①「西東 一城別郭 高天神」(にしひがし いちじょうべっかく たかてんじん)
②「小笠山 四尾根郭の 高天神」(おがさやま しおねくるわの たかてんじん)
③「断崖の 尾根を活用 高天神」(だんがいの おねをかつよう たかてんじん)
高天神城は遠州中央、掛川南の小笠山丘陵南東に突出た断崖尾根を利用した一城別郭の城で「高天神を制するものは遠江を制する」と言われている重要な城郭です。
東峰には本丸、三の丸を配して南の追手門から登城します。西峰には西の丸を中心に北尾根に二の丸、堂の尾曲輪、堂郭の西下に有名な長い横堀を配し、西尾根には馬場平と甚五郎の抜け道と言われる細い尾根道を配し、南尾根は見張台への断崖尾根道が続き、南で尾根を断ち切る大堀切が控えてる、覗くとぞっとします。西峰と東峰間はかな井戸の有る井戸曲輪で繋がっており、井戸曲輪から北へ搦手門へ断崖壁沿いに登城路階段が続く、断崖上の曲輪群を見ながら登ったり降りたり圧巻の登城路です。
高天神城は今川氏の築城、今川氏が滅びると徳川氏の領有に成るが、武田勝頼に攻城されて武田氏側へ、武田氏対織田氏徳川氏の長篠・設楽原合戦で武田氏が大敗してから6年後に武田氏から徳川氏へ、落城時に武田氏軍監横田甚五郎が西尾根の細道を抜けて甲府の勝頼に報告に行ったと言う謂れから甚五郎の抜け道と言われている。
この一年後には武田氏の滅亡、本能寺の変で信長が亡くなっています。戦国の激動期でした。
駐車場は搦手門側が収容能力大、トイレ有、大手門側は10台程トイレ有。
投稿写真の1、3,4,5,8,10は2023.5.25登城撮影。
投稿写真の2,6,7,9は2024.3.1登城撮影。
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