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ヒロケン

春日山城2 (2023/10/07 訪問)

春日山城は、1548年上杉謙信公が長尾家の家督を継いだ頃から城域の拡大・改修が大規模に行われ春日山全体に大小200とも云われる曲輪を配し、その周辺の尾根を城砦化、さらに、近接する山々には多くの支城を配しています。
春日山城は大規模な山城でありながら、堀切や土塁が少なく、他の日本三大山城・戦国期の日本五大山城に見られる石垣はありませんが、軍神上杉謙信公の居城であること、城の規模、御館の乱などの歴史的背景等で十分に想像を膨らませることが出来ます。
もし、御館の乱で上杉景勝公が勝利せず、上杉景虎公が勝利していたならば、豊臣秀吉の小田原征伐はあったのでしょうか?もっと言うならば、徳川家康公が江戸に幕府を開くことが出来たのでしょうか?もしの話ですが、本丸から景虎公が籠った御館方面を眺めると、そのように思えてしょうがありません。(こんな近くで謙信公の養子2人が家督を争ったのかと)

上杉謙信公を祀る春日山神社の鳥居をくぐり参拝すると、その時代の空気間というか、凛とした空気間につつまれ、自身の生活態度を考えさせられます"(-""-)"

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三浦の晃ちゃん

庭園は、神社の敷地内 (2023/10/21 訪問)

北畠神社の社務所にスタンプがあります。庭園の見学のための費用も、そこで払います。雨が降っていた生花、わたしのほかには、ダレも見学していませんでした。

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三浦の晃ちゃん

神社が入口 (2023/10/21 訪問)

北畠氏館跡庭園のある北畠神社さんのすぐ、そばが登山口です。雨が降っていたので、入口だけ覗きました。御城印は、北畠神社で、購入できます。

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三浦の晃ちゃん

2回目 (2023/10/21 訪問)

三十年ぶりぐらいで、久しぶりに訪問しました。お庭がきれいでした。

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三浦の晃ちゃん

小学校 (2023/10/21 訪問)

道の駅菰野に、車を置いて、徒歩で、現地に向かいました。案内板があります。敷地は、小学校になっています。土塁らしきものと、たぶん、お堀だったのかなという跡がありました。

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九兵衛

大桑城 (2023/10/21 訪問)

登山口駐車場に駐車。
各所に石垣、竪堀が確認出来ます。
山城に庭園跡が有るのは、珍しいですよね。
切井戸に至る道は、ロープを伝って坂道を降りる感じで大変でした。

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92

戸倉城 (2023/10/21 訪問)

旅行のついでに

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92

泉頭城 (2023/10/21 訪問)

旅行のついでに(柿田川公園)

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ドリセブ☆

お花見時期 (2022/04/04 訪問)

お昼の桜もいいけど夜桜も綺麗ですよ♪

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朝田 辰兵衛

武将像に惹かれたので… (2023/09/18 訪問)

武将像に惹かれたので,つい来てしまいました。湖北エリアは猛暑になっていないとの予報でしたので,そんな情報も後押ししました。
『ここから俯瞰できる山城や砦を攻城する意欲も,何気に湧いてくる場所だな…』というのが,賤ヶ岳の魅力に思います。
ところどころに看板がありましたが,鎌刃城同様「山ビル注意」です。

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トク

73【関ケ原の26人】 (24) 島津義弘 (島津義弘と内城) (2023/10/17 訪問)

(24人目)「島津義弘」の続き④です。
義弘が15才頃から約4年間を過ごした「内城」を訪れてきました。

鹿児島中央駅から南国交通バス「大龍小学校前」で下車、または市電に乗り終点「鹿児島駅」(写真⑨)からでも徒歩6分程の所にあります。私はバスで行き市電で戻りました。

江戸時代に入り鹿児島城が築城されると、この跡地は貴久と義久の菩提を弔う大龍寺となりましたが、寺は明治時代に廃仏毀釈で破却、その後は「大龍小学校」になっています。校庭に内城の碑が残っているようですが校庭の中には許可がないと入れないので、碑を柵の外から撮影しました(写真①すいません)。またその横には旧校門や大龍寺跡の碑もありました(写真②③)。でもこの小学校を見た瞬間ビックリ!😯 西郷隆盛の座右の銘「敬天愛人」が掲げられていて、西郷の教えが今でも受け継がれているのには感動しました(写真⑦⑧)。今和泉島津家屋敷「篤姫」生誕の地も隣接していて、その向こう道の突きあたりが西郷隆盛の墓所(南洲公園)です(写真⑥)。

この近くにはもともと東福寺城という島津宗本家の城があったようです。しかし伊作島津家である父の貴久が守護であった宗本家の後を継ぎ、1550年に伊集院の一宇治城から鹿児島市内の海に近いこの場所に新たに内城を築城し移り住みます。城といっても屋形のような平城(居館)であったようです。ザビエルに出会ってから南蛮貿易の重要性に気づき、その貿易を盛んにするために海に近い場所に移して港を整備し、また大隅日向の統一を目指すための拠点としてここに居を移したと思われます。そして貴久死後は、長男の義久が後を継ぎ城主となり、江戸時代にその義久の後を継いだ義弘の子で初代薩摩藩主の忠恒が鹿児島城を築城するまでの約50年間、ここ内城が島津の本城となりました。

義弘も父の貴久と共に1550年に移り住み、15才頃から約4年間をここで過ごしたようです。そして18才になった義弘は、いよいよここから初陣を迎えます。

次は、義弘初陣の地で最初に城主となった(平松城)を訪れます。


【余談】さつま焼酎の看板
「さつま白波」は有名な鹿児島の芋焼酎ですが、鹿児島中央駅前でバスを待っていた時、ふとこのでっかい看板が目に止まり、思わず笑ってしまいました(写真⑩)。皆さんにはこの「だいやめで、きばいもんそ。」の意味がわかりますか?🤔(正解はこの下↓です)
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(正解は)
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「今夜は一杯飲んで今日の疲れを癒し、また明日から気合をいれてがんばりましょう!」
の意味でした~!😊
 

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カズサン

大書院と二の丸(3/3) (2023/10/01 訪問)

 続いて大書院を眺めつつ、二の丸周囲と大書院式台玄関、二の丸北大手の桝形囲いの石垣を眺めて三の丸北へ進行、相変わらず車、観光バスは引っ切り無しに駐車場へ入って来ます、余裕の三の丸駐車場です。
 この後は城下の混雑してる地区を避けて丹南篠山口ICを経由して北近畿道を通り但馬へ。
 

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カズサン

埋門からのアプローチ(2/3) (2023/10/01 訪問)

 南内堀周辺の復元整備の確認へと探訪を終えて、且つ天守台、本丸、二の丸の南側石垣城塁も十分堪能し、二の丸搦手門側からアプローチし二の丸埋門から二の丸内部へ進入、二の丸内部、平成12年に復元された大書院は風雪23年に耐えて風合いが出て来ました南側を眺めて、本丸へ現在青山神社が鎮座、天守台に登り周辺を俯瞰する、遠く八上城の山容を望み、天端より復元整備された南内堀、南広場を眺める。
 城下の賑わいほどではないですが、観光客が多く入城して居ました、何時訪ねてもワクワクします。
 

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赤い城

伝正寺境内が主郭 (2023/09/30 訪問)

伝正寺と三田公会堂周辺が城趾。
車も停めることができます。
伝正寺の周りを土塁が囲んでいてその外側は堀だったようです。
ちょうど彼岸花の時季で土塁を彩っていました。
公会堂の裏手にも土塁があるようですが見落としてしまいました。
姉川古戦場からも近い場所にありますが先を急ぐことにしました。
次回は小谷城も含めて周辺をじっくり回ってみたいですね。

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しんしんちゃん

なんとなくノスタルジックな気分になれる。 (2020/01/04 訪問)

秋月城は別名・秋月陣屋といい、戦国期の秋月氏の館跡に寛永元年(1624)に黒田長興が
築いたとされています。県の文化財に指定されている黒門を進むと黒田長興を祀る
垂裕神社にたどり着きます。城の主要部分は秋月中学校の敷地となっているようで
木造の校舎が良い味わいを出しています。大手には瓦が敷き詰められていて瓦坂と
呼ばれています。派手さはないものの落ち着いた雰囲気の良い城址です。

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しんしんちゃん

基肄城の写真のあまり いものがんぎ 佐賀県三養基郡基山町小倉 (2020/01/04 訪問)

基肄城の最大の見どころは水門周辺の石垣ですが、基山山頂部の主郭周辺の遺構も
なかなか見ごたえがあります。眺望が素晴らしいのはもちろんですが主郭下の
土塁を堀で分割した防御設備は「いものがんぎ(芋の雁木)」と呼ばれています。
芋畑の畝に見た目が似ていることが呼び名の由来らしいですが、なかなか素朴な
ネーミングセンスで良いと思います。

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しんしんちゃん

広大な城域を遺構で囲む。城というより山。 (2020/01/04 訪問)

基肄城は朝鮮式山城と呼ばれる古代の山城で基山と坊住山の二つの山にまたがる広大な城域
を持ち、太宰府の南の守りを担っています。天智2年の白村江の戦いで敗れた日本が新羅・
唐に対する防衛のために天智4年に築いたとされています。南水門の周辺には石垣など遺構が
良く残っており、水門は急峻な山容から流れる谷水の排水の役割も担っていたようです。
基山の山頂部からの眺望は素晴らしく、東峰の周辺には土の堤が残っています。2時間ほどの
ウォーキングを楽しみましたが、あまりにも城域が広いので全容を把握するまでに至って
いません。

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しんしんちゃん

夕暮れの中津城 (2020/01/04 訪問)

少し古い写真になりますが、中津城は二回目の訪問で、続百名城のスタンプが
欲しくて駆け込みに近い形で訪問したのを覚えています。すでに夕方になってきて
写真もいささか暗いのですが、これはこれで味があるのかもしれません。
サンドイッチのような直角三角形の縄張りを持っていた風変わりな城で扇城の
別名を持っています。黒田官兵衛の築いた石垣を細川家が改修した跡が残って
いるようなので三度目の訪問の際にはゆっくり石垣の継ぎ目を探してみたいと
思います。

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カズサン

南内堀復元整備の探訪(1/3) (2023/10/01 訪問)

 折角丹波篠山市まで来ておりますので、淀山城、八上城を終えて篠山城へ寄り、グラウンド、野球場として埋められてた内堀南側を埋め戻した南側内堀の復元整備は如何に進捗してるかと確認と探訪を8年振りに致しました。

 駐車場:篠山城三の丸北西駐車場(有料)を利用、土日祝日は400円、以外は200円、賑わって混んでいましたがお客さんは城下町側のイベント、街歩きの方へ運んでいました。

 探訪ルートは、駐車場から三の丸西、南へ、三の丸南広場が整備されてます、外堀側の土塁も奇麗に整備、トイレも完備、内堀を南、東目視確認、南東角の内堀から北へ、西へ石垣整備されて奇麗になっています、北方向の内堀は草が茂り良く分かりませんが、北大手から北、東は平成24年頃には完成しております。
 南東角の内堀と天守台の高石垣の景観は篠山城の見所一番かもしれません。
 南搦手門の土橋辺りの整備はまだの様で、土橋からの付根辺りから南内堀中ほどは、岩盤が露出して折りこのままの内堀整備かも?北の土橋、南の土橋を除いて内堀の水堀化整備はおおよそ完了なのでしょう。
 平成14年(2002年)から約20年超、少しずつでも復元整備が進んでいました。
  

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ぴーかる

勝山御殿跡 (2023/09/09 訪問)

【勝山御殿跡】
<駐車場他>駐車場あり。
<交通手段>車

<見所>石垣
<感想>1泊2日北九州・豊前中津の旅3城目。第38回 日本100名城、続日本100名城に負けない名城として特集されていた勝山御殿跡に行きました。今回の旅のプラン立案の後にいい場所があったのを見直して急遽プランに入れ込んだので山城の方の勝山城登城は今回は見送り、御殿跡を軽く巡りました。元々山城と御殿跡との関連はほとんど無いので御殿跡の方が城びと未登録なのですが、特集として紹介されているので、勝山城の「行った」ポチはせずに勝山城の投稿として(先達方もそういう方が多い)させていただきます。
 御殿跡を道路が分断して駐車場がありますので御殿跡には車を降りればすぐ行けます。本丸表の郭は南に大手口、東西に1か所づつあります。大手口の巨石を組んだ落とし積みと呼ばれる石垣は本当に圧巻で見惚れました。特集される名城なのに城びとフラッグが無い、実体感してみて再度城びと追加見直しが必要かと思われました。

<満足度>◆◆◆

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