あつかしやまぼうるい

阿津賀志山防塁

福島県伊達郡

別名 : 阿津賀志楯、阿津賀志山二重堀
旧国名 : 陸奥

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刑部

山の中腹へ (2020/08/09 訪問)

前回は国道4号線から少し見ただけでしたが、今回は足を伸ばして山中腹の方へ来てみました。

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todo94

国史跡 (2020/04/11 訪問)

頼朝の鎌倉軍を迎え撃つために藤原泰衡が築いた壮大な防塁です。これだけのものを築く気概があるのならば義経を殺さずに最初から頼朝と敵対していれば良かったのに。廃校を活用したあつかし歴史館で学研の「鳥瞰・復元イラスト 日本の城」を拝見。阿津賀志山防塁の鳥瞰イラストも載っていました。帰宅後、速攻で注文・購入してしまいました。

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にのまる

奥州藤原氏、阿津賀志山の戦い(1189年)のときの防塁 (2019/12/04 訪問)

 偶然見つけた藤田城に寄り道後、探索再開しました。
城びとの地図の場所ではなくて、「下二重堀(しもふたえぼり)地区」の防塁です。(写真の感じからdougenさんが行かれたのと同じ場所だと思います。)

源頼朝が奥州藤原氏を滅亡させた奥州合戦の戦場となったところで、鎌倉幕府成立が1192年だった世代(皆さまもそうだと信じております。)には、この戦いに勝利して幕府成立ですが、現在は解釈が違うかもしれません。(先に寄った藤田城はこの時に源頼朝が布陣したところでした。)

阿津賀志山の戦いのために築かれた防塁は現地解説板によると長さ3.2km。下二重堀地区の周辺は畑が広がっており、一帯が戦場だった頃のことを想像するとぞくっとしてきます。と同時に、大きく蛇行する壮大な土塁の造形美に惚れ惚れ( ´∀`)
真新しい標柱があったので見てみると、五日前に設置されたばかりで、美しく整備された遺構を見せていただけたのだなと感激いたしました。

ここを見たあとで、城びとの地図の場所にある防塁も見に行こうと歩いていると、別の「高橋地区」の防塁の案内板があったので寄ってみました。下二重堀地区に比べると小さめですが、830年の長きにわたって崩れも崩しもせずに残されていることに、この地区の方々の歴史に対する思いを感じました。負けたけど…泰衡逃げたけど…防塁築いて一丸となって戦った先人がいたことの証、のような。

そして延々と歩いてもう一つの防塁に向かったのですが、この道路をくぐればきっとゴールだ、と思ったところがまさかの工事中で渡ること叶わず。
近くにある石母田城にも行ってみたかったのですが、別の道を探していくのはもうめんどくさくて無理。偶然寄り道できたところが二か所あったことだし、よしとすることにしました。

そうなると、一本前の電車に乗れるんじゃないの?と思って検索してみたら、約3㎞を25分(正確には覚えていないけれど大体そんな感じだった)で歩けば(走れば)乗れそうという微妙なところで。。。
…はい、がんばりました!改札を入るとすぐホームだったので間に合いました。(跨線橋を渡るのだったらきっと無理でした。)

ということで最後は奥州合戦の戦場を駆け抜ける、みたいなことになってしまいましたが、合戦体験なんて滅多にできるものじゃないのでよい思い出になりそうです、というかそうします。

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dougen

2018.4.30登城 (2018/04/30 訪問)

大枝城から石母田城へ向かう途中の県道320号沿いに阿津賀志山防塁の案内板が出ており、当初は予定していませんでしたが、急遽、立ち寄りました。
国の史跡だけあって、解説板が設置されており、遺構である土塁と空堀も整備されて見学し易く整備されていました。
古代城柵の様に平地に長大な土塁と空堀が確認できます。

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城郭情報

分類・構造 防塁
天守構造 なし
築城主 藤原泰衡
築城年 平安時代後期
主な城主 奥州藤原氏
遺構 土塁、横堀(空堀)
指定文化財 国史跡(阿津賀志山防塁)
再建造物 説明板
住所 福島県伊達郡国見町石母田他
問い合わせ先 国見町役場
問い合わせ先電話番号 024-585-2111