那珂城は伊東氏の城とされ、天文年間(1532~1555)に築かれたとされていますが、ネットで調べても殆ど詳細が出てきません。地元のガイドさんや、城びとさんも嘆いていましたが、宮崎県(教育委員会まど)はあまり城址の調査に熱心ではないようです。坪谷城の稿でも述べましたが、調査が困難だと放置しているケースが多いですね。これは熊本県や鹿児島県など南九州全般に言えることですが、危ない縄張りを持ったネイティブな城がそのまま残っている場合があるので、注意が必要だということです。
なんとなく予想はしていましたが、逆に私としては来た甲斐があるというものです。
那珂城は宮崎県総合農業試験場に隣接していて、東の郭と見られる部分は試験場の敷地に含まれるようです。各所にゲートが設置してあるので、東側や林道側からは入ることは出来ません。試験場であるので外来の植物の種なども持ち込みはNGだと思われるので、そこも考慮しなくてはいけません。九州はヘタをすると「不発弾」だらけになってしまいそうな案件が多いので、それも最小で済ませたい所です。
北側の林道を西手から歩いて城址に近づくと、畑地の脇から入れそうな感じがします。畑地に入らないように気を付けて近づいてみると劇藪の向こうから城址に取りつくことが出来そうです。ここから入れと「城址の声」が聞こえてくるようです。
朝から小雨が降っていますが、ちょっと藪の中に入って見ます。試験場の件は気になりますが、注意書きもフェンスも全くなく、完全放置の藪山状態です。地元ガイドさんも攻略して藪で撤退したと言っていたので、藪をくぐり潜り抜けながら先に進みます。
この日は試験場は休みだったので、連絡は取れませんでしたが、城址の状態から試験場の範疇外と判断しました。翌日、確認したところ城址の部分はフェンスの外になるので試験場とは関係ないとのことです。
先に進むと土塁が見えてきました。このあたりも主郭を守る郭になるのでしょうか。土塁に沿って進んでいくと周囲に堀を巡らした小高い郭が見えてきます。どうやら、ここが主郭のようですが切岸が急なのと、雨で足元が滑りやすくなっているので、比較的登りやすい箇所を探します。
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