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カズサン

出羽路城巡り初登城 (2018/04/15 訪問)

 昨年4月2泊3日の山形県未踏の城巡り初日朝早く米沢城の前に初登城、生憎の小雨状態でしたが登城口に舘山城保存会が有り立ち寄り情報収集、幸いの事に保存会にいらっしゃった方が一昨年城郭情報部さんブログで知った「舘山城ハンドブック」を手配し入手で世話になりお便りを頂いたご本人と知り話が一層弾み更にお茶お菓子の接待にも預かり感謝です。

 初登城土の平山城、伊達政宗生誕の城と大看板、北、南に川で挟まれ半島状の絶壁を巧みに取り入れ平地を館を南北に丘陵部は山手側を二重大堀切で遮断近世城郭の造りです、遮断土塁の規模の大きさに感激です、米沢城の賑わいに比べ私一人の探訪でした。
 隠れた名城が有る物だと大感激、帰りに保存会の人と話しこんで仕舞う程、ありがとうございました。

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勝野武士

高山右近と海城の面影を探る。 (2019/03/31 訪問)

枝吉城へ行ったついでといいますか、高山右近つながりということで、日も暮れかかっているけど近所だし、行くっきゃないでしょう、船上城。

ということで、およそ10年以上振りの船上城を散策してきました。
明石警察署の裏手に公園がありまして、非常にわかりやすい説明板があります。今回はこれをもとに歩いてみました。

さぁ、いざ本丸へ!と思って説明板を見ると、
『私有地につき、立ち入りはご遠慮下さい』
と。
昔は畦道を通って普通に入れたんですけどねぇ…残念。
とりあえず公園から本丸跡を一望できますので、これにて我慢。
本丸跡は戦後に農地としてゴリゴリ削られながらも一画に祠が祀られて一部だけ残っております。
なぜここに祠が祀られているのか?ここが天守跡だから辛うじて残されたのかと勝手に邪推してみる。はい、何も根拠は御座いませぬ。

城の面影を残すものといえば、あとは本丸跡のすぐ横を流れる古城川でしょうか。これは当時の内堀の跡なんだとか。これを下流側に辿っていけば古波止(当時の船留場跡)になるようですが、これまた例によって宅地化されまくって何も残っておりません。

ただ、何となく痕跡っぽいものもいくらかあります。
高山右近が教会として使用した宝蔵寺や不自然な道の付き方(虎口の跡?)などがあります。
しかし、説明板にあった土塁跡は最後まで判らず。(望海浜公園北端辺り?)
そして暗くなってきた上にカメラの充電も切れてしまい、タイムオーバーでございます。

せめて要所要所に場所を示す説明書きは欲しかったなぁと思うのは贅沢でしょうか(泣)。
そして、もうちょっと下調べして、次は出羽殿堤とかもう少し細かく探訪してみようかと思います。
リベンジだ!

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勝野武士

明石氏の本拠地。 (2019/03/31 訪問)

尼崎城に後ろ髪を引かれつつ向かったのは、今回初登城となる枝吉城です。

枝吉城跡へは、まずは吉田郷土館を目指しましょう。で、そこで車を止めさせてもらいましょう。
その吉田郷土館の裏手が城山と呼ばれる所。そこが枝吉城跡なのです。
城跡へは、郷土館の敷地内か、隣にある神本神社の社殿の裏手から登ることになります。
郷土館側の登り口から入ったのですが、桜が何本か植わっていて、こちらは六分か七分咲きでして、とても綺麗でした。

城跡へは割と急な細い道を歩きます。台地上に築かれた所謂『丘城』なので直ぐに登れるのですが、攻め手にとっては何気に急斜面です。当時は周囲を広い幅の水堀で囲んでいたようで、宅地化される前は池として残っていたそうです。地形を巧みに利用した城だというのがわかります。

登った先は細長い台地となっていました。ここが本丸の一部で、説明板を見る限りでは、宅地化によってかなり大規模に削られて、今では東側の三分の一程度しか残されていないんですね…。でも、周辺の状況を見る限り、本当は完全に破壊され尽くされてもおかしくない中でここだけでも辛うじて残してくれたのは、むしろありがたいと思わないといけないかもしれませんね。形あるもの、無くなれば二度と戻ってこないわけですから…。
あと、土塁の一部が微妙な高まりとなって残っています。
ちなみにここ、高山右近が船上城を普請するに当たって一時的にここに入っていたそうです。ここから船上城までは車で10分程です。

城跡の東側すぐ下に神本神社がありますが、神社由緒によるとここは明石氏の居館跡とのこと。
しかし個人的には少々疑問符が。
枝吉城から北に1,5km程、車で3分程のところに『下津橋城跡』があります。城びと未掲載のお城ですね(←ココ重要)。
200m四方の城館だったようで、現在は跡地に宗像神社が鎮座しておりますが、社殿の裏手に土塁が鎮守の森として残っています。コンクリートで護岸を固められた堀らしき跡もあります。周辺は例によって住宅地となっています。
実はこちらが明石氏の平常時の本拠地だった説もあります。
こちらも枝吉城、神本神社共々セットで訪れてみてはいかがでしょうか?

明石氏といえば、かの『源氏物語』に登場する明石入道が明石氏の始祖だそうな。
その明石入道の娘が、後に光源氏と契りを結ぶ明石の上です。
明石氏は平安時代からすでに、この地域で幅を利かせてたということでしょうか。
ちょっと面白い話だなと思いまして、ご紹介させていただきました。



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コウキ

膳所城登城‼️ (2019/04/05 訪問)

膳所城に行ってきました‼️
大津市役所膳所支所で資料をもらい、膳所城公園に行きました。
中は、まあまあ広く、散歩ができました
門が復元されています‼️

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ブラタヌシ

来年の大河ドラマに関係あり❗️ (2019/04/03 訪問)

この城は、パンフを見ると
歴応2年(1339)に足利尊氏の命令にて細川頼春によって築城されたとの事。
天正6年(1578)に明智光秀の娘 玉(ちびまる子のたまちゃんじゃなく、後のガラシャです)が細川忠興に嫁ぎ2年間この城で新婚生活をしていたそうです。
本能寺の変の後、山崎の合戦では光秀がこの城に本陣を構えていた、妄想が膨らむ所でした✌️😁

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ブラタヌシ

平成最後の復元天守 (2019/04/02 訪問)

前回ポストした有岡城の荒木村重が逃げた先が大物城で、その大物城は尼崎城とも呼ばれていた事、そして平成最後に天守が復元された事より攻めに行ってきました。
さすがは模擬天守❗️
石垣にも排水パイプが仕込んであり、鉄筋コンクリート造りで、現代人が城を築くとこうなるのか❓😁と勝手に思いながら見ていました。

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勝野武士

萩原一青画伯 (2019/03/31 訪問)

度々の尼崎城ネタ、失礼致します…。

只今、尼崎城天守内にて、萩原一青画伯による『百名城手ぬぐい』の一部が展示されております。

萩原一青、皆様はご存知でしょうか??

画伯は尼崎出身の所謂『城郭画家』として知られる方です。城好きなら、もしかしたら一度は何らかの形でご覧になったことがあるかもしれません。
作品制作のきっかけが、市街化の波に埋もれ消えゆく尼崎城に心を痛めたことなんだとか。尼崎城は画伯の原点そのものなんですね。
以後、幾度の艱難辛苦を乗り越えながら、史料に基づき復元画の数々を制作されたのです。

作品の数々をまとまって見られる機会が意外と少ないため、今回の展示は何気にかなりレアなのです!
手ぬぐいと思って侮る無かれ!お城の姿を忠実に再現するだけではなく、特徴や時代背景や城主の家紋をあしらったりして、非常にデザイン性に富んだものになっております。
例えば、淀城だと水車を城より敢えて大きく描いたり、津山城だと桜の名所らしく天守とピンクで染め抜かれた桜をセットで描いたり、大坂城だと秀吉の城らしく千成瓢箪をフィーチャーしたり。
一つ一つ拝見すればするほど、画伯のお城愛というか昔の姿をできるだけ忠実に復元したいという情熱というか、凄い熱量のリスペクトを感じます。

お城好きなら、これ必見ですよ!

※画像を掲載したいところですが、問題があるといけないので念の為遠慮させていただきます。スミマセン…。

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スミヤキ

佐倉の桜 (2019/04/03 訪問)

お城の桜が見頃です。約50品種1,100本もの桜が咲き誇り、7日まで夜間ライトアップもされ「歴博夜桜観賞の夕べ」も開催しています。

1610年佐倉に封ぜられた土井利勝により江戸東方の防備の要として築城された平山城です。

現在は、佐倉城址公園になっています。天守跡や馬出し空堀、水堀に守られた出丸跡など見所があります。郭の一部には、国立歴史博物館が建てられています。城下町には武家屋敷も保存され、京成線の隣駅大佐倉駅は、続100名城である本佐倉城跡への最寄り駅になっており、これら全てを巡るとかなり充実した時間を過ごせると思います。

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小城小次郎

島原城

あまりにも特徴的な無破風五重天守は全国でもここだけ。島原の乱を引き起こした負のイメージはひとまず忘れ、小藩の城とは思えない巨大さと、魅せる石垣の技巧に酔いしれたい。

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カルビン

【平成31年】肝心な場所を見落としてます (2019/03/31 訪問)

2018/4/6に続100名城スタンプラリーが始まって丁度1年になりますね。

3/31が1年目最後の週末になると言う事で、なんとか未訪問の続100名城行きたいと言う事で、日帰りで行ける場所を考え、飯盛城ならなんとか行けるかな?ということで、今度こそ新横浜6:00発の始発のひかり号で大阪へ向かいました。
(土曜日は雨模様だったので日曜日にしたと言うのもあります)

本調子でない癖に、皆様があれだけ長時間の登山を含む行軍をしているのを見ているのにも関わらず、更に久しぶりの山城攻略にも関わらず、正直甘く見ていた感があります・・・

四条畷市立民族資料館で教えて頂いたルートで進みましたが、途中御机神社からの登山道に入るのを見落とし、その先結構進んだ先の案内版見て道間違えたのに気付いて戻ったダメージも加わって、初めて登城途中2度の長休を余儀なくされ・・・
いや、飯盛城自体やはり徒歩で登るのに攻略困難な山城なんでしょう。

疲労困憊でやっと城碑のある場所に到着した際にはベンチでぐったりorz
その後も登りが続いた為、疲労状態のまま散策しましたが、その為か肝心の鉢巻腰巻石垣を見逃しました。。。
(石垣は数ヶ所見てます)

正直苦労した割に見所が少なく感じたのは、肝心な場所を見落としまくっていたからなんだと思いますw
なので、時間空けて万全な状態で再訪したいと思います。

見所少ないと言ってもあくまでも普通のお城と比べれば全然見応え(それ以上に登り応え)のあるお城なので、頑張って登るだけの価値があるお城でした。

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朝田 辰兵衛

公園になっているので,散策しやすいです。 (2019/03/31 訪問)

越後には安田城が2つ存在します。今回は,柏崎・安田城のほうです。城主だった安田景元は,北条城主の北条高広が武田に内応した時,直ちに直江実綱に報告し,春日山を出陣した謙信軍を誘導。御館の乱では,上杉景勝側につき,戦功を立てたとのこと。そして,会津移封に従っております。
標高:50m,比高:40m。曲輪の一部が墓地となっております。

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チェブ

チビッ子のサッカー練習場。 (2019/03/09 訪問)

岩槻城主、太田 資正さんの4男坊 潮田 資忠さんの「寿能城」に行きました。
お兄ちゃんが資正さんを追放し岩槻城主になると、一緒に北条家の傘下に入ります。
秀吉さんの北条征伐で資忠さんは小田原で討ち死にしました。
「寿能城」は村民達の避難所になっていたそうです。

「寿能城」に資忠さんのお墓がありました。
新しいお花が添えてあり現在も大切にされているのが分かります。
住宅街の運動公園になっていて遺構っぽい所もありましたが幼稚園位のチビッ子サッカー選手が走り回っていたので写真は控えました。
車は停められません。
用水路を渡った所に大和田公園があり、無料で駐車できます。
こちらの公園は野球場です。

資忠さん小田原城の外堀、井細田口を守っていたそうです。今は大きな街道になっています。
ここの虎口を素晴らしい運動能力で守っていたんですね。

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ブラタヌシ

あの、村重の城 (2019/03/30 訪問)

誰もが知っている「荒木村重」
織田信長に仕え、摂津の国で伊丹城を攻め落とし城主となるが、三木合戦で秀吉軍で戦うも突如謀反を起こし、最初は説得されて信長に謝りに行くことになるが、途中で中川清秀から許してもらえない事を聞いて完全に敵となる。
黒田官兵衛が説得に向かうも、土牢にて監禁される話を聞くと、どうしてもV6の岡田を思い出してしまいます。😁
その後一人逃げて、先ずは道フンと名乗り、その後道薫となり茶人として復活した、なかなかしぶとい武将です。
現在城は公園にて石垣が少し見れますが、色々と妄想できる場所でした✌️😁

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イオ

なんちゃってお城気分 (2019/03/30 訪問)

遺構はおろか石碑や説明板もありませんし、比定地も複数あるとのことですが、とりあえず城びとの位置情報が示す難宗寺と、二の丸跡とされる近隣の盛泉寺に行きました。

最寄りの地下鉄・守口駅から歩いていくと、ほどなく見えてくる隅櫓風の難宗寺の太鼓楼。太鼓楼に続いて長屋門があり、築地塀が周囲を取り巻くなどお城っぽさのあるお寺でした。また、盛泉寺にも櫓風の建物があり(この日はブルーシートが掛けられていましたが)、遺構も何もない城跡ながら、何となくお城気分になれました(気のせいです)。

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カズサン

出羽路城巡り (2018/04/16 訪問)

 昨年の4月2泊3日で山形県未踏の城探訪2日目過去に何回か訪ねて居り桜の撮影と本丸隅櫓の復元計画がネットで出て居りその後如何なって居るのか現場確認をとちょい寄りしました。

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カズサン

出羽路城巡り (2018/04/16 訪問)

 昨年4月2泊3日で山形県未踏の城巡り2日目早朝山形城を訪ね月山麓の峠越え雪混じりの雨に不安を感じながら走行鶴岡、酒田方面に日本海側は雨模様、新田目城、城輪柵、亀ヶ崎城、本間家、鶴岡城、蝦夷館、羽黒神社を経て加藤忠広公配流の地丸岡城探訪、湿っぽい寒い日でしたので加藤家をより偲んでの探訪と成りました、桜と新芽の柳が揺れて何となく物悲し、清正閣、清正公の墓にも参拝。

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曲輪姫

お濠が海 (2019/03/24 訪問)

いつ通ってもワクワクする瀬戸大橋を渡り、参城。
海城は初めてでしたが、本当にお濠が海水で満たされ、鯛が泳いでいました。夏は城主もお濠で泳いでいたとか?お濠を舟でめぐる舟城体験もあり、今度来たら乗ろうと思います。

月見櫓・水手御門・渡櫓は一番の見所ですね。昔はここまで海水があり、舟で入れたとのこと。月見櫓の内部も公開していて入ることができました。
窓から覗くと道路を挟んですぐ海!潮の香りがします。

天守台の修復工事が終わり、次は天守復元が目標のようです。天守台に上がると一段下がっていて、礎石がありました。ここの天守は地下1階があったんですね。天守復元応援します☆

そしてこの日は園内の広場にて鉄砲隊の演武がありました。城に興味のない人を連れていくときは、こういったイベントはとても助かります。笑
とはいえ、火縄銃はかっこよく、音はお腹にズドン!と響いて貴重な体験ができて私自身も幸せ♪信長がやったとかやらなかったとか言われている三段撃ちも見ることができました。

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カズサン

出羽路城巡り (2018/04/16 訪問)

 昨年4月2泊3日で山形県未踏の城巡り山形駅近くのホテルを拠点にして探訪、山形城にはプライベート、社用出張、一文字御門が復元された直後と数回訪ねて居り今回の探訪には入れて無く探訪の終わった夕刻、早朝で訪ね採光の悪い写真ですが投稿させて頂きます。
 宿泊の当日は山形地物を居酒屋で堪能し、駅近スナックを探し歌とママさんとの喋り、お客さんとの会話で楽しい山形の夜を過ごしました、当日は誕生日皆さんの祝いに感謝です。

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勝野武士

平成最後の築城。 (2019/03/31 訪問)

会社の棚卸も終わり、自分へのご褒美のつもりで、この日は一日中お城漬けの日にしてやろうかと思い、鼻息荒めに最初に向かったのは、天守完成イベントが最終日を迎えたココ。

まぁ予想はしておりましたが…なかなかの賑わいでしたね。イベント自体も盛り上がってました。歌とか、武将隊とか、だんじりとか。
私はというと、そんなイベントの盛況ぶりをよそに、完成したての天守をいろんな角度からバシャバシャ撮っておりました。

そしていよいよ天守内部へ。
やはり長蛇の列。30分ぐらい待ちました。
ちなみに、天守へのアプローチもどうやら史実と異なるようです。確かに付櫓から入る形式なのですが、『尼崎城分間絵図(櫻井神社蔵)』と現物を見比べてみると、石垣や入口の形状からして違います。
あと、天守の東側の付櫓の、南側にあるはずの窓が全くありません。のっぺらぼうなのです。Why??
…まぁ、あくまでも『再建』であって『復元』なんて一言も触れられてませんからねぇ。
でも正直、どうせなら形状だけでもちゃんと作って欲しかった…。

少々複雑な念を抱きながら受付を済ますと、一気にエレベーターで最上階へ。いわゆる大阪城天守閣方式ですな。
眺めはまぁまぁ良かったです。周りに高層マンションなどがあるために迫力は今一つでしたが、西に寺町、東に遠く阿倍野ハルカスを見ることができます。
当時と高さがほぼ一緒だそうで、当時は周りに高層建築が無かったはずなので、この視界なら大坂城や大阪湾がハッキリ見渡せたはずです。城下や船の上から見る尼崎城、美しかったろうなぁ…。

展示物は少なめ。尼崎城の歴史とかVRによる再現などはかなりわかりやすかったです。
一階にあるVRシアターもオススメですよ。ナレーション、なんか聞いたことあるなーと思ったら、やはり桂米團治師匠でした!桂米朝一門が尼崎にご縁があるそうで…良いですねぇ。

全体的に印象は良かったですよ。展示物はやはり今のところ少ないなと感じましたが、特別展などあるのでしょうか。
新しい歴史を刻み始めた尼崎城天守の、これからに期待しましょう!!

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ブラタヌシ

三原駅そばの城 (2019/03/21 訪問)

永禄10年に小早川隆景が築城。
瀬戸内海の水軍の拠点として沼田川河口を利用して作られた海城です。
今は、天守台と内堀が残っています。😁👍

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