主郭の西側には堀切があり、主郭に入ると北側に竪堀が有ります。登った時とは別の麓に降りてきましたが、ここにも段々の扁平地が有りました。いずれかは居館跡ではないかと思うのですが標識も何も無いし、なんとも言えませんね。
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2025/10/03 21:14
2025/10/02 21:29
上杉姓氏発祥之地 (2025/07/01 訪問)
八田城から西に程なく行ったところ、国道27号線と県道481号線が交差する付近に「上杉姓氏発祥之地」の石碑があります。交差点の名称は「上杉」いいセンスしてますね。
八田城の詳細はよく解らないのですが上杉氏の城のようです。麓は居館跡の様な扁平地になっていますが、いつの時代の物かは不明。尾根沿いに登って行くと水道施設があり出丸のような雰囲気が有ったような気がします。主郭西手に堀切があり目の前に主郭が立ちふさがっています。
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2025/03/16 12:44
足利尊氏に繋がる (2025/03/15 訪問)
 ぴーかるさんがレポートされてるように、堀切による防御が薄いですが、切岸は高く、見事です。八田城に行く途中に、弾正屋敷跡の標識がありました。室町時代に関東管領を務めた上杉氏発祥の地と。屋敷跡は微高地になっています。
 八田城の下調べをしていると、足利尊氏が出てきました。母がここの上杉氏の出で、尊氏も弟の直義も実家で出産しました。京都縦貫道のIC名にもなっている、安国寺にも立ち寄りました。門前の別邸で、尊氏の母が出産しました。安国寺本堂は、茅葺で風情があります。南北朝時代の様式で江戸時代に再建されたと。
 ある本に、足利尊氏の所領は丹波亀岡篠村にもあって、朝廷に反旗を翻したり、京都攻防に敗れて九州に落ちる際、篠村で決断したとありました。丹波は京都の隣であって、歴史上、大切な場面がありますなあ。
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2024/11/02 21:51
八田城 (2024/10/12 訪問)
【八田城】
<駐車場他>水道施設前のスペース<35.362792,135.323468>2台分あり。
<交通手段>車
<見所>堀切・切岸
<感想>日帰り丹波の黒枝豆購入と城攻めの旅1城目。投稿が2019年にトーダイさんお一人で、城びと5年ぶり2人目となりますので少し詳細に。城びと城郭情報によると築城年築城主ともに詳細不明で主な城主に上杉氏(上杉氏発祥の地とも)・籾井教業(波多野氏家臣籾井城主)となっています。
 上記水道施設の右側に階段がありますのでここが登城口になります。少し上がると左手に神社、真ん中に山斜面を行く道がありますので登ります。5分程度登ると貯水槽配水地の施設に到ります。施設の背後の尾根(荒れている)を木々を避けつつ登ると小さな尾根上削平地に登り着きここからが城跡だなと分かります。尾根曲輪の手前側に礫石が多く落ちています。尾根曲輪奥に深い堀切があり、その向こうに高い切岸がそびえています。切岸を登ると主郭跡に着きます。
 主郭は南北に50m程、南の幅が3m程、北の幅が20m程で南から見ると逆三角形状になっています。主郭に付随する堀切が丑寅・辰巳・未申・戌亥方向の4か所にあり、その先に尾根がそれぞれ伸びています。南方向にも土橋状の尾根があり、主郭からは合計5方向に尾根が伸びています。戌亥方向が登ってきた尾根で手前の尾根曲輪が付曲輪か副郭となっているようです。主郭の丑寅方向の堀切の横に人工に掘った竪堀が残り、主郭の東側に自然地形の谷を利用した大竪堀がみられます。主郭周囲の切岸は急斜面によく削られていて見応えと登り降りの攻略しがいがあります。しかし尾根筋が多く伸びている割には散策して、自分が城主なら、もっと深い堀切を2重3重設けるのに。と感じました。
<満足度>◆◆◇
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| 分類・構造 | 平山城 | 
|---|---|
| 築城主 | 不明 | 
| 築城年 | 不明 | 
| 主な城主 | 上杉氏、籾井教業 | 
| 遺構 | 曲輪、土塁、堀切、竪堀 | 
| 住所 | 京都府綾部市上杉町小嶋谷 |