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しんちゃん

平成の調査で石積み遺構などが確認されている。 (2024/02/25 訪問)

雑賀崎台場は和歌山市の雑賀崎に紀州藩によって築かれた台場とされ、和歌山県の史跡に指定されています。この周辺は紀州青石と呼ばれる緑泥片岩の産地であり、和歌山城の本丸周辺の石垣に多用されています。付近には元番所台場跡である番所庭園があるのですが、スルーしています。雑賀崎台場跡に向かう途中、遠くに番所庭園が見えるのでズームで撮影。
もちろん入場料は払っていません。
元番所台場のある岬も、その先にある大島も緑泥片岩の岩肌が露出しています。しかし見事な絶壁です。雑賀崎台場に向かって進んでいくと算木積の石垣が見えてきます。
雑賀崎台場は「トンガの鼻」と呼ばれる岬に築かれていたとされ、平成19年から平成26年までに3度の発掘調査が行われています。土塁や石垣などが確認されており、V字型の石積みの遺構もあり、砲台に関する施設ではないかと考えられているようです。
ちなみにこの周辺では鍬のことをトンガと呼ぶそうです。南太平洋のトンガ王国とは関係ないみたいですね。

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朝田 辰兵衛

ウェルカムな東根小学校🏫 (2024/06/01 訪問)

本丸跡が東根小学校。正門ワキに「小田島城本丸跡」碑。正面玄関前には「東根の大ケヤキ」。南西部を模擬塀が囲みます。北側に観光客用の大駐車場がありました。観光客を受け入れる姿勢がとても好感がもてました。
なお,北西部にある龍興寺沼は,堀の一部らしいです。

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you

路急ぐ 旅の目惹かむ 大賀蓮 田丸の城の 空碧きかな (2024/07/07 訪問)

多くは語らずとも、タイトルと写真で充分に伝わるかと思います。

後日投稿予定ですが、鳥羽城からの転城です。
初夏に訪れたこともあって、城内は草が生い茂っていましたが、
当日の天候が幸いして見事な眺望でした(とても暑かったですが、、、)。
実際に足を運ぶまで、本やネットでは天守台の写真ほどしか見ていなかったので、
石垣の多さに驚きました。本丸の枡形虎口や城の搦手まで遺構がしっかりと残っており、
南北朝期の乱世を窺える実に歯ごたえのあるお城でした。

石垣も見どころですが、7月上旬は内堀に植えられた大賀蓮(オオガハス)が開花時期に入るので
この時期の登城は一度で二度おいしいと言えるでしょう。

本投稿のタイトルは、本丸に立つ歌碑に刻まれた短歌にあやかってつくりました。
写真にも添えましたが、何気にこの1枚が上手く撮れて気にいっています。

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ぴーかる

越賀城 (2024/06/08 訪問)

【越賀城】
<駐車場他>横の漁港広場に駐車しました。
<交通手段>車

<感想>日帰り伊勢志摩の平山城巡り旅7城目。越賀城の築城年代は定かではないが、初代越賀隆俊が城を構えたとされます。信長に属した九鬼嘉隆に攻められ降伏しその後は九鬼氏に仕え、以降江戸時代は綾部藩三田藩に分かれた九鬼氏にそれぞれ仕えることになります。
 城跡は海へ突き出た丘陵にあります。丘陵の北側の堀切から丘陵上に行けます。丘陵上の曲輪跡は以前は畑だったらしいが現在は藪化しています。曲輪の北側に土居が盛られていて北側の堀切にはまあまあな切岸になっています。城跡が小さすぎるので海側に伸びるコンクリートの岬部分もかつて丘陵があったのではないかと思います。浸食されて小さくなった丘陵部分が今の岬になったかと。
 堀切の北側の住宅地に江戸時代の藩の米蔵が現存しています。

<満足度>◆◇◇

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しんちゃん

京都紅葉特集② (2018/11/24 訪問)

真っ赤な紅葉 仮面に受けて 願いは一つ 青い空 ♪ 京都紅葉特集②です。この暑いのに、なに紅葉の写真を載せとんじゃと思われるかもしれません。でも残念ながら私はすでに壊れてます。‥あべし

源光庵‥京都市北区 悟りの窓から見える紅葉が近年話題を呼ぶ。「悟りの窓」って聞いたことが有るような‥。
圓光寺‥京都市左京区 開基は徳川家康。近年、紅葉の名所として人気。
大河内山荘‥映画俳優・大河内伝次郎氏が創作した庭園。
渡月橋‥倉木麻衣のCDシングルで有名。というか元々有名。平日すいてる時なら車で渡れる。
鹿王院‥京都市右京区 足利義満が開基。紅葉の名所。
今熊野観音寺‥京都市東山区 空海ゆかりの寺。嵯峨天皇をはじめ皇室からの崇敬も厚い。
含翠庭園‥京都市東山区 泉涌寺 来迎院庭園。大石内蔵助良雄により築造される。
嵐山スパ‥嵐山をイメージして、タコさんウインナーをマシマシにしました。パスタ・デ・ココで撮影。

もともと城めぐりと合わせて神社仏閣を回っていましたが、あまりご利益がなかったので、いつしかおざなりになっていました。でも、どんなヒドイ状況からでも無事に戻ってこれたのも、見えない所でご利益があったのかもしれません。

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イオ

大和お城まつり (2024/08/10 訪問)

8月10日・11日に開催された大和お城まつりに行きました。奈良ローカルのお城イベントで、(続)100名城の高取城、郡山城、宇陀松山城はもとより、有名どころの多聞城や信貴山城に加えて片岡城などマイナー城の出展もありました。各ブースをめぐってパンフレットを受け取り、スタンプラリー景品の来城記念ご朱印カードをもらって、歴史講座プログラム「片岡城について」を受講。片岡城は未訪のため、登城時の参考になるだけでなく歴史背景を知ることでより興味を持って登城できそうです。

普段はお城イベントの前後には近隣の城めぐりをしていますが、体温を超えるような猛暑の中を歩き回る気力がもてず、この日はイベントのみで撤退。早く秋になってくれ…。
 

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しんちゃん

雑賀合戦 (2024/02/25 訪問)

弥勒寺山城は標高67mの弥勒寺山の頂部に築かれていました。織田信長が石山本願寺を攻めた時に、顕如上人の要請に応え雑賀孫市は雑賀党とともに蜂起し、弥勒寺山を本陣とし、周囲の城塞と共に抵抗したそうです。孫市の父・佐太夫の籠る雑賀城もその一つとされています。
雑賀川の周辺に入念に罠をしかけ、戸惑っている織田軍を、後の「長篠の合戦」の織田の鉄砲隊の如く、雑賀衆の鉄砲隊が間断無く銃撃したそうです。しかし中津城が落とされ城将・権太夫が討ちとられ、雑賀孫市も以後 逆らわないことを条件に降伏・助命されます。
翌年の天正6年に信長が再度本願寺を攻撃すると、雑賀党は再び本願寺と共に戦ったそうです。
弥勒寺山城には遺構らしきものは無く、城址は公園となっていますが、一段高い場所があり、秋葉山古戦場の案内板や顕如上人桌錫所の碑が立っています。また雑賀城のように緑泥片岩の岩盤の上に主郭が築かれていたようです。

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トク

平和について考える旅(岩国徳山4/4)―大津島 (2024/08/04 訪問)

終戦記念日を前に平和について考える旅(4/4最終回)です。徳山城からバスに乗って再び徳山駅へ戻り、今度は駅前の桟橋から船に乗って30分、毛利家の石切場でもあった「大津島」へ渡りました。ここからまた平和について考えてみたいと思います(写真①②)。

皆さんは、太平洋戦争末期に「回天」という特攻兵器があった事を御存知でしょうか? 回天は魚雷を大きくしたような1人乗りの潜水艦で、まあ人間が操る魚雷と考えた方がいいかもしれません。母艦である伊号潜水艦で敵艦近くまで近づき、そして発射されると、魚雷の中にいる人間が敵艦めがけ操縦します。当然生きて帰る事はできません。私も詳しく知ったのは、18年前に市川海老蔵(現:団十郎)さん主演の「出口のない海」という映画を見てからでした。

船を下りて5分程歩くと「回天記念館」がありました(写真③)。入口には実物大の回天が展示されていました(写真④)。また中に入ると、出撃して行った特攻隊員たちの遺書や遺影、また回天の中の様子が再現されていました。

記念館を出て島の南の方に向かってさらに5分程歩くと、回天搭乗員たちが訓練していたという基地が保存されていました。ここでよく回りを見渡すと、石垣に適した石がたくさんあります。毛利家が石を採取するには、この島が最適な場所だったという事が、訪れてよくわかりました(写真⑤⑥⑦)。

この場所は映画の撮影でも使用された場所で、市川海老蔵さんが必死になってここで訓練していた映画のシーンを思い出してしまいした。当時の搭乗員たちは、死の恐怖と戦いながらも、ひたすら日本の勝利を信じて、ここで訓練していたんでしょうね。もう二度とそんな時代が来ない事を祈りたいものです。

また、その基地から見えるこの海(写真⑧の場所)は、戦艦大和が最後に停泊していた場所だそうです。昭和20年4月6日、大津島に停泊していた大和はここから沖縄に向け出港し、豊後水道を南下、翌7日に鹿児島県徳之島沖で米軍機に攻撃され沈没、帰らぬ艦となりました。これも何か悲しい運命です。

神妙な気分になって帰途についていた私ですが思わぬ出来事が! 徳山駅から乗った新幹線が、またまた「ハローキティ号」でした。偶然にも思わぬサプライズに、博多駅まで最後は何だか少しほっとした気分で帰途に着く事ができました😌(写真⑨⑩)。
 

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しんちゃん

京都紅葉特集 (2018/11/24 訪問)

古都鎌倉のことを「鎌倉城」と呼ぶこともあるそうです。天然の要害で七つの切通しで守られた鎌倉そのものを城塞都市と考えるわけですね。源氏の本拠を意味する言葉という説もあるようです。
城塞都市といえば平安京。平安京はわずかに縦長の方形をしていますが、御土居は豊臣秀吉によって平安京の中央から東側一帯に築かれ総延長は22.5kmに及び、土居によって洛中と洛外を分けていたようです。秀吉の時代、御土居の中は城塞都市の様相を呈していたものと思われます。
なぜ紅葉の写真を載せるのかと言われると、「猛暑」→「真っ赤な太陽(五レンジャー?)」→「赤」→「紅葉」という四段活用です(ポカッ)。
禅林寺永観堂‥京都市左京区 言わずと知れた紅葉の名所。
南禅院‥京都市左京区 南禅寺の塔頭寺院。
化野念仏寺‥京都市右京区 この世とあの世の境目。
滝口寺‥京都市右京区 「平家物語」の平重盛の家来斎藤時頼と建礼門院の侍女「横笛」の悲恋の物語ゆかりの地として近年再興されたようです。新田義貞の首塚もあるそうな‥。
雲龍院‥京都市東山区 中世の天皇家と縁が深い。書院には「悟りの窓」

せっかくなので御土居や平安京の外にある寺社も掲載させていただいています。
追記‥「真っ赤な太陽」だと美空ひばりさんの名曲のほうがしっくりくる方も多いかもしれません。

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三浦の晃ちゃん

休館日 (2024/08/13 訪問)

模擬天守閣で、内部は資料館になっています。行った日が、祭日の翌日で、休館日でした。すぐ近くまで、車で上がれます。盛岡の南部家は、もともと、この地域の出らしいです。

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しんちゃん

土々累々 (2024/04/20 訪問)

小堀城は加古川の西側に築かれた中世の平城で、この周辺には河合城や堀井城など比較的大きな平城が複数存在しています。案内板を参考にさせていただくと、城主は赤松氏の一族とされる光枝氏で、三木合戦の際には当城を焼き払って三木城に籠り、平井山合戦で討死したとのこと。城域は東西250m、南北200mの範囲に渡り、周囲を土塁で囲み複数の曲輪を配していたようです。
南西側の案内板のある場所には土塁が良く残っており、南端には門(虎口とも)が建てられていたようです。東の住宅の周辺には主郭と南郭を隔てる土塁が残っており、東側にも土塁の残片が所々に残っています。

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しんちゃん

城主コロコロ変わる (2024/04/20 訪問)

豊地城跡は東条川が周囲の地形に沿って南側に向かって大きく湾曲している部分の南東に位置しています。観音堂のある場所が西の郭の周辺と見られ、東の畑地が主郭跡とされています。主郭周辺には内堀と外堀が配されていたとされ、今でも道沿いに内堀の跡が見られ、観音堂周辺にも堀跡らしき溝が残っています。また主郭東側には外堀跡とされる ため池も有るようです。
石碑に刻まれている文章を読むと、豊地城は東西およそ400m、南北およそ200mの城域を持ち、東西北を川に囲まれた要害の地に築かれていたようです。南北朝時代の城主は金谷経氏、応仁年間以降は赤松氏の家臣・依藤氏 三木の別所重棟(宗) 栗山氏(初代赤松氏の実兄景盛の子孫で依藤氏時代からの執権)と変わり、三木合戦後に廃城になったようです。

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しんちゃん

室戸岬 (2018/01/04 訪問)

室戸岬は 日本新八景とも言われる国の名称ですが、交通の便が悪く、知名度の割には人が少ないようです。海岸には様々な奇岩が存在し、坂本龍馬の相棒で陸援隊隊長の中岡慎太郎の銅像が遥か海の先を見つめています。

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たか

一度で二度おいしい? (2024/08/11 訪問)

本佐倉城のあとに京成佐倉駅前の観光案内所に寄って御城印を購入。
そのあとに佐倉城へ。

歴博側ではなく薬医門側から登城。
水堀を眺めながら西方向の出丸を目指しました。
その後戻って本丸跡で一の門や角櫓、銅櫓、天守閣跡を見学。
モッコクの落書きも確認。
土塁がしっかりと高く、その上を歩いて回れるのも良かった。
佐倉城の礎石がある方向の空堀は深くしっかりと残っています。

二の丸跡、三の丸跡を見ながら見学していると旧陸軍の油脂庫跡まであるではないですか。
説明書きには歩兵第57連隊通称佐倉連隊の武器手入れ用の油保管庫となっていました。
グアム島、フィリピンレイテ戦でほとんどの隊員を失ったとありました。
いまこうやって城巡りさせてもらっているこの平和を願って亡くなっていった方々に胸が熱くなってしまいました。

最後に有名な馬出空堀を実際に見て感動。
お城散策に太平洋戦争の面影までありタイトル通りで満足しました。
今度は歴博にも寄りたいと思います。

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たか

今日は山の日! (2024/08/11 訪問)

今日は山の日という事で御城印&スタンプを入手しにGO!
まずは本佐倉城へ。

車でナビ通りに行くと、どんどん道が狭くなり不安になったが案内板が出ており、拓けたところに出ました。
行ってみると駐車場は意外と大きく案内所がありました。
早速御城印を購入してスタンプは?ってなったらなんとトイレの前(笑)
これならいつでも押せますね!

案内所の素敵なおじさまにいろいろとジオラマを見ながらレクチャーを受けていざ出陣。
東山虎口→南奥虎口→セッテイ虎口→セッテイ山(倒木の為通行止め…)→東山→Ⅳ郭虎口→倉祉→奥ノ山(妙見宮跡)→城山
う~ん…おじさんの言ってたのと違う(笑)
でも遺構がいっぱい綺麗な形で残っておりしっかりと見ごたえがある山城でした。
東山から印旛沼への景色は絶景。
説明文で昔は鉄道部分まで沼で手前側は湿地帯となっていました。
攻めづらいところだったろうなと思いをはせることができました。

いろいろと説明板の設置や除草及び伐採管理など大変であるでしょうが、今後とも未来へ残して頂くためによろしくお願い致します。
最後に案内所のおじさま、丁寧な案内と親切な対応に感謝です。
ありがとうございました。

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たか

大好きな黒田家由来の福岡城 (2024/08/06 訪問)

福岡城に行ってきました。
平和台球場があったころに行ったことはありましたが約40年ぶりに訪問です。

福岡城むかし探訪館に行き、100名城スタンプ並びに御城印を入手。
中にはジオラマや説明動画などがあり非常に興味深いです。
わたしが一番印象深かったことは、福岡と博多が商人の町と武家の町とで分かれていて、那珂川で門を設置して簡単には行き来できないようにしていたという点、それを発展させていくために行き来を自由にできるようにして、敬意を表して博多という地名を残したという話。
また福岡という地名は元々黒田家の出身地の名前を取ったという事。
他にもいろんな資料があり是非とも見学することをお勧めします。

鴻臚館あとも見学してから三の丸、二の丸、本丸、天守台と石垣のすばらしさを堪能しつつ登っていきます。
天守台に登ってその絶景に感嘆の声が思わず出てしまうほど。
福岡タワーやドームのある百道は埋め立てなのでしっかりと海も見渡せたのでしょう。
皆さんの賛否ありますがわたしは天守閣はあったと思いたいです。
そしてその天守閣からの眺めはもっとすごく、周りからはシンボルとして見られていたのではと思うとゾクゾクしてしまいます。
多門櫓も見ていたら時間切れとなってしまいました。
しかしいろいろと見るところがありゆっくりと公園内を散策できる素晴らしいところでした。

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たか

茨城県のお城巡り⑥(恐怖だらけの登城) (2024/08/02 訪問)

この旅最後のお城は月居城。
袋田の駅側の反対側(東側)からナビで案内され途中で怖くなりました。
通行止めが解除されていたのですが、まず離合もできない狭い道に、隧道を抜けたところから廃墟が数件と脇の木が垂れ下がって前が見えない悪路。
戻ることもできずにゆっくりと進んだら突然現れた公衆トイレ。
なぜ?って思ったらその先に登山口の看板。
やったーと喜んでその場に駐車して登城すると虫の集中攻撃。
虫よけを吹きかけながら登っても意味をなさないレベル。
ただ意外とハイキングコースと書かれているだけあって登りやすく楽勝かと思いきや途中で城址方向への看板を登るとそこからは岩むき出し、天然の土塁の数々でロープを頼りにゼーゼー言いながら登城。
ようやく石碑のある頂上へ到着。
しかしこんな大きな石碑を一族の方々の寄付とはいえどうやってここまで持ってきたのだろうと感心した
(製作費より運搬費の方が高価では?などと考えた)
そして下山して車に乗り込み袋田方面へ進むと、なんと片側車線が崖崩れを起こしている!
とにかくこの旅一番の恐怖と疲れで帰路につきました。

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たか

茨城県のお城巡り⑤ (2024/08/02 訪問)

茨城県のお城巡り第5弾は松岡城。

お屋敷通りという通りを整備しており、当時の雰囲気をかもち出しています。
小学校の塀がまたいい感じに雰囲気を出し、その横を公園に向かって石畳を進んで行くと駐車場があります。
そこまできてこれは整備されていて登りやすいかもと期待しましたが、あまり高くないのに本丸を抜けて二の丸から降りようとするとロープがかけてあるくらい急坂で竹林だらけで結構ハードでした。
まあ竹林があるという事は急坂で当然と言えば当然なのですが。

麓は常陸松岡藩の藩庁があったと言うだけあってかなり広い範囲まで栄えていたんだなと散策して感じました。

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零汰

昌官忠式東北南下2日目 (2024/05/25 訪問)

1日当りどの程度進むのか予想出来なかったので東北南下の宿泊は快活クラブです。
北では城跡の写真や走行中の殆どで走行動画を撮っており持参したノートPCにデーター移行が問題でした。3.4日に一度は各都市でホテルに宿泊出来たのでそこで纏めて移行してました。

快活クラブ最高!シャワー有り洗濯も出来るその上食事もできる、何よりデーター移行も電源もPCも使い放題。鍵付個室に宿泊したのでオタク気質な自分には無敵。いつでも都合のいい時間に入れるので先が読めない場合の最強な味方となりました。宿泊に対してこだわりの無い方に断然お勧めです。

2日目:青森県~5城目より秋田県
1.和徳城(写真1)→2.弘前城(写真2)→3.大浦城(写真3)→4.湯口茶臼館→5.大館(写真4)→6.茶臼館(写真5)→7.檜山城→8.染川城→9.双六館→10.脇本城(写真6)→11.浦城→12.五城目城(写真7)→13.雀館(写真8)→14.湊城(写真9)
こちらに写真の記載の無い5城は個別に投稿します。

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たか

茨城県のお城巡り③ (2024/08/02 訪問)

茨城県のお城巡り第3弾は助川城。
ここは外国船を見張るために城郭を築いたという海防城で大名のお城とは違う点で珍しいとのこと。
まずは下の駐車場に止めていざ登城!
なんて気合を入れたらすぐに本丸に到着(苦笑)
手前に説明板があり上記の珍しい意味が記されている。
石垣があって写真を撮っていたら、あとで公園化する際に築いたものであることがわかりがっかり(笑)
遺構は表門礎石や鳩石しか残ってないとのこと。
しかし遠見番所跡からの景色は絶景!
天気も良いし最高でした。

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