築城の名手でかつ徳川家康の信頼厚い藤堂高虎が関ケ原の戦いの後、この地に入封し、津城を大改修した。
高虎の騎馬像が立っている。
内堀・石垣や多門櫓等見どころも多い。
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2019/08/20 23:07
2019/08/20 22:49
2019/08/20 22:26
2019/08/20 21:28
畠山政長の最後の城 (2019/08/18 訪問)
応仁の乱を引き起こした一人、畠山政長の城であり、最後の地でもあります。城址碑は旭神社にありますが、近くの東之坊は正覚寺の五坊の名残り、さらに東の住宅地の中に畠山政長の墓があります。
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2019/08/20 21:19
平野郷の陣屋跡 (2019/08/18 訪問)
もともとは二重の堀土塁で守られた平野郷環濠があったところ。江戸後期に古河藩領となりました。陣屋門が残る大念佛寺は、年一回八月第四日曜日だけ開館する幽霊博物館が有名。所蔵している幽霊の掛け軸を見られるという、夏らしいお寺?です。
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2019/08/20 21:04
高嶺城未遂なのが悔やまれる (2019/08/16 訪問)
山口大神宮から豪雨の中傘差して歩く事20分くらいで大内氏館のある龍福寺へ。
山口大神宮で既に時刻は16:00を回っており、龍福寺にある資料館に間に合うか微妙なところでした。
途中で雨足は弱くなり、降ったり止んだりになったので、見学するには苦にならない状態になってくれたものの、16:25頃に到着した龍福寺の資料館、ちょっと早めに閉まっておりましたorz
全てが中途半端になってしまった今回の遠征1日目、大内氏館としての庭園と周囲の土塁の地形は確認したものの、肝心の復元門を見忘れてしまうという痛恨のミス(涙)
かなり疲れていた事もあったと思いますが、そもそも今回の遠征、1日目は完全に集中力に欠けていました。。。
それにしても続100名城としては見所が少なすぎで・・・やはり見学未遂に終わった高嶺城も合わせての続100名城なんですね。。。
この後すぐ近くにあるハズの大路ロビーに大内氏館のパンフレットがあるとの事で探したんですが、見つけられず・・・
そもそも大路ロビーまでの地図持っていたのに・・・それすら忘れてしまっていたという。。。(大内氏館から南西にすぐのところにあったハズ)
こちらは閉館まで時間に余裕あったのに、探すの諦めるのも早かったのは・・・やはり本調子では無かったからか。。。
山口駅周辺は史跡や神社仏閣が多く、隣の駅は温泉地(湯田温泉)ですし、更に駅周辺散策するのにレンタサイクルもある事から、1日使ってじっくり散策して、その疲れを温泉でリフレッシュされるのがベストな行軍になると思います。
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2019/08/20 20:17
布勢天神山城 (2019/08/10 訪問)
【布勢天神山城】
<駐車場他>城跡の道路挟んで斜め前に湖山池公園お花畑ゾーンの無料Pあり。
<交通手段>車
<見所>曲輪
<感想>日帰り米子御城印取得と鳥取県の城攻めの旅5城目。この旅最後の城は湖山池東側にある布勢天神山城。15世紀中頃以降に山名氏による築城だが、鳥取城が出来て武田氏・山名氏・尼子氏による鳥取城争奪戦いによって16世紀中頃以降は廃城になっている。
城跡は鳥取緑風高校内にあり、県道264号線から城跡に入る道が整備されているので許可なく入れて、城跡は北側から登っていきます。
城郭は平山城で、南北に大きく3つある連郭式、最北の曲輪は登山途中の小さい2段式の曲輪、真中の曲輪はすごく大きく、井戸・土塁・櫓台跡らしきものがあり、南側に小さい上段がある。最南は東屋がある曲輪で中くらいの大きさ。ここも櫓台のような土塁のようなものがあり、真中の大きい曲輪との薄い堀切となっていた。山の斜面は全く整備されていなかったので、小さい曲輪や竪掘等の遺構は分からなかった。
今回の旅は予定の1城を残してほぼ計画通り目標を達成した。充実した城跡巡りだった。走行距離608㎞無事完走。
<満足度>◆◆◇
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2019/08/20 19:26
2020年3月31日まで待ちましょう! (2019/07/13 訪問)
神奈川県伊勢原市「糟屋館」に行って来ました。
扇谷上杉氏の本拠地です。
こちら「糟屋館」では扇谷上杉 定正さんが家臣の太田 道灌さんの優秀さを恐れて(妬み?)暗殺しました。
しかも、お風呂上がりに。
道灌さん「当方滅亡!!」と叫び絶命しました。
その後の両上杉氏は、はっきりしない争いが続いたり和睦したり、また争ったりと30年続きます。
ん~、道灌さんが生きていたら怒られそうです。
この辺りまでグーグルに案内してもらいましたが舗装されていない道や、クランク、一苦労でした。
広いアスファルト道路に出ました。
まだ途中までしか開通していないようです。
その先に工事現場?
いや、グーグルのゴール地点です。「発掘調査しています」とあります。
「糟屋館」です!
ブルーシートの下が気になりますが、お楽しみに、、、です。
向こう側に産業能率大学が見えました。こちらの学生さんが調査しているのかと調べてみたら、情報マネジメント学部なので、違いますね。
発掘調査は嬉しいけど新しい道路工事は「糟屋館」を狭めていないか心配です。
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2019/08/20 18:49
日本のマチュピチュへ (2019/08/20 訪問)
天気予報は雷雨となっていたが、ぎりぎり持ちそうな空。
これは登るしかない、と腹を決めて竹田城へ。
天空バスの存在を知らず麓から徒歩でちょっとした登山。
絞れるほど大量の汗をかいた先には、素晴らしい石垣が待っていた。
登ると感じる浮遊感。まさに空中の遺跡と言っていい。
次は雲海に浮かぶ竹田城を見に来れるだろうか。
入場口で受付の方にかけられた「今度は秋にも来てくださいね」との言葉が胸に残る。
絶対にもう一度来よう。
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2019/08/20 09:50
空堀跡や復元された櫓、移築門が見られます。 (2019/04/09 訪問)
訪れるとまず目に入ってくるのは復元された塀と櫓ですが、これがかなり雰囲気があります。
戦国時代、中世の城跡のこんな感じだったんであろうなというイメージが掴み易いと思います。
天守、石垣といった堅牢で豪華な城跡になる前の魅力を伝えていて、この城跡を見て中世の城跡も良いなと感じるキッカケになる方も多いのでないかと思います。
復元された櫓や塀は、訪れてすぐ見える橅木門からでも水の入った掘りから眺めても雰囲気がありますよ。
また、敷地内には物見矢倉や関宿城からの移築門もありました。
奥に行きますと、空堀の跡もあり、周囲を囲むこの掘も見所がありました。
駐車場もあり、見学もしやすくなっています。
交通の弁があまり良くないのですが・・・。
ともかく中世の城の魅力をすんなり受け入れる事ができる、そんな空気を作ってくれている城跡だと思います。
訪れたのは桜の季節でしたが、中世の城跡と桜のコラボというのも珍しいのでがないでしょうか。
それもこの城跡の魅力の1つだと思います。
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2019/08/20 09:42
土砂崩れ (2019/08/19 訪問)
ながさき女神大橋下の駐車場に車を止め見学に行ったところ、土砂崩れの為、立ち入り禁止になっていました。早く復旧する事を願っています。
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2019/08/20 06:11
加藤清正の所領 (2019/07/21 訪問)
鶴崎小学校の工事の際に遺構が発見されたそうですが、詳細な発掘調査には至っていないようです。中世の鶴崎城より、天草加増の代わりに加藤清正がこの地を所領として所望し、この地に鶴崎御茶屋が設けられたことのほうをアピールしていました。大野川の舟運で肥後とつながり、港町として栄えた歴史があるとのことです。
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2019/08/19 22:53
2019/08/19 22:45
2019/08/19 22:41
長船紀伊守屋敷 (2019/08/14 訪問)
宇喜多家重臣・長船紀伊守の屋敷。長船城ではない
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2019/08/19 22:39
2019/08/19 22:38
福岡城 (2019/08/14 訪問)
九州の「福岡」の由来となった地。この城は備前守護・赤松氏が陣城として籠ったり備前守護代が政庁として用いたりと、なかなか有用だったそうです。川の氾濫で使えなくなりましたが……
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2019/08/19 22:34
砥石城 (2019/08/14 訪問)
宇喜多泉州様のお爺様の城。雨が(略)
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2019/08/19 22:32
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