鉈尾山城(城びと未登録)は、戦国末期に佐藤清信が鉈尾山頂部に築いた城で、佐藤方政が関ケ原の戦いで西軍に与したことにより改易されると、飛騨・高山城主の金森長近に与えられました。長近は隠居するといったん鉈尾山城に入ったようですが、長良川沿いに築いた小倉山城に移ったことにより廃城となりました。
この日は金森長近の足跡をたどる「金龍がゆく紀行」の一環として長近の隠居領である上有知を訪れました。美濃市運動公園の第1駐車場に車を駐めて、弓道場の脇から登城開始。登城ルートは南回りの大手道と北回りの搦手道がありますが、所要時間が短い(急坂だが歩く距離は短い)搦手道を選択。登城道はよく整備されていて案内表示も随所にあるため迷うこともなく、登城口から約40分で山頂部に到達しました。
鉈尾山城は古城山とも呼ばれる鉈尾山頂部に南北に曲輪を連ねた連郭式山城で、西側は断崖絶壁、東側には帯曲輪をめぐらせています。比高350mの高所だけに本丸からの眺望は素晴らしく、長良川と郡上街道に睨みをきかせる位置であることがよくわかります(小倉山城も見えます)。北端には土塁が搦手道に立ち塞がり、曲輪群の東面には随所に石垣が施されていました。南端の大手口には算木積みの石垣(石塁)があり、一番の見どころと言えるでしょうか。大手口の少し南側から西側に落ちる竪堀脇にも石垣が見られました。
そして大手口から大手道を下山しましたが、大手道はあちこちにある巨岩の間をぬうように通されていて、往時はこの巨岩を防衛に活用していたのかな…などと考えつつ歩いていると、どうせ搦手道も大手道も両方通るのなら、大手道から登城したほうがより雰囲気を楽しめたかも、とも感じました。
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