増山城からの転戦です。小さな城址碑は薬勝寺参道石段を登り切った左脇にありますが、植栽の陰になってしまって見つけにくいし、撮影もしにくいです。本堂裏手は郭の佇まいを持っていました。説明板は大きな空堀で隔てられた日宮社の麓にあります。
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2026/05/03 06:49
2025/03/17 01:54
十数分の死闘 (2025/03/10 訪問)
日宮城は神保長職が増山城に移るまで居城し、増山城に移ってからは支城として機能していたようです。武田・上杉・一向一揆の勢力の狭間で揺れ動きますが、しだいに上杉氏に取り込まれていったようです。
元亀3年(1572)武田信玄の調略に応じた加賀・越中国の一向一揆に押され、上杉の援軍が一向一揆に敗れたのを見て、一揆勢と和議を結んで能登国石動山天平寺に落ち延びていったようです。
主郭は北東部の丘陵のようで私有地のため見学は出来ません。薬勝寺と日宮神社も郭のようで、各郭の間は堀切で仕切られ日宮神社の周囲は他の郭よりも急な傾斜に囲まれています。
日宮神社の前の細い道路を移動して来たのですが、出口に除雪車の置いてあった雪の塊が有りました。さっき通りすがりのマダムが手をパタパタふっていたけど、「この先は通れないよ」という意味だったのか(じゃあそう言ってくれ~)。
すでに退路は無いので、自力で雪の小山を削って行きます。比較的調子のよい右の膝で小刻みにキックをかまして崩していく。そしてストックで突いて削って行く。十数分の地味な努力のおかげで自力脱出しました。JAFを呼ぶより早いぜ!
雪対策としてスコップを買って車に積んでいますが、昨日 長野の佐久市に向かう途中の道はけっこう雪が積もっていました。まだまだ油断できません、日ごろの準備は大切ですね。
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2022/08/30 07:08
2022夏の青春18キップ12日目:日宮城(火宮城) (2022/07/31 訪問)
願海寺城からの転戦です。薬勝寺石段前(36.704611、137.083985)に路駐(付近は狭いです)し、日吉神社参道入口(36.704225、137.083004)に向かいました。
築城年代は定かではないようですが、戦国時代に神保氏によって築かれたと云われます。
1572年(元亀3年)武田信玄の調略に応じた加賀国、越中国の一向一揆が侵攻し、落城させました。
勢い付いた一向一揆勢は、そのまま越中国白鳥城を攻め、越中国富山城(翌年に謙信によって再度攻略された)をも落としました。
日宮城はその後史料から姿を消し、まもなく廃城となったようです。
現在、城址は本丸に日宮神社が、南郭に薬勝寺が建てられています。
薬勝寺の本堂の裏に曲輪、空堀、土塁が残っています。
薬勝寺の西に空堀を隔てて日宮神社があり、案内板が鳥居の左側に建てられています。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=放生津城に向かいます。
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| 分類・構造 | 丘城 |
|---|---|
| 築城主 | 神保氏 |
| 築城年 | 永禄年間(1558〜1570)? |
| 主な城主 | 神保氏、上杉氏 |
| 廃城年 | 元亀3年(1572)以降 |
| 遺構 | 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀 |
| 指定文化財 | 市史跡(日宮城跡) |
| 再建造物 | 石碑、説明板 |
| 住所 | 富山県射水市日宮 |
| 問い合わせ先 | 射水市生涯学習・スポーツ課 |
| 問い合わせ先電話番号 | 0766-59-8093 |