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赤い城

徳満寺や利根町役場が跡地 (2018/10/06 訪問)

利根川に沿った低丘陵に立地。
本丸跡には徳満寺が建っています。
境内に説明板や石碑あり。
徳満寺の裏には土塁や空堀が残ります。

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赤い城

遺構があるらしいけど・・・ (2018/10/06 訪問)

民家が建つエリアで城跡がどこなのかよく分かりませんでした。
石碑や説明板もありません。

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カルビン

ハイキングウォーキング (2014/12/27 訪問)

この時期病み上がりで、リハビリの為によくウォーキングをしてました。
その為、この日はリハビリの仕上げのつもりで山登りとなる辛垣城を攻略する事に。
青梅線二俣尾駅からひたすらハイキングコースを進み(途中ハイカーと何度もすれ違い。。。人気あるコースらしい)・・・途中道間違える始末ww
やっと登城口に着いた時にはかなり良い汗書いてました(ーωー;)

急坂の登った先に岩をくり抜いたような虎口と思われる場所をぬけると主郭に到着。
実はこの入口、過去石切り場として岩場を削り取られたのであって、辛垣城の遺構はほとんどその石切りの影響でなくなっております。
登城口付近には堀切等遺構はありますが、気付かない人が多いみたいです。。。むしろ砕石場の形状を遺構と間違える方が多いみたい。
(自分もそうとしか見えなかった(悩))

主郭にある解説版にいたずら書きがあります(それに対する反論もw)が、わざわざマジック持って行って書くのはいかがなものかとw
モラルが無い人増えている事、凄く残念に思いますorz


ちなみに麓にある海禅寺は城主・三田氏の菩提寺で、お墓があります。

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カルビン

電車待ち覚悟で (2014/11/15 訪問)

千葉県の南端は内房線館山、外房線安房鴨川の間区間、どっちつかずなのか非常に電車の本数が少ないので、稲村城の最寄り・九重駅の行き帰りの時刻表を事前に確認しておきましょう。

駅から10分もかからずにお城の入口に到着します
千葉県南部にあるお城に良く見られる、岩場をくり抜いたと思われる堀or切通し抜けると城域に
里見氏特有の工法なんでしょうか?
(その道に重機の跡が残っててびっくりw)

城域なのかどうか判断に迷う南エリアと、主郭のある北エリアに分かれ、主な遺構は北側に集中
遺構は土塁・堀切がメインで、主郭のところに虎口と曲輪があります。
道も比較的歩きやすく整備されているので、歩きなれていない方でもそんなに苦労しないと思います。

ただ城域至る所が私有地の様に見受けられるので、あまり挙動不審な動きはされないようが宜しいかと(汗)

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埼玉城城主

レンタカー行って楽チンでした (2018/07/18 訪問)

電車とレンタカーと迷いましたが、空港からレンタカーを使用して向かいました。地方都市の渋滞を甘く見てはいけませんね。素直に高速に乗ればよかったです。距離も結構ありましたが、脇本城→秋田城→久保田城の三連戦を周りきりました。

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小城小次郎

諏訪原城

武田か徳川か(徳川らしいが)、そんなことはどうでもよくて。丸馬出の迫力にただ圧倒される、そんな見方でよいと思う。

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若狭を守護した国境の山城 (2018/09/24 訪問)

北陸への旅の最終日の最後に佐柿国吉城を訪問致しました!
国吉城は、若狭守護武田義統の有力武将である粟屋勝久が、越前との国境に近い三方郡佐柿にあった古城跡を利用して1556年に築いたと云われています!
1570年4月、勝久は、朝倉氏と敵対する織田信長と結んで、織田の軍勢を迎えた!
国吉城は、朝倉攻めの本陣とされ、織田勢は敦賀に攻め寄せたが、浅井氏の裏切りによって撤退を余儀なくされた!
織田信長亡きあと、柴田勝家と豊臣秀吉の対立から、若狭国を治めていた丹羽長秀は、柴田勝家の侵攻に国吉城を改修せよと勝久に命じています!
その後、浅野氏、木下氏、京極氏の城代支配が続き、その後酒井氏がこの地を領して明治維新に至った!
国吉城は、1634年、酒井忠勝が小浜藩主となると廃城とされ、翌年、若狭東部統治の拠点としては佐柿町奉行所が、また領内巡検の休息所としての御茶屋屋敷が城跡の南に新築されました!
伝二ノ丸(出丸)には、喰違虎口があり、本丸には、本丸虎口が有りました!
その他に、ニノ郭、三ノ郭、四ノ郭、五ノ郭、六ノ郭が有りました!
国吉城は、標高およそ197mの城山頂上部を本丸として、北西屋根上にさらに5段の曲輪が連なります!
また、頂上部から西に派生する尾根には、高土塁と喰違虎口をもつ伝二ノ丸があり、南麓に城主居館が広がる!

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にのまる

天然と人工の見事なコラボ (2018/09/23 訪問)

岩村城→明知城→苗木城とまわったので、資料館に着いたのが閉館30分前。展示をとるか、西日に燃える城址をとるかで少し悩み、後者を選択。美しい日本の風景にじゅわ~っと浸かることができました。
遠くに聳える天守を望むビューポイントで見知らぬ方に写真を撮ってもらい、本丸を目指して歩を進めますが、このまま一気に天守に突進するのはもったいない、もうちょっと雰囲気を味わってからにしようと、二の丸から不明門のほう行ってみました。迫りくる巨岩と遥かなる絶景。そして不気味なハチの巣…。帯曲輪の石段を一歩一歩踏みしめながら、ハチがどこかに潜んでいるのではないかと気にしつつ進んで出たところは本丸そばの的場跡。このルート、特に案内は出ていないので、見つけにくいかもしれません。道がなさそうなところから突然人が現れたら(←私)驚かれるの必至。
景観も遺構も壊すことなくシンプルを極めた天守展望台はぜひほかのところにも真似してほしいです。あそことかあそことか。

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モト

見晴らしの良い城の役目はいつの時代も (2018/10/02 訪問)

城跡の入り口に向かうとまずは追手門の跡があります。
城山公園になっているのでハイキングコースにもなってるようでした。
麓の駐車場の横に城主のお墓や、馬置、土塁などがありました。
忠霊塔の奥に石垣がありますが、城跡を回る道ばかりを目指すと逃しそうですので、どうかお見逃しなく。

鬼ノ門跡辺りから城跡としての景色、雰囲気がよくなってきます。
登って行きますと、段々になった曲輪跡がありました。
さらに登って本丸跡の横に土橋や堀切があります。
また、二重塔や五重塔がありますが、そこから見える景色はとても気持ち良かったです。
戦国時代では見張り所としても重要で城です。
戦時中はロシアに備えての防空監視所としての役割があったそうです。
この見晴らしの良さは昔も近代でも共通の役割が与えられていたんですね。

城跡はある程度は整備されていますが、坂や階段、崖の横を歩いたりとそこそこはハードでした。

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チェブ

小諸城と偽物のお城。 (2016/09/11 訪問)

みなさん一枚目のお城、どこのお城だかお分かりになりますか?見たことありますよね?

ちょっと前に携帯の機種変をしたので保存した写真がバラバラになりました。
で、私は小諸城と思い長野県フォルダに入れておいたのです。
小諸城はわりと線路近くにあり大手門は、お城から線路を超えないと行けません。
写真のようなのどかな田舎城ではなかったはず。
みなさん、分かりますか?

答えは「つくばみらい市ワープステーション江戸」のセットでした!
大河ドラマや映画の撮影場所で使われているのでリアルでした。ちなみに石垣は発泡スチロールです!
すぐにフォルダを変更しなければ!

小諸城主の仙石 秀久さん、ならびに、皆様、申し訳ありませんでした!

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オダリン

戦国の雄 上杉謙信の城 (2008/09/02 訪問)

春日山全体が城、とてもじゃないが一日で見回るのは無理だ。ハイライトコースしか廻るしかない。でも曲輪各所に説明板があるので分かりやすかった。麓の林泉寺山門は春日山城の城門を移築したものと言われている。2012年10月にも行ったがその時は雨がどしゃ降りだったので古い写真です。

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オダリン

瀬戸大橋を眺められる城 (2015/10/06 訪問)

天候にも恵まれ今回は電車とバスで訪問。石垣がかなり残っており東の丸、中の丸、三の丸、二の丸、本丸、西の丸と残っていた。城跡から瀬戸大橋の連なりの絶景と瀬戸内海が綺麗に見え四国も手の届きそうな近くに感じた。

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カルビン

そんなにお人好しだったのか?諏訪頼重 (2014/05/13 訪問)

大河ドラマ・風林火山を見ても、その他いろいろな小説見ても、諏訪頼重が武田晴信に追い詰められるシチュエーションが、いくら義理の兄とはいえ、あの状況で騙されるって
「そんなにお人好しだったのか?」
と疑わざるをえません(汗)

当時そんな頼重さんが追い詰められた桑原城はどんな所だったのでしょうか?と言う事で行ってみました。

桑原口と普門寺口の2ヶ所の登城口があるみたいですが、自分は普門寺口からの登城となった模様です。
登城口からほぼまっすぐな舗装された上り坂がありますが、ここは途中途中段差がある為、車は登城口の空き地に止めるしかないと思います。
(特にその場所に駐車場の指定は無かったですが、敷地の広さから登城専用駐車場だったと思います。申し訳ないですが、現在はどうなっているか不明ですが・・・)

ちなみに登城口からの舗装されたこの上り坂が地味にキツかったんですが(ーωー;A


舗装部の終わりから山道を歩きますが、この辺から遺構が見られはじめ、
堀を横切った先でいきなり森林が開け、一段高い位置にある本丸曲輪の周りを横堀が走る写真映えするお城が現れます。

本丸は広く遠望が効き、更に横堀を挟んだ場所にある出丸のような曲輪からは有賀城に負けず諏訪湖の絶景が見られます。

絶景の見られる桑原城は、それが引き立つ晴れた日の訪問がオススメです。
公共交通機関では訪問難しそうですし、諏訪氏のお城と言う事なら上原城とセット訪問が王道でしょうから、やはり車で来られるのが良いでしょう。

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チェブ

竹藪の中につっこめない! (2018/09/29 訪問)

川越城の近くに大堀山城があります。
調べてみたら埼玉最大級の規模と良好な保存状態を誇るとあったので行ってみました。
川越城と鉢形城をつなぐ重要なルートにお城があったともあるので期待してました。
が!非常に分かりにくいんです!車がすれ違えないくらいの細い道沿いにあります。
城びとの誰か来城してないか調べたらカルビンさん1人だけでした。
竹藪の中に入らないと空堀の所まで行けないようですが、私は入る勇気は出ませんでした。

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モト

見所は空堀です (2018/10/02 訪問)

城跡は運動公園になってます。
公園の一部に周囲を囲む空堀がありました。
土塁のような物も確認できました。
でもやっぱり見所は空堀ですね。
野球場が本丸跡らしいので一周しながら空堀を眺めます。
意外に深く大きい空堀です。
城跡って空堀だけでも充分満足できちゃいますね。

追伸
野球経験者の私としては、朝の誰もいない野球場にもついつい目がいってしまいました。
哀愁漂う野球場にもなにかを感じてしまう私でした。

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オダリン

高岡古城公園 (2015/03/06 訪問)

3回目の訪城である。本丸と二の丸をつなぐ土橋に石垣が残っている。本丸を取り囲んで各曲輪の周囲を幅広の水堀がめぐらされている。この水堀が立派で古城の雰囲気を高めており私は好きな城の一つである。

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じゅんじん

汗だくハイク (2018/09/23 訪問)

第2駐車場よりアタック。出丸の石垣など見どころたくさん。虎口も大きく堅固な山城でした。

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じゅんじん

車で山城 (2018/09/17 訪問)

土岐市街を見渡せます。本丸には物見櫓風の建物あり。

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久しぶりの天守閣の登城 (2018/09/24 訪問)

連休最後の日、福井からバスで越前大野市に向かいました!
いつも電車での移動だったのですが、初めてバスでの移動でした!
朝早く到着したので、天守閣の登城まで時間が有りました!
越前大野と言えば、名水で知られているだけあってあちこちに名水場所があり、名水を頂きました!
亀山登山口に到着すると、「天空の城」として有名になった越前大野城が見えました!
朝霧には覆われていませんでしたが…
越前大野城は、亀山に築かれ、山上の本丸と山麓の二の丸・三の丸に分かれています!
かつての本丸には、一重二階の天守に小天守・天狗之間が接続した建物が聳えていました!
しかしながら、1775年に焼失してしまいました!
現在は、遊歩道も整備されていて、山上には二重四階の復興天守と隅櫓が建っています!
野面積の古風な石垣遺構が見ものです!
天守閣からは、眼下に越前の小京都と呼ばれた市街地が見渡せます!
この越前大野城は、金森長近が天正4年から4年の歳月をかけ、敵対する上杉軍に備える東方防御の要にふさわしい堅固な城であった!
本丸には、高石垣に囲まれた天守群が設けられていました!
また、隅櫓、武具櫓、焰硝櫓、麻木櫓などがあり、城門も5ヵ所あったと記録されています!
山麓の二の丸と三の丸には、政務施設わ御殿、武家屋敷等が有りました!
長近が飛騨高山に移ると、長谷川秀一、青木一矩が大野城に入り、そして織田秀雄が大野城に入った!
その後、土屋氏、松平氏、土井氏が大野城に入り、幕末まで続きました!

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dougen

2018.8.30登城 (2018/08/30 訪問)

荒井城から東海道線で早川駅へ。前回と反対側から石垣山城へ登城しました。
早川駅から石垣山城までは延々と登ることになりますが、城址までの途中に石垣山城参陣武将の解説板が設置されており、看板と相模湾を望む眺望を楽しみながら登ることができます。
今回は続100名城スタンプ目的でしたが、改めて城址散策もしました。
一夜城と言われるものの、突貫工事で作った陣城ではなく、石垣を多用した壮大な山城であることに改めて感動でしました。
下山は入生田駅方面に下りましたが、途中の石丁場の遺構や石曳道の遺構など楽しみながら良い運動となりました。

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