【大河原氏城】
<駐車場他>うぐい川公園駐車場
<交通手段>車
<感想>先達の投稿からここは私有地?の山なようなので、憚られました。入り口正面の写真を撮影して終了しました。おまけで行ったポチさせてもらいます。m(_ _)m
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2025/03/25 19:47
大河原氏城 (2025/01/18 訪問)
【大河原氏城】
<駐車場他>うぐい川公園駐車場
<交通手段>車
<感想>先達の投稿からここは私有地?の山なようなので、憚られました。入り口正面の写真を撮影して終了しました。おまけで行ったポチさせてもらいます。m(_ _)m
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2025/03/25 18:51
2019.12.27登城 (2019/12/27 訪問)
島田市北部の山間部にある石上地区に石上城址があります。
城址は市の史跡に指定されていますので、整備がされており、問題なく散策できます。
遺構としては、小規模ながら郭跡や堀切などの遺構が確認できます。
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2025/03/25 18:41
どの季節においても,一長一短を感じる城…🏰 (2025/03/15 訪問)
三の丸は雪が深くかなり緩かったため,私が歩くことで全層雪崩を誘発する危険を感じました。土塁の下を右に行くと井戸があるハズでしたが,突入を断念しました。
ただ,本丸~二の丸間の堀切を撮影するには,ベストシーズンだったと思います。他の方の投稿を拝見しても,かなり厳しい季節に攻城されたようで,イイ画像はなかったように思います。
天守台背後下に物見のような曲輪がありましたが,ここも私が歩くことで全層雪崩を誘発する危険を感じました。
どの季節においても,一長一短を感じる城だと思いました…。
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2025/03/25 18:38
城びと未登録のお城攻め「内守谷城」 (2025/03/01 訪問)
前回、投稿した「弘経寺」から、欲を出して「内守谷城」へ転戦。
こちらは、どなたがいつ頃に築城したのかは不明です。
単純に名前から「守谷城」と関係があるのかもしれませんが、位置的には「菅生城」が近いです。
車では不向きな道路が続きます。細いしアスファルトはヒビだらけ。これはJAFが助けに来れないレベルです。
ナビの案内では曲がれと指示しますが、側溝に落ちそうです。
ぐるっと大回りして「内守谷城」に到着。
『香取神社』がありました。
遺構等は分かりません。雰囲気は、あります。
新しい赤いニット帽を目深にかぶった大黒様がいらっしゃいます。
誰のお城かは分かりませんが、近隣の方々が大切にされているのが分かった「内守谷城」攻めでした。
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2025/03/25 17:59
続々・『城めぐりのきっかけ』告白リレー
ヒロケンさん、とある煩悩の登城目録さん、『城めぐりのきっかけ』告白リレーへのご参加ありがとうございます。ほんの思いつきからこうして皆さまのお話を伺えて、ありがたいやら自らを省みてお恥ずかしいやらですが…。
ヒロケンさん
人生というのはいろんな人や物事との出会いによって紡がれていくものなんだなぁ、と改めて。ヒロケンさんを城めぐりに導いた先輩が早逝されたことは言うべき言葉もありませんが、自分のことを忘れずにこうして城めぐりを続けていてくれることは、きっと喜んでおられますよね。私もヒロケンさんの先輩のように、死後も誰かに思い返してもらえるような人との関わり方をしていきたいものです(城めぐりに限らず)。
とある煩悩の登城目録さん
やっぱり100名城スタンプラリーの影響力は大きいんだなー、と。最初は何となくだったとしても、小谷城のような名城に出会ってスイッチが入るきっかけになるという意味でも。そしてさらにハマれば(続)100名城に限らず、城びと登録城にも限らずに行くようになる……全くもって共感しかありません。とある煩悩の登城目録さんの投稿を拝見して小谷城にもまた行きたくなりましたし、良い城には何度でも再訪したいですよね。
ところで…
あさん、遅ればせながら大阪・京都コンプリートおめでとうございます。滋賀と奈良はコンプ済み、兵庫もリーチとなると近畿で残すは和歌山のみですね。先日、和歌山の未投稿4城は県民としての責務、などと申しましたが、あれは「オレの獲物だ、手出し無用」という趣旨ではなく「和歌山中南部の人跡未踏の城に県外から来てもらうのも申し訳ないしなぁ…」というようなものなので、行こうというお気持ちがあれば、どうぞ気兼ねなく一番槍つけちゃって下さい。
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2025/03/25 17:40
残雪の若桜鬼ヶ城 (2025/03/09 訪問)
鳥取からJR因美線とバスを乗り継いで若桜町に着く。
若桜町観光案内所で荷物を預け、若桜鬼ヶ城の情報を収集すると、まだ雪が残っていて登城は危険なのでおすすめはできない、登るなら自己責任でお願いしますとのこと。
冬眠から早起きしたクマと出会うと嫌なので、持ってくるのを忘れた熊鈴を借りて登城する。
八幡広場登山口から登るも登り出しから思った以上に雪が残り、踏み抜くと膝下までイボる。
予想外の雪山登山となったが、山頂の本丸からの眺望は素晴らしい。下山は六角石垣を見て周回、町民体育館登山口に下山する。
スタンプが置いてある観光案内所の方はとても親切で登城前にぜひ立ち寄ることをお勧めする。
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2025/03/25 17:32
鳥取城探訪 (2025/03/08 訪問)
わかさ氷ノ山スキーと兼ねた山城探訪。
鳥取駅から100円循環バス「くる梨」緑コースで仁風閣で下車。
北の御門跡から入り、西坂下御門→三階櫓跡を経由して、まず山上ノ丸(久松山山頂)を目指す。仁風閣前から約30分で山頂。
天守跡からは鳥取市街や鳥取砂丘を遠望できる。
東坂の上城門跡、登石垣を見て下山。
山麓の山下ノ丸で天球丸→巻石垣→太鼓御門跡→復元工事中の中ノ御門→西坂下御門→二ノ丸登石垣→三階櫓跡と見てまわる。
仁風閣は保存修理のため長期休館中でガイダンス施設「鳥取城・仁風閣展示館」にスタンプがある。
探訪後、鳥取砂丘に向かい、砂丘を散策する。
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2025/03/25 16:44
2019.11.14登城 (2019/11/14 訪問)
野崎駅の西側にある三箇菅原神社が三箇城址となります。
遺構は残っていませんが、城址の石碑が設置されています。また、三箇神社の解説板に三箇城についても触れられています。
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2025/03/25 15:49
2019.11.14登城 (2019/11/14 訪問)
高石駅の南東にある専称寺が綾井城址となります。
山門の前に水濠跡の遺構が残っています。城址の標柱や解説碑が設置されています。
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2025/03/25 15:47
2019.11.14登城 (2019/11/14 訪問)
泉大津駅の北西にある南溟寺が眞鍋城址となります。
遺構はありませんが、城址の石碑と手作りの解説板が設置されています。
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2025/03/25 14:42
文禄・慶長の役の拠点 (2025/02/26 訪問)
唐津バスセンター(大手口)の2番乗り場から朝の始発のバスに乗車し、約1時間で到着。
豊臣秀吉の文禄・慶長の役の拠点となった陣城です。周辺には、全国の諸大名の陣屋跡も残されています。案内板や説明板は、一部「信長の野望」仕様になっていました。さすがに陣屋も巡りはじめてしまうと、時間が足りないので、名護屋城を名護屋城歴史博物館が開くまでの時間を利用して、2時間かけて巡ってきました。
山里口→広沢寺→上山里丸→水手口→船手口→二の丸→遊撃丸→搦手口→馬場→三ノ丸→本丸→(下山)→東出丸→大手口の順で見学。
各曲輪の石垣が、尋常ではない規模で、さすが秀吉の城といった印象です。また石垣の隅角部を壊したものや、等間隔でV字に崩されたものなど破却された石垣も随所に残っています。石垣の破却の様子を見ることができる貴重なお城でもあるなと感じました。
一通り見学を終えて、名護屋城博物館へ。100名城のスタンプは、受付で押印できました。あいにく常設展は改装中で見学できませんでしたが、企画展示の方は見学することができました。
帰りは、博物館から少し歩き、「鎮西市民センター前」というバス停から、乗り合いタクシーを利用して、呼子でバスに乗り換えて唐津に向かいました。
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2025/03/25 08:27
麒麟がくる紀行(東奔西走)
(続き)
明智光秀は丹波攻めの前から織田信長の命により朝倉・浅井攻め(福井県・滋賀県長浜市)、高屋城(大阪府羽曳野市)の戦い、長篠の戦い(愛知県新城市)、越前一向一揆攻め(福井県)と東奔西走していましたが、さすがに信長肝いりの丹波攻めの間くらいは専念させてもらってたんだろう…と思いきや、丹波攻めを始めて間もないうちに越前・丹後への援軍を命じられるわ、丹波攻めが頓挫するや石山本願寺(大阪市中央区)との戦いに駆り出されるわ、天王寺の戦い(大阪市天王寺区)の後には過労(赤痢とも)で倒れ、療養の甲斐あってようやく快復したと思ったら今度は妻の熙子が病死…。光秀にとって心身ともにつらい時期だったことでしょう。
それでも東奔西走の日々は続きます。雑賀攻め(和歌山市)、信貴山城(奈良県平群町)の戦いに続いて丹波攻めを再開するも、羽柴秀吉の援軍として神吉城(兵庫県加古川市・未訪)攻め、信長に反旗を翻した荒木村重が籠る有岡城(兵庫県伊丹市)の戦いに動員されるなど、やはり専念はさせてもらえませんでした。それでも何とか丹波平定を果たし、京都御馬揃えの運営責任者も無事に務め、甲斐武田氏を滅ぼして安土城(滋賀県近江八幡市)での徳川家康の饗応役を命じられたところで光秀に一大転機が訪れます(続く)。
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2025/03/25 07:09
献血前の攻城② (2025/03/15 訪問)
駒城からの転戦です。駒城からはかなり離れていますが、水戸に向かう途次に立ち寄ったということです。今回はグーグルマップの記載を頼りに周辺を散策してみました。まずは、龍泉院を経由して大門跡へ。すぐわきの民家には大門を意識したかのような立派な門が建っていました。大門跡前の用水路のような川は外堀の跡のようです。川沿いの道に出て歩いていくと、蔵屋敷土塁跡。ただの竹藪にしか見えませんが中に土塁が潜んでいそうです。主郭跡のポイントは小高くなっていて墓が鎮座していました。すぐ近くには二郭土塁跡。最後に新善光寺で締めとしました。
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2025/03/25 07:04
東郭群(古城)と内構 (2025/03/09 訪問)
三重堀切から本丸のある東郭群を目指しさらに進みます。
途中のアベノ門跡には「本丸跡600m」の案内板。
あとわずかです(感覚がマヒしてます)。
堀切から急勾配を登っていきます。
残雪を踏みしめながら滑らないように慎重に登って行きました。
さすがに標高高い、途中の岩肌からは立派な氷柱が垂れています。
登って3時間、ようやく本丸に着きました!
達成感😀
本丸は崖で守られ、見下ろすと断崖、落ちたらひとたまりもないです。
崖の向こうには小筈も見えます。
とてもあちらには行けません。
帰りは美作河井駅に向かって北側に降りる予定でしたが雪が積もっていたため断念。
元の道を復習しながら下山しました。
往復5時間の攻城は大満足。
麓に降りたあと内構と呼ばれる草刈氏の居館跡に立ち寄り。
石垣の残る広い館跡です。
こちらからも登れるとのことですがいつかチャレンジするのかな?
美作と因幡に勢力を持った国人領主草刈氏の居城です。
秀吉や宇喜多氏の攻撃を退けた堅城です。
麓から見ると山頂がV時に窪んでいて矢の末端の弓に掛ける部分に似ていることから矢筈城と呼ばれています。
【見どころ】
・崖の上の本丸
・本丸からの眺望
・土塁が付いた曲輪
・内構と呼ばれる居城跡
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2025/03/24 22:00
マグマで形成された丘の上に築かれている。 (2024/09/16 訪問)
猪苗代城は地元では亀ヶ城と呼ばれているようです。三浦氏の一族・佐原義連が奥州征伐の軍功で会津四郡を与えられ、その子盛連の長男・大炊介経連が猪苗代を領して、猪苗代氏を名乗り当地に城を築きました。
14代盛胤は天正17年(1589)「摺上原の戦い」で蘆名方に属し敗れ、湖南横沢に引退し、城主を頂く猪苗代城の歴史は終わりました。ただし廃城にはならず、城代が置かれ、戊辰戦争で焼失するまで会津の守りの城として健在でした。
城が築かれている丘は、20~40万年前に古磐梯火山の赤埴山を形成した火山活動によって、噴出したマグマなどが溜って形成されたとされています。一部崩壊してはいますが、石垣で整備された近世城郭で、本丸に至るまで、さまざまな石垣を楽しむことができます。
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2025/03/24 20:56
キュンパス使って仙台日帰り弾丸城巡り その2 仙台城 (2025/03/12 訪問)
JR東日本のサービス「キュンパス」を利用して、仙台日帰り城攻め&仙台東照宮参拝&牛タン・ずんだフロート堪能弾丸ツアーしてきました。
その②は仙台城
前回訪問時(2022/10)は修理中でお目にかかれなかった伊達政宗公騎馬像を拝んで来ました。
また、前回通れなかった道が徒歩のみ通れるようになっていたので、前回見られなかった遺構(中門跡)が見られました。
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2025/03/24 20:50
キュンパス使って仙台日帰り弾丸城巡り その1 多賀城 (2025/03/12 訪問)
JR東日本のサービス「キュンパス」を利用して、仙台日帰り城攻め&仙台東照宮参拝&牛タン・ずんだフロート堪能弾丸ツアーしてきました。
その①は多賀城
前回訪問時(2022/10)には説明パネルしか無かった外郭南門が復元されたので、見に行ってきました。ついでに、南門復元記念の御城印と南門がデザインされたマンホールカードを頂いてきました。
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2025/03/24 20:46
ぐむむむ・・ (2025/03/23 訪問)
暖かくなってきました。東京では桜が六輪咲いたとかで騒いでいますが、市場城周辺の桜はすでに3分咲きくらいです。とはいえ、この周辺の桜は四季桜なので、気温の変化に敏感なのかもしれません。
市場城は徳川家康に従った鱸(鈴木)氏の城で、江戸時代には使用されていなかったにも関わらず、石垣や竪堀群など見ごたえのある遺構の多い城です。また、ここは四季桜と紅葉が同時に見れる隠れスポットでもあります。
市場城の縄張りを幾つか見て思うことは、ここは一時期、本丸を仕切る土塁が有ったのではないかということです。有名なものに古宮城があり、岩略寺城にも似たようなものが有りました。加藤先生の講義でもありましたが、小牧・長久手の戦いの後、徳川家康と豊臣秀吉の間に緊張が走った時期があり、東海道上や徳川領内の城は徳川勢によって改修を受けている可能性が高いということです。
本丸内に郭を増やすということは、継戦時間を延ばすのみならず、早期の降伏を認めないということになるので、時間稼ぎが目的だと思います。東海道を迂回してくる敵を防ぐため、古宮城や松平城山城などは改修を受けている可能性があるので、市場城も同様に改修を受けている可能性も有るのではないかと思います。
であれば、櫓台や本丸の石垣、竪堀群(本丸内の土塁)はこの時期に加えられたのかもしれません。石垣も登城側に設けられ、攻め手を威嚇するように築かれています。実際、徳川旗下で豊臣の大軍が来るのに何の手も打たなかったということは無いと思うので、どれか一つは当たりがあるんじゃないだろうか??
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2025/03/24 20:14
おめでとうクイズです🎊
朝田さんからのバトンを受けまして、あさんへ大阪・京都制覇おめでとうクイズです。
↓先月行ってきた大阪です。どこでしょう!?
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2025/03/24 19:42
こちらこそ (2025/03/15 訪問)
あさん、こちらこそ宜しくお願いします。ペコリ。
武田神社のある郭が躑躅ヶ崎館の主郭にあたりますが、東側が大手となり、武田氏の時代には三日月堀と馬出があったようです。現在は豊臣氏の家臣によって築かれた大手石塁が復元整備されています(案内板による)。石塁も良いのですが、個人的には武田氏時代の三日月堀も見たかったかも。とはいえ、この石垣を築いたのは徳川氏の家臣かもしれません。
天正18年(1590)に徳川家臣・平岩親吉によって甲府城が築かれ主要部としての機能が移されました。
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