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城好きのメガネ

「勝山城」 (2024/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★★
勝山城は戦国時代に当地を治めていた小山田氏の詰城として築かれた。武田氏が滅亡した後は後北条氏や浅野氏(豊臣家)などが改修する。交通の要衝であったため浅野氏時代に大規模に改修された。江戸時代には秋元氏が麓に陣屋を築いた。現在、土塁、曲輪等が遺されている。

<アクセス>
富士急行線 谷村町駅 徒歩25分

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城好きのメガネ

「谷村陣屋」 (2024/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
谷村城は戦国時代に当地を治めた小山田氏が築いたとされる。武田氏が滅亡した後は後北条氏や浅野家(豊臣家)などが改修する。江戸時代には鳥居氏、秋元氏など徳川譜代が治める。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
富士急行線 谷村町駅 徒歩 10分

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城好きのメガネ

「久留里城」 (2024/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★★
久留里城は、上総武田氏の武田信長によって築かれたとされる。以後真里谷氏が代々支配する。戦国時代には安房の里見氏が真里谷氏を滅ぼし、里見氏の拠点となる。小田原征伐まで後北条氏の最前線として改修が繰り返された。江戸時代には里見氏の転封に伴い、大須賀家、土屋家を経て譜代大名・黒田家が幕末まで治める。戊辰戦争では新政府側に属する。廃藩置県に伴い廃城となる。現在、曲輪、土塁、堀切などが遺されている。

<アクセス>
JR久留里駅 徒歩25分

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私も行って参りました (2024/04/20 訪問)

佐味城の少し北の櫛羅陣屋まで訪問してましたが、「佐味城は、入口が分かりにくい、藪が酷い」との情報に、行くのをためらっておりました。2月半ばからの短期間の城びと猛者たちの活躍を踏まえ、私も行って参りました。感謝、感謝です。
道の曲がり具合、池の配置から、登り口の当たりがつきました。投稿にあるログハウス様の建物、墓石様の石碑をすぐに発見。向かいのフェンスの四ヶ所の針金止めも認知。フェンスのすぐ内側の密集アオキは道幅になぎ倒されてました。道には真新しいクローラー(キャタピラー)跡も。城域まで道はしっかりありました。佐味城の特異な遺構を見つつ、主郭まで到達。北は、小川が侵食した崖。西は尾根を断ち切る堀切+土橋。東は、急斜面と切岸。緩斜面の南側は、どう処理しているのか見に行くと、土木量が大きな、横堀+土塁+横堀。良いなあ。
城は、金剛山の中腹とまではいかないですが、御所市、五條市からかなり高い所にあります。御所と五條を繋ぐ狭い平野を見下ろす位置でもあります。山岳寺院でも街道を押さえる城でも有用かと思います。

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城好きのメガネ

「長島高城」 (2024/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
長島高城は、築城時期等は不明だが、後北条氏の支配下にあったとされる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
東京メトロ東西線 葛西駅 徒歩25分

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しんちゃん

あの頃の君は白かった (2017/05/16 訪問)

今日はわけありリモートDAYです。昼休みの時間を使って投稿させていただきます。土曜日に久しぶりに姫路城に行ってきました。実に7年ぶりの訪問です。前回訪問した際は2017年の5月ごろで、ちょうど平成の大修理が終わって白漆喰も塗りあがったばっかりの時でした。
外観だけなら、ほぼ新築同前です。大天守だけね。
最新の写真の投稿の前に2017年の写真を投稿させていただきたいと思います。大天守だけ異様に白いですね。「白すぎ城」と言われていたころの姿です。いまでは白漆喰もすっかり黒ずんできてますが、このころはこんなに白かったんですよ。見てるだけで不思議な気分になってきます。老人会の集団がこの城を見て走り出した時は、何が起こっているのかと焦りましたね。お年寄りの集団が走り出すくらい、白くてキラキラしてましたね。

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刑部

城と桜 2024 (2024/04/15 訪問)

住宅地の中の公園ですが遺構がしっかり遺り桜がとても綺麗でした! 穴場的存在。

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赤い城

香西氏の詰城 (2024/04/14 訪問)

県道33号線に小さな案内板があり、そこから登って行きます、が途中から農作業用の細い道となり軽自動車もしくはコンパクトカーでないと厳しそうです。
ただ駐車スペースはあります。

登城路は保存会の方により整備されていて急峻ながらも歩きやすいです。感謝。
登っていくと猫の額と呼ばれる削平地に、さらに猫の背と案内板がある尾根道を経て急な坂を登ります。

登るとすぐに虎口が見え、その上が主郭部分です。
虎口の先には浅いながらも折れのある堀底道。
正面には方形曲輪が並んでいます。
これの役割は不明だそうです。

主郭は広く、まだ桜も残っていました。
ちょうど保存会の方が整備作業をされていました。
この方、お話好きなようで丁寧に説明、案内もして頂けました。
香西氏の歴史などもお話頂き勉強になります。
主郭には市指定遺跡の碑がありますが国指定になったので近々立て替えられるとのこと、レアです!

主郭東側の虎口から出て方形曲輪、石積を見学しながら北側にある竪土塁へ。
讃岐では珍しい遺構でしかも巨石で補強されたものです。

さらに北側には曲輪が並んでいて先端部からの眺望は良く屋島や高松市内を一望できます。

満足したので下山、と思っていたら先ほどの保存会の方がいらっしゃって西側帯曲輪にある石列も案内して頂けました。
この下の方にも遺構があるようで今後整備したい、とのことでした。

本当に満足したので主郭の喰い違い虎口を最後に見学して下山しました。

保存会のはほぼボランティアで高齢者がほとんどとのこと。
最近は色々な城で整備が進んでいますが、当たり前のことと思わず感謝しながら攻めないと、ですね。
行政も予算を検討してほしいです。

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todo94

近江の城めぐり⑩ (2024/03/09 訪問)

この日最後の攻城です。お城EXPOでリーフレットをいただいていたのでかなり期待を持って登城しました。住宅街の中の細い道を上っていかなくてはならないのですが、丁寧に行き先表示が掲げられていて迷う心配はありません。この城は地元の皆さんに愛されていて大切にされているんだなあと感じました。枡形の石垣など、期待以上の素晴らしい城でした。2024年初攻城の城、ベスト3に入ると思います。すべての郭をめぐって眺望も楽しんだ後の下城は落ちそうで落ちないという八丈岩を経由。炭治郎が割った岩とやらも見てくることができました。この日の泊は三雲にとりました。

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しんちゃん

城主は牛久藩の初代藩主 (2024/03/10 訪問)

大野城は蟹江城の支城で、小牧・長久手の戦いの時の城主は後の常陸国・牛久藩の初代城主山口重政公です。城址には立派な城址碑が立ち、案内板が設置されています。重政公は母を人質に取られながらも羽柴方に与せず敵を撃破したと案内板にはありますが。オカンはどうなったんだろう?
その後、大久保忠隣の養女と嫡男が勝手に縁組した咎で改易になりますが、大阪夏の陣での一族の奮戦により再び牛久・1万5千石に復帰したとのことです。この戦いで次男(長男?)・重信は木村重成に討ち取られ、弟の重克も戦死したとありますが、重成の子孫は牛久藩に召し抱えられたとされる伝説があるそうです(小川氏に改姓)。
池田輝政の件も有りますが、身内を討ち取った相手を疎かにしないことが供養につながるのかもしれません。

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しんちゃん

鳴海城を囲む三砦の一つ。 (2024/03/09 訪問)

中島砦は織田信長が今川方の鳴海城を囲むように築いた三つの砦の一つで、主将は梶川高秀が務めたとされています。扇川と手越川の合流地点の先端に築かれていて個人宅の庭の中に石碑が有りますが、所有者のご厚意で鍵がかかっておらず、見学することができました。
ありがとうございました。(ペコリ)

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まにまに

桜田門周辺 (2024/04/21 訪問)

近くまで行ったので、ぶらぶらと時間つぶしを兼ねて桜田門付近を散歩してきた。

高層ビルと濠・石垣が同時に見られる風景は江戸城ならではかも。
二重橋という洋風構造物と純和風の櫓が同時に見られるのもここしか無い。
更には“はつり”が施されていたり、切込接の乱積という豪華な造りの石垣をしげしげと見る。
桜田門の桝形は高麗門と櫓門以外が多門櫓ではなく濠になってるところが不思議。が、濠の向こうに腰巻石垣と鉢巻石垣があって、その上から攻撃出来るのかな。

桜田門を出るとそこから国会議事堂が見える。江戸の政治の中心と現代の政治の中心は意外と近い。

何気なく通る道の横に土塁があったりとよくよく見れば基本的な城の構造は今でも残ってる。

楠木正成の銅像があったが、何故彼を選んでここに銅像を建てたのか理由がよくわからない。住友家が所有する銅山を記念して作ったらしいが。

あまりに巨大な城域なのでとても散歩気分では回りきれない。またゆっくりと見に来られるといいなぁ。

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刑部

城と桜 2024 (2024/04/15 訪問)

桜咲く時期に一度は来たいと思って念願かないました! さすが桜の日本三大名所でした、そしてソースかつ丼! 少食なので小さめのかつ丼にしました。

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T-Shionoya

古宮城 小山を彫刻したアート作品 (2024/01/14 訪問)

以前から愛知の魅力的な中世城跡と聞いていた新城市の古宮城。
1月中旬、ついにその古宮城を訪問。

作手盆地の宮山と呼ばれる比高約20mの小山全体を城郭とし、西側以外の3方は湿地帯が天然の要害であった城。

武田信玄の徳川領侵攻の拠点として家臣の馬場信春が1572年に築いたと伝わるが、奥平氏の謀反に伴い徳川軍が翌年攻略。
その後の廃城時期は定かでない模様。

現在は、土の遺構が良好に残る続100名城の城跡で、南麓の白鳥神社が入城口。

訪問時、概ね案内図の矢印の順で廻ったが、逆回りの方が徐々に中心部へ進んで行く雰囲気となりお勧めかも。
城は大堀切を境に西と東に分かれており、それぞれの頂部に位置する平坦部のみが曲輪らしい曲輪で、どちらも仕切土塁が存在。
土塁のコンディションが良く、西曲輪の3重4重の堀&土塁と本郭南の桝形虎口がメインの見どころでしょうか。

堀を端から端まで行ったり来たりで滞在時間は2時間半。
アート作品のような古宮城が、私の城郭巡りの171城目となりました。

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カズサン

名残の桜ごろ (2024/04/11 訪問)

 桜を廻って遠州路城廻、桜が終わりごろに成ってしまった時期に二俣城に続いて隣の鳥羽山城も登城しました、鳥羽山城には染井吉野桜は其れなりに多く植わってます。
 本丸下の南の丸Ⅰ駐車場に車を駐めて、大手道より登城開始、大手道先に本丸東石垣の前に桜が有り大手道から見るビュースポット、東の丸Ⅰ、東の丸Ⅱ、大手門枡形にも桜が植わっているがすでに桜が終わり名残の桜、チラホラ桜の花が見える程度、時期を失ってしまいました。本丸内部もしかり、小振りの八重桜だけは頑張って居ましたが、東門、搦手口から出て元笹の丸・西の丸Ⅰへモチツツジが咲き、句碑も文字が刻まれていますが良く読めない、本丸西側下を通り腰巻石垣、此処の桜も名残の桜。

 二俣城、鳥羽山城とも桜の旬の頃を見逃してしまいましたが新緑の芽吹きを体全体で感じる事が出来ました。
 

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カズサン

桜が終わって新録の芽吹き (2024/04/11 訪問)

 桜を廻って後回しに成っていた二俣城に登城しましたが、桜は終り葉桜、新緑の芽吹き時期と成っていました、二俣城の本丸には天守台の奥に大島桜と染井吉野桜が各1本あり既に終わって居ました、本丸中仕切門辺りに伸びた染井吉野桜と小振りの八重桜が各1本、染井吉野桜の上部は桜の花が残っており、八重桜は盛り頃、二の丸は楓が新緑で眩しい、大手門石垣越しに新緑が眩しく芽吹いている。
 元蔵屋敷、南の丸Ⅰより二の丸土塁の桜を見渡すが葉桜で花のカゲ無し、本丸東側の石垣が樹木、竹林が若干伐採されて見通すことが出来ました、麓には山野草か蘭の仲間か、ランの花が群生していました。

 駐車場は何時もの、北の丸下の専用駐車場

 本日は芽吹き頃の新緑眩しい二俣城を桜の代わりに堪能しました。今回は登城者私のみで静かな探訪も楽しみました。
 

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朝田 辰兵衛

ホテルから朝駆け…🐾 (2024/02/25 訪問)

小雨の中,高崎のホテルから朝駆けしました。寒さで吐く息が白かったですが,ホテルに戻って飲んだコーヒーがとてもおいしかったです☕
todo94さんの生まれ育った庭を荒らした感があります…。

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WEST

勝龍寺城探訪 (2024/04/12 訪問)

勝龍寺城を訪問しました。石清水八幡宮参拝の帰りに淀駅から長岡京行きのバスに乗り、久貝バス停を下車して徒歩で向かいました。
(淀駅から長岡京行きのバスは、昼間の時間は1時間に一本です)
細川藤孝の時代には天守を備えた近世城郭とのことですが、当時のものは北門の一部の石垣のみのようです。

現在は勝竜寺城公園として整備され、模擬櫓等が建てられています。ここは桜の名所であり、春の訪問がお勧めですね。
帰りは、JR長岡京駅に向かいましたが、その途中に勝龍寺城の惣構の土塁・空堀が復元されています。立ち寄ってみてください。

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チェブ

夏も丸裸。 (2024/04/20 訪問)

毎日、1万歩を歩く父を誘って「滝山城」に向かいました。
桜の季節が終わり「滝山城」は新緑色でした。

観光駐車場から本丸への木橋を目指し歩きました。
堀やら虎口やら父に説明していると、ガイドさんに声をかけられ談笑。私は『滝山城と言えば、二ノ丸』と、言った所で それならばと、ガイドをしていただきました。
お城巡りは冬がシーズン(?)ですが「滝山城」は少々、木を切り倒し遺構を見やすくしたとの事です。草刈りも1ヶ月弱でするそうです。
今回ビックリしたのは『滝山城は北条家の城なのに、障子堀がないんですね?』との問に『ありますよ。二ノ丸の堀は広い所が障子。狭くなっている所が畝です。埋まってます。』
知らなかった、、、、。
やはり、どこのお城もガイドさん、すばらしい情報を教えてくれます。

最後に桝形虎口から堀と土橋を眺めて、北条家の日常は、ここで どのような会話をしたのだろうと、立ち話。とても楽しい時間を過ごす事ができました。
ガイドの皆さん、ありがとうございました。

これから夏にかけて、雑草やら藪やらが 遺構を隠してしまいます。
しかーし「滝山城」はオールシーズン、整備を整えて待ってくれてます。

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sorato

修理中の守礼門 (2023/02/20 訪問)

令和5年の守礼門です

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