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しんちゃん

Re: 日本平  静岡市駿河区 (2022/01/01 訪問)

日本平よ!私は帰ってきた! ガトーさんですか‥
日本平は駿河湾を望む有度山山頂の一帯を指し、富士山が良く見えます。日本平ロープウェーの出発駅があり久能山東照宮に楽して行くことが出来ます。個人的には東照宮に歩いて登るのも、ロープウェーで周囲の断崖絶壁を楽しみながら渡るのも好きなので、東照宮は二回行くで決まりでしょう。日本国内の平原のなかでも特に人気があり、国の名称にも指定されています。最近は開発が進んで、あまり平原という感じはありませんが良いところです。かつては一面 お茶畑だったようですよ。
山頂にある「赤い靴」の像はモデルになった親子が清水区宮加三の出身であったことから建てられたそうです。ちなみに‥私も清水の生まれなんですよ。次郎長通りのすぐ近くで産湯をもらい三歳まで育っています。他にも「日本平夢テラス」「日本平ホテル」「日本平ゴルフクラブ」「日本平デジタルタワー」などがひしめいています。国の名称になった平原はどこへやら、金のニオイがプンプンしてますね(笑)。

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しんちゃん

スイカバー1本 さらしに巻いて~♪    松葉城 (2021/12/31 訪問)

スイカバーと一番槍の組み合わせの良さがおわかりいただけないとは残念至極です。
コスパは最高ですので、ぜひスイカバーのヤリでヒグマと戦ってみてください(笑)。
自由な投稿というか、基本あまり考えずに心の向くままにやっています。内容はユルいですが時々「狂気」がにじんでいます。
ディープな愛=狂気ですよ。ここだけの話ですが(笑)。
実は私「いんげん丸虫」さんの投稿スタイルが好きなんですよ。「いったお城」0城のまんまストイックに城びとの城以外の山城を載せ続ける、シブイですね。まさに城びとの「山んちゅ」です。もちろん零汰さんや皆さんの投稿も楽しみに読ませてもらっています。
そして私、カモシカ大好きです。鹿は「肉」として好きです。鹿をどんどん「に〇」にしてカモシカの生息域をもう少し広げたい‥ユートピア(ほっこり)。
それはさておき松葉城の投稿です。松葉城は静岡県掛川市に存在する山城で蛇行する倉真川に沿って県道81号が走り、県道沿いにアクセスすることが可能です。主郭は粟ヶ岳の山頂にあり登城口から15分ほどで到達することが可能です。そこから尾根上にそって曲輪が続き居館跡である厩平を経由してから県道を歩いて登城口に戻ってきます。道は比較的整備されていますが、非常に良く滑る土壌で散策路やロープが整備されてなければ散策は難しいでしょう。滑り出したら止まらないってやつです。どれだけ滑るかっていうと大分県佐伯市の栂牟礼城跡の本丸周辺の切岸や、高千穂峰の手前にある御鉢の斜面に匹敵します。
城主は今川氏親の被官・河合成信とされ、河合氏の祖は平治の乱(1159)に敗れた藤原信西入道の子・中納宗忠とされ、宗忠が遠海国山名郡川井村に配流されて後に河合氏を称したとされています(城郭大系より)。

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朝田 辰兵衛

台風10号に警戒してください🌀 (2024/06/15 訪問)

すでに九州地方で台風10号は猛威をふるっていますが,充分に警戒してください。今回は日本全国に影響を及ぼしそうです。しかも,移動速度は,私たちの徒歩散策並みという遅さ…🐾

さて,「高擶」ですが,todo94さんが語っておられたように,難読地名であり難読駅名です。高擶駅からは約1.7kmと徒歩圏内。通り過ぎないようにしっかり予習を…。

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カズサン

城址は市役所と小学校 (2024/08/24 訪問)

 山梨県河口湖近くに在る「河口湖飛行館」8月限定開館に合わせて出かけましたので、中央道富士吉田線約20km程走り谷村城を初探訪。現在城址は都留市役所と谷村第一小学校に成っています。

 駐車場:都留市役所の駐車場を利用
 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 都留市役所の玄関の右手に谷村城絵図付きの案内解説板があります、絵図は江戸期秋元氏藩主時代の絵図を昭和17年に子孫の秋元氏が写しを寄贈したものが元に成っています。
 又石碑は都留市役所表門より北東に約50mほどの谷村第一小学校グラウンド側南西角辺りに立っています、表の黒板塀に金色に光った案内板があります。
 市役所の南通りは家中川も流れて外堀の代わり、黒板塀が小学校校門から都留市博物館ミュージアム都留の間に備わって城下町風に醸しています。川には清流が流れて錦鯉が泳いでいました。
 城郭放浪記さんの情報で博物館に勝山城の模型ジオラマがあるとの事で、市役所から前の通りを南西に約200m程の博物館も見学、縄文遺物展示、谷村城勝山城谷村陣屋を含めて都留の城と館の常設展示があり資料をゲットし勉強させて頂きました。勝山城の模型もじっくり確認。(後ほど勝山城で投稿します)

 谷村城は戦国期甲斐が武田氏の領有時代は小山田氏の館、豊臣期は浅野氏の館、詰城勝山城、江戸期には歴代領主の居城となり秋元氏が川越へ宝永元年(1704年)転封に成った折り廃城に、廃城後は畑地として開墾され遺構は残存していない。
 
 続いて、谷村陣屋、勝山城を投稿致します。
 
 

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零汰

みたび城キチ (2022/06/28 訪問)

調べものをしていた時に城キチを見付けました。ローカルワードなのでしょうが気になりました。要約すると、城跡と聞けばどんな城跡でも、藪だ藪だとブツブツ言いながらも結局遺構を見に行ってしまっているのだとか。

こちらの城跡は櫛間城と同日に行きました。投稿しなかったのは危険で主郭に辿り着かなかったからです。城キチではない自分はさっさと断念、こんなメジャーでも無い日本の端に来る人は居ないだろうとほっといていました。そんな場所に城キチSin氏が猛威を振るっていて素直に脱帽。

それ以降こちらの城キチSin氏の投稿を見てみると自由で枠に納まらない、そんな所に魅力を感じてきました。スイカバーは?でしたが高天神城攻略砦シリーズ等は最高、発信されないと目にする事さえ出来ませんから。そんなニッチな情報が得られるのもこちらの投稿の懐の深さでしょう、サイトに感謝しています。そして様々な方向から新たに投稿される方が増えていって欲しいと思います。

南側から訪問しました、先端には2つの曲輪があるのですが展望所設置の為に少なからず変わっています。北の主郭部には海沿いにある尾根を伝って行くようになります。この尾根が150m程で城域に入っています。両側に低木があるのでそれを手掛けにして中腰で50m程進んで行くと海側に傾いた岩があり、海側の視界は開け、前方は樹木の張り出しで見えなくなりました。50過ぎの年寄りが転落などしたらシャレにもならない。さっさとUターンして終了、結局城キチSin氏の攻略した主郭にはたどり着けませんでした。こちらは危険でお勧めできません。来訪された際は遠景や周囲の景色を撮って訪問済とされた方が無難かと思います。

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ぴーかる

星崎城 (2024/07/20 訪問)

【星崎城】
<駐車場他>小学校城跡碑のある階段前の待避所は少しスペースがあるので休校日は停車できそう。
<交通手段>JR笠寺駅から徒歩

<感想>青春18きっぷで濃尾平野ちょこ城巡り第4弾4城目。現地説明板によると星崎城の築城年は不明であるが織田氏に仕えた岡田重善、重孝が城主となりました。1588年に廃城となったようです。
 城跡は笠寺小学校になっていて、丘陵地の頂上にあります。城びとポイントは階段を上がって校門の内側の一角に設けられており、校門越しに見る事ができます。小学校は大きく丘陵地上全体を使った敷地にあり、麓からの比高も結構あるので星崎城は結構大規模な丘城だったと思われます。

<満足度>◆◇◇

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零汰

高低差も少なく散策し易いです。 (2024/07/19 訪問)

こちらの城跡は標高193mの場所にあり、最長部が400m角の範囲に納まる規模です。二の丸まで行く事の出来る林道を通りましたが梅雨明けもあり滑って途中で断念しました。林道分岐に駐車して歩いていくと直ぐに三の丸入口が有りましたのでそこから散策を開始しました。

二の丸~三の丸、三の丸からその先に渡って一部を除き土塁(現地の表示は防塁)が施されています。その距離は200m近くになります。また二の丸には立派な石碑があります。

本丸周辺が見所で、本丸入口から虎口の間に堀切・畝堀や土塁が施されています。本丸は二段になっていて現地縄張り図では一寸分かりずらいでした。本丸には北側と一部南側に土塁があり、南側土塁の背後には7・8本程度の畝堀が残っています。こちらは北九州に多い小波では無く大波の畝堀で最大の見せ場になっています。本丸二段の件、大分城郭報告書では上段は2郭下段が主郭となっており二の丸・三の丸は呼称の無い曲輪扱いとなっています。主郭に関してはその方が分かり易いかと思います。

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しんちゃん

長浜城歴史博物館 (2023/04/09 訪問)

この日の前日あたり、長浜城の桜がきれいだとTVで言っていたので寄って見たら‥終わっとるやんけ。また騙された‥。仕方がないので、まだ元気な桜を探して写真を撮りました。
長浜城は江戸時代前期(1615)に廃城となり、城跡にはわずかな石垣と井戸だけが残されていた状態だったようです。昭和58年に「昭和新城」として現在の建物が建てられ、内部は歴史博物館になりました。2019年に秀吉時代の石垣が見つかり、かつての本丸が想定よりも大きかったことがわかったようです。

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しんちゃん

丸の内ラグビー神社  東京都千代田区丸の内 (2019/10/01 訪問)

この日は千葉に出張に行った帰りに、国会議事堂に行って、江戸城に寄って楠さんの銅像を見て東京駅に向かいました。すると駅の近くの三菱地所の建物の前に「丸の内ラグビー神社」なるものが有ったので寄ってみました。
ラグビーに特化した神社のようだけど、何を頼めばいいんだろう? とりあえず無心で参拝します。隣のベンチにはジョージア出身の力士・栃ノ心剛史氏の銅像が有ります。ラグビーのボールを持っていますが、写真ではお腹の肉をつかんでいるようにも見えます。しかしなぜここに? 隣にはチコちゃんの等身大らしき人形が‥ みんなここで写真を撮っていくんだろうか?
帰りに東京駅でウニ丼を食って帰りました。城びとと関係ないって? それはチコちゃんに聞いとくれ。

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しんちゃん

梁川城と大枝城 松川の戦いに於いて対峙 (2019/08/12 訪問)

梁川城‥福島県伊達市(城びとの城)
梁川城は伊達氏11代・持宗から14代・稙宗の時代まで伊達氏の本拠として機能していました。蒲生氏が移封され、上杉景勝が会津に入ってからは伊達政宗への対策として大規模な改修が加えられたようです。
現在は本丸跡に梁川小学校があり、伊達氏梁川遺跡群として国の史跡に登録されています。

大枝城(袖ヶ崎城)‥福島県伊達市(城びとの城ではない)
大枝城は伊達氏一門の大枝氏の居城とされています。慶長5年(1600)10月に勃発した松川の戦いにおいて伊達氏は上杉氏の梁川城を攻撃するため、阿武隈川の対岸にある大枝城に片倉景綱を入城させたと伝わります。松川の戦いに関しては諸説あるようですが、上杉軍の必死の抵抗により伊達氏は旧領を回復することは出来なかったようです。
大枝城の入口は北側に付いており、堀切を挟んで三の丸・二の丸が配されているようです。本丸は南側の丘陵に築かれ、祠と城址碑があり、阿武隈川を挟んで柳川城跡を俯瞰することが出来ます。

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しんちゃん

国会議事堂 どこにあるかはご存じかと (2019/10/01 訪問)

どーも城キチです。櫛間城 ‥なつかしいですな。ひょっとすると城びとを始める前の方がストイックだったかもしれません。でも城びとに投稿させていただくことによって、登城中もいろいろと考えるようになり、城めぐりの幅が出てきたような気がします。
傍から見れば変態の度合いが増しているだけかもしれないけど。
オススメの城は兵庫県淡路市の岩屋城です(ウソ)。
以前、仕事で千葉に行った帰りに東京駅で仲間と別れてひとりで国会議事堂に行ってきました。受付で応募すると見学させてもらえるんですよ。意外とすんなり入れました‥ど~も~怪しいものです。
国会議事堂は昭和11年(1936)11月に帝国議会の新議事堂として完成しました。正面から見て右側に衆議院、左側に参議院が配置されています。同年の2月には、あの「二・二六事件」が勃発し、波乱の幕開けとなってしまいました。竣工式を行った時の首相が、後にA級戦犯として死刑になった広田弘毅氏です(合掌)。
構造は鉄筋コンクリート造りで外壁には三種類の花崗岩を使用しているそうです。内装にも日本全国から取り寄せたさまざまな石材を使用しており「石の城」と呼んでも差し支えないほどの豪華な造りになっています。

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朝田 辰兵衛

雨予報,宮島をあきらめココへ…☂ (2024/06/22 訪問)

JR徳山駅から山陽本線を東へ。晴れれば宮島と思っていたんですが,雨なので断念しました。
JR廿日市駅で途中下車。桂公園へ向かいました。地形図を基に現地を散策してみると,西側は削平されて住宅地となっている様子。ほぼ間違いないと思います。

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零汰

ここにも城キチ (2022/06/28 訪問)

こちらの城跡には2年前に訪問しました。遺構は残っていて見る事は出来ましたが自分さえ知っておけばいいやと投稿はせずにほっといていました。理由は簡単、汚写真だからです。このところ城跡毎に振り返りをしていました。こちらを見ていたら荒れた城跡に突撃して訪問している。ここでもまた城キチ発見。仮に城キチSin氏と呼んでおきます。地元周辺の荒れて見る為だけの城跡を真剣に訪問して発信してくれるのは素直に嬉しい。それにやりがいも出てきます。

遺構は無いとのことですが地図を見た所北と東には遺構が残っている様に感じ見れたらラッキー程度で向かいました。北側は城キチSin氏と同じ小竹の茂みから侵入し曲輪と土塁を確認。崖の高低差が高いからでしょう土塁が一律1.5m程の高さで全周回っています。東側には入口らしい場所が有り、進んで行くとそこが虎口の様に見えます。降りていくと大小3つほどの堀切道だか空堀を見る事が出来ました。

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ぴーかる

重原陣屋 (2024/07/20 訪問)

【重原陣屋】
<駐車場他>浄福寺駐車場
<交通手段>JR刈谷駅から徒歩

<感想>青春18きっぷで濃尾平野ちょこ城巡り第4弾3城目。重原陣屋は1792年、陸奥国福島藩の板倉勝長が三河国1万石の所領を得て、碧海郡下重原村に陣屋を築きました。明治元年には板倉勝達は重原藩2万石を与えられ、陣屋を藩庁としましたが、明治3年に廃藩置県により廃止となりました。
 陣屋は猿渡川の河岸段丘の縁に築かれていたようで、城びとポイントの空き地から南側が下がって高低差があります。浄福寺前に石碑があります。JR野田新町駅近くの願行寺・秋葉神社に移築表門と移築書院玄関がありますが後から知って見落としてしまいました。

<満足度>◆◇◇

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零汰

栂牟礼城 の支城とも (2024/07/19 訪問)

こちらの城跡は北東に向かって突き出しており、3方は一部を除き崖となっています。堀切から最東端の曲輪迄70m程の長さの小規模な城跡です。案内板では栂牟礼城 の支城と書いていますが直線距離で12・3km程離れています。ちょっと遠いですよね。

古城盛衰記さんの情報により表示板より西へ100m強進んだ擁壁の裏から直登しました。ここには赤テープがぶら下げてあります。どうやらこちらが正規のルートみたいです。樹木の幹を手掛けに登らざるを得なく完全に直登だったのですが。

尾根に到着すると2か所の堀切が有ります。外部側は浅くギリギリ堀切と呼べる感じ、内部側はしっかりとした堀切が入っています。縄張り図には5段の曲輪と有ります。主郭は5x10程度の平滑部、そして北側に一部土塁があり、主郭脇の腰曲輪も平滑になっていますが、最東端の曲輪迄は全体的に自然地形で緩やかに下がっているように見受けられました。その他の主だった遺構は目に付きませんでした。

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しんちゃん

台場公園(品川第三台場)お台場ビーチ (2018/08/26 訪問)

嘉永6年(1853)ペリー来航に際して幕府は6つの台場を築造しました。現在残されているのは第三台場と第六台場で、第六台場は会場で保全され、第三台場は台場公園として「お台場ビーチ」から歩いて渡ることが可能です。
この日は夏の青い空が広がり、海もキレイだったと思います。

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しんちゃん

薩摩土手(駿府御囲堤) 静岡市 (2021/02/28 訪問)

静岡市史によると、慶長11年(1606)薩摩藩主島津忠恒公が徳川家康公の命により井宮妙見下より弥勒まで約4kmに渡って築堤したのが薩摩土手と言われています(案内板より)。実際は薩摩藩がかかわったという明確な根拠が見付かっていないようですが、伝承として「薩摩」の名が根強く残っているようです。2017年に公益社団法人土木学会選奨の土木遺産に認定されています。
土木遺産というと橋・トンネル・堰・ダムなどが多いですが、灯台なども含まれるようです。

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にのまる

夏の夕暮れ (2024/07/28 訪問)

ニッポン城めぐりアプリのイベントの忍城の戦い限定武将5名を江戸城で一気にゲットできる期限が3日後に迫っていたので、伊勢崎陣屋の帰りに両毛線と上野東京ラインで一気に東京駅へ向かいました。18きっぷを使う日に行けばお得(^^)という目論見もありました。

但し武将たちをゲットできるのは“江戸城の狭い範囲”。この日の閉門時間の18時を既にまわっていたので、門の外からゲット出来るか微妙なところでした。
丸の内駅前広場を抜け、まずは桜田巽櫓へ。ここではゲットならず。それではと大手門へ移動。ここでもゲットならず。ですが、閉じられた門がとても新鮮で、暫し感慨に耽ってしまいました。夏の夕焼けと相まっていにしえのお城の雰囲気をあたり一面に漂わせています。なりゆきで閉門後に行ったのですが思わぬ幸せを味わうことができました。

なかなか武将ゲット出来ないのは天守台から遠いせいではないか?北桔橋門まで行けばきっと……と内堀通りを向かいました。歩きながら間近に見る金色に輝く水堀の美しさも格別で、季節や時間帯によってこうも違うものなのかと驚きでいっぱいでした。現役の役割を終えた現在のお城が見せてくれるもの、伝えてくれるものを享受できるありがたさを思いました。さらにはお城を見尽くしたという日は生涯来ないだろう、来ないほうがいいとさえ思えてきました。

 限定武将5名は平川門でゲット出来ました。北桔橋門まで歩く覚悟だったのでホッとしました。
ポチポチしながら、遊びながらのお城めぐりもとっても楽しいです!

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しんちゃん

和歌山城 天守曲輪 (2024/02/25 訪問)

和歌山城天守曲輪に到着しました。天守二ノ門(楠門)に隣接しているのが天守二ノ門櫓で二ノ門に直結しているのが南多聞櫓になります。姫路城と同じ連立式天守になっており、北西に乾櫓、北東に小天守、南東に大天守が配され、それぞれ西多聞櫓。北多聞櫓・渡り櫓で連結され内部をひとしきり移動することが出来ます。復興天守ゆえ雰囲気はそれなりになりますが、内部をひとしきり歩いて見学できるのは良いことではないでしょうか。

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しんちゃん

並木屋敷(衣川柵) (2017/05/02 訪問)

城びとに登録されている衣川柵は永承元年(1045)の頃には安倍頼時の政庁であったとされています。当時は桜並木に囲まれていたとされ、康平5年(1062)安倍貞任が撤退すると、翌年から永保3年(1083)までの20年間に、安倍氏に代わって奥六郡を支配した清原武則・武貞・真衡の三代の政庁か居館があったとされています(案内板より)。
衣川柵と呼ばれるようになったのは清原氏の支配になってからとのことです。

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