6城目は徳島城。4連戦3日目最初の城攻め。百名城スタンプ等がある徳島城博物館が開館する前に到着したので、開館するまで一回りしました。
開館後、博物館を見て庭園、そして本丸へ。本丸は小高い山(丘)の上にあり、石垣もありました。徳島城の石垣は緑色をした三波川変成岩(結晶片石)が綺麗です。
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2025/05/02 13:20
2025/05/02 11:47
住宅街の中に佇んでる (2025/04/26 訪問)
麻田陣屋を終えて、阪急蛍池駅から阪急曾根駅下車、「原田城」へ、曾根駅の西側約200、300m程、曽根駅の西口より真っ直ぐ西へ200m程の交差点に「原田しろあと館⇒」の白い看板、従って北に50m程行くと、同じ「原田しろあと館⇒」の白い看板が有り従って西に60m程進むと樹木に囲まれてた住宅が有ります、門上部に横書きの原田城跡看板が出ています、門は閉まって居ました。
石垣下に標柱と案内板が有ります、南西角、南石垣、南東角、門周辺を見て門も土曜日ですが閉まっており入りづらく終了としました。
案内板によると
原田城には主城の北城と砦の南城が在ったそうです、案内板の在る所が北城に当たると有りました。
この後は今西家土居屋敷(今西氏屋敷)に向かいます。
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2025/05/02 11:00
石碑がフェンスに囲まれて立っている (2025/04/26 訪問)
池田城を終えて、阪急池田駅から阪急蛍池駅下車、阪急宝塚線沿線の未踏の城探訪「麻田陣屋」へ、蛍池駅西側のすぐ近く、北側に消防蛍池分団の建物がある、二重フェンスに囲まれて北東角に石碑、標柱、案内板が立っている、フェンス門扉は開いていて中に入れるが狭い空間。
城びと皆さんの投稿を見ていると2022年以前と現在の周辺が少し違いますが以前あった公民館が無くなって整地されフェンスに囲まれいる、その一角にフェンスに囲まれて以前の石碑上部と、標柱、案内板が再設置されたようです。石碑の基礎土台が以前の石積からコンクリ製土台に成って居ます。
麻田藩は1万石余の大名で、青木一重によって築かれた、大坂の陣の前に駿府の家康の元に和議の使者として赴いたが捕えられて出家した、大阪の役後家康に召されて大名に取り立てられた、以後明治までこの地を領有。
周辺に移築門などが有る様ですが残りの城跡を考えると石碑のみ見学して終了、約10分程でした。
次の原田城へ向かいます。
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2025/05/02 08:35
天守台の測量調査開始 (2025/05/01 訪問)
天守台の発掘調査をするための前準備として、天守台の測量調査が開始されました(写真①)。ドローンを使って測量し、まず平面図や立体図を作り、レーザー探査で石垣の強度なども調べ、それを基に7月から本格的な発掘に入るそうです。いきなりドローンを使うとは思いませんでした。今後もどんな手法を使って行くのか、最先端技術を駆使するであろう発掘調査に、私は興味津々です(写真②③④)。
幻の天守も撤去され、発掘前までのつかの間ですが、現在は天守台へ登る事ができます(写真⑤)。また黒田如水の隠居所である御鷹屋敷跡にはボタンの花が(写真⑥)、潮見櫓周辺にはツツジの花が(写真⑦⑧)咲いていました。明日明後日はいよいよ「博多どんたく」が開催され、例年200万人の人出で博多の街はにぎわいます(写真⑧)。
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2025/05/02 07:17
2025/05/02 00:36
2025九州城めぐり第2弾 (2025/02/27 訪問)
年始の【九州の100名城・続100名城制覇を目指す旅】で未訪に終わってしまった平戸城、福江城、金田城。
リベンジを計画しましたが、金田城はほかのお城とセットで行けるところではなさそうなので見送り、平戸城と福江城、それから西九州のお城にいくつか行くことにしました。
1城目の平戸城。
天神バスターミナルから高速バスで伊万里。伊万里から松浦鉄道でたびら平戸口へ。使用したのは〈旅名人の九州満喫きっぷ〉の2回目です。
たびら平戸口は日本最西端の駅(除:ゆいモノレール)なので、お城に行くのと同じくらい楽しみでした。
駅構内の鉄道資料館を見学し、早々とお土産を購入して平戸城へ向かいます。
レンタサイクルも考えていたのですが平戸大橋は押し歩きをしなければならないことや、道が狭くカーブが多いことなどからバスに乗ることにしました。(駅前にもバス停がありますが駅員さんのおすすめにより田平港から乗りました。)
平戸大橋を渡り猶興館高校入口で下車。はじめに復元された白浜口御門や白壁、石垣を見学しました。
公園入口にまわって大手一の門、二の門とすすみます。
亀岡神社の参道は整備中だったので乾櫓、地蔵坂櫓とすすみ北虎口門へ。現存狸櫓そばの石狭間をチェックして本丸へ。
模擬天守ならではのさまざまな趣向を凝らした館内では「再築城時の北虎口門」にいちばん心を奪われました。
ぐるっとまわって懐柔櫓、見奏櫓へ。
初訪問で地図を見ても方角や行き方がわからなかったりもしましたが、“歩いて納得、迷って発見!”で、充実のお城時間が過ごせました。
残りの時間で、寺院と教会の見える坂道や平戸藩第三代藩主松浦隆信(宗陽公)の墓所などに行きました。
帰りもバスで田平港→たびら平戸口へ。松浦鉄道で佐世保→JRに乗り換えて宿泊地の長崎に向かいました。
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2025/05/02 00:19
地元民で賑わう山ノ神堀切&堀が深く見応えある稲荷森 (2025/03/09 訪問)
総構ガイドツアーは山ノ神堀切へ。バスケコートサイズの広場のようになっており、多数の地元民が犬を遊ばせていて、観光客は肩身が狭く写真を撮るのも憚れる雰囲気。オーバーツーリズムというと大げさだが、土地柄的に観光客は迷惑な存在なのかもしれない。ガイドも地元民への配慮優先なのか遠慮しがちで、マイペースで見学することもできず(これがガイドツアーの難点)、堀切部分は充分に見学できずに西堀だけ見て稲荷森へ。写真では少々わかりにくいが、ここは堀がかなり深くて見応えあり。以前は堀底にも降りられたようだが、現在は禁止になっている。
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2025/05/01 23:50
だんだん痕跡が消えていくのか… (2025/04/26 訪問)
工事中となっていた藤沢公民館跡地ですが,地域の複合施設に姿を変えていました…。もちろん,パネルもありません。さらに,藤沢市民病院南東約100mの辻にあったパネルもありませんでした。こうして知らぬ間に痕跡が消えていくのかと思うと悲しいです…。
藤沢御殿の堀跡,御殿辺公園,白旗川,義経公弁慶公像,伝義経首洗井戸を散策して終わりとしました。
明日,書き込みできるかビミョーなので…
5/3~6まで遠征となります。書き込みはお休みします。
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2025/05/01 22:43
2025/05/01 22:33
茶臼山城(出雲国雲南市)3️⃣ (2025/05/01 訪問)
#石積みは、現代の炭焼き跡のようです。あの時代の小さな砦に石積みがあったかは疑問に思ってはいましたが。また、地元の研究者さんの本には石積みの記載もありませんでした。
石積み①の北側も更に郭②~⑥は続いています。帯郭でしょうか?思ったより立派な石積み⑦で驚きました。鉄塔⑧から市道挟んで向かいの水道施設⑨の丁度裏側に、砦跡の郭が広がっています。
登城口にも石積み(10)あり。
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2025/05/01 22:21
2025/05/01 22:06
2025/05/01 21:38
青紅葉もまた良し (2025/05/01 訪問)
想像してたよりも規模が大きくて驚いたし、建物もかなりあったみたいで妄想が広がる広がる。
発掘調査の結果に基づいて復元された建物がいくつかあるけど、山城ならきっとこの大きさぐらいなんだろうなというのがすごく理解できた。さすがに曲輪の面積が広くない山の上には御殿は作れないだろうしね。厨が再現された曲輪は結構珍しいんじゃないかな。戦国時代の国衆の城に生活が伺い知れる感じは面白かった。
麓からかなり急勾配の坂を上がってくるが、城の入口の手前に無料駐車場があるのでクルマで来るのがおすすめ。というか、そもそも地域的に山奥過ぎて公共交通機関は全く頼れない所。城内もかなり傾斜のある道を歩くのでしっかりした靴で。再現された建物の一部は入ることもできる。
曲輪を見て回ってた時に下に見える曲輪に行きたいのに道が分からず間違って出口に行きそうになり、一旦戻って道を探すと見えにくい位置に道が…。なんだかRPGゲームで『ダンジョン内で見えてる部屋に行く通路がどこなのか分からなくて探しまくる』気分でした(笑)
秋の紅葉で有名な香嵐渓のそばにあるだけあって、城内にもいたるところに紅葉が植えられていて、新緑が眩しい城攻めでした。
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2025/05/01 21:23
江戸 江戸~ (2024/12/30 訪問)
(ユーチューブを見て)元気ですか~!? い~ち に~ さんきんこうたい~! 江戸 江戸~!
なるほど~ これが「お侍ちゃん」か・・・朝田さんは「お侍ちゃん」が好きなんですね。
プロフィールを見ると、独特のヘアスタイルにしてから、結婚・出産・闘病生活といろいろあったみたいですね。これは、もう少し「お侍ちゃん」のことを理解する必要がありそうだ。イラストはちょっと待ってくださいな。
梶原氏館は来福寺から梶原神社にかけての台地状に築かれていたとされ、来福寺は梶原氏によって建てられたとされています。来福寺に梶原塚と言うものがあったとされ、梶原景時父子の伝承も残っているようです。小田原北条氏家臣に梶原日向守と梶原助五郎がいたとされ、日向守が新井宿に51貫文、助五郎が馬込に32貫60文の領地を得ていたことから(小田原衆所領役帳)、この助五郎と梶原親子の伝承が結びついたのかもしれません。
お城のイベントに「お城ちゃん」が来てくれると盛り上がりそうですね。むしろ「お城ちゃん」「しんちゃん」で侍コンビネタをやってみたい(妄想)。おいらが「お城ちゃん」の戦国時代のご先祖様役で、江戸の平和でだらけきった「お城ちゃん」に「喝」を入れに化けて出てくるんだけど、だんだんボロが出てきて、逆にツッこまれる内容です。
(桶狭間の合戦で)「そこに今川義元がおってな~」「それで、それで!」「怖いから、隠れて見てた」「ヘタレかい!」ペシッ
・・こんなかんじ
いち、じゅう、ひゃく、せんごく せんごく~♪ (戦国~♪) あづち~ ももやま~♪(楽しそう)
でも「しんちゃん」 ちょんまげはNGなので、妄想終了です。
そういえば 普段ちょんまげを結ってない「落ち武者スタイル」の「お侍ちゃん」が頭をさげると「馬出し」に似てませんか。
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2025/05/01 20:15
花が見頃の時期に来てみたい (2025/05/01 訪問)
広々とした市民公園で流石に桃や桜の 花は終わってたけど、その時期に来てみたい。
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2025/05/01 20:15
出るか?限定御城印 (2024/08/24 訪問)
大手北外堀と大手南外堀を発掘したら片方が箱堀で片方が薬研堀だったとか。訪れたのが年に1回「牧野城」の御城印が入手できる8/24で「だからこの日に来たんだよう」と仲間に現地で聞かされた。今年もあるかな。
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2025/05/01 20:10
2025/05/01 19:33
観音寺城 (2025/03/01 訪問)
【観音寺城】
滋賀県の城びと城跡が残すところ2城となり、ずっと気になっていた城跡でした。というのは前回の訪城が2012年の13年も前で、百名城スタンプも収集していなく、城郭の知識もぺーぺーの頃でした。当時は観音正寺裏参道山上駐車場に駐車して右手上方に見える伝布施淡路丸の石垣やら佐々木城跡の石垣が遺構かどうかも判別出来ない知識で、ただ観音正寺に行って、そこから尾根道を通って伝本丸跡に行って、8月なのに半袖軽装で蚊の大群に襲われ早々に切り上げたのを覚えています。伝本丸跡も今ほど整備されておらず、曲輪内部は今の2/3程は藪化して埋まっていたかなと記憶します。本丸から伸びる大石段はありました。
石垣の残る名城跡の多い滋賀県で、百名城の観音寺城が殆ど巡れていないのは自己紹介の記述にも反しますし、語れない。城跡を観る目もだいぶ肥えてきましたし、滋賀県コンプリート目前の冬枯れの今しかないと思い立ち、1日1城の丸ごと観音寺城で攻めました。
観音正寺表参道山上駐車場に行くと、冬場は閉鎖で裏参道山上駐車場に駐車しました。伝布施淡路丸⇒佐々木城跡内をじっくり散策し観音正寺にたどり着くのに駐車場からなんと2時間もかかりました。佐々木城跡は一旦山のピークにあたり、巨石が多く巨石と石垣が組み合わさった虎口遺構は圧巻です。奥の院は当時も磐座の役目もしていたように思いました。観音正寺で御城印と入山料を納めて、伝本丸跡に向かいます。13年前に比べて現在は本丸内部は雑木が伐採されていて、曲輪遺構がくっきり露わになっています。本丸内部を1周して北虎口と井戸跡、本丸北側の切岸と北下段の曲輪を観察、本丸北側法面は全面に石垣があったように見えましたが、ほぼ全部崩落して崩落石が沢山転がっていました。本丸から南に伸びる大石段を下って三の丸跡⇒伝平井丸、虎口正面の巨石を組んだ石垣は見事です。伝落合屋敷と曲輪壁に取り付いて曲輪石垣をじっくり観察⇒伝池田丸、曲輪南西部の方形石垣がとにかくすごい。⇒大石垣⇒無名曲輪⇒観音正寺西下段曲輪群、ここにも高石垣遺構が残ります。⇒埋門跡のある伝木村丸⇒山の中腹まで下って御屋形跡、ここも見事な高石垣が残ります。⇒戻り道がてら伝平井丸の最奥部を見落としていたので観察して終了。4時間程度の滞在時間を予定していたが結局6時間かかり、昼食も取らず夢中で山中を歩きました。Googleマップに記載されている遺構はほぼ全部巡れましたが、繖山山頂方向、裏参道山上駐車場~観音正寺までの道のりの曲輪群、伝目加田丸から南方向の曲輪群はもう足がヘロヘロになって巡れず、終了しました。
大規模多数の曲輪群と曲輪石垣の遺構に圧倒されました。見応えでは自分の中で安土城跡を抜いてマイベストに入る滋賀県ナンバー1の城跡となりました。行って良かった大満足、やっぱり中世山城の大石垣は好きです。
<満足度>★★★★★(改訂)
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2025/05/01 18:15
五万石藤まつりと石垣めぐり (2025/04/30 訪問)
岡崎城公園は桜の名所としてこの地方では有名ですが、藤の花も有名です。4月18日から5月6日まで5万石藤まつりが開催されておりますが、ゴールデンウイーク後半は娘夫婦が孫を連れて帰省して来るため、4月30日に石垣めぐりを兼ね行って来ました。
・本丸天守台石垣は城内で最も古い石垣とされています。・自然石積みで自然石をそのまま積む技法。・埋見門石垣は10mを超す石垣です。持仏堂曲輪の石垣と本丸曲輪の腰巻石垣。・青海堀の石垣。・堀底道として利用され東隅櫓から矢を射ることが出来る。
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2025/05/01 16:25
3重?の防御網を持つ小見城 (2025/04/29 訪問)
立山観光の一環で訪れた富山県富山市の小見城。
常願寺川の山間部、和田川との合流点に位置する比高約200mの論田山に築かれた城。
次回に投稿する中地山城の東約2kmにあり、その詰城か出城と推測されている。
小見城についての文献や伝承はなく、築城者や城主は不明だが、中地山城との位置関係や縄張から飛騨の江馬氏が越中に進出した際に築き、中地山城に在城したと推定される河上氏が管理したと考えられる模様。
現在は、特に改変も整備もなく残る土の城跡。
訪問時は、事前に安田城跡資料館で縄張図を入手し、水力発電所の上から城域へ。
西の2つの尾根の分岐点に設けられたスロープが、個人的に魅力的なシステム。そのスロープを目指すと両サイドの切岸上から横矢が掛かり、そこを突破すると曲輪3と曲輪6から横矢が掛かりそうな2重の防御網構造。更に実際に訪れると、この付近は少々藪化しており、これが第3の防御網。
曲輪3からは想像以上に土塁が明瞭で、高い部分は1m以上あるでしょうか?
コンパクトながら滞在時間は1時間半。
マイナーであることが勿体無いと感じた、私の城郭巡りの207城目でした。
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