みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

ヒロケン

初登城 (2019/08/11 訪問)

三春城跡は中世から近世の田村地方を治めた大名の居城跡で、三春町中心部の大志多山にあり、その美しい姿から舞鶴城とも呼ばれました。三春城は戦国大名の田村義顕が築いたとされています。田村氏は三代続きますが、三代目当主清顕が急死したため、一人娘の愛姫の夫である伊達政宗を後見人に清顕の甥、宗顕が城主となり政宗の奥羽制覇を支えました。
天正18年には、豊臣秀吉の奥羽仕置きにより田村氏は改易され三春は一旦伊達領になりますが、翌年には会津に入った蒲生氏郷の領地に組み入れられ、会津若松城の支城の一つとなります。この時代は、蒲生氏の重臣達が三春城代となり、本丸周囲に大規模な石垣を築くなど城と城下町の整備進められました。江戸時代に入ると秋田俊季が5万5千石で三春藩主となり、明治維新まで秋田氏11代の居城となりました。(三春城パンフレットより抜粋)

正直、自分は戦国時代後期に築城された城跡、特に石垣(石積み)が好きで、関東以北の城跡は「土の城」というイメージが強くあまり期待していませんでしたが、登城前の下調べで、ビッグネームの戦国大名の名が次々に出てくるのと、続100名城スタンプ集めで登城を決めました。
二の丸横の駐車場に車を駐車し(無料)本丸下の曲輪を見学しながら、本丸下をぐるりと一周し、三の門跡から本丸へ。本丸の休憩小屋で続100名城のスタンプと三春城のパンフレットをゲット。本丸をはじめ、各曲輪がしっかりと残っており、往年を想像するに足りる城跡でした。ヾ(*´∀`*)ノ 又、石垣もしっかりと残っており、十分満足できた初登城でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

街道おじさん

観音寺城登城 (2019/08/07 訪問)

滋賀県にある100名城の一つで近江守護の六角氏の居城。
安土城登城の後、立ち寄るつもりであったが、体力的な限界を感じ断念。
100名城スタンプは安土城郭資料館にあったので押印。
資料館にあった城郭の模型を見ると、大変魅力的な城であったと思われる。

+ 続きを読む

街道おじさん

安土城登城 (2019/08/07 訪問)

安土城址に行く前に安土駅前にある安土城郭資料館へ行った。
100名城スタンプ(観音寺城のスタンプもあり)を押し、本能寺の変の後、
焼失した天主の模型もありなかなか面白かった。
安土駅前には信長像があった。
そこからが夏の暑い日、駅から登城口まで徒歩30分、更に登城口から天主跡まで30分。
結構きつかった。しかし天主の模型を見たので、想像を膨らませることが出来た。
最後に見た総見時の仁王門は立派であった。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

街道おじさん

彦根城登城 (2019/08/07 訪問)

約40年振りに天下の名城、彦根城を訪れた。
相変わらず美しい。(工事中のパイプが残念!)
玄宮園から仰ぎ見る彦根城は本当に素晴らしい。
彦根駅前には井伊直政の像が立っていた。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

街道おじさん

小谷城登城 (2019/08/07 訪問)

当日は滋賀県の100名城をすべて廻る予定なので、小谷城址に行く時間がなく、
小谷城戦国歴史資料館へ行き、100名城スタンプを貰うことしかできなかった。
しかし資料館の展示は興味深く、ボランティアガイドの方から丁寧な説明を頂くことが出来た。
気候の良い時期に小谷城址を訪ねてみたい。
JR河毛駅前には、浅井長政とお市の方の像があった。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

さんぽ

天守跡 (2017/11/19 訪問)

二条城には何回か行っているのですが本丸御殿、天守台を訪れるのは初めてでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

のっちくん

忍城 三階櫓 (2019/08/22 訪問)

川越城に続いて忍城にも行きました、初の御城印をいただきました、やはり「のぼうの城」を連想させてしまいますね、石田三成からの水攻めにも耐えた城です、浮き城と言われるほど周りは沼地だったんですね、攻めるに難しく守るに堅い城だったそうですが想像出来ません。写真撮影不可ですが写真撮ってる年配の方がいました、職員に報告しましたがマナーも守って欲しいです。三階櫓は敷地の外から撮影すると壮観です。車に注意しましょう。ドラマ「陸王」のロケ地でもあったようです。

+ 続きを読む

ぴーかる

十市城 (2019/08/13 訪問)

【十市城】
<駐車場他>駐車場はない。
<交通手段>車

<感想>日帰り奈良の環濠巡りと燈花会を見る、2城目。下調べ通り石碑のみだった。田んぼの真中にあり、近くの車を停めれそうな所に駐車して行ったが、道が狭く、行き止まりがあったりして、幹線道路に出るのに苦労した。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

のっちくん

本丸御殿 (2019/08/22 訪問)

川越城の本丸御殿に行きました、城の玄関口の詰所などと小さな枯山水がありました、かなり広かった平城だったみたいです。城や武将の花押のクリアファイルも売ってました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

チェブ

貴船神社。 (2019/07/06 訪問)

東京都品川区「品川氏館」に行きました。
鎌倉時代の御家人、品川氏の居館です。
室町になり鎌倉公方の足利 持氏さんにより所領を奪われ衰退します。
私はJR山手線の大崎駅から歩きました。10分~15分くらいで到着したと思います。
「貴船神社」です。
でも、「貴船神社」の方が歴史が古いので、「品川氏館」はこの近くなのでしょう。
住宅街の中に少し高い場所にあるので「品川氏館」があっても納得の場所です。
大崎駅周辺はオフィス街でしたが「品川氏館」は緑に囲まれた「貴船神社」周辺。
町のギャップにビックリし、大切に守っている方々を尊敬します。

+ 続きを読む

todo94

国史跡 (2019/08/13 訪問)

11年ぶり、3度目となる攻城です。野崎霊園、野崎公園の側からアプローチしました。四稜星の4つの稜の1つが長く突き出ており、其処にだけ砲座が設けられています。夏草はしっかりと刈られていて、真夏の攻城でも問題ありません。見映えのする土塁、空堀を堪能することができました。同じ北斗市内にあるトラピスト修道院まで脚を伸ばしてから帰路に着きました。

+ 続きを読む

ぴーかる

見応えある重伝建地区寺内町 (2019/08/13 訪問)

【今井環濠】
<駐車場他>今井西環濠広場駐車場/今井まちなみ広場駐車場
<交通手段>車

<見所>復元環濠・重要文化財の住宅・称念寺

<感想>日帰り奈良の環濠巡りと燈花会を見る、1城目。高取城の御城印を購入しに夢創館に行ったが、月曜祝日の翌日休館日だったことを確認せず、すっかり忘れてて購入できず、諦めて次の予定の今井環濠へ来た。この日の城攻めは夏場の山城を避けて南から徐々に北上して、宵口くらいに奈良公園周辺で開催している燈花会を鑑賞予定にした。
 
 以下パンフレットより抜粋
今井町の成立は戦国時代の世、天文年間この地に一向宗本願寺の坊主の今井兵部卿豊寿によって寺内町が建設されたことに発します。一向宗門徒が都市計画に基づき今井に御坊(称念寺)を開き、自衛上武力を養い、濠をめぐらしました。
信長の時代には反信長として抵抗するが、のちに降伏して自治特権を許され江戸時代には商業都市として栄えたそうです。

復元の環濠は西側にあり土塁・石垣環濠が見られる。町内には9件の国の重要文化財の住宅と称念寺があり、まちなみを散策するだけでも十分見応えある。町の南東に「今井まちなみ交流センター」が無料で見学できるらしいが行かなかった。称念寺の真向かいに観光案内所があり、そこにパンフレットと現地ボランティアガイドの方がいます。
町の西側半分を1巡りして終えた。濠は西側の半分程しかないので濠・土塁を見るよりも美しい町並を時間があったらゆっくり楽しめるところです。

<満足度>◆◆◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

街道おじさん

佐倉城登城 (2019/07/26 訪問)

この城の城主から幕府の老中になる者が多く、「老中の城」とも呼ばれたそうである。
幕末史にその名を残す堀田正睦も佐倉城主だったようで、城内に像があった。
土塁と空堀からなる土の城でもある。
100名城スタンプが置いてある佐倉城址公園管理センターの入り口に可愛い猫ちゃんがいた。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

街道おじさん

本佐倉城登城 (2019/07/26 訪問)

月星紋盾がなかなか見栄えがする。
京成の大佐倉駅で続100名城スタンプを押し、城へ向けてスタート。
本の情報によれば駅から徒歩10分とのことであるが、なかなか分かりづらい。
スマホのグーグルマップが無ければ、辿り着けなかったかもしれない。
行かれる方は事前に場所をしっかりチェックされたほうが良いと感じた。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カルビン

なぜこの形残しなんだか・・・ (2019/08/16 訪問)

山口大神宮から大内氏館に向かう途中に既に見つけていたのですが、龍福寺資料館のオープン時間を気にして後回しにした築山館。
結果16:30閉館の資料館、16:25に既に閉まっておりorz
こちら先に見ても同じだったか。。。ま、ほぼお隣なので、どちらが先でも差は無かった訳ですが・・・

築山館(現地解説では「館」を省略してました)は、大内氏の歴代当主が引退した後に暮らしていた隠居地だったそうで。

今残っているL字の土塁は防御というより蔀土塁(中が見えない様にする為)だったと思われます。
他に遺構は無く、大内氏館からの距離と、大内氏遺跡の名が示す通り、大内氏館の1部だった事濃厚で御座います。


そもそも四角く囲まれていたんだろうと想像出来るのですが、現存で残っている居館式のお城って土塁が四角に残っているか、L字かはたまた1本のみ残りの所しか無く、コの字残りっていうの見ないですよねw

規模は違えど、栃木県足利の中里城、埼玉県蕨の蕨城と同様、L字に残った土塁が印象に残る築山館でしたw


オマケ:
ここから西南西にある、山口城城主だった毛利敬親像がある亀山公園の山頂も、「城びと」には登録されていないものの、「長山城跡」という城址なんだそうです。
遺構は残っておりませんが、何らかの城跡を示すものは有るそうです。
自分は再びゲリラ豪雨に襲われた関係で行けませんでしたが、徒歩圏内にあるので、同じ敷地にあるザビエル記念聖堂等と一緒に見学されると美味しいでしょう(笑)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

丹後宮津藩

道が狭い (2019/08/21 訪問)

道狭く不安一杯。案内板のある場所に車を止めて少し歩く。案内板を携帯に保存しておくことをお勧めします。

+ 続きを読む

中小路半兵衛

狼煙の様な飛行機雲 (2019/08/12 訪問)

あまりの暑さにとろけそうでした。

+ 続きを読む

勝野武士

郭群がはっきりと残る戦国の城。 (2019/08/11 訪問)

前々から気になっていたお城、ようやく来ることができました。

南北朝時代に築かれ、一向一揆の拠点にもなった、標高約70mほどの錦城山の尾根全体に築かれたお城。
越前一向一揆平定後に柴田勝家が大改修したそうで、以後はその家臣が越後の上杉氏に睨みを効かすべく城主となりました。
秀吉の時代になると小早川秀秋の(元)家臣である山口宗永が城主となるも、関ヶ原の合戦の際には西軍についたが為に東軍の前田利長の猛攻に遭い落城。宗永は直前に降伏を申し出るも受け入れられずに攻め立てられて、遂には自刃したそうです。
その後は前田氏の持ち城となるも一国一城令によって廃城となりました。
建物は取り壊されたものの、あえて破城は行わず『お止め山』として入山を厳しく禁じました。
そしてその麓には陣屋が築かれ、加賀前田家の分家が大聖寺藩を立藩。その後は最大石高十万石を誇る(当時、城を持っていない大名の中では全国最大の石高だったそうです。しかしその財政は火の車だったそうですが…。)加賀前田藩の支藩として明治を迎えました。

さて、到着時間がすでに夕方近かったので、先に陣屋跡である江沼神社へ。
ここの見所は船着場と、小堀遠州の設計と伝わる池泉回遊式庭園(少し荒れていますが、見事な庭園です。見頃は秋がオススメ!)、そして当時藩主の休息所であった長流亭でしょう。
長流亭の拝観は原則電話予約制ですが、社務所に申し出れば拝観可能です。(午前9時~午後4時、拝観料400円、内部撮影不可)早速社務所に申し出て内部を見せていただきました。
大聖寺川に面して建てられた数寄屋造りの瀟洒な建物、(ただでさえ長い文章がさらに超長くなるので)内部など詳細は割愛しますが、厳選された木材を贅沢に使い当時の職人の技術の粋を凝らした華やかな空間が内部に広がっておりました。そして宮司さんからいろいろ面白い話を教えていただきました。昔の大聖寺川は川幅も広く流れもあってもっと澄んでいた、水害の際に床上浸水に遭い解体修理の際に土台の石垣を嵩上げした、有事の際は櫓の役割も果たす、etc.…。ここは必見!

そして、いよいよ錦城山へ。
登城口から入ってすぐ左手にはなんと『贋金造りの洞窟』なるものがあります。明治元年(1868)新政府より越後戦争に使う弾薬の供出を命じられた大聖寺藩でしたが財政難でお金がない。そこで、なんとこの洞穴の中で贋金を製造したというのです。しかもそれが公に流通したというのですから大事です。そしてそれは後々になって露見、製造責任者であった藩士市橋波江は全ての責任を一身に背負い切腹させられました。エグい。
しかしその子には倍の禄を与えて功に報いたといいます。しかしその4年後には廃藩置県。それ、本当に報われたのでしょうか…。

そんな複雑な心境になりながら周辺に目を遣りますと、そこには段々畑のように連なる郭の跡が一面に!
虎口の跡もはっきりと残っています。
しかし季節柄、下草のトラップと藪蚊の猛攻が凄い…。
やはり一際広いのは本丸跡。見所はやはり巨大な櫓台でしょうか。この上にはどうやら丸岡城天守よりも一回り大きい、付櫓を伴った大きな櫓が建っていたようです。
その櫓台のすぐ下には、ここで無念の自刃を遂げた山口宗永の供養碑がありますので、手を合わせておきましょう。
しかし日がかなり傾いてきたので、眺望がよいらしい東丸跡は諦め(白山連山が眺められるそうですよ!)、本丸北東虎口跡→馬洗い池→対面所跡へと下山しました。
しかしこのルートは正直オススメできません。如何せん草藪が凄過ぎ…。
ちなみに対面所跡ですが、本丸跡と同等かそれ以上の広さです。調査の結果、ここには城主の普段住まいの居館があったと推定されています。

今回はかなり急ぎ足での訪城でしたが、石垣こそ見あたらなかったものの戦国時代の面影を充分に感じられる素晴らしいお城でした。
次行くとしたら、秋~冬か春先でしょうかね…もっと隅々まで見たかったし、その頃には白山もキレイでしょうし。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

国史跡 (2019/08/13 訪問)

国史跡の南部藩の陣屋です。数年来、行きたいと思い続けていた場所ですが、函館でレンタカーを借りるときには大抵松前にまで脚を伸ばしてしまうので、ここはタイムアップとなってばかりでした。今回は此処を一番に訪れました。土塁がきっちりと残っていてさすが国史跡と云った佇まいです。真夏の攻城でしたが、きっちり、草刈りがされているところもナイスでした。河村水産他の出入り口として使われているようでそっちの看板の方が目立っているのはご愛敬と云ったところでしょうか。この日は快晴で、函館からの往復、駒ケ岳もよく見えていました。せっかくなので、大沼越しの駒ケ岳の雄姿も撮影しておきました。

+ 続きを読む

くろもり

会越の虎口 (2019/08/13 訪問)

津川駅から徒歩で訪問しました。津川城のある麒麟山の駐車場下まで、途中、新・旧津川港跡等も見学しながら50分程かかりました。駐車場までで写真は60枚程撮影していたので、寄り道せず写真もあまり撮らなければ30~40分程でしょうか。駐車場は無料で、100台近く止められます。トイレと自販機が駐車場にあり、山に入るとないのでここで最後の準備をしましょう(北国仕様でトイレは冬期は閉まるようです)。

駐車場から麒麟山中腹の本丸跡までは、スニーカーで大丈夫なハイキングコースとなっており、門跡や侍屋敷跡や土塁跡や堀跡等の印や城址の説明板等があり、とても親切に感じました。おそらく城歩きの人間は私だけだったと思いますが、登山の方と計10人くらいお会いしたので、夏の山城でよくある蜘蛛の巣等に悩まされることもありませんでした。

本丸跡の先に進むと、麒麟山の山頂へ行けますが、正直、登山好き以外の方にはおすすめしません。本丸跡近くで、地元の方に「若いから20分で山頂に行けるよ。」と軽く言われたので行ってみましたが、「これから先の登山道は大変危険」の注意書きがあり、ほぼ垂直の崖のすぐ横の岩の道を登りました。「ここで震度6~7の地震が来たら落ちて死ぬな」とヒヤヒヤでした。過去には落下による死亡事故も起きているようです。津川城の別名「狐戻城」(あまりの険しさに狐も登る事を諦め戻ってしまう程の意)とも呼ばれる程の険しい山というのは本当でした。ただ、山頂からの景色は絶景です。会津蘆名氏の一族で摺上原の戦いで戦死した津川城主・金上盛備公もこの景色を眺めていたかと思うと感慨深かったです。

城下にある「狐の嫁入り屋敷」は津川代官所跡で、中には会津蒲生家の家臣で津川城2万石を領した岡重政公や、同城主・蒲生忠知公の説明等があり、「狐の嫁入り屋敷」の裏の阿賀野川沿いには、江戸時代に越後から会津に海産物等を運ぶ中継地点であった津川河港の跡等がありました。津川の街自体は城好き関係なく、家族で楽しめる所だと思います。「狐の嫁入り屋敷」の「狐の嫁入り行列」の像がとてもかわいいです。

ちょっと怖いことも書きましたが、津川、本当にいい所でした。学生時代からいつかは行きたいと思っていた所でしたが、ついに訪れることができて感無量です。津川城のある麒麟山は『狐の嫁入り』の行列が見えたと伝えられ、城下では、毎年5月3日に本物の花嫁と花婿を公募して、祭事として「狐の嫁入り行列」が行われているそうで、当日は警察官さえも顔に狐のペイントをしているそうです。

津川駅から会津若松駅への帰りの電車が12時33分の次が17時19分だったので、電車での訪問を考えている方は時刻表を確認しておくことをおすすめします。私は会津若松駅6時45分発→津川駅8時31分着。津川城登城→麒麟山山頂→狐の嫁入り屋敷→文化堂さんでお土産購入と見て回って津川駅に12時25分くらいに着いたので丁度良かったです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ1543