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しんちゃん

舟ヶ谷の城山 静岡県御前崎市・虎松(井伊直政)の恩人・新野左馬助親矩の城 (2021/02/13 訪問)

舟ヶ谷の城山は新野地区の平野部に伸びた牧之原台地の支稜の先端に築かれており東西にも支稜が伸びています。新野地区は谷間となっていて新野川が流れており、舟ヶ谷の城山は要害の地に築かれているといって良いでしょう。
残念ながら本曲輪は採土によって消滅していますが登城道から1号堀切~7号堀切と遺構が連続し、いずれも状態は良いです。大きな曲輪は残っていませんが堀切を楽しみながら北曲輪まで行くことが出来、土の城の教材としても活用できる良い城跡です。
城びとの城は3000も有るのですが、その中に入っていない良い城がゴマンと有ることを考えると、逆に3000しかないのか‥とも思ってしまいます。静岡県も武田・徳川・今川・北条と四大勢力が競い合っていた立地条件なので良い土の城がたくさんあります。

城主の新野左馬助親矩は井伊直虎の母・千賀(祐椿尼)の兄とされ虎松(井伊直政)の命の恩人として知られています(詳細は次回で)。大河ドラマ「おんな城主直虎」では大ジジ様の存在感が大きかったので印象は少し薄いですが覚えておられる方も多いと思います。

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チェブ

咳の神様になった老兵。 (2024/08/12 訪問)

以前 投稿した「馬加城」から「米本城」へ転戦しました。
この日は35度の猛暑日。「馬加城」跡地に建つ例のマンション見学だけでは、もったいないと思い欲をだし「米本城」へ。
『米本城跡解説板』を目指してドライブです。

『城橋』を渡り左折。「米本城」を半周するような感じで進みました。
アパートの近くに説明板があり、後ろに土塁があります。左側に緩く下り坂。郭は畑になっていました。
説明板には『咳の神様』の記載がありました。
茂みに隠れていた老兵が、咳をした為に見つかり殺されてしまったそうです。
老兵のお墓参りをすると、咳がなおるんだとか。

車は舗装された道路に路駐したので、辺りの写真を写して退却しました。

私の勤める会社は年齢層が高く、咳やら咳ばらいやら 賑やかです。私もその内の1人で、飴ちゃんをばらまいてます。
涼しくなったら『咳の神様』にも飴ちゃんを御供えに来よう。と、再登城を体調で思い出せる「米本城」攻めでした。

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にのまる

18きっぷで。 (2024/07/28 訪問)

18きっぷを使って、はじめに以前から行ってみたかった上越線の土合駅へ。日本一のもぐら駅の階段を駆け上ったあと、水上→新前橋を経由して伊勢崎へと足を延ばしました。
土合駅の地下ホームは寒いくらいでしたが伊勢崎駅に降り立つと真夏の日差し☀️
駅のミストシャワーが気もちよかったです。

「武家門通り」「曲輪町」と歴史を感じる文字が目に飛び込んでくる中、同聚院の武家門と旧時報鐘楼を見学しました。
その後、他に見どころはないかと辺りを見まわしていると、
①町田佳聲生家
②相川考古館
③いせさき明治館
④からくり広場
の案内がありました。
いずれも旧時報鐘楼(伊勢崎陣屋跡とされる市立北小学校)から徒歩数分圏内ですが、いちばん興味の湧いた③いせさき明治館に行ってみました。元内科医院の旧館で市指定の景観重要建造物とのこと。とてもすてきな建物でした。
伊勢崎訪問は多分初めてだと思いますが、歴史を大切に継承しながら新しいまちづくりに取り組んでいるのだなという印象をもちました。

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朝田 辰兵衛

陣屋の玄関が,城の本丸跡に遺る… (2024/06/15 訪問)

直江兼続率いる上杉軍によって,山辺城は落城。その後,最上義光の四男・山野辺義忠が山野辺城主に。義忠は山野辺城の完成と城下町整備に力を注ぐ。しかし,元和8(1622)年に最上氏改易となり,山野辺城廃城および破却となりました。
陣屋は,文政6(1823)年に,白河藩・阿部氏が出和国の飛び地を支配するため,旧二の丸内に造成しました。
それから,幾多の変遷を経て,城の本丸跡に遺っています。

ふぅ~,これで城と陣屋がリンクしました…<笑>。

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しんちゃん

志太郡衙。 大和国家が出来上がってくる頃の遺跡。 (2021/02/27 訪問)

志太郡衙は藤枝市にある、およそ1300年前の郡衙の遺跡です。大宝元年(701)に制定された大宝律令によって、国の仕組が固まりつつあり、国の都を「平城京」とし、天皇を中心に中央の貴族によって政治が行われ、全国を「国」「郡」「里(郷)」に分け「国府」「郡衙」「駅家」などの地方官衙が設置され、「国司」「郡司」「里長」がそれぞれを治めるようになりました。
志太郡衙は古代駿河国志太郡の郡衙の遺跡とされ、国の史跡に指定されています。

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零汰

鯉作城:熊本県玉名郡南関町:城と絶景 (2022/02/09 訪問)

何回目かの熊本侵攻の際に行った城跡です。城郭放浪記さんでこの場所を知り近くに侵攻する際は絶対に行くと決めていた城跡でした。

東西に長い主郭部には2つの曲輪、そして腰曲輪が片方の主郭部曲輪に馴染んでいっています。小さいながらもはっきりとした虎口とギリギリ横堀と言えるような箇所。たったそれだけの遺構しかない小さな城跡です。日頃、遺構遺構と考えていてもこんな城跡に来てしまうと探す事を辞めてしまう。神社も程よく馴染んでいますし、適度に残った樹木も雰囲気がいい。何より下界を見下ろす景色がそそられます。

ですがここに来るまでは中々大変、囮林道に騙されたのもありますが歩きで往復7km強、時間は2時間近く掛かりました。それでもこちらに訪問出来て満足出来ました。


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零汰

大阪港へ、タイムアタック滋賀:後編 (2024/05/27 訪問)

前編より

11.八町城(写真1)→12.那須城(写真2・3)→13.肥田城(写真4・5)→14.下之郷城(写真6・7)→15.尼子城(個別投稿)→16.高宮城
→大阪フェリーターミナル→帰宅

以上で延べ23日間、総走行距離約7300km、訪問した城跡約130城(うち石碑や標柱のみや立入禁止など60城程)。絶景ロードを走りながら、景色を楽しみながらの割には想像以上の成果でした。

今後、早いうちに行きたい所として、沖縄本島50城訪問と、壱岐対馬60城侵攻は済ませておきたいかなと。きっとこの二つの地方は北海道と同じく本土とは雰囲気の違う城跡が待っていると楽しみにしています。それにそんなに距離も走らなくて良さそうなので現地でスーパーカブでもレンタルして絶景見ながらトコトコ廻って行けたらいいかもしれない。

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たか

勝頼のことを知ることができた (2024/08/18 訪問)

諏訪御料人…初めて知りました。
諏訪頼重の娘で信玄の側室、そして勝頼の母。
信玄が滅ぼした諏訪家の娘が後の武田勝頼だとは。
説明文には諏訪氏の通字「頼」を使っているので、信玄は諏訪家を継がせようと考えていたと書かれていました。

高島城は浮城と呼ばれるというのに諏訪湖が遠いなあと思っていたら資料を見て納得。
以前はやはりお城のところまで湖があり、その後干拓などで現時点まで湖が下がったとのこと。
地盤が軟弱なため沈下しないように大木で組んだ筏の上に石垣を積んだと説明にあり、非常に過去の築城に対する研究や対策に感心しました。
あと天守台石垣修理の際に借り受けの櫓を作って梃子の原理で持ち上げたとなっていました。
やはり重機の無い時代に工期短縮などを考えたところに感心してしまいます。

みなさんのお城に対する気持ちがとてもよく伝わりました。
最後に注意ですが櫓内にあるスタンプですがわたしが押したときインクが大量でベチャベチャでした。
わたしは試し押し用の紙を持参しているので良かったのですが備え付けがありませんので用意していった方が良いです。
ちなみにその日わたしの前の方かもしれませんがそのインクが台についていて危うくスタンプ帳が汚れるところでした。
気を付けて確認しながら押印されることをお勧めします。

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たか

函館以外にも! (2024/08/18 訪問)

五稜郭が2つあるとは知りませんでした。
出会いの館に行って親切なおばちゃんから麦茶を頂き、資料をじっくりと拝見。
たしかにしっかりと星形になっています。
御城印及びスタンプをゲットし、いざ登城。
と言ってもぐるりと一周しただけですが(笑)
しかしきちんと歩いて回れるように草を刈ってあるところに有難みを感じます。
とても天気が良く新緑が光って見えます。

一周した後にふと見るとお城とは関係ありませんが「北斗の拳マンホール」が。
ここにはリンとバットのものでしたが佐久市内には北斗七星の形に配置されているみたいです。
佐久市出身の武論尊さん協力でコラボしているそうです。
ファンの方はこれもぜひ見学されてみては?

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たか

久しぶりの登城 (2024/08/18 訪問)

約8年ぶりの登城になります。
当時は子供も小さく城址を見て回るというより動物園がメインでした(笑)
今回はわたし一人という事で自由に散策ができます。
珍しい穴城と共に以前に石垣が印象的だったので楽しみにしていました。

まずはスタンプと御城印をゲットして登城。
二の丸跡は上田合戦の徳川本陣跡とのことでした。
黒門橋を渡りいよいよ本丸跡へ。
懐古神社にご挨拶した後に天守台跡へ。
そうそう、この眺めにこの松の枝っぷりが昔を思い出しました。

天守台を降りて今度は下方向から天守台の石垣を見ると天気も良く松がとても青空に映えます。
石垣も非常に美しくダイナミックです。

お城とは関係ありませんが、城址を堪能して駐車場に向かうとSLのC56があります。
SLはとても大好きです。
D51とはまた違う魅力がありました(笑)

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栃木西方城

にしかた子ども夏まつりに参加します‼ (2024/08/23 訪問)

※台風10号の影響により予定しておりましたイベントが中止となりました。
 ご了承ください。

 地域の方々とみんなで楽しむ「にしかた子ども夏まつり」に栃木市文化課文化財係
西方城グループも参加します🎐
 西方城にちなんだ楽しい企画を用意していますので城びとの皆さま、城びとの情報を見てくださった方
ぜひお越しくださいね!お待ちしております(*^-^*)

イベント にしかた子ども夏まつり
開催日時 令和6年8月31日(土)15:00~
場所   関東ホーチキにしかた体育館(栃木市西方総合文化体育館)
所在地  栃木県栃木市西方町本郷1705-1

主催 にしかた子ども夏まつり実行委員会
共催 お問い合わせ:栃木市
TEL 0282-92-0316(栃木市西方公民館)
URL https://www.city.tochigi.lg.jp/site/tourism/17966.html

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赤い城

博労淵砦 大阪市西区 (2024/08/12 訪問)

大坂冬の陣、博労淵の戦いがあった場所です。
城びとは未登録、地下鉄西長堀駅から徒歩で10分くらいですが遺構も標柱も説明板もありません。

跡地とされる場所は駐車場になっています。
近くに木津川が流れ、ちょっとした公園になっています。
木津川にかかる伯楽橋が唯一その名を残している感じでしょうか。

砦跡にはロマンの他には何も無いのでグルメレポートです。
この日のお昼は千とせさんで肉吸いと小玉。
有名店です、開店直後にもかかわらず長い行列が出来ていました。
花紀京が二日酔いで同店を訪れた際に「肉うどんのうどん抜き」と注文したのが発祥だそうです。
やはり発想が奇抜、そして美味しかったです。

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宗春

夏休み中にちょっと城めぐりしよう その4 (2024/08/19 訪問)

会社の夏季休暇にいくつか城めぐりしました。
4城目は松本城。

名古屋から関東にUターンするにあたり新幹線ではなく中央線経由で、松本城に寄って帰って来ました。
松本城は何度も来ていますが、松本市役所の展望フロアから松本城を一望するという新たな撮影スポットを知ったので行ってみました。1枚目の写真がそれです。

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朝田 辰兵衛

「三矢の訓」はここで…🏹🏹🏹 (2024/06/21 訪問)

JR下関駅から山陽本線を2時間ほど進んだところで途中下車。JR新南陽駅から,徒歩約5分の駅チカ物件です。
あの毛利元就公の教訓状発祥の地です。駅は無人駅でしたが,もうちょっとPRしといた方がいいのでは…と感じました。

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しんちゃん

禁止です (2024/05/03 訪問)

太田道灌屋敷は太田小学校の周辺が推定地とされています。案内板などは見当たりませんが、周囲は急坂になっていて要衝の地であったことが伺えます。太田小学校の名前に主の名残があるようですが、関係性は不明です。
校門のところにやたらと「~禁止」の注意書きが張ってあります。「犬の散歩禁止」まであるのか‥ 「Uターン禁止」でかいな。
禁止、禁止って禁ハラですわ~(ウソ) とりあえず「不審者禁止」と書かれないように気を付けます。

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しんちゃん

登城道の東西に遺構が残る。 (2024/05/03 訪問)

鷹の巣城は案内板のある郭に至る道の東西に城域が広がり、それぞれ郭と土塁を有しています。それぞれの郭には扇状地形が付いており、三日月掘のような堀跡が残っており、西側の遺構の方がよりはっきり残っているようです。
鷹の巣城は小田原北条氏が築いた箱根山の城の一つとされていますが、家康公も鷹の巣城を落城させた後、しばらくここに滞在したとあるので、その間に改修が成されたかどうか興味が湧くところです。家康公はこの後、ここを引き上げて今井陣城に移り、鷹の巣城は廃城になったそうです。

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零汰

城と絶景 (2019/10/05 訪問)

こちらの城跡は遺構を見ながら絶景を味わえる所です。こちらは主郭部は山頂に有り、南に0.5km北に2.4km、合計3kmに渡り稜線に沿って11か所の城館を配置する城跡です。味見峠の登山口から主郭部に辿り着く間にも、砦と表示されてたり、小高い山があるのですがここら4か所が城館跡らしく遺構も残っているようです。当時の自分はそんな知識も情報も無く、絶景に打ちのめされて目的である遺構を探す事を忘れてしまう程でした。

主郭部は南北に約300m程有り、片方からこれ程の範囲の城跡全域を見渡せる城跡は中々無いのではないでしょうか。通常は山の上で樹木に覆われた中を散策して全体像は縄張り図でしか把握できないです。九州で樹木が無く主郭部全体が把握できる城跡は、福岡の鷹取山城、大分の伐採山城、佐賀の隣り合わせの2つの城の基肄城・木山城が思い付きますがその中でもこちらの城跡は高低差があり見渡し易くお勧めです。これも地域の方々が保存に尽力されているからの賜物なでしょう。

が、遺構に関して主郭部は少々少な目。大きい堀切と各曲輪の土塁位です。南に下がると堀切が2か所、その先に2つの城館跡が有るようですが軽い気持ちでは見る事が出来ないのではないでしょうか。

写真7は登山道でとても登りがキツイ場所です。訪問した日にこの坂道の先で地元の保育園?幼稚園?の園長と保母さんが草刈をしていました。話をした所遠足でこちらの城跡に登るんだとか。「あの坂道を、小さな子供が。」この話を聞くとこの城跡が確実に地域と密着している事が分かります。

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しんちゃん

志太郡衙(しだぐんが)跡  静岡県藤枝市 (2021/02/27 訪問)

志太郡衙跡は8世紀前半~9世紀前半ごろ(奈良・平安時代)の駿河国志太郡の郡衙(郡司の役所)の跡で国の史跡に指定されています。
西側に資料館が併設され、南側一帯に丘陵が配されています。発掘調査によって掘立柱建物30棟や板塀・門・井戸・石敷道路などの遺構が
発見され、発見された260点あまりの墨書土器から「志太」の地名や郡司の官職名などが判明したそうです。
史跡公園として整備され、井戸・門・一棟の掘立柱建物・石敷道路などが再現されており見学が可能です。

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零汰

大阪港へ、タイムアタック滋賀:前編 (2024/05/27 訪問)

久保田城を断念した後は高速道路で南下、途中のSAで作戦をたてました。横須賀港深夜初のフェリーを当てにしていましたがこの日は日曜で運休で不可能。全て陸での九州到達はちょっと無理。結果静岡の快活クラブで1泊して次の日の大阪発のフェリーで帰る事にしました。

時間的に午前中は時間が出来そうなので、途中に琵琶湖周辺の山城を2か所位訪問しようと考えて天気予報を見ると関西全域が雨予報でした。バイクだと雨では容易に寄り道する事すら楽ではありません。結局は大阪に向けて滋賀県で大阪方面に向けて雨具装着の上でタイムアタックを決行しました。

1.山上陣屋→2.山上城→3.青山城→4.大森陣屋→5.鯰江城→6.畑田城→7.平居城→8.我孫子城→9.目賀田城→10.吉田城→後編に続く。

青山城は遺構がありそうでしたが寺院の裏手で入り込めず、大きく裏に廻ったのですが一寸入れる雰囲気ではなかったです。目賀田城は立派な土塁を保存している公園でしたが多くの先輩方が投稿されていたので石碑写真のみとなります。

後編に続く。

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織田信康 (2024/08/22 訪問)

 今年2度目の登城です。近くまで来る機会があったので寄ってきました。子供の頃から何回も登城し、ここへの投稿も複数回になりますが、木曽川の断崖沿いに見える天守閣は見飽きることのない好きな風景です。今回は天守閣周辺のみの散策でしたが、夏休みも終盤で平日ということもあり比較的人は少なかったですね。ただ暑いのでさらりと散策しました。

 城下町を歩きましたが、暑さに耐えかね「犬山ぐーまる」という三店舗があるフードコートで「げんこつソフト」をいただきました。黒みつきな粉をかけた黒糖アイスに白玉団子とあんこが乗った犬山名物げんこつ飴をイメージしたソフトクリームです。

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