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キンヤ

幻の帰雲城、遺跡登録された帰雲川原城 (2025/04/20 訪問)

寛正年間(1460〜1466年)に内ヶ嶋為氏が築城し、この地域を支配した内ヶ嶋氏の居城です。
内ヶ嶋氏領内の白川郷の周囲に6ヶ所の金山があり、4代氏理の時、天正13年(1585年) 7月に羽柴秀吉の命で金森長近による飛騨攻めで敗北しましたが、金を蓄えていたため秀吉は内ヶ嶋氏を許し領地の経営を認めたともされます。
その後、天正13年(1585年)11月29日に天正大地震が起き、帰雲山が崩壊し帰雲城とその城下集落が埋没し、内ヶ嶋氏は滅亡したと伝わります。
埋没前の帰雲城の位置は不明で幻の城と言われ、地震で城の崩壊と共に蓄えていた金も地中に埋まったとされる埋蔵金伝説があります。

地元で推測した場所に帰雲城趾の石碑、観音像などが建てられ、帰雲山が望め生々しい崩落した山肌が見え、歴史ロマンを感じます。

消えた戦国の城として帰雲城が、テレビ愛知で2019年、2021年、2022年の3回に渡り放送され、帰雲城の館があったと考えられる場所を3回発掘調査し、木片・馬の骨・金属片が発見されました。
石碑がある所から南南西側600m程離れた所に発掘調査された場所があり、立ち入りできませんが、そばの道から見ることができます。

その発掘調査場から北側へ400m程離れた所にある高台は、帰雲城の館とセットの山城とされ、見張りをする櫓があったと想定されてます。
番組の中で千田教授・中井教授が城跡と認めた山城として紹介され、2021年に「帰雲川原城跡」として遺跡登録されました。
東側に櫓台とされる高台があり、その西側に2条の堀切があり、1条目の堀切から北側に竪堀が続いてます。
この日、内ヶ嶋氏の本城である帰雲城以外で3ヶ所の支城と1ヶ所の砦を巡り、堀切はV字の薬研掘や深い空堀でしたが、ここは浅く幅がある堀切で少し違和感がありました。
街道を抑える高台の立地で見張り用の砦と思われ、最近登録された城跡を確認でき良かったです。

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しんちゃん

闘鶏神社 熊野水軍 (2025/03/30 訪問)

闘鶏神社は通称「権現さん」と呼ばれ、祭神には熊野三山の神も勧請されており、三山の代わりに詣でる別宮的な存在でもあります。境内には21代・熊野別当である湛増と武蔵坊弁慶の像があります。
湛増は18代別当・湛快の次子とされ、妻の母に当たる「たつたはらの女房」は源為義の娘とされています。伝承では、あの武蔵坊弁慶の父親ともされています。境内の石碑によると、一ノ谷の合戦が過ぎたころから熊野水軍の頭である湛増に対する引き合いが源平双方から強まり、義経の命を受けた弁慶の説得も有り、湛増は白い鶏七羽と赤い鶏七羽を戦わせ神意を確認します。
源氏に味方する決意を固めた湛増は総勢二千余人、二百余の舟に乗って壇ノ浦に出陣、源氏の勝利に大きく貢献したとのことです。
ちなみに赤白どちらの鶏が勝ったかですが、白は源氏のイメージカラーなので、ご想像の通りではないでしょうか。
境内には紀州徳川家に仕えた安藤直次公(藤巌公)を祭った藤巌神社と、弁慶社があります。また、西に少し行った先の扇ヶ浜の緑地には熊野水軍出陣の地碑があります。伝承が本当なら弁慶はMVP確定ですね。

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朝田 辰兵衛

夕食後の散歩で…🐾 (2025/04/19 訪問)

夕食後の散歩レベル。特別に緊張感もなく散策できると思います。細長い土塁上に参道が築かれています。

4/26~29の間,遠征に行ってきます。書き込みはお休みします。

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しんちゃん

小松原館 和歌山県御坊市湯川町 (2025/03/30 訪問)

小松原館は戦国時代、日高平野一帯を支配した国人領主・湯河氏の居館です。居城は亀山山頂に築かれた亀山城ですが、「山高くして寒気強ければ」との理由で、平時は麓の居館に住んでいたようです。戦国時代とはいえ、戦の無いときはやはり山上は不便ということでしょうか。湯川神社の境内が館跡で、堀の一部が残っています。
戦国時代と関係はありませんが、紀勢本線の北側に少し行った道の脇に、藤原不比等の養女となり42代文武天皇の后になった宮子姫(かみなが姫)の像があります。

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しんちゃん

新田館 国指定史跡新田荘遺跡 (2025/02/02 訪問)

案内板によると鎌倉時代の世良田は新田荘の経済的、文化的中心地であり新田宗家の館がこの総持寺の境内に築かれていたようです。往時は現在の数倍にあたる面積を有し、南と北に東西に走る濠の痕跡を有し、昭和の初期までは土塁の残存を見ることが出来たそうです。
元弘3年(1333)鎌倉幕府執権・北条高時が世良田の地に莫大な軍資金を課してきた際に、無法な譴責を加えたとして新田義貞は使者の一人を世良田の里に梟首しました。この時、義貞が発した「わが館の辺を、雑人の馬蹄にかけさせることこそ無念なれ」の言葉の内の「わが館」が、この新田館とされています。それだけで首切っちゃうんですかね・・物騒だな。

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飛騨市

4/26(土)~ 山城パネル展示開催!(道の駅アルプ飛騨古川内)

令和6年2月に国史跡に指定された姉小路氏城跡に関連し、飛騨古川の戦国武将と山城を紹介する展示パネルを、道の駅アルプ飛騨古川の情報コーナーに設置しました。

新たに金森氏の増島城や城下町の成り立ちを解説するパネルも加わり、飛騨の歴史をより深く知ることができます。
また、城郭イラストレーター・香川元太郎氏が描いたイラストや、遺作となった未完成のラフスケッチも展示しています。(ラフスケッチの展示は令和8年3月までです)

ぜひお立ち寄りいただき、戦国時代の飛騨に思いをはせてみてください!

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トク

【春の長崎天草を巡る⑦】有明フェリーと島原鉄道 (2025/03/30 訪問)

春の長崎天草を巡る旅、ここから後半戦です。1日だけ所要で福岡へ戻り、ついでに福岡城さくらまつりを見学してきました。そして島原城を目指し、島原半島へ渡る旅からまた始めます。よろしくお願いします。

鹿児島本線で博多から長洲へ行き、長洲港から多比良港(たいら)行きの有明フェリーで有明海を横断して島原半島へ渡りました(写真①②)。デッキに出るとカモメの大群が近づいてきたので(写真③)、「♬かもめの水兵さん~♪」などとのんきに歌っていると、こんな至近距離まで近づいて来て、横目で私をじっと見ています(写真④)。隣にいた小さい子が、かっぱえびせんをポイと投げると、見事にナイスキャッチ!(なるほど~🤔)。

多比良港で下船し徒歩5分の所にある多比良駅から島原鉄道に乗りました。「駅」でなく「驛」の文字で、何かちょっとレトロな雰囲気です(写真⑤⑥)。 でもあれ? 切符の自販機がない? 窓口があったので窓口で切符を買うと何とビックリ! これまたレトロな切符を渡されました(写真⑦)。厚紙にハサミを入れるタイプです。50年以上も前のまだ切符の自販機というものが無い、あの国鉄と呼ばれた時代に見たような切符です。まるで昭和へタイムスリップしたような感覚になる驛でした。ちなみにワンマンで運賃箱もあるので、切符を買わなくても現金で乗れます(笑)。

ずいぶん古い明治大正時代の話ですが、この島原鉄道は明治の新橋-横浜間を走った日本最初の蒸気機関車が払い下げられたのを島鉄の創始者が買い取り、ここには邪馬台国があったと勝手に信じ込み、地元の人からは馬鹿にされながらも、蒸気機関車と雲仙と邪馬台国を島原へ呼ぶための観光の目玉にしようと、諫早から苦労して線路を敷き走らせたのが始まりだそうで、「幻の邪馬台国」という映画(竹中直人・吉永小百合さん主演)で、その様子が描かれていました。

島原駅で降り、次は徒歩10分の所にある(6城目)島原城に向かいます。
 

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③龍泰禅寺・与賀城跡編 ~佐賀城の御殿の一部を改築!?~ (2025/02/27 訪問)

 本丸等を見学し終え、佐賀城外郭の県庁側・西堀を渡った北西側を散策。ここは個人的に佐賀の穴場スポットだと思います。
 住宅地の入り組んだ道を進むと、龍泰禅寺があります。龍泰禅寺は、龍造寺隆信によって創建され、龍造寺氏、その末裔の村田氏の菩提寺です。元々は九州北部の伝統的勢力の少弐氏の居城の与賀城があった場所のようですが、残念ながら遺構は見つけられませんでした。
 歴史的にも凄いお寺ですが、龍泰禅寺の最大の見どころは、オリジナルの佐賀城本丸御殿の玄関を改築した本堂です。
 佐賀市のHPなどで確認したところ、本堂の入母屋造の大屋根と庫裏は明治に解体した佐賀城大書院の部材で作られているとのことです。
 実際に見学してみると本堂の大屋根は入母屋造りで、復元された本丸御殿玄関と確かに似ているように感じます。また本堂左手には、御殿の部材と考えられる華頭窓もあります。御殿のそばの塀の華頭窓のものでしょうか?
 部分的ではありますが、移築されたオリジナルの御殿と復元された御殿の二つを楽しめるお城なんて、全国的にかなり貴重だと思います。佐賀すごいです!!
 続きまして、龍泰禅寺から北上し、與賀神社へ。
与賀城の鬼門の位置にあり、少弐氏が鬼門の鎮守とした神社です。楼門は室町時代に少弐氏が建立したと伝えられており、佐賀県に残る最古の建築物だそうです。与賀エリアの歴史遺産の凄さに脱帽しました。
 与賀エリアを大満足したあとは、佐賀駅近くのドライブイン鳥(佐賀のご当地店)という鶏肉の焼肉屋さんで夕食をいただきました!!
 佐賀は佐賀牛のイメージが強いですが、鶏肉も有名みたいです。一番定食と蜂蜜黒酢カルピスを注文。特製のニンニク胡椒というたれが鶏肉と絶妙にマッチしていて最高でした!!
蜂蜜黒酢カルピスは、意外な組み合わせでしたが、酸味と甘さのバランスが良くて、とてもおいしかったです。
 ぜひ佐賀に行った際に寄ってみてください。

佐賀城の投稿、長々と失礼いたしました。
 龍泰禅寺の佐賀城の移築御殿で参考にした佐賀市のHPなどのURLです。ご参考になさってください。
 佐賀市ホームページ 平安山 龍泰禅寺 
https://www.city.saga.lg.jp/main/4768.html
(2025年4月24日閲覧)
 佐賀市歴史探訪4 龍泰寺の建築部材
https://www.city.saga.lg.jp/site_files/file/usefiles/downloads/s26052_20101216041619.pdf
(2025年4月24日閲覧)

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②本丸編 ~ひな祭りを堪能~ (2025/02/27 訪問)

 外郭を見学し、いよいよ佐賀城の本丸へ。
本丸の入口には、天守台、鯱の門と鍋島直正の銅像が立っています。また鯱の門前には、佐賀県を舞台にしたアニメ『ゾンビランドサガ』のコラボマンホールが設置されています。現存の鯱の門には、鏡柱に佐賀の乱の際の弾痕が残っていました。鯱の門をくぐり、本丸御殿へ。
 幕末期の本丸御殿が復元されていて、本丸御殿前には、野外に幕末のアームストロング砲や鉄製24ポンドカノン砲も展示されていました。
 本丸御殿の玄関を入り、右手の受付で100名城スタンプを押印。御城印も同じ受付で販売していたので、購入しました。本丸御殿では、幕末の佐賀藩を中心とした展示が行われています。訪問時は、トクさんがご紹介されていた江藤新平の特別展が開催されていました。また展示ブースでは、佐賀城本丸の模型や江戸時代の本丸御殿の礎石を見学できるブースもありました。
 外御書院は、佐賀城本丸ひなまつりの会場となっていて、家臣ではなく佐賀市内の小学生が作ったお雛様の作品が勢ぞろいしていて壮観でした。
 本丸に再移築された御座間の内部は、オリジナルの部材ということもあり、他の建物と様相が異なっています。鍋島直正さんとのフォトスポットもありました。
 龍泰禅寺・与賀城跡編へつづく…

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①外郭編 ~広大な水堀がお出まし~ (2025/02/27 訪問)

見どころが多すぎたので、三回に分けて投稿いたします。長文ですが、お付き合いいただきますと幸いです。
肥前鹿島から佐賀行のバスで移動し、約1時間。佐賀城の最寄りの県警本部前のバス停で下車し、散策開始。
バス停からまず外郭を散策。
外郭や本丸など周辺を含めて、見学には2時間ほどかかりました。

① 北御門跡
県警前・県庁前のバス停から水堀を渡りすぐ。佐賀城内に出入りする4つの門のうち、大手門にあたる門の跡です。藩主が参勤交代する際は、この門を利用していたようです。石碑と説明板が設置されていました。

② 北堀石垣護岸
北御門跡から佐賀県庁沿いに東に進み、本丸通りを渡った堀端にモニュメントと説明板があります。堀端の護岸整備のために築かれた石垣のようです。天然記念物の大楠の移植の際に復元が行われたようです。北堀に架かる くすの栄橋 の歩道上から布積みの石垣を見学できます。

③ 南堀・西の丸隅櫓跡
北堀から本丸通りを一気に南下し、本丸跡に行くのを一旦抑えて、南堀側へ移動。南堀も堀幅の広さに圧倒されます。南堀を渡り切り、右手に堀端を進むと、歩道沿いに南堀の南岸の石垣が一部移築されています。
 移築された石垣そばには、歩行者用の橋があり、堀の対岸のシャボン玉公園へ渡ることができます。シャボン玉公園は、佐賀城の西の丸跡にあたり、公園内のテニスコートそばに西の丸隅櫓跡が説明板あります。西の丸隅櫓は、三層四階で、佐賀城の天守に次ぐ高層建築物だったようです。佐賀の乱で焼失してしまったのが悔やまれます。

④ 南西隅櫓台
本丸の南西側隅の櫓台跡。本丸側からも見学可能ですが、道路側からの方が、見やすいと思います。こちらの石垣を少し珍しい亀甲積みで積まれています。

⑤ 東堀・裏御門跡
東堀は、一度埋め立てられましたが、近年になって復元されたようです。
本丸側の裏御門跡はL字状の道になっていて、当時の雰囲気が残っています。また船着場跡も復元されています。
本丸編につづく…

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todo94

日帰りに予定変更の三河攻城⑩ (2025/04/12 訪問)

三河吉田城からの転戦です。住宅地の中の城ですが、豊橋競輪の潤沢な駐車場があるので駐車場所には困りません。大口公園として整備されている部分は市民の憩いの場の公園然としていますが、城の遺構とみられる部分も結構残っていました。この日の攻城はこれをもって終了。豊川インターから、往路は夜間通行止だった東海環状道を経由して、帰着いたしました。

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赤い城

真鍋氏の居城 (2025/04/20 訪問)

この日3本目の山城です。
国道319号線、松山道高架のところに案内板があります。
駐車スペースもあったのでここから登りました。
少し登って折り返し、分岐を左に登ったら登城口です。

登城路は整備されていて歩きやすいです。
途中、案内板も設置され迷うこともありません。
20分くらいで城域に、段になった曲輪に出ます。
石垣もありますが主郭の水波神社を祀った時のものかもしれません。

神社裏手に土塁が残り、その先の尾根には2条の堀切がありますが登山道整備のため埋められていました。
そこから落ちる竪堀は残っています。

真鍋氏の居城ですが、ここも秀吉の四国攻めで小早川隆景の攻撃により落城しました。

【見どころ】
 ・主郭から続く段曲輪
 ・神社背後の土塁と堀切

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シャンシャン

国指定史跡の山城跡 (2025/04/22 訪問)

東広島市にある国指定史跡の山城跡。
曲輪や堀切がよく残っており、一部石垣も確認できる。登山路も複数あり、けっこう大掛かりな山城。
同じ鏡山内にある鏡谷神社もこじんまりしてるけど、拝殿までの石段や山の中の静けさも相まっていい雰囲気を醸し出してる。

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Tokyobay

近世の金座跡地に近代の日銀が (2025/04/19 訪問)

常盤橋御門向かいにある日銀は江戸時代に金座だった場所。因果か?タマタマか?は不明。そして、有名な広重の浮世絵『する賀てふ』が描かれた位置と同じ場所で撮影。三越と日銀・三井本館の通りからは、もちろん富士山は見えない。当時も見えたのかどうか怪しいが・・・。 
※ 『する賀てふ』(国会図書館サイト) https://www.ndl.go.jp/landmarks/details/detail042.html
ちなみに、貨幣博物館は大人も子供も楽しめる施設でオススメ。古代から現代までの貨幣や金融の歴史が詳しく学べる。新たな発見が色々とあり、思った以上に有意義だった。尚、今や常識ではあるが、最古の貨幣は和同開珎ではない。自分は約10年前に日本史の勉強し直して驚いたが。あとは「西の銀と東の金」というのも昨年知ったし、地図に使われる銀行マークって江戸時代の両替商のはかり分銅から派生したってのはこの度初めて知った次第。で、経済学者は否定する電子マネーの貨幣価値を、日銀が堂々とアピールしているのには驚いた。ていうか、貨幣発行元としてそんなことして大丈夫なのか?と逆に心配になったが・・・。

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しんちゃん

法界庵 (2025/04/07 訪問)

どうもすみません。悪気は無いんですよ、本当に。ただ、某城びとさんの記事を見てたら出てきてしまったんですよ「不発弾」が。
他にもいろいろ出て来そうで怖いですな(笑)。しかし、ストリートビューで見てみると双六館もなかなかいかつい・・危ないと思われたら遠景でも十分だと思います(差し出がましいですが)。でも「ゴジラ岩」の写真は見たいです。

若狭野陣屋は浅野陣屋とも呼ばれ、寛文11年(1671)赤穂藩主・浅野長直の養子・長恒が分家して3000石の旗本として陣屋を築いたのが始まりとされています。現在残っている建物は、藩札を作っていた札座と呼ばれる建物であった法界庵と西法寺に移築された陣屋門とされています。陣屋門の方は、今回パスさせていただきました。早く姫路城の桜が見たかったんですよ。
以前、訪問しているはずだけど、昔の写真から探し出すのもメンドイし・・・。

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シャンシャン

秘密基地気分の水城 (2025/04/22 訪問)

小高い丘陵にある水城跡。
登城路も整備されており、曲輪もしっかり残っている。
何と言ってもこの城跡の最大の見どころは海に面した船隠し。引き潮の時を狙って訪問。船隠しの中はちょっとした秘密基地のようで少年心をくすぐられる。
浜辺からは、かつて旧日本軍の毒ガス製造工場があった大久野島が見える(現在はウサギの島として有名)。大久野島の送電鉄塔は200m以上あり日本一の高さ。

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宗春

地元の友人と讃岐・阿波・淡路の城を攻めて来ました ⑤ 引田城 (2025/04/10 訪問)

4城目は引田城。本日既に3城目、しかも山城です。途中までは急坂、途中からは然程急ではなくても岩山登りでした。所々立札で現在地は何となく分かったのですが、肝心の天守台跡に天守台を示す表示が無く、困りました。中途半端に整備するのではなく、キチンとやってほしいですね。

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永良三郎則綱 (2025/04/24 訪問)

 南北朝後半、赤松円心の孫永良三郎則綱が築いたと伝わる城です。標高433mの稲荷山にあり、頂部に主郭を置き南側に曲輪を展開させ、北側は南に比べると尾根が細く堀切で防御している縄張りです。曲輪跡、石積み、堀切などが残っていました。山城賛歌さんのHPの縄張り図では主郭東側に「幅10m、高さ1mにわたる残存石垣跡、最大見所」の記載がありました。行こうとしましたが、倒木(伐採した木?)が折り重なっていて近づけません。場所は間違っていないと思うのですが、少し残念でした。ぴーかるさんの投稿を見て北尾根には行けないかと思っていましたが、通路が整備されていました。北尾根には堀切が2カ所確認できます。主郭の虎口手前の石積みの中に布袋さん?がいました。

 JR鶴居駅から徒歩10分くらいで登城口に行くことができます。登山道は歩きにくい所もありますが、トラロープ等もあり助かりました。主郭まで100mおきに標識があり迷うことなく主郭へ行くことができます。

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朝田 辰兵衛

白岩城攻城で安堵して… (2025/04/19 訪問)

白岩城攻城で安堵し,自分にごほうび的に角館城へ。武家屋敷通りは,外国人観光客がほとんど。桜はまだ開花していませんでしたが…。
この時は「双六館」が残っていると思ってもみなかったので,駆け足で秋田県内を廻った余韻に浸っていました。まったりと…。

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しんちゃん

本丸残存石垣 スタンプあるある (2025/03/16 訪問)

金山城主要部は、日の池の北側に二の丸があり、西手に一段下がって三の丸、東の最高所が本丸で新田神社が祭ってあります。本丸石段下を西手から北側に回り込んでいくと天主曲輪裏馬場があり(この城は天主表記)、本丸の残存石垣を見ることが出来ます。金山城の石垣がどこまで当時の物かは解りませんが、それでもかなりの物であったと思います。北条氏がなぜ、ここに石垣の城を築こうとしたのかも良く解らないんですね。
そういえば百名城・続百名城の二冊目のスタンプ帳で箕輪城のスタンプを押す際に間違って金山城の所に押していました。この場合、箕輪城を空けておいて、テレコにして両矢印を書き加えておくのがスマートなやり方だったんだけど、分かんないから両方に箕輪城のスタンプを押してあります。しょうがないので、箕輪城の上から金山城を押しました・・。

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