ここの城は、135mの臥牛山に築かれています。
今は石垣しか残っていませんが、戦国時代は上杉謙信に反発した本庄繁長の居城だそうです。
天守跡にひとりで佇むと、タイムスリップした気分となり、妄想が膨らみますが、ほとんど病気ですね✌️😌
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2019/04/04 07:37
2019/04/04 07:24
2019/04/04 06:56
2019/04/04 00:06
城址碑さがし。 (2019/03/21 訪問)
矢板駅から約650mです。
矢板小学校近くに城址碑があるとのことでしたのでタッチしてすぐに駅に戻ろうと思っていたのですが、小学校側からだと見つけにくかったです。
城址碑は祠の横の狭い場所にあり、正面からだと写真が撮りづらかったので歩道に下りたのですが、今度は高すぎて撮れず、車道を渡ってズームでやっと何とかおさまりました。
帰宅後、写真の碑文を読むと【矢板周防守長則は永禄元年に上杉謙信が攻めてきた時に陣頭に立ち、寄せ手を敗走させてこの地を守ったすごい人】とあり、続けて【矢板城は矢板保健所やNTTのあたりにあった】とありました。
えーっ、行った場所、違った?と思って慌てて保健所とNTTの場所を検索したら、ざっくりこのあたりで合っていました。よかったです。
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2019/04/04 00:04
小田原城で講演会! (2019/03/31 訪問)
小和田哲男先生とセンゴクの宮下先生の講演会があったので、小田原へ行ってきました。
講演会は小田原城の近くの市民ホールが会場でしたが、なんとほぼ満員!小和田先生による、北条氏の初代から5代目まで、どうやって強い国を造り上げたのかの講演の後、小和田先生と宮下先生、小田原城天守閣館長によるディスカッションが。漫画のシーンを見ながら、小和田先生の解説を聞いたり、宮下先生が漫画にするにあたっての意図を聞いたりと楽しい会でした!
写真は、宮下先生が書いたイラストにあわせて、肖像画を並べたスライドが投影されたときのもの。面白かったので、投稿します!
講演会の後は、小田原城へ。まだ桜は満開ではなかった&かまぼこ祭りは終わってしまって片付け中だったけど、沈みかけている太陽の光線がとてもきれいでした!
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2019/04/03 23:59
霧雨の米沢城 (2018/04/15 訪問)
生憎の霧雨小雨、途中まで出掛けてた宇都宮から早朝飛ばし山形未踏の城登城旅1日は何回か訪ねてる米沢城の桜が見たくて雨の中桜まつり最中を探訪。
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2019/04/03 23:40
2019/04/03 23:34
2019/04/03 22:15
【平成26年】解説版が突っ伏してた(汗) (2014/11/30 訪問)
なんとなく平成シリーズにしてみましたw
朝一に真里谷城で転倒してテンション下がっていたものの、佐貫城に来た頃にはすっかり忘れてました(←現金w)
駐車場に車を停めて、遺構?かどうかは怪しく感じる石垣?の横にある登城口から左手に三の丸跡を見つつちょっとだけ上り坂を進むと林の中へ。。。いきなり虎口がお出迎え・・・もうそこには土の遺構があります。
整地状態は当時微妙でした(メインルートと思われる場所はちゃんと整地されてましたが、ちょっと外れるとそこは藪の中・・・)が、本丸へ向かう道は問題なく、途中二の丸や土橋、空堀(当時雨水が溜まっていて、水堀かと思った)を見ながら本丸へ。
本丸も林の中ですが、その虎口にも石垣が存在し。。。どちらもリアルに見えるものの千葉県のお城で石垣???と疑問がw
そしてその先には展望エリアが。。。そんなに高い所まで登った感覚は無く、恐らく小諸城や沼田城のように崖端城なんでしょう。
意外と遠くまで遠望の利く高所になってました。
城域はそれほど広く有りませんが、ここだけを目当てに来ても損は無いくらいのものは・・・あると思います(`・ω・´)
当時駐車場脇には解説版が・・・あった事はあったんですが、表示側を下に倒れてましたw
重すぎて一人では起こせませんでした(びくともしなかった(ーДー;))・・・今はどうなっているだろうか(そのままって事は無いと思いますが・・・)
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2019/04/03 21:58
地位のある山城 (2019/04/03 訪問)
城の防御では曲輪、空堀がメインです。
上杉謙信の息吹が感じられる城でした。
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2019/04/03 21:25
「伝波多野城」 (2019/03/31 訪問)
<オススメ>★★☆☆☆
中世の波多野氏の居城とされるが伝承にすぎない。伝承地には石碑が建つが、城跡や屋敷等の遺構は発見されていない。しかし、三方を深く刻まれた台地は攻めるに堅く、守るに易い地形である。金目川が側を流れ、農業や水利などの面からも中世武士団の拠点としての要件は備えている。また、波多野城より徒歩15分圏内に「源実朝の首塚」もあり併せて見学してほしい。
<アクセス>
小田急線秦野駅北口4番乗り場「藤棚行き」東農協前下車 徒歩15分
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2019/04/03 21:11
「伝真田城」 (2019/03/31 訪問)
<オススメ>★★☆☆☆
石橋山合戦で戦死した真田与一の城と伝わる。その後、扇谷上杉氏の家臣・上田氏の城となったとされる。現在、宅地化が進み、遺構は消滅している。
<アクセス>
小田急線鶴巻温泉駅 徒歩20分
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2019/04/03 20:30
再来して思う事。 (2019/03/02 訪問)
二回目の「足利氏館」です。
スタンプ、押し忘れのため行きました。
5年前に行った頃は信玄さんや信長さんの本ばかり読んでいたので正直、「足利氏館」興味がありませんでした。
なぜ、栃木県に足利氏が居るのかも分からなかった位なのです!
「城びと」で皆さんの投稿をきっかけに、いろんなお城におじゃまし、いろんな先人達と出会い新たな歴史の本を読んでます。
ありがとうございます。
太田 道灌や北条 早雲等々を読むと関東の足利氏が出てきます。もちろん「足利学校」も登場します。
「足利氏館」は12世紀末、2代目の義兼さんが築いたとされてます。義兼さんの奥様は北条時子さん。政子と姉妹です。
やや!またしても違う時代の人物。本、読みます。
今回、車を太平記館の駐車場に止めました。観光バスも止まる大きな駐車場です。
観光案内やお土産屋さん、レンタサイクルもありました。
「足利氏館」に行くのに大きな道を渡ります。私は横断歩道を渡りました。歩道橋もあります。この上からだと水堀と土塁が広範囲で見られるのでは!
と今頃、気が付きました。
三回目が楽しみです。
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2019/04/03 18:13
野江水神社 (2019/03/30 訪問)
旧大和川と淀川の合流地点である榎並荘に三好政長が築いた城で、政長の子の三好政勝が城主となり、三好長慶の包囲に8カ月間耐え抜いたものの、江口城での政長の敗死により、政勝は瓦林城に撤退し、榎並城は廃城となったようです。
遺構はありませんが、城域と考えられる榎並小学校前には石碑と説明板が、隣接する野江水神社の由緒書きにも城内に社を建てたとする記述があります。最寄りの地下鉄・野江内代駅から小学校前の石碑に行くには野江水神社を抜けるのが近道ですが、境内への入口(裏手)には数段の石段があり、神社のあたりが高台になっていることを実感できます。周辺は川の合流地点で水害の多い低地であることからも、この高台一帯が城域だと考えられます。
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2019/04/03 15:25
桜装う一豊の城 (2019/04/03 訪問)
先月31日桜装う遠州路城巡りの残り2城の内掛川城に出掛けて来ました堀川に咲いて居た掛川桜はすっかり散り染井吉野桜が咲き始め木により枝に依り満開に近い物まだ2、3分咲きのもの今週末が見ごろかと、久しぶりの探訪です。
ご存知木造復元の天守閣、一豊公が高知城を前領地の掛川城天守に似せて築城したとの伝聞に因り木造復元は高知城をモデルに復元したと聞き及んで居ります、長く大切に整備保存をお願い致します。
二の丸御殿が江戸時代のまま残ってる城としても有名です。
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2019/04/03 14:58
2019/04/03 11:14
2019/04/03 10:29
大阪城 (2019/02/18 訪問)
2月に大阪城に登城
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2019/04/03 08:05
土塁と空堀が残ってました。 (2019/02/12 訪問)
城跡のほとんどは住宅や畑になっておりましたが、残った主郭には土塁や空堀が残っていました。
住宅の間の入り口から入ると畑があります。
その畑の奥に案内板が見えます。
畑に出ると所々なくなってしまってはいますが、周りを囲む土塁が確認できます。
案内板の所まで進みその横に空堀も残っていました。
これだけ残っていれば立派な城跡です。
十分、城跡の雰囲気を味わえましたよ。
駐車場はないので入り口付近の空き地に少々停めさせていただいてささっと見学してまいりました。
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