今川を倒し、駿河支配の本拠として馬場信春が築城した城であるが、陸海両軍の参謀本部といった役割をはたしていたと思う。歴代城主も錚々たる顔ぶれだ。
巴川の真横にあり、水を引いて水堀で守りを固めている。街道沿いでもある事から陸路でも海路でも交通の便としては最高に良かったと思われる。
現小学校に本丸・二の丸があり、小学校周りの現周回道路は堀だっただろう。穴山梅雪が城の鎮護の神を祭る稲荷神社を建設、今でも趣きを感じるたたずまいだ。また、城下町を形成していたのであろう。付近一帯に当時をしのばせる字が残る。
さて、江尻城のように何でこんな所に城が!?と感じると、だいたい旧街道沿いか昔の海岸・河川を戦略的に使っている。旧街道とその沿線に点在する遺跡分布図を見ると一目瞭然である。江尻城は旧東海道のクランク箇所に位置する。遠江では浜松城や磐田の中泉陣屋も同じようにクランク箇所を抑える要所に立地している。
+ 続きを読む










