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ヒロケン

織豊期の貴重な石垣 (2024/04/28 訪問)

舟岡山城は、手取川右岸の独立丘陵で標高181mに築城された山城です。手取川扇状地の扇の要に位置し、白山麓の谷合集落に向かう要衝に位置し、山全体が舟岡山城跡として白山市指定史跡になっています。
遺構は、曲輪、石垣、堀、土橋、土塁等々が残存し、なかでも本丸周辺には織豊期の貴重な石垣、規模の大きな横堀、曲輪を囲う土塁、石垣造りの櫓台など往時を想像させるには十分な遺構が残存しています。

築城年代は不明とされていますが、1580年頃には若林長門守を名乗る石山本願寺と加賀一向一揆衆が織田の軍勢と対峙したとの事から、石山本願寺、加賀一向一揆衆の拠点であったと考えられています。
その後、前田利家公が金沢城に入城後は、利家公と血縁関係があると云われている、前田家の重臣、高畠定吉が入城し織豊期の城に改修しています。

今回、孫に会う為、石川を訪れたついでに「行ってみたい」にしていた、舟岡山城を訪れました。白山青年の家に駐車(トイレも施設で貸していただけます)。施設の裏手に登城口があります。
先達の皆様方が云われる様に、思いのほか素晴らしい遺構が残存しており、白山市の指定史跡にしておくには勿体ないくらいの城で、もっと整備して頂けたら訪問される方が増えるのではないかと思います。是非、行って頂きたいお勧めの城跡です。

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刑部

遺構大切にした城址 (2024/04/15 訪問)

この公園は遺構を極力遺した公園です、普通安全性を考慮して造り遺構は二の次ですがここはかなり遺構が見られます感謝!

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todo94

近江の城めぐり⑭ (2024/03/10 訪問)

北ノ庄城からの転戦です。多武木神社ではカーナビ目的地にヒットしなかったので、曳山とイ草の館を目指しました。神社をのぞき込んで多武木神社の説明書を拝読させていただきました。浅小井城の守護神として本丸敷地内の南東隅に鎮座されていたものとの記述があってうれしくなりました。

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朝田 辰兵衛

河島山遺跡散策2/2(白山神社ルート) (2024/04/20 訪問)

河島山遺跡へ向かうルートとしては,この白山神社ルートが一番オーソドックスなようです。経塚→展望広場→二の丸チャシ→一の丸チャシ(山頂)となります。
もう少し整備していただけたらと思います。とくに二の丸チャシは中心部と思しき場所にピンクリボンのみでした…。
登山道は整備してあるのに…。
それでも,昔から河島山全体が神格化されて今日に至っているのだと,散策を終えて感じました。

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朝田 辰兵衛

河島山遺跡散策1/2(金樹寺南ルート) (2024/04/20 訪問)

河島山遺跡の散策は,当初金樹寺南ルートで完結させようと思っていましたが,この山の主(?)と遭遇。私の動きをじっと観察していました。トラブルになる前に登り直そうと思い,白山神社ルートで再登山しました。
金樹寺南ルートでしばらく登ると観音堂があり,その前に竪堀が1条。さらに登ると「河島山遺跡」の標柱があり,板碑群がありました。
さらに上を目指したら,この山の主(?)と遭遇。撤退しました。

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しんちゃん

満光寺(まんこうじ) 家康公とコケコッコー伝説 (2024/04/29 訪問)

新城の城人の城・宇利城は麓の満光寺と道の駅・鳳来三河三石はセットになっているイメージです。道の駅でそば食って、満光寺で庭園を拝観してから城に行く。そんなかんじ。
満光寺(まんこうじ)‥ この寺にはニワトリにかかわる伝説があって、徳川家康が武田の軍勢から逃れている時にこの寺で一夜の宿を取り、一番鶏が鳴いたらすぐに起こすように依頼したところ、夜中に鶏が鳴いて家康はすぐに出立したそうです。その直後に武田の重臣・山県昌景が満光寺を取り囲み、家康は間一髪 難を逃れたそうです。後に家康は鶏の恩に報いるため、寺領三石を満光寺に与えたとのこと。
三石‥ 最初見た時〇が二つ足りないんじゃないかって思いましたね。家康公の命=三石? どゆこと?

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🏯🐈おーちゃん

松坂城 (2024/04/29 訪問)

雨で人っ気が少なくてのんびりでしゅ
実は三重の姫路城にも前日行ったんでしゅよ〜

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しんちゃん

緒川ワールド (2021/05/28 訪問)

緒川城は水野貞守によって文明年間(1469~1487)に築かれたとされています。以来130年に渡って水野氏の居城とされ古城公園内に土塁の一部が残っています。城址碑の他に園内には「傳通院於大出生地」が建っています。
付近には水野氏や於大の方にまつわる屋敷跡が多く残ります。
「緒川政所屋敷跡」東浦町緒川字政所 水野氏の屋敷(参考地)とされている場所です。
「熊谷屋敷跡」東浦町緒川 緒川城館群の一つ。水野家家臣熊谷新蔵・助四郎親子の屋敷跡。
「大上屋敷跡」東浦町緒川 於大の方の姉の「於上」の屋敷跡とされる。
「竹内屋敷跡」東浦町緒川 緒川城館群の一つ。水野家家臣竹内茂右衛門の屋敷跡とされる。
「於大公園」東浦町大字緒川にある総合公園 大池の周辺に花菖蒲などが植えられている町民の憩いの場です。

※緒川城館群は完全に宅地の中にあるのでモザイクばっかりになってしまいます。

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あっちゃん

初代藩主 本多忠勝 (2024/04/28 訪問)

三重県民ながら、こんなに近くに戦国時代を感じられる場所があったのを初めて知りました。

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刑部

桜吹雪の城址 (2024/04/15 訪問)

残念ながら桜はほぼ終わりでした、でもここは歴史的な城址一度は期待場所!

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チェブ

屋号が御城。 (2024/04/13 訪問)

宇都宮家の家臣、刑部 良業さんの「刑部城」は、現在も子孫の方の館でした。
道路沿いに車を路駐し「刑部城」攻めです。
お宅の入口に「刑部城」の説明板があります。奥は広く、お宅と納屋があります。
説明板の向こうに土塁。空堀は、夏に向けて耕されてました。
説明板には『刑部氏宅の屋号が御城』とあります。
きっと、子孫の方々は『殿』とか『姫』とかアダ名を付けられたのではなかろーかと思った「刑部城」攻めでした。

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しんちゃん

京都・西本願寺 新選組や島田魁にもゆかりが深い (2024/04/19 訪問)

西本願寺は京都市下京区にある浄土真宗本願寺派の本山の寺院です。「古都京都の文化財」の一つとして世界文化遺産に登録されており、多くの建築物が国宝や重要文化財に指定されています。そんな立派な寺院なのに駐車場を無料で使わせていただけるのが有り難い限りです。かつては織田信長と激しい攻防があったイメージがありますが、周囲を塀で囲み堀を巡らせているなど、いまでも防備は固そうです。
大玄関は武家造りの様式であり、飛雲閣 には聚楽第や京都新城から移築されたという伝承が残っています。江戸時代末期には新選組の屯所にも使われ、彼らは北集会所や太鼓楼を使用していたそうです。この太鼓楼 まるで櫓のようで、これに目を付けるとは、さすが新選組です。
新選組の島田魁は明治19年に西本願寺の夜間警備員になり明治33年に勤務先の本願寺で倒れ、亡くなったそうです。案内板には終生お念仏を喜びながら太鼓番を務めたと記されています。彼にとっては近藤勇やひじ方歳三らの供養もあったようです。

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しんちゃん

伏見北堀公園 伏見城の堀跡 (2024/04/19 訪問)

伏見桃山稜の北にある伏見北堀公園は、その名が示す通り伏見城の堀跡のようです。さすがに天下人の城跡で堀がそのまま公園になっているわけですね。入口が喰い違い虎口のようになっています。これ、なんの意味が?
歩いていると奴がいました。リザードンです。暖かくなってきたので動きやすくなってきたんだね。しばらくじっと眺めていますが動く気配がありません。カラスに捕まるんじゃないよー。
堀底には川があって良さげな公園になっています。そろそろ蚊も出てくる季節なので虫除けスプレーは用意しておいたほうが良さそうです。

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しんちゃん

主郭周辺 (2024/04/28 訪問)

月ヶ谷城の主郭周辺の写真がだいぶ余ってしまったので掲載します。主郭周辺には石垣らしきものが散見し、北側には特に多いです。北の郭には破城の際のものと思われる石が多く散らばっています。主郭は西側に土塁を残し、主郭の南側一帯に2郭が存在します。
私は最初、南の郭と東の郭は別のものかと思っていましたが、どうやら同じ郭という扱いになるようです。2郭と主郭の境にも石積みが存在し、2郭の周辺にも土塁が配されています。
私は北側からアクセスしたので井戸を見落としていますが、この城は北側にも堀切などの遺構が残っているので訪れてみることをお勧めします。西側からの登山道は山中を移動する際に道を見落としやすいので、国土地理院の地形図を見れるアプリをインストールしておくと良いと思います。佐賀の勝尾城や兵庫の山奥では電波が途切れることがありましたが、月ヶ谷城全体では受信に問題は無いようです。

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しだみゅう

福山城 (2024/04/28 訪問)

100万石級の城郭ですね。

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しんちゃん

地元の山城といえど、あなどれず (2024/04/28 訪問)

月ヶ谷城は豊橋市嵩山町から浜松市三ヶ日町に向かう街道(姫街道)を押える要衝に築かれている山城です。三河西郷氏の西郷信員、正員によって築かれたとされ、正員の後継である西郷正勝は徳川秀忠の母である西郷局(お愛の方)の外祖父とされています。
正勝の嫡男・正元は月ヶ谷城を譲られますが、松平元康が今川氏に離反し、西郷氏もそれに従ったため今川勢に攻められ落城し、正元は討死したそうです。
月ヶ谷城は西側に登城道があり丸木を連ねた橋が架かっています。先へ進むと道が続いていますが途中の分岐点を山側に入り尾根上を迂回して城址北側に入ります。
この分岐点ですが、良く見ると矢印があります。この矢印にそって道を左に分け入ります。分岐点に気づかず、まっすぐ行くと谷の方へ進んでしまい、そこから山をよじ登るのはなかなか骨が折れます。行き過ぎたと思ったら一度分岐点まで引き返すと良いでしょう。(体験談)
尾根沿いに進めばそれほど苦労はしませんが、道はそれほどはっきりせず、道標もところどころ倒れています。スマホに地形を読めるアプリを入れておくと良いと思います。城址の北側には出丸らしき場所があって、石積みが見られ、その先には堀切がかかっています。尾根沿いに南に進むと北の郭に到達し、破城の際に散乱したと見られる石が多数見受けられます。最高所が主郭になっており周囲に石積みが残っています。主郭の南東から南西にかけても郭が配され、さらに南側にも腰郭が配され、井戸が残っているようです。

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モト

トクさん、石垣ありました!! (2024/04/28 訪問)

 またまたリベンジ、近々2週間で3回目の訪問です。
あるとわかっていながら見つけられなかった石垣を見つける事ができました。
これもトクさんのおかげです。
ありがとうございます。
感謝です。
教えていただきました通りに石垣を発見した時にはほんとうに感動してしまいました。
ご忠告いただきましたように、なるほどなかなか滑りやすい急な斜面に苦戦しましたが、とにかく嬉しくて石垣の前に降りて何枚も撮影してしまいました。
今回、ほんとうにお世話になりました。
重ね重ね御礼申し上げます。

行かれる方、遺構までの道のりはトクさんの投稿を見てください。
非常にわかりやすく教えてくれてます。

改めて訪問すると今まで見落としていたり新たに気がつく遺構がけっこうありました。
石垣はもちろんですが竪堀、曲輪など行くたびに発見する事が増えて感動です。

また、今回ご親切に遺構までの道のりをトクさんに教えていただきましたが、私1人では情報を揃える事はできませんでした。
機会を創造してくれている城びとというサイトもいいサイトだなぁと思いました。
運営の皆様、毎回楽しい投稿をされている皆様、これからもよろしくお願いいたします。

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カズサン

古墳利用の素晴しい山城・古墳編 (2024/04/19 訪問)

 和田山城は比高20m程で和田山・末寺山史跡公園の中に山城エリアと古墳エリアが有り古墳は山城エリアに本丸に9号墳、二の丸に8号墳、登って忠魂碑の横から西へ古墳が1号墳、2号墳と10基超繋がている、少し離れた(100m程)丘陵に和田山5号墳の前方後円墳があり、此処までが和田山古墳群、和田山5号墳から北に約300m程の所に末寺山古墳群が有りここには珍しい前方後方墳が2基と全部で10基ほど有ります、末寺山古墳群より西へ約800m程の所にも秋常山古墳群が有り、此処には全長約140mの前方後円墳があり越の王族の古墳かも?と能美古墳群として数十基の古墳が存在しています、手取川の流域と日本海交流などで大きな勢力が有ったのでしょう。
 能美古墳群の解説板が大型で登城口から上がったエリアの東方向を望む所に掲示してあります、しばし勉強させて頂きました。
 
 ここは和田山城、和田山古墳群、能美ふるさとミュージアム、古墳を模したふるさと歴史の広場と文教面の整備保全が良く施されています、ありがたい事です。
 

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ぴーかる

尼子十砦6城目 (2024/02/24 訪問)

【勝山城】
<駐車場他>Googleマップの勝山城登城口から登城しました。登城口手前の広厳寺さんにお声がけすれば駐車させてもらえます。
<交通手段>車

<見所>畝状竪堀群・土塁囲みの曲輪・主郭石列・堀切
<感想>1泊2日尼子十砦の旅7城目。勝山城の築城は室町時代、築城主は不明で、現在残る遺構は毛利氏が陣城として改修したものであるらしいです。上記ルートから登城しました。登城口から尾根に付いてすぐに広い削平地があります。途中の中間くらいに尾根に沿って2条の竪堀と竪土塁があります。城跡は南北に長く、主郭から南に緩い連段になっています。主要部の削平地から月山富田城が見えます。主郭の南側に巨石の石列が残っています。主郭の北側に下がって土塁囲みの大枡形の虎口または曲輪があり圧巻の見応えです。曲輪段の周囲の遺構が素晴らしく、北端は3重堀切、南端は放射状の畝状竪堀、東面はすべて畝状竪堀で埋め尽くしています。上記登山道からは南からの進入も畝状竪堀と合わせて3重堀切のような感じになっています。小さい城跡ながら超絶技巧の防御遺構が残る見応えある城跡でした。お勧めです。

<満足度>◆◆◆

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カズサン

古墳利用の素晴しい山城・二の丸編 (2024/04/19 訪問)

 和田山城の二の丸は本丸と虎口曲輪を挟んで北側に位置し8号墳を櫓台として利用している、北から西に横空堀が走り西の犬走から土橋を渡り虎口より二の丸南側に入る、二の丸は北の櫓台に登って行くようなスロープで西に土塁が走る、東側には腰曲輪群が二の丸北側から本丸南側まで中腹の南北に走る。
 

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