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トク

平和について考える旅(岩国徳山2/4)-周防大島 (2024/08/03 訪問)

平和について考える旅(2/4)です。岩国城の天守から見えた周防大島へ渡ってきました。岩国駅からJR山陽本線に乗り「大畠駅」で下車。駅前から(写真②)のバスで島内を1時間ほど走ります。島は橋でつながっていて、とても大きな島です。

そして「陸奥記念館前」のバス停で下車しました。そこが沈没点に最も近い場所(写真①)で、そこに記念館が建っています(写真③)。海底から引き揚げられた、陸奥の巨大なスクリューや副砲や高角砲などが野外展示されていて、また館内には同じく引き上げられた乗組員の遺品や、また海底調査からの沈没状況がビデオや模型で説明されていました(写真④⑤⑥⑦)。

記念館の前はキャンプ場になっていました。とてもきれいな場所で、いつかここでキャンプしたいな~と思いました(写真⑧)。さらにその先には水族館やきれいなビーチが広がり、大勢の海水浴を楽しむ家族連れや若者たちでにぎわっていました。ここは「瀬戸内のハワイ」と地元の方々は呼んでいるそうです(笑)。そのビーチを抜け、暑い中海沿いの道を20分ほど伊保田まで歩きました(写真⑨)。 やっぱり海はいいですね! 潮風の爽快感が暑さを忘れさせ、私を平和な気分にさせてくれました。

帰りはその伊保田港に寄港する(松山~柳井フェリー)に乗って(写真⑩)柳井港で下船し、JRで柳井港駅から次に目的地「徳山」へ向かいました。

次は「徳山城」を訪れ、続きを考えていきます。
 

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イオ

とことん江戸城・番外編(泉岳寺) (2024/06/21 訪問)

江戸初期に徳川家康が今川義元の菩提を弔うために外桜田に創建した泉岳寺が寛永の大火で焼失したことにより、徳川家光が毛利、浅野、朽木、丹羽、水谷の五大名に命じて高輪に移転復興させて、現在に至っています。…なるほど、泉岳寺と浅野氏のゆかりはそうして生じたものだったんですね。

昨年、吉良邸に行った時から泉岳寺にも行ってみたいと思っていましたので、高輪大木戸から訪れました。総門は失われていますが、中門を通り抜けた先に立派な山門が聳え立っています。山門には立ち入れませんが、一階部分の天井には江戸三龍に数えられる銅彫大蟠龍がはめ込まれていました。山門の右手には連判状を手にした大石内蔵助良雄の銅像が建てられています。さすが泉岳寺。境内には浅野内匠頭が田村右京太夫邸の庭先で切腹した際に血がかかったとされる血染の石と血染の梅が、同じく大石主税が切腹した松平隠岐守中屋敷跡に植えられていたとされる主税梅や、浅野内匠頭正室の瑶泉院から賜った鉢植えの梅を移植したと伝わる瑶池梅が並んで植えられています。その並びには、主君の墓前に供える吉良上野介の首級を洗ったとされる首洗い井戸もありました。

首洗い井戸の先には浅野家鉄砲洲上屋敷の裏門が移築され、門をくぐると赤穂義士墓地です。現地の説明板を見て知りましたが、墓は御預先ごとに並んで建てられているんですね。入場料代わりに線香を買って四十七士それぞれのお墓にお供えして回るつもりが、あいにくの雨天のため屋根付きのお墓(大石内蔵助、大石主税、浅野長矩公、長矩公夫人)にしかお供えできず、他の四十五士と萱野三平のお墓には心の中で手を合わせるに留めました。一人ひとりの名前を見ていると、ドラマや映画で演じられた俳優さんの顔が浮かんできて、何とも言えない気持ちになります。ちなみに内蔵助では「元禄繚乱」の中村勘九郎(当時)さんの昼行灯ぶりが印象的でした。

墓地を出ると、赤穂義士記念館と義士木像館を見学して(撮影は不可)、泉岳寺を後にしました。泉岳寺に続いては品川台場に行く予定でしたが、雨天に加えて時折強風が吹きつける中、レインボーブリッジを歩いて渡る根性はなかったので、予定変更して一応下調べしてあった赤穂浪士御預先の大名屋敷跡をめぐることにしました(続く)。
 

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赤い城

やまびこ打線 (2024/07/27 訪問)

私の年代、高校野球のヒーローといえばKKコンビですがその前は池田高校でした。
当時やまびこ打線と名付けられていた猛打が印象的で強かった。
今年も夏の甲子園開幕がもうすぐ、どんなドラマが見られるかな?

さて、その池田高校の近くに池田城(大西城)があります。
少し高台にある学園通りには池田高校の他中学校、幼稚園、小学校が並んでいます。
この辺りが城趾ですが幼稚園の建物の下に石垣が残る他には遺構は無さそうです。

戦後期は長宗我部氏家臣の中内氏の居城でしたが、秀吉の四国平定後は蜂須賀家政が徳島城の支城として定めました。
阿波九城のひとつです。

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todo94

青春18きっぷでの城めぐり② (2024/07/28 訪問)

おおさか東線の城北公園通駅から徒歩にてアプローチしました。石山本願寺が信長襲来に備えて築いたとのことですが、遺構は残っていません。夏場の攻城としてはベストチョイスだったと思います。

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しんちゃん

街中に遺構を残す円郭式の城郭 (2024/06/22 訪問)

田中城は天文6年(1537)今川氏によって築かれ、永禄13年(1570)今川を追い出し駿河に入った武田氏によって改修を受けます。天正10年(1582)徳川勢の攻撃を受けるも依田信蕃は堅固にこれを守り、穴山梅雪の説得でようやく開城したとのことです。
慶長6年(1601)に酒井忠利が藩主となり、藤枝宿と共に整備がなされたようです。現在の縄張りはこの頃に整理されたとされ、駿河の徳川家の直轄になってからは、家康の鷹狩りの際の宿泊所になり、15回以上宿泊しているとのことです。
城址はきれいな円郭式の縄張りをもち、全国でもこれだけ丸い縄張りを持つ城は稀だと思います。今でも道路の形状などに、その名残が見られ、県道沿いに南下していくと二の丸跡の南側に馬出しを備えた三日月掘が見えてきます。
本丸跡は私立西益津小学校となり、一之堀は埋まっていますが、その周囲にニ之堀が残っています。

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しんちゃん

お吉さんゆかりの場所 (2024/07/15 訪問)

静岡県下田市には「唐人お吉」と呼ばれた、お吉さんゆかりの場所が幾つかあります。元々は知多の生まれらしく、羽豆岬にはお吉さんの像があります。「唐人」という単語には、あまり良くない意味が含まれていますが、あえてそのまま記載しています。
記念館の近くには、かつての恋人「鶴松」のお墓があります。鶴松というのは川井又五郎の幼名で、後年ヨリを戻すもワケあって離婚したそうです。ペリーロードの近くに安直楼という建物があって、おそらく又五郎と別れてから、お吉さんが営んだ小料理跡なのですが、どうも酒びたりになってしまって数年で店をたたんでしまったようです。最後には悲しい結末を迎えますが、酒に依存する悪循環から抜けられなかったのは残念な話です。

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三浦の晃ちゃん

今は、神社があります。 (2024/08/05 訪問)

戸沢氏六万石のお城です。天守台跡が、あります。今は、神社になっています。

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三浦の晃ちゃん

かまくら (2024/08/05 訪問)

模擬天守閣があります。最上階からの景色は良かったです。かまくらの季節に、再訪したいなと思いました。

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零汰

鹿児島県内最大級の城郭 (2022/01/16 訪問)

鹿児島最大級の城郭という事で行ってみました。
が、現存して遺構を見る事が出来るのは主郭部と国見城と呼ばれる曲輪のみの模様。

主郭の背後には5mを超える高土塁があり見所となっています。
国見城は読んで文字の如く物見の目的を持つ曲輪です。
実は最大級というには見所が少ないのが残念な所。
城域と呼ばれる範囲を道路沿いに探してみたが名称などが残っているに過ぎず
その他5か所の城もあったというが城域全体が自然に帰っていて取り付く事も出来ませんでした。

それでは現在遺構を見る事が出来ないのにこの最大級のと言われる所以は何だろうと一時期考えてみた。
それは単に記録に残っているから、という答えに行き着きました。
逆に記録には小さな城域なのにいざ行ってみると記録を超える広大な範囲に遺構を確認出来る城跡も現存しているのも事実。
今では歴史上の記録が100%残っている訳ではないのでそんな事もあるのは仕方のない事だと考えるようにしている。
その上にまともな縄張り図も無いので尚更です。

結局どんなに小規模な城跡でも遺構があるのならアレコレ考えるよりも行って自分の目で確かめる事が一番確実のようです。

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朝田 辰兵衛

落雷遭遇⚡→ゲリラ豪雨☂ (2024/06/01 訪問)

主郭撮影中に落雷に遭遇しました。もっと早く主郭に到達していたら,生きていなかったかもしれません。
見どころは,中楯山東側の堀切ですが,この日に限っていえば主郭落雷の瞬間です⚡

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しんちゃん

入り口は墓地の側にあり。 (2024/02/24 訪問)

秋津城は墓地の背後の城山と呼ばれる丘陵上の南側に築かれていました。曲輪は主に二段で高い方が主郭で、土塁が残っています。主郭の北側と南側に堀が付いているようで(ちょっと記憶が‥)比較的コンパクトな城址になっています。
墓地の背後の林に「トムとジェリー」のジェリーの巣穴のように入り口があいているので、そこをくぐって入っていきます。
城主の秋津守吉は南朝方の武将で、この秋津城も古郭を改修したもののようです。120年後の北山の変で秋津氏は北山村・川上村に出陣し戦死し、永禄2年(1559)に秋津城は落城したとされています。南にある一向宗寺院・願行寺が天正6年(1578)に織田信長の焼討ちを食らったさいに秋津城も落城したと考えられているので、この時は願行寺の曲輪として機能していたようです。
ちなみに城址碑と案内板は西側にある八幡神社のあたりにあるようですが、訪問していません。

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零汰

遺構の確認はできました (2024/05/23 訪問)

洲崎館跡地は神社となっていました。
訪れた時期は雑草が茂っていましたが目を凝らして見て廻ていると遺構の存在は確認出来ました。
こちらも館城と同じく発掘調査に入っていました。
北海道は春先を待って発掘調査が一斉に始まるのですね。
遺構としては西側の堀切に目を引きます。

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しんちゃん

掛川古城  掛川市掛川 (2024/06/22 訪問)

掛川古城は遠江に領土的野心を持つ今川氏の重臣・朝比奈氏によって明応年間初めごろ(1492頃)に築かれたとされています。後に築かれた掛川城に、この地域の中心の機能は移りますが、永禄11年(1568)の徳川家康の掛川攻めでは、掛川城の出城として機能していたようです。
明暦2年(1818)に北条氏重によって、本曲輪跡に徳川家光を祀る龍華院大猷院霊廟が建立されました(その後、大名としての北条氏は嗣子なく改易となる)。本曲輪の東に大堀切があり、その東にも曲輪が幾段か配されています。龍華院のあるあたりも曲輪跡とされ、南の掛川第一小学校が居館の跡とされ、北側は県道とその周辺辺りに北曲輪群が配されていたようです。

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トク

平和について考える旅(岩国徳山1/4)-岩国城 (2023/08/03 訪問)

トクの8月恒例、終戦記念日を前にまた平和について考える旅に出てきました。一昨年は(鹿屋・知覧)を、昨年は(呉・広島)を訪れたので、今年は(岩国・徳山)を訪れてきました。ではまず「岩国城」から始めます。

岩国城の南蛮造りの天守は何度見ても美しいと思います。錦帯橋から見上げた景色や、反対に天守から見下ろした景色も最高です。ここは私の好きな城の一つです。一国一城令で破却されたとはいえ、吉川広家が築いた天守台や石垣や空堀もよく残っています。ではこの天守から本題の平和について考えていこうと思います。

皆さんは、太平洋戦争中に「陸奥」という戦艦があった事を御存知でしょうか? 陸奥は、大和・武蔵に次いで長門と並ぶ、当時の日本で2番目に大きな戦艦でした。

しかし陸奥は、昭和18年6月8日、周防大島沖に停泊中に謎の大爆発を起こし、乗組員1100名を乗せたまま海底に沈みました。原因は今も不明だそうで、当時の大本営はその失態を国民に必死に隠したそうです。そしてその乗組員1100名は、今でも陸奥とともにこの岩国沖の海底に眠っています。

岩国城の天守からは、その沈没地点を眺める事ができます(写真⑥)。そしてその手前に見えるのは米軍岩国航空基地です。この基地には最新ステルス戦闘機F35Bやオスプレイなどの米軍最新鋭(最先端)の機種が多数配備されています。つまりここが、北朝鮮や中国に最も近い米軍航空基地という事になり、ここで日本本土は守られているという事になるのです。私にはなぜかこの距離感が、とても皮肉に思えました。

では次は、写真で見える周防大島へ渡り、この続きを考えていきます。
 

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イオ

とことん江戸城・番外編(高輪大木戸) (2024/06/21 訪問)

高輪大木戸は江戸中期に江戸の南の入口として東海道に設けられた木戸で、後に高札場も移され江戸に出入りする人々の送迎の地として賑わいましたが、江戸後期には木戸の設備は廃止され、石垣だけが遺されました。幕末期には伊能忠敬が全国測量の起点としたことでも知られます。明治に西側の石垣が失われましたが、東側の石垣は現在も遺されています。

泉岳寺駅のA4出口が最寄りですが、高輪大木戸にちなんで名付けられたという高輪ゲートウェイ駅から登城(徒歩約7分)。国道沿いに歩いて行くと行く手に石垣が見えてきます。時季的に草が伸び盛っているものの、さすがは江戸の南入口、なかなかの規模です。石垣の前には標柱と説明板が立てられています。東側を回り込んで北側からも眺めてひとめぐり。たったこれだけのことながら、今年の東京出張で見た城郭遺構は高輪大木戸くらいのものだったので、貴重な石垣でした(笑)
 

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しんちゃん

うまく繋がるといいねェ (2024/07/14 訪問)

長浜城は発端丈山から西に伸びる尾根の先端の丘陵に築かれています。現在は県道で分離していますが、かつては尾根上で網代山砦、岩尻山砦とも繋がっていたようです。であれば、発端丈山に至る道が有るはずで、その先は南北朝時代に使用されていた城跡に行きあたるはずです。三津城は北条の改修を受けていると思われているようですね。
そこから尾根沿いに北上していくと、北砦(三津城の一部?)出城らしきもの、三津新城と遺構が連なっています。その先は不明ですが「?」マークを付けた箇所がなんとなく怪しい。
三津新城から北西を尾根上で遮断して宮脇城まで繋がれば、武田勢から内浦湾を守る防御網がひとまず成立します。調査の進展を期待したいところですが、私もいずれゆっくり再訪して調べてみたいと思います。
現在はとにかく文献や資料が発見されない限りは、史跡として認定が受けにくいと思うので、長浜城に関わる有益な資料の発見を待つしかありませんが、条件がそろえば国の史跡の「附」として認められるかも知れません。難しいとは思うけど、松江城の例もあるので、少しづつでも調査が進むと良いと思います。なんといっても尾根上では繋がっているのだから。

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T-Shionoya

関ヶ原の城郭訪問第2段 松尾山城 (2024/03/30 訪問)

2月に関ヶ原で聴講した「山城シンポジウム江濃境目の城」で"城"であることを知り、前回投稿した菩提山城に続き3月末に訪れた岐阜県不破郡関ヶ原町の松尾山城。

関ヶ原盆地の南、比高150~200mほどの松尾山山頂エリアに築かれた城。
山麓の東山道には、嘗て畿内と東国の出入りを監視する関所が設置されたポイント。

築城時期は不明だが、1500年代中頃まで浅井方の城として堀氏などが在城。
1570年の信長の近江侵攻で開城し、以後は不破光治がしばらく城主を務め廃城に。
その後、関ヶ原合戦前に石田三成の命で伊藤盛正が再建・警備していたが、合戦前日に小早川秀秋が盛正を追い払ったとのこと。

現在は関ヶ原史跡の1つとしてハイキングコースが整備され、主郭からは関ヶ原一帯が一望可能なスポット。

訪問時、関ヶ原からの新しそうな登山道で入城したが、馬出状の曲輪から土橋や枡形虎口を経て主郭へ入る南からのルートの方が城へ入り込む雰囲気を味わえる印象。
メインの遊歩道を外れると整備状況は良くないが、各曲輪は土塁で囲まれており、主郭西側の谷の喰違い土塁も見どころの1つ。
城域滞在時間2時間の松尾山"城"が、私の城郭巡りの180城目となりました。

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三浦の晃ちゃん

登城できない (2024/08/03 訪問)

先日の大雨の影響なのか、案内所があるところまでしか、登城できないです。

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零汰

山田城:姶良市・・・5年振りの再訪 (2024/08/02 訪問)

小山田城に寄った後気分が良くなって好みの城跡に1時間掛けて移動して寄り道してしました。嗚呼、今日も仕事にならない。

こちらはシラス台地を切り裂くように大手道が配置されています。堀切道1~3迄の堀切道はシラスを掘り切ったもの。堀切道4はシラスの浸食谷を加工して使用しているのだと思います。大手道を東に進むと左手崖上に各曲輪が展開されています。時折見上げると曲輪の境の堀切の断面を見る事ができます。場所により浸食された水の跡を竪堀に加工しているのが分かる場所もあります。

写真の大半を大手道と堀切に使ったので他の遺構を記載する事は出来ませんが無名な城ですが多くの遺構が有り十分に楽しむことができます。ですがメジャー好みの方には消化不良かもしれませんね。

私の中で鹿児島で無名上位30城に入る城です。

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しんちゃん

下↗上 (2024/02/24 訪問)

下から上へ。上赤坂城でございます。
標高349.7m、比高150mの山城で、下赤坂城とともに楠木正成によって築かれたとされています。元弘3年(1333)楠木正季と平野将監は鎌倉幕府の大軍相手に善戦するも水の手(水路)を断たれて落城したとのことです。
このさいにフン尿を敵にかけるという奇策を取り、「くそんど(クソ谷)」という地名が残っているようです。ここは「悪党」の一族の本領発揮というところでしょうか。勝ってナンボとやりたい放題やってますが、後の時代に真似する人は現れなかったようです。
登城道の最初から狭い道が続き、一の木戸から四の木戸まで四ツの木戸跡を越えていきます。その先は大堀切に「そろばん橋」がかかり、その先は東に二の丸、西は茶碗原から本丸に道が続いています。城址は比較的コンパクトですが堀切等の遺構が残っていることから戦国期に改修されて使われている可能性がありそうです。
クソに話を戻しますが、ベトナム戦争ではベトコンがトラップに利用していたみたいです。最近は風船に乗ってどこぞの国にふわふわ飛んで行ってるみたいですな(‥‥やばいって)。

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