/21 22:14
高崎台場対岸から (2017/02/15 訪問)
台場のある成ヶ島へは船でしか行けないので、とりあえず対岸から撮った写真です。
+ 続きを読む
♥ いいね
4人が「いいね」しています。
2019/11/21 22:09
野間山城 (2015/12/05 訪問)
誰も投稿していなかったので、
4年前の写真ですが、石積遺構を載せときます。
+ 続きを読む
♥ いいね
3人が「いいね」しています。
2019/11/21 22:08
馬出が印象的な土の城 (2019/08/31 訪問)
部活が忙しかった8月。休みができたのでお出かけしたくなったので行きました。
僕の箕輪城の印象は「土!」って感じで、あまり建物!っていうのは無かったです。逆に全然箕輪城について知らなかったのでワクワクしていました。
そのような気持ちを持ちながら、箕輪城駐車場に到着。かなり駐車場が広かったです。
さぁお城へ!最初は「あれ?これが箕輪城?」と思いながら歩いていました。(失礼で申し訳ないのですが…)それから少し坂を上ると開けたところに出ます。そこが二の丸です。お城の看板を見て箕輪城には櫓門があると分かったので二の丸外の郭馬出に向かいました。そこには立派な櫓門が!きちんと整備されていて綺麗でした。パンフレットによると箕輪城を象徴する城門の一つだそうです。さらに城内の城門の中では最大だったらしいです。また、その門のある郭馬出の土塁も立派なので城に来たら是非、見てみてください!
そうして本丸を見て(本丸は普通に立派なのでとばしますww)次は石垣を見に行きます。山城の石垣なのでたぶん分かりにくいんだろうな…なんて思っていたら、結構立派でした。(苔が生えていたので分かりやすくはなかったです)野面積でちょうど森とマッチして荒々しさがありました。ここもおすすめです!
そのように予想以上に遺構が残っていたお城だったので皆さんも訪れてみてください☺️
+ 続きを読む
♥ いいね
21人が「いいね」しています。
2019/11/21 20:46
残存状態良好 (2019/11/21 訪問)
下山甲斐守は、南伊賀の有力土豪で、第一次天正伊賀の乱の時他の土豪等を裏切って北畠信雄の手引きをした人物です。しかし結局失敗に終わり、信雄は信長に強く叱責されます。その後下山はこの城に隠棲したともいわれています(諸説あり)。城址入口は城山の南にしっかりありますが、車は道幅が狭いので西側の車道路肩に路駐が無難です。見上げるほどの巨大な高土塁が残存しています。また同名の城が一山超えた下比奈知にもあり、ここにも遺構を確認できますが「私有地のため無断入山禁止」となっています。
+ 続きを読む
♥ いいね
14人が「いいね」しています。
2019/11/21 20:05
水堀がある館。 (2019/11/09 訪問)
埼玉県熊谷市「中条氏館」に行きました。
なかじょう、ではなく「ちゅうじょう氏館」です。
平安時代末期に中条 常光さんが館を構えたのが始まりです。
鎌倉時代に貞永式目の制定にも加わった中条 家長さんがリノベーションしたのでしょうか?
鎌倉時代らしい館と説明板に書いてあるので家長さん時代の館跡ですね。
貞永式目が分からなかったので調べました。御成敗式目でした。日本史のテストに出ましたよ。学生時代は日本史に興味なかったので、一夜漬け暗記でした。懐かしいですねぇ。
目的地は「常光寺」です。
家長さんが常光さんらの菩提を弔う為、館の一部をお寺にしました。
広い駐車場もありました。
入口には立派な「中条氏館」の石碑があります。そして水堀。
小さく「天野氏の墓」と碑があります。天野氏は初代忍城代の方だったそうです。
低くなった土塁等、確認できます。
常光寺は熊谷厄除け大師でお正月は賑わいそうです。
御寺さん、茅葺き屋根です。
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2019/11/21 15:19
2019/11/21 14:03
沼津城本丸跡 (2019/11/21 訪問)
今は中央公園となっています。案内板しか偲ぶものはありませんが、周囲の地名に城下町の風情が残っています。
+ 続きを読む
♥ いいね
5人が「いいね」しています。
2019/11/21 06:25
国史跡 (2019/11/17 訪問)
堀底道に導かれ延々と登山して大きく時間をロスしてしまいました。三角点を確認して延々と引き返し、なんとか主郭にはたどり着けたようです。主郭下にはかなり大きな堀切がありました。雨上がりのため、落ち葉で靴はぬれてしまいましたが、飛騨路の紅葉は美しかったです。
+ 続きを読む
♥ いいね
11人が「いいね」しています。
2019/11/20 23:48
2019/11/20 23:45
災い転じて福となす (2019/04/09 訪問)
山城歩きのベストシーズンになりましたね。
しかしながら、先月に伊豆半島、関東に上陸した台風19号は、多くの厳しい爪痕を残しました。
今春登城した、関東屈指の山城、八王子城も倒木や土石流により、本丸登山道橋崩落、斜面崩落で本丸方面要害地区が見学中止になっています。麓の御主殿跡、ガイダンス施設は、見学可能になったようです。
八王子城は、関東山地の東端部、北浅川と城山川に挟まれた標高 470mの急峻な深沢山を本体にして、周囲の尾根、谷、丘陵などを取り込んだ広大な山城です。山頂付近の曲輪群、本丸を中心とする要害地区、山麓の北条氏照の館、御主殿のあった居館地区に分かれています。
山頂付近の曲輪跡にある見晴らし台からは、南に相模湾、北東に筑波山が見渡せる絶景が広がっています。山中には、堀切や石垣などが現存しており、とても見応えのあるお城です。今回の災害後、新たな戦国遺構が地中から顔を覗かせたとも。再度訪れたい場所です。
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2019/11/20 22:39
2019/11/20 22:01
2019/11/20 21:26
津城 (2019/11/20 訪問)
久しぶりに津城へ行ってきました。
津城は信長の弟である織田信包の居城として知られています。お市の方とその娘たち(浅井三姉妹)も信包とともに伊勢上野城からこの城に移り、お市の方が柴田勝家と再婚するまでの2年間を過ごしました。江戸時代には築城の名手と謳われる藤堂高虎によって近代城郭として大改修され、その後は明治時代まで藤堂氏の居城となりました。遺構としては本丸の石垣や内堀の一部が残っています。現在は「お城公園、お城西公園」として整備されており、藩校「有造館」の正門である入徳門が移築現存しています。また、隅櫓が再建され、公園内には藤堂高虎像もあります。
+ 続きを読む
♥ いいね
6人が「いいね」しています。
✕
人が「いいね」しています。