ひこべやしき

彦部屋敷

群馬県桐生市

別名 : 彦部氏屋敷、彦部家住宅
旧国名 : 上野

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チェブ

続くって、凄い事。 (2023/12/06 訪問)

昨日 投稿した「高津戸城」からの帰り道、近くを通るので「彦部屋敷」に寄り道しました。

1561年に彦部 信勝さんが屋敷を構えたのが始まりのようです。現在の「彦部屋敷」は江戸時代の建築物です。
信勝さんは、13代足利 義輝将軍の側近でした。
信勝さん、情勢を探る為に関東に来ました。
将軍が殺害され、この時 父と兄も討死しました。
信勝さんは桐生の地に留まり彦部家の当主になりました。
素敵な古民家だなぁ、なんて軽い気持ちで観てしまった事を恥ずかしく思います。
この日は平日の夕方、開いてません。現在も子孫の方がお住まいとの事で、遠くからパチッとして退陣しました。

昨今の少子化問題や跡継ぎ不足で、伝統が途絶えてしまったニュースを目にします。
彦部家が今も続いているって、本当に素晴らしい事だと思いました。
大きな銀杏は、どれくらいの彦部家の歴史を見たのだろと思った「彦部屋敷」攻めでした。

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カズサン

悠久の歴史ある国史中世城館 (2021/10/11 訪問)

 地元では深沢城と呼ばれてる神梅城を終えて、県道70号線国道122号線が重なってる道を南下、南東方向に約20km程の彦部屋敷を目指す、カーナビは案内板と駐車場の辺りを定めて走行、北側から入り丁度前に収容能力のある駐車場完備(36°22'25"N 139°20'58")。

 駐車場から立派な茅葺長屋門へ、当日11日はスポーツの日で旗日でしたがオリンピック開催で旗日が繰り上げされ無しと成ってましたがもしかして旗日扱いが成るかなと門のインターホンで呼んでみると応答が有りご当主の奥様が対応して呉れました、奥様は祝日で無くなったのですがと言われましたが城郭廻りで来た旨を伝えると快く対応いただけて約1時間屋敷内、庭園、土塁も有る本丸、現在は八幡宮鎮座、幕末に建てた穀倉、文庫倉、主屋内、搦手口、門の開錠、北東隅の櫓台と巡り途中途中に悠久の歴史を語られ天武天皇の皇子高市親王を祖とする家柄、壬申の乱を潜り長屋王と継承し約1300年の歴史を刻んでる、彦部氏として桐生市広沢に居を構えてからも460年を過ぎてる旧家です、現在もご当主夫妻が住まわれてる。当然源氏義家、足利将軍家との繋がりも深い家柄です。
 開館日は土日祝日のみ、開館時間は10時~16時、入館料500円、パンフレット、小冊子「彦部家屋敷」700円購入。

 兎に角高市皇子から繋がってますにはビックリ、内側は見学したので奥様にお礼を言って外側を見学探訪、周囲を水路堀で囲まれて居り、北東にある櫓台を外から撮影見学三層の櫓が建てられそうな造り、奥様の話で発掘調査では二階の建物が建ってたのでは?と言われてるとの事、搦手の橋、渡良瀬川からの丸石で築いた搦手虎口を近くまでは行かないので望遠で撮影、また詰城として奥の山手臼山砦が築城されていた、館奥から堀、曲輪で続いていそう。

 

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赤い城

重要文化財よりも・・・ (2021/07/04 訪問)

彦部氏の子孫が今でも住んでいらっしゃる。
主屋と長屋門は江戸時代のもので重要文化財に指定されています。
が、我々にとっての見どころは搦手の桝形虎口や土塁。
長屋門の脇にも土塁が残っています。
この日は残念ながら休館日で先人様の書き込みにある案内は叶いませんでしたがざっくりと見学して退散しました。

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とってぃ

案内・解説付きで (2019/11/04 訪問)

今も住んでる国指定文化財。
休祝日のみ敷地内に入れ、案内や説明をしていただける。
彦部氏は金閣建設に関係あるとのこと。
福沢諭吉直筆の書も飾ってあり、関係があったとのこと。
石垣も珍しいハの字型に積んである。
幕末の蔵や明治時代の織物染物の様子などさまざまな時代のことがわかる。
敷地内は撮影不可のため、周囲の様子のみ。

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城郭情報

分類・構造 屋敷
天守構造 なし
築城主 彦部信勝
築城年 永禄4年(1561)
主な城主 彦部氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀、井戸、主屋、長屋門、冬住み、穀倉、文庫倉
指定文化財 国重要文化財(彦部家住宅)、県史跡(彦部氏屋敷)
再建造物 石碑、説明板
住所 群馬県桐生市広沢町6877
問い合わせ先 桐生市教育委員会管理部文化財保護課
問い合わせ先電話番号 0277-40-1212