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しんちゃん

火ヶ峰砦  高天神城包囲六砦 最後の一つ (2021/02/07 訪問)

高天神城包囲六砦の一つ 火ヶ峰砦です。ここと能ヶ坂砦は明確な登城道が無いので少し苦労します。結構藪が深いので自分は三か所から攻めています。南の津島神社から登っていくと土塁などの遺構が残っており、尾根上に郭が配されているようです。
ある程度進むと深い堀切が行く手を遮り、藪化しているので別の場所から攻めることにします。

火ヶ峰砦は高天神城から東に1.5kmの位置に築かれ、最も高天神城に近い砦とされています。規模も大きく城域は1kmを越え、高天神城に籠っていた横田尹松は火ヶ峰砦を見て敗戦を悟り、武田勝頼に兵力温存のために高天神城を見捨てるように書状を出したとされています。横田尹松は落城の際に「甚五郎抜け道」から脱出に成功し勝頼に高天神城落城を報告しています。
また尹松は岡部元信と共に、高天神城の城将をしている時に、降伏を拒否して石牢に幽閉された大河内政局に対して様々な配慮をし、そのおかげで政局は生き延びることが出来たとされています。

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todo94

お盆の攻城① (2024/08/15 訪問)

お盆の帰省に合わせて15日の午後、太田献血ルームに献血の予約を入れておきましたので、周辺の城めぐりも計画に入れました。山城が一つもなかったのは幸いです。まずは東毛地域に向かう途中で伊勢崎市の那波城に立ち寄ります。名波小学校前でネット越しの城址碑と説明板をチェック。本丸は東方にあった旨記載されているのは、ありがたい限りです。伊勢崎市立第二中学校前には城址碑のみが建っています。

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しんちゃん

当目砦  静岡県焼津市 (2021/02/23 訪問)

焼津市のサイトによれば当目砦は武田氏が花沢城を落とした永禄13年(1570)以降に築いたとされています。持舟城と連携して、海上監視を含めた出城としての役割を負っていたものと考えられています。
天正3年(1575)長篠の合戦で織田・徳川連合軍が勝利を収めると、徳川軍は攻勢を強め天正7年9月に当目砦にいた持舟城の武田軍を追い払い、そのまま持舟城を攻めて、城将の三浦兵部と向井伊賀守を討ち取ったとのことです。
翌年5月、徳川軍は再び持舟城を攻めようと当目峠まで軍を進めるも、武田勝頼が駿府に向かったという報をうけ引き返したそうとしたところを持舟城の城兵たちから追撃を受けます。石川数正は敵を峠の麓の平場におびき寄せて囲み、散々に打ち負かしたそうです。
砦跡は私有地で果樹園になっているようです。特に遺構は残っていないようですが、周辺の眺望はなかなかのものです。

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ぎりょう

古代東北の英雄を訪ねる (2024/08/16 訪問)

東北地方も台風5号、7号が押し寄せ天候不順が続いた夏休みでしたが、最近たまたま読んだ澤田ふじ子の小説『陸奥甲冑記』に触発され、「阿弖流為の里」胆沢(奥州市水沢)を訪れました。阿弖流為は1200年前、朝廷の東北侵略に対して蝦夷を纏めて抗った、胆沢地方のリーダーです。13年間にわたり朝廷軍と勇敢に戦いましたが、延暦21年(802)坂上田村麻呂に降伏して都で刑死します。胆沢城は同じ年に坂上田村麻呂によって造営され、多賀城に変わって鎮守府がおかれた場所です。
先ずは奥州市埋蔵文化財調査センターを訪れて古代東北の蝦夷の時代について学習しました。その後は胆沢城跡歴史公園で復元された外郭の築地や南門の柱跡を見学し、一辺675mもあったという壮大な古代城柵に思いを馳せました。

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しんちゃん

御前崎灯台と見尾火燈明堂 (2021/02/13 訪問)

静岡県御前崎市の御前崎の先端の切り立った丘陵の上に御前崎灯台は建てられています。日本の灯台50選に選ばれ、Aランクの保存灯台に指定されています。昔より、この周辺は航海の難所とされ、寛永12年(1635)に江戸幕府の命により見尾火燈明堂が築かれました。
明治4年(1871)に江戸幕府が建造した軍艦が沖合で座礁する事故が発生し、近代的な灯台の建造が必要とされ明治7年(1874)に完成しました。レンズはフランス製のフエネル式レンズとされ、日本で使用されるのはこの灯台が初になります。
参観灯台として解放されており、中学生以上は300円で見学が可能です。その美しいロケーションから映画やアニメの舞台として度々登場し、周辺には旨い海鮮料理の店も多く、それがメインで来る人も多いです。

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もりちゃん

水堀と土塁で見事に区画されています❗ (2024/07/21 訪問)

大手付近に上から見下ろせる絶景ポイントがあります。階段は急ですが、是非登ってみてください。
裏へ回ると「お屋形様の散歩道」なるものがあり、現存の躑躅ヶ崎館をぐるり一周できます。土塁や石垣、水堀が、そこかしこに残っていて必見❗️ 中でも主郭部と西曲輪を区間している水堀と土塁はお見事‼️
現在は信玄公を祀る武田神社になっており、もちろん御朱印好きにもたまりません。門前の茶店で信玄ソフトをいただきました❗

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しんちゃん

紀伊青石の岩場 (2024/02/25 訪問)

雑賀崎台場の続きです。石積み遺構の先に、土塁を備えた主要部(主郭と表記)があり、そこに大砲を設置していたようです。ライフル弾ならいざ知らず、大砲の直撃を受けると石が爆散して兵士を傷つけてしまうので、これで正解だと思います。防御の面で土塁だけだと少し不安になりますがやむをえません。主郭にはV字型の石積みが有るようですが、今は埋められてしまっているようです。
主郭南東にもV字状の石垣で区画された郭が有り、さらに南東にも土塁や石垣を備えた郭があります。これらの郭には台場に関わる設備があったと考えられているようです。
主郭からは大島や番所庭園を遠望することが出来ます。いずれも緑泥片岩の岩場と見られ、この周辺で採取された石材が和歌山城の主要部に使われているようです。

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城山八幡宮 (2024/08/17 訪問)

 久しぶりの末森城です。近くへ来たので立ち寄りました。城山八幡宮が跡地です。織田信秀が築き、死後は信長の弟、信勝(信行)が城主となりました。信勝が謀反を起こして殺された後は廃城となりますが、小牧長久手の戦いにおいて織田信雄が使用したと伝わっています。空堀が広範囲に残っています。南側の空堀は容易に観ることも散策することもできますが、他は藪になっている所も多く、また北側はフェンスに囲まれていて近づけません。それでも街中にこれだけの遺構があることに感謝です。
 地下鉄本山駅から徒歩10分くらいです。

 昼飯に末森城とは少し離れていますが、伏見にあるスパゲティハウスチャオ 錦通伏見交差点店さんで名古屋飯のひとつである「あんかけスパ」(ミラカン)をいただきました。

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上野城 (2024/08/17 訪問)

 1542年小豆坂の戦いにおいて活躍した小豆坂七本槍のひとり下方貞清が築城したと伝わる名古屋市千種区にある城址です。城びとは未登録です。東西約120m、南北約24m、二重の堀があったと伝わっています。名古屋市立上野小学校が跡地ですが、遺構はありません。周囲から見ると小学校は少し高い位置にあることがわかります。近くにある貞清の菩提寺である永弘院に石碑がありました。

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廣井城 (2024/08/17 訪問)

 天文年間に中村氏によって築かれたとされている城址で、名古屋市中区にある洲崎神社が跡地です。城びとには未登録の城址で遺構はありません。ネットで見ると廣井城と書かれている案内板があるようですが、見つけられませんでした。
 名古屋城築城時にはこの地から福島正則が堀川の開削を始めたとされ天王崎港として栄えました。尾張藩の御船手役所が近くにあり説明板が立っています。

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もりちゃん

甲府駅から徒歩スグです❗ (2024/07/20 訪問)

正面の遊亀橋から、お城の外周を数奇屋曲輪側にぐるり廻ると、どんどん石垣が高くなっていきます。その急峻さには圧倒されました❗
近くの甲府駅では名物「ほうとう」も食べることがてまきますよ。
甲府駅から山梨市駅まで行き、近くの桃畑まで足を延ばすと、このあたりは水路が多いですね。などと思っていたら何と、、、このあたりの川には桃が流れているんですね‼️ 桃から桃太郎が産まれてきてしまうと、これから先の面倒を見るのが大変そうなので、今回は拾うのはやめておきました😄

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しんちゃん

体に良いと思って飲んでたヤバい奴 (2021/02/23 訪問)

3年ちょっと前の田中城の写真が出てきました。基本的には今と大差無いですが下屋敷の冠木門の色合いや、中の展示物など若干の差異はあります。家康公と言えば薬オタクで知られ、「八味地黄丸」をベースに「海狗腎(オットセイの〇〇)」など数種の補腎剤を加えた「無比山薬円」を愛用していたようです(通称 八之字)。
田中城で鯛の天ぷらを食して体調を崩した際には、「万病円」「銀液丹」という薬を自らに処していたようです。その他にもサイの角を調合した「烏犀円」という調合薬を開発して、大久保長安(駿府記)や池田輝政(駿府記)にも分け与えていたようです。家康公は「烏犀円」は中風に効くと考えていたようですが、実は「万病円」「銀液丹」「烏犀円」にはヒ素や水銀が薬剤として調合されています。
家康公に関しては胃がんという定説が有りますが、自ら調合した薬が体をじわじわ蝕んでいた可能性もあります。

話はそれますが、豊臣秀吉公の死因については私は毒殺を疑っています(ヒ素もしくは水銀で)。
秀吉公の死因に関しては、ガンや梅毒・脚気などの説もあります。元々 世界的にも梅毒の治療薬として水銀が広く利用されてきているので、その毒が体に溜っていたとする考え方も有ると思います。
秀吉公はビタミンB1を豊富に摂取していたので脚気の線は薄いと思います。また梅毒であれば、他の側室にも移っているはずです。
私はやはり毒殺の線が怪しいと思いますが、そうであれば当然 上杉景勝公の会津移封の件が関わってくると思います。
いずれどこかで「関ヶ原」や「会津の城郭」との関わりを含めて、投稿させていただきたいと思っています。

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たか

草刈正雄さんが頭から離れない(笑) (2024/08/17 訪問)

真田丸が放送されてすぐに行きましたが再度じっくりと見たいと思い登城です。
草刈さんはわたしの母校の先生の同級生ということを昔から言われていましたので真田丸から離れられません(笑)

時間も押していましたのでまずは先に真田神社でお参り&御城印を購入。
100名城スタンプを押してから改めて見学。
しかし天気も良いせいか夕方の心地よさのせいかとてもいい気分です。

現在また調査等やっているところを見てとてもうれしく思いました。
やはり当時のことをはっきりさせるということはお金もかかりますがいろんな方々の思いがあるからこそで、それを見させて頂けるわたしはなんて幸せなんだろうとつくづく思いました。
永遠とこの先。何百年と古き良き日本を記録とともに残してほしいと願います。

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たか

遥々来たぜ~♪ (2024/08/17 訪問)

、昨日上田に泊まってからの高遠城は遠いですね(笑)

本丸先の駐車場は閉鎖されていました。
その先にもあったのですが300円と書かれていながら誰もいないので小心者のわたしは戻って勘助曲輪の駐車場へ(苦笑)
それからトイレを経由して三の丸、二の丸を経由し本丸へ。
いろいろと見て回りたいのですがまたもや時間に追われ…
しかし高遠の戦いの説明などを見て気持ちが熱くなり結局のところ速足でぐるりと一周。

そのあとに高遠町歴史博物館でスタンプ&御城印をゲット。
これで引き返して…と安堵していたらなんと御城印が観光案内所にまだあると書いてある。
すぐにスタッフさんに聞いたら親切に地図を使って説明をしてもらいたどり着きました。
しかしここに置いてある御城印のレパートリーが半端ない(笑)
結局、歴史博物館で買った以外のものをすべて購入。
いいお値段になりましたがこれもまた旅の思い出。
満足して次の目的地へと思ったがカーシェアの時間がやばそうなのでとりあえず上田方面に。
高島城などまだ行きたかったけどまたのチャンスに。

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ぴーかる

一之瀬城:東の城と西の城 (2024/06/08 訪問)

【一之瀬城】
<駐車場他>一之瀬城東の城跡駐車場あり。トイレあり。
<交通手段>車

<見所>東の城:堀切・主郭切岸 西の城:堀切・石積み
<感想>日帰り伊勢志摩の平山城巡り旅ラスト9城目。現地説明板によると一之瀬城は南北朝時代、豪族の愛洲氏が本拠地とした城でした。1337年には後醍醐天皇の息子宗良親王を一之瀬城に迎えています。先に行った五ヶ所城の情報によると愛洲氏は宝徳年間(1449~1452年)にこの一之瀬城から五ヶ所城へ本拠地を移したようです。
 東の城:登城口に登城記録ノートとA4コピーの縄張図が置かれています。一之瀬神社の背後に主郭があります。主郭の周囲を堀で囲み、北側に深い堀切を備えています。横堀北東部から東方向に竪堀が落ちていますが、現在は少し薄くなっています。主郭の切岸は高く周囲から屹立しています。神社の場所もおそらく副郭的な広い曲輪だったろうと思われますがここから麓部分は改変されていて雰囲気は感じ取れません。尾根南端に物見櫓跡があります。
 西の城:東の城から徒歩で行きました。登城口横に向井将監館跡があります。ちょっと鬱蒼としていますが居館跡の基壇の石積みが僅かに見えます。登城口からすぐに谷下の削平地に寺院跡があります。脇の尾根上を登って行きます。尾根に2か所尾根を仕切る石積み遺構があります。防御壁・柵か何かの基壇石積みのようにも見えます。珍しい遺構です。主郭手前から連段になっていて、主郭の手前に空堀があります。石段は当時のものか?主郭の削平地はやや小さく、主郭背後から深い連続堀切があり見応えがあります。西の城は山城でした。個人的にはこちらの方が見応えがあったので両城行って十分満足できる城跡かと思います。
 これにてこの旅終了。三瀬の変、戦鬼たちの海 九鬼氏原点の地、愛洲氏(知らなかった)のなかなか見ごたえある城跡を巡り充実した1日でした。537㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇

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零汰

主郭が残る (2021/04/21 訪問)

築城者を見ると樺山氏、在城者は樺山氏・伊東氏・島津氏とある。伊東氏は言わずと知れた伊東48城の伊東さん。この辺りの城跡は伊東さんと島津さんが取ったり取り返したりを繰り返しているのでちょっと良く分からない。それに島津系には樺山島津氏もいた様なので(だったかな?)毎回ながら考える事を放棄してしまう。

上米公園内の最高所を目指して歩いていくと目当ての主郭に到達します。そこに至るまではほぼ公園化の波に晒され遺構は無いようです。が、訪問時は気が付きませんでしたが二郭も残っているらしく見逃しました。主郭内の北側に土壇が有り石碑があります。虎口は東側に残っているので登ってきた階段は後世のものでしょう。主郭は高所にあり、東側には現在道路として使われている場所が当時の堀切です(写真6)。あいにく降りる場所が無かったので上から写真を撮りました。こちらも気軽に訪問出来る城跡です。

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福島正則生誕の地など (2024/08/17 訪問)

 愛知県あま市に福島正則生誕の地があります。石碑と説明板が立っています。以前投稿した加藤清正が若い頃過ごした津島市とはそれほど離れていませんね。北に徒歩5分歩くと福島正則の菩提寺菊泉院の墓所の北西隅に福島正則の供養塔ならびに正則の生涯が刻まれた記念碑がありました。また近くにあま市立正則小学校があります。この学校の名称は福島正則の名前をとってつけられたものです。

 名古屋駅と地下鉄伏見駅の中間くらいの堀川沿いに福島正則の銅像が立っています。堀川は、徳川家康が名古屋城を築く時、福島正則に命じて掘らせた川で外堀の役割を果たしていました。平時は、名古屋城や城下町に物資を運ぶ船が通っていました。名古屋の経済発展を担ってきた川です。
(余談)堀川は私が若い頃は汚い川でしたが、かなりきれいになりましたね。生活排水や産業排水なども流れ込んでいた堀川ですが、下水処理、ヘドロの除去等行い改善され今に至っています。

 このお盆の時期は交通機関は混雑するのであまり遠くへは原則として出かけません。今年はさらに南海トラフ地震臨時情報が発表されたり台風が接近したりしたため、気になっている近場の行っていない場所を中心に散策しています。

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零汰

湯口茶臼館:青森県弘前市湯口一ノ安田・・・四重掘 (2024/05/25 訪問)

こちらの城跡は平地に突き出た丘陵地に築かれていて主郭は展望所として岩木山を眺める事が出来ます。

岩木山は昨年東北絶景ツー(城巡りはしていない)の際に土砂降りの中、ヘアピンカーブ69か所目当てに行きました。画像や動画と違って普通のカーブで雨だったせいもあり8合目に着く時は飽きていました。むしろ岩木山よりも海側から岩木山入口に来る方が全然ヘアピンカーブな道路でした。

話は戻りますがこの城は全体を見るのに20分も掛からない小規模ながらも付け根には立派な立派な四重堀が設けられています。当然中々見る事の無い四重堀を上り下りしたり横断したり時折滑ったりして楽しむ事が出来ました。こちらは上質な遺構を気軽に見れる城跡だと思います。



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城好き

美しい復元天守 (2024/08/17 訪問)

電車を降りたらすぐに尼崎城天守が見えました。徒歩5分で天守までたどり着くことができました。

尼崎城は、大坂夏の陣後、西国支配の拠点として5万石で入封した譜代大名 戸田氏鉄(うじかね)によって築かれたのだそうです。昨年登城した大垣城の銅像が戸田氏鉄だったのを思い出しました。戸田氏鉄は、尼崎城から大垣城へ10万石で転封されています。城と城が歴史でつながって面白いですね。これだから城めぐりは楽しいです。
また、当時の尼崎城は3重の堀をもち、本丸には2重の付櫓を2棟付属させた複合式の四重天守と3棟の三重櫓があったのだそうです。大阪西の見張りとして重要視されていたことがここからも伺えます。そして、当時の天守は1873年の廃城令により取り壊されたのだそうです。
現在は、城址公園となっています。公園には石垣や土塀が模擬復元され、平成30年には資産家の寄贈による外観復元天守が完成したのだそうで、本日はその復元天守に登城してきました。

天守は、入場料500円でした。まずは、エレベーターで5階に上がり、順番に降りていきます。
5階 わがまち展望ゾーン
   →タブレット端末を操作して、尼崎城下の姿を確認しながら展望できます。
4階 ギャラリーゾーン
   →今回は、「乱太郎とめぐるふしぎな世界」が展示されてました。
3階 なりきり体験ゾーン
   →貸出衣装を身に付けて記念写真が撮れます。
2階 尼崎城ゾーン
   →VRで再現された尼崎城下町の映像を大画面で楽しめます。10分程度の映像でした。
1階 尼崎まちあるきゾーン
   →尼崎の魅力を紹介する映像等が楽しめます。

昼食は、阪神尼崎駅近の商店街にある『ぎょっこ志』というお店の「海老味噌白湯ラーメン」を食しました。美味しかったです。
城をめぐりながら、現地の美味しいものを食するのもいいものです。満足しました。

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しんちゃん

本丸を守る「桃(モモ)」の刻印 (2024/02/25 訪問)

徳川御三家の一つ、和歌山城の投稿です。鉄筋コンクリートで復元された天守閣も有りますが、この城の見どころは何と言っても、異なる種類の石材を使って築かれた石垣だと思います。名古屋城も砂岩や花崗岩など様々な石材を用いて築かれていますが、あまりにも石材が多種多様で、しかも混在して積まれているので、予備知識が無ければ、どこに何の石を使っているかを見分けることは不可能です。
しかし和歌山城は違います。主要部に雑賀崎周辺で取れる緑泥片岩(紀州青石)を使用し、周囲の郭や大手門周辺に加太や友ヶ島などで採取される和泉砂岩を使用しています。和泉砂岩は経年と共に風化して崩れてくるので大手門より先の一中門周辺では隅部を花崗班岩で修復してあります。異なる材質の組み合わせになりますが、色合いや形状を可能な限り合わせて有ります。和泉砂岩は隅部が崩れ、表面は剥離しているので一目でわかってしまうのですが、それでも修復者のこだわりや誠実さは十分に伝わってくるので、見ていて心地よいものがあります。研究者から城好愛好者を含む一般の人に至るまで城郭に対して重要なのは、この誠実さだと思います。
近年、城郭の復興や存続に対しても政治や活動家の思惑や駆け引きに巻き込まれるケースが多く、そこにマスコミや専門家までからんで状況が複雑化している感は有ります。個人的意見ですが、城址は可能な限り、本来のあるべき姿に戻すのが理想だと思います。

大手門は城址の北東に位置し鬼門に当たります。本丸御殿の鬼門の位置に一中門跡があり、周辺の石垣に厄除けの「桃」の刻印が有ります。地元のボランティアの方に教えていただきましたが、時々 専門家より詳しい方がいらっしゃいます(特定の城址限定で)。

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