明智駅から徒歩で35分くらい、城址前に駐車場もあります。
登城口から大手道を登ると右手に中ノ曲輪、登った先には二ノ丸。馬場跡も整備されていました。
本丸には石碑も立っています。
搦め手の道は崩れているところがあり通行止めですが下からは途中まで行けます。
西大手曲輪の切岸や堀、分かりにくいけど竪堀も見ることができました。
大河のブームが来そうなのでこちら側ももう少し整備されるとよいかも。
頑張れ、可児市!
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検索結果・・・「」を含む投稿
2019/10/30 22:36
来年の大河のせいか訪問客も多かったです (2019/10/22 訪問)
明智駅から徒歩で35分くらい、城址前に駐車場もあります。
登城口から大手道を登ると右手に中ノ曲輪、登った先には二ノ丸。馬場跡も整備されていました。
本丸には石碑も立っています。
搦め手の道は崩れているところがあり通行止めですが下からは途中まで行けます。
西大手曲輪の切岸や堀、分かりにくいけど竪堀も見ることができました。
大河のブームが来そうなのでこちら側ももう少し整備されるとよいかも。
頑張れ、可児市!
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2019/10/30 20:56
大分城寄ってみた (2019/10/28 訪問)
買い物途中に発見!帰りに立ち寄った!
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2019/10/30 11:07
現在の城主さんに案内戴いた (2019/10/27 訪問)
新潟県湯沢町荒戸城登城の晴れ待ちの日に最近Kittyさんの投稿で逆面城の写真を見て昨年11月近くの岡本城、徳次郎城を探訪して置きながら調査の逆面城を抜かしてた事が頭の隅に在り触発されて初探訪しました。
宇都宮北部県道159号線北上し特老さくら杜の南の道を西に山田川を渡り山に当たる処に車1台駐車可、突っ込み過ぎるとタイヤが滑る脱出困難になるかも、東側山裾に人踏道在るも草茂り、地主さんの許可必要との情報も有り(情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん)諦め白山神社からの登城を考え、その道を山裾南に村内に入るそこは居館跡、白山神社手前に消防団の方が機器の点検整備中、白山神社からの登城を尋ねると一人の方が地主さんで消防団の仕事も終わり、台風19号、長雨続きで山(逆面城址)が心配なので調査がてら案内してくれる事に成りました大変ラッキーでした。消防河内西分団第七部の皆さんありがとうございました、名前は伏せますが案内戴いた地主現在の城主さんには誠にありがとうございました。
私の車は白山神社の前に駐車し城主さんの軽トラで先に停めた山裾の1台駐車可へ、案内看板は朽ち果てた事、逆面の由来は弓削道鏡絡み、地元の老女に井戸に写った顔が逆さに成ると死ぬると言われて道鏡さんの顔が逆さに、程なくして亡くなったとの話を聞く。
駐車の所から山裾を1郭北堀切竪堀に登る途中(ここには地主さんが植えたカタクリの花が有名とか)、竪堀が数筋有り東面は崖比高40から50m程、1郭北の土橋、虎口より1郭内に入る、1郭南に1段下がった2郭馬出か?、その南に5郭、曲輪と続き堀切南に居館跡には別の地主さんが大屋敷に住んでいる、山尾根をU字型に大城郭連郭式山城で城内を守ってる様子。
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2019/10/30 05:56
信長誕生の地? (2011/05/03 訪問)
勝幡城(しょばたじょう)は、織田信長の祖父にあたる織田弾正忠信定によって永正年間(1504~1521)に築かれたと伝えられています。
1534年生まれの織田信長は那古野城で生まれたとされています。
しかし、信長の父である織田信秀が那古野城を奪取したのは、1538年という説もあり、勝幡城が信長誕生の地であるともいわれています。
1555年(弘治元年)、信長は主家の織田大和守家を滅ぼして清洲城を奪取すると、拠点を那古野城から清洲城へと移し、それにより次第に衰退して、勝幡城は廃城となりました。
勝幡城は、尾張国の海東郡と中島郡(現在の愛知県愛西市勝幡町と稲沢市平和町六輪字城之内)に位置しており、規模・構造については、「東西四十八間、南北七十間、大手口東西二重堀、四方に惣堀有、惣構の外南北百二十間、東西百十四間(『尾陽雑記』)」とかなり立派なものであったそうです。
二重の堀で囲まれていた館城であり、三宅川が外堀の役目をしていたと推定されます。
もっとも、周りの河川はかなり改修が進んでいるので同時の様子を想像するのは難しいと思います。
なお、この地は元々「塩畑(しおばた)」と呼ばれていましたが、縁起が悪いという理由で「勝ち旗」の意で「勝幡」と改名したといわれています。
現在の勝幡城跡は、遺稿もなく、記念碑と説明板があるのみです。
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2019/10/29 23:56
富山市役所の展望塔から城址がよく見えます (2019/10/20 訪問)
富山城址公園の北東にある富山市役所の展望塔から天守ぽい富山市郷土博物館と本丸がよく見えましたが、それ以上に富山市を囲む山々の景色が本当に美しかったです。富山城主・神保長職(じんぼうながもと)公もこんな綺麗な富山の景色を見ていたのかと思うと感慨深いものがありました。展望塔は無料で年末・年始以外無休!のようです。
富山城址公園の東の千歳御門の外に富山市まちなか観光案内所があり、「富山城石垣マップ」をもらいました。刻印のある石垣や鏡石等の説明があったので石垣好きな方はお勧めです。
天守のような富山市郷土博物館は神保長職公から佐々成政公・上杉謙信公等の書状等の展示があり、写真撮影も可能でした(特別展「越中富山の本屋さん—江戸時代の書籍文化を探る—」の撮影は不可)。最上階の展望台へはエレベーターはなく、天井の低い階段を登る必要があり、展望台には金網がしてあったのでスマホ等では金網が写り込んでしまいそうです。富山市郷土博物館の中に「続日本100名城」のスタンプが置いてあったので、有料の博物館に入らずにスタンプのみ押したい方は入場券売り場の方に尋ねると場所を案内してもらえると思います(スタンプは展示室前のトイレ付近にありました)。
富山市民プラザ付近の歩道に大手門跡のプレートがあると富山市のHPにあったので行ってみると、ちょうど掃除のおばちゃんが歩道を掃いていたのでこれ幸いと「大手門跡のプレートがこの近くにあるはずなんですが」と尋ねるとまさかの「分からない」との返答・・・結局、そこから5m程の所にありましたw 富山市民プラザの少し南(横断歩道は渡らない)の建物寄りではなく、車道寄りの歩道にありました。
丹羽長重さんへ
久保田城の投稿ありがとうございます。自分も特に好きな城の一つなので楽しく拝見させてもらいました。1点だけ投稿内容で誤りに気付いたので修正をお願いします。佐竹義堯公の銅像が佐竹義昭公となっています。自分も佐竹義宣公の字を義宜と間違えて入力したことがあります。なんでそんな間違いしたんやろう・・・
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2019/10/29 22:32
信長生母、土田御前の実家? (2019/10/22 訪問)
大脇地区の公民館に車を停めて登城。
公民館に石碑が立っています。
可児川の急流に沿って位置しています。
本丸への登城口を見逃してしまい、先に中の出丸に登ってしまいました 。
しかも急峻。すでにヘトヘト。
気を取り直して本丸への登城口から攻めましたがやはりこちらも急峻!
なんとか山頂っぽいところまでたどり着きましたがここが本丸かどうかは微妙。
これ以上歩き回る気力もなかったので下山しました。
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2019/10/29 21:56
紅葉に包まれた上杉氏国境の城 (2019/10/28 訪問)
3年越しに香川元太郎画伯の荒戸城の想像俯瞰図を見て行きたいと思いながら時期タイミングが合わず今年の秋にはと思い高速代の割引が有る土日曜日台風19号過ぎ前線の降雨が晴れるタイミングの28日は越後方面晴れ予想で出掛けました。情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんに依ります。
近況を知りたくて湯沢町観光商工課にEメールで問い合わせして芝原トンネルからの旧道は土砂崩れで通行止め、反対側からは駐車場の近くまで行ける、熊は湯沢町出没情報あり熊除け鈴を付けてと前情報を入手。
上杉景勝によって築城し北条氏との攻防有り、三国街道を見下ろす好適地、旧国道に駐車場有り、案内板そこより上がり昔の三国街道を通り登城口標柱有り、駐車場から二の丸下馬出堀まではブナ林の紅葉を見ながら直動の坂道を約10分、馬出、二の丸、大堀を挟んで三の丸、登って本丸、竪堀が各所に、紅葉の山々を眺める。
熊除けに携帯ラジオを鳴らし、鈴を腰に付け時々鳴らす、登城口、案内板には熊注意の看板は無し、当日私一人、パンフレットボックスにはパンフレット品切れ中。
ゆっくりと香川元太郎画伯の絵と余湖図コレクションさんの俯瞰図を手元に大変有意義な探訪でした。
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2019/10/29 20:25
出雲大社のタイアップ(汗) (2019/10/20 訪問)
松江を満喫しすぎ、先日の疲労もあいまって限界寸前だった足を、松江しんじ湖温泉駅前にある足湯でちょびっと回復し、一畑鉄道線で一路出雲大社へ・・・行く前に途中の雲州平田駅で下車w
目的は駅から北に1.2kmくらいの所にある平田城に寄り道する事でした。
電車の本数がそこまで多く無い事と、ちょっと疲労がきつかった事が重なって、今回は見学見送ろうかとも思いましたが・・・丁度イベント中だった為に一畑鉄道が500円で乗り放題だったので、予定通り行ってきましたww
しかし時間を考えると次の電車に乗りたい・・・となると駅滞在時間が40分弱で・・・
・・・疲れている中重い荷物を背負ったままマラソン状態でお城まで行き・・・公園は小山の上にあり、ラストの坂が厳しかったorz
最低解説版だけは見つけたかったものの、麓はおろか途中にも無く、時間の許す限り上に登りまして・・・
結局解説版のあったのは一番上の東屋のあるエリアでした(ーωー;A
道中遺構と言える場所は何ヶ所かあったものの、公園化により手が加わってそう見えたと言われても仕方がない場所ばかりで。。。
時間があれば確信できた遺構もあったかもしれませんが・・・解説版が無ければお城と確信持てるかどうか微妙な場所でした。
しんじ湖温泉駅近くにもお城あったので寄ろうかどうか検討しましたが、城域に入れなさそうだったので・・・所詮沿線で徒歩で行けるお城は出雲大社のタイアップ程度のものしか無かったか。。。
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2019/10/29 20:06
木造復元大手門竣工前、公開待ってます (2019/10/26 訪問)
何度か登城してる水戸城の二の丸大手門木造復元大手門が本年9月末国体の開催に合わせて完成予定と言われてましたが水戸市のHPには完成公開のアナウンスも無く心待ちにしてましたが最近の街道おじさんの投稿に水戸城大手門工事中の写真が掲載されて居り夏期間は城廻りを控えムズムズして居りましたが水戸城の復元工事の進捗は如何にと出掛けました。
車は3時過ぎ弘道館前の駐車場に丁度1台空が出来て運よく駐車出来ました。
二の丸資料館での情報は大手門の公開は来年梅祭りの頃、合わせて大手門と二階隅櫓間の土塀もその頃か木造二階隅櫓の完成は来年度末の梅の頃か?その頃また水戸城に出掛けよう!!
大屋根の囲いが払われまだ工事中の大手門、基礎がセメントの土塀工事中の写真を投稿します。
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2019/10/29 20:00
2019/10/29 19:50
2019/10/29 19:44
2019/10/29 19:35
城址は立入禁止です (2018/04/22 訪問)
中川城は波多野氏の庶流で河村氏によって築かれた城と言われています。
武田氏の侵攻に備えた北条氏の前線基地として、永禄12年(1569)
武田信玄により、また天正9年(1581)武田勝頼に攻められています。
その後、天正18年(1590)の豊臣秀吉による「小田原征伐」の際に
廃城となりました。
県道76号線から<35.428277,139.044100>美しい中川橋を渡り、
北へ約600m進むが通行止め、上段曲輪跡の「大六天バンガロー」横
<35.433115,139.046246>に路駐、下段曲輪跡は立入禁止で入れないが、
地形は城跡を十分に感じられます。
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2019/10/29 19:34
2019/10/29 12:34
静岡県沼津市戸田「φほそ川越中守 石場」銘文刻印石と周辺矢穴石
静岡県沼津市戸田地区には駿府城、江戸城、久能山東照宮ほか複数築城のため徳川三代にわたる公儀普請にて築城石を切り出した大規模な石丁場が存在しています。西湘・伊豆地区では最大級の石丁場と思われ、石丁場を担当した大名家は羽柴越中守(細川忠興)、鍋島信濃守勝茂が確認され、両大名の名前が刻まれた銘文刻印石が四百有余年の刻を経て、現在でも山中に存在しています。
今回紹介する巨石は「φほそ川越中守 石場」と刻まれた銘文刻印石と周辺に存在する刻印石、矢穴、矢割石です。
戸田地区の石丁場はあまりにも広大なため、一度の投稿では紹介しきれません。随時、写真をアップしていきます。
西湘・伊豆地区の江戸城築城石詳細については下記サイトに。
https://www.edojyo.tokyo/
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2019/10/29 10:59
千早城登城 (2019/10/27 訪問)
金剛登山口バス停から急な階段を20分程度登ると千早城址に到着。
楠木正成はこんなすごいところに城を築き、10万の鎌倉幕府軍と
戦ったのだと思うとまことに感慨深い。
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2019/10/28 22:37
2019/10/28 10:02
光秀の石垣が残る (2019/10/27 訪問)
光秀が築いた石垣が残っています。転用石200個見えます。昭和61年に再建されました。小さいお城なので1時間で見学できます。
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2019/10/28 00:28
京都めぐりラス2 (2019/09/25 訪問)
「土塁だけ残ってた。」
「土塁があってよかった。」
「土塁らしきものが見えた。」
「土塁復元したらしい。」
「ここに土塁があったんじゃないかな。」
と、これまで土塁さんにはさまざまな形で古代ロマンと夢を見させていただいてきましたが、『土塁の隅っこだけ』でこれほど異彩を放ち、存在感MAXなのは、まだ浅い見聞の中ではありますが記憶になく、インパクト大でした。
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