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しんちゃん

若江三人衆の内応によって落城 (2024/11/17 訪問)

若江城の本丸周辺は市街地となっていて遺構は有りません。車で入って行ってみましたが道が狭すぎ撤退。下手に入り込むと引き返せなくなります。県道24号線沿いの北側に公民館の分館があって案内板も設置されています。ちょっとの間なら駐車も出来るかな?
南側には神社があって城址碑や石碑があります。
設永に追放された足利義昭が拠ったり、三好義継が若江三人衆の謀反の結果自刃して果てたり、歴史的に価値の高い城です。しかし、このあたり三人衆好きですね。

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しんちゃん

古墳 (2024/11/17 訪問)

一津屋城は三好駿河守の城のようですね。後に織田信長によって高屋城や飯盛山城とともに破却されたようです。厳島神社が出丸跡のようで前方後円墳の上に築かれていたようです。
写真が少ないので一週間前に奈良で寄ったラーメン屋の写真を掲載します。奈良県だけど和歌山ラーメンが売りで、ギョウザよりシューマイが推しのようです。確かに美味しかったですよ。最近、健康診断を受けたのですが、結果は芳しくなさそうです。酒とラーメンを控えなきゃいけないかな‥トホホですわ。

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しんちゃん

越智氏の城 (2024/11/10 訪問)

越智城は越智氏の城で、南北朝時代には南朝方として筒井氏と対立したとのことです。居館跡を囲いこむように城址が展開しているので、まずは尾根に取り付き東の郭を確認します。
そのまま北上していくと浅い堀があり、その先に古墳を利用したらしき郭が続きます。しばらく行くとフェンスが見えてくるのですが‥。

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にのまる

壮観! (2024/10/01 訪問)

2018年夏以来の登城です。
春日山駅からものがたり館〜史跡広場〜春日神社〜林泉寺と歩いてみました。
史跡広場の掘立柱建物は前回見た記憶がなく、新たな学びとなりました。また、林泉寺の上杉家墓所や川中島戦死者供養塔、宝物館では、かの時代を生きた人たちのいのちの証を受け止めた思いでした。

林泉寺から春日山神社までは歩いても10分くらいでしたが駅到着からすでに2時間が経過。少々焦りましたがせっかくなのでゆっくり歩きます。

春日山神社から反時計まわりで千貫門から毘沙門堂、本丸、天守台跡までのぼり、大井戸の方へ下りて、景勝屋敷、柿崎屋敷、南三の丸まで進んで二の丸へ戻り三の丸へ。米蔵跡の土塁がかっこよかったです。

素晴らしい天候に恵まれ、今日この時にこの景色を見させてくれた謙信公に心からありがとう!の気持ちになりました。

令和の城めぐりは攻めたり守ったりヒリヒリしなくても生命を狙われることはないので、のんびりと気持ちのいい散策を楽しんだところで、次の高田城へ行くため駅までダッシュ💨

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しんちゃん

公式公認です。 (2024/11/17 訪問)

また陶器城にやって来ました。正直、何度も来るような城ではないのですが、恒例の金網のぞきをやってみたかったので。
陶器城はフェンスで囲まれ、公園に隣接しています。休日なので、小さな子供連れの親御さんが来てますね。さりげなく近づいて金網にカメラを近づけパシャリ、そそくさ退散です。堺市公式にもフェンス越しに見学できると書いてあるので良いじゃない。
陶器城は北村古塁ともいい、鎌倉時代の北条家家臣・陶器左衛門尉の居城であったとされ、楠木正成の一族に攻められ落城すると陶器氏も滅んだとのことです。

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しんちゃん

三河武士・高木氏の陣屋 (2024/11/17 訪問)

元和9年(1623)徳川家康は三河以来の直参である高木正次に丹南の地を与え、高木氏は1万石の大名として丹南藩主になりました、陣屋は来迎寺の東側に築かれ、来迎寺には高木氏の墓もあります。

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朝田 辰兵衛

緑園都市駅からは上り坂です…⛰ (2024/09/16 訪問)

相鉄いすみ野線で,緑園都市駅からアクセスしました。こんな上り坂とは…<苦笑>。越後帰還日なので,サラリと終わらせようと考えていましたが,距離以上にストレスを感じました。まだ,前日の村岡城のストレスが尾を引いているのかな…?

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猫猫

竹生島、安土城から太郎宮へ

パワーを頂いてきました
天下布武
国盗り物語、また読みたくなりました

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カズサン

4号堀-4/7 (2024/11/10 訪問)

 6号堀虎口から4号堀東城門-3/7の続きです。

 赤い城門を入ると4号堀の東端で、作業用の土橋と開口部が目に入ります、4号堀の堀底は奇麗に草刈されて居ますが土塁法面はまだの様です、4号堀は中間辺りで南に折れて西に続いています、折れ角がスロープの土橋、上がって虎口と成ります。
 4号堀虎口を入ると曲輪Ⅳ広くエリア、復元された掘立柱建物群が広がっています。
 期待した紅葉、落ち葉、踏むサクサク音、晩秋の紅葉木漏れ日は有りませんでした、しかし奇麗に整備はされて居て探訪散策は心穏やかに楽しめました。

 2号堀そのⅠ-5/7に続く。
 

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松江城国宝10周年

\【ご支援をお願いします!】クラウドファンディング開始!/

来年天守閣国宝指定10周年、廃城の危機から150年の節目を迎える松江城。

今や日本に12城しか残っていない現存天守、そしてたった5つの国宝に指定される天守の1つとして、壊れることなく築城当時の姿を現代に姿を残すことができているのは、市民をはじめ多くの人々の尽力が、想いが繋がってきたからであることをご存知でしょうか。

いくつもの危機を乗り越えながら今日まで大切に受け継がれていた松江城。この節目に魅力を再発信し、未来に繋いでいくためにクラウドファンディングに挑戦することを決意いたしました。

皆様からのご支援は、毎年横浜で開催されているイベント「お城EXPO」を松江市で開催し、市内から日本全国の方々まで松江城の魅力や歴史を再発見いただく機会に活用させていただければと思います。

松江城の魅力を再認識し、誇りに思っていただくこと、そして日本全国の方に松江城にお越しいただき、その素晴らしさに触れていただくことが、松江城の未来をつくることにつながっていくのだと信じています。

皆さまからのあたたかいご支援、心よりお待ちしております!

▼詳細・ご支援方法はこちらから御覧ください。
▼詳細・ご支援方法はプロフィール欄のリンクからご覧いただくか、「松江城 レディーフォー」とご検索ください。
https://readyfor.jp/projects/matsue-castle2015
第一目標金額:500万円
支援募集期間:11月22日(金)9時〜1月31日(金)23時

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カズサン

6号堀虎口から4号堀東城門-3/7 (2024/11/10 訪問)

 6号堀と櫓台-2/7の続きです。

 6号堀虎口は奇麗に整備されて東に木橋が架かっています、6号堀の高土塁が北側へ、南側へと伸びて居り虎口周りは飛山城の見所の一つです、また5号堀に進む手前に桝形の構が有り南より入る、5号堀には土橋掛り、北側と南側に大きな空堀が伸びて居り、6号堀の内側に添って北から南へ、折れて西の鬼怒川へと続いています。
 土橋の西に赤い城門が構えて居り、4号堀の東端へ繋がっています。

 今回は一昨年の11月初旬月曜日に訪ねて居り、欅、楢、コナラの紅葉と落ち葉、落ち葉を踏む音、晩秋の木漏れ日を目当てに日曜日訪ねましたが、今年は遅くまで気温が高く紅葉が進んでいません、一昨年よりまだまだ緑が深い様でした。

 4号堀-4/7に続く。
 

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イオ

とことん津山城(城下散策) (2024/09/16 訪問)

この日はお昼前に津山を発たなければならなかったので、鶴山公園の開園前と登城後に城下を散策しました。

八畳岩(津山市大谷)
吉井川南岸にある津山城石垣の石切場です。シャンシャンさんの投稿を拝見して興味を持ち、朝食時間前に行ってみました。石山寺に向かう途中の広場に車を駐め、八畳岩の案内表示に従って山道を少し行ったところにあります。石仏が彫られた八畳岩の周囲には矢穴のある石があちこちに残されていて、表門近くの「忘れ去られた石」もここの出身と思われます。八畳岩からは ほのかな朝日に浮かび上がる津山城と津山の町が一望できました。

衆楽園(津山市山北)
二代藩主・森長継が京都の仙洞御所を模して造営した大名庭園で、御対面所や藩主別邸として活用され、明治に一般公開されています。朝7時から開園しているため、朝食後にホテルをチェックアウトして訪れました。後楽園には及ばないまでも入園無料とはとても思えない立派な庭園で、朝早くから多くの人が園内を散策していました。

城東地区
宮川東岸の城東地区の出雲街道沿いには江戸期以来の古い町並みがよく遺っていて、重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。朝8時台に訪れたため、城東むかし町屋(旧梶村邸)や箕作阮甫旧宅、作州城東屋敷など町屋内の見学はできませんでしたが、城下町らしく出雲街道には荒神曲や大曲と呼ばれる鍵の手状の屈曲が設けられていました。

城門めぐり
鶴山公園内をひとめぐりした後は、南・西・北辺を囲む堀に設けられた城門めぐりを。南東隅には宮川に接して宮川門が設けられ、桝形北辺の石垣が遺っています。南辺には大手口にあたる京橋門が開口し、門跡に石碑が立てられているほか、門から西側に続く石垣が遺っています。西辺の二階町門跡、田町門跡、作事門跡、北辺の北門跡にも行ってみましたが、いずれも遺構はおろか石碑や説明板もなく、地形から往時の姿を想像できるくらいでした。

津山ホルモンうどん
津山といえばホルモンうどん! ということで、ホテル近くの店をいくつかチェックしていたんですが、日曜夜はことごとく定休日…。翌日の昼食にしようかとも思いましたが、それだとビールが飲めなくなるので今回は断念しました。次の機会にはきっと…。

…ということで、津山城と城下をひとめぐりしましたが、桜の名所でもあるので、次は桜の時季に訪れたいものです。
 

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todo94

『YOASOBI 5th ANNIVERSARY DOME LIVE 2024 “超現実” 』前の攻城④ (2024/11/09 訪問)

葛西城からの転戦です。京成四ツ木駅から徒歩にて攻城しました。四ツ木駅はキャプテン翼一色の駅でした。別段、キャプテン翼のファンという訳でもないのですが、つばさ公園の銅像だけはチェックしておきました。清重塚のごく近くでしたので。それにしてもキャプテン翼のメインキャラたちは、岬君、若林君、日向君とみんな姓で呼ばれるのに、大空翼だけはファーストネームで呼ばれるのはなんでだろうとずっと思っていました。他にファーストネームで呼ばれるキャラがいても良いと思うのですが。全く城に関係ない内容で恐縮の限りです。

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赤い城

巨大な井戸にはびっくり❢ (2024/11/04 訪問)

開館前の御津町郷土歴史資料館に車を停め、道路を挟んだ登城口から登っていきました。
妙覚寺に案内図が置いてあったのでこれを手にしてまずは道林寺丸へ。
曲輪が段になって連なり、石垣も残ります。

さらに登ると本丸方面と北の丸方面への分岐点へ。
堀切が見たいのでまずは北の丸へ。
北の丸の先には久しぶりに見る深い堀切。
さらにもう1条、さらにその先には浅い堀切が2条といい感じで並んでいました。
しばらく堀切に見入った後は引き返し本丸へ向かいます。

北の丸から白水の井戸を経て本丸下の堀切、さらに天守の井戸へ。
この井戸大きく深い!見どころです。
これまで見たことの無い規模でした✨
内側にはしっかりと石垣が積まれています。

井戸を見下ろしながら本丸へ。
本丸には建物礎石の配列が残っています。
訪問ノートがあったので今度はニッポン城めぐりのHNとともに「赤い城」の名もサインしておきました。

下山は二の丸方面へ。
二の丸の手前には杉の木の井戸があります。
出丸を経て千鳥坂から御津支所側の登城口に出てきました。

備前最大の山城、松田氏歴代の居城でしたが宇喜多直家により落城。
江戸時代初期には岡山城の支城として機能しました。
急峻ですが登城路は整備され、歩きやすいお勧めの山城です。

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小城小次郎

てっぺん近くだけ急峻なこの山に何で石垣を積もうと思ったのか (2024/03/03 訪問)

てっぺん近くだけ急峻なこんな山の上に総石垣で瓦葺きの城を作ろうと思った人々の気が知れないが、おかげでいい感じの廃城感が味わえる。途中までは楽々登れるが急に急坂に転じて泡を喰うのはそういう形の山だから仕方ない。

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しんちゃん

北城にきたじょう (2024/11/02 訪問)

平清水城は平清水氏の本城です。すこし分かりづらいですが、民家の合間から道が続いています。おそらく大手は東側に付いていたと思われ、堀切に土橋がかかっています。おそらく主郭は登城路で南北に分断されていて、南側の主郭の東に土塁が残っており、南には腰郭も付いているようです。北側の主郭のほうはヤブが厳しいので入っていませんが、ここにも土塁が付いているようです。西側一帯は切岸になっています。

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カズサン

6号堀と櫓台-2/7 (2024/11/10 訪問)

 登城前にLRT乗車-1/7の続きです。

 宇都宮LRTに乗車して、飛山城跡駅停車場駐車場から車で飛山城址公園へ、一昨年の11月に登城したのですが月曜日でとびやま歴史体験館は休館日依って駐車場もゲートが閉まり駐車不可、手前の導入路に路駐でしたが本日は日曜日ゲートも開き駐車可。

 駐車場:飛山城址公園とびやま歴史体験館駐車場
 参考資料:グーグルマップに依る。従来よりの登城体験知識による。

 今回はとびやま歴史体験館が開いていますので入場し展示物、展示資料を閲覧、資料をゲットしました、当日は飛山城の探訪体験イベントが有った様で十数人前後の方々が案内ガイドの方と廻り終えた後の様な賑わいでした。

 今回の投稿は6号堀を北から南へ、草刈された堀底と櫓台を櫓台5~3の南まで、丁度櫓台3と2の間でボランティアが草刈の最中でした、場内を廻っれる最中に2号堀と4号堀の間の西端でLTRを鬼怒川に架かるコンクリート架橋上のLTRを撮影する時間待ちで城内巡回されていたボランティア説明員の方に話を聞き、今年の夏は暑くて草の成長が早く草刈が大変だった事と、今日は6号堀南側を草刈中との事、依って城内の探訪を終えてから6号堀の櫓台4、3、その南までを見学させて頂きました。
 
 6号堀虎口~4号堀城門-3/7に続く。
  

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しんちゃん

多様な情報にコミットできる石柱 (2024/11/03 訪問)

綾井城は専称寺の境内を含む西側一帯に築かれていたようです。鎌倉時代に築かれ、南北朝の時代には足利方に属し、戦国時代の城主、沼間日向守任世は織田信長の下で活躍したようです。専称寺東側には堀のような側溝が有り、門の前には城址碑や、うん〇くが三方に刻まれた石柱があります。う〇ちくは綾井城について、お寺について、大園遺跡についてとマルチな情報を伝えてくれます。

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しんちゃん

小田原北条氏の子孫です。あと狭山池 (2024/11/03 訪問)

狭山陣屋の主、狭山藩北条氏は小田原北条氏の子孫とされています。陣屋は上屋敷と下屋敷に分かれ、下屋敷は狭山池に隣接していました。ちなみに狭山池は1400年前からある日本最古のため池だそうです。
上屋敷は東小学校から北側周辺までが屋敷跡で東小学校の東に面している道(県道198号)を北上して行くと小公園があり、そこに立派な石碑があります。

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しんちゃん

大ヶ塚寺内町 大阪府南河内郡河南町大ヶ塚 (2024/11/02 訪問)

大ヶ塚寺内町は高台にあり西に県道27号線、東には石川の支流の梅川が流れ、水運が大坂まで通じていたそうです。南北朝時代には楠木氏の一族により城が築かれたそうです。永禄11年(1568)に織田信長が河内に入り、根来衆が撤退した後、村人が顕証寺に依頼し、根来衆の大ケ塚道場・善念寺を顕証寺の通寺としたことにより寺内町が形成されていったようです。北組と南組の二組に分かれ、北組の中心に顕証寺。南組の中心に大念寺が置かれていたとのことです。

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