特異な石造りの城として有名な長岩城へ念願叶って行くことができました。
宇都宮氏一族の豪族 野仲氏の居城で、初代城主野仲重房が建久9年(1198)に築城したと伝えられます。
天正16年(1588)、城主の野仲鎮兼は黒田長政の大軍に攻められて落城し、廃城になったとされます。
谷を挟んだ東西の山に築かれ、東側の陣屋跡・石積櫓などのエリア、西側の各城戸・本丸などのエリアに分かれます。
見所が多いため2回に分け、まず西エリアを投稿させて頂きます。
一之城戸、二之城戸、三之城戸、東之台から本丸、西之台の至る所に石塁が張り巡らされています。
石塁は鉄平石と呼ばれる平べったい石が使われていて、長野県の山城で見た石積と似ていました。
三之城戸の長大な登り石塁が圧巻で、途中で折れもあります。
東之台から本丸までの登り石塁は更に長大で、両サイドに竪堀も並行しており圧倒されます。途中で砲座のような箇所、折れと横矢掛かりの箇所もあり巧妙です。
三之城戸、東之台から本丸の急な斜面の登り石塁は高く、斜面の横移動をさせない障壁です。
黒田軍が攻めて来る際に野仲氏が築いた石塁だとすれば、これ程の石を積むとは野仲氏や立て籠った人達は黒田軍に対してかなりの恐怖心や必死さを感じました。
本丸へ東之丸側から入る虎口は枡形状で、腰曲輪に入った後は左に折れ、更に右に折れて本丸へ上がるルートでテクニカルです。
本丸は割と小さめの曲輪で、西側以外の三方は腰曲輪が取り巻いてます。
本丸から西之台の間には、一文字堀虎口・一文字土居虎口と書かれた石塁の虎口があり、一旦右に入り、再度左に入るルートかもしれませんが、真っ直ぐに進むルートもあり構造はイマイチよく分からなかったです。
西之台の北側尾根は三重の堀切で守られており、堀切から竪堀となり下へ伸びています。
特に三重目は大きな堀切で竪堀も長大です。
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