おととしの大河ドラマ「どうする家康」では石川数正が徳川旗下の主戦派の勢いを削ぐために豊臣秀吉の元へ出奔したという演出が成されました。実際に三河から駿河までの城址を散策して見ると肌で感じるものがあります。
武田の城跡で縄張りが改修されたとされる、古宮城と諏訪原城は続百名城に登録されています。縄張りもかなり気合が入っていますね。東海道だけでなく迂回路にある山中の城も改修を受けているようです。山中にある城はそれほど規模も大きくないので、遺構や郭などの増築を受けているのでは? と思います。
特に本丸内に郭を増築するというのはヤバイ改修ですね。投降は考えずに城主の切腹を前提にしている縄張りに見えます。三河武士団は特に家康公への忠誠心が高いので、これらの改修を自発的にやっている可能性は有りますね。これは第二次世界大戦前と終戦前の日本に通じるヤバさです・・ちょっとハイになっている感じですね。
こんな無茶な戦を続けたら、貴重な人材や領土を失い続けて、たとえ徳川家が滅びなかったにしても、大いに勢力を失う結果になっていたと思います。
家康公もそのことは解っていたと思います。結果的に数正の出奔で一番得をしたのが家康公ですからね。
妄想・・・・・・・・・・・・・
数正「殿~~ サルにゲッチュウ(スカウト)されちゃったYo~」
家康「主戦派もうるさいし・・ユー そのままゲッ忠されちゃいなYo 」
数正「!! それでは私ひとりだけ悪者ではありませんか?」
家康「悪いようにはせぬ・・」 後の時代、石川家は当然のように改易。
う~ん・・ 家康酷いなあ。そんな酷いことはさすがにしないかな・・でも伏見城の例もあるし・・いざとなると非情な決断を下す男・家康。
実際の所はどうなんですか? 数正さん??
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