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todo94

日帰りに予定変更の三河攻城⑤ (2025/04/12 訪問)

形原城からの転戦です。しんちゃんさんの投稿にもありますが、大河ドラマ「どうする家康」で大きく取り上げられた城です。放映から2年以上過ぎて、ようやく訪れることができました。赤日子神社の駐車場に説明板があり、リーフレットも置かれています。蒲郡市教育委員会が制作したもののほかに令和4年度蒲郡西部小学校6年生が制作した「上ノ郷城跡と鵜殿家の歴史」というリーフレットもありました。印刷所に発注した本格的な作りのリーフレットで、内容を考えた小学生にとって大きな喜びとなったのではないでしょうか。城はドラマでは家康が攻城に難渋した堅固な城と言うイメージでしたが、そこまで堅固な感じは受けません。それでも、小ぶりながらいい感じの城でした。

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Tokyobay

家康のお抱え外国人の対比 (2025/04/13 訪問)

八重洲の語源はヤン・ヨーステンというのは有名な話だが、調べてみると実際の屋敷は現丸の内(和田倉門付近)にあったらしく、現在の八重洲とは全く無関係らしい。が、八重洲の地名が戦後に別の場所で復活したことにより記念碑が建てられ町おこしに活用されているらしい。歴史というものは調べて見ないとわからないものだなと思った次第。
つまり、ヤン・ヨーステンは家康にかなり可愛がられていたと言えるだろう。他方、三浦按針の屋敷跡は日本橋の外側にあるので、当時としては扱いがよいとは言えない。で、調べてみると秀忠→家光と将軍変更に伴い不遇な扱いを受けているようで、この両者の対比についてもっと調べてみたいと思った次第

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名品でたどる名古屋城史 (2025/04/19 訪問)

 西の丸御蔵城宝館の企画展「名品でたどる名古屋城史」へ行って来ました。名古屋城は太平洋戦争の空襲で本丸御殿等が焼失しましたが、ふすまや天井板絵などの多くは取り外されて別の場所に運ばれていたため焼失を免れました。難を逃れた重文のふすま絵「竹林豹虎図」等が公開されています。このほか、城が宮内省所管の名古屋離宮だった時代に明治天皇・皇后が使用された椅子などが展示されていました。
 先週くらいだとまだ桜を観ることができたと思いますが、ほとんど散っていました。それでも多くの観光客が訪れていましたね。最近では年に複数回登城しています。天守閣は耐震性に問題があり入ることはできません。現存している遺構は、西南隅櫓、東南隅櫓、西北隅櫓、表二之門、二之丸大手二之門、旧二之丸東二之門のみで全て重要文化財に指定されています。現存3櫓(西南隅櫓、東南隅櫓、西北隅櫓)は特別公開の日を除き内部の見学は不可となっています。それでも高石垣、堀などを見て回るだけでも私にとっては魅力的な城址です。入館できる本丸御殿は往時の姿を忠実に復元したもので見ごたえがあります。
今回は主に建築物の写真を添付しました。
 ちなみに本丸空堀の中で暮らす母娘の2頭の鹿は健在でホッとしました。2頭が離れていたのでうまく写真が撮れていないので写真は今回投稿していません。

 昼飯は地下鉄名古屋城駅から徒歩約5分の場所にある山田屋さんでいただきました。老舗のうどん屋さんですが、TVやYouTubeで紹介されていたことを思い出して「かつカレー丼」を注文し美味しくいただきました。

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yoda 1253

桜吹雪のお出迎え (2025/04/19 訪問)

水堀に桜が枝垂れて風情がありました

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yoda 1253

南門が完成しました (2025/04/19 訪問)

平城京以前の1300年前の京のたたずまいが時空を超えて蘇ります

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yoda 1253

伊達政宗の愛 (2024/04/18 訪問)

戦いの為でなく泰平を築く為の城造りをしたと思います
青葉城資料展示館で青葉城復元映像を見ることをお勧めします

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yoda 1253

少年隊出発の地 (2025/04/18 訪問)

野面積みと布積みの石垣が同時に観覧できます

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yoda 1253

赤瓦が桜のピンクとベストマッチング (2024/04/18 訪問)

色々な角度から眺めて愛でることができますぐるぐるまわりましょう

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丸亀城の森と古樹

丸亀城の四季 史蹟・森と古樹 (2009/01/10 訪問)

丸亀城は丸亀市民や周辺の人々の散歩や休養の場所として終日にぎわっています。
城は標高66mの亀山にあり、天守と大手門は国の重要文化財に指定されている。
また、御殿御門も往時の姿のまま残っています。
大手三層・搦手四層の石垣は、その高さと扇の勾配の調和が美しく、日本一の石垣との声が高い。
内堀以内は史蹟に指定されており、石垣などと共に、広い森があります。
この森は自然の山林をお城にふさわしいように育てたものであります。
深い森は、城の風格を表わすとともに、城内の様子を外部から見えなくするためのものであります。
昔の人々が大切に育てた城の森は、現代の我々が大切にまもっていかなければなりません。
丸亀城には200年を越えるであろう大木が多く生育している。
香川県内には、古い森林は殆どなくなってしまいました。
丸亀城の森は、貴重な県民の財産であります。
この写真集は三年余をかけて、城の四季を撮影したものです。
城の史蹟と森が一体となった人工と自然の美を味わっていただきたいと存じます。
平成21年1月
詳細は下記ホームページ(全70頁)を参照ください。
http://marugamejyo.c.ooco.jp/index.html

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トク

【春の長崎天草を巡る②】(2)三城城 (2025/03/26 訪問)

春の長崎天草を巡る旅、(2城目)は「三城城」です。

三城城の築城者は、キリシタン大名で有名な「大村純忠」です。純忠は、平戸で松浦氏と不仲になり行き場を失ったポルトガル商人らを受け入れ、商人に影響力のあるイエズス会よりキリスト教の洗礼を受けて、日本で初めてのキリシタン大名となります。平戸の松浦氏や武雄の後藤氏や龍造寺配下で諫早の西郷氏などから攻められるも、わずかな兵でこの城を守り抜き、有馬晴信の甥にあたる事から、秀吉から九州平定後も存続を許されたようです。

純忠はかなり熱心な信者で、ポルトガルとの関係を深めたかったようです。寺社仏閣などを壊し、強制的に領民をキリスト教徒にしたため、大村の領民は大半が信者となり、当時の日本最大のキリスト教の街になりました。

JR大村駅からまず三城城を見上げました(写真⑤)。そして歩いて15分で本丸へ着きました。キリシタン大名の城だったにもかかわらず、なぜか現在は戦没者忠魂塔になっていました。

純忠の時代の大村は、教会があり城下には貿易や商人で繁栄している南蛮文化で栄えた街だったと思います。この丘から大村市街や大村湾を眺め、そんな事を想像してしまいました。

しかし純忠死後、子の大村喜前はいち早く棄教し、教会などは破壊して棄教しないキリシタンを五島へ追放します。そして玖島城を築城して豊臣や徳川に忠節を誓ったため、大村家は幕末まで存続できたようです。

キリシタン大名と言えば、私はこの大村純忠の他にも、有馬晴信、大友宗麟、小西行長、高山右近らの名前が思い浮かびます。彼らはキリスト教に、いったいどんな救いを求めていたのだろうか🤔? そんな事までもふと考えてしまいました。

次は(3城目)その喜前の玖島城に続きます。
 

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yoda 1253

黒と白のコントラスト (2025/04/17 訪問)

木造復元しており黒と白で引き締まっておりました

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小城小次郎

道案内しただけなのに (2024/08/18 訪問)

この城に居住した落合一族は小牧長久手の戦いの際に森・池田らの連合軍の道案内役に引っ張り出され、長久手で一族ほぼ壊滅したとか。残った一族は帰農したそうだがその方が幸せだと心底思う。石碑は竹藪の中にある。

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カズサン

【遠江国分寺】静岡県磐田市 歴史ロマン七重塔木製基壇復元 (2025/04/05 訪問)

 磐田市に在る国指定特別史跡遠江国分寺跡の復元整備が進んで居ます、昨年4月7日の訪問4月11日に投稿しました遠江国分寺跡は金堂講堂僧房が木製基壇で復元しましたが、令和6年事業で七重の塔木製基壇が復元、中門と金堂を囲む回廊南西角部分が一部完成していました。

 住所:静岡県磐田市中泉3365(遠江国分寺史跡公園)
 駐車場:磐田市役所北側の駐車場利用(史跡公園の南側)
 参考資料:磐田市役所HP、グーグルマップに依る。

 1年振りですが磐田市に在る遠江国分寺の復元事業の進捗が気に成り、横須賀城の花見散歩と横須賀祭を堪能して帰路途中の遠江国分寺跡を訪ねました。
 訪ねましたら何と、七重の塔跡に木製基壇が復元されて心柱の礎石は元の位置に残って居なかった礎石は復元礎石で奇麗に再配置、七重の塔が復元されればどんなに素晴らしい事か、想像が膨らみます。規模は東西17.8m×南北17.9m。
 又、中門と金堂を囲む回廊の一部南西角部分の木製基壇がが完成、規模幅9.1m。R7年度に回廊の木製基壇の完成が待たれます。磐田市のホームページには令和7年度には中門と回廊(東側)の整備工事を進めていきます。と有りました。楽しみな事です。

 写真投稿は七重の塔木製基壇、回廊南西角部分木製基壇、磐田市HPより「CGで復元された国分寺」画像を一枚、昨年投稿しましたが新写真で金堂、講堂、僧房、公園設置の整備概要図もあわせて投稿します。
 
 機会がありましたらご見学ください。
   

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シャンシャン

広島県福山の山城探訪② (2025/04/18 訪問)

福山の山城探訪2城目の相方城。
遺構が残る頂上付近まで車で行けるので楽チン。
予想以上に多くの石垣、石段、曲輪、堀切など多くの遺構が残っており見どころ満載!
下手な続100名城よりよっぽど見ごたえがある!
少し離れたところにある素盞嗚(すさのお)神社に相方城から移築された門が2つ残っている。

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シャンシャン

広島県福山の山城探訪① (2025/04/18 訪問)

広島県福山の山城探訪へ。
まずは国指定史跡の桜山城跡に登城。
主郭の曲輪はしっかり残っているが、それ以外は目立った遺構はなし。
国指定史跡にしてはちと残念(^^;
麓にある吉備津神社の方が重要文化財の本殿をはじめ見どころ多し。

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コウマくん

息子と駿府城公園 (2024/03/29 訪問)

桜が咲き始めた駿府城公園を散策。鷹を従えた家康公の立像が雄大で見応えありました。東御門も巽櫓も子供が楽しめるギミックがありました。整備された公園で久しぶりに息子とブランコ楽しみました。

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宗春

地元の友人と讃岐・阿波・淡路の城を攻めて来ました ③ 丸亀城リベンジ (2025/04/10 訪問)

前日に引き続き丸亀城です。あの急坂(見返り坂)を二度登るとは思っていませんでした。天守が開館するまで、天守周辺の写真を撮りまくりました。9時開館と同時に入城。内部を見学したのですが、今まで見た現存天守と違って、なるべく手を入れないようにしているのか、若干怖さを感じました。(今、南海トラフ地震が起きたら倒壊するかな?という怖さです)
百名城スタンプ・御城印・百名城カードを入手して、帰りは搦手側から下山しました。麓の観光案内所で御城印帳も購入し、丸亀城を大満喫しました。

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小城小次郎

小牧長久手と最古の天守 (2024/08/18 訪問)

小牧長久手の戦いの舞台として、またかつては日本最古の天守かと騒がれて知る人ぞ知るお城だが主郭は小学校にまるっと飲み込まれている。でも周囲との高低差が際立ちお城らしさはふんだんに漂っている(と感じた)。

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しんちゃん

謎の石垣がある。 (2025/04/04 訪問)

疋壇城は文明年間(1469~1487)に朝倉氏の将・疋壇対馬久保によって築かれたと現地の案内板に記載が有ります。
主郭周辺は畑地のようですが、訪れた時にはそれらしい痕跡は有りませんでした。急耕中なのかな? 最高所が主郭になっていて、南西に天守台と呼ばれる櫓台が有るようです。周囲にはいつの時代の物か良くわからない石垣が有り、登城道にそって堀切らしきものがが有りました。また西下側にも堀切があるようです。
駐車場は麓の疋田舟川の展示場の場所を使わせてもらいました。

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しんちゃん

カモシカを返してくれ (2025/04/06 訪問)

最近はどこに行っても熊の痕跡だらけ。イノシシなんかより圧倒的に多い。フンを見れば何の動物のモノかわかります。俺の好きなカモシカは何処に行った?? 生態系ヤバいです。環境省、仕事してくれよ。
とはいえ一本松城に今の所、熊はいません。登城道が無いだけです。案内板はいっぱいあるんだけどね。主郭には南側から直接登りましたが、北に回り込んでいくと、登り口の案内板が立っています。とはいえ、ほとんど斜面。城びとだったら、苦も無く登るんだろうけど、一般の人から見たら、たぶんドン引き・・。登城道が無いということは、当然城内も散策路はついていないわけで、ネイティブの遺構をそのまま見ることが出来ます・・が、良いことばかりでも無い。北側には竪堀などの遺構があり、尾根沿いに降りることもできるそうだが、正直気が進まない。しょうがないので、登城時に見上げていた竪堀を逆に上から下ることにした。まあ、このくらいならかわいいものか。
一応、雪っこちゃんはあるんだけど(笑)自分の行くところでは必要ないだろう。しかし、急に熱くなって来たなあ・・勘弁してくれよ。

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