青田山陣場は小笠教育会館の裏の丘陵上にあり、そこからも道が続いていますが、私は南の茶畑から到達しました。陣場は東と西の峰からなり、案内板のある場所は東陣場と思われます。
永禄11年(1568)徳川家康は武田信玄と大井川を境に今川領を分割することを約束し遠海に侵攻、武田軍に駿府を追われた今川氏真は掛川城に籠り、家康は掛川城を攻めます。その際に青田山陣場を陣地としたので、陣場峠の名が残っています。
天正2年(1574)武田勝頼が高天神城を攻めた際には、陣場峠より救援を要請する狼煙が三回揚げられたにもかかわらず救援は来ず、高天神城は武田軍に降ったとのことです。その際に高天神城から浜松城の家康に対して救援要請の使者を務めた匂坂牛之助なる人物は、家康から「救援の確約」を反故にされ、その責任を取らされ、後に浜松城にて切腹を命じられたそうです。
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