湯野田城は標高106m・比高45mの丘陵上に築かれており、丘陵全体を巧みに城塞化していて、思った以上の城域を持っています。現在は嬉野公園として整備されていて、主郭には権現社が祀られており、麓より石段が伸びていますが、この石段は経年劣化で安全性に問題が有るため使用することが出来ません。迂回路にそって登って行くと副郭の南東に腰郭が有って、そこから副郭(二郭)に登ります。副郭は主郭の東に在り、広く居住性も良さそうです。主郭から副郭の北側に沿って土塁が伸びており、そこを登って行くと権現社にたどり着きます。
権現社の先が主郭とされ、見張台の様な巨石があり、裏側に登り口が付いています。主郭周辺は貯水施設になっていますが、南東まで回り込んでいくと、道が郭の外周に沿って付いていて北の郭まで行くことが出来ます。北の郭は上下二段になっていて、それぞれが十分な広さを持っています。大まかに北郭と南の主要部に分けることが出来、間を城谷と呼ばれる天然の堀が横切っています。副郭の北東には出丸もあり、案内板を見ると竪堀が付いているようです。コンパクトな丘陵上に築かれていますが、郭の総面積は大きく、思った以上に見ごたえのある城址です。
湯野田城は別名・権現山城や嬉野城ともいい、応永12年(1405)には反室町幕府の勢力の城として「宇礼志野」という記載が残っているため、このころから城が有ったともされています。嬉野(宇礼志野)氏の城とされますが、稲佐城の嬉野通久が天文2年(1533)に当地に移って築いたとする説もあるようです。嬉野氏は湯野田城の他に日守城を本城としており、初めは有馬氏に従っていたが天文4年(1576)に龍造寺氏に寝返ったとされています。
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