三春城跡は中世から近世の田村地方を治めた大名の居城跡で、三春町中心部の大志多山にあり、その美しい姿から舞鶴城とも呼ばれました。三春城は戦国大名の田村義顕が築いたとされています。田村氏は三代続きますが、三代目当主清顕が急死したため、一人娘の愛姫の夫である伊達政宗を後見人に清顕の甥、宗顕が城主となり政宗の奥羽制覇を支えました。
天正18年には、豊臣秀吉の奥羽仕置きにより田村氏は改易され三春は一旦伊達領になりますが、翌年には会津に入った蒲生氏郷の領地に組み入れられ、会津若松城の支城の一つとなります。この時代は、蒲生氏の重臣達が三春城代となり、本丸周囲に大規模な石垣を築くなど城と城下町の整備進められました。江戸時代に入ると秋田俊季が5万5千石で三春藩主となり、明治維新まで秋田氏11代の居城となりました。(三春城パンフレットより抜粋)
正直、自分は戦国時代後期に築城された城跡、特に石垣(石積み)が好きで、関東以北の城跡は「土の城」というイメージが強くあまり期待していませんでしたが、登城前の下調べで、ビッグネームの戦国大名の名が次々に出てくるのと、続100名城スタンプ集めで登城を決めました。
二の丸横の駐車場に車を駐車し(無料)本丸下の曲輪を見学しながら、本丸下をぐるりと一周し、三の門跡から本丸へ。本丸の休憩小屋で続100名城のスタンプと三春城のパンフレットをゲット。本丸をはじめ、各曲輪がしっかりと残っており、往年を想像するに足りる城跡でした。ヾ(*´∀`*)ノ 又、石垣もしっかりと残っており、十分満足できた初登城でした。
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