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さといも

スミレ咲く (2024/04/21 訪問)

 低い土塁に囲まれた基本方形の館跡です。周囲の空堀や土塁の中にスミレが咲いてきれいでした。

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天守無しがアツい

世田谷城公園 (2024/04/20 訪問)

豪徳寺(井伊家の菩提寺、井伊直弼の墓もある)の門を出てすぐの場所に城跡(世田谷城跡)があります。と言っても城の入口は反対側にあるため、ぐるっと回る必要はありますけどね(1枚目の地図を見ると分かりやすいかと)

3分ほど歩くと子供の遊ぶ公園がありました…見た目は公園⛲️ にしか見えない…でもそこが世田谷城なのです🤣 石垣のようなブロック(2枚目に写ってる)くらいしか「そう言えば城跡かも?」と思わせるものはありません(しかもこれも当時…戦国時代に造られたのではなく、現代になってからだと思う…多分🪨🪨🪨)

(2枚目にあるように)城跡の案内板はあります…他にももっとカラフルな城跡および周辺史跡を紹介した案内板も立ってます。城跡の中にはそれさえ無い…遺構のまるで無い所もあるため、それよりはマシかもしれませんね🏯

丸ごと公園…子供の遊び場にできるほど規模の小さい城跡…なので逆に言うなら1回の訪問で全部見回れる…と言うことで通路や階段はほぼ全部歩き回りました🚶‍♂️ そういう意味では楽勝な城跡とも思えましたね😅

(世田谷城Wikipedia)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%94%B0%E8%B0%B7%E5%9F%8E

室町時代に世田谷城およびその一帯を治めていたのは吉良氏…(おそらく歴史書にもほとんど出てこないので、参考サイトにも情報が乏しいと思われます)近隣諸国の北条氏と婚姻関係を結んだりして長きに渡り存続していたそうですが、天正十八年(1590年)の秀吉による天下統一の際に豊臣氏勢に接収→廃城

廃城後には石材が江戸城の改修に使われたりしたそうです。その江戸城も遺構は天守台や門…櫓くらいしかないけど、もしかしたらその中に元世田谷城のもあるのかな?🏯

空堀(3枚目)が存在しており、ここでも子供が遊んでおり、母親どうしで雑談しながら見守る姿が見られました。彼らを写してしまうと肖像権的に申し訳ないので、写らないアングルで(なおかつ空堀は写るように)撮影したのが3枚目になります

これが唯一現代にまで残る…世田谷城が戦国時代からあった時の遺構…なのでしょう。ちなみに豪徳寺はかつて世田谷城の城域内であり、しかも本丸だったそうです。つまりここも「昔は城、今は寺」の範疇に入ると思われます

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小城小次郎

江戸時代にも城郭機能が維持されていた (2023/10/28 訪問)

本能寺の変を知らず、本能寺の変の翌日に10名以上の城将が耳に名札を付けて自刃したとされる、壮絶なる「魚津城の戦い」の舞台。実は江戸時代を通じて名目上「米蔵」として高岡城と同様に城郭機能も維持されていたのだそうだ。

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WEST

淀城探訪 (2024/04/12 訪問)

京阪本線淀駅での乗り換え時間を使って、近くの淀城を訪問しました。駅からは徒歩5分程度です。豊臣時代の淀古城とは異なり、淀城は江戸時代に築城されたお城とのこと。
このお城は廃城となった伏見城の資材と二条城の天守が移築されたそうですが、残念ながら建物の遺構はありません。
現在、お城は淀城跡公園として、天守台等の石垣や内堀の一部が残っています。コンパクトな城址ですので、全体を回っても短時間ですみ、お勧めします。
なお、訪問時、天守台入口には柵があり、中に入ることができませんでした。

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WEST

伏見桃山城探訪 (2024/04/12 訪問)

伏見城を訪問しました。伏見城の本丸跡は明治天皇陵となっていますが、今回行く先はお花畑山荘跡にある模擬天守や門がある場所です。京阪本線丹波橋駅を降り、徒歩15分程度で着きます。(緩やかな坂道を登ります)
天守は観光用で建てられたのもので、現在は耐震の関係で内部に入ることはできません。しかし、天守や門は荘厳でなかなか見ごたえがあります。
訪問時は桜が綺麗に咲いており、天守も映えますね。
お城訪問後、伏見城の遺構の一部がある御香宮神社を参拝しました。この神社の神門が伏見城大手門とのことです。お城から徒歩10分程度ですので、是非訪問してみてください。

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ぴーかる

尼子十砦3城目 (2024/02/23 訪問)

【神庭横山城】
<駐車場他>神庭町生活改善センターに駐車しました。
<交通手段>車

<感想>1泊2日尼子十砦の旅3城目。神庭横山城、調べましたが情報が少なくよく分かりません。城びとの城郭情報では築城年・築城主は不明で主な城主が川井信濃守となっています。
 登城口は<35.390598,133.189896>に京羅木山登山道の矢印板があります。北側の道の最奥の柵を外して山に入ります。踏み跡程度の道がありますので10分程で登れます。現地は木野山社古墳群になっており、墳丘がいくつかありますが墳丘上が削平地になっているのかどうかのレベルで城跡感はありませんでした。Googleマップの位置と城びとフラッグが若干東にずれてあるので、位置確認はしませんでしたが、フラッグの位置にあるかもしれません。

<満足度>◆◇◇

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WEST

丹波亀山城探訪 (2024/04/10 訪問)

明智光秀ゆかりのお城、丹波亀山城を訪問しました。JR嵯峨野線亀岡駅から徒歩10分程度ですので、アクセスし易いお城です。
現在城址敷地は宗教法人が管理しています。お城見学の受付の際に散策ルートの簡単な説明や、希望者には別室での10分程度のビデオ上映もありました。
明治維新後には5重5階の天守がありましたが(受付の建物の中に写真がありました)、明治初期の廃城令により建物や石垣が破壊されたとのこと、非常に残念ですね。
城内には天下普請時の石垣刻印、本丸下の復元石垣をみることができます。その石垣の下部分が明智光秀の築城の時代のものだそうです。なお、本丸跡は禁足地でみることはできません。
丹波亀山城は廃城・破壊されましたが、現在のような形でも整備・散策できるようにして貰えるのはありがたいと思います。
また、駅前の大通りに沿って歩くとお堀手前に明智光秀公像を見ることができます。是非寄ってください。

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イタさん

高尾天神社からの眺めがいい。 (2024/04/19 訪問)

高尾駅から十数分で高尾天神社に着く。急階段を上がり振り返れば、高尾・八王子市街地の眺めが素晴らしい。ハイキングコースのようで、時々人とすれ違う。大きな菅原道真公の銅像左か、社殿裏から山道に入る。上の郭の北から西には帯郭風な地形が見られ、西には堀状の遺構がある。尾根は小さなピークあり意外に疲れる。巻き道を使えば疲労を軽減できるが。主郭近くでは城跡らしい雰囲気があり、見上げれば帯郭らしき段差が見える。主郭は南北に細長く、北奥の西に虎口(元の?)があり、下は南北に長い帯郭状になっている。主郭の南に郭があるが、鞍部に不明瞭だが堀切がある。

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風来坊や

道の駅浅井三姉妹の郷 (2024/04/18 訪問)

浅井三姉妹とは、織田信長の妹お市の方と浅井長政との間にできた三姉妹。
長女茶々は秀吉の側室、次女初は京極家に嫁ぎ、三女江は徳川二代将軍秀忠の正室(三代将軍家光の母)。
戦国の世を数奇な運命の中生きた浅井家の三姉妹。

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イタさん

遺構はフェンス内に (2024/04/19 訪問)

浄福寺城・千手山山頂でお会いした方に、高尾駅まで乗せて戴いた。途中で小田野城跡を案内します、と言われ甘えることにした。城跡の南に位置する稱讃寺(シュウサンジと読む?)の駐車場に駐めさせて貰い、南東の住宅地の先から、フェンスに設けられた扉を開けて入る。すぐに左上には郭らしき数段の平地が見える。道はやや上り加減で北から主郭に入るが、虎口なのだろうか。主郭は広大で桜などが植えられており、現在は葉桜だが、半月前は綺麗だったらしい。北側は削平せず一段高く、土塁では広過ぎるのでは。案内して戴いていたので、時間を掛けて周囲を確認せず観栖寺台公園側に向かう。左は自然の谷で仕切り、ハッキリしないが、案内板のような土橋・空堀が見て取れる。フェンスの外に出て、住宅地(グリーンタウン)からバス通りに下り立つ。

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風来坊や

重要文化財「多賀城碑」 (2024/04/11 訪問)

多賀城碑は、群馬県の多胡碑(たごひ)、栃木県の那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)とともに日本三古碑のひとつに数えられており、平成10年6月30日に国の重要文化財(古文書)に指定されました。

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イタさん

軽い山登りでした (2024/04/19 訪問)

観音堂裏から尾根歩きになり、竪堀・堀切がわずかに見られる。主郭下の道は折れて虎口へ、主郭は奥が一段高い。北に続く尾根には郭・堀切・竪堀などが残る。東(尾根の向きは南東)には支尾根が二筋あり、遺構が記されている。主郭側の尾根へヤブ状の踏跡が見えたが、時間がなく諦める。

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三浦の晃ちゃん

歴史を感じる (2024/04/21 訪問)

あしかがフラワーパークに、あそびに来たついでに、訪問しました。鎌倉時代頃からの建物が多く残っています。歴史を感じました。

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todo94

近江の城めぐり⑨ (2024/03/09 訪問)

日向山と書いて「にっこうやま」と読みます。階段が整備されていて地元の皆さんも多く訪れるスポットになっているようです。説明板に縄張図が記されているのもありがたい限りです。虎口や石垣などの遺構はさほど明瞭なわけではありませんが、土塁はしっかりと視認することができました。

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黒田官兵衛 飛躍の地 (2024/04/20 訪問)

 主郭を中心に北と西に曲輪を展開しています。北には七段郭と表記してありましたが、段々に曲輪が配置されています。その西には畝状竪堀群、東側は急峻な崖となっていました。主郭の西側には二の丸と表記された曲輪があり、その先には三重堀切があります。その先の展望所からは長水城が観えます。畝状竪堀を楽しみのひとつとしていました。実際に散策すると概ね竪堀はわかりますが、浅くなっている所も多く、伐採した木等で見にくくなっている所もありました。畝状竪堀の他にも堀切、横堀、土塁等を楽しむことができます。城域は手入れされていて概ね散策しやすくなっています。

 姫路駅からバスに乗り山崎下車。最上山公園を経由して徒歩にても登城できます。車の方は中腹まで登ると駐車スペースがあります。

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みな

感動 (2024/04/13 訪問)

まだ桜の残る中、安土城に登りました。安土駅から徒歩で20分ほどかかりました。地図を片手に住宅街を抜けて、百々橋までくると安土山が見え感動でした。
下山する時私以外は誰もいなくて少し不安でした。。

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肉球

手子生城・茨城県つくば市 (2024/03/27 訪問)

八田知家の子知重によって築かれたようです。
てごまる城と読むようです。
城を佐竹氏に奪われたり奪ったり激戦地だったようです。
江戸時代になり小田氏家臣菅谷氏が五千石で、その後遠江国へ移封。
その後旗本堀田氏の陣屋として利用されたようです。
本丸跡に石碑が建ち内堀が僅かに残されています。

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肉球

寺具城・茨城県つくば市 (2024/03/27 訪問)

城のはじまりはハッキリとは分かっていないようです。
築いたのも佐竹氏なのか小田氏とも多賀谷氏とも、、、
江戸時代になり本丸部分に常陸国小張に配された松下氏の出張陣屋や
旗本本多氏の陣屋として利用されたようです。

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肉球

一回りしてみました (2024/03/27 訪問)

20年ほど前にも訪れましたがその時は公園の石碑と城山稲荷神社の土塁のみを見学したのみでした。
先に投稿されたシェルさんの観音寺東側の城塁を見学するのを目的に縄張り図を手に一回りしてみました。
三の丸東側にあたると思われる観音寺東側の城塁は今でもハッキリとした高低差を確認することが出来ました。
そこから150mくらい北側には平沼曲輪の南側城塁と思われる高低差も確認できました。
城域を南北に走る関東鉄道常総線下妻駅西側にある城山稲荷神社には隠居曲輪の土塁と思われます。
こちらには江戸時代井上氏によって陣屋が築かれたようですが特に遺構は残されていないようです。

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WEST

二条城探訪 (2024/04/10 訪問)

二条城を訪問しました。二条城は、地下鉄二条城前駅からすぐのところにあります。
今回の訪問は何十年ぶりですが、テレビ番組あるいは雑誌等の特集でみる機会が多く、久々の感じがしないお城です。
ここは、唐門、二の丸御殿、二の丸庭園が有名ですが、その他にもたくさんの見どころがあります。櫓では東南隅櫓、西南隅櫓、
城門では、東大手門、北大手門、本丸櫓門、北中仕切門、南中仕切門などなど見どころ満載です。
新型コロナ明けで外国の方も大勢見学していて、日本を代表するお城の一つであると実感しました。

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