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Touch

大和時代の息吹きが感じられる (2019/06/18 訪問)

グラススキーが出来そうな丘みたいな山の頂上に石碑が建ってます。所々、昨年の災害の爪痕が残っており、横移動が困難になってました。

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Touch

各所に石垣が点在 (2019/06/18 訪問)

森林公園管理棟で情報をもらい、堤の一部と百間石垣を見に行った。何処かのテレビ局か、クルーがやって来て、撮影をしていた。

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こげら

案内板 (2019/06/20 訪問)

今は、東京都板橋区にある都立赤塚公園となっていますが、江戸名所図会に紹介されている千葉家古城の跡です。
この周辺の徳丸ヶ原は、かって将軍家の御鷹場でした。

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Touch

展示室で、その規模を理解した。 (2019/06/18 訪問)

最初は、何が凄いのか分からなかったが、展望台に登って遠くを見て、展示室でビデオを見て、その規模に感銘を受けた。

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Touch

少し残念。 (2019/06/19 訪問)

大都会福岡の真ん中に、こんな素晴らしい城跡があるのに、もう少し手をかけていただいたら、もっとお客さんも呼べて、観光資源になったのに、と思ってしまった。

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チェブ

福島県と栃木県の境目のお城。 (2019/05/05 訪問)

GW中、福島県のお城巡りを終え 帰る途中に、まだ明るいという理由で寄った「芦野城」です。
毎度、毎度の無計画。すいません。
芦野 資興さんが太田 道灌さんの兵法を学んで築城しました。(説明板には芦野 盛泰さん説もあるそうです。)
福島県のお城を訪ねていると戊辰戦争や上杉家、蒲生家の名前が多かったので「太田 道灌」と書いてあると帰って来たんだ~と思いました。
私の行動範囲は太田 道灌さんや北条氏のお城跡が多いのです。
芦野 盛泰さんの時代に秀吉さんの北条征伐です。
芦野家の主家とは一緒に行動せず那須衆として参陣しました。
関ヶ原の時は家康さん方。
上杉 景勝さんの備えとして奮闘します。
江戸時代には旗本として陣屋を置きます。
私は車を那須歴史探訪館の駐車場に停めました。
無料ですが9時~5時までです。
駐車場からは遊歩道が続き、二ノ丸に到着します。
まだまだ奥があるのでリベンジして、いつか報告しますね。

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イオ

フェンスやむなし (2019/06/16 訪問)

鎌倉時代に築かれた城で、北条方だったため、楠木正成一族に攻め滅ぼされたとのこと。南北朝期以降は史料に登場しませんが、戦国期に改修された形跡があるようです。

陶器城は駅から遠く(約2km)、車の場合も周囲は住宅地で駐車場もないため、駐める場所で苦労させられます。
城域は東陶器公園のあたりで、公園の南西部のフェンスの前に説明板があります。説明板の縄張図によれば、フェンスの向こう側が本丸跡で、本丸の北西部と南東部に曲輪が設けられており、北西の曲輪の北部は駐車場(一般の駐車はできない模様)に、南西の曲輪は幼稚園になっていて遺構は見られませんが、本丸跡には土塁が状態良く残っているのがフェンス越しに窺えます。

できることなら、中に入って遺構を見てみたいところですが、公園と幼稚園に隣接する立地で出入り自由にすると遺構の保護が図れないでしょうし、フェンスもやむなし、というところでしょうか。なにせ私も、子供の頃には近所の神社の斜面にスコップで穴を掘って秘密基地を造ったりしてましたので…。
 

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刑部

山歩き (2019/06/20 訪問)

普通の森林山歩きでした、遺構はわかりません。

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Touch

この規模の城跡、マーベラス。 (2019/06/19 訪問)

噂に聞いたけど、やはり実際行って、その巨大な縄張り、規模の城跡が、そのまま残っているのに感動した。都会にもし築かれたなら、きっとすべて造成して更地にされていたでしょう。やはり、秀吉ね作った城、何もかもマーベラス。

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Touch

海風が強い! (2019/06/19 訪問)

玄界灘からの風が非常に強く、山の上にそびえる天守が、鶴のように、その風に抗う様子が想像できる。下から見るとかなり大きく感じるけれど、二の丸から見ると、ちょっと小ぶりに感じる。

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Touch

想像より良かった! (2019/06/19 訪問)

何故、前期100名城に選ばれなかったのか不思議なくらいに、規模、歴史、再建天守や縄張りも素晴らしかった。

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シロマサ

堀井城は整備工事中 (2019/06/19 訪問)

小堀城からナビで堀井城の近くの八王子神社の北にあるゴミ置場横に駐車する。
堀井城に近づくと整備工事中だったけど、3時の休憩中だったのでお邪魔して撮影しました。
土塁は綺麗に、堀はくっきりと整備されていました。
中央に残る井戸と石碑、それに雑木は残す感じだ。
南はしまで行き、土塁の外堀を通って東から北に回り戻ってきました。
堀の底面にはマンホールがあるので空堀だとわかる。
帰って検索して調べると、ひょうご地域創生交付金事業で、「堀井城跡の活用による遊歩道・公園整備とグランドゴルフ場等の整備」となってました。
明年1月末まで工事期間。完成後是非また来たいです。

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シロマサ

此処もついでに整備してほしい。 (2019/06/19 訪問)

河合城の東側水路から北にすぐに近くなのでナビ無しで移動する。
自動販売機の前で場所確認、ちょっと過ぎたので、Uターン直ぐ西側に説明板を発見する。
車が交わせる場所で駐車して探索開始した。
門構えは立派だけど壊れかけた家の前で説明板を確認後西から撮影。
少し離れて全体が収まる場所から写すが、草茫々で土塁が確認できない。
戻って車を停めた道から撮影、やはり土塁が見えない。
此処も整備してほしい。(後で行く堀井城の整備を見て)
最後に行った太閤の渡し、能舞台の写真を追加します。
太閤の渡しは加古川の西岸、新宮神社は渡しの西側です。

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勝野武士

朝田辰兵衛さん、ならびに新潟にお住まいの方々へ。

大変恐縮ではありますが、この場をお借りしまして申し上げさせていただきます。

先宵の地震から24時間が既に経過しました。
時間の経過とともに被害状況が明らかになるにつれて、非常に心が痛みます。
阪神大震災を経験している身としましてはとても他人事とは思えず、不安な夜を過ごされている方々を思うと、とても辛いです。

朝田辰兵衛さん、新潟の皆様、ご無事でしょうか?
お怪我は無かったでしょうか?
とても心配です。

謹んでお見舞い申し上げますとともに、一日も早く元通りの日常がは戻ることを御祈念致します。

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にのまる

歴博とセットで。 (2019/06/16 訪問)

瀟洒な住宅が立ち並ぶ中の公園で、駅からも近く行きやすいです。
中郭に再現された建物跡は生い茂る草に埋もれて今の時期は見えませんが、遺構や当時の生活の説明板がたくさん立っているのでふらっと立ち寄っても楽しいです。

城址公園内をぐるっと一周してから徒歩数分のところにある横浜市立歴史博物館に行きました。
企画展「“道灌以後”の戦国争乱―横浜・上原家文書にみる中世」開催中です。
現地には何もなかった葛西城の出土品にお目にかかれたのがたいへん嬉しゅうございました。関東の小競り合いが好きになりそうです。
関連イベントもいろいろあります。
詳しくはhttps://www.rekihaku.city.yokohama.jp/koudou/see/kikakuten/2019/doukan/

※茅ヶ崎城と歴史博物館、遺跡公園の3点セットがお勧めですが、歴史博物館は8/1〜3/31迄改修工事のため休館だそうです。

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小城小次郎

南山城

南山王の拠点とされ、15世紀の遺物が出土しているものの、決して要害ではなく規模も小さいこのグスクをどう位置づけたらよいのかは、一筋縄ではいかない難問だろう。

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そこはOBゾーンです (2019/06/16 訪問)

吉井川河川敷のゴルフ場内の岡が痕跡。岩塊の岡が河川敷に残っている。クラブハウスによれば、ゴルフプレーヤーが少なければゴルフ場を突ききって行って良いとのことだが、訪問が日曜日につき隙間なくラウンド者あり。クラブハウスの指示の下、車でコースの外回りを行き、到達。ちなみに岡の周辺はOBゾーンになってます。
一揆の記念碑もありました。一揆が成功して良かった。昨今の香港の大規模デモも成功して良かった。

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くろもり

人間五十年 (2015/06/28 訪問)

日本人なら歴史に疎い方でもなんとなく知っている「織田信長が桶狭間の合戦に向かう前に、敦盛(人間五十年~の歌です)を舞ってから出陣した」と伝わるのがここ清洲城です。

江戸時代に入ってしばらくして、清洲越しと呼ばれる城下町毎名古屋へ引っ越した為、城も廃城となってしまいました。現在、遺構はほとんど残っていませんが、なかなか立派な模擬天守が建っており、平成8年の五条川の護岸工事で発見された石垣を清洲古城跡公園に移築復元してあります。また、線路を挟んで南側の清洲公園に桶狭間の方角を見据える信長の像とそれを見つめる濃姫の像があります。

清洲城について書かれた本で1冊だけ紹介させてください。遠藤周作先生の『埋もれた古城』に収録されている「タイム・マシンで見た清洲城」です。遠藤周作先生の作品は『沈黙』『海と毒薬』『深い河 ディープ・リバー』等、宗教観や倫理観の重い題材をテーマとしたものが有名ですが、こちらの『埋もれた古城』はとても同じ人間が書いたとは思えない程、ユーモアに溢れた作品となっており、特に「タイム・マシンで見た清洲城」での織田信長と狐狸庵先生(遠藤先生)との掛け合いは爆笑で、信長のイメージが「第六天魔王」から「ヤケのヤンパチの信長」になってしまいましたw 他にも『埋もれた古城』を書くきっかけになった世田谷城や切支丹に深く関わった日之枝城等の短編が収録されており、城や歴史が好きな方なら楽しんで読めると思います。

織田信長が敦盛を舞って桶狭間に出陣したのも、若き秀吉が石垣の修理で信長の目にとまったのも、織田家の命運を決めた清洲会議もここであったと思うと感慨深い所でありました。

長文の後ですいませんが、カズサンさんへ。
確かに昨日の夜は次の写真への表示遷移にいつもより時間がかかっていました。先程確認した所、今日は通常と変わらないくらいの時間で写真が表示できています。城マップの表示も問題ないですが、まだ問題あるでしょうか?
城マップの表示は以前と変わって地域別の遷移機能等が新しく追加されていたので、『城びと』サイトの機能の更新による一時的な問題ではないかと思います。問題解消されないようでしたら、『城びと』サイトに直接問い合わせてみるといいと思いますよ。以前、私が『城びと』さんに問い合わせた際のメールアドレスを記載しておきます→shirobito@shirobito.jp

朝田 辰兵衛さんへ
新潟・山形の地震大丈夫でしょうか?「いいね」で無事を確認させて頂いたので安堵しております。後、村上城心配ですね・・・辰兵衛さんの新潟近辺の投稿楽しみにしていますので、落ち着いたら是非また投稿されて下さい。

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街道おじさん

諏訪原城登城

諏訪原城は徳川と武田の戦いで重要な役割を果たした城である。
廃城になったが、門や馬出などが復元され当時を偲ぶことが出来る。

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シロマサ

ナビですんなり石碑位置まで到着。 (2019/06/19 訪問)

金鑵城行く時に河合城の案内標識が気になっていました。
山下城でお会いした人が田圃の中でわかり難かったと聞いていたのにすんなり到着する。
そのまま駐車スペースがある所で留めて石碑位置まで戻ってくる。
簡単な縄張り図を参考に北の水路位置まで歩く。
そして南の水路が西に折れる位置まで移動する。(堀位置はもう少し北)
北の水路が東に伸びている方に車を移動する。
丁度水路が東から北に 折れる位置に到着する。
河合城は水路(水堀)だけしか確認できなかった。

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