みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

橋吉

河岸段の城 (2012/09/22 訪問)

鉢形城歴史館に広い駐車場があります。まず、歴史館に行くことをお勧めします。予備知識だけでなくフィールドマップも手に入れましょう。この城は広大で、一見平坦なので全体像をつかみにくいです。しかし、河岸段丘を利用しているため、高低差があり全体を見るのに時間がかかります。

+ 続きを読む

橋吉

(2012/09/22 訪問)

まず、ガイダンスセンターへ寄られることをお勧めします。予習もできますし、現地の地図も手に入ります。城下の駐車場は広く、道路はカーブ・勾配ともに急ですが、けっこう道幅があるので初心者でなければ大丈夫です。
ひととり見学するのに1時間かかりました。

+ 続きを読む

橋吉

箕輪城 (2011/09/23 訪問)

山城で遺構がわかりにくく、日本100名城の中では上級向きかな。

+ 続きを読む

カズサン

勝頼が来ていたら?Ⅱ 初探訪潜龍院(勝頼御殿) (2017/10/28 訪問)

 一昨年10月28日岩櫃城を降りて岩櫃城フォーラム開始前に潜龍院跡、真田昌幸が武田勝頼を迎えるために作った御殿でしたが来る事なく天目山で自刃しました、来てたらどうなってたろうと思ったりします。
 古谷集会場駐車場有り車を停めて案内看板を見ながら10~15分、石垣の屋敷台が残ってます、丁度草刈りを地主の方がトラクタで刈ってました見やすく保全されてます、ありがとうございます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

勝頼が来ていたら? 初登城岩櫃城 (2017/10/28 訪問)

 一昨年の10月28日午後からある岩櫃城フォーラム参加したくて途中に上野中山城初登城を終えて岩櫃城へ、事前に以前からの登城道が崩壊して通行止め情報が有り吾妻町教育委員会に連絡して迂回路図を送って戴き岩櫃城看板設置してある大駐車場へ無事到着、要所要所に案内看板が設置されてました。
 駐車場から2,3分の平沢登山口観光案内所から登城開始、中城、中城横の長い竪堀の様な登坂道を進み、二の丸下坂道を二の丸本丸の堀へ本丸側傾斜登城路を本丸へ眺望は良いのでしょうが当日霧曇り状態。

 下城して町場の食事処で蕎麦定食を頂き会場の吾妻町コンベンションホール、NHK真田丸で時代考証された平山優氏の講演「真田信之時代の岩櫃城」を聞きたくて浜松から車で飛んで来ました。

 武田勝頼が岩櫃城で籠城戦をしていたら後数ヶ月で時代が変わって居たかも?岩櫃山の下に勝頼を迎える屋敷を作って居たのですから現在潜龍院跡して残ってます真田昌幸の計画も潰えましたが空想と夢とが交錯します。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

今後の発掘調査では,歴史的価値が急上昇⤴⤴⤴ (2019/08/31 訪問)

伊達氏の本拠説,上杉景勝の改修工事説などの議論がある模様です。舘山東館エリアで,井戸や短刀・陶磁片が出土したという,手書きの立看板が印象的でした。
標高:310m,比高:60m。Ⅲ曲輪(西曲輪)まで,整備や発掘調査は行き届いていないように感じました。それだけ可能性を秘めているとも言えると思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

北条氏境目の城 (2017/10/28 訪問)

 一昨年の10月28日群馬県東吾妻町で岩櫃城フォーラムが有り前日浜松を夜出発しSA車中泊して岩櫃城に向かう途中に上野中山城が目につき登城を計画、城放浪記さんの案内に有る国道145号線の広い路側帯駐車場をナビに登録し無事到着、案内板がそこに有り安心停めたところから城跡が分かる。
 北条氏と真田氏の攻防戦による北条氏境目の城として築城される、南に延びる舌状台地に本丸、本丸を北、西、南に二の丸が囲む更に大きく三の丸が囲む、南に大きく捨曲輪各曲輪を大堀が防ぐ東西は崖が切岸の役目をしている、東から切岸を斜めの登城路で本丸に入る。
 登城後岩櫃城へ向かう。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イシテル

松平城は秋冬に行きましょう。 (2019/08/31 訪問)

雨天の予報が曇りに変わり、諦めていた8月最終日の城廻。一度行こうと思っていた豊田市の奥、松平郷へ。
名鉄豊田市駅からバスに乗り、出発は5人いた乗客もいつの間にか一人だけ。
松平郷でバスを降り、まずは松平城址へ行きました。
立派なへ石碑があり、そこが登城口。
すぐに主郭と曲輪3,4と主郭への分岐があり、まずは曲輪3,4と思いそちらへ進んだのが間違い。
途中、目に見えない蜘蛛の巣が張り巡り、足元も草ぼうぼう。
蜘蛛の巣が絡んだ腕は異常にかゆく、あちこちからやぶ蚊の襲撃も受け、夏場に来るんじゃ無かったと思いながら進むと、あばら屋と曲輪4があり、曲輪4の奥に櫓台。そこから曲輪3、曲輪2を経て主郭へ上がり、登城完了。
特殊な遺構も無いが、ここが松平、徳川へ続く原点だと思うとそれれなりに達成感が湧きました。
また、竪堀と思われるところもあるが、草木に覆われ、なんとも判りません。
山裾を回って見ようと試みましたが、柵があって断念。
その後、東照宮と高月寺をお参りしました。
出来たら大給城とも考えていましたが、あのやぶ蚊の攻撃と雨がパラついてきたことで、気持ちが下がり断念。
今度、機会があれば、大給城と松平山城を夏場を避けて見てみたい。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トーダイ

公園化された北館跡には行けますが (2019/09/02 訪問)

築城年代は不明、建長年間(1249~56)頃に一戸摂津守義実によっで築かれたと云われる。

城跡は北館、八幡館、神明館、常念館などの曲輪で構成されていますが、一戸城址駐車場
(20台)<40.218576,141.305041>を利用すると、公園化された北館跡に行けますが、
夏草で遺構は分かりません。八幡館、神明館、常念館は畑地で入れません。

+ 続きを読む

トーダイ

国道4号線で分断されてます (2019/09/02 訪問)

築城年代は定かではない。館主は目時筑前で三百石を領し、三戸城内に屋敷を構えていた。

目時館跡は国道4号線で分断されており、城郭放浪記に南側の工場入口<40.349060,
141.270558>に案内板あり。しかし撤去されたか、確認できない。

北側に空堀跡が確認できるが、夏草深く、グーグル地図(写真)ほど明確ではないです。

+ 続きを読む

カズサン

阿波城廻りⅣ 阿波の守護所、三好の城館 (2017/09/26 訪問)

 一昨年9月下旬徳島県阿南市牛岐城を終えて阿波公方の平島館、山頂本丸石垣の一宮城、模擬天守閣の在る川島城、吉野川を渡って秋月城を廻って国指定史跡「勝瑞城館跡」へ発掘調査を継続してる勝瑞館へ空きスペースの駐車場へ停め発掘現場事務所に寄り資料を頂きました、館跡を廻り県道14号線を越えて勝瑞城を探訪、四方ぐるりと水堀に囲まれ本丸は見性寺に成ってる、勝瑞城北側に駐車場とトイレ公園に成ってる。
 勝瑞館と勝瑞城合わせて国指定史跡勝瑞城館跡と登録されています。

 勝瑞城館を終えて高速を飛ばして東讃岐の引田城、鳴門市の撫養城探訪後淡路島経由明石大橋、山陽道、新名神、東名阪、湾岸、新東名を経て浜松へ夜中到着です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トーダイ

ピンポイント地点を撮りましたが ..... (2019/09/02 訪問)

築城年代は定かではない。城主は櫛引氏で、南部光行の四男宗朝の子孫を称している。

県道134号線<40.478523,141.434027>からピンポイント地点を撮るが、夏草深く
地形は良く分からず、道標・案内板・城址標柱などありません。

+ 続きを読む

トーダイ

空堀跡が確認できます (2019/09/02 訪問)

築城時期等詳細は不明、館主は根城南部氏の家臣水越弥三郎、是川宇右衛門と伝えられる。

ようやく庚申石<40.471348,141.496789>付近に路駐、西に進むと道路の左側に空堀跡が
長さ約100mほど確認できます。西端は高低差5m以上あります。一方、庚申石からへ
南へ進むと、郭跡(畑地)が見えますが、個人の所有地ですから注意が必要です。

+ 続きを読む

チェブ

お祭りの山車に着いていったらお城跡。 (2019/08/31 訪問)

京浜東北線、大森駅西口のアーケードのある商店街を歩いていると、お囃子の音が聞こえてきました。
途中、闇坂を見つけ、やっぱり「新井宿城」は高い場所にあるんだなっ、と覚悟を決め進みました。
善慶寺と熊野神社がお城跡です。

北条家 家臣 梶原氏が築城しました。

善慶寺とその後ろの熊野神社を目指しているとお祭りの山車に遭遇。
確かにお囃子の音は、ずっと聞こえていました。
んっっっ!山車に熊野神社の文字発見。
部外者ですが着いて行きました。
一応、地元消防団の方にお城巡りをしてる事を伝えました。すると、新井宿に詳しい自治会の方を呼んできてくれました。
ありがとうございました!
善慶寺の義民六人衆のお話しを伺いました。
4代将軍 家綱さんに村の窮状を直訴しようとしたら領主に処刑されてしまいました。
階級を越えての訴えは領主の罪になるので始末したそうです。
その後、間宮 藤八郞さんが父母の墓の後ろに六人の遺骨を移しました。お墓の台がくりぬかれていて、父母に水を供えると六人にも行き渡るシステムです。

梶原氏の「新井宿城」は分かりませんでしたが、また違うお話しが聞けて楽しかったです。
ありがとうございました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

中川藤兵衛尉

渚陣屋 (2019/09/02 訪問)

船橋陣屋を建てた永井甲斐守の三兄・同名伊賀守が建てた陣屋。今は「御殿山神社」になっています。陣屋(=御殿)があった所の神社って、分かりやすいですね。そこそこの高所に建っています

+ 続きを読む

中川藤兵衛尉

中原氏館 (2019/09/02 訪問)

地元の中原氏の城館。成立年代は不詳で、まあ南北朝期までは遡らないだろう、と。同じ土豪の津田氏に飲み込まれて消えたみたいですね。耕地を含む階段状の平坦地を持つ中世武士居館で、館内に馬場や虎口があったろう、と。確かに微高地に平坦面がありますわ

+ 続きを読む

中川藤兵衛尉

荒坂山砦 (2019/09/02 訪問)

河内・山城両国の境にあり、南朝方の前線基地の一つでした。『太平記』に依ると、和田・楠木氏らが在陣したそうです。北朝方の攻勢を止めましたが、山城八幡へ進軍する為に自焼し、北朝方の足利氏が利用したようです。遺構は恐らくないでしょう、この感じでは

+ 続きを読む

中川藤兵衛尉

招堤寺内町 (2019/09/02 訪問)

六角氏庶流の片岡大和守と近江八幡に本拠を持つ河端氏とがこの地に蓮如の六男・蓮淳を招いて建てた寺内町。地元の津田氏の女性が蓮淳に嫁いだらしいです。様々な特権を持っていましたが、山崎合戦に於いて惟任日向守に与した為に、羽柴政権で全て剥奪されました。徳川時代には蔵入地となったようです。小高い所にある敬応寺が御坊で、麓の池は東堀の一部とされています

+ 続きを読む

中川藤兵衛尉

船橋陣屋 (2019/09/02 訪問)

別名「永井大之丞陣屋」。淀藩主・永井信濃守の五男である同名甲斐守が分知されて作った陣屋。何も残ってませんが、葛原代官所に門が移築されて、それが保存されています。因みに、葛原代官所には代官の末裔の方が今も住んではります

+ 続きを読む

街道おじさん

古宮城登城 (2019/08/21 訪問)

武田の武将、馬場信春が築いた城。NHKの番組『お城へ行こう』で取り上げられた。
続日本100名城の一つ。
作手歴史民俗資料館へ行き、城の縄張図を貰い、
白鳥神社の横手から入っていった。
現地には説明の碑がないため、縄張図が頼り。
土塁が想像を掻き立ててくれる。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ1527