「壱岐対馬 最短出征 名古屋城(いきつしま さいたんしゅっせい なごやじょう)」
壱岐島・対馬と経由して、ほぼ直線ルートで朝鮮半島に到達しています。なんとも・・戦争の時は最短で出かけて行って、平和な時代には迂回して長崎に来てる。まあ直でやりとりするよりはワンクッション入れた方がお互いに良いのかもしれない。
名護屋城の破却は「島原の乱」の後と考えられています。ここは比較的一揆の場所に近いので、破城は念入りに行われたと思います。
まあ、豊臣秀吉の陣城でもあったし、朝鮮への配慮もあったのかも。
1630年代の島原藩では幕府の役人を巻き込んでフィリピンのマニラ侵攻を計画する動きが有りましたが、「島原の乱」勃発により計画は完全に頓挫し日本は鎖国に入っています。一揆軍はスペインの援軍を期待していた向きもあるようなので「島原の乱」は日本のフィリピン侵攻を妨げたいマニラ総督府の工作も関わっている可能性もあるのではないでしょうか?
だとしたら、彼らの思惑どうりに行き過ぎて少し面白くない。
赤色立体地図は国土地理院地図以上に地形がわかりすぎて少し危険です。「有事」の際には某国が工〇船で大量に侵攻してきて、山中を拠点にしながら都市部に〇スや細〇で攻撃を仕掛けることも可能なわけです。普通の人にはただの「赤くて気持ち悪い地図」だけど、見る人が見れば、どこをどう通れば目的地に行けるかすぐに解ってしまいますね。
国も環境省も熊を野放しのままだし、この国は国民の命を守る気が、全然無いように感じます。城址の形状を見るのには便利なんですけどね。
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