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チェブ

樅の木は残ってた! (2024/05/04 訪問)

前回 の「中村城」と、こちらの「船岡城」は大河ドラマ『樅の木は残った』繋がりで投稿します。
『樅の木は残った』は仙台藩の伊達騒動を描いてます。

「船岡城」は伊達 政宗さんの家臣 原田 宗資さんの居城です。宗資さんの息子 原田 宗輔さんが『樅の木は残った』の中心人物です。
この方、悪人のイメージだったのに、ドラマでは悪人を演じて伊達家を救ったヒーローに画かれました。最後は殺されてしまいます。

「船岡城」は桜で有名な城址公園です。
大きな駐車場は、桜の季節が過ぎた5月でも いっぱいでした。案内板には「船岡城」の遺構は記載されてません。三ノ丸広場があるので、そちらを目指して歩きました。
因みに、「船岡城」は伊達騒動の事件後、幕府の命令で建物は壊されました。土も掘削され棄てられたんだとか。この事が影響しているかは分かりませんが、遺構は見当たりません。
でも、たくさんの草花が植えられていてます。
途中に『樅の木は残った 展望デッキ』があります。
樅の木は残ってました。
デッキからは遠くの山々が見えます。
下を覗くと『しばた千桜橋』が見え、東北本線の電車をカメラに納めようと、大勢の人がカメラを構えてました。

「船岡城」に行くまで『樅の木は残った』を知りませんでした。
実は、『樅』も『モミ』と読めませんでした。
何の木が残ったのか、後から知った「船岡城」攻めでした。

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平岩茂直 (2024/05/09 訪問)

 平岩茂直が楠氏挙兵に応じて築いた城です。
山頂部の曲輪と帯曲輪が確認できます。その場所だけでは狭いのですが、説明板によると周囲の山で平らになっている所が出丸の跡と書いてありました。
 河南町平石地区の大阪府道704号竹内河南線沿いに平石城を示す標柱があります。その道を入って行くと左手に草に埋もれていますが平石城への標識があります。その一本奥の道の側に石碑があり、そこからも行くことができます。両方の道は合流し10分くらいで城址へ行くことができます。

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石川総長 (2024/05/09 訪問)

 膳所藩主石川忠総の次男で大坂城番に任命された石川総長によって築かれた陣屋です。
石垣が残っているとのことでしたが、草でほんの一部しか見えません。近くへ行くと草の間から石垣が見えます。

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嶽山合戦 (2024/05/09 訪問)

 南北朝時代に楠木正成によって築かれた城ですが、室町時代中期には足利義政に家督を奪われた畠山義就が籠り、応仁の乱の前哨戦嶽山合戦の舞台となりました。
 亀の井ホテル富田林の裏にあるテニスコート横の小径が登城路です。石碑と説明板がありました。昭和58年から行われた発掘調査で遺構は発見されていないとの情報もあったので山の中の散策はしていません。

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todo94

金谷城特別公開前日の城めぐり① (2024/04/13 訪問)

4月14日の金谷城特別公開の予約が取れたため、新年度最初の城めぐりの行き先は首都圏に定めました。まだ献血をしたことのない海老名献血ルームに向かって城めぐりを進めます。とある煩悩の登城目録さんと同様、下溝駅より徒歩にて登城しました。「上磯部の土塁」の奥がグーグルマップのポイントになっていますが、私有地のため立入禁止です。献血の予約時刻の関係で能徳寺や御嶽神社へも脚を伸ばしませんでした。

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しんちゃん

ぶらり田原城 愛知県田原市 (2024/04/28 訪問)

この日はちょっとした用事があって、ふらりと田原城に行ってきました。近世城郭の跡なのに人が少ない‥GW中なのに。せっかくなのでゆっくり散策してみます。城址正面の桜門の表側はイチョウの木、裏側はもみじの木が植わっています。いずれも今は青モミジの状態ですが、これはこれで良いと思います。かつての蓮池跡は駐車場になっており、そこから続く堀跡にはアジサイが植樹されているようです。
イベントをやったり、企画展を開けばもっと人は集まると思いますが、マイペースなのも田原城らしいとも言えます。紫陽花の季節、紅葉の季節に散歩がてら寄ってみるのも悪くないと思いました。
なんといっても田原城は渥美半島一の有名人、渡辺崋山ゆかりの城であります。歴史の教科書にも載っていましたし(美術だったかな?)。

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天守無しがアツい

北条氏照の居城 (2024/05/06 訪問)

(八王子市HPより)https://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/002/005/p003412.html

JR八王子駅からバスで20分の所にある滝山城址🚌 バス停からファミマが見えるのですが、それとは反対方向に進み、案内板に従って竹の茂った坂道を進みます(というかもうそこからが城址の敷地内なんだけど)

三の丸→二の丸→と進みます🚶‍♂️ 途中、封鎖されてる道および場所が3箇所(そこは脇道なのでそのまま進む分には支障は無いけど)ありました。中丸に着くとトイレがあり、レジャーシート敷いたファミリーがおり、そして城址というか滝山公園という名前で案内板(1枚目)がありました

北条氏照(小田原北条氏3代目氏康の次男、4代目氏政の弟)がこの城を居城としており、永禄十二年(1569年)には小田原城に攻め込んだ武田信玄がここを包囲…周辺の村々を焼き払い(城こそ落ちなかったものの)甚大な被害を受けた模様🔥🏠

(本能寺の変が起きた)天正十年(1582年)ごろから、ここより更に堅固な天然の要塞である八王子城の築城工事が始められ、天正十五年(1587年)には拠点はそこへ移り、滝山城は廃城になってしまったそう

中丸にはかつて宿泊所となっていた建物(2枚目)もあり、そこに日本100名城スタンプ(画像右下)が設置されてました。今の私にとってスタンプは御城印と同じくらいの価値と達成感のある存在なため、スルーなどあり得ません…

郵送販売用の用紙が備え付けられており、念の為にそれを取って、その捺印欄に試し押し…文字が薄らとしてる箇所はありましたが、及第点には色が写っていたので、それに続きスタンプ帳にも押しました

3枚目は本丸の中心地。この側に霞神社…金刀比羅神社…と言った神社があり、まずそこにお参り。規模が小さく無人の施設だったので御朱印の類はおそらく無いと思われます。日露戦争および満州事変や太平洋戦争における戦没者を慰霊する文章が彫られた石碑(慰霊碑と思われる)もそこにありました🪨

それから階段を降りて空堀を歩き、中丸と本丸を繋ぐ橋の下を通る…そして本丸に戻り、滝山城址の石碑…その歴史が短めに紹介された石碑を眺めたわけです。北条氏照が当主で八王子城に移転する前までは、この辺りに何らかの屋敷がおそらくあったのでしょう🏠

本丸の端から眺めた光景(4枚目)川…そしてマンションがズラリと並んだ街並みが見渡せます。これを一目見て「撮影してSNSに挙げる価値あり」と直感した私は迷わずスマホの撮影機能を立ち上げてシャッターを押しました

ここの城が現役だった頃にはどんな風景が映っていた…のでしょうか

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しんちゃん

コンパクトだが遺構はなかなか充実している。 (2024/04/21 訪問)

端谷城は衣笠氏によって築かれたとされています。三木合戦の際には城主、衣笠範景は別所氏に味方しますが三木城落城後の天正8年(1580)2月に織田方に攻められ落城したとのことです。
城址はコンパクトな構造で訪問もし易いのですが、遺構はなかなか充実しています。三の丸である満福寺の脇から登城道が伸びていて、大きな堀切に土橋がかかっており、そこから先に登って行くと二の丸に至り、すぐ近くに本丸が迫っています。本丸の北西部には物見台があり、本丸の背後(北側)には大規模な堀が周回しています。雑木が生い茂っていて堀の全容は把握しづらいですが、この城址の見どころとなっているようです。

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しんちゃん

荒木村重が最後に籠った城 (2024/04/21 訪問)

花隈城は織田信長が荒木村重に命じて築かせた城で築城時期については諸説あるようです。築城の際には穴太衆を用い、かなりの量の石垣を使用したようです。天正6年に荒木村重が信長に反旗を翻すと、有岡城の支城として戦い、有岡城・尼崎城から撤退してきた村重が最後に籠った城とされています。花隈城はその後、池田恒興らに攻められ天正8年(1580)に落城し、村重は高野山を経て毛利氏の下に亡命したとされています。
本丸跡地にある駐車場には模擬石垣が積まれ、石垣の上は公園になっています。模擬天守台の上からは周囲の街並みを見ることができます。

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bono

とても良かった

一度は行きたいと思っていました。GWだったため駐車場は資料館のところまで満車で、一番下のバス停前になんとか置いて行きました。巨岩が多く、非常に見ごたえあります。途中落ち葉などで足元が不安定なところもあるため、気を付けてください。的場跡がありましたが、安土も残っていて嬉しかったです。

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チェブ

かやの木は残った? (2024/04/13 訪問)

中村 朝宗さんが築いた「中村城」。
中村 朝宗さんは、源 頼朝さんの奥州討伐に従い戦功を挙げた方です。恩賞に伊達郡を貰います。つまりは、伊達家の初代に当たる方です。
ん?茨城県の「伊佐城」でも伊達家の祖の方がいらっしゃったような、、、。
写真⑦の説明板によると、朝宗さんの息子さんが伊佐領を塀領したようです。

遍照寺周辺が「中村城」です。
遍照寺に駐車場があるようですが、土塁に平行に路駐しました。そこから歩くと土塁は二重になっているのが確認できます。
この二重土塁を内側から見ようと、お社の後ろあたりをうろうろしました。
少し歩くと『中村城主 藤原 日向 入道 玄角終焉の地』の石碑がありました。この方は14代目です。
玄角さんと共に「中村城」は廃城しました。

「中村城」をWikipediaで調べたら、NHK大河ドラマ『樅の木は残った』のモデルになった古木がある。とありました。
『樅の木は残った』は仙台藩の伊達騒動を描いてます。
中村家が、伊達郡に赴く際に植樹したんだとか。
因みに、遍照寺の古木は、樅ではなくカヤです。
少し前に『樅の木は残った』の総集編を観たばかりだったのでビックリしました。ドラマ内で映った古木が、こちらのカヤだったのかもしれません。

でも一番ビックリしたのは、カヤの古木の写真を写していない事だった「中村城」攻めでした。

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ぴーかる

日方城 (2024/03/02 訪問)

【日方城】
<駐車場他>駐車場はなし。市民の森まで車で行け、停めれなくはないがきちんとした駐車場はない。手前の分岐<34.165153,135.220083>に2台程度停めれるので、ここから歩くほうがいい。
<交通手段>車

<感想>日帰り和歌山山城攻め3城目。日方城の城郭情報は少ない(現地説明板が錆びて読めぬ)のでよく分からないが、築城主:山名氏、築城年:南北朝時代となっていることから、紀伊国守護に任ぜらた山名義理が大野城に本拠を移した前後に支城として築城したと考えます。
 市民の森から傾斜面を数百m登ると虎口的な薄い段、正面に切岸が見えます。曲輪進入口左手斜面には竪堀のような跡、進入口右手の土塁は明瞭に残っています。進入口から入った曲輪は副郭のようで平坦地になっています。その曲輪に錆びて読めない説明板が木に立てかけてあります。そこから西へ緩傾斜に登っていき山頂になっています。なんせ、城跡の南半分しか藪が伐採されていなく、北半分は背丈以上の笹薮となっていて様子がよく分かりません。緩傾斜の南側斜面と曲輪の切岸は明瞭で山頂手前には横堀とみられる遺構もあります。山頂部分が少ししか整備されていなくて、広い主郭が北方向に広がっていそうなのですが‥‥‥。

<満足度>◆◇◇

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朝田 辰兵衛

母のガイドついでに… (2024/03/18 訪問)

齢80を超えている母に「スカイツリーで同級会やるから連れてって…」と嘆願され,ガイドとして同行しました。さすがに集まったのは,5名(私を除く)。当然,カメラマンも頼まれ,ホテル手配,チケット購入なども引き受けました。
待ち合わせ時間をランチタイムに合わせていたため,ホテルの朝食からチェックアウトまでの間,数時間の余裕ができました。
東武を使って押上駅から西新井駅まで。西新井駅からは,徒歩約20分。天気は良かったのですが,強い風が吹いた日でした。
中曽根城(中曽根神社)の前はゴミステーションとなっており,地元の方々が朝の挨拶を交わしているところにおじゃました形となりました。
単発ですが,久々に東京ポチです。

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うさ

小里城 (2024/05/08 訪問)

麓にも山頂にも素敵な石垣が見られます。
まあまあの山登りですが、見る価値ありです。

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うさ

久々利城 (2024/05/08 訪問)

手軽に見学できる平山城です。
ほぼ目の前の久々利地区センターで御城印あります。
下から見ると丸い曲輪が段になっていてかわいいです。

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chiroru

再訪 (2024/05/05 訪問)

前回の登城は二年前の同じ日で、晴天で今回もありがたいことに晴天でした。
まだ続100名城巡りを本格的にやっていなくて、今回はスタンプもしっかりと押印。

知り合いとかとお城巡りの話になり、どこかおすすめのお城は?と聞かれたら必ずこの「苗木城」と
答える自分があります。その時点で自分も一度しか登城していなかったのですが、記憶にしっかりと植えつけられる
素晴らしい石垣と景色を見てもらえるように薦めてるんです。

今回も素晴らしい石垣と景色を満喫してきました。おまけに郷土菓子「からすみ」もお土産に。

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カズサン

樹木伐採景観整備中 (2024/04/20 訪問)

 放生津台場、元海王丸探訪見学を終えて北陸路18番目に今回城廻り探訪の締めとして高岡城に登城、前回は平成15年8月で今回3度目となります。初回は50数年前でJR周遊券で北陸路を廻った時かと?

 駐車場:高岡城北東に在る、小竹藪駐車場(無料)を利用。混んでいて入れ替えで駐車出来ました。

 20数年振りです、城郭は大きく広く全域は廻れませんので、御城外の小竹藪に南から登り、高岡古城公園案内板の資料箱で案内パンフレットを入手し、朝暘橋から本丸へと狙いましたが4月23日まで工事中なのか通行禁止、三の丸に廻り内濠を廻って、明丸へ、丁度本丸の東の角が樹木伐採されて築城当時の本丸土塁が明瞭に見る事が出来ます、大変ラッキーでありがたい。本丸東側の内濠と明丸の動物園を通ってお子さん、家族で賑わっていました、本丸土橋の東面の石垣を明丸と鍛冶丸の間辺りで眺め高岡城唯一の石垣を確認、大手口で高山右近の像を眺めて、南外濠を廻り込んで駐春橋から二の丸へ入る、護国神社横を通って、本丸土橋上へ、此処も景観整備で二の丸護国神社側の内濠土塁面が樹木伐採されて土法面がよく確認できます。ここに景観整備の案内板が有り今年の7月30日までと注記されていました。本丸の射水神社鳥居で拝礼して本丸広場へ、前田利長騎馬像を拝見、朝暘橋が通行止めで又来た道を通って小竹藪駐車場へ。
 今回外周は廻って居ません、西側の外濠、東側の外濠が気になるのですが、3時過ぎから1時間半も掛かり足の裏、膝も痛くなりまだ陽は残って居ましたがここで今回の城探訪は終了です。
 
 今回は切山城主目的で充分堪能、能美市の和田山城、白山市の舟岡山城は予期せぬ大収穫で目の保養をさせて頂きました。
 長々と18城の投稿ご覧頂きありがとうございました。
 
 
 

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ゾウさん

日本海側で現存する砲台の代表格! (2023/02/24 訪問)

規模は大きくないが、5基の砲台があり、ペリー来航の1年前(嘉永2年)に設置されたことから、そのころの丸岡藩のお家事情はもちろん、幕府の様子も大変興味深い

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畝状竪堀パラダイス (2024/05/01 訪問)

todo94さんが、「畝状竪堀パラダイス」と投稿されているのを見て、行きたい城にノミネート。城域は、植林+手入れにより、下草がなく、遺構がとても見やすいです。また、堀が風化しておらず、todo94さん指摘のように、写真でも畝状がくっきり写ります。
鎌倉時代築城ながら、織豊期の縄張りが加えられており、大規模、複雑です。畝状竪堀パラダイスのⅠ郭南西は、その先にピークがあり、また緩斜面の守りを担っています。Ⅱ郭周りは急峻で、帯郭Ⅴがはるか下方に見えました。
登城口はいくつもあるようですが、写真10の所に説明板があります。国道沿いに道標があり、その前の広場にバイクを停めて登城しました。帰りに地元の方が声をかけてこられました。

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イオ

大手口多聞櫓と千貫櫓 (2024/05/03 訪問)

大手口多聞櫓と千貫櫓は5年前の特別公開に行っているので、今回は乾櫓だけでもよかったんですが、乾櫓のみ公開の日には行けそうにないため、ゴールデンウイーク中の3櫓の公開日に訪れました。

大手口多聞櫓の渡櫓の槍落とし、続櫓の笠石銃眼や武者溜などは前回にも見た記憶があるものの、続櫓の東面に設けられた謎の扉(高さ5.7mの石垣上の扉の外には何もない)などは全く覚えがなく、石垣の刻印の展示パネルにより多聞櫓北方塀(渡櫓と千貫櫓の間)の笠石銃眼の刻印を認識できたり、再訪なりの発見がありました。

千貫櫓も同様で、狭間や石落としは見覚えがあり(大手土橋に横矢掛け放題)、二階は今回も非公開でしたが、放映されていた案内VTRで二階の様子を観ることができました。そこで紹介されていた二階への荷揚げ用の格子扉は今回初めて認識した…ように思います。

…ということで、乾櫓のついでに再訪した大手口多聞櫓と千貫櫓でしたが、一度訪れただけでは気付かなかったこともいろいろとあって、これはこれで来た甲斐がありました。それでも、帰宅してから改めて調べてみるとまだまだ見落としもあるようなので、またいつかの機会には再訪したいものです。あとは一番櫓や六番櫓、金蔵にも入ってみたいところですが…公開されることはあるのかなぁ?
 

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