以前より認知して居たのですが、7、8年前から多賀城、岩出山城、鶴丸城、涌谷城などを優先し一昨年昨年も素通りして、今回の宮沢遺跡探訪の城郭探訪にやっと組み込み初登城しました。
参考資料:古城盛衰記さんとグーグルマップに依ります。
古城盛衰記さんとグーグルマップの史跡マークを頼りに3ヶ所廻りました。
【城生柵碑と案内板】
住所:宮城県加美町城生寺作23の交差点の北西角。車はその西幅広部に路駐。
黒御影石の立派な「国史跡城生柵跡」と刻まれています、脇に国指定史跡城生柵跡(じょうのさくあと)の案内板があります。
規模は東西350m南北370m、発掘調査は昭和51年から平成10年に掛けて行われた。(案内板抜粋)
【城生柵北東築地塀跡】
住所:宮城県加美町菜切谷城生裏二番25-2、車は慈恩院跡共同墓地空き地エリア
案内板は「城生柵跡(北東部コーナー)」として立ってる。案内板の北裏が草の茂った土手と成っており、築地塀跡で崩れて土手状になって保存残存してる。北側は田圃との間に高まりと成って往時の築地塀跡を偲ばせる。
【菜切谷廃寺跡】
住所:宮城県加美町菜切谷清水、車は廃寺跡の南に1台ほど駐車エリアがある。
案内板は「菜切谷廃寺跡」と緑板に記されてる、城生柵の付属寺院跡で城生柵の800m程東。
案内板と板上の石に「菜切谷廃寺跡」刻まれた立派な碑、建物礎石が数点散乱してる。
以上三ヶ所を廻りましたが遺跡保存整備が多賀城は別格としても近くの宮沢遺跡、伊治城、名生館官衙跡、奥州市の胆沢城などに比べてまだまだ進んで無い様な感じを受けます。
碑と文字の案内板、一部の残存遺構でしたが車でサラッと回れました。
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