かつて堺は日本一の鉄砲生産地であったとされています。滋賀の国友の鉄砲鍛冶は一人で何役ものスキルを合わせ持つプロの集団であったようですが、堺では早くから分業が進み、生産性を挙げていたようです。そうして大量に生産された鉄砲を千利休や今井宗久ら茶人らが持つネットワークを頼りに大量に売りさばき巨万の富を得ていたようです。
井上関右衛門家住宅は貴重な江戸時代の鉄砲鍛冶の作業場兼住居として堺市の有形文化財に登録され、公開が成されています。ここの屋敷の主人は愛媛県の大洲藩の加藤家と深いつながりが有り、時として堺での加藤家の代理も務めたほどだと言われます。屋敷もかなり立派なもので、かつて壁に使われていた赤土はすでに採取が出来なくなっているので、かわりにベンガラで赤く着色してあるようです。
※鉄砲鍛冶屋敷を訪問した後は堺鉄砲館を訪問されると良いと思います。間違って訪問する人が多いので、訪れると「鉄砲鍛冶屋敷」は向こうですよとか言われるかも知れませんが、ぜひ話が聞きたいと言えば機嫌が良くなると思います。
鉄砲鍛冶屋敷では火縄銃を持ったり、構えたりすることは出来ないので、両方訪れることをお勧めします。
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