豊島氏の庶流である宮城氏の居館跡です。氷川神社付近が跡地で石碑がありました。遺構はありません。
豊島氏館跡(清光寺)より徒歩にて登城しました。帰りは近くの宮城小学校前バス停よりバスに乗り王寺駅へ向かいました。徒歩で王寺駅から登城された方もいたので歩こうかとも思っていましたが、暑さに負けてバスを利用しました。
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2024/08/03 18:08
氷川神社 (2024/08/03 訪問)
豊島氏の庶流である宮城氏の居館跡です。氷川神社付近が跡地で石碑がありました。遺構はありません。
豊島氏館跡(清光寺)より徒歩にて登城しました。帰りは近くの宮城小学校前バス停よりバスに乗り王寺駅へ向かいました。徒歩で王寺駅から登城された方もいたので歩こうかとも思っていましたが、暑さに負けてバスを利用しました。
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2024/08/03 18:03
2024/08/03 17:57
2024/08/03 17:52
2024/08/03 17:27
恥ずかしがり屋の富士山。 (2024/07/21 訪問)
築城時期は不明ですが、足柄街道を見張る為に「足柄城」は築かれました。
秀吉さんの北条討伐で落城し廃城したんだそうです。
県道78号線、グネグネの山道を進軍。途中に石畳の足柄古道を何回か見かけました。
車だとグネグネ、歩きだと石畳、どちらも大変です。
「足柄城」の登城口を探そうと、写真⑩の案内板とトイレがある場所に駐車。案内板の反対側に写真①を見つけて入城しました。虫除けにハッカ油を振りかけ進軍しました。山道を歩いていると、写真②。下は道路です。もう一度、草木の中をくぐると、開けた郭に出ました。右手に写真③の池があります。
皆さんの投稿では、きれいな富士山の写真。どこだー富士さーん。
、、、残念な事に見えません。
落胆していたのは私だけでなく、海外の方お二人と案内の方。
案内の方によると富士スピードウェイの音や自衛隊の富士演習場の音も聞こえるそうです。
海外の方は、また明日チャレンジするそうです。
因みに、この方々は違う登城口から現れたので、入口はいくつかあるようです。
「足柄城」の石碑を写真を写し退陣。キノコを見つけ1UPしました。
車に戻る途中に金太郎の顔はめパネルがあります。
金太郎を調べてみたら、大河ドラマ『光る君へ』に御出演中の藤原 道長さんの名前がありました。
道長さんの家臣の下毛野 公時さんが、金太郎さんのモデルではないかと?
どの地域にも、金太郎さんのような勇ましい方がいたんでしょうね。
あの海外の方、富士山 見られたかな?
富士山もだけど、お二人の喜んでいる顔が見たいなぁと、思った「足柄城」攻めでした。
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2024/08/03 13:52
小笠山砦 高天神城包囲六砦 (2021/02/06 訪問)
小笠山砦は徳川家康が高天神城包囲のために築いた六つの砦の一つで、高天神城の北、やや西寄りに4kmほどの位地にあります。県道から分岐した道を小笠神社方向に進み、突き当りに駐車し、そこから城址に向かいます。小笠神社も城址に含まれているようで、遠く富士山が望めます。北西に尾根上に広く曲輪が配されていて、山城と呼んでも差し支えないほどの規模と防御力を誇っています。る家康の本陣が置かれたとされる笹峰御殿と呼ばれる曲輪があり、ここが本丸に相当するようです。さらに先にも多数の堀と曲輪を配し、細い尾根道が断崖絶壁の様相を示していました。
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2024/08/03 11:41
竹林と空堀 (2019/01/01 訪問)
小机城の投稿です。続百名城の中でも地味な城だと思うのですが、市街地の中に遺構を多く残しているのが特徴ですね。地主の皆さんありがとうございます。文明8~12(1476~1480)年に起こった長尾景春の乱の際に景春に味方した豊嶋氏が立て籠もり、敵方の太田道灌に攻められ二か月の攻城戦の後に落城したそうです。
「小机は先手習いの初にて、いろはにほへとちりぢりになる」とは道灌が味方を鼓舞するために読んだ歌とされています。道潅は一連の戦いで獅子奮迅の働きを見せ、名声を覆いに高めますが、危機感を抱いた主君・上杉定正によって謀殺されてしまいます。
後に小田原北条氏の城となり、笠原信為が城主として入り、子孫は代々付近に居住しているようです。
城址は「小机城址市民の森」として整備され本丸、二の丸を中心に曲輪や空堀が良く残ります。傾斜は比較的緩くなってはいますが、竹林の中に残された空堀は独特の美しさを持っています。
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2024/08/03 11:03
変身 (2024/08/01 訪問)
鹿児島城跡にある黎明館に行きました。
出先で貼ってあったポスターで知りました。
「THE仮面ライダー展」なんとも心地良い響き。
テレビを見ない生活をしているので見逃すところでした。
早速孫たちに連れて行ってもらいました。
歴代ライダーが1号から最新ライダー迄大勢展示されてます。
行く前はここ迄期待はしていなかったのですが大正解でした。
推しは当然旧1号ライダー。
ライダーに限らずオリジナルを超えるものは中々ありません。
密かに期待をしていた桜島1号が居ないのは仕方がない。
冒頭はこの日の復元門です。
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2024/08/03 10:12
仏御前の墓 / 屋敷跡 (2015/10/24 訪問)
所在地‥石川県小松市原町208-2
平清盛と妓王(祇王)の伝説に出てくる佛御前は小松市の原町の出身で承安2年(1172)14歳で京に上り白拍子となりました。当時清盛の寵愛を受けていた白拍子の妓王のはからいで清盛の前で舞を舞う機会を与えられ、天性の美貌と才で清盛をたちまちトリコにしてしまったそうです。妓王さんも余裕こいてて後で「しまった」と思ったとは思いますが、後の祭りというやつで、その後清盛に佛御前を慰めるためとして舞を舞わされたりしています。清盛もすっかり妓王のことはどうでも良いかんじですね。
結果、妓王(当時21)は母と妹の妓女と共に出家してしまうのですが、佛御前も世の栄華の儚さを知り17歳で出家してしまいます。今でいうストライキに近いですが、清盛公にはたいして応えていないような気もします(体裁は悪いですが)。
個人的には21、19、17歳の若い女性が3人も出家してしまったのはもったいなかった気がします(オイオイ‥)。白拍子というと今でいうトップスターみたいなもんですからね。
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2024/08/03 09:16
うさPYON (2013/08/23 訪問)
越前大野城の写真です。去年の11月、大野城を訪問した時にはすでに閉館していて入れなかったんですね。閉館はやいな~。そのあと、地震が来たり石垣が崩れたりで大変だったんだけど、もう修復は終わったのかな?
土井氏の兜の前立てにウサギをあしらったものがありました。戦場でもすばしこく駆け回れるようにとの意味らしいです。まさにウサギそのものですが、ちょっとかわいすぎませんかね。いかついオッサンがこの兜で襲いかかってきたら一瞬思考停止しそうです。
恐るべし‥。
話は変わりますが、大多喜城の改装工事はまだ続いているようです。あと数年かかる見通し?
大多喜城の天守は千葉県立中央博物館大多喜城分館というらしいですが、隣接する建物で写真などの展示を行っており、そこにもウサギの前立ての写真の展示がありました。しかし、このウサギ‥かなりシュールです。大野城のウサギはリアルに振っていましたが、こっちのウサギは怪人ウサギ男か「鬼滅の〇」のムキムキネズミみたいですな。
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2024/08/03 08:14
姪浜城 福岡県福岡市 (2024/07/19 訪問)
城びと未登録城です。
元寇防塁訪問訪問の後、もう少しだけ時間があったので立ち寄りました。
元寇の後、鎌倉幕府が九州の防衛拠点として鎮西探題を置いた際に築いた城です。
鷲尾愛宕神社周辺が城趾で室見駅から徒歩で10分くらい、ただし結構な急坂を登っていきます。
この日は出張で訪れたので革靴、ちょっとしんどかったです。
まずは愛宕神社に参拝、玄界灘や福岡市内を望むことができますが、遺構らしいものはありません。
この愛宕神社は日本三大愛宕神社のひとつだそうです。
一旦降りてもう一つのピーク部にあるロープウェイ駅跡に。
こちらが主郭のようです。
ということは間にある道路が堀切なんでしょうかね?
こちらにも城の遺構らしいものは見当たりませんでした。
ただ、玄界灘を見渡せるこの場所が防衛拠点に適した場所であることは間違い無いです。
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2024/08/03 07:26
天橋立 (2024/07/26 訪問)
弓木城は阿蘇海を東に見下ろす丘陵上にあり、南北2つの大曲輪群で構成された広い城域をもっていましたが、北曲輪群は小学校建設時に失われ詳細は不明です。今に残る南曲輪群は周囲が切り立った断崖に囲まれ難攻不落であったことが想像されます。
弓木城は鎌倉時代に稲富氏が城を築き、代々稲富氏の居城でしたが戦国時代に丹後国守護であり室町幕府四職筆頭格の一色義定が細川忠興に攻められ建部山城から弓木城に移っています。弓木城も度々、細川氏に攻められましたが稲富流砲術の祖とされる、稲富祐直軍の鉄砲隊や一色義定の活躍により、これを撃退しましたが一色義定が細川氏に謀殺されその後、弓木城は開城したとされています。
現在の弓木城は城山公園として日本三景の一つ天橋立を見下ろすことができます。城山公園駐車場に駐車できトイレも完備されています。本郭から山裾まで続く竪堀らしきものがありますが、往時のものか後世のものなのか分かりませんが、見応えがあります。
曲輪、切岸、土塁なども確認でき、整備もされているので散策しやすい城跡です。
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2024/08/02 23:14
112【関ケ原の26人】(26)井伊直政 (小牧長久手の戦い(2/2)-長久手古戦場) (2023/09/06 訪問)
(26人目)井伊直政の続き⑭です。
井伊の赤備えが活躍した「長久手古戦場」を訪れてきました。名古屋駅から地下鉄東山線に乗り、終点の「藤が丘」駅で今度はリニモに乗り換え、「長久手古戦場」駅で下車します。私は初めてリニアモーターカーなる文明の乗り物に乗りました。しかも無人運転です(写真⑧)。そして駅に着いて回りを見渡すと・・・(🤔?) そこには広大なイオンモールなどの商業施設が広がり、ここは昔、本当に戦があった場所なのだろうか? あまりにも近代文明の景色ばかりだったので、目を疑ってしまいました。しかし駅前にちょっとした森と公園があり(写真⑨の左半分の森が長久手古戦場公園)、わずかにその面影が残されていたので、どうやらここで合戦が行われたのは間違えないようです。
公園の入口には郷土資料館がありました。小さな資料館(無料)ですが、長久手の戦いについての簡単な説明やおみやげ屋も中にありました(写真⑤⑥⑦)。そしてその公園には石碑と勝入塚がありました。この場所で池田恒興は、直政に討取られたようです(写真①②③④)。
秀吉軍別動隊は、まず岩崎城を落とします。これに油断したのか、最後尾の羽柴秀次は白山林で何とのんびりと朝食をとる事にしました。小牧山城を密かに深夜に抜け出す事に成功した徳川軍は、隊を二手に分けます。まず榊原康正らが油断している秀次を急襲! これに秀次はあわてては敗走します。それを見た堀秀政が鉄砲隊で一矢を報いますが、家康の馬印まで見えた事に驚き続けて敗走。前線の長久手には森長可と池田恒興が取り残され、徳川家康と井伊直政はそこへ向かいました。
まず、井伊直政の「鉄砲隊」が森長可を狙撃! そして長可が討死すると敵はもう大混乱!。そこを今度は「赤備え隊」が残った池田隊を急襲! 池田恒興と長男の元助を討取ります(次男輝政は敗走)。徳川軍は鉄砲と騎馬隊を組み合わせた新たな戦術で大勝利を収め、直政は大金星を上げたのでした(すごいぞ~!😱)。直政はこの時から、赤い鬼角の兜をかぶり、長槍を持って勇猛果敢に駆け回ったため、敵方から「井伊の赤鬼」と恐れられたようです。
私は勝入塚の前に立ってみました。侍大将としてのデビュー戦を見事に飾り、ここで「えい、えい、お~!」と勝時を上げる赤鬼(直政)と赤備え隊の姿が、何だか目に浮かぶようでした。
【余談】きしめん
名古屋で麺といえば「きしめん」だと聞いた事があります。しかし私はこの年まで、きしめんなるものをまだ見た事がありません(九州にはない)。そこで、地下鉄からリニモに乗り換える藤ケ丘駅でお腹が空き、きしめんの文字の店が見えたので、どんなものか入って恐る恐る注文してみました。暑かったので冷やしで頂きます。せっかくなので真昼間からサワーと枝豆付のほろよいセットで(写真⑩)。きしめんとは、どうやらうどんを平たくした麺のようでした。そのせいか、よく手打ちされているのか、なかなかいい歯ごたえと食感がありおいしかったです。(でもなぜ麺が平たいのだろう🤔?)。
次はトクの8月恒例。平和について考える旅に出てきます。その後に、井伊直政の後半戦へ続けさせていただきます。引き続きまたよろしくお願いします。
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2024/08/02 22:48
模擬天守から主郭と千葉の街を眺める (2024/05/14 訪問)
JR本千葉駅から徒歩10分。
智光院・千葉県庁側の亥鼻公園の入り口の階段を登ると、右側に千葉市立郷土博物館(模擬天守)がそびえています。
階段から天守と反対の左側に進むと、千葉城(猪鼻城)の主郭部分にあたり、ここに土塁が残り説明板も設置されています。主郭跡から北の階段を降りると神明社があり、境内に猪鼻城址の碑があります。城址碑には、なぜかお水のお供えがありました。城址碑も御利益あるはずですね…(たぶん)
神明社がある場所は、物見台跡とのことです。
そこから北に階段を下りていくと、「お茶の水」があります。千葉常胤が源頼朝に、ここの水でたてたお茶を差し上げた伝説と徳川家康が鷹狩りで東金に向かった際に、ここの水でたてたお茶を飲んだという 二つの名前の由来があるみたいです。
主郭付近を一通り見たところで、模擬天守へ移動。模擬天守の博物館は入場無料‼
鎌倉時代~戦国時代の千葉氏や後北条氏など資料が展示されており、無料ですが、かなり見ごたえがあります!!
最上階は展望スペースになっており、千葉城(猪鼻城)の主郭を見下ろすことや千葉市街や千葉港も見ることもできました!!
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2024/08/02 20:31
大庄屋諏訪家屋敷 (2024/02/11 訪問)
ミニ城郭の雰囲気を漂わせる滋賀県守山市の大庄屋諏訪家屋敷、道沿いの水路に浮かびあがる様はまさに城郭です。茶室は明治天皇ゆかりらしく、明治時代に大津円満院から移築されたものとされ、江戸時代前期の様式とされています。枯山水の庭園には堀が築かれ、水路の水かさが増すと堀に水が流れてくるようです。パンフレットには池泉回遊式庭園と書かれていますが時期を選ぶみたいです。
なんとなく雪隠ですら哨戒所としての雰囲気を出している気がします。書院に隠し通路があったり、玄関の天井には屋根裏に通じる通路があったりと、なかなか凝った造りをしていますが、水路で囲まれた集落一帯が一族の集まりのようなので、全体としての防御力は侮れないものがありそうです。淀藩の飛び地の大庄屋ということで、屋敷に防御性を与える必要があったのかは不明ですが、なんとなく楽しんでやっている気がします。
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2024/08/02 19:59
北の庄城・柴田公園 (2013/08/23 訪問)
福井県福井市の柴田神社の周辺は柴田勝家の築いた北の庄城(1575~1583)の天守閣の跡地とされており、石垣の遺構もわずかですが残っているようです。周辺は公園となっており、天守閣の模型や浅井三姉妹とお市さん、柴田勝家公の銅像があります。お初さんは二度の落城を経験したのち、京極高次の元へ嫁ぎます。この高次の妹が豊臣秀吉の側室で後に淀殿とバチバチやる竜子さんです。
この5人、なかなか濃ゆい人生を送っていますが、お初さんの人生はその中でも比較的幸福だったのではないでしょうか。織田氏は桓武平氏、浅井氏は藤原北家(土師姓大江氏という説もあり)淀殿の血筋も悪くはないのですが、竜子さんは宇多源氏佐々木氏の流れを汲んでいるので武家としては文句なしの名門です。もし、秀吉がもっと長生きして竜子さんに子供が出来ていたら、豊臣将軍家の初代になっていた可能性もあるわけで、なかなか意味シンだとは思いませんか?
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2024/08/02 17:44
2024/08/02 17:16
2024/08/02 08:29
神戸港を見下ろす山城 (2024/06/08 訪問)
詳細は不明ながら、南北朝期までに赤松則村が六甲山系の崖端部に築いた城で、戦国後期には三好長慶の命により松永久秀が城主となって現在見られる姿に改修しましたが、長慶の死後、久秀と三好三人衆が対立すると、滝山城は安宅信康らの攻撃を受け、水の手を切られて落城。その後、篠原長房が城主となりましたが、織田信長の摂津攻めにより長房が阿波国に撤退すると、荒木村重が築いた花隈城の支城となって池田泰長が入りました。荒木村重の謀反の際には花隈城攻めの付城として機能し、花隈城の落城により廃城となったようです。
(続き)
さて、猿のかずら橋を渡ってポートアイランドや六甲アイランドの眺望を楽しみつつ登って行くと、登城道沿いにいくつかの小曲輪群が連なり、猿のかずら橋から10数分で新神戸駅(大手道)への分岐に到着。分岐から東曲輪群の北麓を西に進み、幾条かの竪堀を越えたところに中央曲輪群への虎口があります。虎口脇の土塁には石垣の痕跡も見られました。虎口を抜けると東曲輪群と中央曲輪群が大堀切によって隔てられていて、堀底に滝山城跡の説明パネルが設けられています。東曲輪群に上る道はなさそうなので直登してみましたが、東西に細長い曲輪群が続くくらいで目立った遺構は見られませんでした(竪堀らしきものはありますが…)。
中央曲輪群には東曲輪群よりも広い曲輪が階段状に連なり、ところどころに崩れた石垣も見られます。北側、南側には竪堀も落ちています。中央曲輪群頂部の本丸は城内最大の曲輪で東屋が設けられ、北西隅の櫓台には瀧山城阯石碑が建てられています。南東に派生する支尾根には小曲輪群があり、土塁や堀切もある…にはありましたが、時季的に草木が茂っていて今ひとつでした。中央曲輪群と西曲輪群の間は二重堀切で遮断され、ずいぶん浅くなってはいるものの、二重の堀がはっきりとわかります。西曲輪群は本丸よりも高所にありますが、ほぼ自然地形の曲輪がいくつかあるだけで、南西端の堀切までが城域のようです。
来た道を引き返して新神戸駅への分岐から大手道を下って行くと、尾根沿いに小曲輪群が続いてはいるものの、こちらも時季的に草木が茂っていてあまり面白味がありません。大手道の見どころといえば、途中に開けたところから神戸港が見渡せたことくらいでしょうか。
…ということで、神戸の中心街近くにありながら、堀切に竪堀に石垣にと見応えのある山城ですが、大手道は長く歩くわりに見るところが少ないので、新神戸駅から登城する場合は滝見物しながら登って行ける布引の滝ルートをおすすめします。ついでにちょっと足を延ばして布引五本松堰堤もどうぞ!
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2024/08/02 06:55
今回は生の松原地区のみ (2024/07/19 訪問)
出張で博多に行った際、早起きし朝駆けしました。
下山門駅から徒歩で10分弱で生の松原へ到着、石碑が立っています。
朝の光を浴びながら釣りやランニングをする人も。
時間的に暑くなる前(それでも暑いけど)の海風は気持ちよかったです。
海沿いの遊歩道を進むと復元された防塁の石垣があります。
これがその当時20kmに渡り築かれていたそうです。
元の脅威はよっぽどのものだったのでしょうね。
当時の本気度と技術力の高さが伺えます。
皆さんのレポートにもあるように他にも遺構はありますが時間なく今回はここだけ。
松林も風情があって癒されました。
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