横手の三城目は金沢柵と推定されている金沢城跡を訪問しました。ここは御三年の役において源義家と清原武衡・家衡が合戦におよび、兵糧攻めで落城した場所とのこと。比高約90m、東西900m、南北600mという規模の大きな山城跡です。
金沢柵のイメージで攻城を開始したのですが、現在目にすることができる本丸、二ノ丸、北ノ丸は14世紀後半以降に南部氏・小野寺氏によって中世山城として改変された姿のようです。慶長7(1602)年に佐竹氏が常陸から秋田に入部した折にはここが居城候補にもなったようですが、その後廃城になったそうです。
今に残る曲輪や堀切などしっかりとした遺構はとても見応えがありました。また前記の北側曲輪群は削平されているのに対し、西ノ丸は自然地形の曲輪であり、より古い時代から使われた遺構のように思われました。金沢柵時代と推定される遺構も発掘されているようですが、短時間の訪問で確認できませんでした。
城址は現在、金沢公園となり藩主佐竹氏が尊崇した金澤八幡宮が祀られています。近隣の「御三年合戦金沢資料館」を訪問して、情報収集してからの攻城をおすすめします。
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