宮脇城に行くつもりが、腰曲輪につられて反対の山の方へ、登城道なんか無いし斜面は急だし、しんどいしんどい。でも比高100mほども登ると扁平地にたどり着きます。この辺は城跡というより曲輪付烽火台といった雰囲気。あとで分かったんだけど、この尾根をさらに登って行った先は三津新城に行きつくみたいです。どうやらその繋ぎの塁のような感じですね。
扁平地には意味深な岩がいくつもあります。この並んでいる岩はなんだろう? さらに進むと標高177~180mのあたりには東側(外側)に向けて土塁が付いているようです。石垣もあるんだけど周辺は畑地にも使われていたようで、後世の物のようです。でも遺構の石垣もあるかもしれません。一連の砦の中には岩を防御に利用しているものもあるようなので。
ひとしきり登ったところで引き返しましたが、今回の訪問で 三津城(三津古城)→発端頂砦(北砦)→出城→三津新城→今回の訪問場所→宮脇城が繋がったような気がします。
元々三津城は南北朝の時代に畠山氏が築いた城とされますが、その他の城塞群は北条氏の時代に築かれたようで、個別の城というよりは一連の連なった城塁のように思えます。またそれぞれ狼煙台や見張の役目も負っていたのではないでしょうか。
長浜城は現在県道で遮られていますが、かつては網代山砦、岩尻山砦と尾根上でつながっていたようです。であれば、岩尻山砦と三津城もしくは発端頂砦(北砦)を繋ぐルートが存在すると思います。それが繋がってくれると、長浜城から宮脇城までを尾根上に内浦港を抱え込むように周遊するコースが成立するはずです(実際の城域全体はもっと広いのかもしれません)。
国の史跡の長浜城との繋がりが立証できれば、三津城を始めとする城塞群が「附(つけたり)」として国の史跡に追加登録される日も夢ではないのかもしれません。地元関係者の方々の研究の進展に期待します。
今回は写真の場所しか訪問しておらず、中途半端な結果になりましたが、三津城からは富士山が良く見えるみたいなので、いずれまたゆっくり訪れてみたいと思います。
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