闘鶏神社は通称「権現さん」と呼ばれ、祭神には熊野三山の神も勧請されており、三山の代わりに詣でる別宮的な存在でもあります。境内には21代・熊野別当である湛増と武蔵坊弁慶の像があります。
湛増は18代別当・湛快の次子とされ、妻の母に当たる「たつたはらの女房」は源為義の娘とされています。伝承では、あの武蔵坊弁慶の父親ともされています。境内の石碑によると、一ノ谷の合戦が過ぎたころから熊野水軍の頭である湛増に対する引き合いが源平双方から強まり、義経の命を受けた弁慶の説得も有り、湛増は白い鶏七羽と赤い鶏七羽を戦わせ神意を確認します。
源氏に味方する決意を固めた湛増は総勢二千余人、二百余の舟に乗って壇ノ浦に出陣、源氏の勝利に大きく貢献したとのことです。
ちなみに赤白どちらの鶏が勝ったかですが、白は源氏のイメージカラーなので、ご想像の通りではないでしょうか。
境内には紀州徳川家に仕えた安藤直次公(藤巌公)を祭った藤巌神社と、弁慶社があります。また、西に少し行った先の扇ヶ浜の緑地には熊野水軍出陣の地碑があります。伝承が本当なら弁慶はMVP確定ですね。
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