尼崎城に後ろ髪を引かれつつ向かったのは、今回初登城となる枝吉城です。
枝吉城跡へは、まずは吉田郷土館を目指しましょう。で、そこで車を止めさせてもらいましょう。
その吉田郷土館の裏手が城山と呼ばれる所。そこが枝吉城跡なのです。
城跡へは、郷土館の敷地内か、隣にある神本神社の社殿の裏手から登ることになります。
郷土館側の登り口から入ったのですが、桜が何本か植わっていて、こちらは六分か七分咲きでして、とても綺麗でした。
城跡へは割と急な細い道を歩きます。台地上に築かれた所謂『丘城』なので直ぐに登れるのですが、攻め手にとっては何気に急斜面です。当時は周囲を広い幅の水堀で囲んでいたようで、宅地化される前は池として残っていたそうです。地形を巧みに利用した城だというのがわかります。
登った先は細長い台地となっていました。ここが本丸の一部で、説明板を見る限りでは、宅地化によってかなり大規模に削られて、今では東側の三分の一程度しか残されていないんですね…。でも、周辺の状況を見る限り、本当は完全に破壊され尽くされてもおかしくない中でここだけでも辛うじて残してくれたのは、むしろありがたいと思わないといけないかもしれませんね。形あるもの、無くなれば二度と戻ってこないわけですから…。
あと、土塁の一部が微妙な高まりとなって残っています。
ちなみにここ、高山右近が船上城を普請するに当たって一時的にここに入っていたそうです。ここから船上城までは車で10分程です。
城跡の東側すぐ下に神本神社がありますが、神社由緒によるとここは明石氏の居館跡とのこと。
しかし個人的には少々疑問符が。
枝吉城から北に1,5km程、車で3分程のところに『下津橋城跡』があります。城びと未掲載のお城ですね(←ココ重要)。
200m四方の城館だったようで、現在は跡地に宗像神社が鎮座しておりますが、社殿の裏手に土塁が鎮守の森として残っています。コンクリートで護岸を固められた堀らしき跡もあります。周辺は例によって住宅地となっています。
実はこちらが明石氏の平常時の本拠地だった説もあります。
こちらも枝吉城、神本神社共々セットで訪れてみてはいかがでしょうか?
明石氏といえば、かの『源氏物語』に登場する明石入道が明石氏の始祖だそうな。
その明石入道の娘が、後に光源氏と契りを結ぶ明石の上です。
明石氏は平安時代からすでに、この地域で幅を利かせてたということでしょうか。
ちょっと面白い話だなと思いまして、ご紹介させていただきました。
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