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しんしんちゃん

雨山合戦 (2021/05/29 訪問)

雨山城は阿知波氏の城とされ、作手の城主奥平貞勝を後ろ楯にして織田方に属し
今川方と対峙していたと宝篋印塔近くの案内板に書かれています。弘治2年(1556)8月、
今川方の野田城主菅沼織部正定村と弟の宇利城主新左衛門、山吉城主半五郎定満らが
長山より風吹峠を越えて攻め込んで来たとあります。(雨山合戦)今川方の三将は
この戦いで討死し、奥平・阿知波方の勝利となりましたが、最終的に今川方の大軍に
阿知波氏は敗れたとあります。雨山城へは主郭の後ろから回り込むように登城道が
ありましたが(21年5月時点)主郭は物見のような郭くらいしか確認できず全体は
不明のままでした。単郭の城郭というよりは砦のようなイメージです。城跡のすぐ近くに
雨山合戦場跡の石碑と、この戦いで討ち取られたという菅沼定村の宝篋印塔があります。

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しんしんちゃん

散策道が用意されており堀切と土塁を楽しめる。 (2022/09/03 訪問)

社山城の登城道は北側に付いていて、途中に堀切があります。そのまま簡単に
主郭である一の郭にたどり着き、城名の示すとおり八幡神社が鎮座しています。神社の
背後には土塁が残っており、一の郭の東には堀切を隔てて郭が広がり間を堀切で隔てて
二の郭と三の郭を仕分けているようです。雑草がうっそうとしていますが、散策道が
用意されており比較的遺構も残り、お手軽に山城の良さを味わうことが出来ます。

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しんしんちゃん

玉城  岐阜県不破郡関ケ原町玉の城山 (2023/04/08 訪問)

玉城は関ヶ原古戦場の西2kmあたりにある城山の山頂に築かれており、最近では
関ヶ原の合戦に際し西軍の大将(毛利氏か豊臣秀頼?)を迎えるため整備されたという新説も
出ているようです。城域は北東から南西側に伸びた瓢箪のような形状をしており北東部の方が
標高が高く東屋のあるあたりが主郭と見られます。山頂部全体が扁平地になっているように
思われますが縄張り図を見ると段差があるようで主郭へは南側がら北西へ時計回りに
回り込んで侵入するようになっているようです。山頂部の南西から北西までの一帯を
広い帯郭のような扁平地が囲っていて城域全体に横堀や竪堀が放射状に配されているようです。
南西部は南北に堀切が縦断しておりその周辺から北西までの一帯では目視で竪堀や堀切を
確認することが出来ます。
大正時代に名古屋陸軍兵器補給廠関ケ原分廠の敷地となり麓に哨戒所と門が残ります。
注目を集めるのがもう数年早ければ城びとにも登録されていたかもしれない山城で
関ヶ原町を訪れた際には、お時間に余裕があれば訪れてみてはいかがでしょうか。

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カズサン

2度目の多賀城ダイジェスト版 (2023/09/18 訪問)

 7年振りに多賀城探訪、今回は外郭復元南門が主目的の訪問ですが、写真を百枚近く撮りましたので7編に分けて投稿させて頂きましたが、何か訴えるものがぼやけたようで、再投稿の写真を含めて10枚に絞った気に入りの写真を投稿します。
 長々の投稿ご覧いただき感謝申し上げます。ありがとうございました。
 この後は本来の目的、宮沢遺跡探訪と城びと未踏城郭の探訪へ、宮城県福島県栃木県を訪ねます。
 

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カズサン

展示案内解説板諸々(7/7) (2023/09/18 訪問)

 2度目の多賀城訪問、政庁跡南門から1段降りた処に、政庁復元模型、多賀城の変遷、多賀城の概要が解説盤として設置されています、しばし勉強の時間と読み眺めていました、特に東北城柵の配置、変遷時期が目を引きました1300年の歴史が刻まれています。
 目に付いた案内板、解説板を投稿します。
 

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カズサン

政庁東殿跡周辺(6/7) (2023/09/18 訪問)

 7年振りの多賀城再訪、桜の時期の初登城、2度目は秋の彼岸前彼岸花が若干咲いてる時期の残暑厳しい日。
 政庁跡を北殿・後殿・正殿・正殿前石畳、南門・両翼廊跡をサラッと見学し、今回目的の外郭復元南門、工事中の両翼版築塀の現場に向かいましたので、西殿跡、東殿跡は遠目で追うだけ、南門から政庁跡へ上がって、東殿跡、正殿を南から観察撮影しましたので投稿させて頂きます。
 南門が竣工したら政庁正殿の復元が待たれますね?
 

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ぴーかる

清水山城 (2023/08/19 訪問)

【清水山城】
<駐車場他>清水山上公民館に駐車しました。
<交通手段>車

<感想>越前ちょこ城巡りの旅5城目。城びとの城郭情報では清水山城の築城は1410年に斯波義重によって築城されたとなっています。斯波義重は越前・尾張・遠江・加賀・信濃の5か国守護で室町幕府の7代目管領でもあります。1409年に斯波義重は管領を辞しているのでその後に城館として築いたようです。戦国時代には丹羽長秀の家臣太田一吉が入城します。丹羽長重が減転封後は太田一吉は秀吉に仕え美濃国1万石を与えられます。石田三成と親しかったらしくその引き立てにより、豊後国の大友家改易後は豊後臼杵城主となります。関ヶ原は西軍に与みしていたので改易となります。
 現在城びとポイントの小丘上に毘沙門神社と城跡碑があります。ここら辺が曲輪跡のようだが、すぐ横が民家になっていてあまり周囲を散策できず終了としました。

<満足度>◆◇◇
 

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にのまる

姫路城十景めぐり⑤ (2023/09/19 訪問)

【シロトピア記念公園(ふるさとの森)】
姫路市立美術館から道路一本はさんで北に隣接しています。
真っ先に向かったのがその一角にある県立歴史博物館です。
外壁の鏡面ガラスに映る天守の写真を見せてもらったことがあり、ハートを射抜かれてしまっていました。

美術館と同じく休館日でしたが外観は見ることができます。
ドキドキしながらガラス窓をさがすと、ありました!
正面の芝生の小山に石垣のような敷石が見えます。
ここがきっとビューポイントです。
ゆっくりとガラス窓の方に向かって歩くと大迫力の天守がどんどん迫ってきます。
さらに近づくと今度はだんだん小さくなっていきます。
おもしろいです!!
この位置で振り返っても樹木に隠れて実物の天守が見えないのがまた趣を増しています。
見えない天守を背にして見ているガラスに映る天守……。
すてきな演出を見させていただきました。

ここから北勢隠門・清水門の方へ向かうお濠沿いでは北側からの天守群が望めました。
以前中堀めぐりを試みた時には中ノ門から市橋門までであっさり中断してしまったので、こちら側から眺めるのは初めてです。直前に特別公開で歩いた乾小天守やロの渡櫓が目の前に。心に染みてきます。

休館日だった博物館ですが、どうしても入館したかったので翌日再訪しました。
天守模型、大天守東大柱、シアター、ガラス細工の姫路城など宝箱のような博物館でした。
あとの予定もありじっくりとは見られなかったので改めてゆっくり時間をかけて行きたいです。

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カズサン

政庁跡(5/7) (2023/09/18 訪問)

 多賀城へは7年前の4月桜が咲き乱れる時期でした、今回は秋の彼岸前、彼岸花も咲いて折り季節季節に律儀なものです、外郭復元南門を見たいと飛んできたはやる気持ちを抑えて、政庁跡の北殿、後殿、北殿から続く版築塀跡、正殿、正殿前石畳、政庁南門、両翼廊跡、続く版築塀南西方向を二度目の確認撮影、政庁南門跡に来るとはるか南下に工事中の外郭復元南門が見えてきます。
 南側の見晴らしは素晴らしい景観です、大勢の方が見えて居りました、暑い暑い彼岸前、34℃から35℃の気温でした。
 

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カズサン

城前地区復元構造物(4/7) (2023/09/18 訪問)

 七年振りの多賀城探訪で北の丘陵にある政庁跡から南下の外郭復元南門工事周辺までを降りて登って往復すると南大路の東側のっ丘陵に新しく発掘調査の成果なのか構造物が出来上がってます、西より柱が並んだ柱列塀か?続いて平面床と半柱の建物群西に連なり、中央列南端にアクリル屋根付きの建物が1棟、北に広場を控えれる、東端に上下2段で平面床と半柱の建物群が連なっている、しかし案内板は2ヶ所カバーが覆い見えない様になっている、工事中の看板は今年の12月15日までと成っており、公開は今年の12月末か、来年の南門公開と一緒の3月末なのか分かりませんが、通行止めは無く中に入って見学撮影させて頂きました。
 多賀城の復元整備が進んで1300年前が少しずつ甦って来て楽しい限りです。
 

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しんしんちゃん

九州の防備の要でもあった都城。 (2019/12/31 訪問)

大宰府は大野山の南の平野一帯に築かれ、中心に太宰府政庁が置かれています。
北は大野城、南は基肄城、西は水城に守られ、北を除く周囲を御笠川が流れる
天然の要衝でもある都城だったようです。九州の大陸に対する防御の要として鎌倉時代初期
あたりまでは機能していたようですが、しだいに衰退していったようです。
正殿跡には礎石が残り、東西に脇殿跡が残ります。南の大手にあたる南門跡には
周囲に築地跡が続いています。脇殿の周囲には回廊が配され脇殿と正殿を繋いで
いたようです。

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赤い城

幸運にもガイドツアーに参加 (2023/09/24 訪問)

石垣崩落の危険性があるためガイドツアー以外での入山は禁止されています。
たまたま城友さんからキャンセル待ちが出たとの連絡を頂き、一緒に参加することが出来ました。
参加料はお弁当込みで3000円、道の駅ひらふくからスタートです。
山頂を見上げ、登りたい気持ちを抑えながら麓の平福町の歴史や見どころを聞きます。
ガイドさんの地元愛を感じることができます。
いよいよ登城口、山中鹿之介が別所氏を攻めたことから鹿之介の気持ちになって鬨の声をあげて登って行きます。
尾根道を登ると石を切り出した削平地に。
さらに登って行きます。
結構な急坂ですが意外としんどくない、アドレナリンが出てたんでしょうか。
三の丸の手前に堀切があります。
久々であった堀切、城成分が補給されました。
さらに登って三の丸、天守丸を見上げます。
この日は青空、映えてます!
大手虎口から二の丸(入れません)を経て天守丸へ。
天守丸の石垣は孕んでいますが廃城感を醸し出します。
宇喜多氏の時代のものもあるそうです。
東側虎口を見下ろして天守丸へ。
この辺りは池田氏が近世城郭に改修した部分です。

天守丸でランチのお弁当。
西播磨の山波や本丸曲輪を見下ろしながら城友さんたちと食べるお弁当は格別でした。
残念ながら本丸や大坂丸、馬場跡には行くことができませんが充分満足出来ました。
下山し、平福駅近くの居館跡の石垣も見学、素敵な1日になりました。
ガイドツアーは団体さんも申し込まれているようです。
機会は少ないかもしれませんがこまめに佐用町のHPをチェックしてみてくださいね。

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しんしんちゃん

要衝の城。関門海峡が良く見える。 (2019/12/31 訪問)

門司城は元暦2年、平知盛が家臣の紀伊通資に命じて築かせたのが始まりと
され、南北朝の時代には門司氏の城となりました。天文23年(1554)には
小早川隆景がこの城を攻め取り入城しています。明治25年に海軍の要塞になった
ため遺構はほとんど残っていませんが大手に石垣の一部が残っています。
関門海峡を見下ろす要衝の地です。

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カズサン

政庁南大路風情(3/7) (2023/09/18 訪問)

 多賀城政庁跡から外郭復元南門を残暑厳しく、夏空をぶり返したような雲雲、兎に角暑い日、降って登る往復は大変しんどい、蝉の声を聞き、夏空を休んでは眺めて、7年前は整備されていなかった所はモルタル舗装され、南大路の西側下は石垣が復元され遺構の石垣はその下に保存整備、南大路排水用の石組桝の復元展示、南大路の東丘陵は構造物の復元工事中。
 特に南大路のモルタル舗装と石段、青空に入道雲は夏の風情、絵に成ります。
 

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ぴーかる

藤島城 (2023/08/19 訪問)

【藤島城】
<駐車場他>超勝寺駐車場に駐車しました。
<交通手段>車

<感想>越前ちょこ城巡りの旅4城目。藤島城の築城は1338年頃に北朝方の越前守護の斯波高経が南朝方の新田義貞に越前国府から黒丸の地に追われ足羽七城を築きます。藤島城はその足羽七城の一つとされます。新田軍が足羽七城の攻撃を開始すると藤島城には北朝方の天台宗平泉寺衆徒が籠城します。燈明寺に布陣していた新田義貞は新田軍の藤島城の強固な抵抗に苦戦していたので僅か50騎で督戦に向かう途中、小黒丸城から藤島城へ後詰めに来た斯波軍と鉢合わせして新田義貞は討死します。
 現在城跡地は超勝寺となっており、山門に城跡碑と説明板があります。本堂の裏手に土塁遺構がわずかに残っています。

<満足度>◆◇◇

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カズサン

外郭南門跡周辺(2/7) (2023/09/18 訪問)

 復元南門を見たい❣と、宮沢遺跡探訪と未踏の城廻り2日目利府城初登城の後、3~4km程南の多賀城を二度目の登城、復元南門を観察堪能、両翼の版築塀の素屋根が覆う工事中ですが、まあまあの満足見れる時に見ておくことも大切。
 北東の駐車所を利用して南大路降りて県道35号線より南は丘陵に成っており、多賀城碑、東屋で良き散策路、名勝奥の細道の風景地「壺碑(つぼの石ぶみ)」芭蕉と共に奥の細道と悠久の古代城柵1300年前の想像を膨らます良きところ、東麓を見ると築地の復元、門跡の復元、南東角はあやめ園と外郭の丘陵高見、7年前の初登城は桜の政庁跡のみの見学観察でしたので南大路より南は初体験でした。
 復元で更に夢が膨らむ多賀城2度目でした。
 

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しんしんちゃん

達磨寺・松永久秀の墓  奈良県北葛城郡王寺町本町 (2021/04/04 訪問)

達磨寺は聖徳太子ゆかりの寺とされています。方岡山を通りかかった聖徳太子が
飢えて瀕死の異人に出あい、これに衣食を施し、翌日使いに見に行かせると死んでいたので
これを葬り、しばらくして様子を見に行かせると死体が消えて衣服が棺の上におりたたまれて
いて大使はあの異人が達磨大師の生まれ変わりに違いないと考え、達磨像を作って
祭ったのが達磨寺の始まりとされています。境内には松永久秀の墓があり、他にも
南北朝のころの護良親王の忠臣、片岡八郎や筒井順慶の妹婿で片岡城の城主・片岡春利の
墓があります。ほかにも太子ゆかりの問答石や大師の愛犬・雪丸の像などがあります。

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todo94

城カード第5弾 (2023/09/24 訪問)

3度目のスタンプラリー以来、5年ぶりの岡山城です。今年、発売されたばかりの城カード第5弾が目的でしたが、献血ルームうららで献血した後、西手櫓経由で向かう途中で、宇喜多氏以前の本丸跡である石山の城(前岡山城)を見つけることができました。リニューアルされた素晴らしい展示の中にもこの石山の城は言及されていたので実にタイムリーでした。宇喜多→小早川→池田と関ヶ原も交えて歴代城主を解説する展示、今まではどうしても宇喜多に偏る向きがありましたが、池田氏の内容が充実していて大変勉強になりました。12月3日までの吉備津彦神社幻の御神刀の展示も見ごたえがあって充実の岡山城攻城となりました。

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にのまる

姫路城十景めぐり④ (2023/09/19 訪問)

【姫路市立美術館】
城見台公園から徒歩2分。喜斎門の近くです。
お城とは別カテゴリーの重厚な煉瓦造りの建物を前に少し緊張しましたが、休館日で入れず。
そこで大通りの方にまわってみると、閉ざされた門扉越しに美術館と融合した天守(東面・イの渡櫓・東小天守)が目に飛び込んできました。かっこよすぎ!
美術館は元は陸軍倉庫や姫路市役所だったそうですが、この景観を得られるように設計されたのだろうことが伝わってくる絶妙な配置や高さ。天守と美術館のどちらもが主役でありかつ両者一体となって初めて生まれる崇高な空気感もあり、また互いに引き立てあう奇跡のコラボでもあって、そしてここがアートミュージアムであることで昇華するという完璧さに、姫路城の持つ果てしない奥深さを思いました。

翌日は開館日だったのでもう一度行ってみました。にわか雨のあとで霞んでいたので前日の方がきれいに見えましたが、見逃していた姫路神社裏側の石垣を初めて見ることができました。

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しんしんちゃん

甘樫丘 奈良県高市郡明日香村豊浦 (2021/04/03 訪問)

甘樫丘は明日香村にある標高140mの丘陵で東麓には蘇我蝦夷・入鹿父子の邸宅があったと
されています。飛鳥宮の西の防御を担う重要な地で東を飛鳥川が流れ飛鳥宮の天然の堀の
役目をしています。甘樫丘は尾根上がハイキングコースになっていて、各所に扁平地があり、
土塁や堀などは有りませんが丘城(平山城)のような防御設備であったと思われます。
過去の書物にも甘樫丘や畝傍山を武装化させたとあるようで、特に甘樫丘は曽我氏の
息のかかった集団で防御していたものと思われ、乙巳の変で中大兄皇子・中臣鎌足が
朝廷で天皇の前で曽我氏親子を殺害するという大胆極まりない手法に臨んだのも曽我氏邸
への襲撃は不可能だと判断したからではないでしょうか。
温暖化の影響で4月の頭だというのに桜が皆散ってしまっていて、観光客や大道芸のピアノ奏者
の間に気まずい空気が流れていましたが明日香村を一望できる眺望の良さは健在です。
しかし何でも城郭に結び付けてしまうのもアレですね。城好きの行きつく先はやはり
「変態」なんでしょうかね?

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