本圀寺(城びと未登録)は、鎌倉中期に日蓮が鎌倉に建立した法華堂を起源とする法華宗の大本山で、南北朝期に京都に移ると室町幕府の庇護のもと隆盛を誇りましたが、戦国中期には比叡山・六角勢の焼き討ちにより焼失(天文法華の乱)。再建される際に城郭化を進めたようで、第15代将軍・足利義昭の上洛時には仮御所となり、三好三人衆の襲撃を撃退しています(本圀寺の変)。本圀寺の変を受けて二条古城が築城されると建物や什器(の一部)が二条古城に運び出されたり、豊臣秀吉により南半分を本願寺に割譲させられたりしながらも、江戸初期には徳川家康により寺領を安堵されました。その後、徳川光圀の帰依を受けて本国寺を本圀寺に改め、昭和に山科に移転して現在に至ります。
本圀寺は明智光秀が歴史の表舞台に初めて登場した地でもあり、前々から行ってみたいと思っていましたが、本圀寺の変の頃の本圀寺跡は西本願寺の境内と駐車場、その北側は住宅地になっていて城郭寺院としての遺構は消滅しており、かろうじて五条通北側の万寿寺通沿いに立てられた大本山本圀寺の題目碑(と朝鮮通信使ゆかりの地の説明板)と西本願寺北西側の大宮通から東に少し入ったところの題目碑の位置関係から、往時の規模の壮大さを想像することができるくらいです。
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