10月に入って、続日本100名城のスタンプラリーも半年を向かえました!
そこで、この日は郡上八幡城を訪問致しました!
やっと31城目になりました!
さて、美濃郡上郡は上之保・明方・和良・下川の4つの主要街道が交差し、交通の要衝でありました!
遠藤盛数が、東氏の居城の赤谷山城攻めの拠点として対岸の八幡山に築いた砦が、郡上八幡城の原型で有ります!
遠藤氏から稲葉氏になり、大改修が行われました!
八幡山の北東麓に新たに堀を設け、山頂の本丸には総石垣の天守台が築かれました!
さらに、土塁を高くして塀を巡らし、武器庫と兵糧庫を増築し、北方に大きな井戸を堀り、山腹に二の丸を増築して居館としました!
これにより、近世城郭としての郡上八幡城の基礎はほぼ完成しました!
遠藤慶隆は、約2年半かけて城の改修を行い、本丸を拡張しました!
17588年に青山幸道が城主となったとき、それまで本丸に置かれていた藩庁機能を二の丸へ移しました!
以後、二の丸が新本丸となり、旧本丸は松の丸・桜の丸の名で呼ばれるようになりました!
さらに、西麓に位置する城下の殿町には、藩主居館が有りました!
山上にある旧本丸は東西約80m、南北約100mの規模で、最高部に天守台を築き、その北側に松の丸、南側に桜の丸を配置し、全体を石垣で囲んでいました!
旧本丸の真下は、3段の帯曲輪が取り囲み、松の丸と桜の丸に連絡する虎口が設けられていました!
石垣の大半は野面積みの技法で、部分的に打込接も見られます!
かつては、三重天守が存在したようですが、江戸期には天守は存在しませんでした!
山の山腹に、藩の政庁機能を持つ御殿を中心とする新本丸が設けられました!
現在の天守は1933年に、当時現存していた大垣城天守を参考に築造された木造模擬天守で、山頂の櫓、門も模擬で有ります!
だけど、城山となる八幡山に建つ白亜の四重木造模擬天守が郡上八幡のシンボルとなっています!
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