みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

三浦の晃ちゃん

休憩所に資料あり (2024/07/28 訪問)

公園全体が城趾です。
駐車場から、すぐのところに、休憩所があり、資料があります。

+ 続きを読む

T-Shionoya

関ヶ原の城郭訪問第1段 菩提山城 (2024/03/30 訪問)

2月に関ヶ原で聴講した「山城シンポジウム江濃境目の城」で興味を持ち、3月末に訪れた岐阜県不破郡垂水町の菩提山城。

濃尾平野の西端、比高約300mの菩提山山頂部に築かれた西美濃最大級の山城。

1500年代前半には岩手氏の詰城が存在したとされ、1558年にその岩手氏を追放し岩手の地に入った竹中氏が再構築。
重元、重治(半兵衛)、重門の竹中氏3代が1608年の廃城まで守備したとのこと。

現在は麓からのハイキングコースが整備され、本曲輪からは濃尾平野の眺望が利く観光スポット。

訪問時は竹中氏菩提寺の禅幢寺から大手山道をひたすら進み、小さな土橋を渡って城域へ。
先に見どころの1つである畝状竪堀を確認し、続いて本曲輪へ向かうと、台所曲輪・二の曲輪・本曲輪の接合部が写真には収まらない楽しいエリア。

禅幢寺からの登りが1時間、下りが45分、城域滞在時間が約2時間。
300m登る価値十分の、私の城郭巡りの179城目でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

三浦の晃ちゃん

公園 (2024/07/28 訪問)

現在の神奈川県にあった数少ない大名の陣屋です。
今は、公園としてキレイに整備されています。
小田原藩の分家筋です。

+ 続きを読む

しんちゃん

戦国400mリレー (2024/07/16 訪問)

深沢城は馬伏川と別の河川の合流する天然の要害の地に築かれています。今川氏による築城とされますが、はっきりとはせず、今川・北条・武田・徳川と錚々たる大名達がこの城を所有しています。縄張りも見事で、なんとなく武田と徳川の匂いはするものの、いずれによるものかははっきりしません。例によって武田の縄張りを徳川が拡張したと見るべきでしょうか。
なんにせよ、これだけの顔ぶれの関わった城がつまらないわけがなく、馬出しや三日月掘りを備え、大規模な堀切で各曲輪を遮断した見ごたえのある城跡です。イメージとしては諏訪原城の下位互換と言ったところでしょうか。それでも城址西側の三日月掘りは十分な迫力があります。
縄張りに関してもいろいろな解釈があり、城跡の中央部を案内板では二の丸としてますが、本丸とする解釈もあるようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

常光寺公園 (2024/02/23 訪問)

常光寺公園と隣接する片塩小学校、常光寺池一帯が城址とされ、池の大きさもかつては東南1/3ほどの大きさだったようです。一乗院方の国民である高田氏の城とされ文安4年(1447)越智・古市方の布施氏の攻撃を受け五重の内、四重まで破られるも撃退したとのことです。
戦国時代に高田氏は松永氏に従ったものの、後に大和を支配した筒井方に中坊で殺されたとのことです。
公園にある案内板には高田氏は當麻氏と記されています。公園内に石碑や案内板がありますが、公園自体はそれほど広くないです。石碑の左右にある土盛りは土塁と考えない方が無難でしょうか。隣接する常光寺には高田城主、當麻三河守為長公の墓がありました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

滝宮城 香川県綾歌郡綾川町 (2024/07/14 訪問)

滝宮神社境内が城趾です。
遺構は無いようですが曲輪っぽい地形や堀跡っぽい部分はあるような。
側を流れる綾川が天然の堀となっています。

築城は不明ですが戦後期には滝宮氏が城主となっていました。
隣には滝宮天満宮、この辺りが讃岐うどん発祥の地とされています。
天満宮の説明板にその旨記載されていますがやはり空海が関連しているようです。

いわゆる讃岐うどんは中讃エリアの太くコシのあるうどん、美味しい名店もこの辺りに多く点在しています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

入れま10 (2024/02/11 訪問)

投稿の写真は永原城というよりは永原御殿で江戸時代に家康・秀忠・家光の三代将軍が宿泊した防御性を備えた御殿です。中山道の脇街道である朝鮮人街道の付近に築かれていました。天正19年(1591)に家康は秀吉から野洲郡9万石を与えられていますが、初期の御殿がどのタイミングで築かれたのかは良くわかりません。関ヶ原の合戦の翌月には永原に宿泊しているので、このころには既に何らかの居館施設があったのだと思われます。家康が7回、秀忠が3回、家光が2回、宿泊に使用しており、寛永11年(1634)家光の上洛に先だち大規模な改修が行われたようです。
改修後には本丸の南に二の丸、その東に三の丸を配し、周囲に堀を巡らせた平城のような構造をしていたようです。2017年から発掘調査が行われ、その遺構の重要さから普段は立ち入りを禁じられています。
永原御殿の南西、「下海道(朝鮮人街道)」沿いに六角氏家臣永原氏の居城・永原城(上永原城)跡があります。永原氏が上永原城を廃して移ったのが永原御殿跡とされる永原城だったようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

楠公誕生地 ちはやあかさか (2024/02/24 訪問)

所在地‥大阪府南河内郡千早赤阪村大字水分266
南北朝時代の英雄・楠木正成、その生誕の地とされ石碑や案内板が立っています。今、自分は徳川家康の関東移封から関ヶ原の合戦以降数年までの範囲で自分なりの見解をまとめているので、頭がいっぱいで南北朝時代まで頭が回りません。
歴史の見解は日々変わっているので、南北朝時代の合戦等の新たな考察が出てくるのを楽しみにしています。
誕生地跡には郷土資料館が隣接し、正成公ゆかりの城跡に関する展示がされています。すぐ近くに道の駅「ちはやあかさか」があり食事を取ることができます。ここの村カフェの名物はなんといっても棚田カレーで、季節の野菜で棚田を表現しているらしいですが、正直、棚田に見えない。どうせならダムカレーみたいにお米で「棚田」を再現してほしいですな(うるさいな~)。
最後の写真はマイカリー食堂の野菜+カツカレーです。三河人の自分にとっては地元に無いチェーン店は気になるのですが、尾張にもあるようです。なんだ三河に無いだけか‥

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

チェブ

難攻不落なトンネルとキャンプ場。 (2024/07/21 訪問)

武田氏の侵攻に備えた「中川城」。
私の薄っぺたい投稿に、お付き合いしていただいている皆さんなら、お分かりだと思いますが、入口で退陣しました。
城びとオールスターの皆さんの投稿では、薄暗いトンネルの写真が掲載されていて、その向こうにある「中川城」。私は無理だと思いました。
グーグルを睨んでいると、そのもっと向こうに『西丹沢中川ロッジ』があり、こちら側からなら行けるのでは?と、安易な考えで進軍しました。
城山の信号を直進すると、右手に中川橋に曲がる道。
曲がらず直進して『西丹沢中川ロッジ』へ。すると、予約がないと通れないとの看板。
でも、心の中では『でしょう~ね』とつぶやいてました。

暑いし、海側から帰るかと小田原方面へドライブしました。
去年、小田原駅の『ミナカ小田原』でお城形の最中が乗ったソフトクリームがあった事を思い出し、行ってみたらフルーツ飴のお店になっていました。
とぼとぼ歩けば北条家マンホールが応援してくれてます。口はソフトクリームを求めてます。
『金目鯛とくぞう』でみたらし味のソフトクリームを発見。即購入。秘伝の煮汁醤油が使われてました。
いつも、写真を忘れるので あわててパシャリ。
食欲が勝り、アングルがひどい有り様です。

*カルタ出来ちゃうんですね。おめでとうございます。あきらめていたので、ビックリです。
予定ではお城Expoで、城びとの皆さんに『ありがとう』を伝えに行きますよ。
暑い日々が続きます。お身体に気を付けてお過ごしくださいね。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

大庄屋諏訪家屋敷 こいつはマニアだ! (2024/02/11 訪問)

滋賀県守山市にある大庄屋諏訪家屋敷は淀藩の飛び地で代々農民をまとめる大庄屋の屋敷です。元々は諏訪左近将監長治が永正年間(1504~1521)に信州より移住して来たことに始まるようなのですが詳細は不明です。
主屋や書院は江戸期の文化年間(1804~1818)に築かれたようなのですが、この建物がなかなか一癖あるのです。門をくぐって正面に主屋の玄関が見えますが、右手にも門があり、その先は書院になっています。
この書院に隠し通路が付いていて侵入者を見張っているんですね。ドアノブは内側についていますが、外側からは隙間から紙などを通してスコッとあける仕掛けになっていたと思います。すこし変態じみていませんか? 玄関の天井も通路が回り込んで屋根裏に逃げ込めるようになっています。脱出用の仕掛けがあるとさらに完璧なのですが‥。
鬼門には社が置かれ、北西の隅部には茶室が置かれていて、まるで櫓のようにも見えます。北には水路が流れ、水門が水路に面して設けられ、少し手を加えれば枯山水の堀に水を引き込むことも可能なようです。鬼門に設けられた社から南西への延長線上は絶妙に建造物の配置を逸らしています。この構造は米沢城に似ていますね。
こうしてみると防御性を備えた居館というより、ミニチュアの城郭のようにも見受けられます。ここの城主は平時は庄屋のふりをしていますが、実は根っからのマニア(変態)だったのではないでしょうか?
ちなみにこのマニアックな屋敷は市の文化財の指定を受けていますが、日本遺産にも登録されています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

称念寺寺内町 (2024/02/23 訪問)

今井環濠は称念寺の寺内町で、一説には天正元年(1573)に近江から来た河瀬兵部が今井に入って称名寺を建てたとされています。
本願寺が織田信長に降ると、今井も降伏し赦免状には「土居構」を崩し、陣取りを禁止することが記されているようです。
かつて周囲は環濠に囲まれ、土塁を築き、櫓まで備えていたようです。現在も周囲を環濠で囲まれ通路の一部は喰い違いになっています。
そうそう‥肝心の称念寺に寄って無いですね。ま‥いいか‥メインはあくまでも「堀」なので。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

石像銅像等散策 (2024/07/27 訪問)

岡崎公園内および街中にある石像、銅像などを求めて彷徨ってみました。
桜城橋付近の道に徳川四天王の石像がありました。少し離れている岡崎城総堀跡の説明板のある御旗公園に田中吉政の石像がありました。田中吉政は家康が関東へ移ると岡崎城主となり城の改築に着手しています。城域を拡張し、石垣や城壁を整備して近世城郭につくり替えています。関東へ移った家康対策でした。それが理由ということでもないのでしょうが、岡崎城址からやや遠いところに石像があります。徳川家康の像は多くあったのですべては添付できませんでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城下町と三河武士の館家康館付近 (2024/07/27 訪問)

 岡崎の街を歩いていると総堀跡、信濃門跡などの説明板や標柱を見かけます。また岡崎の城下町の特徴のひとつに二十七曲りがあります。岡崎城下の東海道は敵の侵入を拒むために屈折した道となっていたようです。平岩城の説明板を見つけました。西郷氏が今の岡崎城の地に城を築く前まで居城としていた城です。
 大河ドラマ館は三河武士の館になっていました。からくり時計がちょうど動き出したので撮影しました。
暑かったのでカクキュー八丁味噌さんの味噌ソフトクリームをいただきました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

堀散歩 (2024/07/27 訪問)

 空堀なども思ったより残っています。思うままに散策してきました。日本城郭大系には本丸の北ある内堀(清海堀)は近世城郭として明治まで存続した城でありながら、谷を人工的に加えた程度のもので、内堀としてこれほど短く、幅の狭い堀は珍しく、ここだけは中世城郭の遺構をよく残しているといえると書いてありました。個人的には好きな空堀です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

石垣散歩 (2024/07/27 訪問)

 この城の石垣は天正18年(1590)田中吉政が入城した後に導入したとされています。その後の積み直しもあるようで積み方も場所により違う所もあります。菅生川(現在は乙川)端沿いに石垣城壁の一部が残っています。岡崎藩3代藩主本多忠利が築造したものです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

夏の登城 (2024/07/27 訪問)

 今年も岡崎城へ行って来ました。昨年行ったときは冬でしたが、今年は夏に登城しました。夏は葉が繁っていて冬に比べると遺構は観にくいのですが、緑に囲まれた城址もそれなりに味のある景観で楽しめます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

零汰

フェイク石垣 (2024/07/27 訪問)

名前と場所以外は殆ど情報の無い城跡に行くと色々驚かされます。まぁそれが楽しみでもあるのですが。
今日行ったことの無い城跡に5か所程行ってきた中の一つです。
場所柄から島津氏に抵抗していた国人衆の城跡だろうと思います。

城域に入るとすぐに写真1~6の様な石垣が現れて来ました。
最初は興奮していましたが次々現れると我に返り?マーク、ちょっと待て。
鹿児島の城跡は殆ど土一択なのにこれはおかしい、国人衆の城跡で石垣を見た事はない。

疑惑の目で取り合えず写真を撮りながら本丸に向かいました。
元々自然石の多い地域の様でゴロゴロ転がっていて所々石積が見受けられます。
写真7~10は本丸周囲の石積です。こちらはおそらく当時の物でしょう。

1~6は石の質・形状は全然違いますので間違いなく後年積まれたフェイク石垣でしょう。
ですが積んだ目的が分からなくて、手の込んだ事しているなとは思います。
それにしても全く人騒がせなフェイク石垣でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

末森城 (2024/05/25 訪問)

【末森城】
<駐車場他>城山八幡宮参拝者駐車場10台分程あり。
<交通手段>車

<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第3弾ラスト11城目。末森城は1548年に織田信秀が築城しました。信秀は古渡城から居城をここに移します。1552年に信秀が死去後に信長の全弟である信行(信勝)に城が譲られます。御存じの通り信行は2度目の謀反で清洲城で信長に誅殺されるのでその時城は廃城となったようです。
 本丸跡の城山八幡宮に8台程度の駐車場があります。本丸東面にある空堀は初夏で鬱蒼としていたので入り込めず。御城印を買いたかったのですが、16:30までの社務所が16:25に目の前ブラインドをぴしゃりと降ろされて買えません、何とも冷たい(あくまで個人の感想です)神社でした。駐車も30分以内でしたので早々に立ち去りました。これにてこの旅終了、濃尾平野制覇にはあと2回程訪問が必要です。418㎞無事走破。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

遺構はなかなか残っている。後はアクセスの方法が問題。 (2024/02/23 訪問)

大和田城は小和田氏の城とされますが、詳細のわからない謎の城です。周囲の道は狭く、なんとかポリスに捕まらない場所に車を置いて歩いて城址に向かいます。南側からアクセスしてみますが柵が行く手を遮ります。じゃあ「廃屋」から攻めてみようかと思ったら明かりがついてる。人いるじゃん‥。廃屋じゃないのかな? しょうがないので倉庫のあたりから直接城址に取りつきますが、なかなか急です。
結局直登のようになりましたが、上の方は曲輪のようになっていて帯曲輪が付いているようです。北側になかなか立派な土塁が付いていて櫓台のようになっている箇所もあり、土塁の先は堀切になっていました。
現状不審者以外の何物でもないので、物音ひとつ立てるのにも気を使います。長居は無用‥見るもの見たらさっさと立ち去るのでありました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

とばつびしゃもん

大きなケヤキに目をうばわれる城 (2024/05/04 訪問)

迷いに迷って大井城の一区分である王城跡(王城公園)の入口を発見し登城開始。公園の駐車場は発見できず。
公園内では大きなケヤキの木に目を引かれる。遺構らしきものは確認できず10分ほど攻城し撤退。

+ 続きを読む

ページ160