ながのじょう

長野城

福岡県北九州市


旧国名 : 豊前

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畝状竪堀
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248条の畝状竪堀 (2024/03/20 訪問)

 「九州の名城を歩く」(吉川弘文館)によると日本列島最多の248条の畝状竪堀(案内板では約250本)がある山城です。北側に開口する馬蹄形を呈し、北西部に出丸、北東部に二の丸、南側に本丸が配置されています。この馬蹄形の外側に多く畝状竪堀が存在しています。かなり良好に残っていると思いますが、草木により見にくくなっている所も多かったのが少し残念でした。本丸の南側は竪堀が2段になって存在しています。近くに行けばわかるのですが、雑草などがなければ2段になった竪堀がよく見えて全体の構造がわかりやすいのではないかと思いました。
とにかく只管畝状竪堀だけを見る散策です。私としては楽しかった。
林道より登城しますが、標識がありわかりやすくなっていて迷うことはありません。本丸や出丸方面からも登城路はありますが、自分は二の丸方面から登城し馬蹄形の城内をまわって出丸方面より下りてきました。二の丸から本丸までは歩きやすくなっていますが、本丸から出丸は少し歩きにくかったですね。もっとも畝状竪堀を見るために曲輪より少し下りた場所を行ったり来たりしたので、自分から歩きにくい場所へ突入していました。
 
 長野緑地公園中央駐車場に案内板があります。
近くに長野城への案内標識があり、それに従って登城しました。ネットで見たときは荒れた林道を登って行くとなっていたのですが、案内標識に従って登って行くと山の中を登って行くことになります。どこかで道を間違えたらしく城址よりかなり高い位置にある林道に出てしまいました。その後、林道を下って城址に辿り着き、1時間以上時間をロスしました。帰りは林道を下りてきましたが、かなり崩落が進んでいて危険な場所もあります。入口のゲートから出ようとしましたが扉には南京錠がかかっていましたが、ゲートの横に通ることのできる隙間があり出ることができました。案内標識があるので登城禁止ではないと思いますが登城された方々がネットで紹介されていた経路は危険なのでう回路ができたのでしょうか。

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武者之小路

遺構らしきものは畝状竪堀群以外は有りませぬ (2023/10/01 訪問)

何度か行っては迷いリタイヤしたりしました。

3度目の正直で無事登城する事が叶いましてござる(;´∀`)

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零汰

初ウネウネ (2019/11/09 訪問)

城跡の訪問を始めて2.3か月程経った頃に奇妙な言葉を知る。「畝状竪堀」普通に読めなかった、畝で調べると「畑で作物を作るために(何本も間隔を空けて)細長く直線状に土を盛り上げた所のこと」とある。「畑・・・・・。」

数多くの畝状竪堀があるという評判の城跡、訪問した時点では城跡入口に行く林道が崩壊していて近くにバイクでは行く事が出来ませんでした。(現在の状況は分かりません)長野緑化公園の南側の広くなった道路にバイクを置いて歩いて行きました。そこからだと城跡入口まで約1.6km、片道20分程度かかります。

城跡の入口から直ぐに二重竪堀があります。垂れ下がっているロープを伝って登っていくと直ぐに二の丸に到着します。そこから本丸を目指して進んで行くと何やら左手の地面が波を打っている。果たしてそれが初ウネウネでした。確かにサツマイモの畝の巨大版だ、これなら1mを超えるサツマイモが出来るかもしれない。連続して同じ形状の畝が並んでいる姿は美しい、たちまちウネウネのファンになる。残念ながら写真に撮るのは難しく形状を正確に捉えた写真は数が少ない。

本丸には自然石の上に石像が有ったり土壇があったりとする。本丸の側面のウネウネは雑草で隠れている場所もあったが、整備されていても200以上もあるウネウネを全て見ることは出来やしない。相当数のウネウネを見ることが出来たのでとても満足できました。

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零汰

【城と看板】 (2019/11/09 訪問)

見えん

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 平康盛
築城年 保元2年(1157)
主な城主 長野氏
廃城年 天正15年(1587)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、畝状竪堀群
再建造物
住所 福岡県北九州市小倉南区長野