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カズサン

桜装う遠州路城巡り (2019/03/31 訪問)

 諏訪原城を探訪し南下して小山城へ染井吉野桜はまだこれから2本ほど3分咲の木の下では花見の家族が陣取って食事会やら宴席やら観光バスも入り賑やって居ました。

 ここも武田氏徳川氏攻防の城、模擬天守が建てられたそれなりの雰囲気、三重堀、三日月堀丸馬出が見物。

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カズサン

ビジターセンターオープン (2019/03/31 訪問)

 諏訪原城ビジターセンターが3月23日開設されたとの城びとの投稿、島田市のホームページで知り桜の情報があっちこっちで飛び交い本日遠州路桜装う城巡りとして早速諏訪原城へ、ビジターセンター、トイレ前の駐車場は満車、イレギラー駐車をセンターの方に話していざ登城。
 二の曲輪に山桜満開1本、本曲輪天守台横に山桜満開1本。

 武田氏徳川氏攻防の城、武田が造り徳川が改築、丸馬出が多く有り空堀の規模が大きく圧巻、日本に類無き土造りの逸品城郭です。
 杉等樹木伐採で曲輪、空堀が見やすく成って居り、北馬出の薬医門の復元、二の曲輪門の発掘調査で門跡発見、本曲輪門の発掘で門跡発見が有り夫々の復元門が待たれます、二の曲輪も茶畑から整地修復され、復元と保全整備、もう少し樹木伐採し景観見える化を進めて頂ければ嬉しい事です。
 終わりに掛けにビジターセンターを見学日本の城、諏訪原城の勉強に役立ちます、発掘調査遺物の展示、ジオラマ模型展示、こじんまりとしてますが発信基地として大切です島田市の頑張りが有りがたい城好きとしては大感謝です。

 諏訪原城の前は旧東海道が通ってましたがそのすぐ近く西側に石畳の東海道が菊川坂、金谷坂として復元されてます時間が有りましたら昔の旅人の思いにふけってみるのも一興かも?

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じゅんじん

現存陣屋門 (2019/03/24 訪問)

陣屋時代の門が残されていました。小学校には土塁もあります。あと石岡一高が甲子園出場の幟も。いい試合でした。

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じゅんじん

城郭復元 (2019/03/24 訪問)

なにかで小田氏は弱いけど生き抜いた戦国武将だと知って気になっていました。昭和末期に廃線となった筑波鉄道が見事にお城を真っ二つにしてたんですね。いまでは自転車道になっていますがお城を回避する形になっていました。そして主郭等土塁が復元されています。筑波山が見えていいところでした。

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モト

堀切、空堀、本丸跡 (2019/01/29 訪問)

栃木県の城址としては、そこそこの堀切、空堀などの遺構が残ってます。
今は確認できるはっきりとした遺構はだいぶ影を潜めてしまってきておりましたが、築城から廃城までは長い年月を利用されていたようです。
きっともっとはっきりとした遺構が残っていれば、迫力ある城址だったのではと想像してしまいました。
ですが、堀切などの城址の構成はなかなか雰囲気がありました。

城址までの道のりは、急な階段あり、軽い山道ありでこれもまたそこそこハードでしたよ。

追伸
皆さまの投稿をいつも楽しく拝見しております。
また、最近、少々投稿をサボってしまっておりましたが、私の拙い投稿を参考にしていただいているとのこと、ありがとうございます。
いやほんとにうれしい限りです。
皆さまの投稿、いつも城巡りの参考にさせていただいております。
これからもよろしくお願いします。

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甲賀の城密集地帯 杉谷 (2019/03/29 訪問)

杉谷川の広い谷あいの西側の丘に、東側の寺前城、村雨城と相対して立地し、谷奥を取り囲んでいる。南北に隣接する丘にも杉谷砦、杉谷城があり、このあたりの全ての尾根先端に城がある。 望月城の土塁は物凄い。南に隣接する望月支城の虎口に至る道は道路で破壊され切り立っており、望月城から土塁を登り降りしてアクセスするのが良い。
甲南駅前の売店にレンタサイクルがあるのだか、当日は、全部(2台)が既に出払っていた。甲賀の城密集地帯を巡るには自転車が良いと思う。私は、ウグイスの鳴き声や早春の草花を愛でつつ、十数キロ歩いた。

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朝田 辰兵衛

中条・鳥坂城散策 2/2(鳥坂城)を。 (2019/03/27 訪問)

越後には鳥坂城が2つ存在します。今回は,中条・鳥坂城のほうです。室町時代,江上館を平時の居館として,鳥坂城を有事の詰城としていました。この時の鳥坂城は,鳥坂山山頂の鳥坂古城と考えられています。戦国時代,江上館を廃し,鳥坂城の麓に羽黒館,宮ノ入館を築き,移りました。この時の鳥坂城は,白鳥要害(鳥坂要害)と呼ばれる,白鳥山山頂の鳥坂城と考えられています。
標高:298m,比高:260m。搦手に遺っている一の堀~五の堀が特徴的です。“白鳥公園ルート”で登ってくると,四の堀と五の堀間の三差路にアクセスします。
また,“白鳥公園ルート”上の洞穴では,ゴソゴソと音がしました。熊が寝ているのかな…と想像してしまいました。登城口付近では猿がキャッキャッと騒いでいました。

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カズサン

二俣城とセットで訪問 (2019/03/31 訪問)

 桜を訪ねて二俣城とセットで桜はもう少し時間が必要ですがチラホラ咲き、家族ずれ恋人同士も普段は寂しい鳥羽山城ですが日曜日の花見を兼ね多くの人が訪れて居ました。

 鳥羽山城は二俣城攻略の家康本陣と言われて居りましたが近年の発掘調査で二俣城とセットの城として堀尾吉晴公浜松入封後関ヶ原合戦までの間堀尾宗光公石垣普請と言われてます。
 石垣も浜松城、二俣城、鳥羽山城と石その物、石の積み方が何となく似てる様です。
 石垣は大手道、本丸曲輪、本丸大手門構え、本丸鉢巻・腰巻石垣、と有り庭園も発掘されました、天竜川から見上げれば石垣の城が鳥羽山上にそびえていた事でしょう。

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朝田 辰兵衛

中条・鳥坂城散策 1/2(鳥坂古城,白鳥公園ルート登城口,羽黒館)を。 (2019/03/27 訪問)

越後には鳥坂城が2つ存在します。今回は,中条・鳥坂城のほうです。室町時代,江上館を平時の居館として,鳥坂城を有事の詰城としていました。この時の鳥坂城は,鳥坂山山頂の鳥坂古城と考えられています。戦国時代,江上館を廃し,鳥坂城の麓に羽黒館,宮ノ入館を築き,移りました。この時の鳥坂城は,白鳥要害(鳥坂要害)と呼ばれる,白鳥山山頂の鳥坂城と考えられています。
麓の羽黒館は,土塁,郭,堀が遺っていますが,宮ノ入館は遺構消滅しています。
鳥坂城は,標高:298m,比高:260m。鳥坂古城はさらにここから,標高:438mを目指します。
鳥坂古城がキツく感じられるのは,一旦ダウンしてから急斜面のアップになること。鳥坂城でへばっていたら,精神的にかなりのダメージです…。私は,小学校低学年時代の遠足や,当時の町内会イベントで数えきれないほど登らされてました。
現在では,モンスターペアレントの格好のオカズになること間違いありません。当時,引率者でも,鳥坂古城をリタイヤする者がかなりいました。鳥坂古城に登った人は,それこそ英雄扱いされたりもしました。
登城ルートは,みなさんに紹介することを踏まえて,ググりやすい“白鳥公園ルート”で。他に“宮ノ入ルート”と“中条東館ルート”があります。
羽黒館は,羽黒三社として祀られています。

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甲賀の城密集地帯 杉谷 (2019/03/29 訪問)

杉谷川の広い谷あいも甲賀単郭土塁囲みの城密集地域。寺前城、村雨城は、説明板にあるように土塁囲みの主郭に至る通路に注目される。

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甲賀の城密集地帯 杉谷 (2019/03/29 訪問)

杉谷川の広い谷あいも甲賀単郭土塁囲みの城密集地域。寺前城、村雨城は、説明板にあるように土塁囲みの主郭に至る通路に注目される。
城郭配置図には谷の東側部分が掲載されているが、谷の西側の丘にも望月城、杉谷城などがあり、谷を取り囲んでいる。

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宗春

駿府城 (2019/03/30 訪問)

不思議な事に、桜は全然まだでした。

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カズサン

桜装う二俣城 (2019/03/31 訪問)

 桜の開花、満開のニュースに誘われて訪ねましたが桜はもう少し先の満開か、本丸では地元の方々でグラウンドゴルフプレーの最中にて登城口の駐車場は満車。
 
 武田氏徳川氏攻防の城、岡崎三郎信康の切腹でも知られてる城、1590年の家康関東移封に因り堀尾吉晴公浜松入封に因り弟堀尾宗光公の持城として石垣造りの城に造り変え、天守台、本丸中仕切門、二の丸大手門、二の丸下蔵屋敷の石垣が有り、近年発掘発見された西曲輪下の石垣と往年二俣川が鳥羽山との間に流れて居り川から見上げる石垣造りの城が威圧して居たと想像が広がります。

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甲賀の城密集地帯 杉谷 (2019/03/29 訪問)

杉谷川の広い谷あいも甲賀単郭土塁囲みの城密集地域。竹中城は、寺前城、村雨城、望月城、服部城、杉谷城などよりも谷の入り口側に立地。虎口、土塁や堀はよく残るが、先達のレポート通り、竹だらけでかつ竹が倒れてひどい有り様。西側の堀から杉谷川の間は、土木関係の資材が乱雑に置かれており、北側虎口は民家の裏庭先。東側の虎口は民家の横を通りアクセスできる。平地にあり、さらに国の史跡指定なんだから、なんとかして欲しい。

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宗春

興国寺城 (2019/03/30 訪問)

大して期待していませんでしたが、なかなかの城址でした。

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ヒロケン

国宝 犬山城 (2019/03/31 訪問)

犬山城は織田信長の叔父である織田信康が天文6年に木之下城を移して築城したと伝えられています。この後、江戸時代初期にかけて城主は目まぐるしく入れ替わりました。
天正12年小牧・長久手合戦の際には豊臣秀吉は大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた徳川家康と戦いました。
江戸時代になり、元和3年尾張藩付家老、成瀬正成が城主となってからは成瀬氏が代々受け継いで幕末を迎えました。

天守は昭和10年に国宝に指定され、天守の創建年代は1573年~92年の間、1600年といくつかの説がありますが、現存する天守の中では最も古いと云われています。

7週連続6勤真っ只中で先週、家でのんびりしたぶん、今日は朝7時に家を出て、9時過ぎに犬山城に到着。有料駐車場(1時間300円)に車を駐車し、いざ天守へ。風が強く少し肌寒いこの日、天守に上がるのも、写真を撮るのも順番待ち(゚д゚lll)おまけに本町通りで昼食も順番待ち疲れたぁ〜(o´Д`)=з駐車場に入ってから出るまでに4時間 1200円お支払いして帰路に着きました。

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独眼竜

思った以上の堀切がすばらしい (2019/03/14 訪問)

なかなか登城口のわかりにくいお城でしたが、
当時大河ドラマ「毛利元就」に合わせて
東広島市が立てた小さな案内板が
唯一の目印です。
(かなり薄汚れているのでよーく見ないと何が書いてあるか分かりません。)

駐車スペースがないので
近くの少し広めの路肩に駐車しての登城となります。

案内板より
「志和内村を拠点とした黒人領主石井氏の居城、
大内氏に属して各地で活躍したが、
天文23(1554)年、陶晴賢について岩見津和野に
出陣中の留守を陶晴賢と断交した毛利元就に攻められ
落城しました。」との事。

急斜面を登りますが、地域の方の整備のお陰でしょうか
ある程度、整備されております。

Ⅰ郭とⅡ郭でしょうか、間の堀切の大きさには
感動ですね。
その他、竪堀、曲輪など分かり易かったです。
入口以外には石碑や案内看板がありませんが、
見どころはありますのでお勧めのお城です。

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あーる

北之庄城に行ってきました。

桜もちらほら咲き始めていましたが、八幡山城からの道には、ドウダンツツジやシャクナゲ( ❓)の蕾がいっぱいで、もう少し後ならとても美しいと思いました。

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山口駿河守幻夢斎

柏野城跡

住宅街の狭い道のわきに公民館があり、そのわきから山林方向に進める通路がある。

標識もあったように記憶しているが、途中で、順路が分からなくなりました。

雨上がりだったこともあり、ぬかるんで地面が滑ることと、郭と思われる削平地のなかが、すさまじいヤブだったために、早々に撤収。

不完全燃焼の探索となりました。

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ひで

旅行の最終日に行きました (2019/03/29 訪問)

お城の敷地内は整備されていてお城を見れるポイントが多く写真も沢山撮りました🏯

堀も石垣も綺麗に残っていて素敵なお城でした

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