元々天守の無い城。
石垣がしっかりしてました。
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2020/02/01 15:10
2020/02/01 07:03
荒崎小学校 (2020/01/18 訪問)
南宮大社、真禅院から大垣城に向かう途中に立ち寄りました。遺構は残っていませんが、荒崎小学校の校門脇に立派な城址碑と説明板が立っていました。
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2020/01/31 23:32
弘前城移築前の津軽為信の本城 (2016/10/03 訪問)
平成28年10月黒石陣屋を終えて弘前城を横目で見ながら大浦城を探訪して堀越城へ北側の神社鳥居から堀前の駐車エリアに停めて初探訪。
発掘調査後復元整備進行中、国道7号線沿いに駐車場、休憩エリア等の開発計画が在る様子。
本丸(熊野神社が鎮座)、本丸堀、二の丸、堀、三の丸エリアの復元、木橋、館跡、東門跡の地表展示が行われてる、堀は水掘りの様に伺ってたが作り立てか工事中か水無く空堀状、探訪は3年前ですので令和2年は相当完成してる事でしょう。
文禄3年(1594年)豊臣秀吉から四万五千石の所領を安堵されると大浦城から堀越城に居城を移し慶長12年(1609年)二代藩主津軽信牧が弘前城を築いて移るまでの本城。(城郭放浪記さんより)
桜の頃は城址の桜と岩木山の遠望と素晴らしい景観と思われます。
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2020/01/31 22:33
2020/01/31 20:52
信玄堤 (2020/01/18 訪問)
昨年の台風19号でも決壊しなかったという信玄堤。この日、午後から甲府で講座があったので、その前の時間を利用して行ってみました。竜王駅から徒歩です。
信玄堤がなぜスゴイのか?資料を読んでも全然理解できなかったので実際に行ってみたのですが、ここの景色を見ても説明を読んでも、理系の思考が欠落しすぎの私には理解不能でした(ToT)
でも、信玄さんが20年かけて完成させた堤防が400年後の領民も守ってくれたというだけでじーんときます。復元された聖牛もよかったです。(←流れを弱めるとか、ピンチに自壊するとか、実は理解できていません。)
たくさんの桜の木もお花見のためだけではなくて、重要な役割があるそうです。(理解できていませんが^_^;)
甲府市の「史跡学習公園」に信玄堤のミニチュアがあるそうなので、次に甲府に行ったら学習してこようと思います_φ(・_・
最後の写真は、甲府駅北口のお父さんと南口の息子さんです。(二度と父子喧嘩をしないように離して建てられているのだそうです。)
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2020/01/31 20:44
何がなんだかわかりませんでした。 (2020/01/19 訪問)
戦国時代の安芸国の有力な国衆だった平賀弘保が築いた山城。交通の便が良い白市の町を見渡せる白山に築かれ、経済的には有利な立地だったものの、防御力が不十分なため、平賀弘保はここから北に約4kmの標高504mの頭崎山の山頂に頭崎城を築き、本拠地を移すこととなる。
このたび白山城跡に行ってみて、城跡を誰でも見れる状態に維持するのって大変なことなんだと痛感しました。全国各地の城跡を整備してくださっている皆様に感謝!
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2020/01/31 20:15
井伊氏の居城井伊谷城と、分家の城 (2020/01/26 訪問)
浜松市みおつくし文化センターで、「井伊氏の城と館」を見てからまずは井伊谷城に登城。ジオラマ通り、山頂にぐるっと土塁がある程度でシンプルな山城だ。曲輪や堀切などを作る時代の前に廃城になってしまったらしい。井伊領にある城の特徴として、居宅の裏手山側に城を構えており、井伊谷城の麓には井伊家の居宅があった。井伊谷城からは、井伊家の本城である三岳城が、北東高くに見てとれる。
次に分家である奥山家の奥山館と伊平家の伊平城に行った。
両家とも居宅があり裏山に城がある井伊家のパターンだが、奥山城は遺構が残ってないようだ。ただ、奥山館は当時の姿を残している。分家の中でも奥山氏は特に力があったようだ。
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2020/01/31 19:34
今川の家臣が、徳川に対抗すべく建てた城 (2020/01/26 訪問)
宇津山城は、今川氏の家臣が築城した城。舟運と遠州地方を収めるべく、浜名湖に突き出た半島全てを城とした。曲輪群が東西南北に伸びていたようだが、現在はお墓になっている箇所が多いようだ。浜名湖を広範囲に見渡せるため、要所であった事は間違いない。
佐久城は地元の豪族である浜名氏が築城し、徳川家臣によって増築されて今の形になったようだ。馬出や堀や虎口、土塁などしっかり残っており、浜名湖水系の名所と言える。
野地城は、徳川の家臣が築城した城。佐久城がある岬のすぐ北東にある岬に築城。佐久城を廃城にして野地城へ移動したようだが、現状は何も確認出来ず野球グランドになっているだけのため、どうして移ってきたかは理解出来ない。そのくらい佐久城の保存状態が良い。
浜名湖沿岸の城でも、今川系の刑部・堀川・宇津山城と、
徳川系の佐久・野地城と、築城元が分かれていて面白い。
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2020/01/31 17:25
浪岡川丘陵地に築城の北畠中世城館 (2016/10/03 訪問)
平成28年の10月孫の運動会をカメラ、ビデオで撮影見学後、夜駆けSA車中泊し津軽の城廻りへ、浪岡ICを降りて7号線を若干南下情報案内は何時もの城郭放浪記さん、余湖図コレクションさんに頼る。
青森市中世の館から2,300m程北東に走り県道146号線沿い少し奥に浪岡城の標柱、そこを入り駐車場を探すうち浪岡川北側内館前の駐車エリアに車を停める。
内館南の虎口より登城草深く昨夜の雨で水を多く含んでる、案内所、専用駐車場の在る東館南に移動して、猿楽館、東館、北館周辺土塁を通り木橋、北館虎口、ここに来ると岩木山が見えてくる、北館内部の復元住居跡、西館、周辺土塁を通り木橋を渡って内館西虎口、内館内部ここが本丸城主館跡。
訪問日が月曜でしたので案内所、青森市中世の館は休館日、黒石に向かう途中に浪岡支所が有り寄って浪岡城の資料、パンフレットを頂く。
浪岡城は浪岡御所とも呼ばれる南朝方で活躍した名門北畠顕家の末裔、約200年さかえ大浦(津軽)為信に攻められ滅亡。
皆さんの投稿を見れば5月の連休頃の桜の時期が城跡の見学には最適で桜と岩木山が圧巻の様です。
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2020/01/31 17:20
明知陣屋跡と明智光秀ゆかりの地 (2020/01/19 訪問)
明知陣屋は、一国一城令により明知城が廃城となったのに伴って、2代領主の遠山方景が大手門近くに構えた陣屋で、明知遠山氏が江戸定府になった後も、村上氏を代官として廃藩置県まで存続しました。
大手門跡の両脇に水堀が残るほか、陣屋跡には代官を務めた村上氏の屋敷と土蔵がありますが、住宅地となっているため、通り抜ける程度で散策は(写真撮影も)ちょっと憚られました。また、陣屋北部には馬場跡(現況は畑)が広がっています。
明知陣屋から北に徒歩4分の龍護寺は明知遠山氏の菩提寺で、累代の墓所があります。説明板によれば、方景の孫の分家筋には遠山の金さんで知られる北町奉行(後に大目付、南町奉行も)遠山景元がいたり、11代領主の遠山景高はペリー来航時に浦賀奉行を務めていたり、歴史に名を残すなかなかの名族ですね。
その龍護寺には明智光秀公御霊廟もありますが、光秀は土岐明智氏であるとすると、何故に明知遠山氏の菩提寺に霊廟が? と思いきや、霊廟近くの説明板の系譜によれば、初代領主の遠山利景の父・遠山景行と光秀の叔父・明智光安は同一人物とあり、その説に基づくとこの地が光秀生誕の地であり、若い頃を過ごしたゆかりの地ということになるようです。
実際、周辺にゆかりの地は多く、龍護寺の西隣の八王子神社には、光秀が柿本人麻呂を祀った社と社前に手植えしたと伝わる楓があります。なお、同社の唐門は明知城の城門を移築したものだそうです(写真を撮りそびれました…)。旧三宅家脇からの登城路沿いにある天神神社と学問所は、光秀が京都から学僧を招いて学問に精進したと伝わり、明知城の南東には非業の死を遂げた光秀の母・於牧の方の墓所があり、その名にちなんで樹齢400年超の高野槇と江戸中期建立の石塔が祀られています。
また、来年1月まで大正ロマン館内に大河ドラマ館が開館しており、せっかくなので行ってみましたが……うん、物語が進展すれば展示物もきっと増える…よね? という感じでした。それよりも、大河ドラマ館の隣室で同時期開催の「明智光秀が生きた時代の東美濃戦国史-山城を巡る攻防」と題した特別展(無料)の、武田氏と織田氏の戦いの舞台となった山城の縄張図付きでの紹介と、岐阜県内の明智光秀ゆかりの地の案内のほうが見応えがありました。
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2020/01/31 16:29
麒麟ゆかりの地巡り (2019/01/19 訪問)
二度目の登城でしたが、景観を保存するために構造物が…残念ですね
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2020/01/31 14:56
北郭にあるパンフレット等が入った木箱とヒルに注意! (2019/07/20 訪問)
お城の規模が大きく、本格的な登山になります。
私が行ったときは雨期でしたが、山ヒルがいるとは知らずに短い靴下を履いていったら見事に噛まれました。
30分程度は血が止まらないので、山ヒルには気をつけてください。
あと、北郭にパンフレット等が入った木箱がありますが、その木箱を開けた瞬間、木箱の中にいた数十匹の蛾が一斉に飛び出してきて本当に驚きました。
当日は、周りを見渡しても誰一人おらず不気味な雰囲気が漂っており、木箱の横にあるクマよけの鈴を見つけクマが出ることを知り、さらに恐怖感をあおられました。
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2020/01/31 14:49
本丸の雰囲気が素晴らしい (2019/07/07 訪問)
天守台や虎口などかなりの遺構が確認できます。
何と言っても本丸の雰囲気は素晴らしいですね。
何とも言えない雰囲気が漂っておりとても好きになりました。
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2020/01/31 14:48
石垣が残っている (2019/07/07 訪問)
石垣が残っている部分がありますが、見所は少ないです。
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2020/01/31 14:47
本丸の石垣や虎口が見所 (2019/06/22 訪問)
本丸の石垣や虎口など比較的良く残っていると感じました。
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2020/01/31 14:46
再現予想図がすごいお城 (2019/06/22 訪問)
復元予想図のような城であったら本当にすごい城だと感じました。
復元模型を見ましたが、岩山の上に建つ天守は圧巻です。
実際の城跡も石垣がよく残っていて素晴らしい城です。
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2020/01/31 14:43
多聞櫓は現存する貴重な建物 (2019/06/10 訪問)
多聞櫓は現存する建造物として残っていますが、それ以外は城跡としての形跡はほとんどなく、見所がほとんどない城です。
その多門櫓は、数年前に放火にあったそうです。
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2020/01/31 14:40
北方領土が見える (2019/05/26 訪問)
土塁や空堀が確認でき、よく残っていたなという印象。
天気が良いと北方領土が見えます。
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2020/01/31 14:38
灯台の撮影スポット (2019/05/18 訪問)
城跡の形跡はほとんど感じられません。
近くにある大王崎灯台を見渡せるスポットとして灯台ファンには人気があるそうです。
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2020/01/31 14:37
石垣がよく残っている (2019/05/11 訪問)
すごい山奥に立派な石垣がありギャップに感動しました。
また、近くに棚田がありこれも素晴らしいです。
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