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カルビン

でかいイチョウの木があります。 (2016/10/15 訪問)

甲斐源氏・加賀美遠光や穴山氏等、武田系の戦国武将と縁がある長栄山 本国寺が下山城になっております。

遺構は残って無い様ですが、境内にある穴山八幡神社が穴山信君を祀っている等、歴史的なバックボーンは有る様です。
一応城碑はあります。

国指定天然記念物にもなっている大イチョウの木が山門奥正面にありますが、これは日蓮上人が重病の為身延山久遠寺より常陸に湯治に向かう際、ここで1泊した時に植えたものだそうです。

ちなみにこのイチョウの木はメスだった為、訪問した季節は丁度シーズンだった事も重なり銀杏のオイニ~が凄かったです(汗)


周辺には南部氏や穴山氏や日蓮上人関連の史跡やゆかりのあるお寺がが多いですが、公共交通機関での訪問は厳しいので、車かバイクでのセット訪問が宜しいかと。

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イオ

天端の石敷き (2019/10/13 訪問)

幕末、幕府の命により明石藩が勝海舟の設計・総指揮のもと築造した台場で、対岸(淡路島)の阿波藩・松帆台場と連携して明石海峡を航行する外国船の脅威に備えることを目的としましたが、記録によると、弾薬庫や兵舎などの施設は建設されず、大砲も据えられることはなかったようです。

幕末に数多く築造された台場の中でも、総石垣の台場は舞子台場の他に例がなく、現在でも海岸護岸の石垣に往時の石垣(の下層部分の一部)を見ることができます。また、台場跡の北部には、発掘調査で発見された台場背面の天端の石敷きが公開保存されています。

船上城の後、明石藩つながりで舞子台場にも立ち寄りましたが、天端の石敷きの所在を現地で確認できなかった(帰ってから写真を見ていて気付きました……説明板の奥にあるやん!)ので、松帆台場や淡路島の城めぐりの前後にでも改めて訪れたいと思っています。
 

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いんげん丸虫

上杉謙信 (2019/11/10 訪問)

川中島の際に上杉謙信が築いたとされる。壮大な山城です。数ヶ所で石積も見ることができます。西斜面には長い竪堀、横堀もあるのですが、作業道が数本あって不明瞭になってるのが残念です。

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刑部

山深い城址 (2019/11/17 訪問)

入り口が封鎖なのでここで車を止めて城址の登り口まで徒歩で1400メートルを登りました20分かからず到着、そこからまた困難な山城でした落ち葉が行く手をさえぎるように足がとられました。
倒れ木がなくなってきたのでもう少しで車可能になりそうです。

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todo94

土塁残存 (2019/11/02 訪問)

光明寺がその故地に当たります。説明板や城址碑はありませんでしたが、土塁が視認でき嬉しい限り。

この後に訪れた黒部市の長安寺館にももっと立派な土塁がありましたが、善念寺館には遺構は見当たりませんでした。

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小城小次郎

浜松城

天守台に余計なスペースが生まれるほどに小柄な天守の傍らに、史実に基づき復元された富士見門。黒い天守と白い門。これは不協和音ぎりぎりの調和だ。

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刑部

本丸の方が低い? (2019/11/17 訪問)

お寺さんより低い位置に本丸があるようです、普通 本丸が1番高い位置になるのですがここはお寺から道路を挟み本丸を見下ろす感じです。本丸周りの堀は見事に遺されています。

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シロマサ

林田陣屋跡(兵庫県姫路市) (2019/10/30 訪問)

姫路市と宍粟市を結ぶ国道29号線の中間に位置する陣屋跡。
藩祖建部政長は大阪の陣の功により、元和3年(1617)に播磨林田の地に陣屋を築いた。
この地はかつて窪山城のあった場所で、以後10代明治維新まで続きます。

国道29号線(宍粟市から)林田川の手前を左折して、南に行くと県道435線あたります。
この県道435線を左折すると、直ぐに藩校の敬業館講堂が見えます。
敬業館講堂の西横の林田中学校の北側が林田陣屋跡です。
現在本丸跡は梅園になっていますが、雑草が生えて荒れています。
本丸に行く途中の石垣、東側にある建部神社の東には水堀が残り、錦鯉が泳いでいます。
また435線を南に行くと大庄屋の旧三木家住宅があります。

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古河城バルーン

古河城御三階櫓の遊具です。

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ぴーかる

叶堂城 (2019/11/09 訪問)

【叶堂城】
<駐車場他>感応寺内の駐車スペースあり。
<交通手段>車

<見所>石垣
<感想>日帰り淡路島攻城の旅3城目。元々は感応寺の西300㍍行ったところ城跡碑があるところに城があったようだ。(添付写真の城跡碑10枚目参照)移築復元の石垣は寺の南側と西側に主にあり、きれいに積み直されていた。感応寺のお堂にお参りしたあと、東の城跡碑を見て終了した。

<満足度>◆◆◇

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イオ

船上城跡散策地図 (2019/10/13 訪問)

天正の国替えにより摂津国高槻から移ってきた高山右近により築城(改修)されましたが、右近はバテレン追放令にともなう改宗を拒んだことで追放されて、豊臣秀吉の直轄領となり、姫路藩の支城を経て、明石藩・小笠原忠政の居城となったも束の間、明石城の完成により廃城となりました。

田んぼの中の台地が本丸跡で、その北側を南東方向に流れる古城川が内堀代わりだったようですが、本丸跡は私有地のため立ち入りできず、船上城跡散策地図が設置されている船上西公園から古城川越しに眺めるだけです。
その他、明石城の南西には船上城から移築された織田家長屋門が現存し、明石城の巽櫓は廃城となった船上城の建材を用いて建てられたと伝わります。

この日は、明石城周辺をさんざん歩き回った上に、明石港から宮本武蔵の作庭とされる円珠院を経由して25分ほど歩いて登城したため、着いた頃にはそれ以上散策する気力がありませんでしたが、次の機会には船上城跡散策地図(現在と過去を対比してなかなか良くできてます)をもとに、かつての城下を歩いてみたいものです。
 

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チェブ

何かありそうで何もない。 (2019/10/20 訪問)

昨日、投稿した「笹下城」の後に「野庭関城」に行きました。
鎌倉幕府、初代 侍所別当の和田 義盛さんが築きました。
侍所別当、調べました。
侍所は軍事・警察を担った役職。
別当は職務全体を統括・監督する役職。
和田 義盛さん、とても偉い方だったんですね。オマケに弓の名手だそうです。
「野庭関城」は野庭中央公園や団地一帯がお城跡です。
団地が近い事もあり、たくさんのチビッ子が遊んでいました。
公園には土がむき出しになっている所もありますが遺構ではなさそうです。
石碑や説明板もありません。

野庭関城下のチビッ子に和田 義盛公を伝えてあげなくて良いのでしょうか。
そして、ここに「野庭関城」の石碑でもあるとテンションが上がるのですが(笑)

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スプラNNNN

椿大神社 (三重県 鈴鹿市) (2019/09/29 訪問)

穴場のパワースポットです。とても神聖な空気だった。
車を見ると、県外ナンバーもありました。椿草もちや鶏めしが有名です。

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スプラNNNN

曽木公園 (2019/11/17 訪問)

紅葉の名所らしかったから、永保寺に行ったついでに行った。
渋滞しており、人がとても多かった。紅葉はきれいだった。

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スプラNNNN

虎渓山永保寺 (2019/11/17 訪問)

岐阜県多治見市にある寺である。紅葉がきれいだとしり、来ました。
観音堂と開山堂が国宝になっている。人、以外にいた。

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いんげん丸虫

横堀に唖然 (2019/11/04 訪問)

一説によると伊達政宗の家臣がいたようです。
市指定文化史跡。
方形の広い主郭に連なるように方形の曲輪、その間を深い堀が分断。周囲に二重横堀が巡ってます。登城口など無く藪の中です。城好きでもよほどのマニアでないと厳しいですね。方位磁石と感に頼るしかありません。しかしたどり着くといぶし銀的な渋みのある堀を見ることが出来ます。

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刑部

秋も深まる城址 (2019/11/17 訪問)

展望台駐車場から要害神社までほぼ階段で上がります 頂上は神社、そこが主郭部のようです。遺構は分かりづらいですが帯曲輪は分かりやすい。麓では菊祭りが行われてました。

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todo94

小出神社 (2019/11/02 訪問)

小出神社がその故地に当たります。遺構は存在しませんが、説明板が存在するだけでも嬉しいものです。

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朝田 辰兵衛

途中からレンタサイクルを押し続け… (2019/11/16 訪問)

普門寺登城口到着時点で,予想外に息が切れてしまいました。というのも,登城口ですでに標高700mクラス。空気がやたら薄く感じられました。
標高:976m,比高:200m。この後に登城予定の高島城は,日没のため間に合わず…。

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宗春

秋田城 (2019/11/03 訪問)

中近世の城(しろ)ではなく、古代の城(き)・柵と言った方が近いですね。

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