つぼやじょう

坪谷城

宮崎県日向市


旧国名 : 日向

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堀切が連続する
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みんなの口コミ

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しんちゃん

発掘調査希望。 (2025/05/05 訪問)

尾根上を城山に向かって登って行くと、尾根に沿って堀切が続いています。これらの堀切がこの城の最大の見どころと言って良いと思います。尾根伝いに西の尾根の方向に向かうと、堀らしきものが付いています。今度は逆に東に向かって登って行くと、尾根上に複数の郭があるようです。それほど広くは無いのですが、最高所である標高187mのあたりが主郭では無いでしょうか。
これらの郭には土塁などの遺構は見当たりません。そのかわりに周囲の尾根や堀切がとても険しいため、防御は堅いと思います。東南の細い尾根を進んで行くと出丸のような郭があります。周囲では工事が行われていて、尾根上にはネットが張られています。東側からのルートは不明ですが、やはり連続堀切を堪能できる学校裏からのルートが良いと思います。いずれ山上の城跡も発掘調査などが進んで、全容が明らかになると良いですね。

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しんちゃん

登城ルートより 険しい堀を越えて山城に向かう (2025/05/05 訪問)

こんなマイナーな城、他に誰も来ないだろうと思っていたら、ニッポン城めぐりの口コミで1件ありました。伊東48城の一つとされ、城主は米良氏とされています。せっかくなので、登城ルートを含めてもう少し詳しく。
城址は坪谷小学校の裏山から取りつくことが出来ます。昌福寺の西の脇道から城址に登りましたが、小学校の中からの方が楽に取りつくことが出来ます。裏山に墓地がある関係からか、休日でも学校の門は解放されていましたが、平日は了承を取る必要があると思います。この解放感は都市部の学校では、少し考えられないですね。
墓地の裏手を登って行くと、小さな城址碑のある広い扁平地があります。ここが最初の郭ですね。この先に堀切が連続していて、尾根を登って行くと主郭と見られる山頂に到達します。連続する堀切の最初の方にかなり険しい堀切が有ります。
山城に慣れた人であれば、雨天でも無い場合、先に進めると思います。8つ目か9つ目の堀切が竪堀となって尾根に随走して上に向かって伸びていました。

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しんちゃん

マジモードで攻める (2025/04/05 訪問)

坪谷城周辺は地元の教育委員会で研究が進んでいるようだけど山上の遺構の研究はあまり進んでいない様子。城址は山上にあるけど公式の場所には城跡の遺構はほとんど無く、連続堀切が執拗に続く尾根上を登り切った周辺が城趾のようだ。この堀切がかなり険しく、余程ネイティブな山城に慣れた人でなくては危険です。雨の日や足元が怪しいときは下から見上げるに留めたほうが良い。
1つ目、2つ目の堀切が特に険しく、身の危険を感じる程。
一応古い踏みしろも有るのだが、あまり当てにならない。8つ目と9つ目(だと思った)の堀切は二重堀切になっていて、9つ目は尾根に沿って続いている。また西の尾根にも竪堀がついていて、東に登って行くと主要部にたどり着く。公式のポイントは、東の尾根を守る郭の可能性が有る。そこに至るまでの尾根はとても細いが身の危険を感じる程ではない。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 米良氏
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な城主 米良休助(伊東氏家臣)、松尾下総守
遺構 曲輪、横堀(空堀)
再建造物 石碑
住所 宮崎県日向市東郷町坪谷本村