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しんちゃん

お・・・・ (2014/01/14 訪問)

最近は東海道を西に東にいそがしいです。なかなか九州まで行く時間がありません。せっかく26の日なので大分県の日出城の写真を投稿させていただきます‥というか投稿させて下さい。
現在残っている日出城は木下延俊が義兄である細川忠興の支援を受けて築いたとされています。この御人、我らがヒーロー 小早川秀秋の同母兄弟になります(‥‥)。
現在は日出小学校の敷地になっています。この地域の小学生は恵まれたスクールライフを送っておりますな。

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朝田 辰兵衛

「日本100名城かるた」発売おめでとうございます❢ (2024/11/01 訪問)

紆余曲折しましたが,発売までたどり着き,大変におめでとうございます❢
パシフィコ横浜で購入しようと思いますが,すぐに在庫が切れるようなトラブルがないことを願います。例えば,初日の昼過ぎにはすでに“SOLD OUT”となってしまっているとか…。城びとスタッフのみなさん,最後まで詰めが甘くならないように準備願います。年に一度のお祭りですので…。

烏山城ですが,豪徳寺駅にほぼ隣接の山下駅から東急世田谷線に乗り,下高井戸駅から京王線に乗り換えて千歳烏山駅下車。キャリーバッグを転がしながら向かいました。世田谷文学館に隣接の芦花翠風邸の門構えに風情を感じたのでパシャリ📷

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しんちゃん

はるばる来たぜ 二上山城 ♪ (2024/11/16 訪問)

二上山城を訪問した日は天気予報では雨だったので、高速を併用して少し急いでやって来ました。雨が降る前に訪問してしまおうという作戦です。二上山城は南に雌岳、北に雄岳があり、北の雄岳の方が主郭のようです。天候が怪しいので、まずは雄岳の方を訪問。
雄岳と雌岳を繋ぐ「馬の背渡り」という尾根を通って雄岳を目指します。主郭には西側から向かっていくことになり、堀切や複数の郭を経て主郭に到着します。東に進んでいくと悲劇の皇子「大津皇子」の墓があり、その周辺も郭になっているようです。私はその先には進まず、北側の腰郭を経て主郭に戻ります。そろそろ雨が降って来そうですが雌岳に向かいます。

二上山城は楠木七城の一つとして、楠木正成によって築かれたとする伝承が有るようです。戦国時代にも使用されているようですが、一部の堀切を除いて技巧的な遺構は見当たりませんでした。
大津皇子は天武天皇の皇子で皇位継承をめぐって異母兄であり皇太子である草壁皇子のライバルとなり得る存在だったようですが、親友の密告で謀反の疑いをかけられ磐余(いわれ)の訳語田の自邸で自害したとされています。初代斎王の大来皇女は大津皇子の異母姉であり、夏見廃寺は大津皇子を弔うために皇女の発願によって建立されたとする説があるようです。

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しんちゃん

やって来ました信貴山城。 (2024/11/10 訪問)

信貴山城は松永久秀が織田信長との戦いに敗れて自害した城として有名です。どうやら平蜘蛛茶釜とともに爆死したというのは誤りで、茶釜を叩き割った後に自害したということらしい。茶釜と一緒に爆死のほうが久秀らしくていいのにな(ロックンロール)。
信貴山城へは朝護孫子寺を通って行くのがわかり易いです。文字通り虎口を通って城へ向かいます。城域は非常に広く、南の峰には雌岳があり、南端部に城らしい雰囲気が残っています。主郭は北の雄岳に築かれていて眺望は良好です。さらに北側には尾根にそって多数の郭が連なっています。主郭まで行きましたが、まだまだ始まったばかりという感じです。うへ~
ちなみに平蜘蛛茶釜は織田信長が修復して使用したようです。意外とセコイのね。そういえば安土城で入城料とってるエピソードもありましたね。

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しんちゃん

なにげに世界遺産。 (2024/11/17 訪問)

久々に訪問しました。小山城は津堂城山古墳を利用して築かれた城です。史跡城山古墳の石碑は二つあって、一つは北西の津堂八幡神社側に付いています。もう一つは東側に付いているのですが、埋もれて「史跡城山古」になっていますね。なんで埋まってるのか知らんけど、そのうち「史跡城山」になったりして(ニヤリ)。主郭部は全長208mの前方後円墳なので、なかなか広いです。
古市古墳群の一つとして国の史跡に登録されており、2019年には世界文化遺産に登録されています。

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WEST

龍岡城探訪 (2024/11/14 訪問)

五稜郭のお城で有名な龍岡城を訪問しました。日本に二つしかない星形稜堡の洋式城郭です。
自動車でのアクセスでしたが、佐久市歴史の里「五稜郭であいの館」の駐車場を利用しました。
であいの館で案内図を入手し、城内を散策しました。本丸跡は小学校として利用され、当時の建物としてはお台所が唯一残っています。
現在、小学校は廃校となっており、本丸跡やその周りをゆっくり見学できます。
函館の五稜郭と比較するとコンパクトではありますが、既存の城郭形態とは異なるお城として興味は尽きませんね。
なお五稜郭展望台からの五稜郭の姿を見たかったのですが、運転に自信がありませんでしたので断念しました。
また、佐久市はあの「北斗の拳」の原作者武論尊氏の出身地でコラボ企画を実施しています。であいの館には「リンとバット」のマンホールが展示してありました。「北斗の拳」がマンホールデザインされたものが他にも佐久市内にあるそうです。興味のある方は、探してみてはいかがですか。

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WEST

小諸城探訪 (2024/11/14 訪問)

小諸城を訪問しました。自動車を大手門駐車場に停め、最初は現存する小諸城大手門を訪れました。築約400年の大手門は風格があり、堂々とした佇まいでしたよ。2階は公開されている日もあるとのことですが、残念でしたが登城日は開いていませんでした。HPにて公開日が記載してありますので、確認すると良いでしょう。
次に懐古園として整備されている小諸城に向かいました。現存する三の門、二の丸跡、南丸跡を見て本丸跡に向かいました。なお、現在本丸跡には懐古神社が鎮座しています。
本丸跡奥には天守台があります。当時はここに三重天守があったとのこと。
この日は紅葉まつりの開催中であり、途中の紅葉谷、奥の地獄谷で紅葉狩りも楽しむことができました。
懐古園には城跡の他、藤村記念館、文化勲章を受賞した小山敬三の美術館もあり、歴史面だけではなく文化面の興味を満足させてくれます。

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しげ

清洲城 (2024/11/24 訪問)

清洲城行ってきました。

夜はライトアップされてて綺麗でした!

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しげ

犬山城 (2024/11/24 訪問)

犬山城に行って来ました。

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しげ

名古屋城 (2024/11/24 訪問)

念願の名古屋城行ってきました!

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本当にお待たせいたしました! かるた、本日発売です!

ずっと
すっと
ずーーーーーーーっと
お待ちいただいていた皆さま。

ついに、本日、かるた発売です!
長かった……。
ここまで来られたのも、ひとえに皆さまのご協力のおかげです。
本当にありがとうございます。

販売場所は、城びとオンラインストア「城びとストア」です。
https://shirobito.stores.jp/
「お城EXPO 2024」(2024年12月21日・22日パシフィコ横浜ノースほか(神奈川県横浜市)でも販売します!

さらに、日本100名城かるたの発売を記念して、「お城EXPO 2024」初日の12月21日(土)に加藤理文先生による「日本100名城かるた」のワークショップも開催!

詳しくはこちらの記事をご覧ください。
https://shirobito.jp/article/1783

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todo94

『YOASOBI 5th ANNIVERSARY DOME LIVE 2024 “超現実” 』前の攻城⑤ (2024/11/09 訪問)

葛西清重館からの転戦です。東京メトロ東西線葛西駅から徒歩にてアプローチしました。清光寺がその故地とされ説明板はありますが、遺構は全く残っていません。ライブ前の攻城はこれにて終了。すぐに東京ドームに向かえばよかったのに、葛西駅隣接の地下鉄博物館に寄ってしまって大失敗。開演40分前にはドーム入りできたのですが、ファンクラブブースなどには全く近寄ることができませんでした。

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赤い城

明善寺合戦の舞台 (2024/11/04 訪問)

操山公園里山センターの駐車場を利用。
ハイキングコースから登っていきます。
少し登ると尾根道にたどり着き、案内板に沿って進んで行きます。
近世には石切場とされていたとのことで巨石がゴロゴロと転がっていました。

主郭には東屋が建っていてハイキングの老夫婦がランチ中でした。
挨拶を交わし、気持ちよく主郭背後へ。
虎口っぽい地形がありますがそうでは無いようです。
主郭背後にも曲輪が並び、堀切で区切られていました。

帰りは恩徳寺方面へと下山、石積も見られますが遺構なのかな?

備中の三村氏の備えとして宇喜多直家が築いた城で三村氏と宇喜多氏の間で起こった明善寺合戦の舞台になりました。
これに大勝したことで直家は戦国大名への道のりを拓いていくことになります。


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トク

秋の萩・津和野(2/3)-津和野城下散策 (2024/11/23 訪問)

今回の津和野訪問の目的は、11月の土日限定で運行する早朝リフトを利用し、雲海を見たいと思ってやって来たのですが・・・。翌朝ホテルをリフトの時間に合わせ(朝7時)に出発しましたが、何とこの日はあいにくの雨・・・(ガ~ン😱)。太鼓稲荷神社の鳥居をくぐってリフトの下まで行きましたが、霧は半分も発生していなく、これでは登城しても無駄だなと思い、再登城は断念しました。晴れて放射冷却が起きないと雲海は見られないようですね、残念です。

しかし太鼓稲荷神社の階段付近の紅葉はとても綺麗で、目を楽しませてくれました。帰りは亀井氏時代の面影が残る白壁沿いの道を歩きました。水路には鯉がたくさん泳いでいて、とても落ち着けるいい街並みです。これを見ただけでもよしとしました。

次は津和野駅から路線バスに乗り萩城を目指します。

(注意)JR山陰本線
JR山陰本線(浜田~益田)間は12月上旬まで不通のようです。特急スーパーおき号は(新山口~益田)間で折り返し運転でした。近々山陰本線を利用される方は、運行情報を確認されて下さい。
 

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朝田 辰兵衛

悪い流れを断ち切るべく… (2024/09/16 訪問)

岡津城で終わると,どうもモヤモヤ感が残りそうなので,小田急江ノ島線に乗り換えて善行駅へ。ここからひたすら西へと向かい,大庭城へと。大庭神社内を抜けるとかなりのショートカットになりました。そのまま引地川を天神橋で渡り,大庭城址公園東口からアクセスしました。かなりマニアックだと思います。しかし,結局西側の正面口にも足を運んでパネルと碑を確認しました。
雨が次第に強く降り出したため,藤沢御殿は次回以降の楽しみに取っておいて,越後へと帰還しました。

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T-Shionoya

亀山城 三河作手の奥平の城 (2024/08/18 訪問)

道の駅に寄ったついでに訪れた愛知県新城市の亀山城。

三河山間部の作手盆地の南、比高約30mの丘に築かれた城。
周辺の平地部には、複数の館跡も存在している模様。

1400年代初期から1573年までの奥平氏5代の居城と伝わるが、発掘調査では明瞭な建物跡が発見されず、詰城のような軍事施設と考えられているとのこと。
また1602年からの8年間は奥平信昌の四男松平忠明が作手藩の藩主を務めます。

現在は道の駅から本丸まで歩道が整備され、本丸を中心に堀や土塁が残る土の城跡。
訪問時は整備された歩道の途中から堀底道と思われる本丸南側の堀で東曲輪方面へ。すると大手址の表示があり、そこを下りて振り返ると東曲輪は立派な馬出の様。
二の丸では表示がないものの、北側の枡形虎口のような窪みが気になるところ。
本丸の土塁は高さがあり、西曲輪は本丸西側虎口の馬出。

大きな城ではありませんが、予想以上に見応えのある私の城郭巡りの186城目でした。

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しんちゃん

朝護孫子寺 信貴山城への入口 (2024/11/10 訪問)

朝護孫子寺は聖徳太子ゆかりの寺で「信貴山の毘沙門さん」として親しまれ、多くの参拝客でにぎわっています。信貴山城の入り口に当たる寺で城びとにもなじみの深い寺でもあります。入口にある大きな張り子の虎にはちょっとした秘密があります。行ってみてのお楽しみですが、老若男女全般に人気が有り人だかりが絶えません。本堂には帰りに立ち寄り、小さな張り子の虎を購入しました。
せっかくなので許可をもらって、大きな虎たちと記念撮影をさせていただいてます。虎の宴で阪神タイガースの守り神的な存在でもあるようです。

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しんちゃん

新庄城 奈良県葛城市南藤井 (2024/11/10 訪問)

新庄城(陣屋)は屋敷山古墳の上に築かれていました。屋敷山古墳は全長135mの前方後円墳で葛城市では最大の古墳です。戦国時代には布施城を詰めの城とした布施氏の居館があり、慶長6年に桑山一晴が一万六千石で入封し陣屋を築いたとされています。
周囲には堀跡と思しき濠が東西に巡らされていて、眺望は思ったより良好です。この辺一帯が周囲より高台になっているようです。

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しんちゃん

安居神社 (2024/11/17 訪問)

安居神社は茶臼山陣城の北西300m位の所にあります。非常に道が狭いので徒歩で行かれると良いでしょう。こじんまりした神社ですが、真田幸村(信繁)が討死した場所として有名です。境内には案内板の他、真田幸村の銅像もあります。
信繁はここで越前松平家鉄砲組頭の西尾仁左衛門(宗次)の手にかかって討ち取られたとされ、自ら首を差し出したとも、一騎打ちの末に討ち取られたとも言われています。

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ぴーかる

下山甲斐守城(奈垣) (2024/11/16 訪問)

【下山甲斐守城】
<駐車場他>谷部への降り口<34.591562,136.152772>に車を寄せれば1台駐車可能
<交通手段>車

<見所>土塁・横堀・虎口・切通し・落とし穴?
<感想>日帰り伊賀攻めの旅1城目。下山甲斐守城はここの奈垣と、また比奈知という地区に2つあります。今回は城びとフラッグの方のみ登城。下山甲斐守城はここら一帯の土豪下山氏の築城によるもので、伊勢国司北畠氏に属して(北畠氏館・霧山城から近い)いました。1579年第一次天正伊賀の乱の際に下山甲斐守は織田信雄に伊賀攻めの手引きをしたとされます。城びとの城郭情報では築城年が1579年となっているので、それまで居城としていた比奈知から乱の前後にここの奈垣に築城し入城したと思われます。御存じの通り最初の伊賀攻めは失敗しますので下山甲斐守は自刃したとも第二次天正伊賀の乱で憤死したともいわれますが定かではないようです。

 登城口は上記駐車ポイントから城跡の南にある谷部へ降りた道から入ります。しんちゃんさんの案内通りに土橋を渡り登って(道はない)行けば城跡にたどり着けます。城跡は大きく2構造に分かれていて主郭の南側に谷部の扇状の段曲輪があります。上段が主郭で高土塁囲みの曲輪で虎口が南西口と北西口の2か所あります。南西口が大手口のようで外枡形の四方土塁が残り、その枡形の南麓側へ切通しが2本あります。面白いのがその2本の切通しの合流地点(舛形のすぐ下側)に大穴がありどうも井戸ではないようなので私は落とし穴ではないかと判断しました。切通しのうち1本は折れ曲り、主郭の下正面を通るので主郭からさんざんに攻撃される構造です。北西口の虎口は搦手のようで虎口手前から道がジグザグに折れ曲がっている遺構が良く残っています。
 主郭は南は大手道がある崖になっていて切岸、土塁はほぼ無い。残りの3方が3m程の高土塁で横堀があり横堀外側の土塁もほぼ同じ高さで囲んでいます。技巧的な虎口の造りと高土塁、見応えある城跡でした。

<満足度>◆◆◇

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