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カズサン

【北熊井城】長野県塩尻市 信玄伊那攻略の拠点城郭 (2017/05/04 訪問)

 一昨年の5月連休に153号線を北上して信州伊那経由塩尻IC近くに在る武田信玄伊那地方攻略の拠点として改修した北熊井城を初探訪、時期的には桜は散ってましたが八重桜、遅咲きの山桜、芝桜が目の保養綺麗に咲いて北アルプスの山々の残雪と景色の競演美しい自然が残ってます。
 山裾段丘の東西に長い連郭式城郭、曲輪、堀、土塁が良く残ってます、本城を中心に東1、東2、竹の花の曲輪、西に西1、西2、西3と曲輪が堀で区切られ本城は2重堀で囲まれてる。本城東は畑に成っている。

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カズサン

福山城に櫓群等が移築された神辺城 (2017/04/24 訪問)

 一昨年4月下旬福山市内の相方城を終えて同じ市内に在る神辺城を初登城、相方城と同じく何時かは登城したいと思ってた城で情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんの道案内で吉野山公園を目指し神辺城直下の駐車場に停める車は十台以上駐車可。
 福島正則が関ヶ原後安芸、備後50万石の太守として入封後領国の防衛支城群を構築し東の守り神辺城を織豊系城郭に作り直した、駐車場の登城口にその当時の神辺城想像図が掲示されています、頂上に天守を構え多数の櫓群が聳えていた往時を偲ばせます。
 西の尾根に7段の曲輪頂上が天守、北に2段の曲輪と尾根沿いに小曲輪群、天守直下に曲輪と堀切土塁を構えていたらしい、曲輪群が綺麗に整備され残ってます。
 神辺城の櫓は正則改易後10万石で入封した水野氏が福山城を築城した時に用材として活用され移され神辺櫓として2,3櫓として残った模様。
 車で行けて手軽に登城出来る城郭です。

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イオ

現存する環濠集落 (2019/09/15 訪問)

稗田環濠は、仁和寺領の稗田庄が室町期に環濠化したもので、荘官を務めた古市氏が城として活用したことから、対立する筒井氏から焼き討ちされるなどの戦禍を受けています。

奈良県内には数多くの環濠集落がありますが、そのほとんどが環濠が残っていても一部だけだったり、水路に環濠の名残を感じられる程度だったりするのに対して、稗田環濠ではかつて幅10m以上あった環濠が集落一周ほぼそのままに残っており(コンクリート護岸はされていますが)、北東部には七曲りと呼ばれる折れが、南西部には大きな張出が設けられて横矢が掛かる構造になっています。
また、集落南東部には古事記の編纂者の一人として知られる稗田阿礼を主斎神とする賣太神社があり、集落には歴史ある町並みも残っているなど、なかなか見応えがありました。
 

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カズサン

山頂曲輪に石垣が残ってます (2017/04/24 訪問)

 一昨年4月下旬島根県益田市七尾城を終えて時間の余裕も有り浜田道、中国道、新しく開通した尾道道無料区間、山陽道経由して福山で降り以前から気に掛け何時か登城したいと思ってましたので情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんの資料で山頂曲輪まで車で行けると有り離合不可の急坂をひやひや物で初登城。
 駐車場は2、3台が限度、帰り方向転換するのに何回か切り返す程でした。
 細長い山頂に多数曲輪を連悪式に設けております、駐車場は郭10、東へ細い土橋両端は長い竪堀、郭3は石垣、石段を上り郭2副郭、同じ曲輪上段郭1主郭、戻って郭1下城塁は石垣、東に曲輪が在りますがTV塔エリア、駐車場の西は上段部郭9西に長く西端は土塁辺りを探訪。
 石垣が見所です。

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こげら

明石城 (2019/11/01 訪問)

明石駅北口を降りてすぐ眼の前に明石城跡につくられた明石公園が広がります。巽櫓、坤櫓、石垣など城の遺構はよく残っていますが、公園として整備されているためか城の遺構の説明がないのが残念でした。

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BUGTI

首里城の魅力が無くなった訳ではない! (2017/10/02 訪問)

このたびの火災に際し、心よりお見舞い申し上げます。
私が訪問した時は正殿正面の漆塗りの最中で、きれいな姿を見ることはできませんでした。修復も終わり、再訪する時を楽しみにしていましたが残念です。いつかまた、美しい姿が蘇ってくれることを願ってやみません。
でも首里城の見どころは主郭部分だけではありません。私は迫力のある西のアザナの石垣が好きです。建物が失われても、首里城の魅力が無くなった訳ではありません。これからも首里城を応援します。

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赤い城

堀と土塁 (2019/10/22 訪問)

駐車場はなくやむなく路駐。
石碑と空堀、土塁を見ることができます。
小規模ですが堀は深さもあり、意外と見応えありました。
本郭には行けてないですが見学にはそう時間を要しません。
電車だと顔戸駅から徒歩で7~8分くらい。

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こげら

岡山城と後楽園 (2019/10/31 訪問)

後楽園から岡山城をのぞみ、後楽園南口から橋を渡って岡山城に登城しました。岡山城は、再現された天守はもとより、宇喜多秀家時代の石垣や現存の月見櫓など見所が多いです。

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丹羽長重

首里城が火災⁉️復興をお祈りします🛐

今朝起きたら首里城が火災というテレビを見ました。
世界遺産で琉球王国の王朝、あの首里城が……大変ショックです😢焼ける前に行きたかったです😢
地元福島県の城もですが、復興してきた城の仲間として是非とも首里城の復興を応援したいと思います!

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こげら

備中松山城 (2019/10/31 訪問)

備中高梁駅にある観光案内所で備中松山城の入口にあるふいご峠まで行く乗合タクシーを申込み、訪れました。行きが9:50発、帰りが11:50発で、片道600円です。因みに帰りは武家屋敷などで途中下車が可能です。
ふいご峠から備中松山城天守までは20分程の上り、道は整備され杖も峠の駐車場にあるので歩きやすいです。
道を上るにつれ、見えてくる石垣や櫓は圧巻です。登城した日は雲海がたなびいていましたが、次第に晴れ、素晴らしい景観が堪能できました。

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とりの子

首里城で火災‼︎

首里城で火災があったそうです。ぼくが行きたかったお城だったので、悲しいです。1日でも早く復元して、元の首里城の姿に戻ってほしいです。

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ヒロケン

5年ぶりの再訪 (2019/10/19 訪問)

福井城は福井県福井市大手3丁目にある平城です。江戸時代には福井藩主越前松平家の居城として栄えていました。現在では、本丸、本丸部の石垣、天守台、内堀、井戸(福井の由来となった福の井)が現存しています。また、山里口御門と御廊下橋が再建されお城ファンを楽しませています。

福井城は徳川家康公の次男結城秀康が68万石で初代福井藩主となり、1601年から6年の歳月をかけ、かつての北庄城の大修築を行い福井城が完成しています。かつての福井城は最大幅が100mにも及ぶ百間堀をはじめ、五重の堀に囲まれた広大な城で、高さが約30m、四層五階の天守がそびえていたそうです(パンフレットより抜粋)

現在、福井城の本丸は、福井県庁(続100名城スタンプ設置場所)、福井県警警察本部、福井県議事堂がありますが、休日だったせいかどうかわかりませんが駐車することが出来ませんでした。5年前に訪城した際はどこに駐車したか記憶がなく、今回は、福井市大手駐車場に駐車しました。(1.5時間で400円だったかなぁ~曖昧です)
スタンプも貰えるか心配しましたが、県庁入口の左側に通用口があり、インターホンで守衛さんに「100名城のスタンプを貰いたい」と伝えるとスタンプを出してくれます。5年ぶりの再訪でしたが、山里口御門と福の井に屋根が付いた位で変わり映えしませんでしたが、切り込み接ぎの石垣と、広く大きな堀が素晴らしく見応え十分なお城です。

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カズサン

桜川公園から初探訪 (2019/10/26 訪問)

 水戸城の復元大手門を見学して16時過ぎ曇りで暗くの成って来た時間帯急ぎ桜川公園駐車場へ車を停めて、東より公園の橋を渡り見川城登城橋を渡り登城遊歩道を北に登って行く、城域は杉林で暗くなってましたがうっすらっと土塁、堀の稜線が見え、東、北側、西側と周囲を探訪する土塁、堀が見られますが薄暗く藪状態、杉林、北側の荒人神社からも入れない、余湖図コレクションさんの俯瞰図を見ながら廻り暗がりの中はこの図の様になってるのかと想像を膨らます、写真は暗く城域内部は撮れますんでした。
 不十分な投稿で申し訳ありません。

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カズサン

路駐駆け足初登城 (2019/10/26 訪問)

 水戸城の復元大手門工事中見学前に土浦北IC経由初登城を試みました事前情報で駐車場無しを分かってましたが全く無く宍倉城入口の案内板前の県道118号線に車の走行もそう無く左端ギリギリに付け路駐。
 駆け足で本丸と本丸に在る案内解説板、手前土橋、堀を探訪、本丸は畑に成ってます。情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんに依ります。

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カズサン

気に為ってた安田城 (2019/10/28 訪問)

 新潟県十日町市の大井田城を終わって国道252号線で山越え柏崎市の安田城を初登城、昨年4月北条城探訪を終えて琵琶島城に行く途中国道252号線沿いに安田城の案内看板が有り、過ぎてから引き返そうかなと一瞬思ったのですがそのまま琵琶島城へ、あたまの隅に柏崎安田城が残ってました、情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんで調べ駐車場の在る田尻工業団地東横の安田城址公園の駐車場にナビを定め、同駐車場に駐車、数十台駐車可能。
 駐車場から東に安田城に向かう芝の遊歩道夏は草が茂るのでは今回は草刈りして有りました、登って1郭南の堀切、左1郭登城路、右手堀底道で土塁など水道施設へ間違って踏査、戻って1郭へ登る、南北に長い1郭本丸です、北に東屋、城名石碑、1郭中間下段に枡形、東その下が南北に長い2郭、北に枡形、堀切、その北に3郭現在は墓地、東の県道73号線から車で墓地横、2郭へ車で登って来れますが、城址公園に車を停め遊歩道で登城する方法をお勧めします。
 比較的比高も低く登城しやすい城跡です。

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橋吉

なかなかの見応え (2011/03/10 訪問)

淡路島を訪れるたびに「洲本城」という案内板を見て気にはなっていました。
ただ、コンクリート製のいかにも作り物といったサマの天守閣型展望台を見るととても寄る気になれずにパスしていました。
しかし、これは誤りだったことに今回気づきました。

洲本城の歴史は1526年(大永6年)三好氏の重臣・安宅治興の築城に始まります。
1581年(天正9年)織田信長による淡路討伐のときは討伐軍総大将羽柴秀吉に降り、洲本城は仙石秀久に与えられました。
江戸時代になり、姫路城主池田輝政の三男忠雄が領主になった際に洲本城は廃城となりました。
今回訪れた史跡はこの頃のもので「上の城」とよばれています。

なお、1631年から1635年にかけて由良城を廃し、洲本城に再び本城下町ごとの移転がおこなわれました(由良引け)。
この移転にともなう洲本城はふもとのに作られた平城であり「下の城」と区別されています。

山頂にある山城ですが、三熊山ドライブウェイ(無料)を使って大手門下まで車で行けます。駐車場もあります。

模擬天守は、本来の天守を復元したものではありません。
1928年(昭和3年)に築造された鉄筋コンクリート製でもので、現在は、展望台としての役目もしていたようですが、
この櫓跡に立つだけでも、眺望を楽しむことができます。


山城ですが、かなり規模の大きなものだったようです。整備の状況も良くなかなかの見応えがありました。

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カズサン

奇麗に保全整備された城郭 (2019/10/28 訪問)

 湯沢町の荒戸城を終えて十日町市の大井田城へ初登城、情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんにより車で城のすぐ下まで行けるとの情報で直下の駐車エリアに車を停める。
 湯沢ICから関越道に入り途中に坂戸城と直江兼続の大看板を眺めながら六日町ICを降り、国道253号線バイパスを使い山越え十日町市へ国道117号線を北上し中条小学校北の道を東進道なり案内標柱有り城直下の駐車エリア数台可能。
 着いた時に軽トラが止まって居り会話をしましたら大井田城跡保存会の会長さん浜松から来た事全国城廻りしてる事を話したら名刺を頂き会話を続け景観保全の為西側樹木を伐採した木々、枝などを片付けするのだとおっしゃっていました、城跡内も芝生で奇麗、下草を処理しています、保全管理に感謝してお礼も仕上げました、ありがとうございます。
 下から見上げると7、8段の曲輪が連なった城郭です、頂上部主郭下の二重堀もバッチリ見え、朝田辰兵衛さんの投稿写真の様に下に降り二重堀撮影、主郭撮影をする勇気は有りませんでしたが大変参考に成りましたありがとうございます。
 保存会の会長さん達の努力が実り多くの方に見ていただきたい城跡です。

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TMN97

上田城 (2019/10/21 訪問)

上田城

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TMN97

松本城 (2019/10/21 訪問)

松本城

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TMN97

高遠城趾 (2019/10/21 訪問)

高遠城趾公園

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