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勝野武士

七夕の登城と相成り候。 (2019/07/07 訪問)

またまた間隔が空いてしまった…orz

さて今回は、前々から気になっていた兵庫県加西市の山下城へ行ってまいりました。

山下城の歴史は、実は資料が少なく不明な点が多いようです。
城跡すぐ近くに建つ田冨山常行院の寺伝によると、建武年間頃に赤松氏の家臣であった浦上七郎左ェ門正久が寺領を奪い堂宇を焼き払い、その跡地に城を築いたそうです。エゲツナイ。
天正の三木合戦では、当時の城主浦上久松は兵を伴って三木城へ籠城しました。結果、別所氏と運命を共にし、この城も廃城となったようです。

てなわけで現地へ。
とりあえずマイカーは必須です。駐車場は常行院の道をはさんですぐ横にある広い駐車場を使わせていただきましょう。
そこからの道のりは、常行院門前に案内板がありますので、参考にさせていただきましょう。

案内板に従って3分ほど遊歩道(私道っぽいですが…)を歩きますと、右手にいかにも城跡だって感じの丘陵地が見えます。
比高約30mの小山の斜面には、明らかに人工的なテラスが多数見受けられます。
そして『山下城跡』と刻まれた小さめの石碑があります。ここからが本格的な登城ルートです。遊歩道としてある程度の整備がなされていて、とても歩きやすいです。
ちなみに、現在整備されているこのルートは、当時の搦手口だったようです。
その登城ルートを入ってすぐ右を見ますと、見事な大堀切が見えます。そして少し進んで左側には帯郭状の空間があります。その真上が本丸で、その直下の切岸はなかなか急勾配です。
それらを横目にまっすぐ進んでゆくと水の手跡があり、そこから3方向にルートが別れます。
右手に行くと多用広場、政所郭と呼ばれる広い空間があります。現在このあたりはそのまま畑地に転用されていて、実際、結構広いです。いかにも居住空間があったような、そんな雰囲気があります。
真ん中のルートは二の丸の直下を通り、西本郭と呼ばれるところへ行きます。ほとんどが竹藪と化していますが、郭の形や配置、堀切などほぼ良好に残っていてわかりやすいです。
南側には土塁や竪堀が残っているようですが、残念ながら藪化しすぎでよくわからず。
そして西本郭から西側に行くと当時の大手口だったようですが、竹藪と、明らかに私有地っぽい雰囲気だったので無念の引き返し。
それでは水の手跡から左に回り込むルートへ。見事な切岸を横目に登って行くと二の丸、さらに少し登った先が本丸です。
本丸…特に南方向の眺望は良く、麓の山下町の田園風景と、遠く南の彼方には善坊山が見えます。
善坊山上には善坊山城があります。同じ別所方のお城です。南から迫りくるであろう織田方の軍勢に備えて連携し合ってたんでしょうか。

手頃に登れて、全体的に郭跡が良好に残っていて見ごたえのある山下城ですが、探索に際しては、主郭部を除く大半は私有地かと思われますので地元の方々に対する配慮は必要かと思います。
そしてマムシ注意。

ここまで保存状況が良いお城なので、国や県の史跡に指定されていてもおかしくないぐらいに素晴らしいお城でした。
もっと知られてても良いんじゃないかと思わせてくれます。
他人にオススメしたい城がまた一つ増えました!

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じゅんじん

今も立派なお住まい (2019/07/14 訪問)

大きくて整備の行き届いている長屋門。御子孫が現在も住まれております。

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10Q-Nobu

広さは上から確認。 (2019/07/16 訪問)

近くに建つ佐賀県庁最上階が展望室になっており、城下の広さを360°見渡せます。
城内の本丸歴史館も無料で入れてお得でした。

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朝田 辰兵衛

良く整備されてますので… (2019/07/12 訪問)

夏場でも問題なく登城できました。馬責めは,大野城と岩屋城のどちらに分類すべきか悩みましたが,岩屋城に入れました。
標高:281m,比高:230m。西鉄太宰府駅から,徒歩約45分で本丸。

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うさぎ屋

本丸跡 (2019/05/02 訪問)

5月の連休に訪れました。
入口に資料館があり、城全体の構図がわかります。
あまり準備せずに行ったのですが、
思ったほど時間がかかわらず、まわれました。

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じゅんじん

水城 (2019/07/14 訪問)

忍城と同じで沼地に築いたお城でしょう。朝方にはハスがきれいなんだろうな。

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にのまる

紫陽花も綺麗でした。 (2019/06/28 訪問)

水郡線沿線にあるお城は私にとってはそれだけで難攻不落なのですが、白河(新白河)から路線バスで行けるとわかったので、白河小峰城訪問のあと、バス旅してきました。ほぼ貸し切り、ほぼノンストップです(^^)

棚倉城は大きな水堀が印象的でした。木々の緑と噴水がつくりだす風景は清々しくて美しかったです。
シロツメクサが咲く土塁も高さがあり、思った以上に周囲が見渡せました。

二の丸の石垣や移築門が気になりつつも、もっと気になるのが逃したら大変なことになりそうな帰りの水郡線(帰りは郡山経由で)。なので、大ケヤキを見て終わりにしました。

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小城小次郎

堅志田城

訪ねた時は草ぼうぼうで「何でこれが国史跡?」とまで思ったが、通行止めが長く続いて整備できなかったらしい。阿蘇氏、相良氏、島津氏が争奪戦を展開するたびに修築が重ねられたであろう、広大な山城。

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くろもり

いろいろと難しい (2019/06/22 訪問)

善照寺砦から徒歩10分~15分の間くらいでした。
駐車場は砦跡とされている光明禅寺の南側にあります。

織田信長の桶狭間の合戦に関連する砦の一つですが、自分にはちょっと難し過ぎました。小高い丘の上にあるので、砦として機能していたことは想像できるのですが、説明も城址碑もなく、マップの「丹下砦跡」の場所は空き地になっており、隣はお墓でした。

写真を撮るのも難しく、砦跡の光明禅寺が高台であることが分かるように写真を撮ろうとすると周囲の家が写り込み・・・「丹下砦跡」の空き地を撮ろうとしても同様で、鳴海城址は光明禅寺の東側からなんとか見えたのですが、家の屋根ばかり写り込み・・・

じゅんじんさんへ
投稿されている写真が中島砦近くにある瑞泉寺になっています。城びとさんに連絡しようかと思いましたが、中島砦の投稿は既にされているようなので、直接本人に訂正してもらった方がよいかなと思いここに書かせて頂きます。もし、投稿が誤っていたら訂正お願いいたしますm(_ _)m

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カルビン

2輪推奨 (2016/10/15 訪問)

東京から中央道にて山梨入り、そこから国道52号線を南下しながら史跡・神社仏閣巡りをした際、国道52号線から身延山久遠寺に向かう途中の山中にある波木井城に立ち寄りました。

ものすごく不便な場所にあるのは解っていたものの、軽自動車での行軍だったので問題無いと勝手に思っておりました。

山の斜面に田畑と同化するように道の突当りに大きな石碑とその脇に小さな解説が。。。
周辺にももしかしたら遺構らしきもの、あったかもしれませんが・・・何せ車を停める場所が無く
(というか、道が普通車1台通れる程度の広さなので、もし地元の農家の方が来られたりしたら立往生間違い無しw)

とりあえず撮るもの撮って戻る際にバックて行こうか迷いましたが、結局石碑のあるちょっとしたスペースを5、6回きり返してようやく脱出しましたw


訪問が不便な場所に加え、ほぼ見る物が無い事から、頑張って行く程の場所では無いと思われますw
一番良いのは2輪で訪問される事でしょう。

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ぴーかる

大隅神社 (2019/05/22 訪問)

【江口城】
<駐車場他>神社横に参拝者用あり。
<交通手段>バイク

<感想>バイクツーリングがてら攻城3城目。この城も「お城を探す」で探して見付けたお城です。東淀川区と摂津市の間に神崎川という淀川からの支流があり(当時は神崎川の方が本流だったので城は本流の南側か中州のようなところではなかろうか)、大隅神社の数百メートル北にある江口橋という橋は幹線道路に架かる橋で有名で通ったこともあり知っていたが、江口という町名と三好氏の内部争い「江口の戦い」は知らなかった。
 ここの大隅神社も江口城の推定地らしく、諸説あるらしい。伝承で神社にある江口と彫られた狛犬の台座とその狛犬が城の遺構らしいです。
 狛犬は本殿の前の両サイドに五体づつ並んで十体全員こっち見てます。(威圧感あるがなんとなく可愛い)江口の狛犬は向かって右側の真中の子です。
 この城跡にてツーリング攻城終了。走行距離88㎞、楽しめた。

<満足度>◆◇◇

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チェブ

いろいろ、名前がかぶります。 (2019/07/13 訪問)

神奈川県の「真田城」に行きました。
真田と言っても「真田丸」で活躍した真田さんではありません。

岡崎城主の岡崎 義実さんの子で真田与一義忠さんにより築かれました。
岡崎城と言っても家康さんが産声をあげた静岡県の「岡崎城」ではありません。

真田与一義忠さんは石橋山合戦で源 頼朝さん側で奮闘するも討死してしまいました。
その後、扇谷上杉氏の家臣、上田氏の居城になります。
上田さんと言っても真田昌幸さん達の本拠地「信州上田」には関係ありません。
天徳寺あたりがお城跡のようですが、「真田城」石碑はありませんでした。
境内の方に説明板があるようです。
お墓の方に遺構らしき場所があるのでは、と思い境内方面は見なかった。が正直な言い訳です。
でも「真田学校」の石碑と説明板があり、時代は違うけど重要な場所だったのは確かです。

近くの神社でお祭りしてました。
天徳寺にスタンバイしている、お神輿には真田興一公=真田与一義忠さんの肖像画です!

こんな所にも英雄、真田公がいらっしゃったんですね。

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いんげん丸虫

山中南城 千葉県山武郡芝山町 (2018/02/12 訪問)

北城から谷(道路)を挟んで数分にあります。こちらのほうが複雑で技巧的な感じですね。

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うさぎ屋

台場海浜公園より (2019/07/14 訪問)

台場海浜公園よりの全景。
5月に川越に行った時、博物館に第二台場の図面がありました。
第二台場は高度成長期に壊されてしまったらしいです。

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真田山城 (2018/01/13 訪問)

 静岡県森町にある武藤氏の城です。小国神社に行く途中に案内板があり、以前より気になっていました。案内板から橋を渡って右手に行くと主郭まで一気に到達することができます。周囲には横堀も認められますがシダ類と思われる草があり見にくい状態です。主郭の後ろにある堀切はよくわかります。物見台から先へも少し行ってみましたが、特に遺構は見つけることができませんでした。ネットで石積があるらしいと書いてありましたが見つけることはできませんでした。主郭の下の曲輪には井戸跡を発見しました。もう少し整備していただければ、いい城址だと思います。

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カルビン

今の時期よりよっぽど暑かった (2019/06/01 訪問)

本證寺を軸に名鉄吉良線沿線巡りした際、2番目に訪問したのが桜井城。

GW前頃には既に暑くなっていた今年、やはり6月頭にしてかなり暑かった・・・

駅から10分ちょいの距離で、汗が出切るくらいでした(ーДー;;;)


肝心の桜井城は現在小さな城址公園となり、一部にのみ土塁か櫓台かの高台があるのみで、その上に城碑がありますが他にお城を示す遺構は見当たりませんでした。
解説やオブジェ的なものがいくつかあって、雰囲気は味わう事が出来ますがw

例の如くわざわざここを遠くから見学しに来るのは流石にムダなので、周辺のお城のバーター的な位置付けで十分でございますw


ちなみにここ桜井駅とその1つ北にある碧海古井駅の周辺東側、妙に古墳が沢山ありますw
古墳をお城や砦に利用するケースって結構確率高いので、もしかしたらこの周辺には無名のお城が乱立していたかもしれませんね。。。

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街道おじさん

新府城登城 (2019/03/19 訪問)

甲府城、武田氏館と甲府市にある100名城を登城した後、JRを使い新府城に登城。
悲劇の戦国武将武田勝頼が築いた城である。築城には真田昌幸も関わったとのこと。
甲府からJRで韮崎まで行き、そこから徒歩で韮崎市民俗資料館へ行き、続100名城スタンプを
押印。その後、新府城まで歩き、写真を撮ったあと、JR新府駅から甲府まで戻る。
この順番を逆にするべきであった。韮崎駅→韮崎市民俗資料館→新府城は基本的に登り坂。
逆に歩けば下りでずっと楽だった。(今後新府城をJRで訪れる方はご注意を!)

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はらぽん

初訪問 (2018/11/11 訪問)

見所は石垣。城内のあちこちに残る荒々しく力強い石垣群に圧倒されます。小ぶりながら風格ある現存天守はもちろん素晴らしかったです。

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はらぽん

100名城スタンプラリー (2018/11/15 訪問)

再建された連立天守、積み方の異なる石垣、御橋廊下など見所満載です。今後の整備にも期待大。

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城好きのメガネ

「将軍の宿城 宇都宮城」 (2019/07/14 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
下野守護の宇都宮氏が500年にわたり支配した。22代・宇都宮国綱が豊臣秀吉により改易され、江戸時代には譜代大名の居城となった。近世・宇都宮城は「将軍の日光社参における宿城」として重要視された。戊辰戦争では旧幕府軍に攻められ建物多くが焼失した。現在、清明台及び富士見櫓が復元されている。

<アクセス>
JR宇都宮駅 徒歩15分

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