みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

シャンシャン

現存天守9城目! (2023/11/04 訪問)

天守閣と本丸御殿が両方現存する唯一の城。
追手門と天守閣が一つのショットで写真に写せるのも高知城が唯一。
築城当時から残る忍返しや石垣から大きく突き出した石樋など見どころいっぱい!

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

シャンシャン

小さな山城跡 (2023/11/04 訪問)

坂本龍馬記念館のすぐ隣にある城跡。
遺構はほとんどなく天守跡には小さな神社が建っている。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

シャンシャン

夜の今治城 (2023/11/03 訪問)

ライトアップされた城が水堀に映ってとてもきれい。
夜のお城も独特の雰囲気があっていい感じ。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

よねちゃん

弘前城 (2019/10/31 訪問)

石垣修復のため、本来の場所では見られなかったけど思う。
表と裏の顔違う(笑)

+ 続きを読む

よねちゃん

根城 (2023/10/18 訪問)

行ったときには、門の修復工事中で見られなかったけどそれ以外のはのんびりゆったり見られました

+ 続きを読む

朝田 辰兵衛

城址碑の見落としに注意⚠ (2023/10/08 訪問)

実は,ここもJR福野駅から安居城に向かう途中で立ち寄りました。徳仁寺はかなり遠くからでも視認できるので安堵してしまいますが,城址碑の見落としには注意してください。

+ 続きを読む

にのまる

北門~西不明門 (2023/09/08 訪問)

初めて訪れた時にはまだ野球場があって、二度目の時はフェンスで囲われていてと、山形城(霞城公園)の北側は私にとって未知のゾーンでした。

艮から乾方向に外周を歩きます。初めて歩く場所はそれだけでとても楽しいです。
やがて見えてきた北門はそそり立つ石垣に威厳を感じました。さらに多聞櫓を載せた姿を想像すると怯んでしまいそうになります。
門の傍に色分けされた地図が貼ってあったので見てみると、魚釣りの可能区域についてでした。南門(山形駅に近い門)から東側の艮櫓あたりまでは禁止区域なので気づかなかったけれど、北側のちょうどここまで歩いてきたあたりは常時魚釣り可能区域のよう。入口付近の番所のようなお家は釣り人さん御用達のお店かな?
復元整備された東大手門がとても大きくて、とびぬけて立派なのだろうと思いこんでいたのですが、北門も想像以上のスケールでした。

さらに外周を進み、最初にすごく感動した西不明門に1時間半ぶりに戻ってきました。何度見てもかっこいいです。似たような写真を何枚も撮ってしまいますが、かっこいいのだから仕方ありません。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんしんちゃん

戦国期の石垣が残っていたら嬉しいのだが。 (2022/11/04 訪問)

高山城は高山市の中心部にある標高686mの天神山に築かれていました。秀吉配下で飛騨攻略に功績のあった越前大野城主金森長近によって改修され、その際にこの地も高山と改称されたそうです。石垣が本丸周辺や大手道周辺に見受けられますが、いつの時代の物かはよくわかりません。二の丸跡が駐車場や広場になっていて長近公の騎馬像があります。この長近公は全国的にはまだ知名度は低いですが、東濃や飛騨高山周辺の城を周っていると、良く名前が出てくる重要な人物のようです。二の丸から本丸を目指していくと中段屋形、東北曲輪、使者之間を経て本丸にたどり着きます。帰りは、もみの木平(南の出丸)を経由してから石の登城道を登って、もう一度本丸に寄ってから最初に来た道を戻りました。朝一の訪問ですが、ほぼ人に会っていません。クマが出没するとの看板がありますが、こんな街中の山にもクマが出るんでしょうか?ちなみにこの後訪問した高山陣屋は人でいっぱいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんしんちゃん

高山城遺構 岐阜県高山市 (2023/11/04 訪問)

高山市は紅葉が始まっていて、完全には赤くなっていないのですが、その分様々な色合いを楽しむことが出来ます。高山城の周辺の寺社仏閣には門など多くの建造物が連なるように移築されていて、歩いて周遊することが可能です。高山市若達町にある雲龍寺には鐘楼門が移築されています。東の素玄寺の本堂は三の丸にあった評議場を移築したもので、さらに東となりにある法華寺の本堂は二の丸にあった建築物を移築したものです。素玄寺と法華寺の間にある坂をあがったところにある東山神明神社には月見殿が絵馬殿として移築されています。この神社の紅葉は黄色と橙色の中間色の山吹色をしていました。遺構を見ながら紅葉を楽しみことも出来て、有意義な時間を過ごすことが出来たと思っています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんしんちゃん

尾崎城 高山市丹生川町方字城屋敷 (2023/11/04 訪問)

尾崎城は国道158号線の東側の標高720mも丘陵地に築かれた、天然の要害ともいえる城で日本城郭大系にも記載されています。現在は公園として整備されており本丸付近まで車で行くことが出来、駐車場もかつての本丸の一部のようです。戦国期の塩屋(谷)筑前守秋貞の居城とされ永禄7年(1564)武田方の山県昌景に攻められ落城したとされています。主郭と二郭を二重の堀切で分け、東を主郭、西が二郭とされています。公園化の際に復元された物かは解りませんが、遺構は二の郭に多く残されていて周囲に土塁と堀切がめぐり、畝状の空堀群が連なっています。ちなみに二の郭には軍資金や金の鶏が埋められているという伝説があったようで、昭和のはじめに大量の明銭が出土しているようです。公園化の工事の際に何か出土したかは謎です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんしんちゃん

歴史的建造物が多数。米蔵が大きい。 (2023/11/04 訪問)

高山陣屋の前身は高山城主金森氏の下屋敷であり、かつては「向屋敷」と呼ばれていたそうです。天領になった際に代官所が置かれ、これが高山陣屋の始まりとされています。多くの建造物が残されており、見る者の目を楽しませてくれますが、最も古い建造物が高山城から移築されたという米蔵で今ではギャラリーとして多くの展示物が収納されています。三連休の初日でなかなか人が多く、門前では朝市もやっていました。高山はちょうど紅葉の見ごろになって来ていて、庭園の紅葉もなかなかキレイでしたよ。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

山椒のモト

有田川町雨錫寺周辺の城跡 (2023/11/07 訪問)

和歌山県有田川町、茅葺の屋根が特徴の雨錫寺を訪問後に阿瀬川城跡を訪ねました。
雨錫寺と同じ地域にあり、この集落には城跡が多数あります。

城跡への道が分からず、地元のおじいさんたちが井戸端で話し合っているのを見つけ、城跡へのルートを尋ねました。おじいさんによれば、この城跡では毎年餅まきが行われ、地域の中心地として機能しているようです。
おじいさんと別れ、畑と畑、家と家の狭い道を抜けて山の登り道に到着しました。軽自動車ならぎりぎり通れるほどの道幅でしたが、万が一を考えて歩いて城跡まで登りました。
5分ぐらい歩くと地蔵さんがあり、開けた広場がでてきます。一応トイレもあり、椅子もあります。椅子にはゲートボールクラブの文字が書かれていたので、この広場でそのようなイベントもするのかもしれません。

広場の古屋には、奉納された剣が飾られています。奥の鳥居は天子山三宝大荒神が祀られています。
少しゆっくりさせていただき、下山しました。

+ 続きを読む

カズサン

東城~尾根鞍部(2/2) (2023/10/05 訪問)

 西城から尾根鞍部に戻り、東城を目指す、尾根をひたすら登って行くと堀、東城主郭へ、ここも登城丸太階段は真砂土に埋まって急なスロープ状態、西城と急さが違い登ってみる、やっと登り主郭へそう広くは無い、主郭東へ行くと急崖の様な堀切、竪堀が良く見える、更に先は樹間で良く見えないが曲輪が続いてる様、樹間の隙間から城下が見渡せる。
 更に東に出丸が有るようですが道の続きが良く分からずここで終了。
 帰って城郭放浪記さん縄張り図と案内板縄張り図を見比べると、西城は西城、東城は中央の見張り所、出丸は東城と記されていました。またグーグルマップは西城、中央には東城の史跡マークが記してあります。

 この後は陽も傾きましたが若干時間も有り、次に攻める、鈴尾城の登城口、駐車場の下調べをして宿泊先の三次へ明日に備えました。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

西城~登城口(1/2) (2023/10/05 訪問)

 桂城は西城、東城、出丸と夫々の峰を利用し造られている、毛利氏譜代の桂氏の居城で16世紀初頭頃坂氏から分家した桂広澄がこの城に入った。(案内板抜粋)

 駐車場:国道54号線郷野交差点北に星の城跡駐車場が有り利用(34°37'58"N 132°38'59"E)、トイレ無。
 参考資料:城郭放浪記さん、古城盛衰記さん、グーグルマップに依る。

 吉川氏城館跡群の城郭を堪能した後、地道山越えして安芸高田市へ、まず安芸高田歴史民俗博物館により情報収集、資料入手し7年振りの郡山城麓博物館を見学、郡山城は麓から眺める。
 桂城の個別のパンフレットはありませんでした、地域城郭の集合小冊子に載ってるのみ。博物館から南西にR54を進行し古城盛衰記さん案内の駐車場へ駐める。

 駐車場から東に50~60m程の国道沿い南に大看板「桂城跡城主桂広澄⇒」があり、登城口には案内指示板あり、案内指示板に従って登って行くと登城路に杉の倒木、階段は真砂土で埋まりかけてる、足幅ギリギリの法面登城路、滑りやすい、尾根の鞍部に案内板が設置されてる、西に進み尾根を登ると主郭前に堀切、北下に竪堀、横堀が走りワクワク感いっぱい、主郭切岸に丸太階段が設置されているが幾星霜、真砂土に覆われて急なスロープ、主郭登城は諦めて、切岸と竪堀、堀切、堀跡に満足して、鞍部に戻り東城へ。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

久能山東照宮 (2023/08/05 訪問)

観応の擾乱や花倉の乱で久能山に立て籠もったとする記録がありますが、恒常的な城郭としては戦国末期に駿河国に侵攻した武田信玄により築かれました。その後、江尻城の穴山梅雪が徳川家康に降伏したことに伴って開城。家康が関東に移封されると駿府城に入った中村一氏の支配下となるも、中村氏の米子移封により再び徳川方の城となり、家康の遺言によって久能山東照宮が造営されたことで城郭としての役割を終えました。

真夏でもあり日本平ロープウェイも考えましたが、比高200mくらいなら…と表参道側から登城開始。早川農園第4駐車場(一日100円)に車を駐めて歩いて行くと、そそり立つ岩山の上に一ノ門が覗いています。本殿前まで1159段あると云われるつづら折りの表参道の石段を登ること約10分で一ノ門に到着。一ノ門は久能山城の大手門跡と考えられますが、現在の門は明治に平屋で再建されたもので、かつては櫓門だったようです。一ノ門が修復工事中だったのは残念でしたが、門前からは青く広がる駿河湾が一望でき、ここまで歩いて登ってきた甲斐がありました。

一ノ門から東照宮に向かう参道の両側には削平地が設けられ、久能山城の曲輪跡と思われます。久能山東照宮博物館南東下段の勘介井戸も往時の遺構と考えられ、山本勘助が掘ったと伝わりますが、駿河侵攻は第四次川中島の戦いの後だから…?? あちこちに立てられた説明板には東照宮だけでなく久能山城の記述も見られます。ロープウェイ久能山駅から二の丸の石垣が見られるようなので行ってみましたが、構内からしか見えないようで断念しました。

そしていよいよ本丸跡に建つ久能山東照宮に向かいます。石段を上り朱塗りの楼門をくぐると、神厩、鼓楼、神饌所、神楽殿、神庫、日枝神社に唐門と建ち並ぶ重要文化財に、とどめは国宝の御社殿。絢爛豪華、極彩色の御社殿にはただただ息を呑むばかりでした。続いて御社殿左手奥から家康が埋葬された地、神廟へ。絢爛たる御社殿から打って変わって、廟門を抜けると石灯籠の並ぶ参道は荘厳な雰囲気です。神廟は天下人の宝塔としては思ったほど大きくなかったものの、ここにあの家康が…と考えると何とも言えない感慨がありました。

東照宮を退出した後は共通券を買っておいた久能山東照宮博物館にも。撮影不可のため展示品の写真は撮れませんでしたが、家康所用の金溜塗具足に大黒頭巾形兜、金扇馬標、洋時計や目器、鉛筆等の日用品、歴代将軍の貫衆具足などなど、これまで幾度となく写真で見ていた実物を目にすることができ、大変見応えがありました。やっぱり久能山東照宮は徳川家にとって特別な地なんですね。

…ということで、久能山城としての遺構についても下調べしていたんですが、二の丸の石垣は見られず、北端の愛宕郭へのルートは見出せず、東辺の土塁への道は立入禁止で、不完全燃焼のまま終わってしまいました。ただ、それでも東照宮と博物館だけで2時間弱を要するんですから、久能山全体としては見応えたっぷり大満足でした。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

城址碑はまたの楽しみに (2023/10/29 訪問)

高松に泊をとっての朝駆けです。感応寺は叶堂城築城によって移転を余儀なくされましたが、廃城によって戻ってくることができたとのことです。小城小次郎さん投稿の城址碑は見逃してしまいました。次回、訪れた時の楽しみに取っておきたいと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんしんちゃん

鮎崎城 岐阜県高山市大新町 (2023/11/04 訪問)

鮎崎城は高山市の櫻山八幡宮の北に位置する丘陵上に築かれていた城で、現在は城址公園になっています。主郭と覚しき場所は公園になっていて特に遺構は見当たりません。南側にある軍人墓地も郭の跡のようで、ひょっとしたらこちらの方が主郭かもしれません。鮎崎城は豊臣秀吉の命で金森長近が飛騨の三木氏を攻略した際、松倉城を攻めるために本陣を敷いた場所とされています。遺構は見当たらないのですが眺望に優れる場所で周辺の城を見渡せる好所に位置しています。高山は紅葉が早く観光客も多く来ているようです。ですが、鮎崎城や高山城にはあまり人がいないので貸切に近かったですね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんしんちゃん

郡上八幡城はすごい人出だった。 (2023/11/03 訪問)

久々に郡上八幡城に行ってきました。司馬遼太郎氏いわく「もっとも美しい山城」というだけあって雰囲気は最高です。(模擬ですが)しかし人が多い。三連休の初日だからか、とにかく凄い人出で人と車で道がふさがって身動きが出来ない。えらい日に来てしまったなと思いながらも城に向かうことに。なかなか車が前に進まないのだけど、粘り強く待っていると中腹の駐車場に案内されます。山頂の駐車場はシャトルバスの影響で連休中は使えないようです。うう‥仕事の疲れが残っているのに‥。なんとか山頂の城までたどり着くと、なかなか紅葉がきれいです。一部は枯れているようで、あまり紅葉の当たり年とはいえないのですが、今年はこれで良しとしておきましょう。木造天守は相変わらず大人気で、ひとしきり楽しんだあとは天守裏の天正期の石垣を見に行きます。こんなところに人が来るとは思っていないのか足元がいささか危なっかしいのですが気をつけながら確認しました。次の日は飛騨高山です。こんな状態で大丈夫かと思いましたが行くしかないですね。熊が出るかもしれませんが秋の山城は捨てがたいのです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

安岐城 (2023/09/10 訪問)

【安岐城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車

<感想>1泊2日北九州・豊前中津の旅2日目12城目。国東半島までやって来ました。現地説明板によると安岐城は南北朝時代に田原氏が安岐郷に入り居館または城郭を構えたのが始まりとされます。戦国時代には田原氏は大友宗麟に攻められ落城し大友氏の城となります。秀吉の九州征伐後は熊谷直盛が15000石で入封します。熊谷直盛は城を大改修して現在想像される縄張りはこの時のものと考えられているようです。熊谷直盛は石田三成の妹婿で関ヶ原合戦に西軍として出陣中に黒田官兵衛に攻められて城は落城します。
 城跡入口から古城天満社までは主郭を囲む土塁遺構です。土塁東側の民家が主郭跡で土塁西側に深い堀跡がありますがかなり鬱蒼としています。現地説明板想像縄張り図に天満社の場所が天守となっています。主郭北側にも土塁遺構があるようですが民家の敷地になっており見ることはできませんでした。現在は城跡と海の間に国道が走っていますが当時は城の東側は海に面してしたようです。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

浅間山パパ

手入れの行き届いた城です! (2023/11/06 訪問)

管理が行き届き、説明資料も分かり安くて、お子様連れにもおすすめです。

+ 続きを読む

ページ147