芦浦観音寺館(城びと未登録)は、聖徳太子開基と伝わる古刹が織豊期に城郭化した城郭寺院で、織田信長からは琵琶湖の水運権を保障され、豊臣秀吉からは船奉行に加えて蔵入地の代官に任じられ、文禄・慶長の役では肥前名護屋城下に陣を構えて兵糧米の輸送を担いました。江戸期にも船奉行や天領の代官、永原御殿の作事奉行などを務めましたが、江戸中期に政治的な役職を解かれています。
芦浦観音寺南側の駐車場から登城開始。芦浦観音寺の拝観は予約制ですが、年に2回(例年5月4・5日と11月23日)だけは一般公開されているので、この日は芦浦観音寺館(と金ケ森城)を主目的に湖南地方を訪れました。駐車場から表門に歩いて行くと、公開時間(午前10時)前だというのにすでに幾人かの人が並んでいます。表門前の石橋から堀の両側を見ると、右手には水堀と石垣が、左手には水堀が南西角で北に折れて続いています。石橋を渡ると表門の前は石垣と土塀で囲まれた枡形になっていて、表門は寺院の山門には珍しく長屋門(修復工事中でよく見えませんでしたが)であり、表門をくぐる前から城郭感たっぷりでした。
表門で拝観料を支払って境内へ。並んでいた人が阿弥陀堂や書院に向かう中、私は真っ先に周囲を取り巻く土塁を見に行きました。表門の枡形から南辺~東辺にかけて土塁が遺っていて、石垣も施されています。東辺の土塁と石垣は書院の裏手を過ぎたあたりから藪化していたので、それ以上の探索はやめておきました。書院の裏手から西に続く堀は、かつて曲輪を区画していた堀の名残のようです。
境内では国重文の阿弥陀堂や書院、徳川綱吉生母の桂昌院が信仰したとされる聖天堂、納豆蔵や切支丹灯籠などが見どころですが、中でも書院は元々は伏見城の建物であり、芦原観音寺が作事奉行を務めた際に永原御殿に移築したものを、廃城時に境内に再移築したものなんだとか。また、この日は徳川家康や長束正家、大久保長安らの書状が特別公開されていたようですが、見学し忘れてしまいました…。
堀に石垣に枡形に土塁に…と城郭の雰囲気を存分に感じられる寺院であり、予約して、あるいは一般公開にあわせて訪れる価値は充分にあると思います。
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