JR東海ツアーズの「JR東海オリジナルデザイン【切り絵御城印付き】名古屋城観覧入場」でもらえる特別御城印を目当てに登城しました。
それだけでは勿体無いので、西の丸御蔵城宝館の企画展を観たりしました。ゴールデンウィークなので本丸御殿は長蛇の列のため断念しましたが、いつ来ても良いお城だと感じます。
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2024/05/01 17:41
切り絵御城印を目当てに (2024/04/27 訪問)
JR東海ツアーズの「JR東海オリジナルデザイン【切り絵御城印付き】名古屋城観覧入場」でもらえる特別御城印を目当てに登城しました。
それだけでは勿体無いので、西の丸御蔵城宝館の企画展を観たりしました。ゴールデンウィークなので本丸御殿は長蛇の列のため断念しましたが、いつ来ても良いお城だと感じます。
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2024/05/01 14:23
環濠集落の名残りを見られます。 (2024/04/28 訪問)
城跡は整備されてクリーク公園となっておりました。
佐賀地方には多く見られた環濠集落が良好な状態で残っているとの事で立ち寄りました。
それぞれの地は水堀の役目をした環濠に守られて、一度戦になれば攻めにくい城にであったであろうと想像しながら周りました。
今は釣りなどを楽しむ人も多く見られる見学しやすい公園ですが、守りの硬い城跡の雰囲気を十分味わえる城跡ではないかと思います。
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2024/05/01 11:53
2024/05/01 11:33
広大な城域に織豊系遺構2/3・本丸~南曲輪と三の丸?編 (2024/04/19 訪問)
広大な城域に織豊系遺構1/3・二の丸~本丸編のつづきです。
本丸と南曲輪の土橋を渡って南曲輪へ、土橋の左右には手取川側に竪堀が落ち込み、東側には大きな空堀、南曲輪は二つの曲輪に分かれて西側には「白山比咩神社創祀之地」石碑と由来石盤が有り祀られている、古い歴史の在る舟岡山である事が良く分かります。
南曲輪は2曲輪合わせて馬出の役目を担っていたのかも?、東に虎口が在り本丸口への登城路?虎口の北側には石垣城塁が現存ここでしっかりした現存石垣を確認、やっとほっとし安心して石垣を眺められました、此処で本丸東側下へ抜けられるかと周囲を見渡しましたが本丸口への坂道なので、引き返して南曲輪、本丸、二の丸、馬出門跡経由して、2の丸東下から2の丸、本丸の城塁、横堀を観察して、本丸から3の丸エリア?なのか分けりませんでしたが、東方向へ長土塁と空堀がセットで西と東と有り間は喰い違い土塁で馬出氏門跡にもなっている。
大手山道、4の丸エリアは省略して探訪を終了、大変広大で石垣も残っており、しっかり良いものを観させていただきました。
舟岡山城の歴史は一向一揆勢が鳥越城への入口を抑える拠点として修築され、手取川奥の白山麓一向一揆勢力の籠る鳥越城の出城の役目をしていた様です、天正8年(1580年)の織田軍の加賀平定戦で鳥越城と共に落城した模様。
豊臣政権下前田利家が金沢に入城すると、家臣の高鼻石見守定吉が13000石の城主に成った、現在の残存遺構は織豊期の修築によると考えられるとか?
城域全体は杉の植林で鬱蒼としている、もう少し杉林を伐採して陽の当たりを多くし爽やかな城域に環境整備なされると有り方かなとも考えますが、南曲輪の由来石盤には白山比咩神社が私有地を寄進されて石碑と石盤を建てたと有りますので城域全体私有地でもあれが整備は中々難しい事なのかもしれませんが、何とか全体もう少し明るくしたいなぁ~とも思ったものです。
素晴らしい山城ですし白山青年の家の駐車場も利用出来て比高もそれなりに低く山城、山道散策には丁度いい城域です、楽しませて頂きました。
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2024/05/01 09:38
広大な城域に織豊系遺構1/3・二の丸~本丸編 (2024/04/19 訪問)
和田山城、和田山古墳群を終えて北陸路8番目西に約12km程の舟岡山城を初登城、手取川を背に後ろ堅固の城郭、大規模な工事が行われたらしく、二の丸、本丸の石垣、堀、竪堀、土橋、土塁が眼前に現れると興奮状態、和田山城も興奮の山城、その直後にまた興奮2連発、大変素晴らしい山城を見させて貰いました。
駐車場:白山青年の家駐車場を利用、青年の家の目に縄文遺跡が有り竪穴住居が復元されていました。
参考資料:余湖図コレクションさん城郭放浪記さんグーグルマップに依る。
昨日、ヒロケンさんが投稿、同時期に登城されて居りますが北陸路城廻りの順番に投稿していますので、ダブった様な投稿に成りましたがご勘弁ください。
登城口は余湖図コレクションは南口、城郭放浪記さんは北口で案内されていましたが比高を稼げそうなので白山青年の家駐車場を利用して、裏手にある北口登城路を選択。
北口登城口に案内解説板が有ります、余湖図コレクションの情報では南口にも案内解説板が有るようです、北口を2段登ると4の丸と大手山道の指示板、主郭に早く行きたく大手山道を選択、西方向?に4の丸の3~4段の石垣?土塁段が南北に連なり広大さを見せつけている、中ほどまで進むと、3の丸と北口山道指示板、三の丸を選択し遊歩道は少し消えかけていましたが其れなりに進む途中に大木が倒れているので踏み越えて進むと二の丸の角城塁が見える、石垣が草に覆われてるが石垣だと分かる、馬出門跡を通り手取川が望める遊歩道へ、2の丸と北口山道・馬出門の指示板、2の丸虎口より進入、手前の手取川側に竪堀、その奥に櫓台の様な石垣台、2の丸は東側と南側に土塁、石垣が有るかは遊歩道からは判別できず、南側に一段上がって本丸へ手取川側に竪堀が落ち込んでいる、土橋の東側は2の丸と本丸の空堀、虎口より入り本丸へ虎口の手取川側に櫓台石垣、本丸は二の丸より広く、東と南に土塁、石垣かも知れないが、南へ土橋を渡って南曲輪へ。
広大な城域に織豊系遺構2/3・本丸~南曲輪・3の丸?編へつづく。
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2024/05/01 06:57
2024/04/30 21:17
長篠城を囲む五つの砦の主城 (2024/04/29 訪問)
鳶ヶ巣山砦は長篠城を囲うように武田勝頼が築かせた五つの砦の一つです。鳶ヶ巣山砦が本城で他の四ツの砦が支城になるようです。長篠・設楽原決戦の前夜、徳川家康の重臣・酒井忠次は奇襲を命じられ、豊川を渡り、南側から尾根伝いに移動して夜明けに鳶ヶ巣山砦を背後から攻撃しました。
五つの砦の守兵一千に対し、奇襲部隊は四千の兵に五百の鉄砲を装備しており、鳶ヶ巣山砦の守将・武田兵庫頭信実は数で勝る相手に奮戦しましたが信実以下ことごとく討死し、五つの砦は全て落城してしまったとのことです。同じころ設楽原では武田軍と織田・徳川軍が決戦に至り、武田軍の敗北で幕を閉じ、武田氏の凋落が決定的になりました。
鳶ヶ巣山砦跡には、この一連の戦いで命を落とした将士の墓(供養碑)が建てられています。東には平坦地が有りますが例によって杉が大量に植えられており、地形もだいぶ改変されているようです。扁平地と将士の墓の周辺との境には謎の土盛りが有りますが、これは境界線のようなものなのでしょうか?
※砦ではありますが、あえて主城 落城 支城などの表記で投稿させていただいております。
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2024/04/30 20:31
岩略寺城 (2024/04/30 訪問)
城びとで紹介されてからずっと行ってみたかった岩略寺城へ行ってきた。
久々のガチ山城だったけど、クルマで城趾のすぐ脇まで行けるので意外と気軽に行ける。クルマ一台がやっとというつづれ折りの道で、獣除けの為の柵もあったりでなかなかの道だったけども(苦笑)グーグルマップ見ても道がないし。
一応城址の入り口近くに縄張図があったり、所々には遺構を示す看板が立ってはいるけど、基本的にはほぼ単なる杉林。道もあるにはあるが、さほど整備は行き届いてはいないので、結構大変。入り口の縄張図を写真に撮って、それを見ながら回ると分かりやすい………というか、そうしないと杉木立で見通しがないので何がどこにあるやら。
堀切、切岸、土塁などはよくわかる。本曲輪に入るにはロープを伝って登るぐらい急斜面。ロープがまだ新しいので、最近設置してくれたみたいで、雨上がりの見学に大変有り難かった。
井戸も所々にあったけど、水が湧き出るというより雨水を貯めておく貯水槽のような感じ。
城域はかなり広く、曲輪も思ったより広かった。尾根筋に曲輪が連なる感じとかも良かった〜。
久しぶりに山城を堪能した!!!
城から降りてからマダニが服に付いてるのを発見したので要注意!!!
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2024/04/30 20:10
名古屋城 梅と天守と宮きしめん (2019/03/02 訪問)
この日は西南隅櫓が公開していましたが、他にも二の丸庭園でお茶をいただいたり、城内で宮きしめんを食べたりと、いろいろと楽しい訪問でした。まだ金シャチ横丁が出来る前でしたが、大手馬出のところにある名古屋城きしめん亭で名古屋名物の宮きしめんを食べることが出来ました。きしめん亭は今でも営業しているようなので金シャチ横丁と合わせて御贔屓に願います。
桜に比べると多少地味ではありますが、梅と天守の組み合わせもなかなか良いものです。他にも御殿椿が咲いていたり、武将隊が来ていたりと名古屋城は一年を通じて楽しめる城だと改めて感じました。
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2024/04/30 19:48
名古屋城・西南隅櫓 (2019/03/02 訪問)
名古屋城の西南隅櫓は明治後期から大正10年(1921)ごろまでの間に、自然災害にて石垣ごと崩壊しています。大正12年に修理再建が行われますが、正直 文化財に対しての認識が不十分だったようで壁はモルタル塗りだったそうです。平成22年から半解体修理が行われ、本来の白漆喰塗りの姿を取り戻しました。その際、内装も従来の姿に直されています。
通常非公開ですが、時期によっては公開しており、写真は公開時のものになります。外観は二重ですが、実質三重櫓と同等の容積を持ち、内部は三階の構造になっています。
かつて本丸の四方は多聞櫓で囲まれ、要所に隅櫓が建ち高い防御力を誇っていました。多聞櫓は明治維新後も残っていたのですが、明治24年の濃尾地震で大破し、撤去されています。
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2024/04/30 18:32
城への交通手段実践レポート (2024/04/28 訪問)
知覧城もシラス台地を利用した深い空堀の城跡で空堀、切岸、土塁が見所でした。本丸には残っている土塁の一部を見学しやすいように整備されていた。蔵之城跡(くらんじょうせき)には、掘立柱跡が復元されていた。
駐車場からは本丸などへの案内看板もあちこちにあり散策しやすい。
スタンプはミュージアム知覧チケット売り場横にあり入城しなくても押せるが、中に知覧城や城下町のジオラマや音声解説もあるので入館あしてはいかがかと。
さらい是非立寄ってほしいのミュージアム知覧の横にある特攻平和会館。知覧は特攻隊が出撃した飛行場があった場所で、海から引き揚げたゼロ戦や軍服、寄せ書きなどのほか、二十歳前後の特攻隊員の遺書も展示されている。遺書は読んでいると涙が出てくるが、戦争の悲惨さを知る資料として後世にもしっかり伝え戦争を二度と起こさない世の中を願うばかりです。
本日の行程は以下の通り
※宮崎、鹿児島城廻第三日(最終日)、知覧城に登城
※鹿児島中央駅付近のホテルに前泊
9:27鹿中駅(路線バス)、10:46特攻観音入口
(徒歩3分)(続百名城スタンプ)ミュージアム知覧(9:00-16:30水休
※特攻平和会館も立寄り(9:00-16:30)
(徒歩26分)知覧城跡
15:56特攻観音入口、17:15,17:30鹿児島中央、18:10,19:30鹿児島空港(航空機)、21:15羽田
※行きのバスが途中の平川動物園までの道が大渋滞で1時間遅延したため、武家屋敷見学を中止しました。当初予定は以下の通りでした
知覧城跡から徒歩25分)知覧城下町
※武家屋敷散策約60分
※15時~温泉日帰り入浴
(徒歩12分)16:03武家屋敷入口バス停
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2024/04/30 18:28
尼子十砦7城目 (2024/02/24 訪問)
【寺山城】
<駐車場他>王子神社の駐車場と思います。<35.354300, 133.168188>に2台分程の空き地あり。
<交通手段>車
<感想>1泊2日尼子十砦の旅8城目。寺山城の城郭情報は少なく、よく分かりません。城びとの城郭情報では築城年・築城主とも不明で、主な城主に福山肥後守、土居大隅守となっています。
おそらく登山道は無いようなのでまず案内から。北に位置する王子神社に行きます。社殿の背後左手の谷から登れる体力のある方はそこから直登する。無理な方は社殿背後の左手に杭打ちの道がありますから山の左手斜面沿いに進みます。100m程進むと正面にまだ斜面がましな尾根が降りてきているのでそこに取り付いて西方向に直登し、登り切ったら城跡の北端の曲輪の側面に出ます。
城跡は尾根の最高地を主郭として、北に2段程小さい曲輪があります。主郭の南下段から堀切もなく(尼子城郭の特徴だね)ずっと尾根が続いていて300m程行きましたが果てがないようなので戻りました。主要部の西側下段に武者走りが付いています。曲輪にわずかに直線状の段差が見られる程度なので一見城跡だとは分からない感じです。
下山は北の尾根を降りて行って王子神社背後の谷をストックと木を掴み駆使してズルズルと滑り降りました。
<満足度>◆◇◇
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2024/04/30 17:55
城への交通手段実践レポート (2024/04/27 訪問)
復元された御楼門や石垣が見所でした。石垣には西南戦争の弾痕が数多く残っていました。
詰城があったわけではないが、黎明館裏の城山にも約1㎞の道のりを登りました。麓から歩いたが、車でも8,9合目くらいまでは行けるようです。
本日の行程は以下の通りです
※宮崎、鹿児島城廻二日目、志布志城と鹿児島城に登城
※志布志駅付近のホテルに前泊
志布志駅内観光案内所レンタサイクル(9:00-17:00、無料)
(1.1km徒歩14分)(続百名城スタンプ)志布志埋蔵文化財センター(9:00-16:30月休:押印可)
(1.8km徒歩36分)志布志城跡
11:56志布志駅前(路線バス)、13:47,13:50垂水港(フェリー)、14:25,14:30鴨池港(路線バス)、15:16市役所前
(徒歩10分)鹿児島城 (百名城スタンプ)鹿児島県歴史資料センター黎明館(9:00-17:30月休)
18時半頃:市役所前(市電)、約12分で鹿児島中央駅
泊:鹿児島中央駅付近
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2024/04/30 17:42
城への交通手段実践レポート (2024/04/27 訪問)
晴れていれば、駅構内の観光案内所で無料のレンタサイクルがあるので利用が便利です。まずスタンプのある埋蔵文化センターに寄り、志布志城のジオラマで登城イメージを作るのが良いかと。ジオラマは素晴らしい出来でした(鹿児島城跡にある黎明館にもより大きな志布志城のジオラマがあります)
城内の登城路の分岐箇所には案内板があるので、散策には助かりました。雨上がりなのでシラス台地の登城路はすべりやすいところがあるので気を付けてください。なお、大野久尾(おおのくび)へは、大空堀からの登城路が降った雨の重さで笹が垂れ下がって通行できず諦めました。
おまけ:城跡近くに店がある志布志バーガーはおいしかったです!
本日の行程は以下の通りです
※宮崎、鹿児島城廻二日目、志布志城と鹿児島城に登城
※志布志駅付近のホテルに前泊
志布志駅内観光案内所レンタサイクル(9:00-17:00、無料)
(1.1km徒歩14分)(続百名城スタンプ)志布志埋蔵文化財センター(9:00-16:30月休:押印可)
(1.8km徒歩36分)志布志城跡
11:56志布志駅前(路線バス)、13:47,13:50垂水港(フェリー)、14:25,14:30鴨池港(路線バス)、15:16市役所前
(徒歩10分)鹿児島城 (百名城スタンプ)鹿児島県歴史資料センター黎明館(9:00-17:30月休)
18時半頃:市役所前(市電)、約12分で鹿児島中央駅
泊:鹿児島中央駅付近
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2024/04/30 17:12
城への交通手段実践レポート (2024/04/26 訪問)
旧本丸は苔むした石垣が見事。観光案内所の人によると、旧本丸に残っている搦手の門は、本丸を移すきっかけの地震でも倒壊を免れたものだそうです。移転後の本丸は小学校になっており、部外者立入禁止で見学せず。
城下町や搦手門下を歩いていると地元の小学生や中学生から「こんにちは!」と元気な挨拶を頂き、振徳堂の精神(?)が引き継がれているのかと感じるような心地よい気持になりました。
本日の行程は以下の通りです
※宮崎、鹿児島の城廻第一日目、佐土原城と飫肥城に登城
※宮崎交通バス1日券1800円(乗換案内アプリ専用)は佐土原や飫肥エリアも使えるので活用しました
7:50羽田(航空機)、9:35,9:48宮崎空港(路線バス)、9:59,10:15宮交シティ(路線バス:2番:花ヶ島・西都行)、11:00交流センター前
(徒歩1分)佐土原城(続百名城スタンプ:城の駅佐土原いろは館9:00-18:00無休)
(歴史資料館鶴松館9:00-16:30土日祝のみ開館)
11:47交流センタ前(路線バス)、12:24,12:30宮崎駅(JR)、13:40飫肥駅
(徒歩19分)飫肥城跡(百名城スタンプ:飫肥歴史資料館9:30-16:30無休)
※飫肥駅横でレンタサイクル(9:30-16:30,500円/日)があるので飫肥駅との往復ならおすすめです
16:25飫肥城下(路線バス)、17:07,17:39南郷(JR)、18:44志布志
泊:ホテル志布志(19時朝付7300円)
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2024/04/30 16:49
城への交通手段実践レポート (2024/04/26 訪問)
平日に行ったので、鶴松館は休館日で金箔瓦などは見れませんでした。
大手道は過日の台風で土砂崩れがあったらしく、迂回路ができていて本丸へは行き来可能でした。ただ残念ながら松尾丸への道はロープが張られて立ち入りできませんでした。
前日の雨で大手道はぬかるんでいて靴は泥だらけになったので、雨の日などは注意が必要です。
本日の行程は以下の通りです
※宮崎、鹿児島の城廻第一日目、佐土原城と飫肥城に登城
※宮崎交通バス1日券1800円(乗換案内アプリ専用)は佐土原や飫肥エリアも使えるので活用しました
7:50羽田(航空機)、9:35,9:48宮崎空港(路線バス)、9:59,10:15宮交シティ(路線バス:2番:花ヶ島・西都行)、11:00交流センター前
(徒歩1分)佐土原城(続百名城スタンプ:城の駅佐土原いろは館9:00-18:00無休)
(歴史資料館鶴松館9:00-16:30土日祝のみ開館)
11:47交流センタ前(路線バス)、12:24,12:30宮崎駅(JR)、13:40飫肥駅
(徒歩19分)飫肥城跡(百名城スタンプ:飫肥歴史資料館9:30-16:30無休)
※飫肥駅横でレンタサイクル(9:30-16:30,500円/日)があるので飫肥駅との往復ならおすすめです
16:25飫肥城下(路線バス)、17:07,17:39南郷(JR)、18:44志布志
泊:ホテル志布志(19時朝付7300円)
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2024/04/30 14:13
2024/04/30 14:00
2024/04/30 13:44
2024/04/30 08:28
織豊期の貴重な石垣 (2024/04/28 訪問)
舟岡山城は、手取川右岸の独立丘陵で標高181mに築城された山城です。手取川扇状地の扇の要に位置し、白山麓の谷合集落に向かう要衝に位置し、山全体が舟岡山城跡として白山市指定史跡になっています。
遺構は、曲輪、石垣、堀、土橋、土塁等々が残存し、なかでも本丸周辺には織豊期の貴重な石垣、規模の大きな横堀、曲輪を囲う土塁、石垣造りの櫓台など往時を想像させるには十分な遺構が残存しています。
築城年代は不明とされていますが、1580年頃には若林長門守を名乗る石山本願寺と加賀一向一揆衆が織田の軍勢と対峙したとの事から、石山本願寺、加賀一向一揆衆の拠点であったと考えられています。
その後、前田利家公が金沢城に入城後は、利家公と血縁関係があると云われている、前田家の重臣、高畠定吉が入城し織豊期の城に改修しています。
今回、孫に会う為、石川を訪れたついでに「行ってみたい」にしていた、舟岡山城を訪れました。白山青年の家に駐車(トイレも施設で貸していただけます)。施設の裏手に登城口があります。
先達の皆様方が云われる様に、思いのほか素晴らしい遺構が残存しており、白山市の指定史跡にしておくには勿体ないくらいの城で、もっと整備して頂けたら訪問される方が増えるのではないかと思います。是非、行って頂きたいお勧めの城跡です。
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