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畠山満泰 (2023/09/29 訪問)

 久しぶりの二本松城です。以前に行ったのが東日本大震災の年でしたので約12年ぶりです。当時は立入禁止区域もあったと記憶しています。今回はのんびりと散策してきました。各所にある石垣は見ごたえがあります。
 帰って来てあらためて資料を見ると、まだまだ見てみたい場所がありました。機会があれば、1日かけてゆっくり二本松城付近を散策してもいいかなと思っています。

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小城小次郎

門がたくさん (2023/02/11 訪問)

大きな大手門がやたらと目立つので現存の薬医門(本丸橋詰門?)のほか、北柵御門、柵町坂下門、杉山門もまとめて紹介してみた。薬医門は佐竹時代に遡るのだそうだがなんでまた国指定重要文化財になってないのだろう?

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安子島祐高 (2023/09/30 訪問)

磐越西線の安子ヶ島駅の近くに石碑があります。遺構はないと思われます。

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人取橋合戦 (2023/09/30 訪問)

瀬戸川氏の館跡です。人取橋合戦の時には伊達成実の陣地となったと伝えられています。小さな公園に石碑と説明板があります。

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畠山高国 (2023/09/29 訪問)

 1340年室町幕府より奥州探題に任ぜられた畠山高国が塩沢・田地ヶ岡に最初に居を構え、白旗の峰(現在の二本松城)に移るまで居城としました。石碑と説明板は確認しましたが、塩沢小学校の北側の土塁と空堀を確認していません。小心者で平日に小学校周辺をうろつくのはいかがなものかと退散しました。

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大波氏の城 (2023/09/29 訪問)

 「南北朝時代吉野朝廷に仕え北畠顕家に従えた大忠臣代々に拠る所の城」と説明板にありました。主郭部が公園になっていて遊具が置かれています。石碑がありますが、遺構はよくわかりません。東西にそれぞれ道から見えるように大波城址の大きな看板があります。

 福島駅よりバスに乗り水戸内バス停下車。目の前に大波城の案内があり5分くらいで主郭に行くことができます。

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佐藤継信忠信兄弟生誕の地 (2023/09/29 訪問)

 舘ノ山公園として整備されています。源義経に仕えた佐藤継信、忠信兄弟の父、佐藤基治が築いたとされています。西尾根に矢庫の跡という曲輪があり、東尾根に一の砦、二の砦、三の砦がありますが、二の砦は標柱がわかりません。さらに下って行くと四の砦の標柱を見つけました。

福島交通飯坂線花水坂駅から徒歩20分くらいで登城口に着くことができます。

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伊達輝宗 (2023/09/29 訪問)

 大内氏の城で、宮森城を上館、小浜城を下館というようです。
この城が有名なのは伊達輝宗の拉致事件だと思います。大内氏が去った後、伊達政宗の父輝宗がここに在城していましたが、和議の御礼のために訪れた二本松城主畠山義継に拉致され、阿武隈河畔粟の須で最期を遂げました。輝宗の死に関しては自分が読んだ小説などでは、拉致された現場にかけつけた政宗が鉄砲を撃たせ敵方とともに撃ち殺したことになっていましたが、畠山が輝宗を刺殺したなどの説もあるようです。

 主郭周辺に曲輪を思われる曲輪を思わせる削平地がありますが、どこまで当時の地形かわかりません。また藪になっていて散策はしませんでした。

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大内定綱 (2023/09/29 訪問)

  大内氏の居城で主郭は公園として整備されています。吉川弘文館から発売されている「続・東北の名城を歩く」を見ると18の郭があるようですが、主郭からざっと見渡すとそれらしい地形を見ることができます。ただ整備もされていなく私有地のような感じでしたので散策はしていません。
 ここの城主であった大内定綱は紆余曲折あり、最終的には伊達政宗の重臣となるのですが、興味のある武将のひとりです。

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政宗の撫で斬り (2023/09/29 訪問)

 天正13年、伊達政宗がこの城を落とした時に、兵のみならず城にこもっていた老若男女を含め800人(1000人という説も)を撫で斬りにしたと伝わっています。最上義光宛ての書状には人のみならず犬までも撫で斬りにしたとあります。主郭と思われる愛宕神社までは登城口から少し急な坂ですが、一直線の道があり迷うことはありません。説明板には「今なお残る石塁」とありましたが、どこのことでしょうか。神社周囲にそれらしいものはありましたが、当時のものか否かはわかりません。

 二本松駅からバスに乗り宮の平バス停下車。徒歩約10分で登城口に行くことができます。

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本庄繁長 (2023/09/28 訪問)

県庁周辺が城址です。土塁の一部が県庁裏に残っていました。阿武隈川と荒川を天然の堀とする城です。縄張り図を見ていると在りし日の姿を観たかったなと思いますが、遺構はあまり残っていません。

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伊達成実 (2023/09/28 訪問)

 伊達政宗の重臣伊達成実生誕の城と伝わっています。大森城山公園として整備されています。遺構はあまりないと思われますが、空堀が一部残っています。物見櫓がありますが、入口にある看板に「この建物は時代考証により復元したものではありません」と書かれていました。

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伊達氏発祥の地 (2023/09/28 訪問)

 初代、伊達朝宗の居城で、この地は伊達氏発祥の地と伝わっています。登城口から一直線に亀岡八幡宮への道があり、容易に主郭と思われる場所に行くことができます。他にも曲輪を思わせる削平地はありますが、遺構か否かはわかりません。

 ところで、頂上へ行くと「高子二十鏡 丹露盤」の標柱があります。調べてみると伊達市のHPに「『高子二十境』は、江戸時代中ごろの高子村の文人、熊阪覇陵(はりょう)が、高子村を中心に景勝地を選び、漢詩を読んで楽しんだことに始まるといわれており、高子二十境の名称を中国の当時の都『長安』の東にあった『網川二十境(もうかわにじゅっきょう)』にならって名づけたと考えられています。」と記載されていました。確かに頂上からの眺めはいいです。

 阿武隈急行高子駅から徒歩約5分で登城口に行くことができます。

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徳川宗春 (2023/09/28 訪問)

 伊達氏11代持宗から14代稙宗まで伊達氏の本拠地であった城址です。ここは伊達氏に続いて蒲生氏、上杉氏の領地となっています。その後、尾張藩主徳川光友の3男松平義昌が梁川藩3万石を立藩しました。梁川藩は4代通春が尾張本家を継いだため廃藩となりました。この徳川通春は徳川宗春のことです。天領などを経て、幕末には松前藩領となり明治維新を迎えました。かなりおもしろい歴史を持った城だと思います。土塁や復元された本丸の庭園などを見ることができます。

 阿武隈急行のやながわ希望の森公園駅から徒歩5分くらいで行くことができます。梁川駅から歩いても約15分です。

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しんしんちゃん

国史跡 大内氏の城 (2020/01/05 訪問)

鏡山城は大内氏の安芸支配の拠点として築かれ城代が置かれたと有ります。
戦国期の大永3年(1523)尼子経久によって奪われ、大永5年(1525)に大内氏が
取り返しますが、拠点を杣城に移し鏡山城は廃城になったとされています。
大手は南側に付き、多くのダバ(段場)と竪堀や畝状竪堀群を備えます。
馬のダバの南側あたりに畝状竪堀群が付いているようなので訪れる際に、ご確認
いただければと思います。

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初芽

馬出がすごく綺麗に残っている! (2023/09/30 訪問)

滞在時間:1時間ほど

前回訪問時にできなかった篠山城の
馬出(東、南、大手)を
さんぽしてきました!

中に入って守る側の気持ちになってみたり、
外から攻める側の視点で歩いてみたり。
お城は見方によって違った魅力が見えてくるのが
面白いです。

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しんしんちゃん

静岡の語源だったりする。 (2021/02/28 訪問)

賤機山城は静岡浅間神社の背後に丘のように長大にそびえる賎機山の尾根上一帯に
築かれた今川氏の詰めの城です。静岡の語源にもなっているらしく静岡市民にとっては
象徴的な山でもあると言えるのではないでしょうか。ハイキングコースになっている
ようで冬場でも結構な人が登っておりました。いくつか扁平地が存在し、本丸には
城址碑があり土塁も一部残っているようです。南西側に張り出した尾根には籠鼻砦が
あり、賎機山城の城域からアクセスが可能です。途中大きな堀切で遮られ難儀しましたが
郭までたどり着くことが出来ました。今川館の詰めの城にしては、いささか洗練されて
いない気がしますが良く考えたら今川方の山城ってあまり手の込んだ造りではないんですね。
武田や北条の山城が凄すぎるので比べるとおよよになるんですね。くわばらくわばら‥

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朝田 辰兵衛

高良山神籠石散策2/2(高良山山道ルートで高良大社を) (2023/07/11 訪問)

大分県の攻城から2日が空きました。攻城当日に福岡天神まで高速バスで移動しましたが,玖珠あたりから鳥栖まではすでに災害級の豪雨となっていました。翌日,福祉関連のミッション終了後,西鉄天神大牟田線で久留米に移動を考えていましたが,雷による設備故障とのことで全線運転見合わせの悲劇。急遽,JRで久留米へ。西鉄が全線運転見合わせなんて,初めての経験でした。この時,イヤなことが頭をよぎりました。『しりとりの年,筑後川が氾濫し,久留米側は水害。そんな中,対岸側の江迎城を攻城したな…』と。
イヤな予感は的中。翌日,久留米の公共交通機関は壊滅状態になっていました。終日ホテルの部屋で,福祉関連の書類を校正(持ってきてて良かった…)。

さて当日朝,JR久大本線は動いておらず。路線バスで久留米大学前まで。片道【210円】です。徒歩約20分で,高良大社の鳥居に到着。ここにパネルが設置されており,神籠石もピックアップされてます。
車での攻城ではタイパ悪いだろうな…というルートで散策を開始。
往路は,参道を使って一旦車道に出て,神籠石が遺っている山道を登って高良大社へ。
復路は,参道ルートを車道に変えて,車道ワキの神籠石を散策。

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しんしんちゃん

滝山城 愛知県岡崎市宮崎町 (2021/05/29 訪問)

滝山城は愛知県岡崎市の滝山(標高380m)の山頂に築かれている城で奥平氏が
築いた城とされています。比高は240mほどで登城道があるんだか無いんだかよく
わからない城で尾根上を直登になります。麓や周辺には奥平氏ゆかりの館跡が点在し
さながら奥平の郷といったイメージです。洗練された山城といった感じでは全く無く
尾根上に扁平地が点在するといった状態ですが城跡にはしっかり城址碑があります。
下山する際に滝があったのですが周辺は岩場が多くいささか危ないです。かつて
武田方から離反して武田勢に周囲を囲まれた際に徳川方の援軍を得て逆に武田方を
追撃して田原坂で合戦(滝山合戦)に及んだそうです。

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織田晃司

ゴルフ城 (2023/09/16 訪問)

フェアウェイとウォーターハザードのコース。
主郭がグリーンとなりますが実は主郭のみラフです。

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