伊豆を一周したあと、関東をぐるぐる回って沼田まで、昼は城びとの城めぐり! 夜は「ニッポン〇めぐり」の攻略!
体が持ちませんぞ!
この日は109城攻略で「無双の剛の者」の異名をゲット! ふふ・・1日百城回りながら、リア攻めもやっているアホはそういないだろう。久々の沼田城ですが、最強寒波の余波か雪でした。さぶい・・でも、いい。雪の沼田城も悪くない。
しかし、松本城とか沼田城とか、真田の一族は寒い所ばかりに行かされますね。雪が好きなのかな?
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2025/02/05 21:50
雪の沼田城 (2025/02/02 訪問)
伊豆を一周したあと、関東をぐるぐる回って沼田まで、昼は城びとの城めぐり! 夜は「ニッポン〇めぐり」の攻略!
体が持ちませんぞ!
この日は109城攻略で「無双の剛の者」の異名をゲット! ふふ・・1日百城回りながら、リア攻めもやっているアホはそういないだろう。久々の沼田城ですが、最強寒波の余波か雪でした。さぶい・・でも、いい。雪の沼田城も悪くない。
しかし、松本城とか沼田城とか、真田の一族は寒い所ばかりに行かされますね。雪が好きなのかな?
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2025/02/05 20:31
蘆名氏にやられまして。 (2024/09/17 訪問)
新宮城は会津新宮城跡として国の史跡に指定されています。建暦2年(1212)。佐原義連の孫・横須賀時連(新宮氏)によって築かれたとされています。室町時代には新宮氏は同族の芦名氏と争い、応永27年(1420)に新宮城は落城し、新宮氏は越後に逃れ、後に蘆名氏によって滅ぼされたそうです。
県道336号ぞいの城址碑のあるあたりがかつての本丸の南東部で、わずかに堀の跡を見ることが出来ます。かつては本丸の周囲を二重の堀に囲まれ、二の丸・三の丸が有ったようですが、今では遺構をほぼ見ることが出来ません。なにより、国の史跡なのに案内板が見当たらない。
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2025/02/05 20:18
会津は米どころ。 (2024/09/16 訪問)
安子島城は安積伊東氏の庶流・安子島氏によって築かれたとされています。戦国時代には主家である二本松氏が伊達氏の圧力で二本松城から退去すると、安子島祐高は伊達氏に従いますが、天正16年2月に伊達氏から離反し蘆名氏に従いました。
やがて伊達氏が蘆名氏と合戦に及ぶと、伊達氏に翻意する勢力が相次ぐ中、籠城し伊達氏に抗しますが、圧倒的な兵力差にやむを得ず降伏し、城兵の助命を条件に開城し、会津に落ち延びたそうです。
それだけしぶとく伊達氏に抗った安子島城ですが、今は田んぼに石碑が残っているだけでした。せめて異常気象にめげずに豊作で在ってほしいと願うばかり。
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2025/02/05 20:04
2025/02/05 08:02
三度目の正直 (2024/11/23 訪問)
南北朝期に楠木正成が築いたとされ、南朝方の城として高師泰の攻撃を受けています。戦国期には畠山氏の内紛に際して、天野山金剛寺の建物を城に転用したとする史料があります。「大阪府中世城館事典」によれば比定地は3か所あり、城びとの位置情報の地が有力のようですが、詳細は不明です。
廣野神社の駐車場から神社にお参りして登城開始。車道から細い山道に入って少し行くと、右手に堀切らしきものがあります。さらに行くと右手に削平地が広がっていて、Googleマップにある日の谷城跡と思われます。日の谷城の東側は谷になっていて、北側には細い尾根が続いていました。日の谷城から切通状になった山道を下って行くと、左手に削平地があり、道沿いに水をたたえた井戸があります。Googleマップによればここが仁王山城跡のようです。仁王山城を抜けて西へ続く山道は土橋状になっていました。
「河内長野市古城址調査報告書」では仁王山城を日の谷城に比定しているようですが、私としても、すぐ近くに2つの城が併存し、日の谷城から下ったところに仁王山城(の主郭)があるというのはどうも違和感があるので、日の谷城とされるあたりが仁王山城の主郭で、井戸のあたりが水の手曲輪と考えるほうがしっくりくるかな、とも。
ところで、実は仁王山城は3度目の登城で、2年前に最初に登城した時は日の谷城の削平地と堀切くらいしか見付けられず、ぴーかるさんの投稿で井戸の存在を知り、井戸を確認してから投稿しようと思って再訪したのが昨年1月のこと。日の谷城周辺は前回見ているので、井戸周辺の写真だけ撮ってさっさと撤退し、さあ投稿! と思ったら、初回登城時の写真が全て消えていました。写真は外付のHDDとSSD、撮影したSDカードの3か所に保存しているんですが、勘違いと偶然が3つ重なってまさかの全滅…。やむなく写真を撮るためだけに3度目の登城となりました。ちきしょうめ、もう二度と来ねえぞ!(笑)
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2025/02/04 19:04
蕨こそひらがな表記じゃね❓ (2024/12/21 訪問)
さいたま市をひらがな表記する前に,蕨市こそひらがな表記じゃね❓
ま,蕨市は全国で一番面積の狭い市だそうです。さほど面積の広くない埼玉県でも見落とされたか…。ってなことを調べているうちに,蕨を漢字で書けるようになってしまいました…<笑>。
蕨城は,パシフィコ横浜へ行く前に途中下車で立ち寄りました。個人的に埼玉県の攻城は途中下車率高いです。
蕨城は水堀が見どころかな…癒しになっていると思います。
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2025/02/04 16:47
#35 高取山城 (2025/02/01 訪問)
石垣の造形美が素晴らしい。日本三大山城とか日本最強の城とかののぼり立ってました。
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2025/02/04 13:30
好きなところだらけ!! (2024/11/17 訪問)
10回くらい行っているような気がしますが、行くたびに新しい発見があったり発掘の進捗に驚いたり。見学ルートを考えるのも楽しい小田原城です。
散策開始前に小田原駅の観光案内所で総構えのマップをいただきました。三の丸外郭新堀土塁への近道ルートが気に入っているのでそのあたりのお話をしていたら豪雨災害の影響により現在立ち入り禁止だという情報をいただきました。感動的に美しいところなのでまた行ける日が来ますように🙏
売店で蒲鉾を買ってもらって(^^)JRでひと駅移動。最初に早川漁港に行きました。お目当ての海鮮丼でお腹いっぱいになったところでお城めぐりを開始し早川口遺構へ。小田原城址公園からは少し離れているのでなかなか来るチャンスがないところです。
続いて八幡山古郭東曲輪へ。ここから見る天守はまるで独立峯を眺めているようで、近くに住んでいたら日参するだろうなと思うくらい大好きです。
小田原城址公園におりて銅門の小田原評定に参加したりマンホールカードをもらいに行ったりしたあと新幹線が走り抜けるのを間近で見られるというスポットへ。こんなステキな場所があったなんて、やっぱり小田原城は奥が深いです🙌
そしてようやくメインの総構えウォーキング。4度目ですが、毎回気合も入るし緊張もします。
城下張出→山ノ神堀切→稲荷森→小峯御鐘ノ台大堀切の西堀・中堀・東堀と進みました。感動以外の言葉が見つかりません。東堀で自然と始まる“戦いごっこ”。脳内でイメージするのではなくて体が勝手に動いてしまうのです。
ひとしきり遊んでから小田原駅に戻ったのですが、せっかくここまで来たので大雄山線にも乗りに行きました。そしてまたまた蒲鉾を買ってもらいました(^^)
丸一日歩きまわったので、20km・3万歩超えでしたが、この数字からも大城郭を実感できますし、疲労感より達成感の方がずっと上まわる一日でした。
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2025/02/04 13:21
静岡市街の絶景!駿府城跡と富士山
駿府城跡天守台発掘調査現場から富士山が見えるのはご存知でしょうか?
晴れた日には、こちらの窓枠から美しい富士山を臨むことができます。特に雪化粧をした富士山は圧巻で、思わず写真を撮りたくなる美しさです!
発掘調査現場見学ゾーン【南側】では、発掘調査現場の風景と富士山が織りなす絶景をより美しく撮影することができます。
ぜひベストポジションを探しながら撮影してみてください。
駿府城公園を訪れた際には、ぜひ発掘調査現場に足を運び、冬の特別な景色を楽しんでみてください!
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2025/02/04 00:17
2025/02/03 23:00
レーダー設備でさえ撤退したこの場所に (2024/04/28 訪問)
レーダー設備建設に伴う発掘で数期に渡る遺構面と少なくとも一回の焼失痕、それに多数の遺物が見つかっている。小木(荻)氏や松本氏などの在城で知られるお城だがレーダー設備でさえ耐えられずに撤退しているのに・・。
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2025/02/03 21:07
2025/02/03 16:51
那珂氏と言ってもいろいろですね。 (2024/02/19 訪問)
JR水戸駅北口から茨城交通「野口車庫」または「御前山車庫」行のバスに乗車し、「宝憧院前」で下車、徒歩5分。
城跡は現在、宝撞院というお寺になっていますが、土塁と空堀がかなり良好に残っています。特に北西側の空堀と土塁の遺構は、見ごたえがあります。
宝撞院の南西端の土塁上に城址碑があり、説明板は、山門の脇と土塁上の城址碑への階段の手前の二か所に設置されています。
説明板によると藤原秀郷流の那珂氏の城と考えられてきたが、現在は那珂氏(大中臣氏系)の城といわれているようです。
気になったので、いろいろ調べてみましたが、常陸国の那珂氏は、那珂西城の大中臣氏系と藤原秀郷系の那珂氏の二つの家がいたようです。
現在、那珂西城の城主と考えられている大中臣氏系那珂氏は、南北朝時代に常陸から丹波国に移住したといわれているようです。
藤原秀郷流の那珂氏は、南北朝時代は南朝方に属し、北朝方に敗北。その後、生き残った那珂氏が江戸氏を名乗り、戦国時代には水戸城や河和田城に入ったみたいです。元々の居城は従来、那珂西城だといわれてきましたが、現在は茨城県常陸大宮市の那賀城(城びと未登録)だったと考えられているようです。
近い場所に那珂氏がニつも存在すると、複雑になってしまいますね。常陸大宮市の那賀城も機会があれば、行ってみたいと思います。
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2025/02/03 15:38
人取橋古戦場 (2024/09/16 訪問)
福島県本宮市にある人取橋古戦場は人気のない丘陵上の田畑の中にひっそりと石碑が佇んでします。天正13年(1585)11月17日、常陸の佐竹・会津の芦名・白川・石川・須賀川の二階堂・磐城・相馬の連合軍約3万と伊達政宗の軍勢7千余がここで戦いました。
闘いは連合軍の優勢に進み、伊達方の鬼庭’(茂庭)佐月・伊場野遠江が討死しましたが、佐竹の軍師が家僕に殺されたため、連合軍は兵を返し、戦いは伊達方の有利に終わったようです。
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2025/02/03 15:23
2025/02/03 15:14
ここは地獄の八丁目 (2024/09/16 訪問)
金曜に一緒に仕事をした同僚がコロナで休んでいるので、私も午後から自宅療養です。俺はコロナじゃねー。
まあ明日になったら疑いも晴れるわけだけど。某サイトのイベントがらみで、土日で伊豆を一周し、そのまま関東を一周しながら160城を攻略してきました(2日でですぞ)。なかなかハードだわ、これ・・城びとの城攻めとは異なるしんどさです。とりあえず、今月500城攻略目標で。
もちろん城人の攻略も忘れてはいませんぞ! 八丁目城ですが本曲輪である愛宕社のある丘陵(愛宕館)と南曲輪のある八幡館の二つがあって、それぞれに道がついています。愛宕館の主要部は二段構造になっていて、下段に愛宕社、上に毘沙門天の御堂のある郭があります。西側には大堀切も有りました。
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2025/02/03 08:13
岩神館(滋賀県高島市朽木岩瀬) (2024/11/09 訪問)
岩神館(城びと未登録)は、鎌倉前期に朽木荘を領した朽木氏が拠点とした城館で、室町中期に拠点を朽木城に移した後も、戦国期には戦乱の京を逃れてきた室町将軍を岩神館に迎え入れ、足利義晴は約3年、足利義輝は約6年半にわたって滞在しています。岩神館跡には江戸前期に秀隣寺が創建され、後に興聖寺が移って朽木氏代々の菩提寺となりました。
興聖寺の駐車場には朽木氏岩神館遺跡の説明板が立てられています。駐車場から興聖寺に向かうと、境内北東隅から北辺と東辺に石垣が続いています。古くからの石垣のようですが、岩神館の頃からのものなんでしょうか。石垣沿いに南に進むと興聖寺の入口があり、説明板と冠木門が立てられています。入口の南側にも石垣が続いていますが、こちらは近年に積み直されたのか新しい感じでした。
冠木門をくぐると拝観料(300円)を払って境内を散策します。境内南東部の旧秀隣寺庭園は、足利義晴の滞在中に朽木氏らの依頼により細川高国が作庭したとされる豪快な石組みを配した池泉鑑賞式庭園です。紅葉にはまだ早い時季でしたが、安曇川と対岸の山並みを借景として将軍の無聊を慰めるべく築造された見事な庭園でした。境内南部は墓地になっていて、墓地の背後には岩神館の土塁が遺っています。土塁は墓地の西辺から南辺を囲むように続き、その外側には堀切があるはずですが、防獣ネットがめぐらされていてよくわかりません。そこで境内を出て北側から西側に回り込んでみると…おお、確かに! 土塁も堀切もはっきり確認することができました。
庭園も土塁も堀切も見応えありましたが、何より「麒麟がくる」で義輝が十兵衛に「麒麟がくる道は遠いのう…」と嘆いたのはこの地だったんだな…と考えると(義輝と十兵衛の会談はフィクションだとしても)感慨深いものがありました。そういえば、その回の麒麟がくる紀行も興聖寺でしたっけ。…などと満足しつつ興聖寺を後にし、帰宅する車中でふと思い出しました。土塁と堀切を見るために外へ出たまま、本堂内を見学するのを忘れてたーっ! 興聖寺の本堂は主目的ではないとはいえ、せめて楠木正成の念持仏と伝わる不動明王坐像くらいは見ておきたかった…。
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2025/02/02 23:01
磐越東線完乗記念 (2024/11/13 訪問)
三春城見学後いわきまで磐越東線に乗車して無事完乗を果たしたので、あとは特急ひたちに乗り換えて品川に戻るだけですが、乗り換え時間が約30分あるので磐城平城を探してみることにしました。
駅前とはいえ、本丸は公開されていないようですし、かと言って山の向こう側の何かありそうなところまで行く時間もなさそう…と城めぐりの成果が得られるか不安なまま改札を抜けたのですが目の前にそれとすぐにわかる“城山”が!
見上げるだけで散策などはできませんでしたがそこにあると確認できてほっとしました。
駅前の広場には説明板と絵図があり、歴史や発掘調査で明らかになったこと、また、私が立っているところが内堀で駅があるのも城内で、ということなどが実感としてわかりました。私有地ですから一般人が勝手に入れないのは当然のことですが、親切な説明板のおかげでお城に来た感を得ることができて感謝感謝🙏です。
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2025/02/02 17:39
いつ与板に移ったのだろう (2024/04/28 訪問)
与板城ともども直江氏の城で本(もと)与板城→与板城と変遷したのは事実だろう。問題はいつ移ったかなのだが直江家は信綱も兼続も養子なのでどちらにも人心一新ニーズがあってややこしい。勘だけで言えば信綱なのだが。
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2025/02/02 15:38
伊勢亀山城探訪 (2025/01/24 訪問)
伊勢亀山城を訪問しました。このお城も明治時代の廃城令により、ほとんどの建物は取り壊されたそうですが、多門櫓と石垣などが遺構として残っています。
見どころは現存する多門櫓です。三重県で唯一現存のままに残る建物だとのことで石坂から望む多門櫓は見ごたえがありますね。
登城日は残念ながら平日のため内部の見学ができませんでした。(土・日・祝日のみ見学可)
また、周囲を散策すると西出丸跡、三重櫓跡、復元整備された二ノ丸帯曲輪を見ることができます。
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