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しんちゃん

加太・城ヶ崎の和泉砂岩  雑賀崎台場の余り (2024/02/25 訪問)

和泉砂岩の産地を見たくて、加太の城ヶ崎に寄って来ました。この地域の地層は和泉層群と呼ばれ、泥岩と砂岩が交互に積み重なって出来た、白亜系の典型的な砂岩泥岩互層となっているようです。ただ、この日は天候も悪く、車を留める場所も無く、潮も満ちて来ていたのでタイミングが悪いと思い、県道65号によって分断された丘陵の断面の確認で済ませました。
断面を見ると確かに和泉砂岩です。見た目に脆そうだけど、こういった石をせっせと切り出して岸和田城や和歌山城に使っているようです。和泉砂岩とはいえ産地は広く、阿波や淡路でも採取できます。
撫養城は地元で採取された撫養石を使用しており、神社の裏の石積みがそうだったと思います。洲本城は西の丸に和泉砂岩の採取場があるようですが、去年訪れた時には立ち入り禁止になっていました。
叶堂城は感応寺の移転の際に、かつての石垣は失われ一部が積み直され残っているようです。遺構が消滅する前に製作された資料には石材の記載が無いですが、資料を見た限りでは、地元で取れた和泉砂岩で間違いないと思います。何せボロボロですので。
資料の使用許可ももらっているので、またいずれ叶堂城にかかわる投稿もしたいと思っています。

後半の写真は雑賀崎台場の写真の残りです。周辺で豊富にとれる緑泥片岩を石垣に利用しており、ここで採取される石は和歌山城の主要部に多用されています。


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零汰

ひっそりと空堀と土塁 (2022/05/24 訪問)

四国を横断してフェリー乗り場に向かう途中に寄り道してこちらを訪問しました。表示板が有ったので直ぐに分かりました。そこはお寺です。平地では無いのであわよくば遺構が残っているかもしれない。

散策しながら標柱など写真に収めるが一寸物足りない。そこで付属建物の裏に行ってみると小さな階段が。登ってみるとビンゴ!最初は物見と思っていた場所に小さな祠が有ります。そして左下には空堀らしい光景が目に入りました。早速降りていくと確かに空堀、そして物見と思っていた場所は土塁の最高所でした。正にひっそりと空堀と土塁。満足してその場から脱出すると石垣が目に付きました。いくら何でも出来すぎだろう。

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零汰

断念 (2024/05/25 訪問)

こちらは岬上に城跡が有り直下にトンネルが通っています。写真1で説明すると左がトンネルへ、右が旧道です。勝手な想像ですが、旧道は岬の付け根付近に有りますので往時の堀切か岬を横断する小道が元々有り、それを拡幅等で作ったのだと思います。そこで岬の付け根の最高所に登れる道探しましたが旧道は住宅が密集していて見つける事が出来ません、写真を撮って早々に断念しました。

帰宅後に復習していると勘違いをしていた事に気が付きました。どう考えても岬の先端が主郭なのじゃないか?トンネルに入る道路の海側に入口があるではないだろうか?今ではそれが正解だと考えています。何方かこちらにお越しの際は訪問して投稿されることをお待ちしています。

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WEST

岩崎城探訪 (2024/08/13 訪問)

愛知県にある岩崎城を訪問しました。岩崎城は丹羽氏の居城で、あの長久手の戦いにおいて徳川家康が勝つことができた重要な「岩崎城の戦い」があった場所です。
アクセスは、まず地下鉄東山線の名古屋駅から星ヶ丘駅へ、次に名鉄バスにて星ヶ丘駅前から岩崎御岳口バス停まで行きます。バス停からは徒歩6分程度となりまあす。トータル1時間弱で着きます。
岩崎城は関ケ原の戦いの後に廃城となってしまいましたが、公園として整備され、城内には土塁、空堀の遺構など、当時を偲ばせるものがあります。
現在、本丸には模擬天守が建てられており、最上階に登ると街並みを見ることができます。
隣接して岩崎城歴史記念館があり、岩崎城のパンフレットが常備されており、城内散策の一助となります。

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WEST

清洲城探訪 (2024/08/12 訪問)

清洲城を訪問しました。織田信長が桶狭間の戦いにおいてここから出陣したとか、本能寺の変後の信長の後継者を決めた「清須会議」の場所でもあり、戦国時代の重要なお城となります。
アクセスはJR東海道線の清洲駅からです。駅からは徒歩にて約15分程度となります。
現在の清洲城は、遺構はほとんどありません。しかし、模擬天守となりますが威風堂々とした天守閣が建っています。(東海道新幹線の車窓からも眺めることができます)
隣接する清洲公園には、織田信長像とお濃の方の像があり、清洲古城跡公園では、織田信長公を祀る小社が建っています。是非立ち寄ってみてください。

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宗春

夏休み中にちょっと城めぐりしよう その3 (2024/08/17 訪問)

会社の夏季休暇にいくつか城めぐりしました。
3城目は彦根城。

帰省中の名古屋から青春18きっぷを使って彦根まで行って来ました。 目的は、JR東海の「EXたび」で「湖上から彦根城を眺めよう」というミニクルーズプランがあり、ひこにゃんと新幹線とコラボした特別な御城印付きだったため。
ただ、クルーズの名称から彦根城を眺めるのがメインだとばかり思っていたのですが、琵琶湖の案内がほぼ100%で、クルーズの帰りに遠くから彦根城も見えますよ的な内容でガッカリでした。
もちろん、せっかくなので入場料を払って間近でも見学して来ました。

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宗春

夏休み中にちょっと城めぐりしよう その2 (2024/08/16 訪問)

会社の夏季休暇にいくつか城めぐりしました。
2城目は岡崎城。

JR東海の「EXたび」で新幹線とコラボした特別な御城印付きのプランがあったため飛びつきました。
岡崎城は何度も訪れているため、写真は1枚だけ。夏限定「金龍と花火」の御城印も合わせて入手しました。

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宗春

夏休み中にちょっと城めぐりしよう その1 (2024/08/15 訪問)

会社の夏季休暇にいくつか城めぐりしました。
1城目は久能山城。

帰省中の名古屋から青春18きっぷを使って静岡まで行って来ました。実は本当の目的は久能山東照宮の「プラモデルランナー風御朱印」を頂くことでした。
久能山城はほとんど遺構が遺されていませんが、ロープウェイの久能山駅から久能山城の石垣を見る事が出来たので写真を撮りました。

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赤い城

お茶屋グラウンド (2024/08/04 訪問)

倉敷天城高校の野球部グラウンドが跡地で遺構は無さそう。
ただ、グラウンドヘ登る道はカーブしていて虎口っぽい感じなのは気のせいなのでしょうか。
グラウンドの前に「お茶屋のあと」の石碑が立っています。

近くの静光寺には陣屋総門が移築されています。
お寺がいくつか並んで建っていますが何か理由があるんでしょうか。
前回レポートの下津井城の門が移築されている正福寺も徒歩圏内にあります。

一国一城令で下津井城が廃城となった際に池田由成が築いた陣屋です。

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しんちゃん

杉山城 おまけ (2024/05/06 訪問)

杉山城のおまけです。北二の郭の先は道が枡形か、喰い違い虎口のようになっています。北三の郭の先は搦手になっており、土塁を備えた虎口が付いています。そこから下りに入って、山から脱出しました。車で来られている場合は、近くに駐車場が有るはずです。
10年ほど前にも訪れていますが、今回の訪問でも以前と同じくらい楽しませてもらえました。

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しんちゃん

ようやく本郭に到達 (2024/05/06 訪問)

杉山城投稿の続きです。井戸郭から西側をぐるっと回り込んで、本郭の北虎口にたどり着きます。前々回の投稿では北二の郭と書いた記憶がありますが直接、本郭にたどり着くのが正解ですので、ここで訂正させていただきます。
本郭の周辺には土塁が良く残っており(復元?)東側に虎口が空いています。今回は省略しましたが、次に訪れる時には、東の郭も探索してみたいと思います。
大手から登城して来ましたが、帰りは北の郭を通って下山します。まだもう少し楽しませてもらえそうです。

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零汰

二重空堀 (2021/11/03 訪問)

こちらは道路沿いにある標柱の直ぐ後ろには二重空堀の外堀の断面が見えていおり、そこから城内に入って行くことが出来ます。内堀端部は塞がれていて外部からは存在すら気付く事は有りません。

主郭の西・北面を囲うように二重空堀、時には平坦部となっています。南は道路、東は谷となって二重空堀の端部はそこに接続しています。内堀はこちらでは見る事のない綺麗な断面しています。南国と言ってもこちらの土質はシラスと違います、それで綺麗な断面が作れるのでしょう。但しちょっと土質に粘りが無いようです。何度か土塁の上り下りして歩いたところ土が柔らかく歩きずらい、その度に靴に土が入ってきました。こんなに靴に土が入る城跡はそうそう有りません。土塁は硬いはずと思い込んでいましたので驚きました。

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朝田 辰兵衛

直線ではない北東辺は… (2024/06/08 訪問)

天守台跡の北東辺だけ直線ではありません。鬼門除けの隅欠的意味合いなのかな…と,考えてしまいました。たぶん,こんなパターンは他には例がないと思います。
本丸自体は,ほぼ方形だったと伝わりますが,現在は住宅地となり,遺構はないとのこと。
南北朝時代に,寒河江城の支城として築かれたと伝わります。

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零汰

もう一歩進んでいたら (2024/05/25 訪問)

こちらに到着した時に何だか不思議に思いました。辺りを見渡すと標柱が有り小さく染川城とある。ここが正解のようです。

土塁に見える高まりが西から東に続いています。足元には何やら堀の様に見えアヤメの様な植物が育っていました。よく見ると水が溜まっていたので水堀なのかもしれません。じゃあ土塁と水堀の組み合わせなでおかしく無い、ではこの裏(北側)が城跡なのだろうと道路を進みました。しかしこの道路は東に向かって土塁から遠ざかっていく。150m程進んで行くと蔦の巻き付いた倒木が道路を塞いでいました。蔦は深かったので暫くの期間ここには誰も来ていないのでは無いか?跨ぐかどうか考えていた結果引き返してしまいモヤモヤの残る訪問でした。

帰宅後の復習の時間、先輩投稿写真と見比べてみた所、倒木の先に曲輪が映りこんでいる。もう一歩進んでいたらモヤモヤが晴れていたのにと反省。と同時に疑問に思いました。入口の土塁と水堀は城跡に関係あったのか?土塁だけならおかしくはないと思う。それなら水堀は後年の物?距離も遠いし方向も違う、配置的に不思議に思います。モヤモヤ去って違うモヤモヤ。どなたかこちらに訪問された際は是非とも結果を投稿ください。

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しんちゃん

三連続の堀切 (2024/07/15 訪問)

時間と周囲の状況を気にしながら城域に到着しました。最初の堀を別として、先に堀切が三つ連続しており、守りはなかなか堅いです。
主要部は幾段かの郭で構成されていて、東から主郭に入り込みます。主郭の北東部には社があるのですが、すでに崩壊しています。主郭には土塁も残っているようです。まだ、なんとか明るいですね。
主要な部分を確認したので、さっさと引上げです。この城の見どころは城址に入ってからの三連続の堀切でしょう。伊東氏の手によるものか、北条氏のものかはわかりませんが、なかなか手の込んだ縄張りをしています。
麓に降りてきたときには19時15分ごろになっています。百も承知でやっているのですが、山城は時間にゆとりが有る方が安心ですね。

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イタさん

田園地帯の民家敷地内に (2024/08/15 訪問)

戦国時代に佐位・那波の両郡を領有した那波氏の居城の一つで・・・。遺構は耕地整理で本丸跡地に僅かに残るのみ・・・、と説明板に載る。民有地を入った場所に、城址碑と説明板が建つ。碑の左側一帯が一段下がり堀の名残かと想像する。5~6㎞南東に那波城跡があるが、ここも城址碑・説明板があるのみ。

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イタさん

散歩者が目立つ城址公園 (2024/08/15 訪問)

説明板に、富岡氏六代、100年間の居城で、遺構は北条氏傘下の時代に改築されたと思われる。小田原攻めの際に廃城になる、と記されている。

城址公園として整備され、駐車場も東西にあり、入口には模擬石垣が造られている。本丸の東虎口の前は二の丸と表記されているが、駐車場・公園一部・宅地になっている。本丸を囲む堀・土塁は良く残る。外郭の西から南は民家・学校になる。北から西の一部まで堀・土塁が残る。本丸・外郭もだが、虎口以外に橋があり中へ入れるが、良くある整備では土塁を開口してしまうが、ここでは土塁に石段を設けて上り下りをする。崩れ防止だろうが、堀の法面は石垣風になっており、本丸土塁の下部(腰巻)も強化されている。説明に櫓台跡、折れを伴う横矢掛がみられるとある通りよく残っている。

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たか

さすがの一言 (2024/08/18 訪問)

いやーやっと来ることができました。
さすがは松本城、どっしりとしていて且つ堀に映る姿も含めて美しい。

今回電子チケットで朝一に登城。
このシステムいいですね。
時間も朝一でしたので、そこまで人は多くなくじっくりと見学できました。
階段が狭く急で且つ微妙に傾斜と間隔が違うのでもし敵が入っても天守まで登りきるのは至難の業だと思いました。
城内の資料を見ていると石川数正は名護屋城へ行っていて、最後は戻ってきていないと書かれています。
松本城を思い、遠い地で最後を迎えたということに胸が熱くなりました。

天守からは360°見渡せて絶景です。
そして降りていく途中でのちに増築されたという月見櫓があってこれまた素晴らしい。
昔の建築技術は釘も使わず感心させられることばかりです。
外観から見ると増築したことがはっきりとわかります。
いやーこれはまた季節の違う時に訪れたいです。

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例のマンション遠望 (2024/08/11 訪問)

チェブさんが訪問した前日に眺めに行きました。
幕張本郷駅近くに住む子供のところに、お盆休みに訪問し、一番近い、馬加城へ。孫のお昼寝中(暑い盛り)にでかけたもので、すぐに後悔しました。馬加城がある丘陵と谷部を挟んだ丘陵の東端まで行ったところで、例のマンションが見えました。下って上っての往復はもう無理。マンションと丘陵を遠望してヨシとしました。

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イオ

大手側散策 (2024/06/29 訪問)

本丸には2年ほど前に登っていますが、佐和山東麓の大手側にも堀や土塁が遺っているようなので、彦根城・佐和口多聞櫓特別公開のついでに大手側を散策してみました。

彦根城の駐車場から折りたたみ自転車で国道8号線を東へ。佐和山トンネルを抜けて北への分岐を入ったところに大手口跡の説明板が立てられています。ここから佐和山へ続く道が大手道で、南北に内堀の名残の水路が流れ、時季的に草木に沈んでいるものの土塁が見られます。土塁の内側には侍屋敷が広がっていたようで、発掘調査により門柱の跡や陶磁器、石臼などが出土しています。内堀跡の北端部には井戸があり、説明板が立てられています。石組みの井戸のようですが水が溜まっていてよくわかりません。内堀跡の東側を南北に流れる小野川は外堀跡とされます。こうして大手側を散策してみると、佐和山の曲輪群だけでなく、谷部に侍屋敷、内堀と外堀の間には城下町を設けた巨城であり、三成に過ぎたるものとうたわれた理由の一端をうかがい知ることができました。

大手側から西麓の登城口に向かう途中、道路脇に石田三成屋敷跡の石碑を見つけました。石碑の先の突き当たりはなかなか風情のある石垣ですが、さすがに屋敷跡の石垣遺構ではなさそうです。西麓の登城口でニッポン城めぐりのイベントスポットをポチし、前回見落としていた佐和山一夜城の石造をチェック。佐和山城天守といえば、佐和山トンネル西側にある朽ちかけた天守風建物は何だろう…と思っていましたが、帰宅して調べてみると未完成のまま閉鎖された石田三成のテーマパーク「佐和山遊園」の佐和山城天守閣だったんですね。「あやしい天守閣ベスト100城+α」にも載ってますし、その筋では有名な天守閣だったのか…。
 

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