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じゅんじん

政庁 (2023/09/09 訪問)

一時は東北の拠点となった城柵です。大きいし広い!

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じゅんじん

お祭りと被る (2023/09/09 訪問)

お祭りと被ってしまい人だらけで駐車場もありません。移築の城門だけ撮影し撤退しました。

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じゅんじん

横手公園 (2023/09/09 訪問)

リアルに熊が出るみたいです🐻。食堂で横手焼きそばを食べました。
二ノ丸の模擬に比べて本丸はさみしかったです。神社が倒壊しそうです💦

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しんしんちゃん

キリシタン達の遺骸が眠る本丸を朝焼けが包む。 (2020/01/02 訪問)

原城は島原の乱の最期の戦場で、天草四郎を始め、多くのキリシタンが命を
落とした場所です。今でも多くの遺骸が眠っているらしく、城好き以外でも歴史に興味の
ある人なら一度は訪れてみたい場所だと思います。もともとは有馬貴純によって築かれ
有馬晴信によって近世城郭に整備されますが、一国一城令のあおりで廃城になっていました。
有明海に突き出た丘陵上に築かれ、海に面した本丸、二の丸、天草丸の南側は絶壁になっています。
城域は非常に広く、全体を見回ろうとすると2時間では足りません。本丸は北側と西側を石垣で
防御し、北には枡形と大きな空堀を備え、その先に広大な二の丸を備えます。さらに北東に三の丸、
本丸の西側には鳩山出丸と天草丸が配されています。
農民主体の一揆のイメージが強いので訪れてみると、その実が強固な防御力を備えた近世城郭で
あることに驚くかもしれません。13万ともいわれる幕府軍に対して、籠城する一揆勢は27000~37000
しかも半数は女・子供・老人などの非戦闘員でした。本丸が陥落する前日、広大な二の丸に幕府の大軍が
陣どり、本丸を包囲したそうです。登城時、二の丸から本丸を見やれば、決戦を前に荒ぶる幕府の
諸将の気分に浸れますが、逆に本丸から二の丸を見れば、明日に迫った確実な死を前にした
キリシタン達の絶望を感じることになります。

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りゅう

天守 (2023/09/17 訪問)

犬山城天守

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にのまる

る! (2023/09/19 訪問)

「るの門」なう!!

現地より取り急ぎご報告‼️

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シャンシャン

日本一の名城 (2023/09/16 訪問)

いろんな城を見てきたけど、姫路城はその風格・存在感・美しさが圧倒的!
どの角度から見てもかっこいい(^o^)
14年振りに小天守や渡櫓の同時公開もあり、とても満喫できた。
世界遺産スタンプシート・御城印・記念メダル・城カードなど多くのアイテムもGETできて大満足(^o^)

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朝田 辰兵衛

特別版 お城EXPO in 姫路 (2023/09/16 訪問)

関西エリアに行き直したい100名城があったため(後日投稿します),ついでに姫路まで行ってきました。平山優先生の厳選プログラムには時間的に間に合いませんでしたが,その後の中井均先生の厳選プログラムのチケットは奇跡的に当日ゲットできました。

開始まで少し時間が空いたので,城びとブースを覗きに行きました。目的は「かるたどうなってんだ~!」っていう情報の仕入れです。ケースだけ置いてあり,売っていない様子…サイズは小さく,昔駄菓子屋で見たミニカードサイズ。
結論からして,まだ厳選中とのこと。年内完成予定だそうです。「じゃあ,横浜でよろしく」と立ち去ろうとしたら,名前を尋ねられました。女性スタッフ2名だったし,フルネームだとセクハラになるかもと思ったので,「朝田です」と一言。かなり驚いておられたご様子で…こちらが面食らいました。
そうそう,にのまるさんも話題に上がりましたョ。「もし,にのまるさんが来てたら,真っすぐ『るの門』に行ってると思います」と返しました…<笑>。
想定外の楽しい時間&●●●●,ありがとうございました。

中井均先生はタイガースの「アレ」で終始上機嫌でした。もっと気難しいと思ってましたので…。

講演終了後は,姫路駅ナカの「おらが蕎麦」で鳥天丼定食。夕陽が播但線に映えていたのでパシャリ。お約束の姫路キャッスルビューも。

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三浦の晃ちゃん

大手門 (2023/09/18 訪問)

山形県内では、唯一の、藩政期からの現存建築物です。庄内藩の支藩です。「ほんま様には及びもないがせめてなりてや殿様に」で、有名な、酒田の大豪商 本間家が、関係している大手門です。

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しんしんちゃん

岡崎城紅葉、ライトアップ (2020/12/06 訪問)

3年前の写真になりますが、12月上旬で岡崎城も紅葉の盛りでした。
夕方からはライトアップも行っていました。5時半くらいにはもう暗くなっていましたね。
厳しすぎる残暑が続いていて、季節感が全くないですが、涼しくなったころには
あちこち城を巡ってみたいものです。今はいろいろ大変で、なかなか城めぐりを
出来ていませんが、何とか諸問題を片付けてゆっくり回っていきたいものです。

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にのまる

18きっぷ1回目 (2023/08/09 訪問)

この夏の18きっぷの城旅、1回目は静岡(駿府城・大河ドラマ館)にしました。
静岡までは在来線でもそれほど苦になりません。JREポイントもたまっていたのでグリーン車も使いました。(7,8月は400ポイントで交換できました。)

まずは静岡駅前で竹千代君像と今川義元公像を📷⚡️
駿府城へ向かいつつ徳川家康公出陣キットを📷⚡️
これらを見られただけでもかなり満足度高いです。

静岡市歴史博物館では露出展示の道と石垣遺構を見ました。ここまで大サービスして見せてくれるとは!

博物館から大河ドラマ館まで無料シャトルバスが出ています。歩ける距離ですが、無料だし(^^)と乗ってみると春風亭昇太さんの音声ガイド付きでした🚌

大河ドラマ館のある浅間神社は、かつて三度チャレンジした賤機山城の登山口。しばらく登っていないなぁ。(でも真夏に登るのは自粛します。)

大事にとっておいた浜松の大河ドラマ館のチケットを持って行ったので入館料が割引になりました。細かい節約の積み重ねが大事です(^^♪
館内はそれほど広くはありませんでしたが、その分、気持ちも散漫にならずに見られました。

「巽櫓と葵舟」の重ね捺しスタンプも歩きながらやってみました。「静岡いいとこ浅間通り店」が定休日で完成しなかった(葵舟が水に浮いていない)のですが、これはこれでおもしろいのでOKです☺

帰りもシャトルバスで駿府城まで。今度は運転手さんが駿府城のガイドをしてくださいました。

やっと駿府城登城です。
しかし、東御門から入った途端、雨です。しかもかなり本格的な☔
とても一周できる状況にありませんでしたが、いちばん見たかった二之丸水路は東御門前広場のすぐそばなので突き進みます。
この水路は以前、朝田さんが出題され、赤い城さんが正解されていたところです。出題写真を見ても全くわからず、正解を知って、訪城時にスルーしていたことに気づき……。なので絶対に見ておきたかったのです。
水が流れる仕組みや水位を保つ仕組みは(ここに限らず)説明を聞いても読んでも私には難しすぎて理解できないのがとても悲しいのですが(お堀の水は一体どこからどこへ???状態です)、カクカクと折れ曲がった美しい水路がとても大事な役割をもっていたということを知りました。

今日はこれまで!と東御門を出ようとすると足元の石に無数の小さな穴が!
一瞬、雨粒によって穿たれたのか!?と思いましたが、そんなわけもなく。
滑り止め?装飾?
まだまだ知らないことだらけです。

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もりちゃん

変わった二の丸の配置です❗ (2023/09/18 訪問)

本丸と三の丸の間のお堀の中の島のような二の丸がとても特徴的❗
明治以降の歴史もとても興味深いお城です。
本丸内に神社もあり、御朱印好きには二度おいしいかも。
城内の日本酒アイスは風味が良くてとてもおいしいのですが、残念ながら未成年には販売できないそうです。
耐震基準の問題で、あと2年ほどで天守閣には登れなくなるとの話でした。

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シェル

風鈴の音が響く城址 (2023/08/19 訪問)

関東鉄道常総線 大宝駅から徒歩5分で到着。
大宝八幡宮周辺に駐車場があります。
南北朝時代、大宝城は下妻氏の居城で、北にある関城(茨城県筑西市)と並び、南朝の拠点でした。北朝の高師冬軍と二年にわたる籠城戦の末、1341年に大宝城は落城。城主の下妻政泰は討死しています。
現在、城跡は、関東最古の八幡宮といわれる大宝八幡宮になっていますが、部分的に遺構が残っていて、まず大宝小学校南側の鳥居周辺には、土塁が残っていました。
けっこう高さがあって迫力がありました!!
変わって大宝八幡宮の北西側のあじさい神苑にも土塁があります。
大宝八幡宮では、訪問した際は風鈴祭りが行われており、大宝駅をはじめ、あちこちに風鈴が設置されていました。
大宝八幡宮の本殿裏手には、「贈正四位下妻政泰忠死之地」の碑(昭和6年建立)と「下妻政泰公忠死の碑」(昭和18年建立)が立っています。

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ぴーかる

尼崎城 (2023/08/12 訪問)

【尼崎城】
<駐車場他>博物館前の尼崎市立城内地区駐車場の方が最大600円で安いです。
<交通手段>車

<見所>石垣跡・博物館内展示資料・外観復元天守
<感想>尼崎城は1617年に戸田氏鉄が5万石で入封し築城されました。戸田氏鉄が大垣10万石に転封されたのちは青山氏⇒松平氏と続き、幕末に本丸御殿が全焼しますが、すぐに再建され尼崎藩尼崎城は明治維新まで残ります。現在地上面に遺構は残っておらず、小学校と博物館の辺りが本丸跡になっています。建造物は競売にかけられて行方が分からなくなっている物が多いようです。2019年に西三の丸跡地に外観復元の天守が完成オープンしています。
 尼崎城は自宅から比較的近い城びと城ですが、当初遠方や魅力ある城を優先して攻めていたのでちょっと後回しにしていて今回来訪しました。先に復興天守(入館料500円)に行きました。入館入口で御城印を購入し、内部は尼崎城の歴史や無料で姫・殿・忍者のコスプレができるコーナーや液晶画面で遊べるものがあります。お子様連れにはかなり楽しめると思います。外観復元天守・土塀もかなりいい感じです。
 次に小学校の南西部にある城跡記念碑⇒博物館に行きました。博物館前の植え込みに城の石垣が置かれています。博物館(無料)内には尼崎城の復元模型、鬼瓦・鯱があります。私にはこちらの方が勉強になり良かったですね。満足度は少しおまけして。
 この日は近場の太閤の湯館跡からこの尼崎城跡の2か所巡りでしたが、お盆休みに温泉も入ってゆったり城びとできました。80㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇

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チェブ

馬込の名前を探して、、、。 (2023/09/10 訪問)

北条家の家臣、梶原氏の「馬込城」。
東京都大田区の『馬込』とつく地域は坂道が多い住宅地でした。
一方通行の細い道が目的地を迂回させ、違った意味で車では、難攻不落です。
「馬込城」の雰囲気を求め『湯殿神社』に向かいましたが近くのコインパーキングが満車。
うろうろして『馬込八幡神社』近くに駐車し、出陣しました。が、まさかの携帯を車に忘れるという失態。
、、、投稿写真は『馬込八幡神社』の写真です。
ソースのにおいに釣られ、到着したら『馬込八幡神社』はお祭りでした。

正直に言うと、蒲田駅の近くの『歓迎』(ホアンヨン)という中華料理のお店にギョーザを食べに行く途中で「馬込城」に寄り道しました。
こんな調子だから、どのお城も難攻不落なのかもしれない、、、、。

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じゅんじん

広い (2023/09/09 訪問)

丘を利用した広い城柵になります。門が復元されております。汗だくで城巡り。丘を抜ける風が心地よかったです。

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トク

「水郷柳川」日帰り散歩③(ひまわり園) (2023/09/16 訪問)

今回の訪問のもう一つの目的は、実はここ柳川城から5kmほど南西の有明干拓地にひまわり園があり、今週がちょうど見頃で、無料シャトルバスが出ているとの情報を得たので、柳川城を見た後に寄ってきました。広大な敷地の中に50万本のひまわりが咲いていてとてもきれいでした(写真①②)。ふと反対側を眺めると有明海と長崎県がかすかに見えました(写真③)。清掃協力金500円を寄付すると、ひまわりの種もらえました(写真④)。

現在も昼はまだ30°を超える残暑が続いていますが、柳川を散策し、ここで夏の終わりを告げるひまわりを眺めていると、何だかとても気持のいい一日になりました。

〆はもちろん、柳川名物「うなぎのせいろ蒸し」です!(写真⑤)😊
 

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トク

「水郷柳川」日帰り散歩②(立花家資料館と御花) (2023/09/16 訪問)

柳川城から5分程歩いた所に「立花家資料館」と立花家別邸「御花(おはな)」があります。

資料館には、立花家の歴史や、宗茂や歴代当主の具足や秘蔵品などが展示されています(写真①②)。柳川城を訪れた際には、ぜひここにも立ち寄られる事オススメします。

また御花には、江戸期からある庭園や、明治期に建てられた洋風建物があります(写真③④)。ここにある立花の金兜は必見です!(写真⑤) 立花家にはまだ200個程の金兜が残っているそうです。これをかぶった軍勢は、さぞかし強そうに見えただろうな~🤔(実際に蔚山の戦いでは強かった)。またここ御花は、地元柳川出身の元大関琴奨菊が大関襲名披露や結婚式を行なった場所でもあります(写真⑥)。

【余談】宗茂の妻「誾千代(ぎんちよ)」物語
立花宗茂の実の父は、岩屋城で壮絶な討死をした高橋紹運ですが、その岩屋城の戦いの前に立花城を守っていた大友宗麟の筆頭家臣であった立花道雪のその一人娘「誾千代」に宗茂は婿養子として入り立花家を継ぎ、誾千代と共に立花城を守ります。ここにも女城主はいたのですね~🤔。道雪は宗麟の命で柳川城に籠る龍造寺氏を攻めますが落とす事ができず、その帰途に病死してしまいます。誾千代にとって柳川城は因縁の城だったというわけです。それから岩屋城が島津から攻められるまでの8年間、父に代わり立花城で女城主として戦いに明け暮れる日々が続きます。鎧に身をまとい、城兵を鼓舞した勇ましい女城主だったとか・・・。島津との戦も終わった誾千代は、秀吉の命により柳川城へ宗茂と共に移り住みます。そして宗茂が朝鮮出兵の留守中には再び女城主となり、家中をまとめ鎧姿で名護屋城の秀吉の元へまで行ったという逸話も。その間に不仲説などもささやかれたようですが、結局夫の宗茂が関ケ原で敗れ、疲れ果ててわずかな兵で帰還する際中、筑後川に陣を敷いて宗茂を待ち構えていた鍋島軍を破って柳川城まで連れ帰り、また城を囲んだ加藤清正とも戦っているので、実際には夫の宗茂を守り抜くほど仲むつまじかったようです。しかし宗茂は改易となり、奥州棚倉に移されると離れ離れになります。それからは神社に願掛けをし、今か今かと帰りを待ちわびたそうです。その後田中家断絶により宗茂が棚倉より再び帰還しますが、その直前に、宗茂に再び会える事なく病で亡くなったそうです。

次は、最後に柳川の近くに行きたい場所があったのでちょっとよって帰ります。
 

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じゅんじん

城下町散策 (2023/09/09 訪問)

お城にはいかずに城下町散策のみです。名所だけはあります。よき城下町でした。
なまはげかわいい!(^^)!

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じゅんじん

佐竹氏のお城 (2023/09/09 訪問)

公園が思ったより広く自然が豊かでした。水堀も大きい。100名城に選出されるだけはあります。

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