みんなの投稿

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しんちゃん

五條代官所 奈良県五條市 (2024/02/24 訪問)

文久3年(1863)「天誅組」の襲撃により、五条代官所は焼き払われました。天誅組は「暴徒」として扱われ、各地を転戦し高取城を攻撃したりしますが、統率力や計画性が欠如しており東吉野村周辺で終焉を迎えます。
こんなぶっそうな連中ですが、京都霊山護国神社に祀られていたりします。時代ですな。

五條代官所は元治元年(1864)にこの地に建てなおされ、現在は史跡公園として整備されています。代官所の正門であった長屋門が修復され、五条市立民族資料館として公開されています。跡地は奈良地方裁判所となっており、当時の石垣も残っているようです。

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零汰

パーツはありますが・・・ (2024/05/19 訪問)

こちらは不思議なチャシです。
横濠見つかる。土塁見つかる。平滑になっていない曲輪っぽい場所もある。
しかしながら各パーツが離れていて連動性が無くチャシとして成立していません。
場所を間違ったかなと見渡すと開発局の表示があります。
ここに間違いないようですが・・・。

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とばつびしゃもん

埋もれた山城 (2024/05/04 訪問)

雲興寺の駐車スペースに車を駐車し、寺の右手の登城口から登城開始。城縄張図を入手できずまた城跡に案内板もなく、ネットの情報を参考に攻城。
10分ほど進むと前方を遮断するように大きな岩場が出現。左に回り込み進む。枯れ葉が大量に積もっている箇所があり、足をとられ滑らないようゆるゆると進軍。登城口から30分で主郭と思われるエリアに到達。登城途中には、自然の岩場や曲輪、堀切など城の痕跡を目にするが、案内板がなく正確な情報を確認できない。
下城は同じルートを進むつもりが道に迷って時間を要す。

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ヒロケン

三橋架け替え工事 (2024/07/26 訪問)

小浜城は、北川・多田川・南川の河口に挟まれた三角州に築かれた水城です。現在、城域の殆どは河川の拡張工事や埋め立てられて宅地化しており、天守台と本丸を囲む石垣が残っている程度です。当時は、北川と南川に挟まれ両河川を外堀とし、東側は湿地、西側は若狭湾、内堀に囲まれた本丸を中心に二の丸、三の丸、西の丸、北の丸が四方に配置された城でした。

関ヶ原の合戦の後、小浜藩初代藩主である京極高次公によって後瀬山城から拠点が移され築城が開始されましたが、二代藩主忠高公は小浜城の完成を待たずして、出雲松江へ転封。代わりに11万3500石で川越から小浜に転封となった、酒井忠勝公が小浜城の築城を引き継ぎ1641年に完成させました。(酒井忠勝公は3代将軍徳川家光公を補佐する幕府大老)
現在の小浜城は本丸跡のみが残り、この酒井忠勝公を祀る小浜神社が鎮座しています。

この日、兵庫県→京都府→福井県の日本海側の城を訪問しており、10年振り二度目の訪問でしたが小浜城をナビで検索し、走行していたところ、ナビに回避できない通行止めが発生しているとの案内(; ・`д・´)調べると、小浜城に通じる大手橋・城内橋・西津橋の三橋架け替え工事で令和4年7月16日~5年の期間で行われているとの事"(-""-)"ただし、自転車と徒歩では通行可能との事で、小浜城手前にある若狭小浜お魚センターに駐車。小浜城まで1.2kmで15分程です。この日の気温36度、3分も歩けば汗が噴き出る暑さ"(-""-)"途中にある、日本百名水の”雲城水”で喉を潤しながらの歩きでした。迂回路南川上流の橋を渡り中州の堤防沿いを行けば車でも小浜城まで行くことが出来ます。

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シャンシャン

海沿いに佇む総石垣の城 (2024/07/27 訪問)

島根にある続100名城のひとつ。
平山城に分類されているけど、麓からだと頂上の本丸跡まで15分程かかるので、山城と言っても差し支えないと思う。
散策路は整備されておりとても登りやすく、多くの石垣が残っており見どころ満載でおススメの城跡。
頂上の本丸跡からの景色は絶景!

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モト

縄張りも把握しやすい上に素晴らしい遺構が見れます (2024/07/26 訪問)

元々は在地領主の三瀬氏の居城だったのを神代勝利を招いて譲ったと言われているそうです。
この神代勝利さん、かなりの勇猛果敢な武将だったそうです。
ご当地のキャラにもなっているようです。

登城口から山へ入るとしばらく山道をすすむと堀底道のような所をさらに進みます。
程なくしてニの郭の虎口が見えてきます。
そこまでいきますとちらほら石垣の跡も見る事ができます。
虎口を入った二の郭は土塁に囲まれた空間です。
さらに先に進み見事な竪堀を見ながら本郭の虎口です。
虎口にも石垣が配置され往年の姿を想像します。
本郭はさらに見事な土塁に囲まれた素晴らしい空間です。
その囲んだ土塁に石垣が所々残っています。
城跡はそこそこの角度はあります。
また、蜘蛛の巣や虫なども結構いますが、その嫌な思いも一瞬で忘れるくらいの城跡です。
ま、それは夏に訪れたからですが…。
本郭、二の郭と縄張りも確認しやすく、石垣などの遺構も見る事のできる素晴らしい城跡だと思います。

糸島と佐賀をつなぐ263号の有料の道路に沿うようにある旧道に入ると料金所に近い所に城跡への目印のある林道の入り口があります。
林道をすすんで行くと駐車場があります。
そこから登城です。
ココからがおすすめです。
駐車場を過ぎた所にも登城口はあり、川の横を通る石が敷き詰められたきれいな道もありますが、150メートルほど進むと道が塞がっておりました。
(もしかしたら行く事ができるのかもしれませんが)

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しんちゃん

開会式にドン引き (2024/02/24 訪問)

パリオリンピック‥始まっちゃいましたね~。しかし、セーヌ川汚いな~(汗)、雲っているので余計に目立っちゃいますね。
それはさておき、今井城は三箇氏の居城(居館)と伝わっています。東が腰郭のようになっていて、東を除く三方に堀が残っているようですね。主郭は水田になっているようで周囲に畔が盛られています。城址の東側は急な斜面になっているようです。皆さんの投稿にあるようにGoo〇〇〇マップで見てみると形状が良くわかります。周囲の田畑がまるで曲輪のように配されていますね。

Oの話題に戻りますが、セーヌ川は100年遊泳禁止だったようですがパリ市長は競技の実施にすごい前向きのようですね。選手村にはエアコンも無く(床冷房らしい)移動用のバスはエアコンが無いうえに窓には目張りがされているようです。
相変わらずドSな国ですね。選手の皆さんには競技で頑張ってほしいですが、その前に体調を崩さないようにして欲しいです。
ではがんばれジャパン! みんながんばれ~ 

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しんちゃん

天守台再現 どこまで成るか (2024/07/13 訪問)

駿府城は明治維新の後、明治5年までに払い下げられ、豊橋師団の所属、歩兵第29旅団第34連隊が置かれ、本丸は壊され水堀も埋められてしまいました。現在は本丸と二の丸が一緒になった状態で公園化されています。
当時は景気対策で軍隊の誘致が活発化していたようで天守台もこの時に埋められてしまっていたようです。時代の流れとはいえ、罪深い話です。現在駿府城跡天守台野外展示プロジェクトが行われており発掘の工程が解るように公開がされています。天守台の再現は完全とはいかないようですが、やむを得ない処置だとは思います。

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しんちゃん

葛山館 静岡県裾野市中村 (2024/07/16 訪問)

葛山館は葛山城主・葛山氏の居館で起源は鎌倉時代(平安時代末期)にまで遡ります。東西約97m、南北約104mほどの規模で周囲に良く土塁を残しています。これらの遺構は戦国時代のものと見られ、西側南の開口部がかつての門跡とされています。
南に大久保川が流れ、東側一帯は宮川の峡谷に遮られた天然の要害の地に築かれています。詰の城とは少し離れた位置に存在するのが特徴です。また城郭大系の「葛山城要図」には館の北東に池久保(古池)という地名が見られ天然の堀(もしくは水瓶)の役割を果たしていた可能性があります。
永享10年(1438)の永享の乱の際に今川範忠は足利持氏の討伐に向かい、葛山氏はその先鋒を務めています。しかし「文中年間御番帳」には将軍・足利義政の御番衆の中に今川氏と葛山氏の名が併記されているようなので、徐々に今川氏に従属するようになり、北条氏とも近い間柄であったと思われます。

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しんちゃん

草津宿周辺 (2024/02/11 訪問)

滋賀県草津市には東海道五十三次の52番目の宿場町、草津宿が有りました。中山道が合流する場所でもあり、全国でも珍しい本陣建物が現存し、国の史跡にも指定されています。南西に200mほどの場所に草津宿街道交流館があり、錦絵の版画刷の体験をすることが出来ます。
道中には寿司清さんがあり、「本陣セット」や「はこずしセット」をリーズナブルな値段でいただくことが出来ます。「はこずし」は草津の名物ですが、本陣セットを注文すれば、お寿司とはこずしをバランス良くいただくことが出来ます。
写真は許可をいただいて投稿してますよ。

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しんちゃん

訪問は最新の注意を払って (2024/02/11 訪問)

桜生城は六角氏家臣の沢氏の居城とされ、今でも子孫の方が住んでいるようです。土塁や水堀が往時をしのばせますが、これ全部私有地じゃないのかな。 申し訳ありませんが写真を掲載させていただきます。戦国末期のオーソドックスな平城のようで、僅かな微高地にはなりますが、この程度であれば平城という扱いになるわけですね。ご住居が主郭と見られ、隣接する扁平地も曲輪と見られます。

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しんちゃん

砦というよりは居館跡のような。 (2024/02/18 訪問)

三瀬砦は南は宮川、西は宮川に流れ込む大谷川に挟まれた河岸段丘上に築かれている城館跡で、城主は「三瀬の変」の下手人の一人・長野左京進という説と、北畠家臣・三瀬左京という説が有るようです。また二人は同一の人物でもあるという説もあるようですが、真実はわかりません。主要部は東側に配された曲輪で、周囲を土塁で囲まれ東に虎口が付いています。
また東側と北側には石垣が積まれてあったとされ、土塁の中にも石積みが見え隠れしています。この石積が土塁の形状保持の為のものか、石垣の中込石の用途であるかは不明です。奈良の椿尾上城でも土塁の中の石積を見たような気がします。
主郭から西側、河岸段丘の先端に向けても曲輪が連なっているようです。主要部より少し小高い位置にある曲輪には社が祭られ、西側には少し低くなった位置に曲輪がありました。そこから西側には訪れていませんが、先にも遺構があるようです。

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ぴーかる

超マッハで (2024/05/25 訪問)

【小幡城】
<駐車場他>駐車場はなし。城跡板がある月極駐車場横に停車しました。
<交通手段>車

<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第3弾10城目。城跡の説明は1枚だけ撮影した説明板があるので割愛します。説明板がある主要部は周囲から高台になっていて、車で来ても結構な坂道を登ります。周囲の道路は狭く、車を停める所が見当たらなかったので月極駐車場に車体を半分入れて超マッハで1枚だけ撮影しました。周囲の高台からの眺望と土手を撮影したかったのですが‥‥。

<満足度>◆◇◇

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零汰

ユオイチャシ (2024/05/09 訪問)

写真1をご覧ください、綺麗な空堀に見えませんか。
加工はされているようですが、こんな空堀を直に見てみたいです。
しかしこれは違います。ただの谷だそうです。
チャシの横濠は写真2で、二重濠でモルタルで保護しています。
端部は先程の谷に彫り込んでいます、若い雑草は愛敬って事で。

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しんちゃん

おやまあですわ (2024/04/20 訪問)

赤い城さん、情報ありがとうございます。田村神社‥ユニークな神社だと思っていたら城址でもあったとは‥知らんかった
あたいもまだまだね!(誰?)
私もかつては城めぐりと合わせて、全国の名のある神社仏閣を周っていたのですが‥そ~んなにご利益は無かったので、今は城めぐりがメインです。また香川県に行った際には田村神社を訪れて日曜市うどんを頂きたいと思います(城跡は?)

河合城は室町時代に播磨守護職であった、赤松氏の東播磨の拠点として築かれたようです(案内の石版参照)。嘉吉元年(1441)の嘉吉の乱の際には赤松満祐が将軍・足利義教の首を持って入城したとあります。主郭の周囲は宅地と畑地となっており、東西に曲輪が配され周囲を堀が巡っていたようです。かつての堀跡に沿うように側溝が元気にその姿をアピールしてくれています。

最近スマホのネット接続が非常に悪く、皆さんへの「いいね」が遅れがちになっています。そんなわけで遠出の際にはご容赦願います。

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朝田 辰兵衛

山形県と秋田県で甚大な決壊アリ… (2024/06/01 訪問)

にのまるさん,日本海側をご心配くださり,ありがとうございます。新潟県は新発田市でちょいと被害がありましたが,時間が解決しそうなレベルです。
どちらかというと,山形県と秋田県で甚大な決壊があり,長期戦となりそうです。
山形県は,新庄城の南西側(岩鼻館と清水城の中間付近)で最上川が決壊。秋田県は,本荘城の南東側(石沢川との合流地点)で子吉川が決壊。時間が解決しそうな小さいものを挙げればキリがありません。
JRは羽越線が運休してます。これは,鶴岡市内よりも酒田市内の被害の影響がメインと思われます。にのまるさんが乗車を検討しているであろう「海里」は,しばらく無理だと思います…。

久しぶりに山形県の城を投稿しますが,長瀞城は住宅地を水堀が囲っており,すぐに溢れそうなレベルです。大雨にはならなかったエリアですが,真っ先に心配になりました…。

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赤い城

一宮城 香川県高松市 (2024/07/14 訪問)

少し前にしんちゃんさんがレポートされていた田村神社、ここも城趾なんです。
田村神社大宮司の居館で香西氏が長宗我部氏に攻められた際には西光寺の戦いに参加しています。
広大な境内に居館があったとのことですが遺構は残りません。
南側のことでんの線路や83番札所一宮寺との間の道路が堀だったのかな?と想いを巡らせます。

田村神社では日曜にうどん屋さんが営業しています。
日曜市うどんとして親しまれており、一玉200円、温か冷を選びます。
この日は冷で食べましたが作り置きの麺でコシはあまりないので温がいいかな。
まぁ、ここで麺のコンディションをどうこう言うのは違うと思います。
出汁は美味しかった!
一宮廻りをされている方はぜひ日曜の朝にご参拝ください。

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肉球

一回りしてみました・5 (2024/07/13 訪問)

赤橋から本丸へ入り相馬神社をお参り。
本丸南西部には築城当時天守閣が存在していたようです。
黒橋を下り西二の丸へまわると天守閣が存在していた付近の
石垣が崩れ落ち手付かずのままでした。
なんとか保護してもらいたい思いです。
二時間半の散歩でした。

お城から南の正西寺の山門はお城からの移築門。
一昨年の地震で屋根の部分が倒壊し少し可哀想な姿に。
東へ少し離れた長命寺の山門もお城から移築されたようですが
こちらは無事な姿。安堵

五回も投稿失礼しました🙇



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肉球

一回りしてみました・4 (2024/07/13 訪問)

妙見曲輪から南二の丸を歩き本丸へ。
お馴染みの本丸鉢巻石垣を眺めながら進むと
丸土張という馬出しがあります。
5枚目の画像土塁の間の通路を進むと北二の丸へ。
城内を北へ進む通路はいずれも狭いように感じます。
赤橋を渡ると本丸です。

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肉球

一回りしてみました・3 (2024/07/13 訪問)

北三の丸の外側を周り再び北三の丸内部へ。
蓮池西側の土橋をパシャリ。
土橋の西側は水堀があったようですが今は埋め立てられ水田に。
西三の丸の外側を歩き西山口門跡から西三の丸内部を歩き再び土橋の方へ。
西三の丸内部は山城と思えるくらいの細い道に西二の丸の高い切岸が続いてます。
土橋の内側には小さいながら枡形が存在。
こちら側は大軍が出入り出来るような感じではなく通用口的な存在か。
来た道を戻り妙見曲輪へ。

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