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しげ

広島城 (2025/03/12 訪問)

広島城に行ってきました。

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2番槍 (2025/03/09 訪問)

 残念無念の2番槍。京都府で唯一残った未投稿城であることは認識してたのですが、やっぱりの、ぴーかるさんに、やられてしまいました。
 堆積岩の山体を南側の牧川が侵食して、さらに、国道9号線が削り、崖になってます。主郭、帯郭から、三方に尾根が出ていますが、尾根の両側も急斜面です。切岸はあるものの、急斜面だけでもそこそこかたい守りになりそう。麓に9号線と山陰本線が走って但馬に抜ける交通の要衝です。地図を見ると谷沿いにたくさんの城が作られています。
 登録3000城の件、近畿二府四県(大阪、京都、滋賀、奈良、和歌山、兵庫)では、イオさん指摘の和歌山の4城を残すのみではないでしょうか。岡山、鳥取も未投稿は無いです。

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トク

清正の助言が残る270年続いた大村藩の城 (2024/12/11 訪問)

昨年の12月ですが、玖島城へ行ってきました。玖島城の築城者は、キリシタン大名で有名な「大村忠純」の子で「大村喜前」です。前回の投稿、壱岐島の勝本城築城時に名前の出た人物です。忠純亡き後に家督を継いだ喜前は、秀吉の命で勝本城の築城に携わった後は朝鮮へ出兵し、帰国後に父が築いた山城である三城城から海に近い地に築城を開始します。九州の関ケ原では東軍に付き、家康より2万7千石が与えられて大村藩を立藩し、藩は幕末までの270年間存続しました。

朝鮮での籠城経験から、城は守りやすく攻めにくい三方を海に囲まれた半島に築城し、また船蔵もあり海上交通もかなり重視していたようです。そして築城後には朝鮮で親しくなった加藤清正に助言を仰ぎ、いったん築いた城をさらに改修したとされています。大手門を南側へ移して高石垣を築き、大手門から本丸までは連続桝形とし、水堀も広く拡張し、板敷櫓などには扇勾配石垣も見られるなど、確かに清正の助言の跡を感じました。

現在の城跡は大村公園になっていて、水堀は庭園に変わり、ゆっくりと散策する事ができるようになっています。市役所と庭園の間の駐車場の所に観光案内所があり、(写真⑨)のようなパンフレットや縄張地図が無料でもらえますので、それを見ながら散策されたらいいかと思います。再建された板敷櫓と美しいと言われる扇勾配石垣がちょうど改修中で見られなかったのが、ちょっと残念でした(写真⑦:現在は終わっていると思います)。

水堀沿いは桜並木になっていたので、桜の季節はきれいだろうな~と思いました。あと3週間後ぐらいには、これらの桜は満開になっているのではと思います。

最後に「長崎ちゃんぽん+羽根餃子」を食べました。これぞ本場の味! 美味しかったです(写真⑩)。
 

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todo94

イベント前の攻城②後城編 (2025/03/08 訪問)

三の郭の奥の虎口から降りたところと畝状竪堀群が連なる犬走りの合流地点は前城と後城の間の鞍部になり、一直線に土塁が伸びています。その先の二の丸下の横堀が、恒屋城の中で最も見栄えがする遺構なのではないでしょうか。二の丸の端には横矢がかりの表示があります。本丸に至るまでにも、帯曲輪状の郭がいくつも重なっていました。吉川弘文館の「近畿の名城を歩く」に載っていない城で、これほど素晴らしい城に巡り会えるとは思ってもいませんでした。

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赤い城

山田城 大阪府吹田市 (2025/02/18 訪問)

城びと未登録城です。
出張で近くまで行った際に空き時間で立ち寄りました。
城跡にはスタバがありもちろん遺構は残りません。
駐車場から奥の藪を覗いて見ましたが不審者と思われるのも嫌なのでさっさと退散しました。
碑や説明板も無いですが周囲からみると高低差があり、城が築かれた場所としては納得感はあります。
北側は切岸や曲輪跡かな?と思える地形となっています。

登録城である沢良宜城や郡山城は山田城の支城だったとされ、13の支城で守られていたとのこと。
赤松則祐が築いたとされますが定かではありません。
戦国時代には香西玄蕃が城主だったと言うことで讃岐とも縁があるようです。

近くにはエキスポランド、今年は大阪万博もありますね。
盛り上がりに欠けてるようですがどうなんでしょうね。
開幕したらそれなりに盛り上がりそうですが。

【見どころ】
 ・北側の切岸や曲輪跡と思われる地形

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スミヤキ

ファーストコンタクトが大切です。 (2025/01/31 訪問)

標高583m 、高取山の頂きに築かれた高取城、日本三大山城の一つでとても行きたかったお城です。このお城を百名城スタンプ制覇のオーラスに決めて、ついに念願の登城となりました。

巨大な近世山城を如何に楽をして本丸まで登るかが、自分に課した今回の重要なミッションになります。

お城EXPO2024の高取城ブースでいただいた地図(高取城之図)と城下の夢創舘(百名城スタンプ箇所)での情報から、壷阪口門のある、八幡口登り口を目指します。
車両2、3台を駐車するスペースがある所が入口で、車で八割、九割の標高を登って来た感があります。幾らも歩かない内に石垣群が表れ、程なく大手門、二の丸、修復された太鼓櫓と視覚に入り、どきどきとワクワク感が止まらない状況に陥ります。明治時代に廃城になってからの保存状態が良く、苔むした石垣がとにかく素晴らしいです。噂に違わぬ山城です。20分程で本丸にたどり着き、本丸虎口の石垣や天守台石垣、小天守台の曲線石垣など見ごたえ充分で満足感に満たされます。この最初に感じるどきどきとワクワク感が、堪らなく好きで、この感情を得るためのお城巡り、止められませんよね。今回は、体力的に消耗が少なかった為、更に楽しめました。おすすめのお城です。

百名城の登城完了の認定印も頂き、約七千名の仲間入り出来た事も嬉しいですね。

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しんちゃん

震災から14年 (2025/01/03 訪問)

東日本大震災から14年がたちました。本日も14時46分ごろに仕事先で黙祷を捧げましたが、改めて犠牲者の方々の冥福を祈ります。こればかりは誰しも他人事では無いですね。日本に住んでいる限り震災と無縁の地はほぼ無いでしょう。私の家も海のすぐ近くです。
年末年始、関東から東北を城攻めしている時に、石巻城に近づくにつれ、カーナビと周囲の地形が大幅に変わって来ていました。これはひょっとしてと、その時ようやく気づきました。TVでも見たことが有る被災地に来ていたんですね。かつて民家がひしめき合っていた場所は記念公園などに姿を変えています。震災の遺構として残された門脇小学校がとても痛々しいです。

石巻城は葛西氏によって築かれたとされ、現在は日和山公園と鹿島御児神社の境内になっています。眺望はとても良く、海やかつての街があった場所を見渡すことが出来ます。

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カズサン

【駿河 瀬名氏館】静岡県静岡市 瀬名氏館跡を訪ねて (2025/03/10 訪問)

 皆さんもご存じの余湖図コレクションによる駿河瀬名氏館の復元想像鳥瞰図をご覧に成った事でしょうが、私も前々から余湖図コレクションの瀬名氏館が気に成って居た所です、昨年の大河ドラマどうする家康放映中に家康夫人瀬名姫の築山殿絡みで史跡を訪ねてみたいと思っておりました。

 推定地住所:静岡県静岡市葵区瀬名2丁目32ー43(西奈複合施設)
 駐車場:同上住所の西奈複合施設(リンク西奈)裏手に駐車場有り、同駐車場を利用。
 参考資料:余湖図コレクションさん城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 余湖図コレクションの瀬名氏館鳥瞰図を見ると、曲線の本曲輪を左巻きに内堀・二曲輪が巻き込み外堀が北に廻り込み西、南、東に二曲輪が内堀と繋がる長方形館に感動を覚え、見たいものだと思いました、しかし屋敷地、住宅地に成っており遺跡遺構は無く成って居るようです。
 城域は西の長尾川と東に竜爪山稜(梶原山)の間の肥沃な地に築かれたようです。何か案内板解説板でもあれが良いのですが残念です。
 推定されている静岡市西奈複合施設(図書館・生涯学習センター・市民サービスコーナー)を訪ねれば何かあるのでは?と探訪開始、駐車場の北側が余湖図コレクションの指定マーク地、欅林が植わって小公園に成って居るが史跡標柱案内板は無い、駐車場西そばのが城郭放浪記さんの指定マーク地、屋敷民家が立ってい居るのみで標柱案内板は無い。
 探訪日が月曜日で図書館はじめ施設は休館日で閉まっておりお尋ねが出来ない。

 指定マーク地の確認を終えて北へ70mほどに史跡マークのある瀬名の郷倉と番屋が有り訪ねる、年貢米の瀬名村倉と同倉の番小屋で江戸時代の建物が市指定文化財として保存されている公開日は毎月第二土曜日午前中。
 戻って西奈複合施設より東に約150m程の梶原山西山麓に瀬名氏の菩提寺が有る、北側の龍泉院(静岡市葵区瀬名3丁目49-10)瀬名氏三代今川氏俊夫人の墓がある、急な参道階段下で参拝、駐車場は参道下に墓参り数台の参拝者駐車場が有る。
 龍泉院と山麓続きで南に100m弱に光鏡院(静岡市葵区瀬名1丁目38-36)瀬名氏初代今川一秀の墓と菩提寺、駐車場は山門下に数台の参拝者駐車場有り、山門横に梶原山への登山道ハイキングコース出発点が有り、横手に梶原一族いくさの跡解説板が大きく絵図入りで解説板が大看板で立っている、読みふけりました。
 更に南に約200m程で松寿院(静岡市葵区瀬名1丁目23-12)瀬名氏二代今川氏貞の菩提寺と墓がある、駐車場は無い。
 松寿院から南に約50m程に人工の弁天池が有り堤防沿いに桜並木、一部の河津桜が咲いていた、江戸の不忍池を模したのだとか、中の島には宗像三女神が祀られた胸形神社が鎮座してる。
 西に出て県道201号線(竜爪街道)を北に300~400m歩き駐車場へ戻る。
 
 頭脳内を膨らませた晴天の約1時間半の探訪でした。
 ちなみに瀬名氏と家康夫人瀬名姫こと築山殿とは関係は無いようです?
  

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しんちゃん

信玄公狙撃の伝説 (2025/01/18 訪問)

野田城は当城を攻めていた武田信玄が狙撃されたことで有名な城ですね。城好きや歴史好きはもちろん、特に城めぐりをしていない人たちの間でも認知度は高まってきていると思います。NHKなどの番組などでも何度か放送されているのではないでしょうか。
本丸には狙撃場所の標識があり、笛の名人・村松芳休の笛の音につられた信玄の耳に銃弾が命中したとされていますが、実際には定かではありません。延宝5年(1677)に作成された「菅沼家譜」には鳥居三左衛門が鉄砲を放った後、武田陣中が騒がしくなったとされていますが、後世の創作の可能性も示唆されています。実際の所はどうなのでしょうか?
城址は積極的な遺構の再現や整備などはされていないようですが、本丸周辺には見事な空堀が残っています。小牧・長久手の合戦の後に豊臣秀吉の来襲に備え徳川方が改修を施した可能性もありますね。
最期の2枚の写真は長篠城の近くの和食の店で取った昼食です。

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しんちゃん

お・じ・や (2025/01/18 訪問)

姫路城を特上の寿司、彦根城を高級懐石料理、名古屋城を矢場とんの味噌カツに例えるなら、長篠城は「おじや」ですね。
渋いな~、でも旨いんですよ。飽きることはないのでずっと食べていられます。おにぎりやお茶漬けでもいいですね。武田軍の築いた五つの砦跡、織田・徳川連合軍が築いた多数の陣所跡、地元に近いので何度も通って全部見ています。とはいえ、写真も古かったり、データフォルダの故障などで損壊したりしているので、落ち着いてきたら、また一回りしたいですね。
合戦場に近い設楽原歴史資料館では、「長篠・設楽原の合戦」に関する展示が充実しており、特に火縄銃などの展示が豊富に揃っていて、けっこう珍しい銃なども見ることができます。屋上に上がると、遠目に合戦場跡に設置された馬防柵を見ることができます。

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しんちゃん

馬防柵 (2025/01/19 訪問)

日本百名城で最も異彩を放つ城 それが長篠城だと思います。姫路城や岡山城の様な立派な天守は無いし、春日山城のような壮大な縄張りも有りません。徳川家康によって強化された土塁や堀は見ごたえがありますが、それだけでは・・
有名な長篠の合戦は武田軍と織田・徳川連合軍による長篠城の争奪戦ですが、実際の合戦は設楽ヶ原で行われたため「長篠・設楽ヶ原の戦い」と呼ばれることも有ります。長篠の名を残してくれてあるのは有難いですね。
合戦の跡地には武田の騎馬隊に備えた馬防柵があります。関ヶ原合戦場にも馬防柵はありますが、元祖・馬防柵は何と言ってもここでしょう。スケールの大きな歴史と意義、馬防柵の放つ臨場感、徳川によって強化された長篠城、周囲にびっしりと配された陣跡など多くの要素が相まって、長篠城を他の百名城に負けないものにしているのだと思います。
犬山城、名古屋城、岐阜城などのメジャーな城を見た後に、長篠城や合戦場跡地、周囲の陣所跡を巡って、大きな満足感を得ることが出来たら立派な城好きになっていると思います。城めぐりを始めたばかりの方は、もう少し足を延ばして古宮城や亀山城を訪問して欲しいと思います。新しい扉が開くと思います。

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小城小次郎

メリハリの効いた普請が秀逸 (2025/02/15 訪問)

本丸切岸が大きく崩落した東日本大震災から、こちらも見事な復活を遂げていた(3枚目は2012年当時)。深く刻まれた堀に目が行くが、枡形・馬出が効果的に用いられたメリハリのある普請は秀逸。近くに伝移築門もある。

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朝田 辰兵衛

団地化されています… (2025/02/23 訪問)

まずは,イオさん,東京コンプの祝辞,ありがとうございます。
todo94さん,青森コンプ,期待しております❢

青ヶ台城ですが,釜利谷赤坂公園から眺望する台地で,ピンの場所は住宅地になっています。
一番近い電柱番号をチェックしてきました。
 NTT…阿王ヶ台支線 左6/13
 東京電力パワーグリッド…赤井谷線 464
NTTの電柱番号から,「青ヶ台」が歴史の変遷により,「阿王ヶ台」に表記が変わっていることが読み取れます。こういうことを発見するのも楽しいです。

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ぴーかる

唐沢山城 (2025/01/11 訪問)

【続百名城72城目】
<駐車場他>唐沢山城跡駐車場数十台分無料駐車しました。
<交通手段>車

<見所>石垣・堀切
<感想>1泊2日栃木・群馬旅2城目。先に社務所にてスタンプ押印・御城印を購入し、スタンプ帳を車に置いて散策しました。土矢倉跡⇒鏡岩⇒大手虎口⇒天狗岩⇒大炊の井⇒四ツ目堀⇒南城跡石垣⇒三の丸跡・二の丸跡⇒高石垣⇒本丸跡⇒東方向の長門丸跡・金ノ丸跡・杉曲輪跡・北城跡を巡り終了した。時間の関係で全ての遺構を巡ってはいないが、中世に築城された城郭で、しかも関東では珍しい主要部の高石垣は圧巻の見応えでした。栃木県は百・続百名城が各1城づつしかないので、これにて栃木県の百・続百名城制覇。

<満足度>★★★

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駿府城

お堀の水位に注目!駿府城跡の四季の変化

駿府城跡天守台発掘現場のお堀の水位は、季節によって変化することをご存知ですか?
冬になると水が少なくなり、堀底まで見える状態になります。

梅雨時期の水量が多い時期と比べると、まるで別の場所のような景色が広がります。
さらに、水位が低い冬の時期だからこそ、普段は見えにくい昔の水位の跡をじっくり観察できます!
この時期だからこそ味わえる、特別な駿府城跡天守台発掘調査現場の風景を、ぜひお散歩がてら訪れてみてください。

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todo94

イベント前の攻城②前城編 (2025/03/08 訪問)

書写坂本城からの転戦です。砂利敷きですが、トラロープで区画が示された立派な駐車場が完備しています。案内によると登城口から前城まで20分所要とのことですが、私は7分ほどでたどり着くことができました。麓からも幟が見えるテラス状の郭が前城で、その上に三の郭があります。前城からは浅いながらもきれいな畝状竪堀が落ちています。犬走りから下に落ちている畝状竪堀群はもう少し深さはあるのですが、樹木が邪魔をしていて見栄えはあまりよくありません。ここまででも十分素晴らしい城なのですが、本丸となっている後城へと進んでいきます。(後城編へ続く)

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しんちゃん

真田氏と仙石氏 博物館と別館もオススメです。 (2025/02/15 訪問)

現在の上田城の縄張りは元和8年(1622)仙石忠政により築かれたものですが、城内には真田にかかわる伝承がいくつか残されています。
地元の人々の心情によるものでしょうか、仙石氏は忠政・政俊・政明と三代続いた後、出石に転封になっています。
櫓は冬季閉鎖中ですが、隣接する博物館は開館していて仙石氏や真田氏に関する展示がされています。特に仙石氏にかかわる展示が充実していて、甲冑なども多数展示されています。上田市立博物館の隣にある別館は真田氏にかかわる展示が多数あり、真田昌幸所要具足の展示も有ります。赤備えではありませんが、六文銭をあしらった甲冑は非常に恰好良かったですね。

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カズサン

日の入り前の西尾城本丸編ー2/2 (2025/03/01 訪問)

 日の入り前の西尾城二の丸編ー1/2の続です。

 太陽が沈みの頃西尾城に到着し二の丸から本丸へ、本丸丑寅三重櫓の北面は石垣を含めて樹木の伐採剪定が進み見える化景観整備が進んで居ます、内堀の北側から石垣、丑寅三重櫓の北側が大変良く見える様に成って居ました。
 本丸内部は夕刻日の沈み頃ですので樹木に覆われており暗く成って来ました、本丸内部の神社は修復工事中、本丸裏門から入り本丸表門から出る、資料館は閉まっており、資料館裏手より内堀の東側、本丸丑寅三重櫓の東面を眺める、二の丸鍮石門を潜って駐車場へ。
 本丸丑寅三重櫓と二の丸鍮石門の復元は平成8年にて今年で29年経過しています。
 天守閣の復元再建は何時に成るのでしょうか?生きてる内に見てみたい。
 3月1日、日帰り三河松平城山城からの城廻りは西尾城でエンドと成りました。
  
 3月8日より国道23号線が名古屋から西尾市、蒲郡市、豊橋市、浜松市へ無料で、新東名、東名が北側に偏っていますので信号のない準高速道路が貫通し愛知県南部が便利に成って来ました。城探訪にも益々便利に成って来ました。
 

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小城小次郎

震災の記憶 (2025/02/15 訪問)

2012年に訪れた際には土塁に大きな亀裂が入りベンチも傾いていたが、今ではそんな過去も忘れてしまいそうなくらい元の姿を取り戻している。でも土塁上の復興記念碑がきっと震災の記憶を伝えてくれるのだろう。
(写真は一枚だけ2012年当時のもの)

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しんちゃん

夢は果てしなく

「登録3,000城投稿コンプリート記念パーティ」・・いいんじゃないでしょうか。私も出て良ければ出たいですね。
皆で城びとコンプを成し遂げ達成感を共有する・・いいですね。
私はそのあとで単騎での3000城も目指したいと思っています。todo94さんなら出来るんじゃないですか? 私も後から続きます。
まずは車で行ける本州・四国・九州から・・北海道も車で行けたらいいのに・・第二青函トンネル作って欲しいな。
沖縄もあるなあ・・7年~10年で達成できるかな? 個人的にはあと500くらいあってもいいと思います。近場で行くところが無くなってしまったので。夢は追いかけている間が楽しいので、ずっと追いかけていたい。
3000城は10数年あれば達成できると思うので、いまから城めぐりを始める20代から40代の人がうらやましいです。何しろ城びと・ニッポン城めぐり・日本百名城・続百名城を一度に回ることが出来るわけだし、こちとら何回、同じ城を回ったことか・・

私の城めぐりのきっかけですが、愛知には近世城郭が5つもあり、特別史跡・国宝もあります。これらに長篠城・小牧山城・岐阜城を足して周遊しているうちに、城の魅力に取りつかれて来ました。城めぐりを始めたころから膝は良くなかったのですが、城を見たい一心で城址を歩いていたら、筋肉がついて山城にも行けるようになりましたね。

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