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BUGTI

戦国時代の砦 (2019/12/28 訪問)

栃木県の烏山城に続いて、名前つながりで東京の烏山城へ行ってみました。烏山神社やら世田谷文学館のあたりということですが、遺構は残っていないようです。

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くっしー

足利義昭が一時期滞在した城 (2019/12/28 訪問)

甲賀にある城館群の一つ。和田谷の両側の尾根に合わせて6ヶ所の城館を備えている。
全部行くのは大変だったので、その中で本丸として機能していたとされる和田城を踏査しました。
高い土塁に囲まれた方形の主郭はこの地域特有。さらにこの城は、竪堀や堀切・横矢を意識したのではないかと考えられる曲輪など、なかなか見栄えのする城跡でした。

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くっしー

しっかり調査された史跡 (2019/12/28 訪問)

大々的に発掘調査が行われていて、縄張り図もしっかり描かれています。
で、それが看板になって説明してある!!そこがすばらしいなぁ~と思いました。
だから、城跡なのにけっこう人とすれ違いました。本丸からの景色も最高やからね。
個人的には、枡形ではなく喰い違い虎口が見れたのが良かった💛

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くっしー

水口城資料館 (2019/12/28 訪問)

完全な平城ですね。本丸は高校のグラウンドになっていて、出丸のあったところが、資料館になっている。

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くっしー

高石垣が凄い!! (2019/12/27 訪問)

築城の名手・藤堂高虎が築いた城ですね。
目の前で高石垣を見て、やっぱこれは登れんなぁ~と実感。
っていうか、上から高石垣を見ることができたけど、ちょっと怖いね。
あと、石垣をよく見ると矢穴のあるやつがたくさんあった。

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くっしー

遺構はほんの一部ですが… (2019/12/27 訪問)

多門櫓と一部の曲輪しか残っていないですが、丁寧な説明の看板が立っていて面白かったです。
多門櫓の北側石垣は新しいなぁ~と思ったら、南側石垣が古いのですね。
二之丸跡は学校になっていますが、その南側には帯曲輪が残っています。壁は復元ですが、石垣とか水路が一部残っていますよ!

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イシテル

空堀や土塁が見事な鶴見川丘陵の要害 (2019/12/22 訪問)

お城EXPOの前に宿泊ホテルの近くにある続100名城のひとつ「小机城」を登城。
小机駅から歩いて約10分程度で到着。
根古谷から登り、土橋で空堀を見ながら本丸広場に入り、本丸広場の奥から、高い土塁に囲まれた空堀に降り、空堀を堪能しながら二の丸広場へ到着。竹林で覆われていますが、遺構は整備され良く残っており、迫力のある空堀や土塁を探索出来ます。
今回、離れた冨士仙元へ行っていませんが、約30分で巡ることのできるおススメの城郭です。

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おうごんたまご

整備された公園です。説明版もほどほどにあり (2019/12/28 訪問)

綾瀬市のホームページから「城山公園ぶらり歴史さんぽ [PDFファイル: 3,760.8KB]」を入手し訪問。駐車場もあり、海老名駅からバスの便もそれなりにあります。整備された公園です

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チェブ

大泉町の小泉城。 (2019/11/30 訪問)

ちょうど1ヶ月前位に行った「小泉城」です。
空っ風が吹いていて寒かったので、今では完全防備で行った方が良いかも、です!
群馬県 邑楽郡(おうらぐん) 大泉町の城之内公園が「小泉城」のお城跡です。

古河公方 足利 成氏さんから邑楽郡辺りの所領を与えられた、富岡 直光さんが「富岡城」を築城しました。その「富岡城」が「小泉城」と呼ばれます。
富岡氏は古河公方→上杉 謙信さん→北条氏と仕えました。「小泉城」は秀吉さんの北条征伐で廃城しました。
城之内公園は整備された公園です。駐車場もあり、写真①が駐車場入口の右側です。左側は奥に中学校。サッカー中だったので、写真は控えました。
中学校は三の丸になります。
護岸工事がしてあるので水堀、大手橋が現代的です。
公園内は土塁が長く残っています。
古墳があったり、忠霊塔があったり、庚申と彫られた石碑がたくさん土塁の内側にあったり薄暗い時間帯は怖そうな「小泉城」です。

今晩、「国民10万人がガチ投票 戦国武将総選挙」がTVで放映されます。
お城の武将好きな私は楽しみにしてるのですが、お馴染みの武将さんばかりがノミネートするのでしょうね。
今、私は大島 光義さん押しです。
93歳で関ヶ原の合戦に参加します。
「九十三歳の関ヶ原」という本で、とても面白かったです。お正月休み、お暇でしたらいかがでしょうか?

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じゅんじん

いいお城 (2019/10/05 訪問)

二の丸からの眺め、大手外からの眺め川沿いの石垣など見どころたくさん。

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ダイエティシャン

「2020あけまして米子城!」元旦6時集合 申込不要 ⚠写真は、ライトアップ秋の陣 (2019/10/20 訪問)

「2020元旦あけまして米子城!」申込不要 懐中電灯必携 防寒対策必須 元旦6時米子市湊山公園艇庫駐車場側の登山口に集合 天守まで攻城後、初日の出観賞後、神楽観賞 先着で、米子城跡どら焼きと米子水鳥公園の入館券プレゼント だそうです。荒天時は、別時間にてイベントあり。

同日「現地ワークショップ」開催 7:40〜8:00 天守台にて 城跡の整備の方向性について、市の担当者が説明されるそうです。 

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todo94

辺戸岬からの帰途 (2019/12/27 訪問)

青空が期待できそうだったので沖縄本島最北端の辺戸岬まで脚を伸ばしてきました。那覇から120km、沖縄でこんなロングドライブをすることは滅多にありません。その帰り道で根謝銘城に立ち寄ってきました。案内板や郭の表示があって良い感じのグスクでした。国史跡でないグスクの中では規模もかなり大きい方に入るかと思います。

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todo94

神奈川台場関連 (2019/12/21 訪問)

城びとの地図のポイントは住宅地です。神奈川台場の土取で切岸を通り越して崖になってしまっています。権現山城はまだ権現山や合戦の説明板がありましたが、ここには嘗て城であったことを示す表示等は皆無です。本覚寺に岩瀬忠震顕彰碑とアメリカ領事館跡の石碑があり、歴史の地であったことだけは感じることができました。

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イオ

地元の熱意 (2019/11/10 訪問)

戦国後期、武田氏が東濃に侵攻した際に、甲斐国からこの地に移り住んだ若尾氏が築いた城で、本能寺の変の後には、森長可に従って所領を安堵されましたが、小牧長久手の戦いで城主・若尾甚九朗は討死し、一族は帰農したようです。

小さな山城ですが、主郭には土塁と深い堀切、周囲に腰曲輪と竪堀をめぐらせ、尾根筋は堀切で断ち切るなど、山城の見どころは一通り備わっています。また、主郭からは周辺一帯が一望でき、眺望好きとしても大満足でした。

登城口の前には駐車場が設けられ、登城路もよく整備されていますし、至るところで幟旗がはためき、登城口から北へ徒歩3分の御殿屋敷(山麓の居館)跡も草木がきれいに刈られていて散策しやすく、その前には広い駐車場まであるという充実ぶりで、根本城への地元の熱意を感じます。
また、御殿屋敷の東方約3kmには若尾氏菩提寺の元昌寺があります。

山城サミットの後、まだ少し時間があったので帰る前に寄り道してみましたが、やっぱりよく整備された城を縄張図を片手にめぐるのはいいなぁ、と痛感しました。
 

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にのまる

奥州藤原氏、阿津賀志山の戦い(1189年)のときの防塁 (2019/12/04 訪問)

 偶然見つけた藤田城に寄り道後、探索再開しました。
城びとの地図の場所ではなくて、「下二重堀(しもふたえぼり)地区」の防塁です。(写真の感じからdougenさんが行かれたのと同じ場所だと思います。)

源頼朝が奥州藤原氏を滅亡させた奥州合戦の戦場となったところで、鎌倉幕府成立が1192年だった世代(皆さまもそうだと信じております。)には、この戦いに勝利して幕府成立ですが、現在は解釈が違うかもしれません。(先に寄った藤田城はこの時に源頼朝が布陣したところでした。)

阿津賀志山の戦いのために築かれた防塁は現地解説板によると長さ3.2km。下二重堀地区の周辺は畑が広がっており、一帯が戦場だった頃のことを想像するとぞくっとしてきます。と同時に、大きく蛇行する壮大な土塁の造形美に惚れ惚れ( ´∀`)
真新しい標柱があったので見てみると、五日前に設置されたばかりで、美しく整備された遺構を見せていただけたのだなと感激いたしました。

ここを見たあとで、城びとの地図の場所にある防塁も見に行こうと歩いていると、別の「高橋地区」の防塁の案内板があったので寄ってみました。下二重堀地区に比べると小さめですが、830年の長きにわたって崩れも崩しもせずに残されていることに、この地区の方々の歴史に対する思いを感じました。負けたけど…泰衡逃げたけど…防塁築いて一丸となって戦った先人がいたことの証、のような。

そして延々と歩いてもう一つの防塁に向かったのですが、この道路をくぐればきっとゴールだ、と思ったところがまさかの工事中で渡ること叶わず。
近くにある石母田城にも行ってみたかったのですが、別の道を探していくのはもうめんどくさくて無理。偶然寄り道できたところが二か所あったことだし、よしとすることにしました。

そうなると、一本前の電車に乗れるんじゃないの?と思って検索してみたら、約3㎞を25分(正確には覚えていないけれど大体そんな感じだった)で歩けば(走れば)乗れそうという微妙なところで。。。
…はい、がんばりました!改札を入るとすぐホームだったので間に合いました。(跨線橋を渡るのだったらきっと無理でした。)

ということで最後は奥州合戦の戦場を駆け抜ける、みたいなことになってしまいましたが、合戦体験なんて滅多にできるものじゃないのでよい思い出になりそうです、というかそうします。

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イシテル

秀吉が力を見せつけた城 (2019/12/22 訪問)

12月22日、午前中はお城EXPO2019を楽しんで、小田原に向かいました。
小田原駅に着き、駅ナカの観光案内所で石垣山城の行き方を尋ねると14時発のバスで行けると教えていただきました。
まだ時間があることから、バス停を確認して駅前で昼食(海鮮丼)にしようかと思いバス停に行くと、小田原市内の観光周回バスが間もなく発車するとのことなので、飛び乗りました(小田原の海鮮丼が...)。*年内の休日は、増発していたそうです。
終点が石垣山城とのことで、ボランティアの観光ガイドさんの説明を聞きながら、20分程で石垣山城へ到着。
駐車場の入り口から入り、東曲輪~二の丸(馬場曲輪)へ廻り、本城曲輪の壮大な石垣を堪能して、本丸曲輪へ行き、物見台から小田原城を探してみました。天気がどんよりと悪く、肉眼で見つけられませんでしたが、写真を撮り拡大すると小田原城が確認できました。
その後、北の端の展望台からも小田原城が見えることを確認し、その後に廻った井戸曲輪では、その精巧な石垣造りに感激。この城が石垣山城と呼ばれている理由を理解しました。
見た様子では、城全体で折れも少なく、石垣も大きな石の野面積で積み上げられていて、登りやすく感じ、防御性より見せつける城、攻めの陣城であることが良く解ります。
今まで見てきた数々の堅固な山城でなく、秀吉の莫大な力を感じる面白い城でした。

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零汰

こちらでウモ&ちえぞーさんの記事を読み、山城散策は秋口からが最適なんですね。・・・確かに。 (2019/06/16 訪問)

6月初めに宮崎県の都於郡城に行ってきました。ナビ検索でトイレのある駐車場に着きました。広い本丸、大規模ながら整然とした空堀、夏草まみれですがそれとわかる土塁など小1時間楽しみました。奥の城と西の城は災害の為に立入禁止となっていましたが、しばらくは復旧しないように感じました。

今年は城郭を見たいと勢いだけで夏草育成中も構わず突撃してました。諸先輩方の写真と見比べると遺構が分かりづらく感じてました。こちらでウモ&ちえぞーさんの、最適な季節の攻城方法を読みその訳に気が付きました。

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北条氏勝

城好きとして行ってもいい関東の城

館林城。あまりよく知らない方も多いと思うが、城好きとして知っておいてもいいと思うことがある。
このお城は珍しく、妖狐伝説。つまり、妖怪のでるお城なのだ。妖怪と言えば姫路城などがある。

東武伊勢崎線館林駅から徒歩で館林城跡に行ける(城まで行く途中に武家屋敷もありました)。関東の城らしく沼で守る城だったので、今でも城沼が残っている。土塁や堀、石垣の跡などは目視では確認しにくいが、尾曳神社という妖狐伝説にまつわる神社が今でも残っているので、関東のお城でそういう「お話」からお城に行くのが楽しいと思う方は、予習してから行ってみたら楽しいと思います。少し門が復元してあるので、ぜひ行ったときは見に行くのをおすすめします。

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ぴーかる

近江望月城居城址 (2019/11/17 訪問)

【近江望月城居城址】
<駐車場他>望月城跡北東方向登城口前
<交通手段>車

<感想>下調べせずに行ったので、車を杉谷川を渡った道路脇に停め、登城口を見つけられず、北側の崖を直登りしてらしきものを発見、あとで調べて地図の位置的に城跡はもう少し南にあり、私が見たのはどうやら望月氏の居館址らしかったので、ここではマーキングせずに居館址の投稿のみとします。

居館跡は3方を土塁で囲み、その南側に登ったところに竪掘りのような横堀のような山の尾根の曲輪を囲むように堀跡がある。ここはここでまあまあの見応えだった。先達の方々の城跡のすごい土塁見たかった(>_<)

日帰り甲賀市城攻めの旅一応5城目。

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カルビン

セクシャル、バ~イオレッ♪ (2014/11/23 訪問)

お城巡り初三重県のトリに訪問した桑名城。
大体戦国時代に興味ある人なら高確実で本多忠勝の最後の支配地が気になると思います・・・勿論自分もそのクチでして(ーωー;)ゞ

期待して訪問した割には遺構があまり残っておらず、ちょっとガッカリしたものです。

その時は城址公園内にある水堀と本丸跡、本多忠勝像くらいしか見なかったのですが、後で菩提寺や櫓がある事を知り(当時櫓は見えていたハズなのに、何故か櫓と思わなかったんですよねww)

んで約1年後の後日、名古屋泊で近鉄線始発で桑名に行き、無事櫓と菩提寺(浄土寺)を見学してきました。


大多喜もそうですが、本多忠勝の支配地ってどちらも当時の遺構がほぼ残っていないのが残念です・・・
戦闘の強さばかり目立つ本多忠勝、意外と治世もうまくやっていたとはいえ、里見支配の跡地の大多喜や十楽の津と言われる桑名は支配が難しかった為か、お城にそこまで手がつけられなかったのかな?と思ってしまいます。


・・・どうしても本多忠勝というと高田総督を思い出してしまいますな~(真田丸とハッスルがごっちゃにww)


あ、タイトルは桑名正義さんのセクシャルバイオレットNo.1で特に意味はありません(桑名つながりだけwww)

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