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うさぎ屋

本丸御殿正面 (2019/05/04 訪問)

5月の連休中に訪れました。
人が多かったが、博物館はゆっくりみられました。
一通りまわって昼前に川越をでました。

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地道な整備が継続されてます (2019/07/14 訪問)

梅雨時の雨の合間に登頂。高湿度で、雲海ならぬ靄に霞んで風情あり。todo94さんの登頂から約5年。大河ドラマ 軍師官兵衛放映中に立てられた幟は見当たりませんでしたが、広い城域ながら、伐採、草刈りされて、よく整備されてました。主郭の赤色立体図の説明板は新しそうでした。地道に作業をされている地元の方に感謝。
麓の山崎町は、江戸期の平城、山崎城の城下町であったことを推してます。図書館に併設された郷土資料館を開けてもらい見学しました。

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カルビン

花崎城→油ヶ島城→騎西城の約6.5kmの行軍 (2014/05/23 訪問)

東武伊勢崎線を花崎駅で下車し、その遠征沿いに羽生方面へ550m程進んだところに花崎遺跡こと花崎城山公園があり、ここが花崎城となります。

期待はしていなかったものの、公園内をちょうど東武伊勢崎線沿線と平行して公園のほぼ端から端まで伸びた空堀と水堀があり、それだけでも意外と見所がありました。

公園内は木々が上空を覆っている為薄暗さが目立ちますが、直射日光を遮ってくれる為に夏場でも行けそうな気がすr・・・いや、かえって湿気が凄くて厳しいかも。。。
出来るだけ風の強い、風通しの良さそうな日を選んで訪問できれば良いのですが・・・難しいですねw
素直に晩秋から春先に訪れた方が良いかも。。。


ちなみにここから南西には油ヶ島遺跡があり、「城びと」には登録されておりませんが、現地解説にはお城だった事が書かれており、土塁・堀を見る事が出来ました。

更にそこから西北西に向かい、なんちゃって天守のある騎西城も見学しました。。。油ヶ島城から騎西城の間には騎西城の遺構を示す標柱がいくつか見られたので得した気分です(^ω^)b

・・・ただ、花崎城から油ヶ島城まで3km、そこから騎西城まで3kmと、移動だけで約6.5km歩いた事になります。。。そりゃ疲れる訳だw
なので騎西城からは丁度目の前を走るバスに乗って楽して加須駅に行きましたw

今思うと逆方面行のバスに乗れば種垂城も行けたんですね・・・周辺、本当にお城乱立地帯です。。。車なら短時間で10城くらい回れそうです(それだけお城や館跡が沢山ありますですハイ)

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ぴーかる

ほぼ山の中を往復しただけ (2019/05/25 訪問)

【北之庄城】
<駐車場他>八幡城跡と同じ
<交通手段>車

<感想>日帰り八幡山攻城の旅2城目。八幡山城跡見学後に北の丸跡の脇道のハイキングコースで北之庄城跡に行った。
 まず注意事項で北の丸跡にハイキングコースとして案内板があるが、完全に登山です。もし行くなら完全装備で。私は八幡山城跡の尾根つたいの比較的平坦を行けば行けると思っていたら大間違いで結構ロープつたいの崖の登り下りあります。時間も案内板27分嘘で50分程かかった。女性のみや一人のみは避けた方が無難です。
 八幡山城跡から行くとほぼ尾根つたいにどんどん行って、30分40分してもそれらしい遺構は見当たらず、もう諦めて引き返そうかとも思ったが、ちょっと頑張って行くと山の山上の曲輪っぽい所に着く。そこから崖を下るとちょっと広い所に出るが城跡感は無い。更に100m程進むと左手に竪掘りがある。(見た感じは竪掘りだが遺構に竪掘りが無いので横堀なのだろう)すぐ先にわかりにくいが堀切・土橋がある。そして少し登ってようやく城跡の看板がある。案内板を見て「今通ってきたところが城跡かいな!」「良く分からん」
という感想でした。七つ池あったっけ?戻るのに40分合計約90分山の中を往復しました。

<満足度>◆◇◇

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赤い城

説明板などはありません (2019/07/14 訪問)

八千代緑が丘駅から徒歩で40分くらい。
桑納川北岸の台地に位置します。
主郭部分は畑のようでその周辺に土塁や空堀と思われる遺構が残っています。
説明板や碑は立っていません。

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朝田 辰兵衛

平戸御館だけではショボいので… (2019/07/13 訪問)

周辺観光として,平戸オランダ商館もどうぞ。どしゃ降りでなければ,もっといいアングルも行けたんだけど…。

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入封400年フォーラム 「水野勝成物語~戦国最強の武将による福山のまちづくり~」

初代藩主水野勝成入封400年を記念して入封400年フォーラムを開催します。


日時:2019年(令和元年)8月31日(土)13:00~16:00(開場12:30~)

場所:神辺文化会館

料金:入場無料(事前申込み)

☆お申込みフォームはこちら→https://fukuyama400.jp/join/apply-20190831



司会:歴史好きガール 生田未歩さん

オープニング:刈谷城盛上げ隊

記念講演:歴史コメンテーター金谷俊一郎さん

パネルディスカッション

 コーディネーター:金谷俊一郎さん

 パネラー:刈谷市歴史博物館学芸員 長澤慎二さん

      大和郡山市主任技師   山川 均さん

      福山城博物館学芸員   皿海弘樹さん

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チェブ

七沢温泉。 (2019/07/13 訪問)

神奈川県厚木市の「七沢城」に行きました。
扇谷上杉 定正さんの兄弟、七沢 朝昌さんの居城です。
太田 道灌さんが定正さんに謀殺され「長亨の乱」が始まります。
山内上杉 顕定さんに攻められ落城。朝昌さんも討死してしまいました。
「七沢城」、温泉地でした。
「七沢城」の説明板もいろんな場所にあります。
1、2の写真は七沢リハビリテーション病院の入口近くです。
3、4の写真は広沢寺で定正さんと鶴姫のお墓があるそうです。
5、6、7の写真は広沢寺から登山口(?)に向かう途中です。
一応、グーグルで「七沢城」の示す方に行ったら「進入禁止」でした。
地元の方に聞いたら、熊も怖いのですが夏は「ヤマビル」が出るので装備をきちんとした方が良いそうです。
雨ごときで退散する私は、どこの山城も難攻不落です。

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街道おじさん

仙台城登城 (2019/04/16 訪問)

独眼竜政宗が築いた城。天守閣は築かれなかったが、石垣が立派な広大な城。
高台にあり、城から仙台市が一望できる。
また馬上の政宗像もかっこいい。

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天下太平

広いけど天守は小さめ弘前城 (2019/07/17 訪問)

弘前城は津軽統一を成し遂げた津軽為信によって作られた津軽藩政の中心地だ。
五つの城門を持、三つの櫓が現存し、どれも重要文化財になっている。
ここは春に桜。夏に新緑。秋に銀杏。冬に雪。と一年中ロードショーだ。
天守閣の近くには枝垂桜が植えられている。
弘前公園は約49.2haと大きいが、天守閣は3階建てと少し小さめ。
公園内にある武徳院では、衣装の着付けができる。隣ではおいしいおいしい喫茶店があり、おやつ・ご飯にちょうどいい。

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天下太平

松の前にある松前城 (2019/07/16 訪問)

松前城は地下1階地上3階の天守閣🏯を持つ城だ。
地下では福山城縄張図と松前奉行所図が展示されている。
1階では松前藩・松前神楽関係資料が展示されている。
2階では松本家・アイヌ民族関係資料が展示されている。
3階では福山城古写真パネル・展望室になっている。
本丸には松の木が植えてあり、まさに松の前だ。
ここはJR木古内駅から車で約80分でいける。

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天下太平

星の形だ五稜郭 (2019/07/15 訪問)

五稜郭は五稜郭タワーを含む大きな星形の城だ。
まず五稜郭タワーを見る。
展望1階ではくつろぎながら五稜郭を見れる所になっている。
展望2階では幕末の名場面を人形で表したメモリアルポールがある。「箱館総攻撃」では脱走軍が箱館奪回に向かう様子がある。
さらに五稜郭復元模型では、当時の1/250で建物を表している。
その他に五稜郭ガイドや触れる模型などがある。
次に箱館奉行所を見ていく。
箱館奉行所は幕末の箱館開港により設置された江戸幕府の役所であり、安政四年に五稜郭の建築が始まり、元治元年に完成した。
そのことから箱館山のふもとにあった役所を移し五稜郭の中にしたという。
その後大政奉還により明治新政府に受け継がれたが、戊辰戦争の箱館戦争の舞台となった。戦争後は開拓使により全部が解体された。
しかし、復元工事が進められ再現された。再現ゾーンと歴史発見ゾーンと映像シアターと建築復元ゾーンに分かれている。

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にのまる

堂々。 (2019/06/29 訪問)

1年半ぶりの松本城です。
天守はそれほど混んでいなかったので、展示をゆっくり見たり窓の外を眺めたりしながら1時間以上籠城できました。
ここの天守構造はしっかり頭に入っているので、自分が今、国宝5棟のどこにいるのかを確かめながらまわるのが楽しかったです♪

この日は曇天で下見板張りの部分もグレー。次回は黒漆塗り替え直後…ではなくて作業中に来てみたいなと思いました。

お土産の天守石垣サブレが好評でした♫

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うさぎ屋

佐倉城址公園 (2019/05/03 訪問)

佐倉の方へ用事があったので、訪れました。
もう少し時間を作って全体を見たいです。

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くろもり

岡部五郎兵衛元信 (2019/06/22 訪問)

丹下砦から南に1km弱で徒歩10分程でした。名鉄鳴海駅からでも北に徒歩5分程です。
車の場合、駐車場はないので鳴海駅のコインパーキングに止めて行く事をお勧めします。

名鉄鳴海駅から庚申坂(こうしんさか)を登って行くと、東側に城址碑のある天神社があり、鳴海城の東の曲輪跡と伝わります。坂の西側に鳴海城跡公園があり、こちらが主郭跡と伝わります。

はっきりした遺構は残っていませんが、鳴海城跡公園の西側にある細い坂道を下った所にある東福院さんに鳴海城の廃材の梁(はり)を使用したと伝わる山門があります。
また、この細い坂道は「〔日本古城絵図〕 東海道之部(2). 35 鳴海古城図」でも、はっきりと確認できるので、往時からあった道だと思います。

遺構がなく、城巡りとしては満足できる要素は少ないかもしれませんが、桶狭間の合戦で今川義元公が落命した後、鳴海城に踏みとどまり、主君・義元公の御首級を織田軍から取り戻した(鳴海城の開城と引き換え)岡部元信公が城主を務めていた城なので、込み上げてくるものがあります。義元公死後、織田軍との最前線であった鳴海城に取り残された形となった元信公ですが、周囲の今川方が総崩れとなり退却する中、織田方に睨みをきかせ続け主君の御首級を取り返した働きは、さぞかし駿府の今川氏真公を安堵させたことかと想像できます。

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スミヤキ

諏訪の浮城 (2019/04/15 訪問)

高島城は、松江城・膳所城と並び日本三大湖城の一つに数えられています。

恥ずかしながら訪問するまで、諏訪湖畔に聳えるお城を想像していました。

徳川家康の関東入り後に、豊臣秀吉の家臣で築城の名手、日根野高吉が諏訪に赴任、七年の歳月をかけて諏訪湖に突き出る水城、三重五階の独立式望楼型天守を頂く、連郭式平城を完成させます。この普請は領民にとって過酷な労役だったようで他国に逃散するものが多くあったようです。

関ヶ原の戦いを経て、諏訪氏が旧領に復帰、逐電した民を呼び戻し、新田開発して領土の復興をはかります。それ以後も諏訪湖の干拓は進み、水城の面影が失われていったようです。

現在のお城は1970年に再建された復元天守です。資料館になっており、三階展望コーナーの眺望から、湖岸まで 800m も離れてしまっている事がわかります。

当時の諏訪の浮城の姿は、江戸時代の浮世絵を通して確認出来ます。渓斎英泉 木曽海道六十九次「塩尻嶺 諏訪ノ湖水眺望」の絵がいいですね。
歌川広重 冨士三十六景「信州諏訪之湖」
葛飾北斎 富嶽三十六景「信州諏訪湖」
などでも諏訪湖と富士山、そして高島城が描かれています。

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カルビン

一度目撤退、二度目攻略 (2019/04/21 訪問)

2015年の秋、車で近くを通りかかった際にゴルフ場に赴いて雷電神社への道を伺い、いざゲートの前まで来るも・・・突然のゲリラ雷雨で撤退。。。
車で坂上のゲート目前まで来ていたのでほぼ濡れなかったものの、急坂で車がスリップしやしないかどきどきキャンプ状態でしたw

今年の春、越生にある高取城及び岡崎氏館と、毛呂にある斎藤氏館を訪問した際に、毛呂駅から意外と近場にあった雷電神社こと竜ヶ谷城を攻略しに行きました。

駅から歩いて20分弱、自分でもよくツッコんだな・・・と思える雷電神社方向への道を歩き、前回撤退したゴルフ場のゲートへ。
今回は天候も良く(というか良すぎて暑かったw)、無事にゲートを空けて雷電神社へ向かいました。

ゴルフコース内にあると言う事で神社自体は大したものは無いと思っていましたが、意外と言っては失礼ですがしっかりと神社施設がありました。
恐らく先に神社があって、後に周辺の地形を利用してゴルフコースが出来たんでしょう。

コース内にある山(結構登りきつく、高いところだった)を10分程度で登った神社のエリアを一回り囲んだエリアが竜ヶ谷城域と思われ、断言はできないものの堀や虎口、犬走りのような地形が見受けられました。
頂上のお社があるエリアに段曲輪があり、そこに竜ヶ谷城の解説版もありました。。。意外や意外w


ゴルフコース内にある史跡は三増古戦場の武田信玄の旗立の松を見学した時以来2度目の訪問となりましたが、やはりコース内を横切るのって、許可を取っているにも関わらず何やら悪い事している感じになりますねwww

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小城小次郎

木山城

すぐ近くの赤井城と一対で機能したと思われる木山氏のお城。赤井城もろとも熊本地震の被害を受け、訪ねた時には復興工事の真っ最中だった。ちなみに木山惟久は朝鮮半島への途次難破した黒田熊之助と運命を共にしたとか。

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ぴーかる

八幡山城 (2019/05/25 訪問)

【続百名城35城目】
<駐車場他>日牟禮八幡宮前に無料あり
<交通手段>車

<見所>北の丸、二の丸、本丸の石垣・豊臣秀次居館跡・八幡堀

<感想>日帰り八幡山攻城の旅1城目。朝9時半到着し15分間隔で運航するロープウェイに乗り山上へ。スタンプは山頂駅にあります。二の丸跡に駅と展望館がある。展望館内には出土した軒丸瓦等の展示品がある。二の丸北側は門跡の石垣が見事、そこから本丸を一周する経路で西の丸跡→出丸跡は悪路の為立入禁止→北の丸、脇道を通り北の丸石垣も見事→本丸北側の帯曲輪を通ってこれで一周。各曲輪の石垣はほぼ残存していて、豊臣期の算木積未発達の野面積高石垣が見事で見応えある。本丸は瑞龍寺になっていて有料拝観できるが御城印のみ購入する。北の丸⇔北ノ庄城跡、麓に降りて豊臣秀次像→居館跡はほぼ竹林となっているが石垣が見事→八幡掘を散策して終了。城跡・居館跡・長い堀・近江商人の古い町と見所沢山のいいお城跡でした。これで百・続百名城の滋賀県制覇。

<満足度>★★★

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トーダイ

山岳寺院を利用してます (2019/07/08 訪問)

松尾寺の最盛期は南北朝時代から室町時代であり、寺領7千石、寺坊300余名、僧兵は数千人を数えたらしく、山岳寺院を利用したのが松尾寺城であったらしい。織田信長は天正9年(1581)紀州高野山攻めの際に松尾寺も攻撃、松尾寺を含む阿弥陀山諸堂を丸ごと焼き払ったが、豊臣秀頼によって再興されている。

松尾寺駐車場(2ヶ所:30台)を利用、麓から石段を途中まで上がると、左側の削平地は首堂(こうべどう)、案内板曰く「源義経が源平一の谷合戦で戦死した将士の首舟一槽を当寺へ送り、この地に葬り亡魂の菩提をねんごろに弔いました」と、将士の首舟一槽を想像してしまい、少しコワイ。さらに石段を上がると立派な山門と金堂、改変されているので遺構は良く分からないが、一番奥の春日神社裏に山城らしい地形が見られます。

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