津新町駅から歩いて15分にあるのが…津城跡🏯 織田信長の弟である信包がこの地に城を築き…関ヶ原の戦いを経て、藤堂高虎により大改築された城…明治維新後は学校になったり図書館になったりして…現在の庭園を兼ねた姿になる
そういう概説はさておき…この日、最初は伊賀上野城に向かう予定でした。ところが…途中の亀山駅にて「大雨による伊賀上野に向かう電車の運転見合わせ☔️」のアナウンスが流れ、「ならば余裕があれば行こうと考えていた…津城へ🚃」「あそこは続100名城…スタンプをまた1つ押しに」と目標変更
最寄りの津新町駅に着いた時点で15:49…しかもモバイルSuicaに記録がついてないという事で精算が必要となり、その対応で5分ほどロス…それでも諦めずに向かい…16:05にそこ(津城)に着いたのですが…(日本100名城のスタンプ受付は16時までとガイドブックに書いてあったとおり)スタンプ台はどこにも無く…つまり終わってました😭
「ここまで来て諦められん…本来明日は別の場所に向かう予定だったが、時間をやりくりしてここに再び来る時間を作ろう」「スタンプ受付時間は終わっても…ここの見学自体は24時間OK」「ならば先に…ひと通り見学を済ませるという、明日のためのせめてもの下準備をしておこう」と考えて、雨のぬかるんだ地面の中…城内を散策
場内を門から反対側の門まで突き抜けるように歩き…水溜りで足元を濡らしながら…城の外周に出て…そこから1枚撮影(1枚目)。天守無く櫓は一基しか残っておらず、城の規模は小さめの割には水堀と石垣は(もっと大きな城をイメージさせるくらいに)立派な気がしました🏯
最初に入った門へと再び戻り…そこでまた1枚(2枚目) この門は入徳門と言い、江戸時代にこの辺りにあった藩校有造館の門でした。それからこの門は女学校や幼稚園の門に移されて…今の場所に移築保存という流れ
ちなみにこの門は…明治時代に師範学校としてこの辺りが使われていた頃は…(朱塗りであったから)赤門と呼ばれていたそうです。なんか東大みたいなネーミング
入徳門から先へ進むと…(3枚目の)和風庭園がそこにあります。灯篭があり、池があり…飛び石を渡って水辺を避けたりして中を散策しました。ただ…池こそはあったものの…水深が浅いようで、魚は見かけませんでした
城址の中央広場には…(4枚目の)藤堂高虎像がありました。1556年に生を受けて、最初は浅井長政に仕えて15歳の時に姉川の戦いにて初陣を飾り武功を挙げたそう。長政が滅びると羽柴秀長(秀吉の弟)→秀保(秀吉の甥)と仕える
関ヶ原の戦いの頃に家康に接近して東軍で参戦。秀長の頃に与えられていた伊予国の領地の石高を加増してもらう。そして1608年には伊賀・伊勢に転封。その時は22,3万石の所有者
それから7年後…大坂夏の陣で豊臣側の残存兵を壊滅させて…手柄を挙げた事が評価されて32万石に加増された。太平の世になってからは二条城や大阪城の改築にも携わり、1630年病没
1つだけ残ってる櫓(二重隅櫓)(5枚目)にも行ってみました。階段を上ってすぐ…でしたが、残念ながらその扉は閉まってました…どうやら一般公開はされてないようです
そしてその周囲が草むらになっており、そこから下を覗くと断崖絶壁…駐車場側は…下までの高さが10mはあると思われ…落ちたら助からなさそう…でした
もし落ちてしまっても…手摺も無い所に興味本位で上がってきてしまった自己責任として扱われるのが想像できた…何よりこれ以上ここから下を見るのが怖かったので、すぐに元来た場所に戻り…安全に城の外に出て、見学は終わりました
(藤堂高虎のWikipedia)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%A0%82%E9%AB%98%E8%99%8E
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