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しんちゃん

めんそ~れ (2025/04/07 訪問)

あれれ~? イオさんめっちゃ元気じゃないすか。しかも沖縄にいる~?? ぐぬぬ・・
俺の心配を返してくれ~(良かったんでないかい?)。
ついでではないのですが、最近チェブさんの足跡も無いです。元気ですかっ? まったく妙な企画のせいで心配事が多い。

沖縄・・いいですなあ。私もいきたいなあ。でも私の46の日も良かったですよ。島根の「変態城」から解放され、兵庫の城を巡り、トリは何処にしようかと考えていたけど、姫路城で「桜」を見ることにしました。二日前には松江城で花見をして大名行列を見物したけど、国宝天守をハシゴで花見とか、なかなか贅沢な話です。
姫路城の「桜」は満開でした。天守の周辺は意外と「桜」が少ないのですが、備前丸周辺には多く植わっており、天守と「桜」のツーショットを撮るには格好のスポットです。
もうじき春の特別公開です。4/12~25まで東・乾・西の小天守とイ・ロ・ハの渡櫓の六棟が一度に公開されます。私も、小天守群には入って見たかったので、どこかで時間を作って見に行きたいですね。

そういえば、鹿児島にも城びとがいましたね。誰だっけ?・・う~ん、思い出せない。どうせ元気だろうから心配はしていませんが。
ん・・? 姫路城に行ったのは7日か。6日は島根の「変態城」と格闘してたのか・・まあ俺らしいっちゃ俺らしいけど。

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トク

【対馬4城を巡る】(4)金田城(1/4) (2025/03/23 訪問)

(4城目)は金田城です。

白村江の戦い(663年)に敗れた天智天皇は、唐・新羅の反抗を恐れ、翌年大宰府に大野城・基肄城・水城の強大な防衛ラインと各地に鬼ノ城などの古代山城を築きます。さらにその3年後には、対馬の浅芽湾と黒瀬湾の間の半島の先にある標高276mの城山に、金田城を築いて防人を配置しました。その後の金田城は、幕末は異国船監視所として、また明治時代はロシア艦隊を迎え撃つための砲台として使われていたようです。日本の古代山城はほとんどが版築土塁ですが、ここ金田城は総延長2.2km高さ6.7mにも及ぶ壮大な石塁です。それがまるで万里の長城を思わせるように斜面をぐるりと取り囲んでいます。百済の技術で築かれますが、それでも今から1350年も前に造られたものです。とても信じられない光景でした。

私はこれまで公共交通機関にこだわってきたので、ここも何とか行けないかバスを調べましたが、どうもここは無理なようです。よって前日に清水山城などに登城した後、厳原に宿泊し、翌朝レンタカーを借りて行きました。厳原からは(15km)30分で城山登山口に到着です。県道24号から登山口までの最後の2kmは、とても道が狭く砂利もあるので注意して下さい(なので借りるなら軽がオススメです)(写真①)。観光タクシーを利用するという方法もありますが、金田城周辺は携帯がつながりにくい場所もあるので、連絡手段等には注意して下さい。レンタサイクルではアップダウンがかなり多く危険な道なので無理しない方がいいと思います。登山口駐車場は3台分しかなく満車でしたが、100m奥に3~4台分のスペースが空いていてトイレカーもあったので、私はそこに止めました。

登山口からは2m幅の整備された道が続きます。これは明治時代に作られた軍道です(写真③)。この上に砲台を設置するために、重い大砲の部品を馬に積んで運ぶために作られた馬車道だと思われます。20分程登ると黒瀬湾が見える絶景ポイント(写真④)に着きました。いや~いい眺めです。さらに登ると黒瀬湾に向かって伸びる登り石垣のようなものが見えました(写真⑤⑥)。東南角石塁です。下から見上げるとすごい迫力なので、ここはぜひ下からも見て下さい。私はしばらく見とれてしまいました(すでにここで満足😊)。モトさんが見られたらおそらく泣いて喜びそうな石塁ではないかと思います(写真⑦⑧⑨⑩笑)。

でもまだ登り始めたばかり、いつまでも見とれている暇はありません。この先へ進むため、さらに登って行きます。
(2/4)へ続きます。

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ぴーかる

滝山城 (2025/02/16 訪問)

【続百名城75城目】
<駐車場他>滝山観光駐車場数十台分あり
<交通手段>車

<見所>空堀・切岸・土塁・曲輪群
<感想>1泊2日埼玉大阪化計画第3弾、1城目。2週連続の関東攻めです。朝一に八王子城に到着したが、臨時駐車場も夜間は閉鎖していたので、予定を変更して先に滝山城を攻略しました。大手道から⇒三の丸下段の曲輪⇒小宮曲輪・小宮曲輪西の大空堀⇒堀切を経て山の神曲輪⇒千畳敷⇒二の丸⇒南・大馬出は立ち枯れ木を伐採作業中だったので見れず⇒その南側の曲輪⇒大池を回り⇒カゾノ屋敷・刑部屋敷・信濃屋敷跡⇒中の丸⇒本丸北側の竪堀⇒本丸の順で巡りました。
 多摩川の河岸段丘を広域に城郭化した平山城は見応えのある大城郭で散策がすごく楽しかった。曲輪の間の深い空堀と高い切岸はとてもダイナミックで見応えがありました。見たかった山の神曲輪は(城郭検定の設問か何かで村民の避難場所となっていたと知って)藪化して一部しか整備されていなかったけれど、おそらく南東側の谷部全体が提供されていたのだろう、納得の広さでした。
 時間が無かったので依頼しませんでしたが、現地ガイドの方と一緒でなければ立ち入れない区域があり、見れなくて残念でした。それでも3時間たっぷり堪能できました。

<満足度>★★★

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しろりん

市民憩いの公園 (2025/04/09 訪問)

桑名城は徳川四天王のひとり、本多忠勝の居城です。本多氏が姫路城に移封されてからは代々松平氏が桑名藩主を務めました(15代藩主の定永の父は寛政の改革の老中松平定信(吉宗の孫))。忠勝の孫である忠刻と徳川家康の孫娘である千姫はこの城で結婚しています。現在は本丸・二之丸一帯が九華公園として整備されており、春は桜の名所として市民憩いの場になっています。蟠龍櫓が外観復元されています。ほかには三之丸の城壁が一部残っており、市内にある了順寺の山門は桑名城の城門を移築したものと伝えられています。また広重の浮世絵「東海道五十三次」の「桑名」に往時の城(蟠竜櫓含む)が描かれています。東海道海上交通の七里の渡し跡もすぐ近くにあります。

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朝田 辰兵衛

赤い城さんクイズ(にのまるさんクイズ訂正含む)

todo94さん,あさん,イオさん,祝辞ありがとうございます。

まずは,にのまるさんクイズの1枚目訂正です。
高岡城ではなく,高田城。「1文字違い」と指摘されて「あ゛~ッ」ってなりました…<笑>。
今,桜満開となっております。観桜会100周年ということで,すでに盛り上がっています。
ただ,今度の日曜日は全国的に春の嵐予想。なので,土曜日は激混みではないかと思います…。

赤い城さんクイズですが…
たしかに,1枚目は瞬殺できました。
2枚目はわかりません。橋脚まで赤いんですね…。
3枚目は一瞬「筑前若松城」と思いきや,全然違う都会的背景に「おぉっ」ってなりました。30周年ライトアップですネ❢

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カズサン

尾張国西部北部未踏の城探訪15/17大草城-1/2城址編 (2025/03/30 訪問)

 愛知県尾張国西部と北部未踏の城17城の内15城目大草城へ上末城から南東に約2.7km程に在り、城びとぴーかるさん紹介の大草城近くに在る福厳寺駐車場を目指して走行。

 駐車場:福厳寺参拝者駐車場。(福厳寺:小牧市大草5229)
 参考資料:城郭放浪記さん、グーグルマップに依る。

 上末城から国道155線をそのまま進むと信号の有る交差点福厳寺前を右折して参拝者車道を登ると参拝者駐車場に着く。東面には早咲の枝垂れ桜が見事満開に並木に成って咲きそろっている。西を向くと池越しに福厳寺全景が見える。
 福厳寺駐車場から国道155号線を約110m程戻る形で国道155号線に繋がる西洞線を北東に約200m程進むと城山4丁目交差点に着く、白山神社参道入口の白い標柱が有る、そこが大草城の登城口で約比高20m程登ると白山神社の祠、大草城跡石碑、案内板が有る。登城路はよく整備されて登りやすく大切にされて居る、登る途中には段曲輪、竹林の奥には郭、堀なども見受けられるが登城路を主郭間往復しただけで終了。
 大草城跡案内板によると
 大草城跡は西尾式部道永が文安年間(1444~49年)に築いた。道永は、三河西尾の出身といわれ、岩倉の織田氏につかえた。その後、織田氏の家督争いからこの地を離れ、天文17年(1548年)頃大草城ははいじょうとなった。本丸や背後の大堀切は開発で無く成った様です。(小牧市教育委員会より)
 
 大草城-2/2福厳寺編に続く
 
 

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イオ

観光程度にひとめぐり (2025/04/06 訪問)

今年の城の日は首里城に登城しました。…といっても、家族旅行として訪れたため観光程度でしたが、それでも県営駐車場から守礼門をくぐって園比屋武御嶽石門を横目に歓会門、瑞泉門(龍樋も)とたどるうちに気分は高揚し、漏刻門、広福門を抜けて首里森御嶽を眺めつつ奉神門から有料エリアに入り、素屋根見学エリアで正殿の復元工事を見学。サラメシや新プロジェクトXで観たように3階部分は朱漆もかなり塗られていて、あの火災から5年あまりを経てここまで復元されたんだなぁ…と感慨深いものがありました。そして東のアザナから城内と城下を見渡し(あいにくの雨天でしたが…)、あとは順路に沿って首里城北面の石垣を眺めつつ駐車場に戻りました。

ほぼ見学コースをたどるだけで城好きとしては少々物足りなくもありましたが、正殿が再建されればまた来ることになるので、城下も含めてとことんめぐるのはその時の楽しみにとっておくとして、今回は概要をつかめただけでヨシとしておきましょう。晴れて正殿が完成する日が待ち遠しいですね。


…ということで、平日を一日つぶして2泊3日の沖縄旅行に行っていたので、城びとはしばらくご無沙汰でしたが、無事生きてます(笑)  しんちゃんさん、お気遣いありがとうございます。焦るどころか南の島でのんびり羽をのばしていました。朝田さん、山形県コンプおめでとうございます。関西でさえ、滋賀や京都や兵庫の北のほうは雪で行ける時季が限られるなぁ…と思っているのに、山形なんてほぼ全県が限られますよね。隣県とはいえさすがです。
 

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シャンシャン

四国・淡路城巡りの旅⑨ (2025/04/04 訪問)

四国・淡路城巡り最後の城、高松城へ。
大きくきれいに積まれた切り込み接ぎの桝形、月見櫓・艮櫓の2つの重文三重櫓、桜満開の桜の馬場など見どころ満載!
特に2つの重文三重櫓は天守並みの迫力がある!
月見櫓は日曜日に内部公開しているとのことなので、今度は日曜に来たい。

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赤い城

おめでとうクイズ

山形のネタが無いのでクイズはパスかな〜と思ってましたがにのまるさんの出題に便乗(悪乗り?)して赤い橋3枚です。
1枚目は瞬殺希望、2枚目は朝田さん未訪かな?
3枚目は・・・。

よろしくお願いします!

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シャンシャン

四国・淡路城巡りの旅⑧ (2025/04/04 訪問)

四国・淡路城巡りの旅、最終日の3日目。
白村江の戦い後に築造された朝鮮式山城のひとつ。城門と石積みが復元されている。
石垣は地形に沿ったやや弧を描いた形状をしており、近代城郭との違いが面白い。
かつて源平合戦の舞台にもなった屋島は景色も絶景!

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にのまる

ありがとうございます。

朝田さん、山形県コンプリートお祝いクイズの回答ありがとうございます。
行ったお城を振り返られて自分でも楽しかったです。
回答ですが、1枚目は1字違いです。橋の形状がそっくりさんでした。茶臼山陣城と米沢は難問にしようと思って拡大したのですがあっさり見破られてしまいました😣
では、次の方にバトンタッチします!

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シャンシャン

四国・淡路城巡りの旅⑦ (2025/04/03 訪問)

淡路島から徳島に戻り、続日本100名城のひとつ勝瑞城へ。
敷地は方形で水堀に囲まれており、現在は見性寺という寺が建っている。
城の遺構は水堀とわずかに残された土塁くらいしかなく、同じ続日本100名城の洲本城と比べると見劣りする感は否めない(^^;
すぐ近くにある勝瑞城館跡展示室(無料)でパンフレットとスタンプがもらえ、ガソリンスタンドで御城印を購入できる。
御城印はこの地方(藍住町)特産の藍染に金文字で書かれており、かなりかっこいい(^^)

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天守無しがアツい

専称寺でおこまを叫ぶ (2017/06/03 訪問)

(2017年6月3日)
(紹介URL)http://www.rurubu.com/sight/detail.aspx?BookID=A0404020

最上義光歴史館からやや離れた場所に専称寺という寺があります。ここも駒姫に関する史跡巡りで絶対外せない場所。

山形駅でレンタサイクルを借り、地図を頼りにアプローチ。手探りのような感覚で探し、とある寺の前で地図を見直したら、左手に門があり、なんとそこが専称寺でした。つまり気づいたら着いていたわけです(笑)

スマホ検索で墓の形は知ってましたが、意外と境内の奥にありました。観光客向けの矢印に従い歩き、墓(1枚目)が目に入りました

墓の前に来たら、両手を合わせて黙祷…というのが、一般的なお参りかもしれません。もちろんそれはしましたが…それだけでは…想いが足りない…

「おこま~😭😂😆」と叫びました。「おこま」とは(とある歴史番組で彼女の死を知った親族が泣き叫んだ際に口にしていた)駒姫の愛称です

一期一会の訪問になるかもしれないので、墓の周りを何周もして、ここを見学しました

ちなみにこの墓は近年になって建てられたもので、それ以前は墓石の後ろにある小さな石しか置かれてなかったそうです

あと、駒姫は(他の側室と共に)三条河原で処刑された後、そこに掘られた穴に埋められたため、当然ながら遺体はこの墓にはありません

ここには遺品として山形に持ち帰られた頭髪(の一部)が埋葬されているそうです。おそらく小さな石の下に埋められたのでしょう

ま、三条河原の下に埋められたとされる遺体は骨ごと微生物に分解されたか、洪水で濁流に飲み込まれておそらくもう残ってないそうです

そしてここ専称寺に埋葬された頭髪もおそらくすぐに微生物に食われ、今は土に還っていると想像できます

でも、それを言ったら、歴史上人物の多くは、遺体は残ってない。もしくはどこにあるか分からない…そうです

例えば義経の首塚はあるけど、そこに遺体は無い…というのが一例。伊達政宗のように墓に遺体のあるほうがむしろ珍しいそうです(そのおかげで彼の生前における体格や顔つきが判明)

なので、歴史上人物の墓の多くは、「お墓」というよりも「慰霊碑」と解釈したほうが妥当なのかもしれません。墓の下にあるのは遺骨というよりは霊(たましい)みたいな

そもそも骨自体、そのまま残るということはなく、何百年も経過すれば分解されてしまうと知恵袋の情報から知りました。

とりあえずここには駒姫の霊が眠っている…と思うことにしました。周囲は竹藪と民家に囲まれ、閑散とした雰囲気。私以外誰もいなかったので…

「おこま~😂」と私は連呼して彼女の霊を慰めました…🙏

(2025年3月23日)
まさかの再訪問…墓の側までたどり着いた私は…そこで(前回は見なかった)案内板(2枚目)を目にしました

五輪の塔の後ろにある小さな石…この名称が黒髪塚というそうで…遺髪(処刑される直前に親族への形見として駒姫自らが髪を切ったのかも)が侍女の手により山形まで届けられて…この地に埋められた(上記の記事でも同じ内容を書いてるけど念のため記載)

案内板の末尾に令和三年と書かれており…前回私がこの地に足を踏み入れたのは平成二十九年のため…「どうりで見た覚えないはずだ」となりました

黒髪塚(3枚目)🪦 今回もまず…「おこまー😭😂」と何度も叫び…それから黒髪塚に100円玉、五輪の塔に5円玉をお供え

家からこの日のために…線香とチャッカマンを持ってきたので、黒髪塚に3本・五輪の塔に2本…それぞれ火をつけてから線香置き場に備えました。墓石の上に片手を添えたりしながら…私なりの想いを…気持ちを込めて…15分ほど…ひたすら祈りました。ここまでした人間は…私だけ?😅

ちなみにここ専称寺でも御朱印をいただきたかったのですが、本堂にも隣の建物にも…誰もいない。なので授与を諦めました。その少し後にネットで調べてみたら…浄土真宗のお寺(の多く)は御朱印をしないそうです

専称寺も浄土真宗を名乗る寺。(基本無人なので受付のしようがないという事情もありますが)つまりそういうことでしょう😓

(浄土真宗は御朱印しない 参考URL)
https://blog.goshuin.net/shinshu_01/

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いつもの鉄塔越しの眺望 (2025/03/23 訪問)

 朝田辰兵衛さん、山形県コンプリートをおめでとうございます。残念ながら、山形県の城には一つも行けてないです。皆さんの投稿を見て、東北の城に「行きたい」をたくさんつけているので、いずれは、と思っています。にのまるさんの赤い橋シリーズも絶妙ですが、回答も見事ですねえ。
 さて、長野城です。鈴鹿山脈の山深いところで、標高540m、比高360m。そしてとても険しいです。青山高原の風力発電風車が近くに見えます。城の構造は単純ですが、室町幕府にたてついて、2年以上籠城したというだけあります。東に向かって眺望が開けているのですが、どうしても真ん中に送電鉄塔が入ってきます。城域への舗装道は、送電線建設、維持のためでしょうから。
 

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小城小次郎

蜂須賀家政生誕の地(ほんとに) (2024/08/18 訪問)

「ありがちだよね」と通り過ぎそうな蜂須賀家政生誕碑は実はホンモノ。なんでまたここに蜂須賀と思ってしまうが蜂須賀城を追われた蜂須賀さんは「嫁の実家」の安井氏が拠るこの城に居候しそこで家政が生まれたのだそうな。へー。

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しんちゃん

飯盛山  (2024/09/17 訪問)

最近イオさんの足跡が見えません。焦らせるような言動をしたのであればご容赦を。城攻めは個人のペースで楽しくやるのが一番だと思います。また「金龍がゆく紀行」の続きが見たいのですが、怪我とかはされていないですか?

最近は山城攻めのハードルが高くなってきているので、山城ばかり攻めている人の痕跡が途絶えると心配になりますね。いんげん丸虫さんも元気にしてますか? たまに投稿されると、それだけで安心しますよ。

城びとの城ではありませんが、飯盛山の投稿です。白虎隊士の少年たちの最期の地です。白虎隊の会の設置した案内板には慶応4年(1868)この地で敵陣に突入するか、帰城するかを巡って激論が交わされたとあります。最終的に敵に捕まって主君や祖先に迷惑をかけるわけにはいかないという意見に皆が同意し、鶴ヶ城に向かって決別の意を表し、全員が自刃したと記載されています。
美しく潔いですが、あまりにも儚いですね。私は戦国時代の人々の、「何が何でも生きのびてやるぞ」という泥臭い生き方の方が好きです。最期には潔く散りますが、そう簡単には死んだりしません。郡長正の死にも思う所があり、日新館でも、もっと逞しく生き抜くことも教えて欲しかったと思います。


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しんちゃん

江戸時代も特例として残された近世城郭 (2024/09/16 訪問)

猪苗代城の続き。猪苗代城は佐原義連の子孫・猪苗代氏によって築かれ、豊臣秀吉の御奥仕置の後は蒲生氏郷の家臣・蒲生郷安が入り、その後も上杉氏、蒲生氏、加藤氏の支配下に置かれ、江戸時代も特例として存続が認められています。蒲生氏の頃から近世城郭としての改修が行われていったようですが、石垣などの遺構は大手の付く東側に多く築かれ、西側は土塁や空堀などで守られています。
最高所に本丸が置かれ、南に二の丸、周囲には北帯郭、西帯郭、南帯郭が置かれ、南帯郭には煙硝蔵や番所が置かれていたようです。
東の大手には枡形が付き、石垣遺構は崩れている箇所もありますが、見ごたえがあります。
西側の土塁などの遺構も良く整備され、石垣の城と土造りの城の良さを味わうことが出来ます。
・・ストックが溜り過ぎてなかなか片付かない。記憶に頼りながら書いている部分もあるので、ご容赦ください。

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カズサン

尾張国西部北部未踏の城探訪14/17上末城 (2025/03/30 訪問)

 愛知県尾張国西部と北部未踏の城17城の内14城目上末城へ井上城から東に約7.7km程に在り、城郭放浪記さん上末城跡スポットの陶昌院の近くに在るファミリーマート小牧上末店駐車場を目指して走行。

 駐車場:ファミリーマート小牧上末店駐車場。トイレ借用し買物して駐させて頂く。
 参考資料:城郭放浪記さん、グーグルマップに依る。

 ファミリーマート駐車場から東へ登り小道を進行して落合医院を南に折れて一本南の道を西に折れて50m程で城郭放浪記さん上末城ポイントの当たる陶昌院に着く。陶昌院の本堂と鐘堂の間に数台車は駐められそう。
 陶昌院の本堂の西に「俗姓落合氏将監藤原安親碑」が有り落合氏の墓が残って居る、南は崖、西も落ち込んでいる、北の国道155号線側で北に落ち込み、グーグルマップに上末城跡史跡マークが有り土塁、堀が残って居る。この辺りが上末城域なのか?
 陶昌院、落合氏の墓を参拝して西の山門から参道を降りて北の国道155号線南側に遺構が残る土塁、堀、上末城跡碑、案内板を見学確認した、丁度道側約1m程竹林が伐採されていて石碑、案内板は良く見えた、堀と土塁は目では確認できたが写真では竹が重なり良くは見えない。大事にしたい土塁と空堀です保存管理を宜しくお願いしたい。

 案内板によると
 上末城跡は森下城ともいう。足利氏の末裔、落合将監勝正が築いたものである。勝正は文明年間(1469年~87年)の人物で、子の安親は織田氏につかえた。天正12年(1584年)の小牧・長久手の合戦では、池田勝入らの三河侵入の道案内をしたという。(小牧市教育委員会)
 

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ぴーかる

源義賢館跡 (2025/02/09 訪問)

【大蔵館】
<駐車場他>源氏三代供養塔駐車場6台分程あり
<交通手段>車

<感想>1泊2日埼玉大阪化計画第2弾、ラスト6城目。現地説明版によると大蔵館は平安時代末期に源義賢によって築かれたと伝えられています。館の規模は東西170~200m、南北220mと推定され四隅に土塁、空堀が残されています。
 上記駐車場所が源氏三代の史跡公園にようになっています。供養塔の道路を挟んで源義賢公の墓があり、お参りして大蔵館跡の大蔵神社に行きました。土塁が一部残されています。残る遺構は少ないですが、史跡は良く整備されて良い場所でした。
 
 これにてこの旅終了。この日の日中に除雪と一気に雪が溶けたようで、帰路時には新名神高速の冬用タイヤ着用も解除され、スムーズに帰ることができました。本当に事故無く無事でよかった1248㎞走破です。

<満足度>◆◇◇ 

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dougen

2019.12.28登城 (2019/12/28 訪問)

袋井駅の南側の浅名地区にある諏訪神社が馬伏塚城址となります。
城址は住宅地になっており、遺構はわずかですが、主郭跡となる諏訪神社周辺に土塁や空堀の遺構が残っています。

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