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にのまる

移築の歴史 (2023/09/20 訪問)

8年ぶりの明石城は城外東のエリアからスタートしました。
はじめに明石城の移築門があるという月照寺へ。
“明石といえば日本標準時”、の明石市立天文科学館のすぐ近くです。
坂道をあがると重厚感のある山門が出迎えてくれました。明石城の切手門を移築したそうですが、元々は元和4年に小笠原忠政が徳川秀忠から拝領した伏見城薬医門だったとのこと。明石城は、坤櫓も伏見城からの移築と伝わっています。各地で生き続けている伏見城、すごいです。
近くの伝・宮本武蔵作庭の本松寺や300年以上湧き続ける亀の水にも寄ってみました。

続いて明石神社に展示されている太鼓を見に行きました。明石城太鼓門(現在の明石公園正面入口)に置かれていた太鼓(とき打ち太鼓)です。外からガラス越しに見られるようにしてくださっていてありがたかったです。

城内へは東の丸入口から入りました。左手に箱堀、右手に薬研堀の登城口です。食違いの石垣に東の丸跡へ誘われ、どっちに行こうか迷いましたが、一旦南へ下りて、二の丸の石垣沿い、松平直明公遺愛お茶の水碑のある細い道を巽櫓へ直進しました。二つの櫓をほぼ真横から見る感じがよかったです。
メインの石段と合流して本丸へ。現存三重櫓二基をじっくり味わいました。駅から見える姿も好きですが、近くで見ても立派でかっこいいです。天守台からちょっとだけ見下ろしたアングルがよかったです。

艮櫓と乾櫓はイメージ再建し、桜堀の方へ下りてみました。石垣で堅められてはいますが、お城の堀というよりのどかな公園の池といった雰囲気です。しかし、水面に映る石垣と幻想的な空気感はやっぱりお城の堀でした。

巽櫓と坤櫓のツーショットも素敵だけれど、天守台と坤櫓の並んだ姿もいいものだなぁなど思いながら広場に下りて、公園管理事務所で三重櫓シリーズの城カードを購入し、太鼓門から退出しました。

最後に大通りをはさんだ駅側の「織田家長屋門」へ。
船上城からの移築と伝わるとあり、びっくりでした。
というのも、今回の城旅、1カ所くらい新規ポチしたくて、がんばれば行けそうな船上城を狙っていたのですが、時間切れで行けなかったのです。
最後の最後で船上城と縁のある長屋門にも巡り合えて、よき城旅でした。

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しんしんちゃん

真田昌幸陣跡 生駒親正陣跡  佐賀県唐津市 (2020/01/03 訪問)

真田昌幸陣跡  佐賀県唐津市鎮西町名護屋字永田
真田昌幸陣跡は名古屋城の北西に築かれています。九鬼嘉隆の陣の東200mあたりに位置し、石垣が残っているようです。(確認していません)真田親子で700人ほどを率いており扁平地は墓地となっており、「サエモンサマ」と呼ばれる石碑(墓)が残っており真田信繁(幸村)の墓と伝えられています。
生駒親正陣跡 佐賀県唐津市鎮西町波戸字田中
生駒親正陣跡は玄界国定公園の中の丘陵に築かれていて標高は35.3m、主郭の広さは約60×80mで虎口や石塁を残します。文禄・慶長の役では5000騎を率いて参陣しています。

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ぴーかる

勝山城 (2023/08/19 訪問)

【勝山城】
<駐車場他>勝山市役所駐車場
<交通手段>車

<感想>越前ちょこ城巡りの旅ラストの11城目。勝山城は1580年に柴田勝家の甥(のち養子)の柴田勝安によって築城されます。江戸時代には結城秀康の子らが入封されますが、移封されると廃城になり勝山藩は天領となり陣屋が置かれます。1691年に小笠原氏が2万2千石で入封し築城許可が出て再び築城を開始します。小笠原氏は明治維新まで続き維新後に建造物は取り壊しや払い下げられました。勝山城の位置は現在の勝山市役所の辺りで昭和40年頃まで天守台と石垣が残っていたようで、市民会館建設に伴いその時取り壊されたそうです。
 先に城跡の位置・形状も全く異なる模擬天守のある勝山城博物館に行って御城印購入、入館しようかと思ったら入館料1000円の高さ(重文でもないのに)に驚き止めました。しかし模擬天守の巨大さには驚かされ、お金かかっているなあと感じます。一応一見してもよいかと。
 次に勝山市役所に城跡碑を撮影しに行ったら、なんと満車!?市民会館で荻野目洋子さんのコンサートを開催していたそうで、駐車もできず道路脇に停車しダッシュで撮影して終了しました。帰路は頭の中でダンシングヒーローがグルグル回っていました( ;∀;)。

 これにて今回の旅終了、各御城印の購入(open時間帯)に合わせてちょこ城を北から南下していくルートで巡り、小丸城で終了予定でしたが時間が相当余ったので急遽、伊自良氏館と勝山城を入れ込みました。蓮如の城郭寺院始まりの地である吉崎御坊や府中三人衆という単語も初めて知ったので新鮮でした。631㎞無事走破。

<満足度>◆◇◇

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しんしんちゃん

上杉景勝陣跡 織田秀信陣跡  佐賀県唐津市 (2020/01/03 訪問)

上杉景勝陣跡 佐賀県唐津市鎮西町名護屋字永田
上杉景勝陣跡は丘陵上に築かれ、いくつかの曲輪を配し、今でも石垣が残っています。主郭は約110×50mほどの広さでヤブ化が進んでいますが見学が可能です。五大老の一人として5000騎を率いて文禄・慶長の役に参陣しています。
織田秀信陣跡 佐賀県唐津市鎮西町名護屋
織田秀信陣跡は上杉景勝陣跡の南200mほどの小丘に築かれています。特に遺構は見当たりませんが扁平地が広がります。織田秀信は織田信忠の嫡子にあたり幼名は三法師です。岐阜13万石、岐阜城城主となり正式に織田家を継ぎ、秀信の名代として家臣の百々綱家が朝鮮に渡り美濃衆らを率いて晋州城攻防戦に当たったとのことです。

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朝田 辰兵衛

安居城(富山県南砺市) (2023/10/08 訪問)

【やすい じょう】ちょうど1年前に,福井県の安居(あご)城を登城しました。福井と富山のW安居城で,「しりとり」では赤穂城アプローチ手札。ようやく攻城することができました…。提案はにのまるさんで,攻城は雨の中をtodo94さんが…。ほぼ命がけだったように思えました。あらためて感謝申し上げます(富山弁では感謝の言葉を「きのどくな」と言います)。
JR福野駅から,約4km。平日だと,1日2往復しかないバスに片道をまかせることも可能。その際,安居南口バス停が有効です。
todo94さんは,パネルのワキから攻城されたのでしょうか…?
私は,JR福野駅から往復徒歩で攻めました。登城口はパネルから約100m先あたりに登れそうなところを見つけたので,そこから攻めました。粘土質の土壌がところどころむき出しになっており,とくに下山時には注意かな…と思いました。が,約15分くらいで城域に入りました。
とにかくヤブで,写真を撮ってもさっぱりわからないくらいです。おそらく主郭単郭と思われます。切岸と堀切はかろうじてわかるものと期待します。

時系列では飛んでおりますが,久々の「しりとり攻城」ということで速報いたします。

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しんしんちゃん

伊達政宗陣跡 九鬼嘉隆陣跡   佐賀県唐津市  (2020/10/03 訪問)

伊達政宗陣跡 佐賀県唐津市呼子町殿ノ浦
 伊達政宗陣跡は文禄の役の際に築かれ国道204号線沿いの北側に築かれ土塁が残っています。
 石垣も見受けられますが後世の遺構かどうかは不明です。
九鬼嘉隆陣跡 佐賀県唐津市鎮西町名護屋
 九鬼嘉隆陣跡は波戸岬地区の標高33.4mの丘陵上に築かれ曲輪や切岸が残ります。文禄・慶長の役
 では水軍の中心として15000人で参陣したと案内板に書かれています。大安宅舟「日本丸」以下50船
 あまりの船団で朝鮮に渡海し、安骨浦(アンコルポ)海鮮や熊川(ウンチョン)沖で李舜臣の水軍と
 戦ったとあります。嘉隆は慶長2年(1597)家督を守孝に譲り慶長の役には参陣しなかった
 とのことです。

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じゅんじん

お犬様登場 (2023/09/23 訪問)

城址碑の前に飼い犬がいますが人懐こかった。

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じゅんじん

甲府城 (2023/09/23 訪問)

城門や櫓が復元されています。信玄公や信虎公もごあいさつ。

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AJ

有事の門 (2023/10/05 訪問)

箕輪や館林、大多喜などに徳川四天王が配されたという事実は今日関東で暮らしている人たちにとっても、さほど強く印象付けられてはいないかもしれません。一方、城持ちにはなれなかったにもかかわらず、数百年経ってなお、東京のど真ん中でその名を轟かす御仁がいます。

写真は江戸城・半蔵門。定説によれば、服部家当主の世襲名を冠しています。そして有事の際、将軍はここから甲府城へ避難する段取りだったといいます。そう考えると、甲州道中の真の起点は日本橋ではなく、この江戸城西門ということになるでしょうか。

もちろん、そもそも五街道の旅の初日を日本橋で迎えようとしたのはよほどの物好きだけだったらしく、多くの人は品川、内藤新宿、千住あたりで盛大に飲み明かしてから送り送られしたとの指摘もあるでしょう。

甲州道中の防衛体制はトップシークレット。参勤交代での使用も譜代三藩に限るという徹底ぶりだったそうです。さらに、現在の東京都新宿区周辺の旧道中沿いには甲賀、伊賀、根来などの鉄砲精鋭部隊が配置されました。

このうちJR新大久保駅を含む「百人町」は伊賀百人組の屋敷があったことに由来。甲府城を目指す将軍は彼ら“特殊部隊”の護衛で西へ向かう計画だったわけですね。

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トベシュン

近江城巡り (2023/09/30 訪問)

近江城巡り 小谷城址、彦根城、安土城址、観音寺城址、長浜城址、佐和山城址、龍胆寺を巡りました。

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トベシュン

近江城巡り (2023/09/30 訪問)

近江城巡り 小谷城址、彦根城、安土城址、観音寺城址、長浜城址、佐和山城址、龍胆寺を巡りました。

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トベシュン

近江城巡り (2023/09/29 訪問)

近江城巡り 小谷城址、彦根城、安土城址、観音寺城址、長浜城址、佐和山城址、龍胆寺を巡りました。

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トベシュン

近江城巡り (2023/09/29 訪問)

近江城巡り 小谷城址、彦根城、安土城址、観音寺城址、長浜城址、佐和山城址、龍胆寺を巡りました。

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トベシュン

近江城巡り (2023/09/28 訪問)

近江城巡り 小谷城址、彦根城、安土城址、観音寺城址、長浜城址、佐和山城址、龍胆寺を巡りました。

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トベシュン

近江城巡り (2023/09/28 訪問)

近江城巡り 小谷城址、彦根城、安土城址、観音寺城址、長浜城址、佐和山城址、龍胆寺を巡りました。

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駿府城

駿府城跡清水御門北側地点の発掘調査が始まりました!

駿府城跡天守台の野外展示の設計を進めるにあたり、未調査エリアの発掘調査を実施しています。実施調査期間は、3ヶ月程度を予定しています。
発掘調査が始まった当日の様子を少しですがお届けします!
 
まず発掘作業を行うエリアは重機が入れないため、ツルハシやスコップなどを使い人力で掘削していきます。重労働ですが丁寧に協力しながら作業を進めています。

今後の発掘調査の様子や最新情報はこちらの発掘情報館きゃっしる【別館】(http://www.shizuoka-bunkazai.jp/castle-info/)で随時更新しますので、ぜひチェックしてください!

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周辺の展示施設①立場上呼び捨てしづらい「信玄ミュージアム」 (2023/10/28 訪問)

こんにちは。躑躅ヶ崎歴史案内隊のEこと上田絵馬之助です。

当隊は、躑躅ヶ崎館跡こと史跡武田氏館跡のボランティアガイドを行う甲冑ガイド集団です。
現在は武田神社がみそなわす当地において活動をしていますが、
この「城びと」を借りて活動案内、史跡の解説を行ってます。

今回は、躑躅ヶ崎館跡内外に建ち、武田家への理解をいっそう深めてくれる展示施設
「信玄公ミュージアム」こと「信玄ミュージアム」こと「甲府市武田氏館跡歴史館」を紹介します。

甲府駅から武田通りを北へ進んだつきあたり、武田神社を目の前にした角地、
もとは穴山梅雪の館跡といわれる跡地に建っている、
建物の正式名称は、甲府市武田氏館跡歴史館。
正しい略称は、信玄ミュージアム。
信玄公を敬う立場上、間違ってるのを百も承知で呼んでいるのが、信玄公ミュージアム。
この3つの呼名をその場その場で使い分けてます。

甲府市のサイトでは「国史跡武田氏館跡に関わる歴史や史跡の見どころを紹介する施設」と紹介されるとおり
信玄公を中心とする武田氏の歴史にまつわる展示をしています。

場内は無料スペースと有料スペースに区分されています。
エントランスを入った先の常設展示室(無料スペース)では、
こだわりで作り込まれたパネル展示などによって、武田の歴史を知ることができます。
奥の別棟の特別展示室(有料スペース)は出土品の展示や映像上映のほか、さまざまな企画展が行われ、
よりディープな学びやマニアックな品々を目にすることができます。
また、うどん・そばなどの軽食スペースや和の趣き豊かな木造家屋群が併設されています。

当隊では武田神社歴史案内活動の際に、ご要望あればミュージアムの案内を承ってますので
ご希望があれば声をおかけください。

ミュージアムの詳細や開催中の企画展情報は、甲府市サイトの紹介ページを御覧ください。
https://www.city.kofu.yamanashi.jp/rekishi_bunkazai/kofu-takedashirekishikan.html

また、スタッフブログも好評運営中です。
https://blog.goo.ne.jp/rekishibk

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三浦の晃ちゃん

朝市 (2023/10/08 訪問)

門前が、日本3大朝市の会場に、なっています。始まる前に行きました。

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三浦の晃ちゃん

金森長近 (2023/10/08 訪問)

高山陣屋のすぐ近くに、あります。織田信長や豊臣秀吉に、使えた、金森長近の居城です。江戸時代の半ばに、破却されたようです。二の丸には、銅像があります。本丸の石垣は、推定復元を、されたもののようです。紅葉が、始まっていました。

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三浦の晃ちゃん

藤橋城 (2023/10/09 訪問)

徳山ダムへの道を走っていると、突然、現れました。内部は、プラネタリウムに、なっているようです。模擬天守だと、思います。

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