「新編武蔵国風土記稿」に「荏原義宗日蓮を崇信の余、ついに其子を薙染せしめて日朗の門に入しめしなり、後に義宗館地を捨てて寺とし、八幡社を作り郎慶をして別当職を務めしとぞ」と記載があるようです。
この薙染せしめたこと言うのが二子徳次郎とされ、名を郎慶と改めたとの事。義宗が居館を捨て、寺を建てた場所が法蓮寺と郷社旗岡八幡神社周辺とされています。
旗岡八幡神社の由緒には長元3年(1030)平忠常の乱を平定すべく、朝命を奉じた甲斐守・源頼信甲が下総へ赴く際、この地に宿営した折、霊威を感得して源氏の氏神たる八幡大神を奉斎し戦勝を祈願したのが、その発祥と記載がされています。
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