凛とした天守と、野面積み石垣が良いですね!
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2020/03/14 11:26
丸岡城 (2020/03/14 訪問)
凛とした天守と、野面積み石垣が良いですね!
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2020/03/14 10:42
天空の城!
雲海に浮かぶ備中松山城を見てきました!
石垣もすごかった!
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2020/03/14 01:01
いくつもアーチがありました (2020/01/31 訪問)
麓の駐車場に車をとめ、管理事務所で入場料を支払うとカート車両で山上の城、正門まで送迎して頂けます!
中城城は14世紀後半、沖縄本島中部の標高約160m石灰岩丘陵上に築かれた連郭式の山城で六つの郭で構成されています。琉球石灰岩の切石で積まれた石垣は、バリエーションに富み、保存状態も良く、見応えがあります。
途中ここで、突然の通り雨に出くわすのですが、城跡で逃げ場がない残念と思うでしょ? でも上手い具合に雨風凌げる、石垣のアーチ門があるんですよ。いくつも、いい場所に、しかも美しい形で、石造きょうもんと言うらしいです。六つの郭を巡りながら下山します。高石垣もあり、雰囲気も素晴らしいお城です。
車で城跡を離れた際に、素敵なご褒美がありました。もう一つアーチを見つけました。空に架かる大きな七色の虹。いつ以来かなぁ。思い出せないくらい、久しぶりでした。
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2020/03/14 00:14
2020/03/13 23:27
青木ヶ原樹海 (2020/03/13 訪問)
城址は烏帽子岳に連なる尾根の築かれていて、この尾根を取り巻くように通っている中道往還を監視する目的で築城された城です。尾根を堀切で切っただけのわかりやすい縄張りです。堀切が見所で、登って行くと連続堀切が迎えてくれます。狼煙台の後方の堀切は圧巻で岩盤を削ったものですが、迫力があります。溶岩で作られた石積みが所々に見られます。
中道往還には北側には信玄築石、南側にも石塁が見られ楽しませてくれます。
新幹線「新富士駅」より富士急バスで河口湖方面富士山駅行きに乗り、約1時間半。上九一色中学校前で下車して、近くにある旧中道往還の標識から樹海に入って行きます。途中に溶岩を積んだ石塁を見ながら登城口へ向かいました。登城口から道が整備されていて主郭まで20分くらいでしょうか。道が崖っぷちに作られているので高所恐怖症の自分には少し怖い所もありましたが、比較的歩きやすい道でした。晴れていて富士山がきれいに見えました。
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2020/03/13 22:13
謎多き城 (2020/03/13 訪問)
横川と百古川が合流して二俣川となった地点に只来地区がある。武田信玄が遠州侵攻時、犬居城の天野氏の案内で、馬場信春軍が攻略。その後も武田の属城として武田滅亡まで存在したと知られている。北遠の雄である天野氏支配地域と二俣城の中間地域にあり、度々戦火があったであろう城だ。城跡として伝えられている百古川西岸は道幅が狭く、乗用車ではムリ。さらには城への入り口も不明で、またもや麓散策となった。築城不明、遺構もはっきりせず、資料も極めて少ない。しかも等高線や現状を見る限り険しい尾根ではないが、対岸の高台には東光寺があり、言われている位置にあったかなとは思うが、二俣城や犬居城の支城であったならば、、、地元で言われていると言うトンネルの上、しかも根拠は全く無いが、下只来地区にある国道362号線光路沢トンネルの上の尾根が、位置・形共に城だったのではないかと感じた。
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2020/03/13 21:01
井伊氏三岳城の支城 (2020/03/13 訪問)
南北朝時代、南朝方の宗良親王を守る井伊氏の士城だ。田沢集落の北にそびえ立つ標高657m、比高420mの城。カーナビでは本城と出る。入り口であろう林道に入ったが、とても乗用車では無理。引き返して麓の田沢地区から散策した。田沢城麓の集落には、「日比平のお堂」や「観音山の庚申様」など、歴史を感じる遺構が多くある。田沢地区には知人宅があり昔はよく遊びに来たが、集落の中は道が細くまるで迷路のようであり、今思えば南北朝時代の雰囲気を感じる事が出来る貴重な地域だ。三岳城と比較して、ずいぶんと高いところにあると麓から眺めていると感じるが、三岳城も標高467m、比高は430mと田沢城より高い。三岳神社まで車で行く事が可能で、本丸までの登山道も整備されているからであろう。
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2020/03/13 20:26
体調考慮し麓だけ (2015/05/23 訪問)
上杉景勝関連の史跡を訪問すべく日帰りで南魚沼を訪問致しました。
最初に上杉景勝誕生地とされる樺沢城を見学したものの、樺沢城で足の裏を痛めてしまいまして(苦笑)
次に上杉景勝と直江兼続が幼少期に学びの地とした雲洞庵を見学した次にこの日の本命・景勝の実父の長尾政景が城主だった坂戸城に立ち寄る事にしたのですが。。。
坂戸城って麓から山頂まで1時間と言われる登山が必要なんですよね。。。
当時山城馴れしていたので自信あったものの、流石にこの時の足の状態では微妙だった事と、帰りの長距離運転もあって安全を見て麓の石垣だけ見て戻る事にしました。
といってもこの石垣だけでもお城として十分見応えありますし、麓には長尾政景や上杉景勝の墓所、直江兼続の供養塔のある龍言寺跡も見れれます。
また川沿いにも坂戸城の内堀跡もあったので、取り急ぎの確認した事で坂戸城一応行った事にさせて頂きました。
2014年から2015年にかけて、歩きすぎて足裏の皮が剥けてしまって足痛めた回数多いですw
今なら足裏痛める前に足攣ると思いますが・・・皆様も足のメンテナンスをしっかり行ってお城見学しましょう(汗)
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2020/03/13 15:56
2020/03/13 06:27
木曽義仲軍の四天王の一人 (2020/03/07 訪問)
正法寺を中心として長野県史跡に指定されていますが、遺構はないようです。木曽義仲の軍の四天王の一人・根井行親の館跡で、根井行親の供養塔と伝わる石塔が正法寺に建っています。
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2020/03/12 21:04
高知屈指の山城 (2020/03/07 訪問)
詰ノ段と西詰ノ段の2つの主郭があるような縄張り。
間に横たわる巨大な堀切。
迷路のような竪堀と横堀の組み合わせ。
全て見るにはかなり時間が必要です。
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2020/03/12 20:51
龍馬さんと桂浜 (2020/03/07 訪問)
だけじゃない!
観光地化で遺構の大半がなくなってますが
主郭(御詰ノ段)に移築復元石垣があり、西側城郭には3条の堀切。さらに最近発見された畝状竪堀があります。
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2020/03/12 20:49
掛川城 (2019/02/22 訪問)
御城印を
入手!
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2020/03/12 17:09
老体には急峻な登城路あとは胸躍る山城 (2016/03/23 訪問)
浜松より1号線バイパスを飛ばして清水区蒲原城を終えて西に戻り丸子宿に聳える丸子城を初登城。
国道1号線バイパス沿いに体験工房駿府匠宿が在り同所の有料駐車場を利用(丸子路ガイドマップを駐車場の方に頂く)、匠宿内のおもしろ体験館の壁に丸子城指示の案内看板が有り指示に従って行くと急峻な階段登城路。
北の登城路から東尾根に出るまでが大変キツイ神社の祠に着けば後は平坦な城域に東から入る、駐屯地7曲輪過ぎると尾根を進み丸子城見どころの三日月堀が6曲輪下に存在感あり、後は曲輪が連なり余湖図コレクションさんの俯瞰図に依れば5、4、3、2、本曲輪、4曲輪から本曲輪北側下に横堀が連なり丸馬出が要所に在る様ですが下まで降りて確認はしてません、曲輪間には虎口と堀で土塁で構えてます。
一人静かな探訪でしたがガサガサと音がして構えましたが丸子城でウォーキングしてる方でした若干会話して探訪継続、樹木は杉等鬱蒼としてますが歩きやすく成ってます。
横堀、虎口、土塁、曲輪、馬出と色々山城の構成部位に出会い楽しい探訪です、急峻な登城路さえ無ければと思い来た登城路をゆっくりこけない様にと下城。
西の備え駿府を守る今川の山城、武田との攻防で武田の城、武田の大改修、徳川との攻防で徳川の城へ、武田氏の改修、徳川氏の改修を経て今日に至ってるのでしょうか?
日帰り蒲原城、丸子城探訪でしたが今回は足腰にキツイ山城廻りでした。
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2020/03/12 12:50
草刈りされてました(^-^) (2020/03/01 訪問)
2019年1月にイオさんが登城されたおりには城散策に適した冬にもかかわらず、シダがぼうぼうに繁っていて遺構が見辛かったとのこと。約1年後の今回、訪問するとほぼ城域全体が草刈りしてあり、東側斜面の畝状竪堀も見ることができました。
本郭に登る急斜面には、トラロープで、道が示されてました。頑張ってくれてます。
イオさんレポートの通り、北西尾根筋の堀切は見ごたえがあります。この辺りは、流紋岩質凝灰岩が多く、岩盤が加工しやすい。
赤木城から丸山千枚田を経て、京城に行きました。観光案内パンフレットに、「豊織期の築城ノウハウを詰め込んだ赤木城と地元豪族の京城を比べてみては?」と紹介されてました。よいですなあ。
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2020/03/12 11:25
北に富士南に駿河湾景勝の城です (2016/03/23 訪問)
大河ドラマ真田丸の年真田郷に脚を伸ばしましたがまだ静岡に未踏の城が残ってると蒲原宿北の山稜に在る蒲原城を初登城。
当日朝国道1号線バイパスを東行、清水過ぎから1号線由比から蒲原宿、宿場町の風情が残ってます、国鉄蒲原駅手前善福寺入口交差点を北入る、ナビの蒲原城目的地が北上の坂道を走行すると南に成り、道を間違えたかと行ったり来たり近くの公園駐車場へ停め辺りを見渡し西山手が城の様子、来た道の西側に大きく立派な看板が目に入りました「駿河国蒲原城」と縦書き、その手前に専用駐車場有り。
看板の所から登城路案内に従い登城、城内ガイドは余湖図コレクションさんの俯瞰図、城域東側の登城道を一気に1の曲輪、桜はまだ早く前面南は駿河湾が見下ろせ、北に振り返ると雪を被った富士山これだけで絵に成ります絶景景勝地です、1の曲輪には神社鎮座ぐるっと回り2の曲輪には行かず、降って1の曲輪北下の善福寺曲輪へ間に大堀切、腰巻石垣が見られる、周囲土塁、物見矢倉、コンクリ着色の逆茂木、曲輪を降りて堀切を通り西下に在る帯曲輪、これが西から北、東と延びてる、北側に腰巻石垣が見られる、北には小さな曲輪、土塁が散見される。
富士山、駿河湾の写真を撮ったのですが霞が掛り掲載には不鮮明で今回無し。
草刈りもされ保存整備管理が良くされて居り保存会、市文化財課?の頑張りが大変ありがたい。
歴史は今川氏北条氏武田氏徳川氏の抗争に明け暮れ富士川の近くですから武田氏が富士川に沿って侵攻して来る様は必然かも、最終的には徳川氏へ。
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2020/03/12 06:40
2020/03/12 01:35
御主殿まわり (2020/02/24 訪問)
<前回の続き>
勢いで富士見台まで行ってしまったばかりに、めんどくさいことになってしまいました。
富士見台→詰の城…約20分
詰の城→本丸…約20分
本丸→登城口…約20分
1時間かけて下山です。
さすがに歩くのにも飽きてきました”(-“”-)”
が、下りるしかないのでがんばって下山し、麓のガイドさんに無事帰還を報告。一か月前に来たときに入れず、気になっていたアシダ曲輪の辺りのことを伺うと、通行禁止になっているのは台風19号のためではなく、私有地のため個人で入るのは遠慮してもらっているとのこと。ガイドさんと一緒であれば見学可能とのことだったので案内していただきました。土塁がしっかり残っていて、三段曲輪の遺構がよくわかりました。
そしてこれだけは外せない、20年ぶりに露出したという石垣の場所を伺うと「こんなリクエストは初めて」と、とても親切に丁寧に教えてくださいました。御主殿の滝の石碑があるところで隅石がしっかり見えていて、石碑の後ろの土塁から繋がって主殿の方に曲がり、分厚い壁のように遮断されていたということがよくわかる、ポイントとなる石でした。滝に降りてみるとさらにわかりやすかったです。
拡張された坂から御主殿に入ったところでガイドさんとはお別れ。許可(?)をもらい見に行ったところは…写真のみでご報告。この日いちばんのバリ萌え石垣でした!
ひととおり見学し終わって最後に北条氏照と家臣の墓所に寄りました。車道から脇道に入って徒歩3分と書いてあったのにまさかの石段登り。でも、城内を存分に歩き回らせていただいたお礼を氏照さんに言えてよかったです。結局、計4時間歩き回って約18,000歩。160階分登ったのでヘロヘロで、この日はバーターなしでした。
まだ太鼓曲輪の方に行っていないし、登るのに夢中で見逃しているところもたくさんあるはず。なので、もうしばらく通いたいと思います。そしてこのお城が辿った悲しい歴史に思いを馳せつつ、いろいろなことを理解できればよいなと思っております。
☆朝田 辰兵衛さん、ご無事で何よりです☆
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2020/03/11 23:22
金石城
復元された大手櫓門は上層の破風が正面を向く特異な形で実に堂々としており、実際に天守代用の櫓としても位置付けられていたのだとか(横から見るとちょっとかっこ悪いのだけれども)。
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2020/03/11 22:12
謎の城 遠州朝比奈城 (2020/03/11 訪問)
今川家家臣の朝比奈氏は、駿河朝比奈氏と遠江朝比奈氏に分かれており、今川義元の時代に活躍したのは、以前行った岡部町の朝比奈城主朝比奈氏である。遠江朝比奈氏は、掛川城主であり、今川氏真が駆け込んだ掛川城で家康によって5ケ月間包囲され、今川家滅亡時まで仕えた重臣であったが、その朝比奈氏とこの朝比奈城が関与してるか否かは謎。
むしろ高天神城主の小笠原氏家臣の曽根氏居城である方がしっくりくる。さて、朝比奈城周辺の他の城は、高天神城を巡る戦いの武田方の支城として、さらには塩の道を抑える要所として点在しており、遺構もよく整備されていて見所も多いが、なぜか朝比奈城は案内看板もなく、ここら辺だろうと思われる箇所をさまよって終わった。ただ、朝比奈川沿いにある河岸段丘を活かした城である事、高天神城の支城であったであろう事は理解出来た。少し消化不良の為、近くの釜原城などにも登城した。
この近辺は、城を構えるに、河岸段丘だけでなく断層帯も利用してたのではないかと思われる所もあり、見所が多い。
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