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とみー

住宅地に残っている!!? (2019/03/28 訪問)

世田谷城に行ってきました。自転車置き場の辺りから登城します。自転車置き場がある所には遊具やトイレ、ベンチ、城の解説板などがあります。そこから登城開始!!遊具の辺りから、いきなり土塁を発見!大興奮!!横にある階段を上がってみると、深さ2、3mくらいの空堀が見えます。「こんな都会の住宅地の中で空堀を見れるなんて!」と保存状態に感動しました。空堀の底に立ってみると、深さが感じられます。また階段を上がると、今度は曲輪がありますどんな建物があったのかを想像すると、とてもウキウキします。そして、道路から見える土塁を見て終了。改めて解説板を見ると、自転車置き場になっている場所も昔は、曲輪だったことがわかりました。世田谷城は平山城で、8つくらいの曲輪から成りっています。1394~1426年に吉良治家によって築城された城はその後、成高・氏朝が城主になり豊臣秀吉の小田原攻めまで吉良家の居館となった。廃城後、石材が江戸城に転用されました。現在は、昔の城の一部が世田谷城址公園として一般に公開されています。 自転車置き場あり(無料)駐車場なし

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チェブ

アシガールのロケ地。 (2019/03/23 訪問)

深谷上杉氏の「深谷城」です。
只今、太田 道灌を読んでいるのですが○○上杉氏が、ややこしくノートに書き出して読み進めている最中です。
○○上杉氏の中に深谷上杉氏もいらっしゃった!頭の中がこんがらがって、ほどけません。

「深谷城」復興石垣が迎えてくれますが、公園です。
当時の遺構は富士浅間神社に外堀跡があります。

後で分かったのですが、NHKで「アシガール」という戦国時代に女子高生がタイムスリップするドラマがありました。「深谷城」がロケ地になっていました。
胡散臭いと思って観たら、太田 道灌さんより分かりやすく、○○上杉氏よりキュンキュンしてしまいました。、、、参考までに。

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イオ

雨天中止 (2019/03/17 訪問)

先年ブラタモリで注目された御土居。興味はありながらも、歩いてめぐるのは大変だし、車は駐める場所で苦労しそうだし、京都の路線バスはよくわからないし…と敬遠してきましたが、レンタサイクルという発想を得て問題解決、実施の運びとなりました。

実際、すいすい走れて狭い路地にも一方通行にも駐める場所にも悩まされることのない、自転車での御土居めぐりは快適そのものでした……途中までは。二条城にいた時に降っていた雨も京都御所を出る頃にはほぼやんでおり、青空も見られるようになっていましたが、紫野西土居町の御土居から船岡山城に向かう途中で土砂降りの雨となり、自転車では雨具で身体が濡れるのは防げても顔や手先まではカバーしきれず、体温と気力がどんどん奪われていき、船岡山に続く階段を見上げたところで心が折れました。もう無理。階段を登る気力が無いよ…。自転車は快適ですが、肌寒い時季の雨だけは困りますね(雪は論外)。予報では午後からは大丈夫のはずだったんだけどなぁ。

ということで、この日の御土居めぐりはこれにて雨天中止。御土居めぐりの続きや船岡山城、聚楽第関係の史跡めぐりなど、この日の取りこぼしはたくさんあるので、また近いうちに京都を訪れたいと思っています。今度は晴れの日に!(切実)

この日めぐった御土居です。
1.市五郎稲荷神社
 住宅街にある小さな神社。御土居そのものが御神体で、鳥居が並ぶ参道部分が堀跡なんだとか。
2.北野中学校内
 西側に不自然に張り出した「御土居の袖」と呼ばれる部分。中学校の敷地内にあるので塀越しに眺めるだけ、写真も1枚のみです。じろじろ眺めたり何枚も写真を撮ったりしてると通報されそうですので。
3.北野天満宮境内
 この日は梅苑公開中で、御土居を見るのにも入場料800円が要るため、またの機会に。どうせお金を払うなら新緑や紅葉の頃の御土居のもみじ苑を見たいですしね。
4.平野鳥居前町
 表面に芝が植えられ、台形の形状がよくわかる御土居で、脇に祀られた石仏は御土居から出土したものだそうです。
5.紫野西土居町
 民家のすぐ隣の小さな御土居。ここまでは青空もあったのに…。

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カズサン

蘆名氏栄華の山城 (2018/04/22 訪問)

 以前から登城したいと思いながら山城にて足腰不安と躊躇していたのですが向羽黒山城の資料小冊子で車で本曲輪下まで行ける事が分かり昨年の4月下旬の3泊4日新潟県福島県城巡りに入れ登城致しました、本曲輪登城口の大きな竪堀に驚き又熊注意看板にオドオド他に登城の人無く熊除け鈴を付け本曲輪へ、新緑若葉と名残の桜、堀、切岸、曲輪、本曲輪南西の2段大堀切、二の曲輪、三の曲輪と東北一の山城看板に負けない名城です、名家蘆名氏が滅んだ事が惜しまれます。
 周辺の眺望は素晴らしく絶景です。
 下城後案内所隣の土産店で本郷焼の淡い緑色のぐい飲みと酒器を購入し飲む度向羽黒山城を思い出し悦に行ってます、日もよく大内宿迄足を延ばした程。

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カズサン

麒麟山要害の城 (2018/04/22 訪問)

 昨年4月下旬3泊4日で新潟県福島県未登城の城巡り2泊目の新潟を朝早く磐越道を東進し津川城へ、阿賀野川と常浪川に挟まれ半島状の突き出た麒麟山先端に築かれ駐車場からは見上げる様な絶壁、駐車場から案内板に従って登りやすく整備されて居り要害地にしては登城しやすい。
 本丸下の石垣は見所か朝方の清々しい時間の探訪でした。

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刑部

桜満開の稲毛神社 (2019/03/28 訪問)

参拝駐車場を利用させて頂きました、桜が咲いて雰囲気最高です! 遺構は無いようです。

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山口駿河守幻夢斎

中山城跡

城跡下を通っている国道沿いに路肩が広くなっている駐車スペースがあり、そこに案内看板と城跡碑があります。

そこから耕作地のあぜ道伝いに進むと(案内標識あり)、本丸跡、横堀の落ち口にたどり着きます。

本丸周辺は、比較的整備されていて見やすいですが、以前は、進むにつれて草が伸びまくっており、断念しましたが、今回は草が枯れていたため、隅々まで探索することができました。

名胡桃城から車でも10分少しの距離。こんなところに前線基地を築かれたら、真田にとっては脅威だったと思われます。

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スミヤキ

戦国時代を終焉に導く一夜城 (2019/03/25 訪問)

天下人秀吉さんの凄さを体感できます。

1590年、関白豊臣秀吉が小田原征伐を決断、関東一円の北条家支配の支城群を落としながら、小田原城を陸海の四方から、大軍で包囲します。城下を一望できる南西に位置した笠懸山に密かに総石垣造りの城をわずか80日で完成させます。一夜にして城が出来たように演出して、敵将北条氏直以下、関東武士達の度胆を抜きます。

戦意喪失、想像できますよね。秀吉の動員力、技術力、経済力に圧倒されたのでは。石垣山城竣工してから、10日も経たずに北条家は降伏、戦国時代の終焉を迎えます。

以後、笠懸山はその石垣の景観から石垣山と認知され、城跡も現在、石垣山一夜城歴史公園となり整備されています。遺構として井戸曲輪や本城曲輪の石垣などは、見応えがあります。

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カルビン

前田利家が前田慶次に恐怖を感じた城(by花の慶次) (2015/12/29 訪問)

荒子城は2015年最後の遠征で訪問致しました。

漫画・花の慶次で、織田信長の肝煎りで兄を差し置いて前田家当主になった利家が、兄・利久の居城であった荒子城を引き渡す際に、利久の養子となった慶次との、お城引き渡しまでのエピソードで利家が慶次を恐れるようになったお城として気になっていたんです。

前田慶次、実際は滝川一益の甥・益氏の子とされており(いろいろ説がある)、実は養子縁組ではなく益氏と離縁した母が慶次を身篭ったまま前田利久と再婚して、そのまま前田利久の跡継ぎになったともされています(漫画では後者になってました)。


そんな思い入れのある荒子城へは名古屋駅からあおなみ線で荒子駅へ、そこから徒歩10分程度でたどり着けます。

現在荒子城跡は天満天神宮となっており、遺構は残っておりません。

そのかわり解説が充実しているので、遺構を楽しむというより歴史的バックボーンを感じて満足する場所になります(汗)


「城びと」には登録されておりませんが、荒子城から北東側にある地下鉄東山線高畑駅から3つ先の駅・中村公園駅より北にある、中村公園は豊臣秀吉誕生地(石碑・豊国神社・日吉丸像)及びその家臣・小出秀政宅跡(解説)となっており、その東に隣接する妙行寺が加藤清正誕生地(+加藤清正像)、その北に隣接する常泉寺には秀吉像が・・・(更にここか北北東には「城びと」に登録されている日比津城もある)等々、徒歩で散策できる範囲にお城好きな方なら外せないポイントが沢山あるので、是非一緒に訪問されたし。

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朝田 辰兵衛

金山城遺跡散策 2/2(願文山城)を。 (2019/03/24 訪問)

越後・金山城遺跡は,紫雲寺潟を見下ろす願文山を中心とした,高館城,カタツムリ山城,願文山城など金山地区に現存する城郭遺構の総称です。
JR金塚駅から金山地区へと進むと,まず高館城の登城口手前に居館跡があります。また,金山公民館ワキに下館跡。さらに進むと願文山城とカタツムリ山城登城道の分岐点に巨大な案内版があります。
願文山城は金山地区を通り越して山のほうへと進んでいき,白山神社から登城するのがメジャーな選択です。貝屋地区から大峰山を登破してたどり着くという,タフな登山者推薦ルートもあります。
標高:248m,比高:210m。雨天時の登城はおすすめしません…。

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朝田 辰兵衛

金山城遺跡散策 1/2(居館跡,下館跡,高館城,カタツムリ山城)を。 (2019/03/24 訪問)

越後・金山城遺跡は,紫雲寺潟を見下ろす願文山を中心とした,高館城,カタツムリ山城,願文山城など金山地区に現存する城郭遺構の総称です。
JR金塚駅から金山地区へと進むと,まず高館城の登城口手前に居館跡があります。また,金山公民館ワキに下館跡。さらに進むと願文山城とカタツムリ山城の登城道分岐点に巨大な案内版があります。
カタツムリ山城の登城道は整備が行き届いておらず,堀切には近づけず。しかも,自分の登りやすいところからヤブカキッシュで目指したという実情です。
願文山城については,続きの投稿にて…。

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チェブ

土塁に囲まれた公園とゲートボール場。 (2019/03/23 訪問)

別府と言っても大分県ではなく、埼玉県の「別府城」に行きました。
成田 助隆さん次男の行隆さんが築城しました。
埼玉県の成田さんと言ったら「忍城」の成田 長親さん 。
そうです、「のぼうの城」です。
成田一族の家祖が助隆さんです。

住宅街に「別府城」があります。
入って左手に神明社、右手にゲートボール場、奥に東別府神社があります。
って、探さなくても「別府城」の看板を見つけたら、みなさん虎口も土塁も掘も、すーぐ分かります!
広いはずなのですが「別府城」、神社や公園、庭園(?)もあり盛りだくさんでコンパクトに治まってます。
土曜日の午後、誰も遊んでいません。土塁に囲まれて中の様子が見えない公園はママ達、心配 ですもんね。

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イオ

リサーチ不足 (2019/03/17 訪問)

京都御所の特別公開を見学した後は、御土居めぐりを再開…する前に、その途上にある聚楽第へ。秀次切腹事件の後、徹底的に破却されたのは知っていましたので、石碑を2つ見ただけで満足してしまいましたが、帰宅してから調べてみると、他にも周辺には大名屋敷跡などいろいろあるようで、またしても事前のリサーチ不足でした…。

なお、聚楽第とは関係ありませんが、西濠跡の石碑から西に徒歩10分くらいの立本寺には島左近のものとされるお墓があります。関ヶ原の戦いの後、この寺の僧となり30年あまり生きたんだとか。見るからに普通のお墓ですが、島左近は好きな武将なので、手を合わせてきました。

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クロピー

2019-2 (2019/03/27 訪問)

道にはまだ残雪がありました。
本丸跡周辺はカタクリが咲いていました。

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とみー

幻なのか? (2019/03/28 訪問)

瀬田城の石碑を見に行きました。みなさんの投稿では、ゴルフ場の入口のそばに石碑があると書いてくださっていたので、地図を見ながらゴルフ場を目指したのですが、ゴルフ場だったらしい場所は、更地になっていて住宅ができる予定と、書かれていました。その後も石碑を探したのですが、見つけることができませんでした。工事をしていたので石碑を壊したりしたのか、それだったら幻の石碑ですね。

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カズサン

桜に覆われた土の城 (2017/04/13 訪問)

 桜の季節に成り一昨年4月13日に登城した後閑城の大変整備保全され時期的に桜に覆われた姿が余りにも脳裏に残ってますのでちょっと古いのですが投稿させて頂きます。
 道案内は城郭放浪記さんのサイトの情報でたどり着けました駐車場は西曲輪下に広くとって有り大変便利。

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にのまる

深い、大きい、美しい。 (2019/03/17 訪問)

水戸から3駅の東海駅から徒歩約30分。石神コミュニティセンターまで来ると案内表示が立っていて、ひと安心です。
城址公園入口から見上げる土のお山は、この先に感動があるに違いない感120パーセント。
がんばってセコい長旅してきてよかった、無事に入口に辿りつけてよかったという安堵と、どんな景色が広がっているんだろうという期待で幸せな気持ちになります。
この気持ちを味わいたくて飽くことなくあちこち出かけているのだと気づきました。なんて健全な幸せドーパミン分泌手段なんだ!

で、石神城ですが、一気に踏み込むのはもったいないのでじっくり味わいながら進みました。
美しい折れと重なりを持つ深い堀を堪能し、土橋を渡って広い三郭へ。郭を囲む土塁もしっかり残っています。桜が少しだけ開花していました。
三郭から二郭へも土橋で渡れます。
二郭の先には小さめの一郭。深い堀に囲まれていますが、ここには橋はありません。でも、進入禁止とはどこにも書いていないし、きっと何かあるはず…と目を凝らしてみると、土塁にうっすら虎口っぽい窪みがあり、その下の堀には人が歩いて出来たと思しき細い道がありました。写真7です。ここを慎重に下りて上って一郭に行くことができました。ただ、そこは長居は無用な雰囲気だったので隅っこまで走って堀を覗いてまたすぐに戻りました。

北関東のオススメ物件をたくさんご紹介くださっているモトさん、いつもありがとうございます。今回も大満足でした!

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バリィ

平成30年 (2018/12/28 訪問)

姫路城にはいろんな思い出がありますが、一番強烈だったのは朝から雲一つない良い天気だったのが「あっ、雲がある」と思っていると強烈な暴風が吹きだし、あっという間に雲が空を覆い尽くし、気温が急低下、猛吹雪に襲われました。
天守からみていると三ノ丸、備前丸では観光客が避難先を探して逃げ惑っていました。
30分くらいしてから外に出ると先ほどの騒ぎが嘘のように晴れていましたが備前丸から東を見るとダウンバーストのような下降気流を見ることができました。

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バリィ

平成30年 (2018/11/07 訪問)

このお城の前は何回も通っていますし、堀横にある駅から電車を乗り降りもしています。
近くのバスターミナルから異なる終点のバスにも何回か行き帰りしていますが正直、入るのは初めてのお城でした。
楽しかったです。
遺構にこだわる方は
現存、移築、復元を調べてから行かれることを努めます。

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じゅんじん

公民館 (2019/03/23 訪問)

街道沿いに城址碑がありました。公民館裏手は神社です。

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