お台場は幕末、軍事施設だったんです
(2024/08/03 訪問)
ゆりかもめ(モノレール)に乗り、お台場海浜公園駅にて下車🚝 そこから砂浜沿いにひたすら歩き、着いた先の四角形の岬が品川台場
入口側に(1枚目の)公演案内があります。ペリーの黒船来航後に、国防の意味合いで建設された砲台跡…しかし本来12門設けられるはずだった砲台は全て完成せず6門のみ
一度も実戦で使われることはないまま時が流れ、1926年に国の史跡として公園となり現在は2門のみが残されている
(参考URL)
https://www.tptc.co.jp/park/01_01/history
その現存する2門(2枚目)…砲台と言っても現在では大砲の筒は取り外されて跡しか残ってません。公園としての安全性を保つため、そりゃそうなんでしょうけど
あと…大砲のすぐ前には松の木が生えており、砲撃する場合にそれが邪魔になってしまうので当時(幕末)は無かったかも…ですね。つまり公園として…史跡として残される事が決まってから植えられたもの…多分🌲
現存する2門のうち片方から内陸を撮影(3枚目)。そこには弾薬庫に陣屋、かまど…があったそうです。要は砲撃のための補充の役割を担う場所。弾薬庫から弾を砲台まで運び、そこに詰める…数十メートルの距離があるので運ぶ姿をイメージしただけで重そう…2,3人がかりだったのではないでしょうか?💣
ちなみにこの品川台場(お台場公園とも呼ぶのかな?)…ここ以外にも(4枚目に写る)陸地…海に浮かぶ島があり、もしかしたらそこにも幕末に幕府が何らかの軍事施設を設けたかもしれません
けれどそこまでアプローチする橋はない…連絡船はあるのかな?多分無いんじゃないかと思います。なのでただここから眺めるだけ…緑の生い茂った小さな島という見た目🏝️
「おっ…島の内部に何らかの史跡があるぞ」というノリで5枚目を撮影。ここが陣屋跡。当時はここにちゃんとした建物があったのでしょう
伊豆半島の付け根に現存している韮山反射路…それを手がけた江川英龍がここ、品川台場の砲台建設も担当したそうです。さらに(当時国内屈指の近代化を成し遂げ、軍事大国的存在であった)佐賀藩にも協力を仰ぎ、江戸を守るための…それなりの防御施設を建設
軍事演習くらいはおこなわれたかもしれませんが、戊辰戦争においては江戸が無血開城してしまったため実戦導入されることはなく…明治初期の不平士族の反乱は東京が戦場にあらず…日清日露の戦役では日本が戦場ではないため使われず…第一次大戦の対独戦も同様…そして大正の末に公園になり軍事施設は解体…という流れ
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