みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

いんげん丸虫

大峰城 長野県長野市 (2019/11/10 訪問)

十数年前、観光地としての展望台、その後蝶の博物館として仕様された模擬天守が建っています。現在は無人の廃屋となり近くに斎場があることから心霊スポットのような扱いもあります。
気分よく城巡りしたい私としては訪れるのを躊躇っていたのですが行ってきました。驚きました。遺構はほぼ完存といっていい位残ってます。模擬天守、駐車場、水道施設が邪魔してるものの全体的な遺構は素晴らしいです。

+ 続きを読む

トーダイ

遺構は見当たりません (2019/11/21 訪問)

津田城跡があったとされる津田山麓の「津田八幡神社」の由緒には、

(本社は)往昔には津田山上に鎮座、津田塁の城主桑村隼人の崇敬社として、
天文年間は三好氏崇拝の篤く、慶長の頃東麓の現在地に遷座した。藩政期は
藩主蜂須賀氏の参勤交代の東上に当り、安全を祈願した。現在の社殿は宝永
2年(1773)蜂須賀綱矩公の時に再建されたと伝わる」と記されています。

築城年代は不明ですが、城主は桑村隼人亮と言われ、三好義賢のために堺で
武器を買って帰る途中、淡路国で海賊に遭い戦死したと伝わっています。

津田八幡神社駐車場(数台)を利用、登城口<34.051839,134.575644>から
狭い登城路で津田山の山頂部に辿り着くが、読めない石碑が建っているだけ、
遺構は見当たらない。中腹に削平地があるが、往時のモノか分からない。
一方、北側は土地造成等で失われて絶壁状態、大変危険です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

街道おじさん

宇都宮城登城 (2019/11/21 訪問)

徳川家康の謀臣である本田正純失脚のきっかけとなった『宇都宮城吊り天井』事件で
有名な城。JR宇都宮駅、東武宇都宮駅から歩いて行ける。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

wako

🍁紅葉🍁 (2019/11/23 訪問)

佐和山城跡に登城!
紅葉が丁度見頃で、とても綺麗でした🍁
今日はツアーガイドをやっていて、龍潭寺からとは違うルートで登れるそうです(いつもは登れない感じ?)。
あと本日は琵琶湖駅伝の開催日だそうで、その日は毎年琵琶湖周りの各城や城跡で、狼煙をあげていくそうです!私が登った時は竹生島であがる時間帯だったのですが見えず…。佐和山では12時にあげるとのことでした。
佐和山城跡も、登り口にある龍潭寺も雰囲気がとても好きでお気に入りの所なので、紅葉の時期に行けて良かったです!

+ 続きを読む

ヒロケン

雨の攻城 (2019/10/19 訪問)

鳥越城は、織田信長による加賀一向一揆討滅の経路がはかられるなかで、本願寺から派遣された鈴木出羽守を城主とし、門徒集団である山内衆の抵抗の拠点として築城されました。天正8年3月に本願寺顕如は信長に屈し、同年4月には加賀一向一揆の中核・金沢御坊が柴田勝家に落とされることとなり、鳥越城は一向衆の最後の拠点となり頑強に抵抗を続けましたが、柴田軍に攻められ落城しました。

小松市街から国道360号線を10Kmほど東進し、三坂トンネルを越え600mほど先を左折、大日川を渡って右手の山上が城跡です。二の丸のすぐ下まで車で登れ、トイレも完備されています。
雨の中での攻城となりましたが、きれいにに整備されており、それほど苦になりませんでした。それどころか、規模も大きく、垂直に切り立つような切岸、迫力のある堀切、空堀等々が良好に残る上、復元整備がしっかりと行われ見どころ満載の城郭です。(*^▽^*)
次回、北陸攻めの際には必ず寄りたいお城の一つとなりました。兎に角素晴らしい(^O^)/

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

大嘗宮の一般公開 (2019/11/23 訪問)

冷たい雨のなか行って来ました。
坂下門から入り、富士見櫓を見上げながら本丸に向かいます。
本丸跡に大嘗宮が建てられていました。
雨にも関わらず人は多かったです。
最近は普段入れないところにも入れるイベントが増えましたね。
開かれた皇室になってきたのでしょうかね。
来週は乾通りの一般公開もあるようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

Fカット

竪堀畝群 (2019/11/03 訪問)

車両通行止めになっていますが問い合わせたところ徒歩での攻城はOKだそうです。
ただ城跡から先は徒歩でも危険だそうです。

+ 続きを読む

しーげ

駐車場に困りました。 (2019/11/23 訪問)

自動車で行っても駐車する場所がなく、非常に苦労しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

街道おじさん

徳次郎城登城 (2019/11/20 訪問)

日光街道を歩いている途中、徳次郎城に立ち寄った。
この城は室町時代にこの地方を治めていた宇都宮氏の家臣、新田徳次郎が
居城にしたと伝わる。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

ひさびさ (2019/11/10 訪問)

近くで仕事だったので帰る前に寄り道。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

試験がえり (2019/11/17 訪問)

近くの大学で試験だったもので。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

難攻半落 (2019/11/02 訪問)

先に国吉城歴史資料館でビデオや展示などを見て予習しました。資料館、とても充実していました。(たくさん置いてあったパンフレットを見ていたら武節城発見。こんなところで勝頼くんに会えるとは♪)

帰りに押そうと思って忘れたら大変なので、登城前にスタンプ押して御城印を購入しようとしたら「登城証明書」(100円)もある!
これも是非いただきたいと思ったのですが、よく読むと「難攻不落を誇る若狭国の要・国吉城址を本丸まで見事攻略したことを証明します」とあり…。
これ、登城前に入手したらいけんやつ。
もちろん本丸まで行くつもりだし、先に購入しても咎められはしないだろうし、御城印と一緒に購入した方が手間がないし、帰りだと忘れる危険性もあるのだけれど、先に買うことにものすごく背徳感を感じる。
ということで、登城証明書の購入は見送り、とっとと登城することにしました。

愛知の山中城、滋賀の鎌刃城に続いて人生三度目の防獣柵オープン!からの人生初の熊鈴装着&杖借りる。(杖は熊と闘うための武器ではありません。。。)

資料館にはたくさん人がいたのに、山の中、前を歩く人も後ろから来る人もいません(ToT)
ちゃんと人が多そうな休日を狙ってきたんだけど。まぁ仕方ない。
九十九折の道を登り、伝二の丸跡に降りて土塁と喰違虎口を確認し、本丸を目指します。
登るにつれて石の遺構が現れてきて、その中には石仏もありました。(敵に投げつけるために集められたのだそうです。なーむー。)
北堀切から、いにしへの石垣が残る西虎口に誘われ山頂へ。

やったぁ、久々の本丸独占‼︎(前日に一乗谷復原町並み独占しているが。)
少し前までものすごく不安だったのに、本丸に到着した途端「誰も来るなー!」とか思ってしまう、この身勝手さ。
往時の本丸らしさの残る中でしばしひとり遊び(え?)をしたところで団体さんが登城して来られたので、ちゃっかりカメラのシャッターをお願いしてから、本丸をお譲りし、2郭へ行きました。2郭からの眺めも素晴らしかったです。
で、連郭曲輪群も行く気だったのですが、ここから先はロープで降りろと∑(゚Д゚)
これは無理だ。重すぎるリュックが邪魔。リュックをここに置いていけば大丈夫かもしれないけど、そんなことしたら遭難者が出たと思われる。と、理性的な判断をし(^^)ここは撤退。下山しました。
(ご投稿を読むと突破していらっしゃる方々が。Σ੧(❛□❛✿)尊敬しかない。)

下山後、忘れずに登城証明書を購入しました。続100名城と同じスタンプを自分で押します。失敗したら自己責任ですが、うまく押せました(o^^o)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カルビン

霜降り早朝 (2014/12/06 訪問)

例の如く深夜の高速道路を大声で歌いながら、自宅から4時間かけて到着したのが二俣城。

攻略に手を焼くものの、川沿いに櫓を組んで鶴瓶式井戸を使っていた水の手を、上流から空船を流して櫓を破壊して切る事で落城させたという、信玄らしくインテリな攻城をした場所になります。
(山本勘助亡き後、ほとんど強硬策を取らずに勢力範囲を広げて行けたのは、勘助の遺言を信玄が守ったのか、それとも勘助の弟子ともされた高坂昌信や真田昌幸の力を上手く活用したのか・・・)

到着したのが丁度明け方の時間で、ものすごく寒かった為か・・・主郭にある芝生から天守台の石垣までびっしり霜が降りてまして・・・
危うく埼玉の中城、東京の小田野城・千葉の真里谷城に続く4度目の転倒をするところでしたε=(´Д`;)(危)

二俣城は石垣だけでなく、高低差を利用した土の遺構(土塁・堀等)も残っており、信玄でも攻略に苦労したのが良く解る気がします。


朝早すぎて、近くにある徳川家康の長男・松平信康の菩提寺・清瀧寺が開いて無かったのが痛恨でした・・・

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

長篠城

40年ほど前に亡き父とオリエンテーリングのように探し回った番号付きの標柱の一部は未だ健在。10年近く前、そんな長篠城の思い出について話したのが、記憶の限りでは父との最後の会話だろう。

+ 続きを読む

イオ

山城装備は充分に (2019/10/27 訪問)

土田城は織田信長の生母・土田御前の出生地と言われ、室町中期に土田氏によって築かれました。土田氏が断絶した後は、生駒氏の養子となっていた生駒親重、その子の生駒親正が城主となりましたが、天正2年、親正は織田信長に仕えて土田城を去り、廃城となったようです。

可児川南岸の城山の最高所に本丸、そこから尾根沿いに小規模な削平地(出丸)が設けられており、本丸と中出丸の間に堀切があるほか、金子山出丸への登城路に石積みが見られますが、遺構か後世のものかよくわかりませんでした。

今年は可児市で山城サミットが開催され、来年の大河ドラマは明智光秀が主人公ということもあり、「ニッポン城めぐり」では明智荘周辺をめぐるスタンプラリーが開催されていますが、山城サミットに行けるかどうか微妙だったので(結局行けました)、せめて城めぐりのスタンプラリーだけでも行っておこう、ということで、この日は可児の山城めぐりです。

大脇公民館の駐車場に車を駐めて登城開始。本丸への登城口を見落とし、可児川沿いの古城めぐり遊歩道を進んで行くと、山側の岩盤がのしかかってきて、川側はトラロープが張られただけの断崖。前夜の雨で足元の枯葉は滑りやすく、崖下の可児川は岩場の中を流れる急流。足を滑らせたら確実に死ぬ……遊歩道入口の注意書きの「自己責任」の言葉が脳裏をよぎります。幸い、ほどなく遊歩道は川を離れましたが、しばらく歩いても登城口は見当たらず、見落としたかな…と思っているうちに朽ちた案内標識を発見。ここから金子山出丸に登るようです。
そこそこ急な斜面を直登すること約5分で金子山出丸と中出丸の鞍部に到着。あまり時間の余裕がないので、金子山出丸はあきらめて中出丸から本丸に向かいましたが、ところどころ道がわかりづらく、随所に貼られたテープやリボンが頼りでした。本丸で眺望を楽しんだ後は、当初登るつもりだった急な山道を下って駐車場に無事帰着しました。

一応、登城口や登城路の案内標識はあるものの、あまり整備されているとは言えず、急斜面だったり危険な箇所もあるので山城装備は充分に。トレッキングシューズ必須、ストック推奨です。
でも、4月以来半年ぶりの山城歩きはやはり楽しく、山城シーズンの到来を堪能した土田城でした。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

土岐高山城跡の森、櫓風展望台 (2019/11/21 訪問)

 今年山城サミット可児大会で紹介ブースで土岐市観光パンフレットを頂き土岐高山城に櫓風展望台が有るのを知り訪ねる事にしました、瑞浪市の鶴ヶ城、一日市場館跡を終えて国道19号で線土岐市へ土岐川を越えて県道421号線高山交差点1本西の道を山側に入り高山公民館横を通り霊園墓地に登る道、矢印看板高山城が要所の有り道なり進むと3曲輪が駐車エリア、既に車3台停まってる。
 1曲輪下に小さな城門、城名石碑、1曲輪には黒々と櫓風2階展望台、桔梗の東屋、1曲輪東下に2曲輪、1曲輪南に3曲輪の連郭式城郭、城下に土岐高山宿が良く眺望できます。
 光秀ゆかりの地として大きく宣伝してますNHK大河ドラマの威力は素晴らしいものが有ります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

信長、信忠も入城した土岐の城 (2019/11/21 訪問)

 今年の山城サミット可児大会で城郭紹介ブースで以前より気に為ってた瑞浪市の鶴ヶ城に苗木城の後国道19号線を南下し初登城しました。
 道案内は瑞浪市のパンフレット、城郭放浪記さん、今回はトーダイさん書き込みに有った古城盛衰記さんを参考にさせて頂きました。
 中津川市より南下し国道19号線の鶴城交差点を右折し高速道地下を潜り諏訪神社を目指す、丁度1台停まるエリアが有り駐車し高速道路沿いに2、300m程に登城口が有る、登城口左右に側溝はコンクリート蓋がされて居り山側に寄せれば路駐は数台可能、離合もOK。
 
 登城口には城名石碑、土岐氏発祥の地、光秀ゆかりの地と記した幟旗がひらめき大河ドラマの影響大、急な6,7曲がりの坂道階段を登ると西出丸、大土塁沿いの道を本丸切岸、葵の井戸、本丸に掛かった階段を登ると東出丸、東出丸と西出丸が両翼と成り急峻な崖、切岸か?が守ってる、本丸は全周急激な切岸、上からは草木竹藪で良く見えない。本丸までは5~10分程で登れます、階段等整備は良好。

 武田征伐では信長、信忠父子が泊り攻略の出発点にしたと案内板に有りました、遠く恵那山も見通せて眺望良好です。

 終わって土岐氏発祥の地、一日市場館跡現八幡神社に寄り探訪、光秀像と土岐氏始祖光衡の像が立ち顕彰されてます。駐車場は神社の奥に数台可能。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

いんげん丸虫

桝形城 長野県長野市 (2019/11/10 訪問)

トレッキングコースになってますが、本格的な山城です。矢印付の進路看板が要所に立っているのが鬱陶しいですが遺構はよく残ってます。コースとして整備されてない広範囲に良い遺構が残ってます。

+ 続きを読む

南山城についに重機が入りました (2019/11/20 訪問)

さようなら!南山城(岡山県倉敷市)

わかってはいたことですが、倉敷市にある発掘調査が終了した南山城に重機が入り、工事が開始されていました。
まずは工事用車両の通り道を麓から北側に向けてユンボで造っているようでした。まさに、令和の破城!

城郭ファンとしてはとても寂しいところですが、あの1年前の真備の町の惨状を目の当たりにすると、1日も早く工事が完成して、真備町や矢掛町が安全な町になることを願うばかりです。

この南山城は戦国時代の土で出来た山城全域が発掘されその後消滅するという非常に珍しいケースであったため、注目されて各メディアにも取りあげられたりして全国から沢山のお城ファンが見学に訪れました。
発掘がほぼ完了されたときは、城域全てが土剥き出しのハゲ山となり、お城が機能していた当時の戦国時代の様相が現代によみかえったようでした。

倉敷市民としては真備町の一日も早い復興を願い、お城ファンとしては南山城の発掘調査報告書の完成を楽しみにしています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

国史跡 (2019/11/17 訪問)

標柱はとても見つけやすいのですが、どこから登城して良いのかよくわかりませんでした。沢を渡って直登し尾根にとりつきましたが、沢を渡るときに石を踏み外して靴がずぶ濡れになってしまいました。主郭下に大きな堀切があり、主郭の一辺には土塁も認められました。飛騨の山の紅葉は黄色がきれいでとても見栄えが良いです。長野県だと茶色が勝ってしまっているので。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ1546